信長続生記 巻の七 「足場固め」 その11
なんとか年内に書き終えましたので投稿予約をしておきます。
ここまでご覧頂きました皆様方、ブックマークや評価を入れて下さった皆様方、感想を送って下さいました皆様方へ、心より篤く御礼申し上げます。
2016年が皆様にとって良い1年であることを祈りつつ、年内最後の更新を行わせて頂きます。
信長続生記 巻の七「足場固め」 その11
信長の再臨直前まで、秀吉は常々感じていた事がある。
『天下の差配』というものの難しさである。
日ノ本全土に目を向け、あらゆる武家勢力、宗教勢力、商人たち、小規模な土豪、各地を根城にする海賊衆など、それら一つ一つを把握していく事がまず第一歩目だ。
この時点ですでに情報量としては膨大な上に、そこにさらに外交や直轄地の政、そして戦が起こればそちらに意識を集中しなければならない。
石田三成をはじめとする優秀な官吏の人間がいなければ、とっくに破綻しているであろう仕事量に、秀吉は『天下人』の苦悩の一端を味わった。
これが天下を動かしていくという事だと、まさに身を以って思い知らされたのだ。
だがこれを乗り越えた先に、自らが築く時代、自らがこの世に名を刻む時があると信じて進み続けた。
やらなければならぬ事は膨大だが、これまでの仕事に比べてこれほどやり甲斐を感じたことも無い。
明智・柴田という織田家内の勢力を下し、旧織田家家臣団を掌握、さらに徳川を政治的圧力で封じ込め、徳川と毛利・上杉らを同盟の名で従わせることで、天下統一に大きく前進するはずだった。
だがそこで、織田信長が再び世に姿を現したのだ。
自らの力の象徴として築いた大坂城の一室で、秀吉は上座を信長に譲り平伏した。
最古参の家臣であった蜂須賀小六正勝から焚き付けられても、やはり信長に弓を引くことだけは出来なかった。
そうして秀吉は、若き頃からの己の原動力とも言うべき野心を捨て去った。
下賤な生まれ、醜い容姿、貧相な体格、どれを取っても人に誇れる物など無い、若さと勢いで働き詰めた肉体も、既に齢四十の半ばも越えて、若い頃の様な無理は効かない。
全てを召し上げられて、秀吉はこれからの自分を悲観して、腹を斬ろうかという考えすらよぎった。
だがその翌日に妻である寧々と共に信長の前で平伏した時、信長は自分に再び機会をくれるといった。
しかも若い頃の様な槍働きではなく、近衛前久と協力して、朝廷に対する楔となって働けという命令だった。
さらにはそのための権限も用意すると言われ、その数日後には近衛前久からは「猶子」という扱いで近衛家の一員に迎えられる話を聞かされ、秀吉は飛び上がらんばかりに驚いた。
公家の頂点に立つ五摂家の猶子になるという事は、自分が官位に就きたいが為に金銀や物品でもってご機嫌伺いをしていた公家衆を、一足飛びに追い抜かせる地位に就ける機会を得る、という事だ。
確かに以前、近衛前久とは誼を通じて朝廷内での地位を確立しようと画策した秀吉だったが、まさか猶子にまでなれるとは思っていなかった。
ましてや自分の生まれを考えれば「近衛家は金で家名を叩き売った」とまで嘲られても仕方のない事とも思っていたのだ。
近衛家という家柄からすれば自分との繋がりは家名に泥を塗る行為だ、という見方もあるだろうに、それを飛び越えて猶子にまでするというのだから、近衛前久がどれほどの覚悟でもって信長たちに協力しようとしているのかを、端的に表しているといえよう。
日ノ本全土の安寧のために、自らと先人が築き上げてきた「近衛家」に、あえて自ら泥を塗るという行為すらも厭わない前久の覚悟に、秀吉は圧倒された。
前関白・近衛前久、そしてその前久の猶子として新たに近衛家に連なる事になる羽柴秀吉。
信長はこの二人を以て、朝廷への楔として用いることを決めた。
だが秀吉が聞かされていたのはここまでだった。
まさか自分に関白の座が転がり込んでくるかもしれない、などと夢にも思わなかった。
無論かつては朝廷の位階も上れる限り上り詰め、その生まれだけで自分を馬鹿にしてきた者たちを、見返してやろうという気概もあった。
