第1話 錬金術師は新たな目標を掲げる
私は片腕を掲げると、高らかに指を鳴らす。
その瞬間、頭上を飛ぶ竜が爆発した。
漆黒の巨躯が墜落し、瓦礫の海に激突する。
竜は血飛沫を上げながら蒸発していた。
地鳴りを轟かせながら倒れて、やがて動かなくなる。
剥き出しの心臓は融解し、血を垂れ流していた。
腕を下ろした私は、心底からため息を洩らす。
死骸となった巨竜を前に落胆を露わにした。
「この程度か。つまらんな」
瓦礫だらけとなった廃都市に、私の呟きが響き渡る。
もう少し手応えがあるかと思いきや、とんだ期待外れだった。
体内の魔力を少し弄っただけでこれだ。
これで世界最強の魔神を自称するのだから、思い上がりも甚だしい。
私は背後に視線を向ける。
瓦礫にもたれて座るのは、ローブを纏う一人の女だ。
深海のような色の髪を持つ彼女は賢者である。
魔神との戦いに志願した変わり者だった。
端正な顔立ちは、苦痛に歪んでいる。
その手は腹を押さえていた。
鮮血が溢れている。
戦闘の最中、魔神の攻撃が掠めたのだろう。
即死しなかっただけ幸運だが、明らかな致命傷であった。
賢者は死骸を一瞥すると、消え入りそうな声で言う。
「魔神すら、貴方にとっては些末な存在でしたか……」
「少しは期待していたのだがね。想像以上に弱かったよ」
私は思ったままの感想を述べる。
世界を滅ぼすと豪語していたものの、そのやる気の割には貧弱だった。
常人の基準なら災厄そのものだが、私にとっては大した相手ではなかった。
賢者に近付いた私は、彼女の傷口を見やる。
「どれ、治療しよう。傷を見せたまえ」
「いえ……このままで、いいのです。間もなく息絶えます、ので」
賢者は首を振って拒否した。
どこか諦めた表情だ。
思わぬ反応に私は眉を寄せた。
彼女の行動を理解できず尋ねる。
「何を言っている。君は死にたいのか?」
「そうですね……死にたいの、かもしれません」
賢者は遠い目をして言った。
嘘や誤魔化しではない。
どうやら本気でそう思っているようだ。
「ふむ。人間とはよく分からんな」
私は腕組みして考え込む。
もっとも、考えたところで推測しかできない。
彼女は賢者と呼ばれるほどの逸材だ。
常人にしては規格外の魔力量に加えて、豊富な知識を有している。
類稀な頭脳に関しては、私も一目を置いているほどであった。
そのような人物が、なぜ死にたがっているのか。
傷の治癒を断られるとは思わなかった。
理由を考えているうちに、私はあることを思い出す。
賢者は、大勢の人々から疎まれていた。
災いを招いた大罪人として、祖国から追放されたと聞いたことがある。
(確か彼女の研究成果が悪用されて、魔神の封印が解けたのだったな)
それで賢者が批難される流れは理解できないが、とにかくそういった出来事があった。
彼女が魔神との戦いに志願したのも、自責の念が大きいのだろう。
人間は何かと使命や責任といった言葉を使いたがる。
悪い癖とまでは言わないが、難儀な生き方をしていると思う。
私とて、別に是が非でも賢者を生かしたいわけでもない。
言ってしまえば、ただの善意である。
余計な気遣いであるのなら、率先して治療する気もなかった。
賢者の意志を尊重したいと考えている。
私は辺りを見回した。
どこまでも瓦礫の海が広がっている。
変化と言えば、眼前に転がる魔神の死骸のみだ。
つまらない光景である。
「しかし、また退屈になってしまった。次は何を殺せばいいのだろう」
私が真剣に悩む。
これは重大な問題である。
魔神がこれだけ張り合いがないとは思わなかった。
多少は粘ると予想していたのだが、あっさりと死んでしまった。
北の山の巨人は、少し前に絶滅寸前まで追い詰めた。
まだ生き残りはいるだろうが、わざわざ始末しに行くほどの勢力ではない。
きっと欠伸でもしている間に片付けられる。
天界から降臨した使徒は残らず撃退した。
意趣返しで天界に侵入し、神々を殺戮したのが数十年前だったか。
相当な数が犠牲になったので、彼らもまだ立て直せていないだろう。
したがって足を運んでも意味がない。
私を世界悪と認定した精霊共は、抗議ついでに森を焦土に変えてやった。
それきり彼らは干渉してこなくなった。
戦意を喪失してしまったらしい。
大口を叩いていた割には軟弱な連中である。
数の上では最も多い人類だが、彼らは論外だろう。
魔神のせいで世界は滅びかけている上、全体の数も大幅に減っている。
そもそも人間は非力すぎる。
彼らが何億と集まっても、決して私には敵わない。
どれだけ増えようが誤差の範囲だった。
「ううむ……」
標的の候補が次々と浮かんでは消える。
もはや、この力を振るう相手がいなかった。
長年に渡って娯楽を貪ってきたが、その代償がついにやってきたようだ。
退屈とは深刻だ。
