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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の七 「足場固め」 その8

大変お待たせいたしました、少し物語の根幹に関わる話でしたので、変に時間をかけすぎてしまいました。

            信長続生記 巻の七 「足場固め」その8




 織田信長という人物は、かつては「右大臣」という公家の中でも破格の地位に上り詰めたこともある人物である。

 しかもそれは朝廷に多額の寄進を重ね、朝廷内に必死に根回しを行い、多くの公家衆を様々な手段で懐柔した上でやっと得た地位、という訳でもない。

 むしろ朝廷の方から、「この男に手綱を付けておかなければ」と危惧され、数多の戦国大名の中でも類を見ない程の、高位の役職で以て手懐けようとしたという経緯があってのものだ。

 事実信長は朝廷側の干渉を煩わしく思い「朝廷の方からの申し出を断り続ける」という行動に出たため、朝廷にとっては自分たちの面目を潰され、信長をより一層危険視させるという事態を招いた。

 挙句、それまで固辞していた態度を軟化させて、ようやく右大臣という地位に就任したかと思えばすぐさま辞任して、これまた朝廷の面目を潰すという真似までしたのである。


 この時すでに、信長は旧来の勢力の頂点とも言える朝廷ですら、自らの行動の妨げになるのならば要らぬ、と宣言したにも等しい行動を取ったのだ。

 右大臣就任までの一連の交渉で散々朝廷を焦らしておきながら、就任したらしたですぐさま辞任するというこれまでにいなかった型破りすぎる行動を取る信長に、朝廷はいよいよ「信長に手綱を付け、意のままに操る事は不可能」という結論に達した。

 千年以上前から存在し、その時代その時代ごとに現れる実力者たちにより、朝廷および天皇はその者達の権力を高めるために利用され続けてきた。

 また朝廷側もそれを逆手にとって、自らの繁栄のためにその者達を利用するという手段を取った。

 そういう意味では時代ごとの実力者と朝廷とは、相互扶助の関係にあったという見方もあると言える。


 朝廷側は天皇を中心とする権威を利用し、その時代ごとの実力者と繋がる事により自らの安泰を図り、その実力者自身かその子孫の没落の時まで共に在る。

 新たな実力者が現れるのならば、そちらへと鞍替えしてまた新たな時代を強かに生き延びる。

 一方の実力者たちもまた、朝廷という日ノ本において侵されざる権威と繋がる事で名声を得て、やがては権力者となって子々孫々までの繁栄を夢見るのだ。

 京の朝廷からの干渉を防ぐ意味もあって、遠く離れた鎌倉に武家政権による幕府を開いた源頼朝でさえ、当時朝廷内で独裁的な権力を握っていた後白河法皇を相手に、征夷大将軍の任官を求めていたという記録が残っている。

