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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の七 「足場固め」 その4

               信長続生記 巻の七 「足場固め」 その4




 信長が大坂城でその生存を明らかにした次の日には、黒田官兵衛とその家臣団は大坂から速やかに姿を消していた。

 極力痕跡を残さず、どこへ行ったのかも悟らせずに姿を消し、さらに分散して行動する事で忍びの目すらかいくぐる事に成功した。

 現在の大坂はかつてない活況に満ちており、町民たちの家屋や武家屋敷が続々と建造され、堺や京の商人が大坂の方にもさらなる商売の手を広げるため、新たに店を出したり増やしたりなど、あらゆる立場の人間が集まっていた。

 その中にはもちろん、各地の有力土豪、国人、大名などの正式な使者や、非公式な間者なども入り乱れている状態だ。

 そんな中で町民に紛れて脱出でもされてしまえば、いくら忍びでも完全に補足して追跡する事は不可能であった。


 そうして官兵衛は今、畿内のとある教会にいた。

 そこにいる、ある人物に会うためである。

 その人物は教会の奥まった部屋に官兵衛を通し、声が部屋の外に漏れぬ石造りの部屋で、官兵衛との会談に臨んだ。

 無論、ここに官兵衛がいる事は教会内でもごく一部の者しか知らされずに、官兵衛もあらかじめ使者を派遣して、その人物に極秘に接触を図っていた。

 その人物の名はルイス・フロイス、信長とも何度も会談を重ね、織田家の勢力圏内における「キリスト教」の布教許可を得る事に成功した宣教師である。


「お久しぶりですネ、クロダ様。 ハシバ様は、お元気でいらっしゃいマスか?」


「ご無沙汰しておる、フロイス殿。 日ノ本言葉がさらに達者になられたな」


「この国の皆サンに、少しでも早く、神の教えを、理解して頂くためデス。 この国の人たちは、とても頭が良い、この国の言葉で話せば、スグに分かってくれマス」


「それは重畳…いや、良い事だ。 だが某は、残念ながらフロイス殿に悪い知らせを伝えねばならぬ」


 秘密裏の会談、ともいえフロイスは以前に顔を合わせた時のような、穏やかな顔をしている。

 この男はいつも穏やかな顔をして、ゆっくりと話す。

 日ノ本の言葉を問題なく話せるようになったとは言え、布教をする上ではゆっくりと落ち着いて話かける事が大事であると、その身に沁み込んでいるのだろう。

 穏やかな顔で、落ち着いてゆっくりと言い聞かせる、それはまるで幼子に物語を聞かせる母のようだ。

 彼がこの国に来て既に二十年の年月が経ち、多くの者に『デウスの教え』を布教し続けた男は、現在は様々な事を記録し、それを本国へ伝える仕事に従事している。


 フロイスは信長に謁見を成し遂げた初めての宣教師であり、フランシスコ・ザビエルと共にその名は日本の歴史にもしっかりと刻まれている。

 特に彼の残した様々な記録は、『南蛮人宣教師から見た日本の戦国時代』を、第三者的な視点から俯瞰した資料として、重要な価値を持つ歴史遺産となっている。

 戦国時代の畿内において、こと『イエズス会』内での彼の為した功績は計り知れない。

 『キリスト教』を世に広める事を至上命題とする『イエズス会』は、日本という国の特異性に着目していた。

 遥か遠い海の果ての島国に、長く内乱を続けておきながら独自の文化と技術力を有し、多くの金銀を産出する場所があると。


 商人たちは新たな商売圏の開拓のため、こぞって日ノ本へと舵を切った。

 宣教師たちは未開の土地への布教のため、日ノ本へと向かう決意をした。

 商人は日ノ本を「黄金の国ジパング」と呼称してしまうほど、日ノ本で産出された大量の金銀を交易でもって獲得した。

 宣教師は旧来の仏教勢力からの迫害こそあったものの、着実に信徒を増やし続けて、その影響力を九州からやがて畿内まで伸ばしていった。

 そうして今より十五年ほど前、足利義昭という神輿を担いで上洛を果たした信長に謁見したフロイスは、京での布教許可を得て以来、畿内を中心に活動を続けていた。


 信長にとっても『デウスの教え』という新たな宗教勢力の登場により、旧来の仏教勢力である比叡山や本願寺に対する牽制に使える、という算段があった。