信長が最後に就いた「右大臣」という地位と同格か、その一つ上に扱われる「左大臣」まで行けば、それだけでも極上と言える結果だっただろう。
だが信長はさも当然の如く、前久の、近衛家の猶子になったなら資格はある、とばかりにあろうことか帝に直接自分への関白宣下を行って欲しいと願い出たのである。
つくづく、織田信長という御方は凄まじい、と思い知る秀吉であった。
五摂家に連なる者だけが就ける地位であり、帝に変わって朝廷の政を差配する「関白」。
前関白・近衛前久だけでなく、当代の関白が秀吉となったのなら。
その二人が揃って信長への協力・従属を示したのなら、信長は朝廷すらも意のままに操れる事と同義である。
さらにもう一つ、この方法は秀吉にとっては無視出来ぬ、心の底から求めた利点も存在する。
己の生まれだけで蔑んだ視線を向けてきた公家衆を、関白という公家の頂点に立つ地位から見返せるという、秀吉にとっては堪えがたい誘惑を含んだ利点が存在する。
信長が言い放った、帝から秀吉への関白宣下の申し出に、秀吉の頭は一瞬の凍結の後、目まぐるしい速度で回転を始めた。
そして至った結論に、思わず眼を見開いたまま身体を震わせ、口を震わせて涙ぐむ。
その人間が何を目標に、何を得たくて、どうしたいかを読み取り、その上でそれを餌にして働きに励むように仕向ける、それはかつて秀吉も行った「人たらし」の手法の一つだ。
それを今、信長が自分に対してやってきたことに「敵わんのぉ、上様にゃ」と、嬉しさと感嘆が混じった呟きを漏らしたのだった。
信長の発言に、その場の空気は完全に凍り付いていた。
五摂家のみが就ける、天皇に成り代わって政を行う関白か、五摂家以外の者でも就く事が出来る役職の最高位、公家衆の最高取り纏め役である太政大臣か、あるいは武家の頂点として、今まで鎌倉と畿内に二つの幕府を生み出した征夷大将軍か。
その三つのどれでも好きな役職に、という朝廷の打診は確かにあった。
本能寺の一件が起こる前に、朝廷は確かに信長に対してその打診を行い、信長はそれに対する明確な返答はしていない。
だがその返答がこの場で、しかも誰もが予想のしない答えで帰って来るなど、一体誰が予期出来ただろうか。
誰もが驚きに口を開けたまま呆然とする中、信長は平然と言葉を続けた。
「先に申しました通り、羽柴筑前めを近衛前久殿の猶子とし、その後に関白宣下を行って頂きたい。 そして今も己が家臣団を率いて、四国征伐に向かっている徳川参議家康殿には、征夷大将軍の位を与え、この日ノ本の武家全てを従える権限を賜りたく存じます」
信長の言葉に、側にいる前久は「そういう事か」と言わんばかりな顔で軽く首肯する。
下座にいる秀政は声を上げそうになる衝動を堪え、眼を軽く見開く事だけで驚きを露わにする。
秀吉は関白にまで上れるかもしれないという事実にむせび泣き、涙を流しながら信長を見る。
光秀は穏やかに口角を上げて、信長の背中を見続けた。
そんな中、現在の関白である一条内基が、公家衆の中でいち早く立ち直り前久の反対側から信長に「よろしいかな?」と声をかけてから、冷静さを失わぬよう己を律しつつ声を挙げた。
「織田前右府殿の先程のご高説は理解致しました。 されど関白・太政大臣・征夷大将軍全てを寄越せ、というのは些か乱暴に過ぎませぬか? ましてや関白の職はこの一条内基が全う致しております上に、未だ従五位下に就いたばかりの羽柴殿をいきなり関白にせよとは、いくら織田殿とて朝廷を蔑ろにする行いに他なりません。 織田殿は朝廷を意のままに操らんとしている、という風聞が立ちましょうぞ?」
言い終えて、一条内基の頬に一筋の汗が流れる。
内心では気圧されながらも、現在の関白としての意地か、あるいは五摂家の一角を担う者としての誇りが、彼を奮い立たせていた。
信長は朝廷という後ろ盾を欲している、ならばその朝廷という後ろ盾は、朝廷を脅して意のままに操って得た、後ろ暗いものであるのだという風聞は彼にとって望むものではないはずだ。
