信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その9
なんとか今までのペースより一日遅れ程度で済みました。
大事な所だというのに、なんとも拙い進行で申し訳ありません。
信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その9
堀秀政の居城・佐和山城では、家康を歓待する宴が開かれていた。
主賓である家康は秀政自身がもてなし、家康が連れてきた家臣たちも数が多いため、その格に応じたそれぞれの部屋でもって分散して宴を行っていた。
徳川の家臣団は主君である家康と別々の部屋に通される事に不審を抱き、あわや口論となりかけた。
つい先年まで敵対していた相手の城で、主君と離れ離れにされ、なおかつ分散させられる。
その事に危惧を覚えるのは、この時代の武士として至極当然の考えであった。
だがそれを家康自身が諌め、「天下の名人である堀殿に対し失礼であろう!」と、一喝したため家臣は皆揃って頭を垂れ、堀家の家臣に案内されるがままにそれぞれの部屋へ通された。
その家康の言葉に感じ入った秀政は、歓待する家臣には寸鉄すら帯びる事を禁じた。
一切の武器を持たず、ただひたすらに客をもてなすようにと厳命したのだ。
元々堀秀政は家康に対する悪感情は無く、むしろ長年織田家の同盟者として尽くしてくれた事に恩義すら感じており、害意は一切無かった。
なので秀吉から家康の監視用に使わされた忍びや、ここまでの案内役にすら「天下の律義者である徳川殿に無礼である」と、家臣たちに命じてその一切を下がらせた。
こうして、家康と数名の重臣は秀政自身がもてなす事となった。
城の中でも最も格の高い部屋を提供し、そこで今朝琵琶湖で採れた魚や、京や堺から仕入れてきた様々な品でもって歓待した。
その辺りのそつのなさは、いかにも『名人』堀秀政の面目躍如である。
だがそれでも、眼の奥に潜む虚ろな色合いは消えてはいない。
ただ目の前の、自らがやるべき事をこなすことで、己の内にある空虚さを忘れようとしているのだ、と信長は見抜いていた。
なので家康と同室の、酒井忠次や本多忠勝、榊原康政や石川数正らと共に秀政の歓待を受けていた信長は、密かに家康に合図を送った。
城に入城してから、蘭丸を通じて家康には秀政と話す機会を作るように話を通してある。
ちなみに今の信長は僧の姿をしており、さしもの秀政でさえ知らぬであろう駿河のとある寺の僧「天海」を名乗り、最近は家康に仏の教えを説いている、という事で同行させたと嘘をついていた。
「いくらなんでも無理があるのでは?」と、光秀も蘭丸もあまり良い顔はしなかったが、浜松から家康に同行してきたフクロウには、しっかりと衣装や袈裟まで持って来させていたのだ。
「神も仏も信じぬ、と公言しておった者が僧に化けるとは思うまい?」と、悪戯を楽しむ悪ガキの様な顔で笑う信長に、本当に仏罰が下るかもしれない、と蘭丸と光秀は内心で気が気ではなかった。
さらに、浜松を出立直前に顔に大きな傷を負ってしまった、とまたも嘘の理由をでっち上げてはここまでの間はずっと顔には包帯を巻き付けてあった。
無論そんな真似をすれば、たとえ100人からなる徳川の家臣団の中でも人目を引く。
特に秀吉から付けられた案内役の目にはしっかりと確認される所ではあるが、その時には信長の代わりとなっていた人物には一切の言葉をしゃべらせなかった。
さらに家康が「顔の傷が痛んでロクに話せもしないので、勘弁してやって欲しい」と口裏を合わさせたことで、顔を検められる心配も無かった。
そして美濃国で入れ替わった後は、大分怪我が治ってきた、として顔の包帯を少なめにしながら、その一方で自らが目立つ事で蘭丸や光秀への印象を極力薄めさせる、という狙いも同時に行う念の入れようだった。
どうしてこういう状況でそういう方面ばかり、自分一人で考えてしかも実行に移すのかと頭の痛くなる蘭丸と光秀ではあったが、それらを聞かされた時の長可は笑いを堪えるのに必死であった。
フクロウも薄々信長の考えが理解出来てきたせいか、言われた通りの事をこなし、信長が本当に計画通りにやってのけた時には、安心感と言い知れぬ脱力感を感じる羽目となった。
『信長の考えに染まってきた』という自覚が出てしまった分、なんとも複雑な感情に翻弄される事になったフクロウであった。