 また新たな技術や品物、思想などを貪欲に取り入れようとする信長にとって、『デウスの教え』というものを拒む理由は無かった。

 あくまで合理的な考えの元、彼らを保護した事で得られる利益を存分に享受しようとした信長は、得られたものが利益だけではない事に気付いてしまった。

 それは、『デウスの教え』の先にある危険性。

 そして日ノ本以外の国で、南蛮商人が何を売り買いしているか、という現実。


 未知なるものへの恐怖、というものは一度頭で考えてしまうと、決して拭い去れるものではない。

 『デウスの教え』は、本当に坊主どもの言う『極楽浄土』を『天国』に言い換えただけの様なものなのか。

 『釈迦』と『イエス・キリスト』は、手を合わせたり十字を切るなどのやり方の違いはあれど、ただ信仰を捧げるだけの存在ではないのか。

 仏教の経典と『デウスの教え』で言う聖書とは、同じような物ではないのか。

 一応は法華宗の信者という事になっている信長だが、これまで宗教というものに深く関わってこなかった彼は、海の向こうから来た『デウスの教え』に未知ゆえの不気味さを感じた。


 布教の許可も出し、様々な品物も受け取り、様々な技術や思想も知識として蓄えることが出来た。

 本能寺より前の時点で、信長が『デウスの教え』を保護した事による利益は大きかった。

 不利益よりも明らかに利益が大きければ、合理的な思考を持つ信長にとって、それは大した問題ではなかったはずだった。

 だが『地球儀』を見て、黒人奴隷である弥助を手に入れたことで、信長は一つの疑問を持ったのだ。

 南蛮人どもの心の奥底には、一体何があるのか。


 しかしそれを明らかにする前に、彼は本能寺の炎の中に消えたと思われた。

 そうしておよそ二年の月日が流れ、彼は再び世に姿を現した。

 しかもその際、彼の疑問の答えの一つとなる事実を、小早川隆景から聞かされるという僥倖も手伝った。

 それを盗み見た官兵衛は、信長はそう遠くない内に『デウスの教え』の排斥に動く事を確信した。

 信長の決断は非常に速い、そしてそれに伴う行動も他の追随を許さない。


 その決断の速さとずば抜けた行動力こそが、並み居る難敵を打ち破る原動力であると、羽柴秀吉は間近で学ぶことが出来たのだ。

 様々な意味で、羽柴秀吉の天下は織田信長あっての物であったと言える。

 信長の築き上げた勢力とその座を引き継ぎ、そのやり方を学び取ったからこそ、天下人へと突き進む事が出来たのである。

 そんな信長がもし、『デウスの教え』を危険視し、行動に移すとすれば。

 だからこそ、黒田官兵衛は大坂から姿を消して真っ先に向かったのが、このルイス・フロイスの下であった。


 官兵衛はそれまでの無表情から一転、沈痛な面持ちで「悪い知らせ」という単語を口にした。

 穏やかな顔をしたままのフロイスの眼に、一瞬とは言え警戒の色が浮かぶ。

 『デウスの教え』をこの国で広め続けて以来、彼は様々な存在から妨害や迫害・あるいは身の危険さえ覚えるような経験をしている。

 彼の行動や記録が『功績』とされるのは、それだけ多くの苦難を経験しながらも、決して自らの責務を疎かにしなかった故でもあるのだ。

 そんな彼が、「悪い知らせ」と聞けば、今度は一体何があったのかと警戒するのは当然と言えた。


「それは、嬉しくない事デスね…でも聞かない訳には行きまセン、教えて下さいクロダ様」


 穏やかな表情はそのままだが、言葉と雰囲気は一気に警戒感を露わにしている。

 それは当然だろうな、と思いながら官兵衛は続ける。


「……実は、織田信長公は生きておられた…先日大坂城でその生存を明らかにされ、羽柴様から全ての権限を剥奪し、再び日ノ本を席巻されんとしている」


「なッ!? あ、あのオダ様が、ですカ!? それは、それはとてもとても素晴ラシイ! あの御方が生きておられたなら、悪い知らせデハありません、とても良い知らせではないですカ!」


 穏やかどころか満面の笑みを浮かべたフロイスは、大仰に声を上げて腕を振り、喜びの感情を全身で表した。

 まるで「脅かさないでくれ」と言わんばかりに、官兵衛に向けて苦笑まで浮かべる始末だ。

 そんなフロイスを冷ややかに見つめ、官兵衛は淡々と語り続ける。


「そしておそらく、そう遠くない内に信長公は『デウスの教え』を禁教とするだろう……彼の御仁は、利用出来るものは何でも利用するが、その価値が無くなった者は容赦なく切り捨てられる故、な…」


