信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その11
信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その11
天下一の巨城、大坂城。
その名は現在「大阪城」と、読みは同じだが漢字が変わり、現代に至るまで何度も建て直しや改修が行われながらも、その威容を四百年以上もの長きに渡って保ち続けている。
潤沢な資金に物を言わせ、新時代の天下人を象徴するかのごとき、豪華絢爛にして勇壮無比、誰もが驚愕と感嘆の声を漏らさずにはいられない、それが大坂城という城であった。
城を守る堀・石垣に至るまでが巨大な城に合わせるかのように大きく作られ、かつて信長が攻めあぐねていた石山本願寺の跡地である、という認識すら強制的に過去の物へと塗り替える。
信長が十年以上の歳月をかけて、ようやく追い出した一向宗の本拠地・石山本願寺の跡地に、信長の天下布武の象徴・安土城を超える城を建てる。
これだけでも如何に秀吉が信長を意識し、それを越えようとしたかが分かるというものだ。
その大坂城には今、城主である秀吉の招いた客として、多くの貴人が来訪していた。
まずその筆頭が前関白・近衛前久である。
財力や兵力だけなら、すでに天下に秀吉を上回る存在は皆無だが、それだけで天下というものを治められるほど、世の中は単純ではなかった。
朝廷以外の存在が全国にその名を知らしめる権威として君臨するにも、やはり朝廷からの任官が必要なのだ。
それを実現させたのが、『征夷大将軍』という位を得て、鎌倉に幕府を開いた源頼朝である。
武家を頂点とする新たな政治機構を作り出し、朝廷からの任官を得たという存在であるにも拘らず、時として朝廷に並び立つほどの権威を有した存在、それが『幕府』であった。
その幕府の首魁となる『征夷大将軍』という職を、一族の者達が代々引き継ぐという形式を確立させた事で、扱いとしては朝廷からの『将軍宣下』を行い、新たな将軍として朝廷から任命された、という形は取るものの、実質的には朝廷に形だけの儀式を行わせるだけで、実権は幕府、そして将軍が握っている。
だがたとえ形だけの物であっても、朝廷からの公的な証明、というのは決して無視は出来ないものであった。
近衛前久に任せている案件は、現在秀吉が最も重要視しているものと言ってもいい。
最低限『従五位下』、この位を境にして、帝への拝謁が出来るかが決まる、いわば『公卿』に列せられるかどうかの分水嶺なのだ。
今の自分の財力や勢力圏の広さを鑑みれば、『無位』などというのはあり得ない話のはずだ。
急成長・急拡大したからこその弊害、などと言われる時期は既に過ぎた、と秀吉は思っている。
近衛前久という協力者を得た今、官位役職も一気に駆け上がって、そちらの方でも天下を獲ってやる。
だからこそ、今回の会談に至った際には盛大に宴を催し、その主賓には近衛前久を置く。
会談の提案者であると同時に、最も位の高い人間としてひたすらもてなす。
上機嫌のままに過ごしてもらい、今後はより一層朝廷工作に力を入れてもらう、というのが秀吉の狙いの一つでもある。
秀吉はその考えを証明するかのように、前久到着時には自ら城の大手門まで迎えに出向き、前久が望むがままに自ら城を案内して、最も豪勢な部屋を前久の寝所として用意した。
今回の会談にかかる費用は全額秀吉負担となるため、懐事情改善のために秀長には散々駆けずり回ってもらい、大分まとまった金の工面をしてもらえたために、当面の危機は去っている。
疲れ果てている秀長とは対照的に、秀吉は終始笑顔で前久をもてなし続けていた。
そして和睦の最終交渉・締結に訪れた徳川家康一行。
既に和睦条件に付いては双方でまとまっており、あとは互いに当主同士で顔を合わせて、和睦に応じたという証明を交わすだけである。