 それまでの京の朝廷と公家を中心とした時代から、武士による新たな時代の到来でさえ、朝廷の協力無しでは実現することが出来なかったという証左である。


 そして時代は遠き鎌倉から近い室町へと移り、そしてその室町幕府も織田信長の手によって実質上崩壊した。

 室町幕府第十五代将軍・足利義昭が京から追放される事により、時代は室町からまた新たなものへと移り変わる事を、朝廷の公家衆は即座に理解していた。

 織田信長という実力者が創る新たな時代、その時代がいつまで続くかは分からなくとも、とりあえずは新たな時代でも変わらず生き残るために、朝廷は信長へと擦り寄った。

 今までと何ら変わらぬ時代の変遷、繰り返される権力の移動、新しきが古きを駆逐し、その新しきが古きに変わり、また更なる新しきが生まれるその時まで。

 「織田」の名を後世に残し、地位を与え権力を持たせ繁栄を謳歌させれば、やがて来る没落の時までの栄華を夢見させることで、朝廷は目の前の変革をやり過ごせるはずだった。


 だがその男だけは違った、

 今までの者たちとは違う、徹底的とも言える合理主義の塊だった織田信長だけは違った。

 必要となれば誰が相手でも頭を下げ、効果的と見れば魔王を謳い、勝つ為ならば支出と犠牲を厭わないという、かつてない人物像に朝廷は理解が追い付かなかった。

 必要な時期が過ぎれば、あとは自らの足枷となるならば、その様な存在は要らぬ。

 信長の一貫した行動にその意図を見た朝廷の公家衆は、ここに来てついに織田信長という存在の排斥に動く決断を下した。


 信長の最も信任厚い家臣であり、日ノ本全土を見ても屈指の有能さを誇る男、明智光秀。

 戦においては力攻めも調略も自在にこなし、教養や作法についても隙の無い、文化人でもあった。

 そんな男がその有能さを認め、新参でありながら重用し取り立ててくれた主君を裏切るなど、一体誰が予想出来たことだろう。

 結果として朝廷の思惑通りにことは進み、唆された明智光秀は信長の宿所・本能寺を炎に包み、続けて二条御所に籠っていた信長の嫡男・信忠を自害に追い込んだ。

 さらに信長と親しくしていた近衛前久をも失脚させ、これで朝廷と京の都から『織田信長』の影響力を消し去ることに成功した。


 次に何者が、一体誰が成り上がるかは分からなくとも、当面の危機は去った事に安堵した公家衆は、明智光秀に都合の良い約束だけを取り付けてその労を労った。

 やがてその明智光秀を破った羽柴秀吉が台頭し、畿内から中国地方にかけての広範囲を所領として、朝廷にも擦り寄る動きを見せてきた。

 信長の家臣だったこの貧相な小男は、「筑前守」という役職こそ持ってはいるものの、所詮は下賤の生まれであり、少々上手く生きて成り上がったからとて、朝廷を牛耳る公家衆から見れば、そこらの野良犬も同然に見えていた。

 だが信長の様な男を相手にするのに比べれば、なんと組し易い者であった事か。

 ひたすら目の前に餌をぶら下げ、焦らして焦らして搾れるだけ搾り取ってやろう、とすら思っていた。


 そしてその秀吉が、じわりじわりと頭角を現してきていた東海の雄、徳川家康と雌雄を決する戦に臨むという話を聞いた公家衆は、ここで一つの決断を下した。

 この戦の結果によっては、秀吉にこちらからも距離を詰めていこうという算段である。

 織田家中の内乱、と呼ぶべき山崎の戦いと賤ヶ岳の戦いを制し、さらには織田家の同盟者であった徳川家康すらも敗れるのなら、これはもはや疑いようのない実力の持ち主である、ということだ。

 結果は局地戦による敗北の後、政治的な策謀による勝利、となるはずであった。

 たとえ敗れはしても、結局家康を従えられるのなら、秀吉は今後も勢力を伸ばし続けるだろうと予測した朝廷は、秀吉と家康の和睦・同盟の締結後にはしかるべき地位を与えようと、水面下で動き始めていた。


 だがそれらの動き全てが水の泡となるべき出来事が、彼らには待ち受けていたのだ。

 織田信長の生存、そして再臨である。

 秀吉はその所領から城や砦、様々な権益に至る全てを信長に没収され、再びその家臣となった。

 さらには自分たちの企ての全てを知る近衛前久が、信長と共にある。

 止めに信長を殺し損ねたどころか、自らも生き抜いていたという明智光秀。


 大坂から伝わってきた話に、無関心でいられる公家などはいなかった。

 もはや一種の恐慌状態に陥っていたと言っても、過言ではなかった。

 ある者は家財を整理し、本気で都から落ち延びようとまで考えていた。

 西国の毛利や、北国の上杉に頼ろうかとする者もいたが、それぞれの大名家が既に大坂で信長と協力体制に入りそうだという話まで追加で耳に入れたため、それすらも覚束無い事に悲嘆に暮れた。

 京で生まれ育った公家衆にとって、九州や関東などは政争に敗れて行かざるを得ない、流刑地にも等しいという認識であったため、いくら落ち延びると言ってもそこまで行こうとする者は皆無であった。


