英雄誕生
これは、英雄を育てる魔法使いの物語――
空が茜色に燃えている。
家が、畑が、櫓が、俺たちの村が燃えている。
目の前で真っ赤に輝いているのは、笑顔が綺麗だったレーザさんの家だ。誰にでも優しくて、どんな悪戯をしても笑って許してくれた。隣のベーデン爺さんの家も赤々としている。気難しくて頑固でいっつも怒鳴ってたけど、時々お菓子をくれた。一際激しいのは村長の家だ。時に優しく時に厳しく、村人達に慕われていた。
村の皆で育てた畑から轟々と炎が吹き上がっている。今年は特に豊作が期待されていた。青々とした実りを見て、口々に希望を交わした。ベーデン爺さんは珍しく上機嫌な日が多かったし、村長は村を大きくできると笑っていた。若衆で一番の力持ちだったディッキントスなんて、今年が豊作だったらレーザに結婚を申し込むなんて叫んでいたっけ。そのあと若衆から袋叩きにされていたけど。
崩れ落ちた櫓は、増えつつある魔物の襲撃に備えて建てられたものだ。ディッキントスや若衆が力を合わせて建設し、日々交代で見張りに立っていた。村だけでなく山でも実りが豊かだったことにより餌が増え、魔物が繁殖したのではないかと村長が言っていた。一人で村の外に出るなと何回言われたことか。櫓が建ってからは魔物の被害も減っていたし、これで収穫も安心だと誰もが思っていた。
俺たちの村が燃えている。
最初は櫓の見張りが警鐘を鳴らした。村人たちも慣れたもので、各々の家に閉じこもる者と、櫓の指示を仰いで魔物の撃退に走る者に分かれる。家に残る者は、櫓から警戒解除の鐘がなるまでこのまま静かにしておく決まりだ。しかし俺は、それにもう飽きていた。いつまでも待っているだけでつまらないのだ。そこで俺は、魔物退治を見学しに行くことにした。村人の被害も毎回大したことが無かったからか両親も強くは反対しなかった。俺は一度逃げ込んだ我が家を飛び出した。
俺は目がいい。櫓の見張りを見て目線を追えば、向かうべき方向、魔物がいるであろう場所を探すのは簡単だった。早くしなければ魔物が散らされてしまうと走っていると、次第に喧騒が聞こえてきた。男たちの戦う声だ。俺の胸が高鳴った。
段々と喧騒が大きくなるにつれて高鳴りは落ち着き、疑問がわいてきた。魔物退治で聞こえるはずの、魔物の唸り声や咆哮が聞こえてこない。耳に届くのは男たちの怒号と雄叫び、何かがぶつかり何かが倒れる音ばかり。どうやら村を囲う簡易的な柵のすぐ外で戦っているようだった。それがわかる頃には、何が起こっているのか確認したいという使命感にも似た思いが全身を動かしていた。
俺は身体能力がいい。あまり戦いに近づきすぎず、それでいて視界の通りそうな家に当たりを付けると、壁を蹴って屋根へと飛び乗った。
――そこから見えたのは蹂躙だった。
鈍色に光る鎧達が、ただの平服を着こんだ村人を蹂躙していた。
長剣や長槍を握った者達が、鍬や鋤を握った村人を蹂躙していた。
鎧が剣を振るう度、村人達が倒れ伏す。鎧が槍を突き出す度に、村人達が串刺さる。
恐らくは五十程の鎧の集団によって、魔物退治の村人達がその命を散らされていた。
村人たちも必死に抵抗しているようだった。魔物相手に編み出したのであろう戦術らしきものが見えた。数人であまり離れずに固まって、交互に手持ちの武器を振るうことで隙を無くし、魔物を威嚇し牽制する戦い方だ。それは、魔物には有効だったかもしれない。数組で囲ってしまえば、魔物は成す術なく逃げ帰ったかもしれない。でも人には効かなかった。いや、持っている物さえ違えば、あるいは効果があったのかもしれない。なんの慰めにもならないけど。俺たちは村人だ。その手に持つのは鋤や鍬だ。農具で鎧は貫けない。囲い込んだ村人と共に、剣に切り捨てられていた。
