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信長続生記  作者: TY1981
95/122

信長続生記 巻の七 「足場固め」 その9

なんとか更新出来ました。

気が付けば一万文字を越えている長丁場ですので、何卒空いたお時間を使ってご覧下さいますよう…

            信長続生記 巻の七 「足場固め」 その9




 信長と蘭丸、光秀と秀吉、そして秀政と前久の六人が、一つの部屋に集まっていた。

 京の、いや日ノ本の中心である帝の御所の一室である。

 もう半刻もしない内に、帝を中心とする多くの公家衆たちの前に信長はその姿を現し、健在であることを明らかにする。

 その上で、岐阜にて掲げた『天下布武』のその先を語る予定だ。

 今はその直前の最終打ち合わせという状態である。


 光秀と前久がそれぞれ言うべき事の草案をまとめ、さらにそれを聞いた公家衆がどのように思うか、公家視点からの意見で微調整を加え、最良と思えるものを作り上げたのがほんの数日前である。

 前久の公家視点での添削を盛り込み、光秀は万全と言えるものを作り上げたと自負していた。

 それを信長に提出してみると「貴様は相変わらず細かい」と苦笑気味に言われたが、それでも信長は黙って目を通していたため、光秀はホッと胸を撫で下ろした。

 前久も下準備に裏工作、水面下での根回しや光秀への協力で、この所は目の回るような忙しさであった。

 だがそれも全ては今日という日のためであり、三河に下向したその日からの苦労が報われるか否か、その結果がもうすぐ問われると思うと、内心ではいてもたってもいられなかった。


 一方の秀吉もかつての領地の正確かつ詳細な情報の開示を求められ、各地の部下たちや石田三成をはじめとする事務方総動員で、信長に報告するべき情報を大急ぎでまとめ上げた。

 さらに蘭丸と秀政は共に信長の小姓として名を馳せた者達であり、信長再臨の話を聞き付けて謁見を願い出る者らを次々に捌き、警備の指揮を取る一方で黒田官兵衛の消息を辿るなど、やはり多忙を極めた。

 最後に信長は言うまでも無い、次々に精査しなければならない情報と、謁見を願い出る者等の相手で、こちらも疲労困憊となるまで働き詰めである。

 つまり、この部屋の中で疲れ切っていない者などいない、という状態であった。

 蘭丸と秀政の眼の下にはうっすらと隈が出来ており、秀吉も光秀もわずかにやつれ、前久もあまり顔色が良くない。


 だがそれでも、京の町を行進する際には、決してそのような弱みなどを見せる訳にはいかない。

 信長の姿を再び拝まんとする民衆らが、こぞって集まってくる場で皆が皆、疲労困憊で脱力しているなど見苦しいにも程がある。

 なので京の町を馬上から見下ろす際には、何事も無いかのような顔で進んでいた五人ではあったが、その実疲労が溜まった身体に鞭打ち、平静を装っていただけに過ぎなかった。

 だというのに、一人信長だけが血色の良い顔をしている。

 その理由を、この場に詰めている者だけが知っている。


 この場の誰よりも疲労が溜まっているのが他ならぬ信長であり、その疲労困憊ぶりを朝廷の公家衆に悟らせぬため、顔に化粧を施しているのだ。

 ともすればその場に倒れ込んでしまいそうなほどの疲労を重ねている信長は、少しでも体力の回復に努めるために、今は部屋の奥で寝息を立てていた。

 確かに体力の回復には何より睡眠が一番だが、ここは御所内でありもうすぐ帝の御前に向かうというのに、それでも寝れる信長の神経の太さに他の五人は呆れと感嘆を混ぜ合わせた視線を向けた。