そこまでを瞬時に計算し、一条内基は信長に反撃の矢を放った。
信長が一条内基の眼を見返し、その視線に込められた圧力に押されながらも、一条内基も決して視線を逸らさずに信長に抵抗する。
周囲の公家衆はハラハラしながらも、内心で一条内基に喝采を送る。
これで信長が折れれば、一条内基の名は朝廷内でも飛躍的に高まるだろう。
俊英の誉れ高い前関白である近衛前久は、既に朝廷内で最も信長と懇意の間柄となっている。
ならば信長を止め切れるのは自分を置いて他に無い、というある種の使命感が一条内基を突き動かしていた。
だが信長は一条内基のその気概をどこか楽しげに、フンと鼻を鳴らして言葉を返した。
「ご安心召されよ、関白殿。 なにも羽柴筑前を一足飛びに関白にせずとも良い、数ヶ月おきに位を上げ、年内に従三位くらいまで上がっておれば、来年には関白の地位に就いてもおかしくはなかろう? 今すぐ関白殿に辞任を迫るという話では無い故、御身の進退についての心配はご無用である」
その言葉に、一条内基の顔がはっきりと歪んだ。
「朝廷を意のままにせんとするような奴は許さぬぞ」という一条内基の必死の反撃は、信長の「お前を今すぐ関白から罷免させようという訳ではないから、保身に走る必要はないぞ」という言葉によって、その意図を歪められたものとして周囲に広がった。
「朝廷を思っての反撃」ではなく「己の関白という地位に固執する故の文句」だと決めつけられ、しかもそれを瞬時に理解出来たがために、一条内基は怒りと屈辱に唇を噛み締めた。
信長は自分の言葉に公家衆が反発してくるだろう、という事は理解していた。
だからこそ、そう言われた際の反撃の言葉はすでに用意してあったのだ。
光秀や前久の監修でまとめられた公家衆への返答の例文は、既に信長の頭の中に入っている。
位の高い者には先程のような「保身」を軸にした返答を、位の低い者には「わざわざ噛み付いてこなくても後で餌をやるから黙っていろ」という旨の返答を。
無論中には激昂する者もいるだろうが、それこそ熱くなった方が負け、という理論で論破して二度と刃向えなくするまでだ。
当然信長はいざとなれば武力行使する事も厭わない、既に本能寺で一度殺されかけた信長が、その裏で糸を引いた公家衆を生かしておく理由はない。
今それをしないのは粛清による混乱で朝廷がまともに機能しなくなることを嫌ったためであり、今後信長の障害と成り得る者はいっそこの機に炙り出してしまえ、くらいの気概で臨んでいるため、公家衆からどのように思われようと、信長にはどうでもいい事であった。
「さて、関白殿もご納得頂けたところで話を戻しましょう。 関白・征夷大将軍の位を先程の二名に、そして残る太政大臣にはこの織田前右府が相努めまする。 右大臣の職を歴任せし某が太政大臣に就任する事が、まさか朝廷を蔑ろにする行いだとは、申しませぬでしょうな?」
信長の言葉の最後は、周囲にいる公家衆へと向けられた。
一条内基が絶句した所を、すかさず斬り込んだ信長の言葉に、今度こそ誰も反論を唱えることが出来なかった。
たとえ散々就任する事を固辞し、その上やっと就いたかと思えばすぐに辞任したとはいえ、信長が一度「右大臣」という地位に就いた事には変わりがない。
ましてや「右大臣」という地位にまで上った者が、「太政大臣」になってはならぬなどという規定も無い上、それらの職を歴任した者など過去に何人もいた。
「前例が無いものを極端に嫌う」一方で「前例があるのならば認めざるを得ない」のが朝廷の公家衆の因習とも言える。
信長はその凝り固まった既成概念、因習というものを嫌う性質ではあったが、むしろそれを逆に利用されたならば、公家衆にとってこの上ない屈辱にも繋がるであろうという考えから、嬉々としてこの方法を選んで実行に移した。
御簾越しの帝も、信長の圧力と言葉に気圧されて何も言えずに頷いた。
その態度は御簾越しにも不承不承、と言った所だと分かったが、それでも頷かざるを得なかった。
一条内基も含めた周囲の公家衆も、不満や憤りこそ隠さなかったが、明確に反論できる者もおらず、俯いたまま信長の要求に屈する形となった。
