表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長続生記  作者: TY1981
78/122

信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その12

やっと更新できました。

お待たせしている方々には遅れまして申し訳ありません。

          信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その12




 羽柴家と徳川家の戦は今日で完全に終結を迎える。

 そのための和睦締結の会見は、大坂城の大広間で行う事となった。

 これはその会見式の参加人数の多さのためであった。

 羽柴家の勢力下にある、つまりは秀吉に従属している諸将の、その中でも上位に連なる立場の者のほとんどが参列し、その参加人数だけでも二十人を超える。

 さらにそこに毛利家からは小早川隆景と安国寺恵瓊、上杉家からは直江兼続が加わるのだ。


 万事において大きな造りとなっている大坂城でなければ、狭苦しいという印象すら与えかねないほどの人数が一つの部屋に集まる事となるため、大広間を使う事となったのだ。

 まず最初にその部屋に通されたのは、羽柴家に従属する諸将である。

 持っている所領の多さや年齢、役職や秀吉からの信任の厚さなどによって序列が決められて、座る場所が割り振られる。

 しかし人数が多いために左右に一列に並び切らなかったため、序列が下の者たちは部屋の両脇にもう一列作るように並んで座る羽目になった。

 結果ほとんどの者は、下段の左右に二列ずつで座るようになり、それだけで参加人数の多さを実感させた。


 ちなみにその中にはまだ堀秀政はいない。

 秀政は家康の先導役を兼ねて、家康と共に入室してくる事になっているためである。

 上座は秀吉と前久のみが座り、中座には左右に小早川隆景と直江兼続が座る予定となっており、家康は左右の列の中央を通り、上座にほど近い中座の中央に座る予定である。

 こうする事で、前久を除けば上座に座るのは秀吉のみであり、同盟の話になっても一段高い所に羽柴家が置かれる、という既成事実が出来上がる。

 ちなみに下座に近い位置の中座に座るのは、羽柴秀長や丹羽長秀、そして前田利家とこれから来る堀秀政などである。


 下座には蜂須賀小六などの羽柴家の直臣の中でも古参の者たちや、佐々成政などの旧織田家臣にして、内心の忠誠はさておき、秀吉に従属を願い出た者たちである。

 その中には先の戦で父と兄を失い、急遽家督を継ぐ事となった池田家の若き当主、池田輝政の姿もある。

 さすがに若年の上、こうした公式の場に出るのは初めてであるためか、左側の壁際二列目の隅の方で、目立たぬように座っている。

 ちなみに森長可も表向き討ち死にとなっており、長可や蘭丸の弟である、後の森忠政となる少年が美濃国金山(かなやま)に向かいはしたが、未だ若すぎるとして今回は出席を見合わせた。

 だが当然それも表向きの理由として、実際は森家の中で「信長様御復帰の晴れ舞台に、我ら森家の者たちで華を添えさせて頂きたく」と、何をやらかすか分からない意見が出たため、森家の面々には全面的に今回の会談への出席を辞退するよう厳命していた。


 そうして次に入室してきたのは直江兼続、小早川隆景、安国寺恵瓊の三人である。

 直江兼続は中座の右側、小早川隆景は左側に座り、恵瓊は隆景とは地位が違う為に下座へと移動し、そこで周りとは少しだけ距離を置いて一人座る。

 それまでは形はどうあれ、羽柴家という枠組みに収まっている者たちだけの空間であったため、比較的穏やかな空気であった室内が、上杉と毛利という、かつては敵対していた家の者が入って来たことで、急にピンッと張り詰めた空気へと変わった。

 だがそんな事に一々反応を示す者はいない。

 小早川隆景も直江兼続も、そして当然安国寺恵瓊なども敵地と言える地での交渉事などは慣れている。


 この程度の空気の変化に一々怯えていては、外交などは務まりはしない。

 小早川隆景にはわずかに敵意が混じった視線が送られたりもしているが、それを全く意に介さずに泰然自若としている。

 一方の直江兼続も、その若さ故に侮る視線なども向けられてはいるものの、逆に羽柴軍の中核を成す諸将の見定めを行わん、とばかりに視線を返している。

 羽柴・毛利・上杉の将が居並ぶ中、誰も何も言葉を発しない時間が続く。

 表面上は飄々とした表情を浮かべていた恵瓊も、思わず一筋の汗が流れそうになる頃、上座のふすまが開いて秀吉が姿を表した。


「待たせたな皆の者! そして毛利家と上杉家からお越し下された御使者殿、ようこそ我が大坂城に参られた! 遠路はるばるのお越し、この羽柴筑前守心より歓迎いたしますぞ!」


