表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長続生記  作者: TY1981
76/122

信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その10

8月中には巻の六を完結させようと思っていた当初の予定はどこへやら。

誤字脱字等ございましたら、ご指摘お願いいたします。

           信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その10




 家康自身を含む徳川の一行は、堀秀政自らの案内で佐和山城を発った。

 既に北陸の諸将や上杉からの使者である直江兼続なども、近江国を通り過ぎて、摂津国や山城国などに入っているはずだ。

 案内役の秀政自らが家康と馬を並べ、二人で歓談しながら道を進んでいく。

 列の最前列と最後列付近を固めるのは堀家の家臣団であり、列の中心は徳川の家臣団で形成して、何事も無く一行は山城国へと入った。

 無論、秀政とてただ家康と話していた訳ではない。


 信長が浜松城に現れてから、どういう事があって今まで過ごしてきたのかを、家康の口から詳細に聞いていたのだ。

 あの夜、一晩かかって信長と家康から聞かされた内容は、本能寺から逃げ延びた事とその直後は織田家臣団に対して不信感があった事、そして家康を頼って今まで雌伏の時を過ごしてきた事。

 さらに南蛮の脅威とデウスの教え、信長が考えていた日ノ本防衛構想の根幹。

 それらを秀政に話し、理解させるのに結局一晩かかってしまった。

 なので今家康と秀政が話している事は、信長関連の雑談、いわば世間話の類であった。


 だが秀政からしてみれば、およそ二年近くも顔を合わせていなかった主君との再会である。

 死んだと思っていた主君に再び拝謁し、この時までの間に何があったのかをなるべく聞いておきたい、というのは無理からぬ事でもあった。

 なので家康もその秀政の求められるがままに様々な事を話し、近衛前久の事も明かす事にした。

 秀吉が近衛前久と組んで、朝廷に対して色々と工作をしているのは、秀政の耳にも入っている。

 だがそれらも全て、こちらの思惑の通りに事が進んでいる証拠だと聞かされると、秀政は苦笑を浮かべて天を仰いだ。


「さすがは上様、そして徳川様。 私如きでは到底窺い知れぬ仕儀にて、少々目眩を起こし申した。 そこまで来ると、いっそ羽柴殿も哀れですな。 一足早く上様にお目通りが叶い、こうしてお話し頂けたは重畳の極み。 ならば尚のこと、上様の御期待に添えるべく尽力いたしますぞ!」