何より帝が先に頷いてしまった以上、公家衆に反撃の手立てはなかった。
こうして信長は己が太政大臣、家康が征夷大将軍の職に年内に就けるよう、朝廷内で調整をさせることを約束させた。
また秀吉には近い内に正五位、従四位、正四位と徐々に位を上げさせ、それに見合った役職も合わせて就かせる事を約束させた。
京の朝廷を秀吉が、全国の武家を家康がそれぞれ統括し、それらをまとめ上げるのが信長という、日ノ本の新たな支配体制を決めた瞬間でもある。
朝廷に参内した最大の目的を果たした信長は、そこでようやく満足気な笑みを浮かべた。
そして散々鞭を振るった後ではあったが、さすがにこれでは後々まで公家衆の有形無形の反発は必至と考えた信長は、ここで飴を用意した。
「某の願いの悉くを聞き入れて下さり、帝におかれましては感謝に絶えませぬ。 つきましては当家より、帝に五万石の所領を『天領』として御寄進申し上げ奉りまする。 日ノ本の統治が盤石なれば、さらなる御加増もお約束致しましょう。 南蛮の脅威の排斥、日ノ本の統治と安寧に、これからもご助力を賜りますよう、重ねてお願い申し上げ奉りまする」
そう言って信長は深々と頭を下げ、帝もこればかりは不承不承ではなく「う、うむ」と返事を返した。
信長の良い様に進められてしまった事には憤りも感じたが、南蛮の脅威の排斥と日ノ本の安寧は帝にとっても望む所であり、さらに五万石の所領を直轄地として手に入れられるのだ。
日ノ本全土の様々な勢力から、それなりに朝廷への寄進などは贈られては来るものの、金銀や物品がそういつまでも永続的に贈られてくる保証はない。
だが五万石とはいえ直轄地として恒常的な収入を得られるのなら、朝廷にとってもこの上ない僥倖と言える。
最後に信長に「これからもよしなに」という旨を言い渡されたが、それでも恒常的な収入を無かった事にするにはあまりに惜しかった帝は、それら全てを飲み込んで頷いた。
これにより信長が実質的な日ノ本の支配者になる、という事は認めざるを得ない。
元々天皇という存在は、その地位こそ皆が崇め奉るものではあったが、その実態は権力闘争に利用され続け、最も偉い立場でありながら最も自分の意思を反映させ辛い立場でもあった。
表面上は誰もが頭を垂れておきながら、その実自分が持つ地位を利用しようとする輩しかいない朝廷内において、日々の鬱憤を女性や酒で発散させる、というのは何も珍しい話ではない。
本能寺の一件前の時点で、すでに『天下人』に王手をかけているも同然だった信長が、かつての地位に舞い戻っただけであり、しかも今度は朝廷からのいらぬ横槍を防ぐために、帝に直接五万石という収入を与えるという破格の申し出までして来たのだ。
帝個人からすれば、それだけでも感謝出来る申し出であり、信長からすれば「自分を排斥しようとすれば、帝の後援者を排斥しよう、という事になるぞ」と周知させればそれで充分である。
これは帝に対する敬いから来る寄進ではなく、信長がこれ以上朝廷から横槍を入れられぬための保険の意味を含んだ寄進であると、一体何人が気付いただろうか。
帝にも利益をもたらしながら、信長の身を護る盾にもなり、反信長派の足枷にもなるこの五万石は、目に見える「飴」となって朝廷に打ち込まれた楔である。
これを信長に進言して、しっかりと帝にも利益をもたらしたのは言うまでも無く近衛前久である。
公家という地位にいるからこそ、公家衆が何を求めて何を嫌がるか。
それらを熟知している前久は、信長の口から他の公家衆には何ら褒賞は約束させず、ただ帝のみに収入を提示し、自分たちも当然のようにおこぼれに預かれると驕る公家衆の首根っこを掴まさせたのだ。
「なお、その五万石の使い道に御座いますが…」
信長が付け加えた一言に、御簾越しの帝の影が僅かに揺れる。
一旦は「寄進する」と言っておきながら、その使い道を限定するのかという感情がそこにある。
それでは寄進の意味が無い、と帝が不快感を露わにしようとしたその時、信長はまたも深々と頭を下げて言葉を続けた。
