信長続生記 巻の七 「足場固め」 その2
前回のそのまま続きとなります。
信長続生記 巻の七 「足場固め」 その2
信長は自身が再び表舞台に立つことにより、各地の家臣団はもとより、「織田家」という一族に多大な影響をもたらす事を自覚していた。
まず第一に嫡男であった信忠がおらず、秀吉らによって決められた織田家の後継にして、信長から見れば嫡孫に当たる三法師が、わずか四歳で当主の座に就いているのである。
無論当主とは言っても名ばかりで、実際には後見人に当たる信長の次男・信雄が実権を握ろうとしている事は明白である。
そしてその後見人である信雄もまた、人格的にも能力的にも問題があると言わざるを得ない。
たとえ秀吉と戦っていなくとも、信雄が織田家の権力を一手に握っていたなら、早晩織田家は瓦解し、滅亡の憂き目に遭っていた可能性もある。
信長は己の足場を固める意味でも、まず第一に己が根幹としていた「織田家」の改革に着手した。
「織田家」の主要な人物は信長の弟や息子たちで形成されており、信長の命令一つでどのようにも人事は動かせる。
だからこそ、信長は現在の状況から排さねばならない人物を特定していた。
これからは日ノ本を一つにし、南蛮の付け入る隙を与えない万全な防衛態勢を整える必要がある。
だからこそ、無能な人物を高い地位に就け、広大な領土を持たせておく危険性を放置する訳にはいかなかった。
「お久しゅうございます、父上! この天下に生きる者ども全てが父上を死んだものと思っていても、この信雄だけは父上が御無事であると確信いたしておりました! こうして今再び御尊顔を拝することが出来た喜びに、我が身は打ち震えておりまするッ!」
「兄上の御帰還、我ら織田家一族の全てを代表して、心よりお祝い申し上げ奉りまするッ!」
そう言って信長の前で頭を垂れたのは、息子の信雄と弟の長益の二人だ。
大坂城二の丸の一室で、信長は二人を謁見した。
上座の中央に信長が座しており、その後方に太刀持ちとして森蘭丸、中座の左側に弟である三十郎信包、中座の中央には信雄が平伏して、その右斜め後ろに長益が同じく平伏している。
二人がこの後どのような沙汰を言い渡されるか、おおよその所は見当が付いているだけに、信包の顔色は優れなかった。
別に極端に仲が悪い訳でもない弟と甥が、当主とはいえ父であり兄である男から、罪を言い渡されて罰を科される、その現場に立ち会わなければならないのだ。
(死してもおかしくない状況から生き延び、こうして舞い戻られても、相変わらず苛烈な御方じゃ…)
近くにいる二人に気付かれぬよう、信包はそっとため息を吐いた。
およそ二年ぶりに再会した父、そして兄である信長に、二人は満面の笑顔で次々と祝辞を述べ続ける。
まるで信長に言われたくない言葉があるから、それを言わせる機会を封じようとしているかのように。
とかく信雄という男は、父や兄の前ではやたらと威勢が良く、常に耳触りの良い言葉しか言おうとしない。
兄の前では従順な弟、父の前では頼りになりそうな次男、そう思われていたいのだという態度が、ありありと分かった。
だがそれらは全て逆効果だった。
良い格好を見せようと思って、半ば独断で攻め込めば散々に蹴散らされて大敗。
自分から政に関わろうとすれば、却って場を混乱させるだけで余計な手間と時間をかけさせる。
将としての才、人としての器、様々な物から学び取ろうとする心構えなど、全てがお粗末であった。
だからこそ、信長も地位や領地などは与えても、信雄に大きな仕事を任せようとはしていなかった。
嫡男・信忠を総大将として甲斐武田家の征伐を行った後に、三男・信孝は四国遠征軍を率いて、四国へと渡海しようとしていた。
もちろんそれは名目上だけで、実際の指揮は副将であった丹羽長秀に取らせるつもりではあったものの、それでも信孝にはお飾りとはいえ総大将を任せることが出来た。
