信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その8
つい先程書き終えたばかりなので、もしかしたら自己編集が充分じゃない可能性もあります。
誤字脱字などがございましたら、どうぞ遠慮なくご指摘下さいませ。
しかも今回は過去最長の文章量となっております。
ついにストックも切れたというのに、なぜ分割しなかったのかと書き上げてから後悔しました(汗)。
信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その8
西国最大の大国である毛利家は、実質三人の男によって運営されている。
その内の一人は当然のことながら現当主・毛利輝元。
中国地方の覇者として名を馳せ、毛利家中興の祖として今なお崇められる毛利元就の嫡孫である。
毛利元就の嫡子・毛利隆元はすでに世を去り、しかもその死因は暗殺であったと言われるほど早かった死であったため、輝元は十代の内に家督を継ぐ事となった。
期待していた嫡子・隆元が亡くなってしまったため、隠居していた元就は輝元の成長までの間、当主後見として再び毛利家を率いる事となった。
結果として元就は死ぬ直前まで毛利家の隆盛に身を捧げ、およそ七十四年の生涯に幕を閉じた。
初陣の時は既に二十歳を超えていたとも言われ、この時代の武将としてはかなり遅い初陣であったが、それからおよそ五十年ほどの間に、二百を超える戦を経験している。
これは数ある戦国武将の中でも際立った多さであり、いかに元就が多くの戦を経験し自らの糧とする一方で、その都度生き延びてきたかを表す話でもある。
生涯二百を超える戦を経験しておきながら、その最後は居城で子や孫に囲まれながら病で息を引き取った、という部分だけを聞いても、毛利元就という武将がどれほど優れた武将か分かるというものだ。
結局人間で彼を討ち取れる者はおらず、最後は老齢という誰もが避けられない体力の衰えと、病魔によってでしか元就を殺せなかったのだ。
元就の死後、家督は予定通りに輝元が引き継ぎ、毛利家は新たな体制で戦国の世に生き残りを賭けた戦いを挑む事となった。
しかし一代で隆盛した家は、その要因と成り得る人物がいなくなれば、自然と縮小・衰退・滅亡してゆくのが世の常である。
だがこの毛利家という家は、中興の祖・元就とその嫡男・隆元を失ってなお、その勢力を衰えさせることは無かった。
それというのも、当主・輝元の二人の叔父であり、毛利家の頂点に君臨する残り二人、毛利元就の次男・吉川元春と三男・小早川隆景の存在が極めて大きい。
中国地方に覇を唱えた男の息子は、同じく中国地方に名を轟かせる猛将と智将であった。
父の命に従って他家へと養子に入り、その家を掌握した二人は本家である毛利家の矛となり、盾となって戦った。
その二つの家はいつしか『毛利両川』と謳われ、元就亡き後も毛利を大国たらしめた。
だがその毛利家も、織田家の中国方面軍・羽柴秀吉の指揮する軍勢によって、一度は窮地に立たされかけた。
中国地方ほぼ全土をその勢力下としていた毛利家だったが、羽柴と停戦・和睦を済ませた後は、その勢力圏の半分近くを失う羽目となっていた。
羽柴勢に対抗するため、主力をそちらに傾け過ぎたために、四国や九州などの領地を諦めざるを得ない事態となっていたため、羽柴軍によって直接奪われた土地のみならず、別の方面にまで間接的にその損害は及んだのだ。
だがそれも、すでに過去の話となっている。
羽柴の脅威が去り、さらには騙されて和睦させられてしまったとはいえ、あの織田信長が死んだとなれば羽柴秀吉もこちらに無理して戦を仕掛けてくることもあるまい。
そうして東からの脅威を一旦無くす事になった毛利家は、再び四国・九州への派兵を行った。