信長が織田家を率いていた頃に互いに顔を会わせる機会などもあったため、お互いにどういう人物かは分かっている。
敵として手強く、味方として心強く、一軍の将としての力は言うまでもない。
家臣にも粒よりの者が多く、味方として、配下として扱えるなら、実質毛利よりも頼りになる存在と言える。
さらに西国の雄・毛利家の交渉役として当主名代・小早川隆景一行。
彼は副使として外交僧・安国寺恵瓊を引き連れて、船で大坂を訪れていた。
秀吉も直接会うのは初めてだったが、既に二年近くも前になる本能寺の一件直前までは、直接対決まで秒読み段階、という所まで来ていた相手である。
秀吉からしてみれば、戦場で相対する事にならなくて内心ホッとした相手でもあり、隆景からしてみれば毛利家を窮地に追い込んだ仇敵とも言えた。
だがそんな感情をおくびにも出さず、始めて秀吉と対面した隆景は、恵瓊からの紹介の後はにこやかに挨拶を交わし、秀吉に対して何の迷いも無く頭を下げた。
「お会い出来ましたること、誠に光栄の至り。 毛利家家臣・小早川隆景にございます。 羽柴筑前守様とは先年来、お会いいたしたくて堪りませなんだ。 我が殿や兄にも良き土産が出来申した」
一気にそう言ってくる隆景に、秀吉は一瞬先手を打たれたかのように怯んだが、そこは「人たらし」の名を持つ秀吉であり、すぐさまにこやかに言葉を返した。
さらには自ら隆景に歩み寄り、平伏している手を取って握手までしてみせる。
こちらには一切の害意無く、そちらに対してここまで無防備で居られる、という証明である。
「これはこれは、こちらこそ音に聞こえた小早川殿とお会い出来るは重畳の至り。 遠い所をわざわざのお運び、感謝に絶えませぬ! どうぞごゆるりとお過ごし下され」
だが隆景もさる者である。
一瞬だけ驚いた様な顔はしたものの、秀吉自ら手を握って来たことに感激したように、柔らかく握り返す。
こちらも一切の害意無く、心から今回の会談を望んでいるのだ、という宣言にも等しい。
だがその後に隆景の発した言葉は、笑顔の秀吉の内心をヒヤリとさせる。
「なんのなんの。 船を使えば毛利領から大坂などは目と鼻の先も同然。 船の上で骨休めをしようと思うた矢先にはもう到着、という有様にございました」
すでに交渉という名の戦いは始まっていた。
秀吉が「遠い所」と言えば、隆景は「いざともなれば、そちらの本拠地強襲すら容易い」という意味にも取れる発言で返す。
手は強すぎず弱すぎずの力で握り、表情はあくまでにこやかに。
隆景よりも背の低い秀吉に合わせるかのように膝を曲げ、腰を落として秀吉と目線の高さまで合わせる細かさと、聞き流すことの出来ない一言を織り交ぜる凄味。
直接会う事で秀吉は、この小早川隆景という男も決して正面からは戦いたくない相手だ、と認識するに至った。
会談を行う前の、事前の面通しをしていく中で秀吉が最も困惑したのが、上杉からの使者である直江兼続だった。
主君である上杉景勝の名代であり、上杉家の内政を一手に取り仕切る執政という立場の兼続は、物腰が柔らかである以上に、深い知性を感じさせる眼をしていた。
その上初対面の秀吉に対し、主君である景勝様から此度の同盟の話、是非とも乗らせて頂きたいと仰せつかっております、という宣言までしてきたのだ。
詳しい話に関しては後ほど、という事にはなったがこれには秀吉も思わず胸を撫で下ろした。
予想外、という程ではないが上杉家はこちらの予想以上にこの話に乗り気であった。
逆を言えば、それだけ上杉家の内情は厳しいものとも取れる。
上杉家を取り巻く様々な外的状況、さらには懐具合も含めた内的状況。
それらはもしかすると、秀吉が想像していた以上に厳しいものなのかもしれない。