 だが逆を言えば、このわずかな時間でも休みを取らなければならない程、信長の疲労は無視できない所まで来ていたのである。

 若い頃から己の考えの元に動き続け、必要とあればどのような知識も技術も欲した男は、ほとんど休むという事をせず、またジッとしていることが出来ない男でもあった。


 常に考え常に動き、無駄を省き無能を嫌う、それが信長である。

 そんな人物であると分かっているからこそ、他の者達も信長を起こす事は出来なかった。

 ほんのわずかの間でも、休める内は休んでおいてもらった方が良い。

 その考えでもって、信長に最も近い位置に蘭丸と秀政が座っている。

 そして寝ている信長を見て、ポツリと秀政が口を開いた。


「このような場所でも熟睡しておられる…さすがは上様、としか申せませぬな」


「それだけお疲れである、という事です。 我らで分担してお支えしようとも、やはり上様無くしては進まぬ事も多々あります故…」


「信長はんがそないに寝てまうほど、膨大な仕事量という事ですやろ……こないな所で寝れる信長はんもすごい御人やけど、それだけの仕事をこなせる言う方がむしろ驚きですわ」


 秀政を皮切りに、蘭丸、前久が口々に信長の方を見ながら口を開く。

 そんな様子を見て、秀吉も「そういえば佐吉も、全ての作業が終わった時にゃあ目の焦点が合っておらなんだのぅ…隈も作って髪もボサボサじゃったし、今頃死んだように眠っておるのかのぅ」などと、完全に他人事のように呟いていた。

