第32話 錬金術師は悠然と考察する
私は沈黙して首を傾げる。
口端から血が漏れたので手の甲で拭う。
胸の激痛を知覚しながら、黒刃を観察する。
黒刃が捻るように角度を変えた。
その動きに従って、私の体内が破壊される。
ジャケットとシャツに血が滲んでいく。
私は笑みを湛えて呟いた。
「いい不意打ちだ。心臓を一突きで穿っている」
洗練された腕前だった。
文句なしになかなかの暗殺術である。
おまけに刃には複数の概念が封入されているようだ。
その影響で独特の光沢を帯びている。
再生阻害に魂の破壊、生命力の吸収や肉体の腐蝕、存在消去など他にも数十の付与が施されていた。
清々しいほどに殺意に満ちたラインナップである。
度重なる改造により、黒刃は神を殺せるほどの武器と化している。
これらは魔術ではない。
概念強度が人智を超越している。
私は酒瓶を改竄して手鏡を作ると、それを頭上に掲げた。
鏡越しに、後ろにいるであろう人物を確かめる。
椅子の陰には、黒衣を纏う少女がいた。
陶器のように白い肌で、黒髪に赤い瞳をしている。
その手は私に刺さる刃の柄を握っていた。
作り物めいた無表情はしかし、怪訝な雰囲気を匂わせる。
殺害の手応えがないせいだろう。
(神ではない、か)
私は少女の内包する雰囲気から察する。
神格に値する能力を貸し与えられているようだ。
少なくとも常人ではない。
その正体は神の使徒――俗に言う天使だろう。
使徒とは何度となく戦いを繰り広げている。
まず間違いないはずだ。
それにしても優れた隠密能力である。
自力で培った技術と思われるが、拍手で讃えたいほどだった。
使徒の少女を手鏡で観察していると、いきなり手鏡を粉砕された。
目が合った瞬間、彼女の腕が閃いて壊したのだ。
仕方なく私は、持ち手だけになった手鏡をテーブルに置く。
それは割れた酒瓶の破片へと変貌した。
「この短期間で二度も襲撃するとは、神々も元気じゃないか。久々に挨拶しないといけないな」
私が呑気に述べる一方、窓際に固まる女王は戦闘態勢を取っていた。
使徒を睨みながら身構えており、今にも突撃してきそうな気配である。
「ルドルフ……ッ!」
「安心したまえ。王たる者は、どんな時でも落ち着いているものだよ」
微笑を崩さず、私は女王を手で制する。
黒刃は依然として胸から顔を出していた。
私の血を垂らしながら、燦然と存在している。
いや、よく見ると刃先が小刻みに震えていた。
使徒が引き抜こうとしているのだ。
それを私が妨害している。
私は脚を組み直して指を鳴らす。
すると、黒刃が切っ先から融解し始めた。
吸い込まれるようにして、穴の開いた私の胸部を埋めていく。
刃が最後の足掻きとばかりに劇毒を噴出し、粘液となって私を蝕もうとする。
しかし、それすらも私の欠損を補うだけだった。
無害な物質に変換された劇毒は、泡を立てながら蒸発する。
「さて……」
治癒を済ませた私は、立ち上がってスーツを払う。
血の汚れを消して振り向くと、黒刃の柄だけを握る使徒の姿があった。
殺気が強まっているのは気のせいではないだろう。
私は爽やかな気持ちで笑みを深めた。