だが信雄は違う、彼に総大将などを任じたが最後、余計な損害を出しても尚それを反省材料とせず、むしろ意地になってさらなる損害を味方に生み出す事は明白である。
織田家きってのうつけに与える領地が、尾張や伊勢などの要地を含めた百万石という、天下に類を見ない壮大な無駄遣いをさせておく余裕など、もはや信長の頭の中には存在しない。
そもそもそれだけの広大な領国を収めるために、一体どれほどの家臣が必要で、どれだけの人材を無駄に遊ばせておく羽目になるかを考えただけで、頭痛が収まらなくなるほどだ。
「両名とも、しばし黙っておれ」
信長が口を開き、その眼が信雄と長益の二人を冷たく見据える。
静かに言い放ったはずなのに、その言葉はその場に言わせた者たち全ての耳に、しっかりと届いた。
身体を震わせて、顔まで強張らせた状態で動きを止める信雄と長益。
いよいよ来たか、と自分の事でなくとも気が気ではない信包。
唯一泰然自若としているのが、信長と共に死地から生還した蘭丸くらいだ。
「貴様らの祝いの言葉は受け取った。 ならばこちらも返礼として、今から貴様らの沙汰を言い渡す」
「は…さ、沙汰…にございますか?」
「新たな領地や御役目、という事にござりましょうか?」
信長の言葉に、二人は目をキョロキョロと泳がせながら薄笑いを浮かべる。
さすがに信長と血縁であり、付き合いが深いだけはある。
先程の信長の声音とその言葉の中に、何かしら不穏な空気が混ざっている事を察したのだ。
信長の眉間に見えるしわ、放たれる威圧感、冷徹なる目付き。
身内に向けるものでこれなのだから、敵対した者にはどれほどの態度でもって臨んでいるのか、信包は胃が痛くなる思いで状況を見守っている。
「三介には尾張犬山一万石、源五は家禄・名物一切を没収の上、蟄居閉門とする。 なお南伊勢の旧北畠領は三十郎が治めよ。 それ以外の領地については我が直轄地とする。 以上だ」
「………お、お待ち下されませ…それは、一体?…」
信長の言い放った言葉が、まるで理解が出来ないと言わんばかりな信雄に、信長は冷徹な視線と声音で返した。
「三介よ、わしは貴様に対して多大な期待をかけた事はただの一度として無い…が、貴様はわしが目指す『天下布武』において、足枷となりうる……これより先は、足手まといを抱えたままでは全てに支障をきたす恐れがある故、犬山辺りでじっとしておれ……よいな」
「…な、なぜ某が!? な、何もしておりませぬ! 何もしておりませぬ某が、その様な憂き目に遭うなど到底承服出来ませぬ! 訳を、その訳をお教え下され父上ぇ!」
「訳なら言うたであろう、たわけが。 貴様は何も『しておらぬ』のではない、何も『出来ぬ』のだ。 戦でも政でも用を成さず、失態を犯した貴様を家臣共が何と陰口を叩いておるか、知っておったか? 『所詮は三介殿のやる事よ』だそうだ。 そのような体たらくに尾張や伊勢を、ましてや百万石という碌を任せておく事など出来ぬ、それが理由だ…分かったな」
「それは某を貶める罠にございます! 某がたまたま犯した失態を、殊更大仰に煽り立てる家臣共が悪いのでございます! 何卒ご再考を、ご再考を父上ぇ! 信雄はこれより本気を出しまするッ! 本気となった某がその気になれば、徳川だろうと毛利だろうと上杉だろうと、瞬く間に攻め滅ぼして御覧に入れまする!」
信長の言葉に立ち上がって、自己弁護を喚き立てる信雄に、信包は思わず涙が出そうだった。
なぜこうも墓穴を掘り続けるのか、そもそもそういう星の下にでも生まれたのか。
信雄の必死さがその色を増す分だけ、信包の頭の痛みが増していく。
頭を押さえながらそっと信長の方を見ると、やはり信長も軽く頭に手を当てている。
一事が万事この調子であったなら、信雄の家老はさぞや長生き出来なかったであろうな、などと場違いな感想を抱いてしまった信包であった。
「ほぉう……貴様は今まで、本気を出しておらなんだか?」
「はい! しかしかくなる上は父上に認めて頂けますよう、本日より本気で」
