非日常
「…あれ?」
気づくと森の中にいた。
さっきまでは、疲れた体を無理やり引きずって電車に乗っていたはずだ。状況がうまくつかめない。
…待て待て待て。いくら疲れているからって、こんなこと今までなかったぞ?ただここ一週間の睡眠合計時間が15時間を切っていたのは確かだが、ここまでの睡眠不足は久しぶりの事とはいえ何度でもあるし、それにしたってこんなことは今までなかった。夢だってあまり見るほうじゃない。見ないわけじゃないが、こんな意識のある状態で夢なんて見たことはないぞ?現実的すぎる。
…周りをよく見てみる。
どこを見ても木、木、木、木、木。組み合わせて森林。な〜んつって〜、あはははは!
ふむ。こんな時に現状から逃避してる場合じゃないな。ここは明かりはなくはないが、かなり 鬱蒼とした森の中であり、人影もなく、あるのは風が吹いて木の葉がカサカサとなる音や、得体の知れない動物の声。鳥?猿?ギャッギャッギャとかいってるわ。どうしよう?
持ち物を確認してみる。ポケットを漁ると、ハンカチ、チリ紙、ガム、財布、ケータイ…と、ここまで来て今更気づいたのだが、スーツじゃん。え?この格好のままどこかに拉致されたの?でも電車からどうやって??っていうか、立ちながら意識失ってたのか俺。それはそれですごいな。
いやいやいや!だからそれどころじゃないんだって!見たところ仕事の鞄は無くなっているが、それ以外はさっきと同じ。財布もあるから、営利目的で誘拐されて捨てられたわけでもない。
ふと腕時計を見てみる。針は12:20を指している。周りを見渡すと昼なのか、明かりはあるようだ。
あれ?明るいってことは会社に行かずにここにいるってこと?やばいじゃん!昨日、後少しだからと残してきた仕事がそのままで、このまま見つかるとまた小言を言われる!出来るだけ言われる数を減らして少しでもストレスを減らそうとしてるのに…。焦りで変な汗が出るが、どうする事もできない。
もう昼なのか。たっぷり寝たおかげか体は全快していて、体は動く。早く会社に帰らんとな。あいつにない言われるかわからん。
…ん?なんか既視感があるぞ?そういえば後輩が森で起きてどうの言っていたような…。
今はどうでも良いか。とにかく帰らんと!
それからかなり歩いたのだが、まだまだ森は続く。自然のもの以外、文明的なものは自分が身につけている分だけ。現代社会で生きてきた身としては、空気が澄んでいるからおいしいな〜とか、健康的な運動をして素敵〜とか、そんな感情よりただただ不安になる。携帯の電波届かないし。
でも懐かしいな。こんなに土の上を歩くのは小学校の頃以来かな?
当時の担任の先生がちょっと変わった人だった。算数の授業で黒板に板書をしている時突然無口になったかと思えば、もう我慢できん!森へ行こう!とかわけわからん人だった。学校の裏手にある森に入り、小一時間散策して回る。こんな事が週一回。そのおかげで、きのこや植物に興味を持ち、ポケットサイズの図鑑を買ってもらっていろいろ覚えたっけな。いまもほんだなのおくのほうにあるな、多分。帰ったら探してみるか。
…いかんいかん、すぐ話がそれるな。もっと集中して考えないと。
今のまま歩いていて、方向は大丈夫なのだろうか?確か、樹海でも3時間くらい同じ方向に歩けば道路にたどり着くって聞いたことがあるな。意外と迷子にならないんだとか。まぁ、あそこの場合は磁気が影響して方向感覚が狂うとかも聞いたことがあるし、眉唾だしな。こんな聞きかじりの豆知識が生きるとは思えないけど、今は藁にでもすがりたい。どうする事も出来ないし実行するしかなかった。
時計を見てみても、壊れてしまったのか進みが遅い。体感で2時間弱は歩いたんじゃないかと思うが、時計は12:30を少し過ぎたくらいを指していた。当てにできない。
ずっと歩きながら考え事をしていると、だんだん心配よりも余計な事ばかり思い浮かんでくる。昔の事や、仕事で失敗した事、実家の家族の事、だいぶ前に別れた彼女の事…いかんいかん、考えが悪い方にばかり進むな。丁度いい大きめの木が見えたので、そこの根元まで行って少し休むか。スーツも泥で汚れてしまったし、憂鬱な気分で歩くのも嫌だ。
木の根元に座りやすい場所も見つけた事だし、真剣に考えるか。
ここまでずっと歩いてきたが、実は体力的にはあまり疲れていない。夢だから当然っちゃ当然なのかもしれないけど、その割には意識がはっきりし過ぎている。それから眠くもないし、腹も減ってはいない。
後輩の話を思い出す。
なぜか森にいて、歩いたとか。ずっと歩いていたら開けた場所が見えてきたとか言ってたな。後なんだっけ?よく覚えていないが、状況が似ている気がする。
あいつもこんな感じだったんだろうか?もっと詳しく聞いていれば、細かく推察する事もできたかもしれないな。あの時、仕事の事を考えて早く起きなきゃとか言ってるのを見て勤勉なやつだなとか思ったけど、いざ自分に降りかかると同じような事を考えてしまうんだろうな。仕事が心配。ふむ、俺も勤勉なやつだったのか。
まぁそれはともかく、その話と状況が似ているとなると、後輩が見た世界と同じ場所なのではという、現実的ではない可能性を思い浮かべてしまう。いやいやいや、ないでしょ。ありえないでしょ。小説じゃないんだし、そんなファンタジーな事は自分には起きないよ。だって俺平凡だもん。
そう、俺、佐藤康雄は平々凡々だ。名前は普通だし、高校から一浪して中堅の大学へ。卒業後は普通に就職。なんの代わり映えのない生活をしてもう7年も経つ。はぁ、今年で30の「おにいさん」だよ?あくまでオッサンじゃないよ?でも30でファンタジーなんて信じる歳でもないでしょ?じゃあもっと現実的に考えれば神隠しか?これでも十分ファンタジーだけど。
また考えが逸れたな。今は原因よりもどうするかだよな。とにかく道は見えない。未来も見えない。明日はどっちだ?…とかじゃなくて、後輩の話ともし同じだったとするなら、集落があるとか言ってなかったか?そもそも同じ方向に歩いている訳ではないだろうが、そんな可能性しか今は信じる事ができない。
もう考えなきゃならん事も浮かばないし、とにかく現実世界に戻って、それから考えよう。