 そんな中で唯一沈黙を守っていた光秀が、一人そっと拳を握り締めていた事に気付いた秀吉が、あえて光秀に声をかけた。


「どうなされた? なにか考え事でも?」


 問いかけの形は取っているが、秀吉には光秀の心中に察しはついている。

 本能寺の一件の本当の首謀者であり、黒幕と言える存在がこの朝廷にいるのだ。

 おそらくこれから信長が向かう場所では、その信長を抹殺せんと図った者達もいるだろう。

 信長はあえてその者達の前に自らの健在さを見せ付け、公家衆の企みがいかに無駄なものであるかを思い知らせる、というのも今回の目的の一つだ。

 だがそれでも、実行犯として扱われ、主君に弓引く謀反人として生きる事を余儀なくされた光秀からしてみれば、その者達に対して恨みを持つな、というのも無理な話であった。


 だがそれでもあえて秀吉は聞いた。

 謀反を起こして尚、自分よりも信長から信を得ている光秀に対し、秀吉は猛烈な嫉妬の感情を持っている。

 秀吉と光秀は代々織田家に仕える譜代の家臣ではなく、新参でありながらも重臣に上り詰めた、いわば織田家の「実力至上主義」を示す代表格と言える存在である。

 織田家譜代の重臣であった柴田勝家や丹羽長秀らと肩を並べ、あるいはそれを超える地位と領地を与えられたこの二人は、なんとも奇妙な関係性を持っている。

 本能寺で信長を討ったとされた光秀と、その光秀を討ったとされる秀吉。


 だが信長も光秀も生き延び、今こうして三者が同じ部屋の中にいる。

 主君への敬いを押し殺して襲撃をかけ、信長の志を引き継いで日ノ本全てを護ろうとした光秀。

 主君の仇討ちを掲げて兵を集め、信長の支配力を引き継いで日ノ本全てに号令をかけようとした秀吉。

 そして光秀は信長の長男・信忠を、秀吉は三男・信孝を死に追いやっている。

 様々な事が似通っているからこそ、この二人は互いに相容れない感情を抱いている。


 信長を討たねばならなくなった男は、代わりに自己を押し殺して新たな『信長』たらんとした。

 その新たな『信長』を仇とした男は、己が信長に代わる新たな支配者として君臨しようとした。

 生まれも、育ちも、持って生まれた才能も、何もかもが違った二人は、信長という存在の下に集い、己が才覚を花開かせて世に名を馳せた。

 二人は共に実力至上主義の織田家にあって、瞬く間に頭角を現すだけの才覚と実力を兼ね備えた、極めて有能な存在だった。

 だからこそなのか、今この場では表面上穏やかに過ごしてはいるが、信長の許しさえ出れば迷い無く相手の首を搔き切る事だろう。


 光秀にとってもそういう存在から声をかけられたことが内心不快だったのか、表情にはその感情を出さずとも、握っている拳はより一層強く握られていた。

 言った秀吉も、言われた光秀も理解している。

 これは秀吉の他愛もない嫌がらせだ、別段意味も無い行動ではあるが、秀吉の内心の嫉妬が駆り立てた、いわば八つ当たりにも近い行動だった。

 光秀も内心の感情はともかくとして、表面上はその秀吉の嫌がらせを受け流した。

 内心の憤りとは違う考えのものではあったが、それでも皆の関心を引くためには間違いのない話題を出す事で、秀吉の思惑を逸らした。


「上様があえて京にてその御姿を晒す……だというのに黒田孝高は現れなかった」


 その名前を聞いて、他の四人の眉間にしわが寄る。

 特に深く刻まれたのが他でもない秀吉だ。

 秀吉の家臣であった黒田官兵衛の存在は、秀吉にとっては弁慶の泣き所にも等しい。

 秀吉の嫌がらせを躱しつつ、その名を出す事で反撃に転ずるという光秀のやり方に、秀吉が人知れず奥歯を噛み締める。

 その事に気付いていない他の三人は、神妙な顔で口々に意見を述べた。


「上様が京に来られるという情報をあえて事前に流し、民衆の中にも多数の忍びを配置したにも拘らず、彼奴を見付けることは叶わなかった」


「考えられる可能性としては、黒田孝高がすでに京近辺にいないか、これが誘いであると気付かれて現れなかったか……最悪こちらが捕捉しそこなったか、ですか」


「黒田官兵衛いう男は知恵者やからなぁ…信長はんが来る言うて、罠とも気付かずノコノコ来るような真似はせえへんやろ」


 秀政、蘭丸、前久が次々と意見を述べ、その後を引き継いで光秀が口を開く。


「だが奴は消息を絶つために、城も領地も何もかもを捨てた男だ。 つまり兵を抱えることが出来ない。 ならばその中で上様に反抗を試みるなら、鉄砲による狙撃くらいしか手は無いはずだ」


「じゃが、鉄砲が届きそうな場所は全て探し回っても、それらしい奴はおらんかったんじゃろ? 官兵衛の奴は足が悪い、こちらが見つけてさえしまえば、逃がす事はあるまい」


「取れる手は少なくとも、己自身が五体満足ではない……見つかる危険性の高さと逃走不可能という条件では、さすがに分が悪いと踏んで現れなかったのでは?」


 今度は光秀、秀吉、秀政という順でそれぞれの意見を述べていく。

 光秀が何の気負いも無しに発言したのを見て、秀吉も先程のやり取りを一旦脇に置いて、自らの意見を上げた。

 その後の秀政の出した結論に、それぞれがそれが一番有り得そうだという考えに行き付く。

 それでも決定打に欠けるからか、前久が秀吉に問いかけた。


「秀吉はんは黒田官兵衛について、知っとる事はもう無いんやろ?」


「全てお話しいたしましたぞ。 あやつが播磨国の国人、小寺家の重臣であった事も、そもそもあやつの一族は近江国の出身であったことも、わしが知っておる事は全てお話しいたしておりまする」


「ええ、そのため播磨と近江の、黒田孝高に縁の有りそうな地は重点的に洗っておりますが、未だに奴がそこに現れた形跡はないそうです」


 蘭丸の言葉に、秀吉は「むぅ、読まれておるな」と口をへの字に曲げた。

 官兵衛に縁の有りそうな土地は、あらかじめ秀吉経由の情報で甲賀を使って調べ上げており、その時点で官兵衛の足取りを捕捉出来なくとも、あるいは時期を見計らってその地に現れる可能性を考え、少なくない人数が動員されて操作の網にかかるのを待っていた。

 そのため現在甲賀の忍びたちは各地に飛んでおり、また新生織田軍の再編成のため、『隠れ軍監』の配置先などにも影響が出ていた。

 その辺りは信長も大坂城での一件前に、あらかじめフクロウを通して甲賀の里に連絡を入れてはおいたが、今回の黒田官兵衛捜索に多大な労力と人手を割く羽目となり、現場は若干の混乱を起こしていた。