 姿を表すなり、片手を挙げて気さくに語り出す秀吉に、諸将は一瞬あっけに取られたものの、慌てて平伏して秀吉が腰を下ろすのを待つ。

 すでに事前に挨拶は済ませていたものの、公式の場ではこれが初顔合わせとなる隆景と兼続は、揃って左右から秀吉に対して頭を垂れた。

 その場に秀吉が現れただけで空気が変わった。

 それまでの一触触発に近いピリピリとした、肌を刺すような空気から一転して、今度はどこか弛緩したような空気すら漂い始めた。

 実はこれも、秀吉なりの演出であった。


 かつては敵対していた両家、毛利や上杉と自らの旗下に入ったとは言え旧織田家臣の面々が、同じ部屋にいて何も思わぬはずがない。

 いきなり激昂して斬りかかる様な真似はせずとも、それでも空気は悪くなるだろう。

 その中で秀吉が、あえて気さくに飄々とした姿を表せば、それだけで場の空気は一気に変わるというものだ。

 小早川隆景や直江兼続に向けていた意識を、無理やり秀吉へと向けさせられ、まずは頭を垂れることに考えがいく。

 それでいい、そうすることでさも秀吉がそれだけの影響力を持つ者だと、この場に居る全員が勝手に思い込んでくれる事だろう。


 秀吉が座り「苦しぅない、面を上げよ」と言うと、全員の頭が一斉に上がる。

 するとそら見た事か、下座にいる者の何人かは、驚きを含んだ顔で秀吉を見ている。

 この者たちは完全に先程の空気の変化に呑まれていた。

 この驚愕が、やがて畏怖となり、そして秀吉への忠誠へと変わる。

 秀吉の仕込んだ、これもまた「人たらし」の術の一環である。


 チラリと左右に視線を向けると、小早川隆景は変わらぬ自然な無表情。

 その表情や眼を見ても、容易に感情を読み取らせてはくれなかった。

 一方の直江兼続は、爽やかに微笑を浮かべて秀吉を見ている。

 こちらはこちらで感情が読みにくい、好意的な解釈をしてくれているものだとは思うが、少なくとも秀吉の凄さを実感した、という訳ではなさそうだ。

 秀吉にとっても、これですぐに陥落とはいかぬだろうとは思っていたが、やはり手強い。


(さすがに毛利と上杉の実質舵取りを担っておる者たちよ、容易にゃ屈服せんか…)


 表面上はにこやかに、今日の良き日を祝うかのような顔をしている秀吉。

 だが内心では不敵な笑みを浮かべて、まあよいわ、と呟いた。

 そして側に控える小姓に、前久に入って来てもらう様に指示を出し、中座や下座にいる家臣たちと一人一人に視線を合わせ、笑顔を浮かべ続けている。

 今日の自分は機嫌が良いぞ、お主たちも御苦労であった、とその眼で語り、場の空気を和ませてゆく。

 そうしている内に、近衛前久が大広間へと入って来た。




 全ての準備は整った。

 無事にこの日を迎えられた事に、誰より安堵しているのは、もしかしたらこの男かもしれない。

 前関白・近衛前久。

 思えば、自分程ここまで波瀾万丈と言える人生を送ってきた公家が、今までいたのだろうかとすら思う。

 かの有名な藤原道長、彼でさえ権力を握り続けた実績とその功績においては高名な人物であっても、人生においての波の大きさでは負けない自信がある。


 わずか十九歳という若年で関白職を務め、その後は室町幕府の将軍職後継問題に首を突っ込んだがために、政争に敗れて京を追われた。

 さらにはそれに対抗するためもあって、石山本願寺と結んだり、越後の上杉謙信と誼を通じて越後下向、さらには関東にまで足を運んだ。

 その後は一転して信長と組み、様々なやり取りを交わす中で、信長の意を汲んで九州まで足を運んだことすらある。

 その過程で関白職を解かれ、その一方で太政大臣の地位も手に入れたりと、役職まで波瀾万丈だ。

 つくづく、浮き沈みの激しい人生だと思う。


 だが、いい加減自分もいよいよ五十路という年齢が見えてきている。

 いい加減ここらで、人生の浮き沈みに終止符を打っても良い頃のはずだ。

 二年前に大きく沈んだあの時、明智光秀に織田信長暗殺の実行犯を任せる事になってしまったあの時、あれよりまださらに沈む事が起きたら、今度こそ自分は浮かび上がっては来れない。