瀬戸内海の完全支配と、四国をほぼ牛耳る長宗我部との決戦。
九州では南から勢力を伸ばしてくる島津を注視しつつ、目の前の大友をどう打ち破るか。
そんな折に、毛利家に羽柴秀吉からの書状が届けられた。
先駆けて届けられた書状の内容を見て、無視をする訳にもいかなかった輝元は、外交僧・安国寺恵瓊を向かわせた。
そして羽柴方からの使者、黒田官兵衛との会見を行って戻ってきた恵瓊は、難しそうな顔をしたままで毛利家の三巨頭の前に平伏する。
上座の中央にどっかと座る、ようやく男盛りを迎えてきた当主・輝元。
そして一段下がった中座の左右、吉川元春と小早川隆景が、ただそこにいるだけで放たれる存在感を隠そうともせず、恵瓊を黙って見据えていた。
安国寺恵瓊は、かつて毛利元就に滅ぼされた安芸武田家の末裔であり、その血筋に誇りを持っている。
だが元就と初めて相対した時に、元就の放つ圧倒的な威圧感に恐怖を感じ、その胸にあった復讐心を一時失わせた。
そしてその元就が遺した二人の男、吉川元春と小早川隆景は恵瓊の素性を知っている。
没してもなお崇められる元就が、直々に召し抱えたが為に二人は恵瓊を追放しようとはしないが、それでも毛利家に明確な害意があれば話は別だ。
元就をして自分以上と言わしめた元春の武勇と、隆景の知略を以て二人は恵瓊を抹殺するだろう。
恵瓊は自らの内に流れる血から「復讐せよ」と囁かれ続けながら、今なお元就とその息子たちの力に怯え、毛利家のために働くことを余儀なくされている。
恵瓊は知らない事ではあるが、元就は死の直前に元春と隆景にある遺言を残していた。
互いの共通の敵がいなくなれば、やがてはお互いに敵意が向いてしまうから、それを避けるためにあえてお前たちには敵を残す。
そう言われた二人は互いに顔を見合わせ、どういう事かと病床の元就に問い質した。
内心の復讐心を必死に抑え込みながらも、いつかはそれが牙となって現れるであろう安国寺恵瓊と言う存在を、元就はあえて息子と孫に将来の禍根として残した。
毛利家の存続・繁栄を望む者などこの天下に誰一人いない、その心構えでもって元就は常に油断なく他者の思考を読み取り、その上で行動を起こすべきかを決めた。
こちらが嫌がる事は何だ、手痛い損害を負うとしたらどこだ、誰を調略されたらこちらにとって致命的か、常にそれらに思考の網を巡らせ続ける、それが毛利元就の真髄であり恐ろしさであった。
そんな男が自分の亡き後を、未だ若年の孫である当主と、二人の有能な息子に任せなければならない。
そう考えていた元就は一人の逸材を見付けた。
名を安国寺恵瓊、自らの手で安芸国統一の過程で滅ぼした、安芸武田家の生き残りであった。
僧であるならば無闇に殺すことは出来ない、そして会ってみて分かったがそれなりに有能だ。
眼の奥には復讐心からくる憎悪、そして恐怖感からくる怯え。
それらを見て取った元就は一人、内心でほくそ笑んでいた。
そこでこの男は使えると判断し、『外交』という極めて重要な分野を任せるという、家臣や息子たちにとってもあまりに予想外の決断を下した。
僧であるならば外交の使者として敵へ赴いても殺されはしない、そしてなかなか学もあって頭の回転も悪くなく、自分への恐怖心がしっかりと刻み込まれている。
自分が生きている内はしっかりと使い倒して、自分が亡くなった後は『獅子身中の虫』として、毛利家の裏の柱石を担ってもらうとしよう。
もちろん、その内心の狙いはギリギリまで明かさなかった。
死の直前に元春と隆景にのみ明かし、自分たちが毛利家を乗っ取ろうなどという野心に突き動かされれば、安国寺恵瓊はその状況を利用して獅子をその内部から食い破るぞ、という脅しをかけておいたのだ。
中国地方にすでにその名を轟かしていた猛将と智将が、揃って唾を飲み込んだ。