 目眩を起こした、と言っておきながらその眼には活力が漲っている。

 努力を怠らず、驕り高ぶらず、故に『名人』と言われるに至った男が、気概に満ちて拳を握り締める。

 これほどの男でさえも、織田家の中では家老格にすらなれていないと言うのだから、全くもって織田家の家臣団の層の厚さには恐れ入る、と家康は内心舌を巻いた。

 堀秀政は現在、三十路を過ぎた所であり男盛りと言える。

 織田家の旧家臣団の中でも、若手でもないが古株と言うほどの年齢ではない。


 だがだからこそ、これからの世代を担っていく貴重な人材と言える。

 この男ほどの才覚ならば、これから十年、二十年と立派な働きを見せてくれるだろう。

 『武』の方面においては森長可がおり、こちらもまだ三十路前ではあるが、父・森可成の死後に家督を継ぐ事になってから、既に十年以上が経過している。

 こちらも若手と言える年齢を脱してきており、一方で古株という年齢ではない。

 『智』の堀秀政と『武』の森長可という、共に信長を慕う次世代の人材が、既に信長の両脇を固めてきている。


 信長の事は、今後は蘭丸と光秀のみならず、その二人にも支えてもらえれば問題は無いだろう。

 あとは己のこと、家康自らが信長の後継として、それに足る器を見せねばならない。

 さもなくばせっかくの信長生存による、日ノ本の統一事業再開も、その後が続かなくなってしまう。

 大坂城での会見は、信長が表舞台に戻るための、大事な檜舞台となる。

 だがその後は、天下の重責を継ぐべきは徳川家康、という事になっているのだ。


「人生は、重き荷を背負いて、坂道を上るがごとし」


 自然と家康の口から、そんな言葉がこぼれ出た。

 歩めば歩むほど、自らの周りの安寧を願えば願うほど、その荷物の大きさは増してゆく。

 だがそれでも、立ち止まったり荷を降ろしたりする訳にはいかないのだ。

 己の目指す所と、自分のために命を賭けた家臣たちのために、家康は天下人への道を歩まねばならない。

 秀政の気概に触発されるように、家康も馬の手綱を握る手に、そっと力を込めていた。




 その日、まだ完成してから半年も経たぬ大坂城では、まさに戦場もかくやというほどの騒乱が巻き起こっていた。

 理由は至極単純である。

 東海をはじめとする五ヶ国の太守・徳川家康をはじめとする徳川家臣団が、百を超える大人数でこの大坂城へとやってくる。

 そのもてなしの準備だけでも大騒ぎとなる所に、北国の上杉と西国の毛利の、それぞれ当主名代となる重鎮まで時を同じくしてやって来るのだ。

 さらにトドメとして、京から前関白・近衛前久までがこの大坂城へと出向いてくる。


 調理場をはじめとする、各部署ではまさに『混乱』という言葉がこれほど似合う状況も無い程の騒乱振りであった。

 まだ武家のみの会合であれば良かったが、近衛前久まで来るという事もあって、京の公家のしきたりに沿った料理や器も用意しなければならないのでは、という意見が出て現場はより一層の混乱に陥った。

 ちなみに今回の会合に際し、その饗応役の総責任者には、秀吉の弟である秀長が任命された。

 当初は顔を引きつらせて難色を示していたが、秀吉から「わしの直臣と言える奴で、他に出来そうな奴がおらんのじゃ」と、拝み倒されて了解した。

 真面目な仕事ぶりの三成は上杉に、そつのない仕事が出来る秀政は徳川にそれぞれ応対したため、こういった方面の仕事も出来そうな人材が、秀吉の手元にはいなかった。


 かつての清州会議で饗応の差配を行った前田玄以などもいるにはいたが、彼は現在京から近衛前久を連れて、この大坂へ向かってきている所なのである。

 そういう意味でも、秀吉の身内でなおかつそれなりの地位にある者、そして細かな気配りが出来る者という事で、秀長以外に頼めそうな人材がいなかった。

 ようやく堺の商人たちとの話に決着を付けて、大坂へと戻って来てみれば休む間もなく、今度は各地の実力者の饗応総責任者という大役である。

 「休ませて下さい」と、秀長の眼が語っていたのだが秀吉はそれを黙殺した。

 結局毛利との話が終わって戻ってきた官兵衛も巻き込み、二人はロクに休む間もなく饗応の差配を行う事となった。




 一方、毛利からの使者として大坂へ向かっていた小早川隆景一行は、瀬戸内海を船で大坂まで向かうことにしていた。

 瀬戸内海の大半、特に西側は毛利が手中に収めており、その毛利の領海の先は、これから向かう羽柴家の領海内である。

 そのため陸路で向かうよりも早く、安全であるという理由から海路を選択した。

 瀬戸内を実質支配する海賊衆は、毛利家とは良くも悪くも関係が深い。

 ある時は敵、ある時は味方となる海賊衆だが、この時の海賊衆は比較的毛利に対して有効的な立場を取っており、隆景の乗船する船や護衛を用意し、大坂までの船旅の安全を保障した。


 なにしろ小早川隆景と言えば、現在の毛利家の中でも一際海賊衆との繋がりが深い。

 味方の時は隆景の指揮下で戦を行い、敵対した時は隆景自ら指揮する軍に打ち破られるなど、海賊衆からしてみれば頼りになる大将である一方、敵に回せばこれほど怖い男もいないのだ。

 なので少人数の隆景一行に、かつての恨みを晴らさんと襲撃を考える者もいたが、海賊衆の頭である村上武吉がそれを止めた。

 もし隆景を失えば確かに毛利にとってはとてつもない痛手となるが、それ以上に隆景を討った海賊衆を決して許しはしないだろう。

 元就の存命中から、海賊衆の手綱を任されていたのは隆景であり、その隆景を失ったとなれば海賊衆をそのままにしておく理由は無くなるのだ。


 そもそも海賊衆はその時々において、立場をコロコロと入れ替える。

 先日まで敵対して、互いに血を流していたというのに、あっさりと掌を返して味方として受け入れてくれ、と言ってくることも日常茶飯事だ。

 毛利家中からの不満もあるだろうに、それらを抑え込んで海賊衆を受け入れていたのも隆景であり、その隆景が海賊衆の手によって討たれれば、毛利家中の不満を抑え込める人物がいなくなる。