ディッキントスが飛び出したのが見えた。どうやら一人で鎧に突っ込むらしい。若衆で一番の力を込めて、その手に持った鍬を大きく振りかぶった。俺の位置からはその後ろ姿がよく見えた。そして、何をされたのかは全く見えなかった。鎧に鍬を突き立てたと思ったその数瞬後、ディッキントスの上半身が下半身から滑り落ちた。少し遅れて残された下半身から赤黒い液体が吹き出し、やがて倒れていくところまで、はっきりと見てとれた。
その光景から、俺は目を離せなかった。いや、ただ呆然としていただけかもしれない。あるいは、状況を理解しようと必死だったのかもしれない。とにかく目を凝らして、血飛沫の一滴に至るまでを認識できる程に見入っていた。だからそれは必然だった。ディッキントスが倒れた向こうから、彼が襲いかかり、切り捨てられた鎧が見えたのは。
それは他の鎧よりも少しだけ豪華だった。羽飾りの付いた兜を被り、深紅の外套を羽織り、きらびやかな鞘を吊っていた。握った剣の手元も金色を施されていた。もしもこれが平時であれば、その洗練された芸術品のような立ち居振舞いに、情景や尊敬の念を覚えたかもしれない。村人が襲われていなければ。ディッキントスが切り捨てられてさえいなければ。
俺は目が離せなかった。その鎧は剣を払って血糊を飛ばすと、ゆっくりと一歩を踏み出した。軽く兜を回して、周囲を確認しているようだった。やがて、その兜を、俺がいる方に、固定した。
俺の目と、兜の奥の目が、合った。
気がついたら逃げ出していた。屋根から飛び降り力を振り絞って、鎧とは反対の方向へと走っていた。
鎧の中には、人間がいた。
鎧の中から、冷ややかな眼差しが覗いていた。
俺はあれを知っている。村人が家畜をくびる時の目だ。くびった家畜を解体するときの目だ。その行為になんの感情も抱いていない、無機質な瞳だった。
俺はとにかく走った。櫓の見張りが鐘を鳴らし、声を張り上げていた。村中に届くような大音声で、逃げろ逃げろと呼び掛けた。何事かと村の家々の戸が開き、周囲の様子を伺い始めた中を駆け抜けていく。ふと、見張りの声が止み、遅れて鐘の音が止まった。ちらりと櫓を見上げると、喉元から矢羽根を生やした村人が宙を舞っていた。気のせいか、目が合った。鎧の人間とは違って、感情があった。気のせいじゃなければ、助けてと言っていた。
視線を前へ戻して走った。ようやく事態を飲み込んだのか、村人達が右往左往し始めた。逃げろという言葉に従って村の外へと走る者。連れだって村長の家へと向かう者。そのまま家へと閉じ籠る者。そんなんじゃダメだと教えたかった。それだけじゃ鎧の人間からは逃れられないぞと叫びたかった。でも俺の喉は、ただ浅い呼吸を繰り返すだけだった。声なんて出なかった。出せなかった。一心不乱に息をして、がむしゃらに足を動かすだけだった。
走って、走って、走って。
たどり着いた村の外には、真っ赤な畑が広がっていた。
一年の稔りが、村人の苦労が、熱風と黒煙を放っていた。
逃げ出してから初めて後ろを振り向く。遠くの方からも煙が上がっていた。
灼熱の中に閉じ込められていた。
無我夢中で村の中を走り回った。
家の影に隠れた。厠の中に隠れた。家畜舎の藁の奥に隠れた。
火の手が近づいてきたら身を低くしてその場を離れ、鎧の人間が近づいてきたら身を潜めてやり過ごす。何故こんなことができたのかはわからない。頭はとにかく逃げることでいっぱいで、体が勝手に動いたとしか言いようがない。まるで誰かに操られているかのように、かといって頭に反するわけでもなく、俺の体は足掻いていた。村中を転げ回って、這いずり通してもがいていた。
そうして、俺は今、村の広場に立っている。
周りは既に終わっている。
家々は激しく黒煙を吹き上げ、空を覆わんばかりとなって。
崩れ落ちた櫓は最早跡形もなく、影も形も見えなくなって。
村長の家からは耐えきれなくなった村人が飛び出し、鎧の人間に切り捨てられて。
もう、終わっている。
村が終わっている。