 元々『隠れ軍監』という存在自体が信長直轄の物であったため、それらの橋渡しが出来るのも蘭丸くらいしかおらず、結果として『隠れ軍監』から上がってくる報告の精査は、信長と蘭丸だけしか行えない仕事となっていたのである。


 また予定外の黒田官兵衛失踪・及び出奔により、再出発した織田軍の一部は思わぬ足止めを食らう形となった。

 だがだからと言ってやるべき事が変わる訳ではない。

 信長が生きていた事で、その後を引き継いだ形となっていた秀吉からは、軍権や資産その他ほとんど全てを召し上げた。

 そのため軍の指揮系統は若干の混乱はあったものの、信長を頂点とする旧織田家の形に戻ったのだと考えれば良い、と皆が気付き、自然とかつての織田家の形へと戻っていった。

 ちなみに信長が秀吉から、あえて明言して召し上げとしなかったのは、せいぜい秀吉正室の寧々くらいのものであった。


 実は信長がその生存を明らかにした次の日、寧々は夫婦揃っての謁見許可を願い出てきた。

 謁見を許可し、信長の前に現れた寧々は悲壮な決意を眼の奥に秘め、涙を流して平伏した。

 夫である秀吉が罰を受けるのなら、自分もその妻として連座して罰を受け、夫婦で揃って信長への贖罪を行いたいと願ったのである。

 その必死な姿に胸を打たれた、という訳ではなかったが、信長はここで一つの手を打った。

 この時代において、地位のある人間が正室以外に側室、いわゆる妾を持つ事は常識であり、むしろ家名と血を絶やさぬために推奨されていたほどであった。


 生来の女好きであった秀吉は、その地位を上げていくほどに正当な権利であることを主張し、その欲望の赴くままにこの時点で百を超える女性に手を付けていたほどであった。

 無論その全てを側室に迎えた訳ではなかったが、それでも気に入った女性は側室として迎え、片手では足りない程の女性を囲っていた。

 だがそれも、そんなことが出来るだけの権力と武力、そして地位と財力があっての事である。

 信長にそのほとんどを召し上げられた秀吉は、もはや女性を囲うだけの余裕などあるはずも無く、全ての女性に別れを告げなければならぬ事は確実であった。

 今までの淫蕩三昧を理由に、正室の寧々からも離縁を言い渡されても仕方のない立場であった秀吉だったが、寧々はそんな秀吉と共に信長から罰を受けようとしていた。


 寧々のその想いを汲み取った信長は、秀吉に対して一つの命令を出した。

 「貴様が今後正室以外の女に手を出したと分かった時には、その不届きなマラを切り落とす」と言い放ったのである。

 かつては信長に秀吉の浮気癖を何とかして欲しい、とまで相談した寧々が、その秀吉と共に罰を受ける覚悟で信長に謁見を願い出た。

 その事に顔には出さずとも内心で感心していた信長は、秀吉に「これほどの女房を粗末にする奴の血など、後世に残すべきではない」とも付け加えた。

 言われた秀吉は当然顔を引きつらせたが「無論商売女を買う事も禁ずる、不服があれば今この場で、わしと女房の前で申してみよ」と信長がさらに続けると「か、畏まりましてございます」と、震えながら平伏した。


 どの道今の秀吉に妾を囲うだけの財は無いのだから、わざわざ正式に主君からの命として出すだけの意味は無い。

 だが「主君である信長からの命であり、破った場合の罰則も正式に言い渡されている」というものであれば、秀吉は守らざるを得ない。

 言うなればこれは、秀吉への罰というよりも寧々の覚悟への褒美、である。

 震えながら脂汗を流し、引きつった顔のままで平伏する秀吉の横で、寧々は涙を流しながら信長に心から頭を下げた。

 その姿を見て満足げに頷いた信長は、平伏した二人の姿を見ながら意地の悪い笑みを浮かべた。


 女好きの秀吉としてみれば、今後は正室一人だけで我慢しろ、というのは苦行に等しいものであった。

 さらに寧々には「サルには命は取らぬと言うたのでな、代わりに男としての道を断ち切ってくれる」と言い放ち、寧々への言葉であったはずが、秀吉の方が身体をビクリと震わせて反応していた。