もうやめておけ! と叫べたらどれほど良かっただろうか。
これが戦なら、もはやとうに降伏して開城している心境だ。
信包はこの時点で信雄を完全に見限った。
よほど慌てているのか、先程の信長の言葉に今までは入っていなかった怒りの感情までが混ざり込んでいる事に、信雄は全く気付かないままさらに言葉を並べ立てている。
そして信雄は光明を見出したかのように明るくした顔を、その直後に泣き顔へと変えた。
「このうつけがぁッ!!」
信長の怒声に、立ち上がっていた信雄がまるで殴られでもしたかのように、よろめいて尻もちを付く。
その顔は先程とは打って変わって、恐れ、怯え、今にも涙を流しかねないほど歪んでいた。
ほどなくして信雄の袴の一部に、濡れて色を変えてしまった部分が出来てしまっていたのだが、信長も信包もあえてそこは見ない事にした。
そしてその怒声の直撃を受けた信雄の横に座していた長益は、まるで身体を丸めて攻撃から身を守る亀のように平伏し、必死に身体の震えを抑えていた。
「わしは本能寺の一件後に姿を隠した。 その間に貴様は何をやった? 我が心血を注いで築いた安土城を焼き、キンカンへの弔い合戦も行わず、悪戯に時を浪費した。 貴様を『何も出来ぬ』と評するはこういう事よ」
「そ、それは……ち、父上が生きておられると確信しておりました故、明智めに挑んで却って兵力を消耗しては、と……先を見据えた某の戦略にございますれば…」
「仮にそうであったとしても、貴様はわしが討たれたという話を聞かされても、その『本気』とやらを出してはおらなかった、という事よな? わしに謀反を起こしたキンカンに、一番槍で弔い合戦を挑む機があったにも拘らず、貴様はそのまま一戦もすることなく逃げ帰った。 不忠者を成敗する時すら出せぬ『本気』など、役に立つと思うかッ!」
今度こそ完全に、信雄は沈黙した。
涙と鼻水に汚れた顔を俯かせ、恐怖と困惑で震えていた。
信長はその場に立ち上がり、大上段から言い放つ。
「貴様に一万石をくれてやるは、せめてもの情けと思え。 そして貴様は今後『北畠』、もしくは『津田』を名乗れ。 『織田』の家名を使う事は許さぬ。 そう肝に銘じよ」
この信長の言葉で、信雄の『織田家次期当主』の夢は完全に断たれた。
『織田』の家名を使えない、という事はそういう事なのだ。
かつては信雄も信孝も、織田の後継、もしくは後見人になるためにそれぞれ名字を『織田』に戻した事がある。
信長によって養子にいかされた『北畠』や『神戸』では、『織田』の家名を継ぐ事が出来ないからだ。
そして信長の視線は、未だ平伏したままの長益に向けられる。
「そして源五……貴様が蟄居閉門となる理由、己の口から言えるか?」
「そ、それは………」
平伏したまま、長益は震えて言葉に出来ない。
彼自身、最悪の話題を持ち出される事が予測出来たからだ。
信長がもし本能寺で死んでいたのなら、それを知る事無く世を去っていたはずだ。
だが目の前に信長はしっかりと生きて存在しており、あの時二条御所で長益が行った行動を、知っているという事なのだろう。
ならば先程の信雄の様に見苦しい言い訳をするよりも、正直に認めて心から謝罪した方が、もしかしたら情状酌量の余地も生まれるかもしれない。
長益の生存本能にも似た思考が、必死に回転を続ける。
信長という男は、兄の考え方はこうであったはずだ、と。
言い淀みながら必死に時間を稼ぎ、それで得た数秒で結論を出して、長益は一世一代の勝負をかける。
「某は、織田の家督を譲られし信忠殿を、見捨てて逃げた卑怯者にござりますれば……」
絞り出すような声音で発せられた言葉に、信長は変わらず冷徹な目で長益を睨み据えている。
信長は『隠れ軍監』たちからの情報でおおよその所は知ってはいたが、それでもあえて長益自身の口からその時の状況を語らせるべきと判断したのだ。
「それで?」
言葉少なに、長益へ話の続きを促す信長に、観念したかのように長益が語り出す。