 失意と絶望の底無し沼へと沈み、たとえ命があっても生きた屍と何ら変わらない日々を送る事になるだろう。

 もうたくさんだ、こんな戦ばかりの世の中で、それを止めようともしない者たちに足を引っ張られるような事が、これ以上あってたまるものか。


 全ては今日決まる。

 信長が再び表舞台に立った時、軍事面においては家康が、実務面においては光秀が支える。

 そして政治面、対朝廷には前久自らが当たる。

 朝廷からすれば、裏切りにも見える行為かも知れないが、構うことはない。

 既にこちらはこの上ない裏切りにあったも同然なのだ、今更裏切り者呼ばわりされた所で、痛むような心情などとうに捨て去った。


 それにこちらには、なんといってもとてつもない切り札がある。

 朝廷主導による、信長暗殺計画の全貌を知っている、という切り札が。

 もし信長がその気なら、朝廷という機構そのものすら灰燼に帰するだろう。

 さすがにそこまでさせる気は無いが、その一歩手前、朝廷の内部浄化は行ってもらう。

 帝と皇族だけは手を出させるつもりは無いが、それ以外の邪魔になりそうな公家衆なら、後腐れなく一斉に粛清してもらっても構わない。


 己が受けた損害や屈辱は、何倍にもして返すのが信長という男だ。

 そんな男が、自らの家臣を唆されて自分の命を狙わせた、という話になって黙っている訳が無い。

 既に信長から明日以降の行動の草案までもらっている。

 必ずしも予定通りにいくとは思えないが、やるとなったら電光石火、信長は一ヶ月もかけぬ内に中国地方から東海まで、そのほとんどを勢力下に置くつもりだろう。

 毛利や上杉の対応によっては、その勢力圏は九州や関東、奥羽にすら及びかねない。


 自分は武士ではないというのに、その草案を読んだ時には思わず武者震いを起こしてしまった。

 だがこういう壮大な事をやってのけそうな、実現するための努力を惜しまず、明確な指標を指し示す所が、この男が織田家という巨大な勢力を作り上げた原動力だったのだろう。

 自分は帝という存在のためなら、朝廷の存続のためなら命を張ることも出来る。

 だがその気持ちとは別の、信長のために自分が出来る事があるのなら、なんとかして手を貸してやりたい、と思う気持ちが自分の中に芽生えている。

 全くもっておかしな事のはずなのに、それが何やら心地良く感じる。


「付いていきますえ信長はん。 この身は既に一蓮托生、全ては日ノ本のためや」


 誰にも聞こえぬように、そっと口の中だけで呟く前久。

 身支度を整えて、大坂城内に宛がわれた部屋を出る。

 秀吉や家康と対面する大広間の、上座から入室するためのふすまの前まで来て、前久は大きく深呼吸をした。

 入口のそばで控える小姓に視線を向けて、軽く頷いてみせる。

 小姓がそれを受けて室内に合図を送り、前久が入室する旨を報せる。


 前久が入室する宣言が部屋の外にまで聞こえ、小姓が音も無くふすまを開いて平伏する。

 「おおきに」と鷹揚に頷いて、前久は歩を進める。

 それまでの人生の中で、最も威風堂々とした雰囲気を纏った前久が、大広間へと入っていった。




 徳川家康たちは最後の入室である。

 これは、前久が先に上座に座っている事で、家康を秀吉と対等な位置に座らせない、そうするための策略であった。

 それなら秀吉も中座に座り、同盟を組む羽柴・徳川・毛利・上杉が並んで中座に座れば良いのでは、という意見も出そうなものだが、もちろんそんな事をする気は無い。

 あくまでこれは、和睦を行いつつもその後の同盟話で、羽柴が実質他の三家を従えるための策略であったため、徳川と羽柴が完全に対等で並び立っては意味が無いのである。

 そのため和睦の時点で、早くも徳川は羽柴の風下に立たされる、という事になる。


 戦では実質的に勝利を収めておいても、その後の和睦でその勝利を掠め取る、秀吉なりの高度な政治的駆け引きを用いた、外交的な勝利を目指したやり方であった。

 だが秀吉は知らない。

 いや、正確に言えばこの大坂城にいる者の大半が知らない。

 その策略すら何の意味も成さなくなるような事実が、この後で展開されるという事など、誰一人として予想してはいなかった。