 そんな中で公家衆が最も頼りとしたのは、他でもない近衛前久であった。

 本能寺の一件を前にして、軟禁状態に押し込められた前久は、そこから解放されると今度は羽柴軍に捕縛され、尋問まで受けた。

 その後三河国へと向かう彼を、一部の公家衆は後ろ指を指しながら嘲笑った。

 公家衆の頂点に立つ五摂家の生まれであり、しかも十九歳という若さで関白に就任したほどの逸材であった近衛前久が、見るも無残なる有様で都落ちをする。

 常日頃から陰惨なる権謀術数の世界に身を置く者たちにとって、高位の者が落ちぶれて去っていく姿を見る事ほど、愉快なものは無い。


 近衛家はしばらく力を取り戻せまい、皆がその認識に思い至った。

 だというのに近衛前久は三河国から帰京した直後から、精力的に活動を始めた。

 羽柴秀吉の官位や役職の就任を取り付けるため、様々な手で公家衆を懐柔し始めたのだ。

 その動きに「信長亡き後、今度は秀吉にいち早く擦り寄って、朝廷内での権力の復帰を目指したか」というのが公家衆が思い至った結論だった。

 実際前久の動きはそう思わせるに十分な行動であったし、秀吉の躍進も合わさって徐々に近衛前久は朝廷内での復権を確かなものとしていった。


 だが、彼の本当の狙いに気付ける者はいなかった。

 信長再臨後、公家衆の中でも察しの良い者は、近衛前久が一体何を目指して動いていたのかにようやく気付くことが出来た。

 だがそれも全ては後の祭りであり、まさかと思ったとしてもそれを確認する手段が無かった。

 そんな中、近衛前久は悠々と帰京して朝廷に参内し、凱旋とも言うべき威風堂々たる歩みで、御所内を進んでいった。

 その途中で前久の姿を目にした公家は、慌てて前久に接触を図ろうとしたが、前久も「まずは帝に拝謁しませんとな」と、柔らかな物腰でそれらをハッキリと拒絶した。


 信長の苛烈な行動力、誰であろうと畏怖せずにはいられない恐ろしさを思い出した公家衆は、我が身の保身を考えて、先を争うように近衛前久との繋がりを求めた。

 ここまで来れば、前久と信長が繋がっている事に気付けぬ者などいない。

 かねてより前久と懇意にしていた者、本能寺の際には同情的な姿勢であった者とは、前久からも連絡を取り合い積極的に会談の機会を作った。

 その一方でかつては前久を嘲笑っていた者達の一部には、「直接会って話をさせてもらいたい」という申し出にも「今は忙しいから時間が空いたら折を見て」と、文で返事をする始末である。

 だがそれらはあくまで一部であり、前久はかつては敵対、あるいは傍観していた公家の中でも、これはと思う人物には自ら進んで接触を図っていった。


 特に前久が真っ先に会談の場を設けたのが、現在の関白である一条内基(いちじょううちもと)である。

 かつて前久より前に、そして前久の関白辞任直後に関白を再度務めた二条晴良(にじょうはるよし)とは違い、真っ向からの対立はしていなかっただけに、会談は容易であった。

 それに現在の朝廷内では、いわゆる「反信長派」にとってはこの上ない逆風が吹いており、内心の思惑はどうあれ、真っ向から信長を罵れる者などいなかった。

 そのため「中立派」と言えた者たちでさえ、「新信長派」として振る舞い始める程、現在の朝廷での力関係は変化を見せ始めている。

 信長が生きている、ただその一点でここまで朝廷が揺れるとは、と前久自身苦笑を禁じ得ないほどだ。


 前久は一条内基との会談で、近い内に信長が朝廷に参内するので、信長は間違いなく生きているのだと朝廷の公家衆に知らしめ、その上で信長の考えを述べる場を用意して欲しい、という要望を伝えた。

 内基としては容易には頷けないものの、前久の必死の説得と帝へは決して害を及ぼす様な真似をさせない、という約束で最終的には首を縦に振った。

 また関白・一条内基の名で、従五位下以上、つまり帝への拝謁が許される位を持つ者全てに、信長が帝への挨拶をする場には極力同席するように触れを出した。

 信長自身が公家の一人一人に自らの考えを語る、などと言うまどろっこしい真似を望む訳が無く、帝も含め朝廷内の力ある公家全てに向けた、天下統一と防衛を合わせた、新たな政策を語る場を設けさせよというのが、信長が前久に出した指示であった。

 「やり方は任せる、だが極力早くその場を誂えておけ」という信長の言葉に、前久はつくづく「信長はんの人使いの荒さは既に日ノ本一やな」とぼやいてしまったほどだ。


 だがその前久の働きもあり、信長はあらかためぼしい者達との折衝や目通りなどを終え、ようやく一息ついた所で前久からの連絡が届いた。

 信長は口角を上げて蘭丸に指示を下し、およそ二年ぶりとなる入京を決めた。

 供をするのは筆頭小姓となっている森蘭丸をはじめ、明智光秀、堀秀政、羽柴秀吉などである。

 信長は京の民衆に向けて、大々的に自らが入京する日時を喧伝し、影武者などではなく、本物の信長が生きているのだと、その眼で確かめたい者は沿道に集まり我が姿を見よ、と高札を立てた。