既に息も絶え絶え、顔色は死人の一歩手前、元春の腕力なら拳の一発でその息の根も止められるであろう老人に、二人は心から恐れを抱いた。
安国寺恵瓊という、毛利家の中にあえて毒と成り得る人材を囲う事で、一族の一致団結を促すというやり方に、二人の名将が慄いたのである。
だがそれと同時に、その存在は楔として自らを律するための、一つの指標とも成り得る。
兄弟はそれをしっかりと理解した上で、あえて元就に問いを重ねた。
今後、恵瓊がその立場を利用して毛利家に害をなす存在となった場合は、始末しても良いかという確認である。
その問いに対しても、元就はしっかりと答えを用意していた。
「無論好きにしてよい。 必要とあらばわしの名も貶めて構わん、その時の毛利家にとって最も益のある方法を選んで処理せよ。 当主の名に傷を付けたり、家臣が不満を持たぬ方法を考え出すように」
病に伏してなお、死に瀕してなお、元就の思考に衰えはない。
息も絶え絶えにそう語り尽くした元就は、苦しそうに咳込んだ。
その様だけを見れば、病によって蝕まれた余命幾許もない老人にしか見えない。
なのにその実の息子二人でさえ、この状態の父と知恵比べをしても、勝てる自信が無かった。
そんな二人の心中をまるで読み取ったかのように、元就は二人に対して告げた。
「驕らず学べ、鍛えて進め、支えて歩め。 お主らがいるからこそ、わしは安心して死ねる。 元春も隆景もいつかはわしを超える日が来よう、己が才を磨いて輝元を支えてやれ」
そう言い切って、元就はそっと目を閉じた。
その様を見て、元春と隆景は静かに厳かに頭を下げた。
元就の床の傍らでじっと病状を見守っていた医師が、元就の手を取って脈を診る。
元春と隆景は頭を下げたまま、医師が軽く首を横に振る動作をしても、何の反応も示さなかった。
二人には先程までの元就の言葉が、遺言であると即座に理解出来たからだ。
ならばその息子である自分たちは、その遺訓を守るべくして動くのみ。
安国寺恵瓊登用の真の狙いと、毛利家繁栄のために自らがそれぞれ成すべきこと。
それを理解出来たのならもはや迷う理由は無い。
それぞれが独立した一個の大名として君臨するに足る二人の男が、大国とはいえ毛利家の副将に収まり続ける真の理由は、自分たちだけが知っていれば、分かっていればそれで良いのだ。
毛利元就がこの世を去ったその日こそ、『毛利両川』体制確立の日であった。
毛利元就が死んだと聞かされた恵瓊は、心の中では快哉を上げていると同時に、表面上では悲しみに暮れたまま、お悔やみの言葉を並べ立てた。
そんな演技などとうに見抜いている二人ではあったが、毛利家の家臣が先代当主薨去に際し、悲しむ姿をするのは当然の事であったため、黙殺した。
それよりも、元就死去によって恵瓊がいよいよ動くかと警戒を強めた二人ではあったが、予想に反して恵瓊は動かなかった、いや動けなかった。
元就から聞かされていたがために、二人は恵瓊に対して最大級の警戒を見せた。
それはむしろ敵対国に対するそれよりも高く、また厳しいものであったがために、恵瓊は身動きが取れなかったのだ。
今動くのは得策ではない、と考えて恵瓊は十年以上もの間、ひたすらに毛利のために動き続けながら、その機を窺い続けていた。
そうして彼は、ようやく一つの機を見出す事となった。
今回の四つの大勢力による同盟、そして日ノ本の分割統治の話である。
黒田官兵衛はその立場上、声を大きくは出来ないものの個人的な主張としては、反対の意見を出していた。
それはそうだろう、あの男の野心はこんな理想論で抑え込めるものではない。
そして恵瓊はこれは好機、と見た。
安国寺恵瓊はここで、あえて公式な会見の時の話ではなく、その前に行った非公式会見、黒田官兵衛の本音が垣間見えた、あの時の話を三人に語った。