 官兵衛の言葉に、フロイスはそれまでの笑みを凍りつかせ、身体の動きまで停止させた。

 その反応に官兵衛は内心で笑みを浮かべ、フロイスの口が開かれるのを待つ。


「……な、なぜですカ? 私たちは、オダ様に逆らってはいません…利用価値、はありマス。 私たちの本国から、まだまだたくさん貢ぎ物は用意できマス。 禁教は、おかしいデス!」


「ああ、某も全くそう思う……貴殿らの教え、『デウスの教え』は素晴らしいものだ…だがあの御仁は我らの言葉に耳を貸す事など無い、あくまで己の考えでしか行動されぬ御仁だ……禁教令が出されるのは一ヶ月後、あるいは一年後か…詳しい時期は分からぬが、いずれ必ずそれは出されるだろう」


「…う、嘘だと言って下さイ! あの御方はこの国の、私たちの一番の理解者なはずデス! 神の教えは少しづつこの国デモ分かってもらえてマス、今禁教されるのはとても困りマス!」


 権力者の一存により、物事の正否がひっくり返される。

 それはいつの時代、どの場所でも起こり得る事柄ではある。

 フロイスもそれは分かってはいるが、だからと言って突然の禁教令発布の恐れがある、というのはいくらなんでも頷けるものではなかった。

 特に織田信長は畿内における最大の後ろ盾であったため、信長無くして畿内の布教の成功は無かったと言える。

 なので信長が消えた直後は、フロイスとしても大いに落胆し、困惑したものだった。


 その後はなんとか秀吉に謁見が許され、信長に引き続き畿内での布教許可を貰えたことで、フロイスは畿内での布教を続ける事が許された。

 信長はフロイスに布教の許可を出した後には、比叡山を攻め、本願寺を石山から退去させるなど、既存の仏教勢力に対して、『弾圧』とも言える攻撃を強行した。

 だがもちろんこれは信長による『宗教弾圧』などではなく、あくまで敵対した勢力を打ち破るという、いわば戦国大名としての行動に則ったものであった。

 だがフロイスをはじめとする南蛮から来た宣教師たちや、当の比叡山延暦寺の僧たちや石山本願寺の門徒からすれば、『デウスの教え』に傾倒するが故の、仏教を弾圧せんとする仏敵、と見えただろう。

 当時の畿内における二大武闘派宗教勢力である比叡山延暦寺と石山本願寺が、共に信長によって打ち倒されたのだからそれも当然と言えば当然であった。


 フロイス達は信長を大いに賛美し、彼を「日本におけるキリスト教の最大の擁護者である」と表現するほど、信長に対して好意的でもあった。

 だが信長が消え、もしそれらの仏教勢力が信長の代わりとして『デウスの教え』への反撃を企てたのなら、さらに次の権力者が仏教勢力と親しい人物だったなら、と考えると背筋が凍る思いだった。

 もし秀吉に布教許可を貰えずに、ましてや禁教令などを出されていたなら、もしかしたら今頃自分は生きていなかったかもしれない、とすらフロイスは思っている。

 なので信長再臨は、フロイスにとって慶事以外の何物でも無かったはずなのに、自分たちにとって最高の味方が最悪の敵に回るなど、考えたくも無かったのだ。

 フロイスの額が脂汗で覆われ、喉がカラカラに乾き、眼がしきりに視線を彷徨わせる。


「そんな…オダ様に、一体何があったというのデショウ……いなくなっていた間に、何か心変わりをされた、という事なのでしょうカ……お会いして、お話をさせて下サイ!」


 フロイスの嘆願を冷ややかに見つめながら、官兵衛は声音とその表情だけを重く沈ませる。


「某も出来れば何かの間違いであってほしい、とすら思う……だが今貴殿が上様にお会いした所で結果は変わらぬ…下手をすれば禁教が早まり、貴殿にも害を及ぼすかもしれぬ……ましてや某も、今や戻られた上様から疎まれる存在となってしまった……その某から今の話を聞き、それで慌てて謁見を望んだとなれば……フロイス殿の身の安全と『デウスの教え』の布教は、絶望的なものとなるやも…」