 かつて京の本能寺で命を落とし、葬儀まで行われた男が実は生きており、今また因縁深き京に現れるというのに、むしろその姿を見に来いという。


 その豪胆とも奔放とも言える行動に、森長可は呵々大笑して供を申し出たが、いざという時の大坂近辺の備えとして留め置かれ、ガックリと肩を落としていた。

 その後出立前日まで弟である蘭丸に「役目を代われ」と迫る長可であったが、蘭丸の「命に代えてもお断りいたします」と笑顔で返される一幕もありはしたものの、特に大きな問題も起こらずに信長は朝廷へ参内するため、軍勢を率いて京へと入った。

 信長は果たして本物なのか、変わらず健在なのかを一目見んと大勢の民衆が京の町中を埋め尽くし、その民衆の期待に応えんとばかりに、信長は一際派手な衣装でもって姿を現した。

 それはまるでかつての「馬揃え」の時の様な煌びやかさで、陽光に照り返しを受けて、まるで信長自身が光り輝いているかのような錯覚すら覚えさせるほどのものであった。

 そこかしこから歓声が上がり、手を目の上にかざして信長を仰ぎ見る民衆に向けて、馬上から片手を掲げて民を見下ろす信長は、まさに天下の支配者に相応しい威容を放っていた。


 その少し後方を一転して地味な着物に身を包んだ明智光秀が、粛々と馬を進めていく。

 そのさらに後ろが羽柴秀吉であり、秀吉も信長程ではなくとも、見た目からして派手で、金がかかっている衣装に身を包んでいるものと分かった。

 信長が放つ威風に、目にした者たち全てが間違いなく本物だと確信しながら、その姿を自然と目で追っていく。

 ただ衣装が煌びやかなだけではない、その衣装に身を包んだ人物こそが、本当の意味で光り輝くような存在感を放っているのだと、誰もが無意識に感じ取っていたのだ。

 そうして信長の姿を目で追いつつ、その後に目に入った光秀と秀吉に、信長とは違う種類の声が飛んだ。


 ある者は光秀を「不忠者」と誹り、「恩知らず!」と蔑んだ。

 またある者は秀吉を「よっ代理天下人!」、「残念やったなぁ筑前様!」などと、軽口で囃し立てており、表面上は平静を装いながらも内心で歯噛みしていた秀吉である。

 しかし一方の光秀はそれらの罵声を受けても、顔色一つ変えることなくただ前だけを見据えて進んでいく。

 その様を見て、それまでは口汚く罵っていた町衆も自然と声を静めていき、ついには光秀を罵る声は聞こえなくなっていった。

 そもそも光秀とて、本能寺の一件直後に京で無法を働いた訳でもなく、むしろ治安の悪化を懸念して治安維持政策を取ったほどの男である。


 京の町衆から見れば、本能寺や二条御所を焼いた事で一時京の街を不安に陥れたものの、その後の動きとしてはむしろ仁君と言えた光秀を憎む者は少なかった。

 そして光秀自身、己の行いによって多くの者を不幸にした、と自覚していたため、むしろ嘲り誹り罵りなどは自業自得として全て受け止める覚悟は出来ている。

 何も言わずとも光秀の態度でその覚悟を感じ取ったか、京の民衆はそれ以上光秀を非難する事は無かった。

 そんな様子を光秀の少し後ろを馬で進む秀吉が、少しだけ羨ましそうに見ていた。

 平静を装った顔の眉間に、少しだけ深くしわが刻まれる。


(何故上様に弓を引いたあやつが……わしは謀反人を征伐した功労者であったはずなのにのぅ…上様にゃ逆らえんしもはやそんな意義も無いが、光秀よりも下に置かれるのだけは癪じゃな)