 寧々は畳に額をこすり付けて感謝の涙を流し、その横で平伏した秀吉の姿は、これまで見たどのような姿よりも力を無くし、肩を落として意気消沈した抜け殻のような姿であったと、同席した小姓の森蘭丸は後に語った。

 ともあれこれで秀吉の淫蕩三昧に釘を刺し、秀吉夫妻はほぼ一方的に丸く収まった。

 ただ秀吉のあまりの意気消沈ぶりに、信長も「今更貴様に槍を持って挽回せよとは言わぬ、だが別の所で励めば、その働きによってはまた成り上がりの機会をくれてやる」とだけ言っておいた。


 無論「妾を囲って良い」とは言ってはいないが、それでも秀吉は「ははぁ!」と、先程よりかは力の入った返事を返した。

 こうして秀吉は齢五十近くになって、より一層女房である寧々に頭が上がらなくなるという状況となり、羽柴夫妻もまた再出発する事となった。

 ちなみに秀吉の親族である母親たちは、信長の計らいで大坂城の二の丸に住まいを用意し、何不自由なく暮らせる環境を整えた。

 体のいい人質とも言えるが、その一方で信長は一度だけそちらに足を向け、秀吉の母であるなかに顔を見せ、息子の不徳に涙を流して詫びる老母を労った。

 家臣に対しては苛烈な信長も、領民に対しては仁君の一面も持ち合わせている。


 天下人目前まで上り詰めた秀吉の母として、本来であればもう少し気位が高くなっていてもおかしくない老母は、そこらの百姓と何ら変わらぬ態度で信長に平伏したまま、恐れ多くて顔すら上げられない、という態度であったため、信長が特に命じて顔を上げさせたほどだ。

 「尾張時代からの御殿様」という信長の存在は、今この時になってもなかにとってはまさに雲上人のような存在であったらしい。

 あまりに腰の低い態度に、しかもそれが普段からのなかの生活態度であると聞いた信長は、秀吉に対する人質という感覚ではなく、自らの治める地の領民という感覚の方が強くなった。

 そのため人質という扱いではなく、客人という体で扱うという事を明言し、恐縮して固辞しようとする老母に「わしの命には逆らうなよ?」と、ニヤリと笑って黙らせた。

 だがなかは「ならばせめて」と、城内の土地の一部に畑を作らせてほしいと懇願した。


 根っからの百姓気質が抜けぬ老母の懇願に「好きにやれ」と、信長は苦笑して返した。

 後日、なかの畑で採れた野菜の漬物を食べた信長が、舌鼓を打って褒美を取らせるようになるのはまた別の話である。

 閑話休題、秀吉が持っていた軍権や資産を使い、さらには堺の豪商たちに改めて忠誠を誓わせた信長は、以前と同じく日ノ本第一の勢力として完全に返り咲く事に成功した。

 毛利や上杉といった、西国と北国の実力者とも協力体制を築く方針を固める一方で、四国の長宗我部家には徳川が当たり、関東の北条にはあえて因縁のある滝川一益を遣わせた。

 本能寺の一件前には従属的な姿勢であることも多かった北条家だが、信長が死んだという報せを受けるやいなや、かつては関東に配置された滝川一益に猛然と襲いかかるという動きを見せていた。


 信長から関東支配を任され、『関東管領』の職を自称した上に、信長の名代として権力を振るい始めた滝川一益であったが、関東の北西部である上野国(現在の群馬県)に着任してその足場を固め始めた所で、突如として本能寺の一件が起きた。

 関東の諸勢力は日の出の勢いで躍進を続ける織田家の傘下に入るべく、次々と北条を見限り滝川一益と織田家に忠誠を誓い始めていた。

 元々北条家は相模国(現在の神奈川県)・小田原に本拠を置き、そこから相模国と武蔵国(現在の東京都と埼玉県)を平らげ、上野国や下野国(現在の栃木県)・下総国(現在の千葉県北部)を手に入れるべく、各地の勢力と熾烈な争いを繰り広げてきた。