俺の周囲に、鎧の人間が集まってきた。他の村人がどうなっているかなんて考えるまでもなく、残っていないんだろう。鎧が煤け、黒ずんだ赤にまみれている。手に持つ剣や槍には、落としきれなかったのか汚れがこびりついている。しかしその見た目に反して、動きに鈍った様子は見えない。油断なく、俺の周囲を囲まれた。
逃げられない。
一歩。鎧の人間が一人、踏み出した。他よりも少しだけ豪華な鎧。羽飾りの付いた兜、深紅の外套、きらびやかな鞘。ディッキントスを切り捨てた鎧だ。目が合った人間だ。
再び、鎧の奥の瞳と視線が交錯する。何も変わっていない。ただ淡々と作業を進める意思だけが、変わらずそこにある。周りの鎧に目を向ける。何も変わらない。ただ冷徹に蹂躙を進める意思だけが、そこにある。
逃げられない。
豪華な鎧の人間が目の前まで来る。俺の手の届かない距離。剣なら一薙ぎできる距離。走り寄っても、途中で剣が振りきられる。いや、一突きされれば避けることもできずに終わる。
嫌だ。
ゆっくりと剣が振り上げられる。俺は瞬きすらすることなく睨み付ける。鎧の人間の全てを見逃すまいと睨め付ける。
嫌だ。
剣が頂点まで持ち上がり、止まる。
剣先を見つめる。鎧を見つめる。背後に広がる村を見つめる。
ここで終わりだ。
これで終わりだ。
俺は終わるんだ。
剣が降りてくる。ひどく緩慢に見える。少しずつ迫ってくる。終わりを連れてくる。
終わる。
終わる。
終わる。
ああ、こんな終わりなんて――
「嫌だ!」
――目の前に闇が広がっていた。
瞬きはしていなかった。迫り来る剣を見ていた。それなのに、闇が目の前にある。剣も鎧も村も、何も見えなくなった。
まるで、闇に包まれてしまったようだ。
「きたねぇガキだ。死にかけのガキだ」
声がした。力強いような柔らかいような。張りがあるようなしゃがれているような。とらえ所がないような芯があるような。何もわからないけれど蔑みの感情のにじむ声が、頭の上から降ってきた。
ようやく理解が追い付いてくる。目の前に広がるのは闇ではなく、闇のような外套だ。闇をそのまま縫い付けたかのような外套が、視界いっぱいに広がっていたのだ。鼻が付きそうな程の距離にあったために、闇に包まれているように感じたのだった。
剣を追うために上向きだった視線をさらに上げていく。ほぼ真上へと向けて、ようやくそれが見えた。
顔だ。白い肌。高い鼻。紅蓮に燃える目。吊り上がった口元。外套と同じ闇色の髪のせいで、まるで闇のなかに真っ白い顔が浮かんでいるかのようだ。
不思議と、先程の声はここから紡がれたことが理解できた。
「生きたいか。死にたいか。二つに一つを今選べ」
外套から手が突き出されてきた。顔と同じように白く、見上げる視界を覆いつくすように大きく、眼前に広がっている。
死にたくない。
鎧の人間の怒号が聞こえる。いきなり闇が表れて、作業の手を止められて。怒っているのか、焦っているのか。何かをしているようだが、闇に阻まれ届かない。
死にたくない。
広げられた手の向こうの、燃える瞳と視線を合わせる。そこに感情は伺えない。家畜を潰すわけでもなく、作業を進めるわけでもなく。ただ俺を眺めている。俺の選択を待っている。
死にたくない。
体が勝手に動く。まるで誰かに操られているかのように、かといって頭に反するわけでもなく、体が反応する。生きるための最適を選ぶ。
「生きたい」
その手を掴んだ。
「いいだろう。いいだろう。お前は今から英雄だ」
一際大きく闇が翻った。
周囲の喧騒が変わる。何かが倒れる音、何かが潰れる音、何かが滴る音。動揺と困惑、懇願と恐怖の混ざりあった声。それは先程まで村中に響いていた狂騒と同じものだ。
闇の向こうで何かが起こっていた。見ることはできず、けれど見たいとも思わなかった。俺の目は、闇に浮かぶ笑顔から離れられない。
俺は生きられるのか。
俺は何の手を取ったのか。
俺はこれからどうなるのか。
俺は、俺は、俺は、
「お前は今日からルゼルだ」
俺は魔法使いに拾われた。