そして今、入念に準備された信長の悪戯が、この場にて発揮されようとしていた。
家康は先程の信長の合図に気付き、さも思い出したように秀政に話を振った。
「そういえば、堀殿は写経は嗜まれるかな?」
「写経、でございますか……いえ、私はあまり…」
突然振られた話題に、秀政は正直に答えた。
すると家康はその場で筆を持つしぐさをして、まるでその場で写経を行うかのように手を動かした。
「あれはなかなか良いものですぞ。 写経を行う事で考えを整理し、心を落ち着け、目の前の物事に集中できる。 近頃は殊更、写経を行う時間が増えましてな」
「なるほど……さればいつかご指南頂けましょうや?」
「いつか、などとは言わずに今この場でお教え致そう。 ちょうどそこに我が写経の師、天海和尚もおられるでな。 直々に手ほどきを受けられよ。 ああ、すまぬが紙と筆を頼めるかの?」
家康はさも当然のごとくそのままその場で写経を始めようとする。
部屋の隅で控えていた秀政の小姓も、突然家康から言い付けられた命令に、戸惑いながら秀政を見る。
秀政もなぜこのような事になったのか、を今一つ理解は出来なかったが、これも宴の座興の一つ、と割り切って用意するよう命じた。
すると今度は、その場にいた家臣たちの間からなんとも言えない声が上がった。
他でもない、徳川の武勇第一の誉れ高い、本多平八郎忠勝からだった。
「殿はまた写経にござるか。 アレは某にはどうにも眠くなって堪りませぬな。 せっかく堀殿がおられるのだ、先の戦の検討会でも致しとう存ずるが」
忠勝はそう言って獰猛な笑みを浮かべた。
先の戦では忠勝と秀政は戦場で相対し、秀政は忠勝に一方的にしてやられていた。
その忠勝から挑発的な物言いをされて、秀政が何かを言う前に、家康の大声が部屋に響き渡った。
「たわけ者ッ! 戦はすでに終わっておるのだ! それを今この場で蒸し返そうなどと、無粋にも程があろう! 控えよ忠勝ッ!」
家康が先に怒ってしまったため、秀政は何も言う事が出来なかった。
さらに忠勝の隣に座っていた榊原康政が「呑み過ぎだ、もう寝ろ」と言いながら立ち上がり、無理やり忠勝の腕を取って立ち上がらせた。
「なんのこれしき、某はまだまだ酔ってはおらぬわ」
「酔った上での言葉ではないのならよりタチが悪いわ! 殿、我らはこやつを寝床に縛り付けまする故、どうかごゆるりと」
「堀殿、彼の者は酒が入ると少々言葉が荒れ申す。 ご気分を害されましたこと、平にご容赦を」
忠勝が足元を少しふらつかせながら強がりを口にし、その両肩を酒井忠次と榊原康政が担ぐようにして、部屋の外へと退出していく。
石川数正が堀秀政に向かって平伏し、その後で三人の後を追って部屋を出ていった。
入れ替わりに先程の小姓が紙や筆、硯や墨などの一式を持って現れた。
家康がそれを受け取って礼を言い、「天海」と紹介された信長に手招きをする。
さらに、家康は部屋の隅に座り直した小姓に、先程の忠勝たちへの伝言を頼んだ。
明日の朝一番に、秀政には無礼な発言をしたことを謝するように、と忠勝に伝えるよう頼んだ。
言われて小姓は再び部屋から出ていき、部屋の中には家康、秀政、そして「天海」という僧の姿を取る信長の三人が残された。
「では天下の『名人』堀久には、特別に我が面相をお見せしよう」
上座に座る家康、その横にいた秀政のほど近くまで歩み寄って、「天海」は顔の包帯を解いていく。
突然顔の包帯を解きはじめ、さらには「堀久」などと言われた秀政が、あっけに取られたわずかな時間の隙を突き、信長は完全にその顔を晒した。
秀政はその顔をまじまじと見て、大きく目を見開き、口が半開きになったままで息を飲んだ。
驚きのあまりそれ以外の反応が出来なかった。
その様を横から見ていた家康が、「なるほど、これは確かに面白いかもしれぬ」と、底意地の悪い考えを芽生えさせていた。
「うえ、さ、ま……? いや、しかしそんな……本能寺で上様は、帰らぬ御人に…」
「勝蔵よりも頭が良い分、色々考え過ぎておるのだろうが正真正銘わしであるぞ、堀久。 信じられぬとあらば、お主が小姓を務めておった時に犯したわずかな失態まで、指折り数えて思い出させてやっても良いが、どうする?」
かすれた声で何とか言葉を発する秀政に、信長は人の悪い笑みを浮かべたまま、そんな言葉を言い放った。
すると、秀政は突然立ち上がって上座から駆け降り、ぐるりと信長の周りで半円を描くような位置で座り直し、その場に平伏した。