そうなると今回の大同盟の話に加えてしまっても良いものか、という考えが頭の中にもたげるが、向こうは既に乗り気であり、ここまで来てこちらから突っぱねるというのはあまりに失礼な話であり、場合によっては秀吉の評判は諸大名を通じて急落していく恐れもあった。
だがそこまで考えて、秀吉は先程の直江兼続の眼を思い出す。
「あの手の男は軽々しい発言をして、自らの窮地を悟らせるような者では無い…となると、先程の態度は苦境からの脱却を望んでのものではない? 近衛前久が絡んでおるから、いや先代はともかく当代の景勝とは親交は特にないはず。 となれば純粋に最初から同盟を結びたいと思っておった、か?」
直江兼続との会話を終えて、秀吉は兼続の態度の真意を探ろうとしていた。
腰が低く、秀吉を敬う気持ちを全身とその雰囲気から表していた兼続に、秀吉はどうしても裏がある様に思えてしまったのだ。
無論敬われる事に不快な気持ちは無いが、上杉家の名実共に副将と言える男から、お世辞だらけでへりくだる様なものでは無く、純粋に敬おうという気持ちを向けられると、秀吉も少しだけ訝しんだ。
なので兼続と昵懇の仲となっていた三成を呼び付け、兼続の先程の態度と普段の人となりを訪ねる事にした。
すると三成は「あの男は…」と、珍しく苦笑する様な顔をして秀吉に報告した。
「あの男は良くも悪くも純粋な男にございます。 百姓の倅として生を受けながら、一代でこの城を築くまでに至った殿を、心から敬っておるのでしょう。 あの男に限っては、心の裏を読む必要はございませぬ、早くも同盟参加の意思を示したは、あの男なりの上杉の総意を一刻も早く伝えたかったが故、と某は見ます」
三成に正面からそう言われると、秀吉も「ふむ、そうか…」と、頷くにとどめた。
そういう事であれば上杉に対し変な警戒心を抱くのは、却って双方に益の無い話と成りかねない、と秀吉は考えを改める事にした。
それにこの生真面目を形にしたような男である三成にこうまで言わせるとは、直江兼続も余程の生真面目者か、あるいはそう見せかけるだけの演技がよほど上手いのか。
まあ、変な勘繰りは止めておこう、上杉が同盟参加に協力的なら、あの小早川隆景を遣わしてきた毛利と言えど、悪手となる判断は出来なくなろう。
状況は着々と出来上がりつつある、と言えるだろう。
各地の武将、自分の勢力下にある諸大名も続々と大坂城へと到着しており、皆が口々に大坂城の完成を祝い、祝辞を述べては秀吉へのご機嫌伺いを行う。
さすがに十や二十ではない数の謁見を行うと、秀吉自身疲れも溜まって来るものではあるが、それでもやらない訳にもいかぬ、とばかりに連日挨拶を受け続けた。
大坂城内に用意された多くの客間も、すでに限界近くまで埋まっている。
なので諸将が連れてきた供の者たちの中で、比較的身分が低い者たちは大坂城の城下町に出来た旅籠に分散させて宿泊させるほど、この大坂城には多くの人間が集っていた。
大坂城完成前から、そこに巨大な城が出来ると分かっていた商人たちは、我先に良い場所を確保しようと様々な商店や旅籠などが乱立していたのだ。
今回ばかりはそれに助かった、と言わんばかりの人数が集まってしまったため、秀吉は本来の目的である会談を前に、既にぐったりとしていた。
近衛前久の提案もあって、出来る限り多くの人間に今回の大同盟を知らしめたい、という意向で集まれる者達は皆集めたが、いくらなんでも集まり過ぎだろう、という程にまで人数は膨れ上がっている。
そんな中でも一際人数の多い徳川家康一行は、その人数の多さもあって最も多くの部屋を用意されて寝泊りをしていた。
完全な和睦が結ばれるまでは、扱い的には停戦中とはいえ敵対勢力である羽柴と徳川である。
なので徳川の家臣団は重臣級の家臣を中心に、家康の側からは決して離れなかったのである。
秀吉も家康のその反応は当然だと考え、徳川家臣団にはある程度の行動の自由を約束しておいた。