毛利家は、同盟に参加するべきではない、という話を。
黒田官兵衛の思惑はこの際どうでもいい、だが毛利が羽柴と対立し、やがて滅びると言うのであれば願ったり叶ったりなのだ。
自らの手で滅ぼせないのなら、他者の手を借りてでも毛利家を滅ぼしてやる。
それにこれは毛利にとって不利な外交を行った、という訳ではない。
黒田官兵衛が勝手に語り、そしてその話を三人に包み隠さず話しただけだ。
吉川元春も小早川隆景も、これだけで自分を処罰など出来ないはずだ。
官兵衛の語った言葉に、恵瓊も「実は拙僧も同じ意見にて」と、自分の意見を追加した。
この同盟が成立すれば、そしてそれが上手く回った場合毛利は当面安泰、そしてさらなる隆盛すら起こり得るかもしれない。
そんな事は絶対に御免だ。
自らの生きている内に、なんとしても毛利の滅亡、でなくとも凋落までは見届けねば、元就によって討たれた親兄弟に顔向けも出来ぬ。
それがさらなる隆盛など、見るに耐えぬどころか憤死しかねない。
表向きは毛利の外交僧、しかしその実獅子身中の虫として、いかに毛利を衰退させるかとあらゆる手を使おうとは思ってはいても、元春と隆景の恵瓊を見る目が厳しく、有効な手は未だに打ててはいない。
ならばこれは降って湧いた好機、これを機に毛利家衰退の道を歩ませてくれる。
「わしは手を組むべきではない、と考える。 東からの脅威が無ければ、四国も九州もやがては我らのものとなろう。 わざわざ四国を羽柴にくれてやることはない」
『鬼吉川』の異名をとる吉川元春が、静かに猛々しい意見を放つ。
こと戦においては、先陣の突撃から後陣の援護射撃まで、幅広くこなす事の出来る戦の天才が、時間さえかければ西国全ての制覇すら可能だと言い切る。
その言葉に油断や慢心はない。
ただそうする事が決して不可能ではない、そしてそのために全力を尽くせる覚悟がある、吉川元春は言外にそう宣言しているのだ。
その言葉に対し、ちょうど対象となる位置に座っていた小早川隆景が口を開く。
「兄上の申される事は間違いではござらぬ。 しかしそれは東から、つまりは羽柴と盟を結んでいる今だからこそ言えるもの。 もしこの度の話を蹴れば、羽柴との同盟は白紙に戻るやもしれず。 されば四国と九州を、となる前に羽柴との戦に注力せねばならず。 つまりは毛利に利はあり申さず」
兄である元春の言葉に一定の理解を示しつつも、最終的には隆景はそれを否定した。
言われて元春も反論する。
「ではお主は羽柴と組み続ける、むしろ懇ろになれと言うのか? 羽柴はすでに落ち目よ、兵力が半数以下の徳川を相手に、散々にしてやられたのは知っておるだろう。 将として、戦下手とは首が無いのと同じこと。 羽柴にもはや先はない。 どうせ懇ろになるのなら、徳川の方が面白いかもしれんぞ」
「その徳川もこの度羽柴と和睦し、この同盟で組むことが確実視されておる様子。 されば毛利もこれに合意する事で、徳川とも自然に昵懇となれましょう。 それに戦は水物、羽柴が徳川に一敗地にまみれたとて、それだけで羽柴の凋落とは限りませぬ。 ましてや羽柴を戦下手と申されるなら、それは羽柴に押し込まれた我ら毛利は、さらなる戦下手となりまする。 ここは徳川の戦振りを褒めるが正解にて」
冷徹な状況分析に裏打ちされた隆景の言葉に、元春は何の反応も示さない。
本来であれば、このように自らの理論を覆され続ければ、激昂するなり意気消沈するなり、何かしらの反応はする所である。
だが元春は、父も母も同じである実の弟、隆景に良い様に言い責められている様にも見えるというのに、何ら悔しそうな素振りすら見せない。
そんな二人のやり取りを、ちょうど三角形を描く位置で聞いている輝元が、しきりにふむふむと頷き続けている。