「本能寺にて兄上がご自害あそばしたと……その言葉を聞いて信忠殿は、敵わぬまでも一矢報いんと猛っておりました。 某は抵抗は無意味と悟り、逃げ出そうとする者共の中に紛れ……明智軍が迫れば信忠殿も抵抗を諦め、脱出をするものと思っておりました故…」
長益の語る内容は、『隠れ軍監』から聞かされた内容と合致している。
結局逃げ出さずに戦った、信忠の下で働いていた信長五男・信房や京都所司代を任せていた村井貞勝など、あの場に居た信長のもう一人の息子と、実務能力に優れていた有能な家臣たちは二条御所で戦死してしまっていた。
だが信忠と共に戦い、その上で力及ばず戦死、もしくは殉死した者たちを責めることは出来ない。
しかし明智軍到着の前から既に逃亡を図り、護るべき主君を置いて逃げ出すというのは看過出来ない。
同じく逃げた者達の中に、『清州会議』でもてなし役を務め、後に京都所司代を任された前田玄以という者がいたが、その者は既に信長の命で更迭される事が決まった。
前田玄以は実務能力において、確かに有能な面を見せる部分があったため、この時点で首を刎ねるのが惜しいと思い、現在は蟄居を命じて正式な沙汰を下すまで処分保留としている所であった。
本能寺の「変」が史実通りで起きていたならば、その際に現京都所司代であった村井貞勝は主君と共に死に、逃げ延びた前田玄以は後にその京都所司代となるのだから、歴史の皮肉というものである。
ちなみにその前田玄以は「信忠様からの命で嫡子・三法師様を御守りするため、あの場を脱出したのでございます」と必死に弁明を重ねており、頃合いを見て恩赦を出し、役に立ちそうな部署へと宛がうつもりではあった。
他にも妻の「内助の功」の方が有名、などと言われてしまいがちな山内一豊の弟・康豊も、明智軍到着前に逃亡したという罪で一度は斬首とされるべき所を、兄である一豊の必死の嘆願により、命だけは助けられたものの、放逐という扱いで実質的な追放処分が下される予定である。
それ以外の者達も、軽いもので蟄居、重いものは斬首までの沙汰を受けており、その審判がついに長益の所にもやって来たのである。
「それで、貴様は京雀にすら『人でなし』と渾名されるまでに堕ちた、と…」
信長の言う「京雀の人でなし」とは、二条御所に籠った信忠に、長益が腹を切れ切れと焚き付けておいて、自分はさっさと安土へ逃げ帰った、という事を揶揄した言葉で、その出だしが『織田の源五は人ではないよ』というものであった。
信長は京の都を脱出し、浜松の徳川領へ向かう際、その言葉を耳にしていた。
『隠れ軍監』の報告が無くとも、己の耳で聞いてしまったその言葉を、信長は二年近くが経過した今でも忘れることが出来なかった。
そして当然、自分の事をその様に皮肉られていると長益自身も知っている。
そのため長益は本能寺の一件以来、極力京へは近付かない様にしているほどだった。
「あ、兄上……某に非がある事は明白なれど……何卒、何卒名物の没収だけはご勘弁下さりますよう…信忠殿の代わりとはいかずとも、某に出来るお役目であれば如何様にも働きまする故、何卒…」
額に浮かぶ脂汗を拭う事すらせず、長益はひたすら平伏して許しを請う。
信包としても、弟の痛々しいほどの懇願ぶりに、さすがに同情の感情がその眼差しに交じる。
チラリと信長を見ても、信長の眉間に刻まれたしわに変わりはない。
同情や哀れみはあるが、だからと言って擁護する気にもなれない、というのが信包の本音だ。
強いて言えばその蟄居が解かれる時期が、少しでも早ければ良いな、というのが関の山だ。
「命までは取らずにおいてやる。 天下が上手くまとまりし時には蟄居も解いてやる。 その時の情勢次第では禄もくれてやる。 大人しくしておくことが貴様の為すべき事と心得よ」
信長の言葉に、長益はいよいよ身体を縮こませて「ははぁ…」と、泣きそうな声を漏らすのが精一杯であった。