 また常陸国(現在の茨城県)の佐竹家とは幾度も争い続けてはいたが、互いの本拠地が関東の西南と東北に位置し、距離もあった事から互いに決定打となる痛手は与えられていなかった。

 そんな中で中央で大きな勢力として成長した織田家が、新たな勢力として関東に進出してきたのである。


 北条家とすれば織田家と正面からやり合っても勝ち目は薄いと考え、武田家を一気に滅ぼした甲州征伐時には実質的に織田家に従属の姿勢を示したが、その姿勢が評価される事は無かった。

 武田家を滅ぼした後で、その領地であった場所の大半は織田家が独占し、さらに関東にまで進出して北条に従っていた諸勢力すら取り込み始めたのだ。

 事ここに至って北条は、織田家への従属は却って北条家という大名家を滅ぼしかねないと、危機感を抱いた。

 そこに本能寺の一件が起こった事で、織田家への従属を一方的に破棄して、北条は再び関東支配へと舵を切っていく事を決断した。

 その手始めとして上野から関東支配を進めていこうとした滝川一益を強襲、これを追いやり続く無主の地となった甲斐・信濃・上野での上杉と徳川を相手取った三つ巴の戦いを開始した。


 だが北条はここでもまた、甲斐と信濃を手に入れ損ねる事となった。

 そのため北条は関東支配を盤石なものとするため、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃という五カ国にまたがる大勢力となった徳川と同盟を組む。