要は『武』に主幹を置く元春と、『智』に主幹を置く隆景は、それぞれがどういう立場でもって意見を言うかで、輝元への教育を施しているのだ。
元春はあえて自信過剰に見える程の猛々しい意見を、そして隆景は大局的な物の見方を養わせる理論的な意見を、様々な案件を元に二人の意見を聞かせ、それに対する思考力や判断力を、当主である輝元に養わせるために、あえて二人は口論の様に互いの意見を言い合うのだ。
時として一気呵成に攻めるべき、という時にはもちろん元春の意見が強くなる。
その一方でこれは大局的に考えるべきだ、という時は隆景の意見が自然と強みを増す。
傍で聞かされている恵瓊からすれば、滑稽な茶番とすら見えるこのやり取りだが、二人の叔父の、当主となった年若い甥に対する、精一杯の愛情とも言えた。
この光景に出くわす度に、恵瓊は苦々しい思いに囚われる。
(この二人がとにかく邪魔だ)
元春と隆景の中では、既に結論は出ているのであろう。
だがそれでもあえて、重要な案件については互いに意見をぶつけ合わせて、「この案件はこういう風に処理する事、しかしこういう意見もあるという事を忘れずに」と、輝元に学ばせるのだ。
二人が思い付く限りの様々な可能性、他勢力との関係や内政や収支など、様々な意見を戦わせる事で、「これらを総合的に考えて、結論を出すように」という思考力を養わせる。
年長である二人の叔父は、やがて輝元よりも先にこの世を去るだろう。
そうなった時のために、今の内から毛利家という大国を率いるに相応しい当主となるべく、徹底してその器を鍛え上げていく事が、二人の至上命題とも言えた。
だからこそ、恵瓊はこの二人が憎い。
この二人が輝元の脇を固めている限り、決して毛利家は崩れない。
これだけ優秀なのだから、どちらかが毛利を乗っ取ろうと画策してもよいものを。
そんな様子はおくびにも見せず、むしろ毛利本家を守る為ならばいつでも自家を犠牲に出来る覚悟を持った二人の叔父が、輝元をしっかりと守護している。
やがて二人の意見のぶつけ合いは、表面上だけは熱を帯びてきた。
「つい先年まで我らと羽柴は敵対しておった。 それが詐術によって和睦を結ばせられ、挙句今度は日ノ本の分割統治に協力せよ、と! しかもそれはまたも体よく我らを従わせるための詐術に過ぎず! そのような真似を許しておけと、お主はそう言うのか隆景よ!」
「毛利にとって最も大事な事は何かお忘れか兄上。 亡き父上が申された遺訓、毛利は天下を望んでの大勝負に出るべからず。 此度の羽柴との同盟を蹴り、毛利単独での日ノ本統治を望まば、恐らくはどこかで破綻をきたす。 天下第一とならずとも、天下第二の勢力として毛利は繁栄を謳歌することも出来る、その繁栄を確かなものとして守り続けていくために、我らは力を尽くせば良いのだ」
元春は「羽柴を信用し過ぎるな」という警告。
隆景は元就の遺訓を言って聞かせ、さらに「これから毛利の繁栄を守り続けていくのはそなたの役目だぞ」と、輝元に言い含めておく。
その様を見て、恵瓊はそっとため息を吐いた。
これはダメだ、この二人がいる間はやはり好機など訪れはせぬ。
恵瓊は今回の話を好機、と捉えたが諦めざるを得なかった。
恵瓊が諦めてからほんの数分後、輝元がゆっくりと片手を掲げた。
それを持って二人の意見のぶつけ合いは終わりを迎える。
正確に言えば元春と隆景の二人が、「大体これで意見は出し尽くした」と合図を送ったのだ。
それを受けて輝元は当主としての決定を下す。
当主たるもの、家臣の意見を聞くことはあっても家臣の意見だけで物事が決まってはならない。
最終的には当主が決定を下し、家臣はそれに従い動くものなのだ。
二人は輝元をそう教育して来たし、それはこれからも変わらない。
亡き父と兄が遺した毛利の御曹司であり、将来はその双肩に毛利という大国の命運がのしかかる。