 馬の手綱を握る手に、少しだけ力が籠もる。

 秀吉の眼に、信長再臨後としては初めてとなる仄暗い感情の火が灯る。

 秀吉のここまで生き抜き、そして上り詰める原動力の一つとなっていた妬みの感情。

 信長の生存によって鳴りを潜めてはいたものの、物心ついてより四十年を超えて持ち続けてきた感情を消し去る事など、いくら抜群の器用さを持つ秀吉とて出来はしない。

 多少の覚悟はしていたが、口さがの無い京の民衆にこき下ろされるという屈辱を味わった秀吉は、面白くない気持ちのまま、信長や光秀の後に続いて馬を進めていった。




 信長がその身を堂々と晒し、考え様によっては自殺行為とも取れる行動を取っている様を、遠く離れた建物の屋根から見ている者がいた。

 信長によって攻められ、里を落ち延び命を拾った忍び、百地丹波である。

 齢こそ既に老人の域に差し掛かっているというのに、その腕前はますますもって鋭敏であった。

 彼は信長を護衛するために民衆の中に紛れ込んだ者や、周辺一帯をくまなく捜索する者、目に見える警備も合わせて三重の警護が敷かれた信長の行列を、捜索範囲の外からじっと眺めていた。

 鉄砲での狙撃も警戒してか、周辺一帯の捜索にはかなりの人数と範囲の広さが設定されていたにも拘らず、その範囲の外から信長の行列をつぶさに見張る丹波の視力は、おおよそ常人ではあり得ぬものであった。


 だがそれも仕方のない事である。

 自分だけならともかく、自分が伏せている屋根の軒下にいる男となると、忍びによる警戒網に引っかかってしまったが最後、恐らく逃げ切る事など不可能な身体をしているのだから。

 無論、その男とは黒田官兵衛の事である。

 かつて羽柴秀吉に従って中国地方攻略に尽力していた頃、荒木村重の謀反を説得により治めさせようと単身摂津国・有岡城に乗り込み、説得懐柔に努めたがその場で捕縛され、牢に幽閉された事で官兵衛は五体満足な身体ではなくなってしまった。

 そしてそれこそが官兵衛の人生の転機となった。


 「信」であろうと「義」であろうと、または「利」であろうと「忠」であろうと、結局のところ人は裏切るのだ、と。

 己が「信」をもって道を説いたとしても、相手は自らにこそ「義」があると断じ、聞く耳をもたぬ。

 そのくせ別の者は「利」でもって釣ろうとしても、「忠」に違える様な真似はせぬとほざく。

 とかくこの世は複雑怪奇、そして人と人とは、自分と他人とでは決して相容れぬものなのだ。

 ならば他者を、自分以外の全ての者を「駒」として扱おう。


 将棋でも、取られた駒は敵の「手駒」として寝返るものだ。

 こちらが心から「信」を持ち、「義」を立てて、「忠」を貴び、「利」を見せても、人は何かを理由に大義名分を押し立て、自らが正しいと断じてこちらに槍を向けるのだ。

 ならば他者を将棋の駒に見立てれば良い、そうすればこちらもそのつもりでいられる。

 こちらが調略によって寝返らせたのなら、敵の駒を取ったのならこちらの手駒となって働いてくれよう、そういう物だと最初から理解していれば、落胆も焦燥も感じなくて済むのだ。

 それらの官兵衛の行動理念を理解した上で、百地丹波は笑って頷いた。


「お主のその徹底した現実主義は、むしろ忍びにこそ向いておるわ」


 言いながら丹波は官兵衛の持つ杖にチラリと目をやり「惜しいのぅ、身体がそうでなければわしが仕込んでやっても良かったのじゃが」と、呟いていた。

 そんな丹波は、信長護衛のための警戒網の外から信長を見やり、ふむふむと頷いていた。

 官兵衛はそんな丹波の様子を見て「何か分かった事でも?」と問いかける。


「なぁに、あの信長とて所詮は人間、と思うたまでの事よ。 斬られる、撃たれる、刺される、盛られる、あるいは病で倒れる。 死に至る方法などありふれておる事じゃし、どの方法で殺るのが確実かと思ぅてな……彼奴の殺し方に、何か要望などはあるかの?」


