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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その4

        信長続生記  巻の一 「本能寺の乱」 その4



 フクロウの後に続いて歩く信長の前に、別の隠れ軍監二人が新たに姿を現す。

 この者たちも甲賀忍者であり、フクロウと同様明智軍の足軽に扮して潜んでいた者たちである。

 新たに現れた者たちは、恰好は明智軍の足軽そのままで、目付きだけが違っていた。

 忍び特有の、感情を殺した眼をした男二人は、自分たちのものとよく似た足軽用の具足と陣笠などの装備一式を、4組揃えて信長を待っていたのだ。

 もちろんその装備の本来の持ち主はここにはいない。


「役目大義、帰蝶は?」


「こちらに」


 その声に振り向いてみれば、帰蝶は先程と変わらぬ格好で物陰から出てきていた。

 念のため隠れていたのだろう、信長が来るまでに足軽に襲われでもしたら目も当てられない。

 帰蝶の姿を確認した上で、信長は少し意地の悪い笑みを浮かべた。 

 突然信長はそれまで着ていた就寝時用の襦袢を脱いで、褌だけの格好になりながら足軽用の薄汚れた服装に袖を通し始める。

 それを見て、帰蝶は少しだけ後悔の感情を湧き立たせた。


「まさか、とは思いますが…敵の足軽に扮装してこの窮地を?」


「無論、どうせキンカンの事よ。 京の入口は全て固めておるだろうからな」


 たとえ本能寺を首尾よく脱出できたとしても、京都の入口全てを固めてしまえば、あとは万を超える軍勢を動員した人海戦術で、すぐに見つけ出されてしまうだろう。

 ならば本能寺で死んだと思わせた方が、後々動きやすくなるというのが信長の考えた作戦だった。

 言いながら、信長は今度は具足を装着し始める。

 甲賀忍者の二人が、無言で信長の着替えの補助を行う。

 その様を見て、帰蝶は自分も同じ様にしなければならないのだと悟り、大きくため息をつく。


「ご存分に、とは申しましたが……」


「残る、と言うたのはお前の方ぞ。 そこの暗がりで着替えて来い」


 フクロウが恭しく足軽用の服装と具足を帰蝶に差し出す。

 そのフクロウを軽く睨み、次いで信長を恨みがましい目付きで見た帰蝶が「それならせめて、先に言うて下されば…」とブツブツ言いながら着替えを自ら持って物陰に歩いていく。

 本来帰蝶程の地位の高い女性であれば、着替えは全て侍女が行い、本人はただそこにいるだけでよい。

 何もせずにただ立っているだけ、あるいは座っているだけで髪も化粧も着替えも、身の回りの身だしなみというものは全て整えてもらえるのだ。


 帰蝶は先程の信長のやり取りの後、帰蝶が残るなら自分たちも、と言い出す侍女たちに半ば無理やり逃げ延びさせて、供の一人も連れずに信長を待っていた。

 だがまさか、こんな事になるとは思わなかった帰蝶は悔しそうな気配を漂わせながら、物陰から着替える際に聞こえる衣擦れの音を響かせた。

 信長の着替えを終えさせた甲賀忍者二人は周囲を警戒し、特に反応を示さない。

 しかしまだ若いフクロウは、先程間近で見た帰蝶の年齢通りではない美しさの貴婦人が、すぐ向こうで着替えているという事実に、どうにも落ち着きを失っていた。


「帰蝶、助けはいるか? 一人では着難かろう?」


「ご無用に! 若い頃に戯れで着たことがございます!」


 信長のからかい言葉に、帰蝶から怒声とも取れる返答が来た。

 どうやら帰蝶という女性は、見た目よりもよほど活発な女性らしい。

 くっくっく、と悪戯が上手くいった子供のように笑う信長に、フクロウはますます信長という人間が分からなくなっていた。

 今がどういう状況か分かっているはずなのに、この落ち着き様はなんなのだろう。

 他の二人はフクロウに比べ年嵩で、潜り抜けた場数の多さのためか動揺しないようだが、フクロウはこれほど緊迫した状況で、しかもあの信長と行動を共にするなどという状況に、内心戸惑い続けていた。

 しかも間近で見ていると、想像通りどころか想像を遥かに超えた人物、という印象から一転、まるでどこにでもいる悪ガキの様な一面も覗かせた信長に、フクロウは興味が尽きなくなっていた。