 官兵衛の言葉に、フロイスは泣きそうな顔をして頭を抱えた。

 その口からは「神よ、どうかこの苦難を乗り越える知恵と勇気を授けたまえ」と、しきりに祈りの言葉が漏れている。

 右手で頭を押さえ、左手で首から下げた十字架を握り、固く目を閉じてブツブツと祈り続けるフロイス。

 それを痛ましそうな顔で見つめたまま、内心でほくそ笑む官兵衛。

 信長や家康がそれぞれの動きを見せる中、黒田官兵衛もまた、己の目的のために着々とその足場を固めていた。




 フロイスとの密談を終え、黒田官兵衛は教会を後にした。

 別れ際には「いつ何時、どのような事があろうとも対応出来るように、表向きは変わらずに、しかし逃げる準備などはしておくように」と言い含めておいた。

 眉間にしわを寄せ「そんな事にはなって欲しくない」と書いてあるかのような顔をして、フロイスは神妙に頷いていた。

 官兵衛は重々しく頷きを返し、夜の闇の中へと去っていった。

 フロイスと別れた官兵衛の眼にはどのような表情も浮かんではいなかったが、それが次の瞬間驚愕で大きく見開かれる事になる。


 夜の暗闇の中とはいえ、手を伸ばせば届くほどの至近距離に、一人の見知らぬ老人が立っていた。

 官兵衛自身、忍の様に気配で他者の存在を探る様な真似は出来ないが、それでもそんな至近距離に誰かがいれば、いくらなんでも気付けるだけの心得はある。

 だが今この時だけは、目の前の老人の気配も何も感じ取れず、完全に不意を突かれた格好となった。

 一旦は驚愕に顔を染めた官兵衛だったが、すぐに落ち着きを取り戻して目の前の老人に問いかけた。


「……何者だ?」


「ほっほっほ……とっくにどっかで野垂れ死んだ、と思われておる年寄りじゃよ…」


 そう言ってケラケラと笑う老人は、口元や目の周りのしわこそ笑みの形ではあるが、僅かに開いている眼の奥には、油断の無い光が灯っている。

 それはこれまでの生涯が、決して平坦な物ではなかった者だけが持ち得る光だった。

 穏やかな昏さ、生気を感じぬ密やかさ、人知れず静かに滅び去るような光。

 一見陽気に笑っている老人は、ごく自然にその場にいるというのに、官兵衛にはそれが不気味で仕方が無かった。

 その理由は老人が醸し出すその空気は、間違いなく濃密な死の気配であったからだ。


「…まさか、とは思うが……某が捜していた御仁である、と?」


「なんじゃ? お主の部下がわしを探しておったようじゃからな、先んじてわし自らがこうして出向いてやったのじゃぞ?」


「……確かに、某は信長に恨みを持つ者を集めよとは命じた……だが、その命を下してまだほんの一日程度しか経ってはおらぬ…いくらなんでも早すぎる!」


 若干の苛立ちすら籠もった官兵衛の声が、老人へと向けられる。

 それがそこらにいる普通の老人であれば、竦み上がるほどの威圧感を伴っていても、目の前の未だ笑っている老人からすれば、赤子の鳴き声にも劣る程度にしか感じられない。

 戦国の世を生きる者として、官兵衛もその地位や実力に相応しい修羅場を潜り抜けている。

 だがそれすらも、目の前の老人から見ればまだまだ小童、と言われる程度にしか感じられないようだ。

 官兵衛の言葉にうんうんと頷いて、老人はにこやかに口を開く。


「わしの息のかかった者なんぞ畿内にいくらでもおるわ……お主が配下に下した命がわしの所に届いたのは半日ほど前でな、ちょうどわしも近くに来ておった故、こうして待っておったという訳よ」


 その説明を聞いて、官兵衛の眼は納得したという反応は見せていない。

 むしろその視線はより強さを増し、老人を射抜くように睨んでいる。


「なんじゃ、信用出来んか? やはり世に死んだと思わせておる者とはそりが合わぬか、んん?」


 にこやかにだけでなく、どこか楽しげに老人は官兵衛に問いかける。

 そんな老人に、官兵衛はかつてないやり辛さを感じながら口を開いた。


「織田信長は生きていた…」


「うむ、知っておる。 そして羽柴秀吉は天下人の座から降ろされた。 故にお主は次の天下人と成り損ねた、という事じゃな」


 官兵衛の言葉を肯定し、さらにその官兵衛の心の中にあった野望まで言い当てる。

 ただ視線の強さのみを強め、動揺を悟らせまいとする官兵衛。

 だがその様すらも、老人には楽しいものであったらしくまたもケラケラと嗤う。


「第六天魔王を名乗る者に相応しい、地獄へと叩き落とすための者たちを集める……ほっほっほ、たかだか小領主の家老程度に収まっておった男が、大それたことを望むものよ…」