「御存分にお使い下さりませ。 帝がその働きを認めし者に下賜するも良し、親しき者らと共に楽しむために使うも良し。 それにより帝の御威光が高まるのなら、それは願っても無き事に御座いますれば」
その一言に、御簾越しの帝は毒気を抜かれたように黙りこくった。
これもまた、近衛前久の演出である。
帝の威光が高まれば、その一言で物事を決定付ける鶴の一声が出せる。
あくまで五万石の収入は帝個人のもの、ならば他の公家衆はその収入をあてには出来ない。
つまりそのおこぼれに預かりたいのなら、公家衆は自然と帝の意に従わなければならないのだ。
それは即ち帝の威光を高める、という事に繋がる。
なまじ信長と繋がりが深いがために、昨今では近衛前久との繋がりを求める公家がひっきりなしに当人に、屋敷に、家人に様々な手で接触を図って来たのだ。
このままでは、下手をすると近衛前久が帝よりも求心力のある存在となって、帝から煙たがられる存在になりかねない。
それを防ぐためにも、ここで帝が改めて朝廷の頂点に立つ存在であると、公家衆に思い知らせなければならなかった。
そういう意味では、公家にとっての恒常的な収入、かつての『荘園』を思い起こさせるその五万石は、その石高以上の価値を持って迎えられるだろう。
百年以上も昔に起こった「応仁の乱」以後、朝廷と公家衆の収入の大元であった日ノ本各地の荘園は、その地域に根ざした守護大名、あるいはそれらを蹴落とした戦国大名達によって次々に乗っ取られた。
京に居ながらにして荘園からの収入が送られて来るのが当然であった公家衆は、それによって収入が断たれたため、現在で言うところの財政破綻の危機に陥ったのだ。
そのため現在の朝廷に居並ぶ公家衆たちの多くは、父祖の代より受け継ぐはずだった荘園からの収入を得る事も無いまま育ち、ただかつてはそうであった、という事しか知らぬ者ばかりである。
それが今、信長の発言により帝のみとはいえ、かつての荘園を思い起こさせるであろうその五万石は、果たして公家衆の眼にはどのように映るだろうか。
ちなみに前久には、今回の事が上手くいけば秘密裏に三万石の所領が約束されている。
他にも後日、前久から帝へ「日ノ本の統治が上手くいけば、この後天領は十万石を超えるものとなりましょう」という一言を吹き込ませる事も忘れない。
さらに近衛家以外の四摂家にも、協力的な家には二万石の所領を約束する旨をそれとなく知らせる算段がついている。
そして今この場では屈辱に歯噛みしている一条内基にも、この後で協力的な動きを見せてくれれば、という根回しを行う予定である。
五摂家の一角とはいえ、その財政事情は決して余裕のあるものではない、という事は近衛家の当主である前久自身が身を以て知っている。
『銭の使い方』を熟知している信長と、『公家の財布事情』を身を以て知っている前久が手を組んでいる現状、これに対抗できる者はいなかった。
「堀左衛門督」
「はっ!」
信長が何の前触れもなく、秀政を呼んだ。
この場に来てから、信長が秀政に意識を割いた事など一度も無かったというのに、秀政は寸分の遅れ無く応えた。
信長の小姓として頭角を現し、あらゆる事を万全に行なう事を良しとする「名人」と言われる男は、今この場においても一切の気の緩みを持たせずに控えていた。
「村井長門守亡き今、京を任せるに足るは貴様じゃ。 今この場にて、京都所司代の任を申し渡す」
「かしこまりました、身命を賭して御役目を全う致しまする」
信長がかねてからの打ち合わせ通り、帝と公家衆の前で堀秀政に京都所司代の職に就けることを宣言した。
村井長門守、歴史には村井貞勝の名で残っており、信長が京を支配下に置いて以後、京都所司代としてその腕を振るい、こと内政においては織田家に並ぶ者無き才覚の持ち主であった。
無論その行政手腕は信長も高く評価しており、本能寺の一件で信忠が籠もった二条御所にて信忠に殉じ、討死にするまで村井貞勝は京都所司代の任を解かれた事はない。