「特にない……が、病などを待ってはおれぬ。 いずれは、などという悠長な真似だけは看過できぬ」


 丹波は眼だけが笑ってはいない笑みを浮かべて官兵衛に言葉を返し、返された官兵衛もまた口を開く。

 官兵衛の言葉を聞いた丹波は、顔に浮かべていた笑みを一層深いものとした。


「そうか、病魔は望まぬか……惜しいのぅ、それが最も楽なのじゃが」


「楽であっても時がかかり過ぎる、いつになるか分からぬ死など、待つ意味は無い」


「いつになるかはわしも分からぬが、そう遠くはないとは思うがのぅ」


 何気無さそうに言い放った言葉に、弾かれたように官兵衛が身体ごと丹波の方へ向けた。

 その反応を見て満足そうに口元を歪め、丹波は言葉を続けた。


「信長も若き頃より相当な無理を重ねたと見える……あやつ自身も薄々は感付いておろうが、既に病の兆候は出始めておるじゃろう…もって数年、という所かの?」


「真か!? 真に、あの信長が……数年…早ければあと二、三年で信長は死ぬのか!?」


 恐るべきは丹波の眼力である。

 遠く離れた、それこそ官兵衛からすれば、遮蔽物無しの状態でも米粒よりも小さくしか見えない信長を、この距離から見て既に病を得ていると看破したのだ。

 白くなっているアゴ髭を撫で付け、官兵衛の問いかけの答えを焦らす丹波。

 代わりに官兵衛の顔を見ながら、答えではない別の言葉を言い放つ。


「先程は病で信長が死ぬのを待ってはおれぬ、と言っておったが……どうじゃ、信長が病で死ぬことになっても、お主はそれで満足か?」


「……構わぬ。 信長が死ぬことで天下にいくばくかの混乱も起きよう…さればその時まで某が生きておれば、天下取りの芽も出るというもの。 欲を言えば某が信長を討ち、新たな天下人として名乗りを挙げるが最短なれど、それはあくまで理想論……であれば、我らが取る道は決まった」


「ほぅ、どうする? 信長は病を得ておるとはいえ、それほど重篤という訳でもない様じゃが?」


 無表情な顔の口元に、ほんのわずかな笑みを浮かべた官兵衛が、目まぐるしく頭を回転させる。

 そんな官兵衛をやはり楽しそうに眺める丹波に、官兵衛が視線を返す。


「徳川・毛利・上杉の三家のみならず、日ノ本全ての大名家に信長が病を得ているという情報を流し、信長に従う事を思い留まらせる。 それと同時に朝廷にもその情報でもって、信長を排斥せんとする一派を後押しする。 そして止めに…」


 そこで一旦言葉を切った官兵衛は、丹波から視線を外し、信長の行列の方へ視線を向ける。

 官兵衛からは直接信長やそれに従う者達は見えずとも、風に乗って喧騒の気配や、様々な声が伝わってくる。

 その中に混じった言葉を聞いて、今度こそはっきりと官兵衛は口に笑みを浮かべた。


「羽柴秀吉を、我が陣営に取り込む」


 そう言い放つ官兵衛の眼に謀略の色が浮かぶ。

 丹波も「ほほぅ…」と、感心したような声音で声を漏らす。


「病の程度など些細な話だ…病を得ている、という事こそが要よ。 本能寺で生き延びたとてどうせそう長くない命なら、その命の灯が消える日を我らの手で少しでも早めてやれば良い。 病の療養などが出来ぬよう、間断なく攻め立ててくれようぞ」


 言い終えると同時に、官兵衛は杖を突きながらその場から離れていく。

 いくら遠く離れた場所とはいえ、忍びによる周囲の警戒の網がここまで届かないとも限らない。

 丹波は音も無く屋根から降りて、官兵衛の横に並ぶ。


「やはりお主は面白い……信長を討ったと思うた光秀に近付かんで、お主について良かったわぃ」


 丹波の呟きに、聞こえたであろうはずの官兵衛は何も反応を返さない。

 丹波もまた、官兵衛からの何らかの反応を期待した訳でもない。

 だが二人の思惑は確かに合致しており、そこにもはや余計な言葉は要らなくなっていた。

 民衆に囲まれ、大通りを堂々と進む信長と、人通りの無い道を、潜むように杖を突いて進む官兵衛。

 両者が相見える瞬間は、まだ先の事であった。

私の仕事は大体11月や12月になると暇になるのですが、なぜか今年に限って例年通りとはいかず、話を書くだけのまとまった時間が取り辛くなってしまっております。

そのためお待ち頂いている皆様には大変恐縮ではありますが、巻の六までの様なペースでの投稿が出来なくなっております。


決して途中で投げ出したりはしないつもりですが、どうしてもペースを戻すことが出来そうにありません、たとえ時間がかかってもお話自体は続けていきますので、ご覧になって頂いている皆様方には、何卒気長にお待ち頂きますよう、よろしくお願いいたします。

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