こうして信長による『織田家』の枠組みの中における勢力図が一挙に変わり、信雄と長益を下がらせた信長は、未だ部屋に残しておいた信包と、差し向かいで話し合い、以下の事も決めた。
信長を頂点とする勢力の内の一つとして『織田家』が存在し、まずはその『織田家』の当主は三法師であると、正式に信長によって認められた。
そしてその新たな後見役には織田三十郎信包が就任し、さらに信長の元服前の子供たちの面倒を見る役も合わせて命じられた。
信長の嫡孫にして織田家次期当主である三法師、さらに信長の六男以下の若年の者たちの面倒まで、一手に押し付けられた格好の信包は、さすがに顔を強張らせた。
「お、恐れながら兄上……某の所には市の息女三名も既に引き取っておりますれば、いささか大所帯となりまする故、この度のお役目はご辞退申し上げたく…」
「南伊勢の旧北畠領があろう、養育に使え」
強張らせながらも、必死の愛想笑いを浮かべた信包であったが、信長の事も無げに言い放った言葉に完全にその顔が引きつった。
そういう事かぁ! と叫べたらどれだけ良かった事か。
織田家後見人、という立場だけならば謹んで引き受けよう。
領地が増えるというのなら、喜んで承ろう。
だがそれ以上に負担が大きすぎやしないだろうか、と信包は頭を抱えた。
「お主が出来ぬ、と言うのであれば無理強いはせぬ。 だがその場合は、わしの息子も姪も『織田』の者では無い誰かに預けることとなろう…わしの死後にはそやつらの傅役をした者が権勢を握り、『織田』を己が傀儡として動かそうとするやもしれぬが、な……」
信長はそう言いながら信包の頭を両手でガッシリと掴む。
そして顔を寄せて至近距離から信包の眼を見据えてさらに続ける。
「その時その傅役が、己の意のままにならぬ『織田』の者達をどう扱うか…今やわしの次に地位が高いお主が生きておったら、どのように思うものか……かといって『織田』の名を持つ者でわしに近い者はあとは三介か源五くらいじゃ…分かるな、三十郎……貴様が頷くか否かで『織田』の行く末が決まると思え」
信長の言葉は確かに起こりうる未来、将来的な不安材料と言える。
だがまさか自分にそのような重圧のかかる大役を言い渡されるとは、信包自身欠片も思っていなかったのだ。
事が事だけに、即座に頷けるほど信包は考え無しな男ではない。
いや、むしろ現状生き残っている『織田家』の中枢にいる人物としては、思慮深い方だと言って良いだろう。
だがだからこそ、即断即決を望むかのような信長に、何も返答が出来ずに心底困り果てていた。
「重ねて言うぞ、戦や政よりも茶器にうつつを抜かす源五か、能にしか才を見せぬ三介に、『織田』の次代を担う子らを預けるか、別の家に織田の将来を託すか……それとも貴様が背負うかのどれかじゃ」
頭を抱えている信包のその頭を両手で引っ掴んだまま、至近距離からその眼力に物を言わせて信長が言い募る。
そしてその眼力と物言いに逆らえるだけの、度胸も才覚も弁舌も持ち合わせていない者が、返せる返事はただ一つである。
先程と同じような引きつった顔をしながらも、それでも幾分覚悟を決めた顔で、信包みはポツリと呟いた。
「御役目、全力を尽くしまする……」
「であるか、大義である」
信包から聞きたかった返事を聞いて、信長はようやく満足そうな顔を見せた。
これからの事を思うと憂鬱な気分にさえなりかけた信包であったが、信長が後日文で信包に宛てた内容には、以下の事も書いてあった。
『わしの息子たちと市の血を継ぎし娘たちの間で、良縁となりそうな者がいたならば、お主が積極的に仲立ちを行い、織田の血脈を残させよ』
この上さらに仲人までさせようというのか、と信包は今度こそ目眩を起こして倒れかけた。
近くの柱に手を付いて身体を支え、痛み始めた頭を押さえる。
天正十二年五月、信包の受難はまだ始まったばかりであった。
その4までは何とかペースを保って更新いたします。
次回は徳川家康の話です。