何もすることがないと、心が枯れていく。
このような事態に陥った時、私は決まって休眠を取るようにしていた。
ある程度まで世界が回復するのを待つのだ。
今回、私が居眠りしている間に魔神が猛威を振るっていた。
おかげで世界全土が疲弊している。
回復にはそれなりの年月を要するだろう。
少なくとも五年や十年の話ではないはずだ。
私はそれを想像して舌打ちする。
(いっそ自殺でもしてしまおうか)
命は別に惜しくない。
無限の退屈の方がよほど苦痛だった。
ともすれば気が狂いそうになる。
世界に止めを刺して、自らも死ぬ。
存外に良い案ではないだろうか。
すべてを終わらせるのは、そう難しいことではない。
思考がまとまりかけたその時、虫の息の賢者が発言する。
「ルドルフ様……一つ提案がございます」
「何かね。言ってみたまえ」
私は迷いなく続きを促す。
聡明な賢者のことだ。
さぞ良い案を閃いたに違いない。
彼女の意見を判断材料に加えたかった。
呼吸を整えた賢者は、途切れ途切れになりつつ提案する。
「今度は、ただ殺すだけでなく、世界を育んでみては、いかがでしょうか……」
「世界を育む、か」
顎を撫でつつ、賢者の言葉を反芻する。
何かを滅ぼすことしかしてこなかった私に、まさか正反対の行為を勧めるとは。
これほど皮肉なことはあるまい。
確かに予想だにしなかった考えであった。
「面白い案じゃないか。さすがは賢者だ」
「光栄、です」
賢者は儚げに笑う。
私が興味を抱くことを想定して、今の案を挙げたのだろう。
死に瀕しながらも、相変わらず彼女は鋭い。
私より遥かに利口であった。
そこには人類を守りたいという打算も含まれているのだろう。
別にそれは構わない。
私が満足できるか否か――その一点だけが重要であった。
他の存続など考慮に値しない。
生きようが死のうがどうでもいいのだ。
私は賢者の提案を前向きに捉えつつ、彼女に質問する。
「世界を育む秘訣はあるのかね」
賢者の提案を採用する場合、これは是非とも訊いておかねばならない。
私は滅ぼすことしか知らない。
世界を育むなど初めての挑戦であった。
故に楽しみ方が分からない。
提案するくらいなのだから、賢者は何らかの答えを有しているはずだ。
思案する賢者は、私の目を見て答えを述べる。
「人類を愛すること、ですかね」
「ほほう。それは盲点だった」
私は感嘆の声を洩らす。
まったく予想外の答えだ。
一瞬たりとも候補に挙がらなかった。
人類を愛することで、世界を育むことができる。
賢者が言いたいのはそういうことだろう。
彼女の意見は悪くない。
良い退屈凌ぎになるのではないか。
仮に失敗したとしても問題ない。
私の手違いで世界が滅びるだけだ。
そうなったら、また次の暇潰しを考えればいい。
「よし、決めた。私は人類を愛して世界を育むぞ」
私は宣言する。
新たな目標を掲げた途端、活力が漲ってきた。
面白いことが起きそうな予感だ。
やはり素晴らしい。
充足感を覚える私は、背筋を伸ばして微笑する。
「礼を言うぞ賢者。君はやはり――」
私は途中で言葉を止める。
座り込んだ賢者は、虚ろな目をしていた。
腹の傷からは、静かに血が流れ出している。
それが瓦礫を赤く染めていた。
彼女の手は、それを止めようとしない。
力を失って垂れ下がったままだ。
賢者は、既に死んでいた。
「……あっけないものだな」
私は呟くと、瓦礫の海を歩いて進む。
たまに崩れそうになるも、気にせず足を動かし続けた。
賢者のおかげで次の目的が定まった。
しかし世界は滅びる寸前だ。
ここは諸々が再生するまで、眠って待つべきだろう。
下手に介入すると、事態が悪化しかねない。
「……ふむ」
しばらく歩いたところで、ふと私は振り返る。
遠目に賢者の亡骸を一瞥した。
もう彼女が動き出すことはない。
その肉体は、いずれ朽ち果てるだろう。
彼女と行動を共にした時間は短い。
しかし、それなりに楽しい日々を送らせてもらった。
報酬というわけでもないが、彼女の名の一部を引き継ごうと思う。
私はその場で頭を巡らせると、出来上がった名を口にする。
「――ルドルフ・ディア・アーチサイド」
存外に悪くない響きだ。
ルドルフ自体、誰かが付けた名であった。
要因となった出来事だが、もはや忘却の彼方に置いてきた。
今更、後付けしたところで誰も文句は言うまい。
私は移動を再開した。
その際、瓦礫の中に一本の道を築き上げる。
整備された道を淡々と進んでいく。
(どこか眠れる場所はあるか?)
当分は見つからないような空間がいい。
世界が再生したら、また目覚めるつもりだった。
膨らむ期待を堪えながら、私は世界を歩く。
――その時は、存分に人類を愛そう。
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