どうやら、信長を差し置いて上座に座るどころか、信長をより上座に近い位置に座らせておくことを目的とした動きのようだ。
「上様御帰還の儀、祝着至極に存じ奉りまする。 叶わぬと思っていた再びの御拝顔の、栄に、浴し……この堀久太郎、秀政……天にも、昇る気持ちに…御座いまするッ」
平伏しながら、堪え切れずに涙を流し始める秀政。
言葉を詰まらせながら、時折鼻をすする音まで聞こえる。
そんな秀政を見ながら、家康は写経するための道具を持って上座を降りる。
そしてそれを秀政の前に置いて、道具の横に腰を下ろす。
一方の信長は小姓が返ってこない内にと、改めて包帯を巻き直す。
「さて、秀政。 お主には話せねばならぬ事が多々あるが、まずは人払いじゃ」
「…御意ッ!」
言われた秀政はすぐさま懐紙で涙を拭いて、鼻をかみ、部屋の外に控える者たちに命令を出すため、自らふすまを開けた。
部屋の外の者達も、中での話は聞こえてはいなかったのか、突然姿を表した秀政に驚きながら平伏する。
「写経に集中致す故、朝まで誰もこの部屋に近づけるな。 足音も気に障る、こちらから呼びに行くまで火急の用以外は決して誰も近づけること罷りならぬ、良いな!」
「ははぁッ!」
言うだけ言って、すぐさまふすまを閉じる。
残された者達も返事をしてすぐさま立ち上がり、その場から遠ざかる。
そうしてほぼ完全に外の目と耳を気にする必要が無くなり、信長は再び包帯を解いた。
「これはずっと巻いていると蒸れて不快よな。 他の方法は無いものか」
「今少しの辛抱にござる、ここまでの日々にくらぶれば、あっという間にその日は来ますぞ」
「ふん、であるか」
秀政が再び平伏し、信長は当然のごとく上座に座り直す。
家康は中座の中でも上座のすぐ近くで、秀政から見ると信長の左側に横向きに座った。
信長が「面を上げて近う寄れ、まだ内密の話故な」と言うと、秀政は家康のすぐ目の前の位置にまでにじり寄り、再び平伏する。
そして再び面を上げて、秀政は信長を真っ直ぐに見る。
その眼には先程の涙で洗い流されたのか、虚ろな色合いはどこにも無くなっていた。
明けて次の日の朝から、堀秀政は家臣達に徳川方との一切の揉め事を禁ずる事を重ねて厳命した。
そして徳川方の一行をしばらく佐和山城に逗留させ、石田三成が連れてくる上杉家執政・直江兼続をはじめ、北陸の佐々成政や前田利家といった面々の佐和山通過を待って、大坂へと出発する事を決めた。
これは、大坂城に早くに入城したがために、城内の至る所に張り巡らされている秀吉の目と耳によって、信長の生存を事前に知られるのを防ぐためであった。
さらに黒田官兵衛もどうやら大坂に戻ってきたようではあるが、未だ毛利からの使者は到着していないらしい。
家康や信長の理想の形としては、上杉と毛利の代表もいる目の前で、大坂城で徳川と羽柴の和睦締結の瞬間を迎えたいと思っている。
そしてその際に、徳川・羽柴・上杉・毛利の四家の代表、もしくは名代の出揃う中で、信長生存を明らかにし、天下をまとめた防衛構想を語るつもりである。
日ノ本の分割統治のための話し合い、などというものは言ってしまえば本当の目的を隠すための偽装に過ぎない。
元々は光秀の発案であり、本能寺の一件の直後の時点では目標とした思想ではあるが、前関白・近衛前久が提案した、という形を取ればそれらも全て覆い隠せる。
上杉家は実務の最高責任者である執政・直江兼続が直々に出向くという事から見て、偽装された提案を頭から信じて、その提案にも前向きな姿勢でいるのだろう。
現時点ではまだ不明なのが毛利家ではあるが、その毛利家も近々結論を出して何かしらの反応を示すはずである。
信長の生存に涙し、以前と変わらぬ忠誠を誓った秀政は、秀吉への報告の改竄や情報の横流しなど、自ら協力的な提案を出してきた。
やはり堀秀政をこちらの陣営に丸め込んで正解であった、と信長は上機嫌に頷いた。
秀吉も確かに秀政を高く評価し、一門に準ずる扱い、と言ってもいい程の厚遇を示している。
だが人の心は移ろうものであり、場合によっては秀政の様に織田家の家臣であった者となると、今後の羽柴家の拡大の仕方によっては、無残な最期を迎える可能性すらある。
秀政の内にある、秀吉への恩も義理も、信長へのそれを上回るものではない。
なので秀政は、大坂で家康を待っている秀吉には書状を送り、家康が少々体調を崩してしまったので佐和山で療養してもらう、と嘘の報告を上げておいた。