 背後を徳川という大勢力に任せる事で関東に集中することが出来た北条は、少しずつではあったが確実に領土を拡大していった。

 南は伊豆半島、北は下野国南部、東は下総国ほぼ掌握、上総国(現在の千葉県中部)の一部にまで勢力を広げ、関東の半分を手に入れたに等しい大勢力へと成長していた。

 長年の宿敵であった常陸国の佐竹家にも優位に立ち回り、下野国の宇都宮家、安房国(現在の千葉県南部)の里見家相手にも優位に立っていた。


 関東の完全掌握には未だ時間がかかるとしても、それでも東国の最大勢力への道を、着々と推し進めていた北条家であったが、ここで状況が一変した。

 信長の生存と再臨により、北条家は一転して窮地に立つ事になったのだ。

 無論信長とて自分が姿を隠した後、牙を剥いた北条をそのまま許す気など無い。

 なので信長はあえて、北条によって関東を追いたてられた滝川一益を使者とし、北条に再度の従属を迫るように書状をしたため、小田原に遣わしていた。

 書状の内容は「先年の無礼、誠に許し難き行いである。 されど我が盟友・徳川家との婚姻同盟を鑑み、相模一国のみを安堵とする」というものであった。


 徳川家の顔を立てると同時に、北条家の頭を押さえ付け、関東に一気に進出する一手である。

 無論これは北条家にとって、屈辱以外の何物でも無いだろう。

 北条家の、正確に言えば伊勢新九郎盛時、後の北条早雲が作り上げた『後北条家』の初代・早雲から始まる、数十年に渡った功績を無に帰そうというのだ。

 大人しくして生き残る道を選び、相模一国で満足するならば良し。

 激昂して刃向ってくるなら叩き潰す、という信長の意思表示である。


 信長にとっては、従うにしても刃向うにしてもどちらでも良し、お前たちの選びたい道を選べ、という態度で北条の出方を探った。

 だがあえて使者として滝川一益に向かわせた時点で、信長の本音がどちらにあるかは明白であった。

 北条が刃向ってくれば、北条と敵対していた反北条の勢力や、織田家への従属を考え今の内に点数を稼ぎたい勢力が、こぞって北条への敵対姿勢を明らかにするだろう。

 そうなれば関東の大勢力・北条家といえど、抗し切れぬ内に体制を整えた織田家の本隊が、一気に北条家討伐に乗り出す事となる。

 そうすれば現在の北条が治める広大な領地が手に入り、また反北条の勢力は自然と織田家へ従属していく道を選びやすくなる。


 一方で北条家が素直に従うのなら相模国以外の領地が手に入り、一挙に関東全土の支配へ進めるようになるだろう。

 無論他の勢力も何らかの動きは見せるだろうが、それも織田と徳川、さらには上杉まで介入してくる恐れがあると知れば、そう激しい抵抗も出来無いだろうと予測していた。

 北条家が既に関東に並ぶ者無き大勢力と化していた事が、信長にとって優位に働いた、という事であったのは皮肉以外の何物でも無いだろう。

 だがそれらの思惑も全ては、朝廷という日ノ本全土に純然たる影響力を持つ、今いるこの場所を抑えてこそ発揮されるものでもある。

 信長の側近衆とも言うべきこの五人は、それらを充分に理解していた。


 上杉も毛利も、現時点での敵対は無いにしても、それでも朝廷を抑えているか否かで立場を変える可能性もある。

 もちろんそれ以外の敵対勢力にも、下手に朝廷を利用されたりされぬ様に、いわば付け入る隙を与えぬ必要がある。

 そして未だ姿を隠したままの黒田官兵衛の存在も、大きな懸念材料の一つでもある。

 黒田官兵衛の行方に関しての話は、いくら頭の切れる者達であっても憶測でしか語れぬものであり、やがて誰ともなしに口を閉ざし始めた。

 そうして沈黙の時間が続き始めた頃、部屋の向こうから声がかけられた。


「大変お待たせいたしました。 皆様お揃いになられました」


 その声に蘭丸と秀政の二人が、自分たちの背後で横になっていた信長の方を振り返ると、既に信長の眼は開かれており、ゆっくりと身体を起こし始める所であった。

 前久が「ご苦労」と部屋の外に向かって声をかけ、一足先に部屋を退出した。

 蘭丸と秀政で信長の身支度を整え、光秀と秀吉がそれを待つ。

 そうして信長の準備が整うと同時に、蘭丸がふすまを開く。


「では行くぞ。 キンカン、サル、堀久は供をせよ」


 信長の言葉に、三人がそれぞれ頷いた。

 本能寺の一件より前に、光秀は既に従五位下の官位を賜っており、秀吉もつい先日近衛前久の伝手を利用して従五位下の官位を手に入れている。

 さらに堀久太郎秀政も先年従五位下に列せられており、この従五位下以上の官位を賜る事で、帝への拝謁を許される『公卿』の地位に列せられる事となる。

 そのため信長の従者として、この三人はこれから向かう帝以下、多くの公家たちが集まっている部屋への入室が可能となっている。

 ただ一人この場ではその地位に就いていない蘭丸のみが、この部屋で待機したままとなる。


 そしてその蘭丸が、朝廷への貢ぎ物の中に紛れ込ませて、まんまと持ち込むことに成功したとある細長い桐箱を、恭しく信長に手渡した。

 その箱を受け取った信長は、無言のままに歩を進めていく。

 平伏して見送る蘭丸の前を、光秀、秀吉、秀政が通り過ぎていく。

 自分以外の全員がいなくなった部屋で、一人正座して瞑想する蘭丸は、この日が来たことに喜びを感じていた。

 自分の弟たちが命懸けで作った機会が実を結んだのと同時に、命を散らせることとなった元凶を相手に、今から信長が戦いを挑むのだ。


「力丸、そして坊丸よ……お前たちの死は、無駄にはならなかったぞ…」


 誰の眼にも、耳にも届かぬその場所で、万感の思いを込めた呟きがそっと漏れ出でた。

お疲れ様でした。

書きたい事を後から後から詰め込み過ぎた結果、こうなってしまいました。

取り止めも無くなってしまいますし、一度時間が出来たらまとめて編集したくなりましたが、その前に話を進めないと、というジレンマが。


信長近辺と対外政策の同時進行で読み辛くなってしまいました、お待たせしてしまった分、せめて一話の内容を濃く…と思ったらこの有様でした、読み疲れてしまった方、申し訳ございません。


年末に押し迫っていく前に、せめてもう一話、二話は更新しようと思います、師走の時期にお時間を頂きありがとうございました。

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