 そうなれば、あとは復讐心や敵愾心などに後押しされた毛利軍が、海賊衆を根絶やしにしかねない。

 海賊衆からしてみれば、小早川隆景という男は天敵であり目の上のこぶであると同時に、かけがえのない恩人であるとも言える。


 そのため村上武吉は、ここで小早川隆景を討つ様な真似をするより、自分たちを従えておく利点をしっかりと再認識させるべきと考えた。

 もちろん隆景とて、その辺りは充分に分かっている。

 敵対していた海賊衆が、あっさりと降伏して寝返ってくる事すら受け入れるのも、海賊衆を従えている事の利点を誰より理解しているからだ。

 なのでこの船旅の間は、彼らは決して隆景に対して自分たちの不利になるような事はしない。

 むしろ最上級の賓客を招いたように歓待し、少しでも自分たちの印象を良くしておこうと動くだろう。


 村上武吉という男は、そういう知恵を回す男だと隆景はしっかりと認識している。

 一方の武吉も、隆景はそこまで分かっているからこそ、大坂までの道程を船で行こうとしたのだと分かっている。

 海賊の頭領という地位にして、既に一国の大名に相応しい器を持っている男、それが村上武吉という男だ。

 互いが互いに、味方であれば心強く、敵であれば手強い、だからこそ信を置いて行動できる。

 表面上は和やかに話す二人だが、その腹の内の探り合いは常に行われている。


 あくまで世間話めいた互いの内情の探り合いも、どちらかがここらで止めておこう、と思うまで続く。

 外交僧として幾多の交渉をまとめ上げた安国寺恵瓊も、この二人の世間話には関わりたくない。

 戦場の交渉のようなピリピリとした空気が無いにも拘らず、いやだからこそ、和やかな空気のままで腹の探り合いを当然の如くこなすこの者達が、空恐ろしく感じるのだ。

 恵瓊が内心で顔をしかめている事も気にせず、隆景は今回の大坂行きの理由を語っていた。

 日ノ本の分割統治の話し合いに行く、という情報を事前に聞かされていたとはいえ、武吉は精悍さを引き立たせるあご髭を撫でながら口を開く。


「本当にそのような事が可能だとお考えで?」


「話を聞いてみる価値はある、と思うたから出向くまでよ。 まとまらねば今まで通り、上手くまとまったならば中央からこちらへ攻め込まれる心配は無くなる。 どちらにしろ、不利益はなかろう」


「……羽柴から攻め込まれねえ、ってことは四国と九州に仕掛ける訳ですな?」


「そうなろう。 我らが四国九州まで制したとあらば、そなたらもより手広く仕事が出来るであろう?」

 

 隆景はあえて尊大に物を言う。

 隆景と武吉は同い年であり、ただ海の生活が長い為か武吉の方が肌が浅黒く、髭も伸び放題でさらには老けて見えた。

 だが地位は隆景が上、武吉が下、というのが不文律である。

 隆景は海賊衆を毛利水軍として従える立場にあり、武吉も隆景の頭のキレと戦振りを大いに認めているため、隆景の下に付くことに不快感は無い。

 だがこの時の隆景は、毛利が四国も九州も取るつもりだ、とあえて話を大きくしておいた。


 もしここで「四国は羽柴、九州は毛利」という話までしてしまうと、毛利と羽柴の勢力に挟まれた瀬戸内の海賊衆は、自らの立場に危惧を抱くだろう。

 下手をすればそんな話をまとめさせる訳にはいかない、とこの場で隆景に反旗を翻す恐れすらある。

 そのため隆景は西国は毛利が頂く、と大きく出る事でその中の一勢力として、瀬戸内の海賊衆は力を保持できるという餌をぶら下げた。

 そのため隆景の言葉を聞いて、武吉も満更ではない顔をして頷いた。


「毛利が筑前や豊後まで手に入れてくれりゃあ、わしらは大助かりじゃ。 博多から瀬戸内、堺までの海が手に入れば、わしらが海の天下を握ったも同然じゃからの。 此度の大坂行き、ぜひとも成功させて下されよ?」


 利に目ざとい海賊衆、その頭領たる村上武吉が損得勘定に鈍い訳が無い。

 大陸との国際貿易に沸く博多を要する筑前国、さらに防府国・伊予国と三角形で結ばれる、豊後国。

 ここは大友家の本拠でもあるが、実はこの三角形の地域は日本海と太平洋、そして瀬戸内海の三つの海が交わる海域でもある。

 この海域は潮の流れも特殊で、そのためか海産物も豊富であり、現在も豊後水道という名前で漁獲された魚には付加価値が付くほどの場所でもある。

 そして博多からの商船が必ず通る場所でもあるため、ここを手中に収める事で、西国から始まる物流の根っこを抑えられる、そんな莫大な利益を生むことが分かっている海域でもある。


 毛利がもし九州全土とまではいかなくとも、九州の北半分でも治めてくれたらこの海域は実質毛利の領海という事にもなる。

 その海域を毛利公認の海賊衆が支配することが出来れば、と考えると武吉の頬が自然と緩む。

 隆景には精々貸しを作っておかねば、と武吉が考えるのも当然と言えた。

 こうして隆景は武吉が直々に指揮する海賊衆によって、安全かつ迅速に大坂城近くの港へと送り届けられた。

 いよいよ、その日が迫る。

今週中に、せめてもう1話更新したい所です。

書く内容は頭で決まっているのに、何故か上手く文章にまとまらない。

まとまり次第、形にして投稿いたしますのでもうしばらくお待ち下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