 真実を知る者たちは、それを分かっていてその時が来るのを心待ちにしている。


 その真実を知る者たちが、今一塊となって大広間に続く控えの間へと入った。

 大広間へと入るのは、案内役を務める堀秀政を筆頭に、その後が徳川家康本人、そして家臣の代表として酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・石川数正の四名である。

 そこにさらに頭巾をして顔を隠した信長・蘭丸・長可・光秀が続く。

 目元以外を隠した、あからさまに怪しい頭巾を被った者が四人もいる、というその状況に当然疑惑の目は向いた。

 頭巾を取って名を名乗れ、と問い質そうとした者たちは当然いたが、それら全てを堀秀政が振り払った。


「責任はこの堀秀政が取る。 羽柴様から羽柴姓の名乗りすら許された某が責任を取る、と言ってもまだつまらぬ難癖を付けるというのなら、それ相応の覚悟を持って物を言え! 良いな!」


 若き頃は常に信長の側でその仕事を支え、長じてからは一軍の将として名を馳せた男の一喝である。

 当然その辺りの者たちに、それ以上何かを言う事など出来はしなかった。

 精々が「ははっ」と首を竦めて、道を開けるのが関の山であった。

 ここに堅物の石田三成でもいれば「いかに堀様と言えど、名も顔も明かさぬ方を殿の御前に連れてゆく訳にはいきませぬ」と、その身でもって立ちはだかったかも知れない。

 だが生憎、三成は徳川家一行の進む進路上にはおらず、この後に予定されている宴の際に出す料理の監督として、台所の方に向かっていた。


 かくして一行は大広間に続く、控えの間へと入った。

 家康や信長、そして光秀辺りは落ち着いてその時を待ってはいるが、徳川の重臣や蘭丸などは緊張に顔を強張らせていた。

 ただ一人、やたらと落ち着きなくそわそわとしているのが長可である。

 その性格上堅苦しい席が苦手なのもあるが、それ以上に自分が生きていたことを知った際の、諸将の驚きなどを想像すると、自然と笑みがこぼれてしまいそうになる。

 本当なら今すぐ頭巾を取って大広間にでも行きたくなってくるが、さすがにそれはまずいのでやらない程度にはちゃんと頭は働いている。


 しかしそこで長可は、自分もこれから生存していたという事を明かす、という意味では信長と同じようなものだと気付いた。

 「なるほど、上様も俺と同じ心境なのか」と勝手に一人で納得し、信長の方に視線を向けると、その信長は腕を組んで眼を閉じたまま、微動だにしない。

 そんな信長を見て、「さすがは上様、こんな状況でも落ち着いていらっしゃる」と勝手に畏怖の念を抱く長可であった。

 有り体に言えば信長にも長可と同じ心境もあるにはあるのだが、この後に起こるであろう騒動と、それを上手く纏め上げる方策が未だに決まっていなかった事で、頭を悩ませていた。

 考えても妙案が浮かばなかった信長は、結局「まあよいわ。 成るように成る、ここまで来たら是非もないわ」という、いわゆる出たトコ勝負の結論に落ち着いた。


 そうして控えの間に、家康へ入室を促す声が響く。

 家康と重臣四名、頭巾をした信長たち四名、そして先導案内役の堀秀政という合計十名が、互いに視線を交わして頷き合う。

 最後に家康がふすまに手をかける小姓に頷いて見せ、それを受けた小姓がふすまを音も無く開けていく。

 正面には羽柴秀吉と近衛前久が並んで上座に座り、その左右には合計合わせて三十名を超すだろうか。

 大勢の者たちの眼が、家康たち一行に突き刺さる。


 その視線を真正面から受け止め、家康は真っ直ぐに前を向いていた。

今までの書き方ではこうはいかなかった、とばかりに登場人物が一気に増えますので、もうその収拾だけで手一杯です。

思っていた以上に大人数の描写って大変ですね。

更新速度はなるべく落とさないように頑張るつもりではありますが、ここにきて一話一話が難産です、長い目で見守ってやって下さいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