第55話 錬金術師は応援する
城内の私室に戻ると、所長と二人の護衛が待っていた。
所長はソファの上で何やら思い悩んでいる。
まあ、それはいつものことだろう。
言うなれば呼吸のようなものである。
レイモンドは所長の背後に佇んでいた。
意識しなければ分からないほどに気配が薄い。
まるで彫像のようだ。
それが従者の在り方だとでも言いたげであった。
クアナは腰から下を所長の影に沈み込ませている。
その状態でテーブルのクッキーをつまんでいた。
表情の乏しいものの、どことなく嬉しそうなのが分かった。
私の入室に反応したのは、肩を跳ねさせた所長だけだ。
彼は錠剤の入った瓶を懐に仕舞う。
胃薬だろうか。
なかなかに苦労しているらしいが、私の知ったことではない。
胃に穴が開いたら、また治療しようと思う。
もう少し頑丈な胃にすれば長持ちするだろう。
そう結論付けた私は、黒革の椅子に腰かける。
「いやはや、我々は恵まれているね。トップがあれだけの傑物なら、国の将来も安泰だろう」
「そ、そうなのですか」
所長は神妙な調子で相槌を打つ。
私は葉巻を取り出すと、それを吹かしながら頷いた。
「君も女王を見習うといい。上手く立ち回れば世界征服も夢ではないよ」
「いや……その、私はそういった柄ではないというか……」
所長は歯切れの悪い口ぶりで応じる。
こちらを見ようとしない。
なんとも消極的な男だ。
女王の貫禄を目の当たりにした直後なので、余計にそう感じてしまう。
今、所長は万人から羨まれる立場にある。
私に気に入られた上で、専属の護衛を獲得しているのだ。
やり方次第では世界を牛耳れる。
比喩ではなく純然たる事実だ。
それなのに所長は、臆病になって踏み出そうとしない。
「やれやれ」
私はやや大げさにため息を洩らした。
落胆の意を込めて片手を掲げると、中指と親指の腹を擦り合わせる。
私が術を使う前の動作だった。
「ううむ、残念だな。失望のあまり指が滑ってしまいそうだ」
「せ、せせ世界征服! 是非しましょう! いえ、やってみせます! このグレゴリー・ハーライア、死力を尽くして世界に挑みましょうッ!」
即座に立ち上がった所長が力強く宣言する。
顔面蒼白だが、鬼気迫る勢いを感じさせた。
「よしよし、その意気だ。今後も一緒に頑張っていこうではないか」
震える所長を称賛していると、レイモンドが私の前までやってきた。
気の毒そうに所長を見た後、彼は耳打ちをしてくる。
「あまり主を虐めないでほしいのですが……」
「虐めるなんてとんでもない。ただのジョークさ」
私は軽く応じる。
次に所長の影が伸びて、滑るようにクアナが近付いてきた。
彼女は所長の顔を指差しながら指摘する。
「涙が出てる」
「嬉し泣きだよ。そっとしておくといい」
葉巻をくわえた私は、悠々と紫煙を吐き出した。