無論秀吉からの監視役たちにも手を回しておく。
家康が本当に体調を崩したように演技をして、その報告を秀吉に上げてもらうため、と称して大坂へ向かわせ、秀吉の監視の目を無くさせた。
城内に忍び込んで来たであろう秀吉配下の忍びには、徳川の家臣に紛れた伊賀や甲賀の腕利きに始末させ、一切の情報の漏洩を防ぐことに細心の注意を払った。
その辺りは信長や家康と話し合った夜に決めてあったため、秀政は水を得た魚のようにテキパキと仕事をこなしていった。
そのあまりのそつのなさに、元から有能だという事は理解していたが、思っていた以上と手放しで褒める家康に、秀政は先日とは全く違う眼をして言い返した。
「上様の天下布武の続きを見れる、それだけでも生き抜く気概が湧いて来まする」
眼を爛々と輝かせながらそう言ってくる秀政に、先の戦で秀政がこの状態でなくて良かった、と内心で息を吐いている家康であった。
そしてその戦で相対した忠勝は、昨夜の無礼を詫びて、丁寧に頭を下げた。
だがそれも、信長の生存を明かすための芝居であったことを知った秀政に、逆に深々と頭を下げられるという一幕もあった。
かくして数日を何事も無く過ごし、その一方で京や大坂からの情報収集を続けていた秀政の耳に、ようやく待ち望んでいた報告が入った。
毛利家もこの度の話し合いのために、当主名代として毛利輝元の叔父・小早川隆景が大坂城に出向いてくる、というのだ。
「事は順調に運んでおりまする」
「であるか。 北の奴らは?」
秀政が直接信長に報告に上がり、信長はその報告を受けて他の方面を問い質した。
秀政はこういったやり取りに、言い知れぬ懐かしさを感じた。
こちらが一つの事を報告すれば、今度は別の案件の方はどうなった、と聞き返されるのだ。
こういう時は己の予想や、焦って嘘の報告などは絶対にしてはならない。
ただ己の分かる範囲、知っている範囲だけで報告すれば良い。
「昨日、石田三成と直江兼続が領内を通過。 それを追いかける形で佐々殿が本日の夕刻にもこちらへ。 前田殿も既に近江国内には入っているとの事。 それらをやり過ごした頃には、毛利方の小早川隆景も大坂に近づいておる事でしょう」
秀政の報告に、信長は大きく頷いた後に少しだけ考える素振りを見せる。
「又左や内蔵助にも会ってやるか?」
そう言って、信長は部屋の隅で控える光秀・蘭丸・長可に視線を向けた。
秀政に話をした翌日、またも写経に耽ると言って部屋に籠った秀政は、そこで改めて生きていた光秀・蘭丸・長可らとも顔を会わせた。
蘭丸の時は信長生存を先に知っていたためかあまり驚かず、長可の時には「そう簡単に死ぬる様な男ではないと思っておった」と素直に喜んだ。
だが光秀の顔を見た瞬間、それまで長可と和やかに話していた秀政の顔が凍り付き、その右手が自然と腰の刀に伸びそうな所を信長に止められる、という事態になった。
事情を話し、全てを理解した上で秀政は納得したが、それでも光秀に対して「ご貴殿が何をなされたかはご自身が一番ご存知であるはず、そして上様がお許しになられたのならば、某は何も言わぬ」と、光秀の眼を真っ直ぐに睨みながら言い放った。
全ては自らの不徳の致すところ、と光秀はあらゆる怒りも恨みも全てを己で受け止める覚悟で、信長に同行している。
秀政のこの物言いも、信長に対する忠誠心の現れであるとも言えたため、むしろ光秀にはある種の救いとも思えていた。
これでむしろ光秀を非難する事が無い者の方が、光秀にとっては逆に信が置けぬ者と思えた。
何はともあれ、信長の利家や成政にも会ってやるか、という問いに対しては秀政を含めた織田家臣四人が揃って渋面を浮かべながら、首を傾げる事となっていた。
出来る事ならば、秘密を知る人間は少ない方が良いという考えだったからだ。
「お主らの顔を見る限りは止めておけ、という所か。 まあ良いわ、楽しみは後に取って置くとしよう」
そう言い放った信長は、悪戯っ子の様な眼の輝きには似つかわしくない、獰猛な獣のような笑みを浮かべていた。
という訳で、堀秀政もめでたくこちら側となりました。
まだまだこれからの所ではありますが、今回はこの辺りで。
次回以降の更新ペースは変わらず不定期なままではありますが、極力お待たせしない方向で頑張っていきます。
今後も拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。