 そして帰蝶の着替えが終わる前に、蘭丸もこちらに合流してきた。

 甲賀忍者二人は変わらず周囲を警戒し、フクロウは手早く一刻前には着ていたものと、同じような服装に着替えていく。

 蘭丸は着替えを受け取りながら早くも着替えを始め、その際に懐からカミソリを取り出す。

 それを見て「忘れておったわ」と、軽い調子で信長は自らの髭を剃り始めた。

 信長は鼻の下とあごの辺りにだけ、しっかりと整えた髭を生やしている。


 せっかく敵の足軽に扮装しているというのに、髭を整えて生やしている足軽などがいて、変な目立ち方をしてしまっては台無しである。

 それぞれが黙々と行動を取り、辺りには着替えの衣擦れの音だけが響く。

 フクロウが着替えを終え、蘭丸の着替えを手伝い始めた頃、ようやく帰蝶は物陰から出てきた。

 しかし、その姿は信長の髭などどうでもよくなるくらい目立つものだった。


「尼になる覚悟はあるか、帰蝶?」


「陣笠と具足の間に押し込みます!」


 あまりに長い髪の毛が、足軽と言ってもまるで説得力の無いものにしてしまっていた。

 遠回しに「その髪を切るか?」と問いかけた信長に、もはや完全に怒声でもって返す帰蝶。

 さすがに今度はやるせなさそうな反応を返す甲賀忍者の二人だが、それでも周辺警戒はそのままだ。

 蘭丸が着替えを終え、それぞれが脱いだ物をまとめたフクロウが、信長に指定されていた書院の中にその着替えを放り込んで火をかける。

 ちょうど同じ頃、本堂正面では明智軍が火矢を放ち始め、徐々に燃え盛り始めていた。


「ほう、ちょうど向こうでも燃え始めたか」


「先程別の仲間に、そろそろ火矢を放て、と連絡しておきました」


 信長の呟きに、甲賀忍者の一人が返す。

 その言葉に満足そうに頷きながら、信長たちは明智軍の足軽の小部隊に扮して、寺内を歩いていった。

 まだ夜明けまでは多少は時間がある。

 暗い内なら陣笠を深くかぶり、真正面から顔を見られでもしない限り見破られる事はないだろう。

 そして信長が蘭丸たち三兄弟、そしてフクロウと策を話した奥の間にも火を放って、慌てた振りをしながら他の部隊の元へと走った。


「おぉい、あっちに誰かおったぞー!」


「なにぃ? 信長様かぁ!」


「信長様じゃとぉ!?」


 甲賀忍者の一人が燃え始めた奥の間を指差しながら、他の者にも聞こえるように声を上げる。

 するとそれを聞いた他の足軽が、こちらが誰とも言っていないのに勝手に信長と勘違いしてこちらに寄ってくる。

 それに釣られるように他の者も芋づる式に、どんどんと足軽に扮装した信長たちの方へとやってくる。

 おそらく最初に返事を返した男も、隠れ軍監の一人なのだろう。

 意図的な情報をあえて流すことによって、どんどんと兵達がこちらへと向かってくるので、信長たちはあっという間に殺到してくる足軽たちの中に紛れ込み、それから避難するように壁際へと集まる。


「あちらには言い付け通り油を撒いておきましたから、もはや人が入れる状態ではありませぬ。 もしもの場合のために、具足を手に入れる際に処理した男の内二人を、上様と蘭丸殿に見立てて転がしておきました」


「であるか、褒めて遣わす」


 油を撒いていた奥の間は、あっという間に燃え広がりその近くまで殺到していた足軽たちも、その火の勢いにそれ以上進めないでいる。

 信長の遺体を持ってきたという手柄は欲しくても、火の勢いが凄すぎて自分が死んでしまうと、誰が行くかで揉め始めた足軽たちを尻目に、信長たちはこっそりとその場を離れ始めた。