「……して、ご貴殿はどうされるおつもりか?」


 そう問いかける官兵衛の両手は、未だどちらも刀に手がかかっていない。

 そもそも片手には常に杖を持っているため、刀を手にしても満足に振るう事すらままならない。

 だがそれでも問いかける。

 たとえ自分にとってこの上ない嫌な言葉を返される事になったとしても、これは聞いておかねばならない。

 官兵衛にとって、生きているとは思っていなかった人物が生きていて、こうして自分から接触を図って来たのだから、決して悪い返事を返しては来ないだろうという計算があった。


「お主に手を貸す…」


「……それは重畳…」


「だがその前に……聞いておきたい事もあるでな…嘘偽りなく答えてもらう、良いな?」


「存分に」


 静かに、それでいて濃密な死の気配がより一層その濃さを増した。

 官兵衛をして、瞬間的に気圧される程の殺気が辺りに満ちる。

 もしこの場で嘘を吐けば、次の瞬間には官兵衛の首は刎ねられる、そう直感で分かってしまうほどその空気は怜悧なものと化していた。


「信長を、殺したいか?」


 老人の問いは、官兵衛の本気を試す言葉であった。

 もしこれが信長の、いわば信長に恨みを持っていて潜在的な敵と成り得る存在を炙り出すために、官兵衛を使った策ではないかの確認を取る為に、あえて直接的に問いかけた。

 もしこれで躊躇したり、どちらとも取れない言葉で濁すようなら、老人はこの場で官兵衛を斬るつもりであった。

 老人の眼力を持ってすれば、目の前の相手がたとえ初対面であろうと、嘘を吐いているかどうかの看破など、容易いものである。

 そして官兵衛は、その老人の問いに真っ向から答える。


「この手で、などとは言わぬ。 誰が殺ろうと、どんな方法や武器で殺ろうと構わぬ。 ただ確実に、今度こそ本能寺のような手抜かり無く、信長の首級を挙げてもらいたい」


 官兵衛の言葉に、老人は眼の奥の光すら消して、初めて心から笑みを浮かべた。

 満足そうにうむうむと頷き、杖を持つ官兵衛の手にそっと自らの手を置いた。


「良かろう……お主に従い、共に信長を殺そう。 野垂れ死にし損ねた老骨が、炎の中に消えたと思わせた魔王を殺す……痛快じゃて、痛快じゃて」


 この日、官兵衛は強い味方を得た。

 畿内に多く潜んでいるであろう、信長を憎む存在。

 それらを一人でも多くかき集め、反信長の連合を組むべく動き出した官兵衛は、初手からとてつもない大物を引き当てていた。

 この日現れた老人とて、かつては死んだと思われたとある忍びの一人である。

 「天正伊賀の乱」と呼ばれた、織田軍による伊賀国の忍び大虐殺事件での生き残りの一人であり、その忍びたちの頭領の一人でもあった男。


 名を百地丹波(ももちたんば)

 本能寺の一件の前年、天正九年の「第二次天正伊賀の乱」にて戦死したとされる忍びである。

 実は密かに生き延びていた丹波は、虎視眈々と信長への復讐の機会を待っていたが、本能寺にて信長が死んだと聞かされ、以降はわずかな弟子たちと共に隠遁生活を送っていた。

 だが信長再臨の報を耳にして、しかも黒田官兵衛が秘密裏に反信長の戦力を集めているという情報も手に入れ、こうして接触を図って来たのだ。

 そしてこの日より、黒田官兵衛は百地丹波と行動を共にするようになる。


 こうして百地丹波の助力を得た官兵衛は、信長配下の甲賀や、家康配下の伊賀の目すら掻い潜り、その策略の根を全国に伸ばしていくのであった。

フロイスの登場は予想されていた方も多いと思いましたので、もう一人新キャラを登場させました。

本来ならもう少し引っ張った登場にしようかとも思ったのですが、何分現状があまり余裕も持てませんもので、一話分を長くしてでも前倒しで出させる事に致しました。


巻の題名通り、しばらくは各勢力の足場固めが続きます。

本格的な話の展開は今しばらくお待ち下さい。

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