無論立ち入られては困る場所についてはあらかじめ話しておいたし、向こうもこちらを刺激するつもりは無いので、立ち入る気は無いとハッキリ言っていた。
所詮は口約束とはいえ、向こうもこちらの本拠地でむざむざ敵対的な行動は取らないだろう。
家康とはそれで良かったのだが、未だ秀吉の勢力下には入っていない大名、九州や関東、奥羽の諸大名からの使者にまで挨拶に来られたのは閉口した。
ただでさえ忙しかった所に、畿内の情勢把握や大坂城の作り、さらには秀吉の人となりの観察のためか、これまで全く誼を通じていなかった相手からも、使者が献上品を持って挨拶に来たのである。
なんでこんな事になった、と秀吉が頬を引きつらせながら傍らにいる三成を見ると、三成も困惑を隠せない顔で、それでも何とか冷静さは取り繕いながら報告した。
「どうやら、近衛様が日ノ本全土の大名や有力豪族たちに文を送っていたようです。 あまりに次から次へと訪問してくる者が後を絶たないので、一人一人に訳を聞くと近衛卿からの文が届いた、と……その結果次の天下人である殿に一言ご挨拶を、と考える者たちが使者を寄越したものと」
近衛前久がいつの間にそんな事をやっていたのか、と問い詰めるのは無意味だろう。
新たな天下人が自分である、と宣伝してもらえるのは良い。
だがせめてこちらにも、そういう事は先に伝えておいてほしいものだ。
地域によって前久が出した文が届く日は異なり、そこからまた更に大坂まで使者がやって来る日もまちまちであったため、連日どこかからの使者が献上品を持って、次々と大坂城を訪れて来るという事態となっていたのだ。
その人数は日に日に増えており、しかもどうやら大勢力同士の同盟話まであるという話をどこかから聞き付け、せっかくだからその詳細を知ってから国許に帰りたい、という者たちが大坂城近辺の旅籠などに居座り、大坂は城の内外でかつてない騒々しさとなっている。
「もうええ、今後そういう者が来てもわしは会えぬと言うておけ! 明日には徳川と正式な和睦を結び、その後はいよいよ上杉や毛利も交えた同盟に向けた会談を始めるというに、そんな奴らにまでかかずらっておれるか! 来たら来たでお主が適当に応対しておけ! 機嫌さえ損ねなきゃそれでええ、良いな!」
言うだけ言って秀吉は大坂城内の寝所へと向かう。
連日に渡って多くの者たちとの話を続け、気疲れが溜まった秀吉は、明日に向けて早々に寝る事にした。
寝所に戻ると妻である寧々が「今日もお疲れ様でした」と、柔らかな笑顔で迎えた。
そんな妻に「おぉ……」という生返事を返して、秀吉は畳の上にそのまま大の字で寝転がってしまった。
すでに打ち掛けを手に持ち、秀吉の頭を自らの太腿に乗せて膝枕の体制になった寧々は、手に持った打ち掛けをそのまま秀吉の身体にかけてやった。
「もうすぐじゃぞ、寧々。 もうすぐこの天下がわしのものとなる、明日はその第一歩じゃ」
「お前さまの世にはならんでも、皆が戦をせん世になれば、私はそれでえぇがね」
心地良さそうに寧々の膝枕の上で呟く秀吉に、寧々は苦笑して返した。
そしてそんな寧々の言葉に、笑顔で「ふん」と鼻を鳴らして返した秀吉は、やはり疲れていたためかあっという間に寝息を立て始めた。
秀吉がどれだけ多くの女に手を出そうとも、怒りこそすれ決して見捨てはしなかった妻である寧々は、そんな秀吉の無防備な頬を軽くつねる。
だが全く起きる様子の無い秀吉に、寧々の顔に慈愛の笑みが浮かぶ。
まるで愛しい我が子を寝かし付けるように、寧々は打ち掛けの上から秀吉の身体を優しく叩く。
「お前さまがどこまで行こうと、何をしようと、私が付き添ぅてあげるでな。 無理だけはせんでちょーよ」
そして、ついにその日が訪れる。
普段と違う時間帯での更新となってしまいましたが、出来上がり次第という状況でしたのでタイミングが…
次回もなるべく早く更新したいと思います。