 甲賀忍者の二人が前と後ろをかため、フクロウが二番目、その後を蘭丸、信長、帰蝶と続く。

 こうしていれば誰に見咎められても、前か後ろの二人が対応できる。


 しかし誰に見咎められることもなく、そのまま六人は寺内を進んでいく。

 どうやら信長と蘭丸が抜けた穴を埋め切ることは出来なかったようで、途中で見かけた者たちは一人残らず屍となって果てていた。

 屍の横を通る度に、蘭丸は「すまぬ、すまぬ」と呟きながら歩いていく。

 そんな一行に、声をかける者がいた。


「貴様らこんな所で何をしておる! 信長の首は見つかったのか!?」


 信長が見ても見覚えのない顔だが、どうやら明智家臣の一人の様だ。

 具足や兜の意匠・脇にいる兵を見てもどうやら大した身分でもなさそうで、足軽の組頭と言った所か。

 その侍に、先頭の甲賀忍者がへりくだった態度で応じる。


「へい、奥の方で燃えてる部屋があるそうで。 火を消そうにも井戸はねぇかと探してまして」


「なに、燃えている部屋だと! どこだ、どこだそこはッ!?」


 足軽に扮した甲賀忍者が場所を教えてやると、その侍は嬉々として部下を連れて駆けて行った。

 信長の遺体を回収し、手柄とするために躍起になっているのだろう。

 あんな男に回収されて手柄にされるくらいなら、それこそ遺体すら残らぬ死に様でもした方がマシだとすら信長は思っていた。

 その後、門の近くまでやってきたがやはりというか、門には既に見張りがおり、寺内に入る分には問題無さそうだが、寺内から出るときには怪しまれそうだ。

 一旦足を止め、どうしたものかと思う一行の顔に、眩しいものが見えた。


 夜が明け始めたのだ。

 明るくなれば他の者はともかく、帰蝶の長い髪の毛はごまかしようがなくなる。

 今は何とか陣傘に押し込んだ分と、具足と服の間の空間に、体に巻きつけるように入れる形でごまかしてはいる。

 暗闇の中では細身の帰蝶の身体に少しでも厚みを持たせ、男に見せる補助を担っているものの、明るい所で見れば一目瞭然だろう。

 もはや一刻の猶予もならない、完全に夜が明けてしまえば脱出は不可能だ。


「こうなれば…」


 前を進む甲賀忍者が、周りに自分たちに注目している者がいないことを確認し、仲間の二人に合図を送る。

 それに気付いたフクロウは自分の後に続く蘭丸、信長、帰蝶に声を潜めて手短に作戦を伝える。

 そして後ろにいた甲賀忍者が、先頭を歩いていた忍者の具足の隙間に刀を差し込み、傷を付けた。

 すぐさま傷付いた甲賀忍者が呻いて膝を付き、傷付けた忍者の方は刀をしまって声を上げる。


「兄者! しっかりせい兄者! こんな所で死んじゃなんねえ!」


 突然始まった芝居に、帰蝶は驚いて固まるが、フクロウは逆に声を張り上げた。


「誰か、誰か助けてくれぇ! オラのお父がぁ!」


 どうやら重傷者を装って、この場を離脱しようという作戦なのだと気付いた帰蝶が動く前に、信長たちの前に少しだけ凝った意匠の兜を付けた武将が近寄ってきた。

 近付いて来るなり、その武将は怪我をして血を流している足軽を一瞥し「下がって手当をしてやれ、助かるやもしれぬぞ」とだけ言って去っていった。 

 言われて信長たちは四人がかりで怪我をしている者を持ち上げ、フクロウは先導して周りの兵達に「どいてくれ、オラのお父が死んじまうよぉ!」と涙声で叫びながら道を空けさせ、堂々と本能寺から出ていく。

 門での見張りも、怪我人を搬送しているのだと知ると、疑わずに門を通してくれた。

 門を潜りながら、役割分担で片方の足を持たなければならなくなった帰蝶が、ここに残った事を心の底から後悔していたのは言うまでもない。


 ちなみに忍者というものは身体の構造を熟知しており、あえて血が派手に流れやすい場所に傷を付けることで、相手の油断を誘う事も戦術の一つとして数えられている。

 傷は深くないので治療も比較的容易で、ただあまり出血させ続けると危険、という注意点はあるがそれにさえ気を付ければ、傷をしっかりと診ない限りまず見破られることはない。

 こうして、信長はまんまと本能寺からの脱出を成功させ、京の都に潜むこととなった。

 その一方で信長の打っていた別の一手は、予想外の結果をもたらしていたのである。

本能寺の乱、もようやく折り返しです。

信長と光秀、それぞれに焦点を当てた話が展開していきますので、多少時間軸が巻き戻る部分も出てきますが、あしからずご了承下さい。


次回は4月2日に更新予定です。

自己編集をしてからの投稿になりますので、何時になるかは分かりませんが終わり次第投稿いたします、しばらくお待ち下さいませ。

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