極論を言ってしまえば、たとえ二条御所が陥落したとしても、信忠と村井貞勝さえ生きていたならば、とすら思えてしまうほどの重要な人材とも言えた。
本能寺の一件の後に就いた前田玄以などは、本能寺の際には信忠に殉じることなく逃げ出していたため、本人の「三法師君を護れという信忠様の命令に従った」という弁明があったので、命までは取らずとも役職を罷免、さらに蟄居中であった。
結果として現在は代理に松井有閑などを就けてはいたが、やはり以前の村井貞勝ほどの働きは期待できなかった。
なので織田家臣団の中でも行政に明るく、また信長の信頼篤い堀秀政を京都所司代に置く事に決めた。
所領も近江国の佐和山から大津・坂本に転封となり、南近江の西側の大半を収める事になった。
より京に近い領地への配置換えとなり、京近郊で事ある時には、即座に軍を編成出来るようにしたのである。
もっともこれは、信長の本拠地が安土から大坂へ移ったため、軍事力においても京を見張れる存在が必要となったという理由もあった。
「堀左衛門督は先の長門守と違い、公卿に列せられておる。 この場での同席も許される身分故、以前の長門守よりは話も通し易かろう。 この前右府の名代として京に居を構え、如何なる仕儀にも全力を以て当たらせる故、どうかご安心召されよ」
信長は周囲の公家衆を見渡してそう言い放った。
信長の信任篤い家臣が名代として京に居座る、という事実と「全力を以て事に当たる」という言葉の中に込められた感情に、背筋を凍らせる公家もいた。
つまり以前の本能寺の様な真似は二度と起こさせはしない、という事を暗に言っているのだ、と誰もが気付いていた。
独自の兵力をほとんど持たなかった貞勝と違い、秀政は自身が武にも長け、さらに領国が近くにあるため、いざとなれば千や二千の兵は即座に集められる。
前久と秀吉と秀政、この三人で朝廷の公家衆と京周辺の治安と行政を、一手に管理する体制を整えたのである。
「最後に、帝には我が生涯の目標を御耳に入れて頂きたく」
信長は改めて帝に向き直り、帝も「生涯の目標とな?」と聞き返す。
「某は岐阜にて天下に武を布く、『天下布武』の旗を掲げて参りました。 日ノ本全てを武によって統治する目標を掲げ、それに邁進しておりましたが些か事情が変わって参りました。 今この日ノ本を統治した所で、より強い兵器を持ち、こちらを上回るほどの兵力で南蛮国が侵略して来たならば、成す術なく蹂躙されるがままとなりましょう。 それを防ぐべく、某は新たな旗を掲げます」
信長はそう言い終わると同時に、懐から一つの封書を取り出す。
それを恭しく掲げ、側にいた者が受け取って御簾越しの帝へと手渡す。
封書を開いた帝が「これは…」と声を漏らす。
「天下に武を布き、統治した後の世のため、この日ノ本全てを護る『武』を、帝にお認め頂きたい」
「……『天下護武』か…」
帝の呟きは、御簾越しでもその場にいた者たち全ての耳に届いていた。
思えば最初は仕事でストレスを溜めまくってしまった結果、もうひたすら好きな事をしたくてしょうがなくなって、ストレス解消に近い形で書き始めたという、恐らくこの「小説家になろう」様に投稿されている数多の小説の中でも、かなり後ろ向きな理由で始めた拙作ですが…
気が付けば多くの皆様方からのご支持を頂き、年内では書き切れないほどの分量になっているという、嬉しすぎる誤算が続いた作品でございました。
なんとか最後にこの話のテーマの一つ『天下護武』を出す事が出来ました、滑り込みセーフなタイミングでしたが、正直皆様の反応が怖いです。
語呂が悪い、と言われてしまうとそれまでですが、大切なのはその言葉の意味です、と目線を少しだけ逸らしながら言わせて下さい。
年内にこの『天下護武』まで入れられるかどうかが瀬戸際だったので、実はこの次の話が全く書けておりません。
ですので年末年始は少しだけお休みさせて頂きますが、なるべく早く新年最初の投稿も行うように致します、今しばらくお待ち下さいませ。
それでは皆様良いお年を、今年一年ありがとうございました。