それに耐え、導き、さらには栄えさせる当主とならん。
その期待を一身に背負った男は、重々しく口を開いた。
「叔父御殿の意見は分かった。 さればこれより我ら毛利は、羽柴らとの盟を結ぶことを考え行動する。
九州・四国への備えとして、水軍を率いし小早川殿にはそちらへの対処を。 吉川殿には我が名代として大坂へ出向いてもらいたいが如何かな?」
輝元の言葉に、元春と隆景の顔が同時に曇る。
その表情の意図が読めぬ輝元が、そこで初めて焦った表情を見せた。
それは恵瓊の目にも「何かを間違ったか?」という目の泳ぎ方と、額に浮かんだ汗の量で分かる。
ため息などを吐きはしないが、元春は殊更不機嫌そうに口を開いた。
「某、未だこの同盟には反対の立場故、大坂へ出向きし折には何かしらの不手際をせぬとも限りませぬ」
「左様ですな。 不躾ながら兄上は京・大坂のような華やかな場所より、戦塵吹き荒ぶ戦場の真っ只中の方が似合う故、出来れば某とお役目を交換いたしたく存ずるが」
そこで元春と隆景の視線が同時に輝元に突き刺さる。
「適材適所、というものを弁えろ」と、その目線で語っているのだ。
そこでようやく、自分の先程の指示が間違っていた、と悟った輝元が咳払いを一つして言い直す。
「うむ、されば吉川殿は九州へ渡り、あちらでの備えをお任せしよう。 小早川殿には名代として大坂へ出向いてもらう。 また四国への備えとして、水軍にはあらかじめ指示を出しておくように」
「御意」
「かしこまりました」
輝元が言い直した指示を、二人の叔父が平伏して拝命した。
たとえ力関係が逆であっても、立場上は吉川と小早川は毛利に従う一豪族なのだ。
毛利家当主の命令となれば、平伏して従うのが当然の行動である。
この辺りも輝元の教育にしているのだが、二人の中ではまだまだ輝元は危なっかしい。
なので先程の様に、拙い指示を出した際にはあえて反対の姿勢を見せるのも役目であった。
「恵瓊、聞いたな? 小早川殿が大坂へ我が名代として出向く故、お主は副使として付き従い、羽柴への取り次ぎを致せ。 大坂までの行き帰り、小早川殿は我が名代であること、くれぐれも忘れるな」
扱いの上では、小早川隆景も安国寺恵瓊も共に毛利の家臣である。
つまりは恵瓊の直属の上司ではない隆景は、極端な話として恵瓊に己の思うままに指示を出す事は出来ないのだ。
だが隆景が毛利家当主・輝元の名代という事になれば、恵瓊はその言葉を無視することは出来ない。
隆景が出した指示はそのまま、輝元が出した指示になるという事実に、恵瓊は内心歯噛みした。
先程の姿を見た限りは、まだまだ青臭いボンボンだと思えば、しっかり気が付く所には気が付くものだ。
恵瓊の内心の企みを知ってか知らずか、隆景が恵瓊の手綱を取る事が決まり、大坂には二人とそれに付随する護衛が向かう事となった。
畿内や東海よりも少しだけ早い春の訪れを感じる日に、隆景の一行は出発した。
無論、盛大な見送りなどはしない。
小早川隆景という重鎮が領国を留守にする、それだけで九州や四国に与える影響は絶大だ。
だが出発間際、「早く戻ってこんと、九州も四国も平らげてしまうぞ」という元春の軽口を受けて、「それならわしも楽が出来ますな」という軽口で返す隆景である。
隆景の留守をどこからか嗅ぎ付けて、兵を動かそうというのならやってみろ。
その時は毛利の武の象徴・吉川元春が叩き潰すのみである。
二人はお互いへの揺ぎ無い信頼感を理解した上で、互いに背を向ける。
一人は毛利を敵から護るために西の九州へ、一人は毛利の未来のために東の大坂へ。
予想だにしなかった出来事が大坂で待ち受けているとも知らずに、隆景は一路、大坂へと向かって行った。
ここまでお読み頂きありがとうございました、そしてお疲れ様でした。
前書きの時点で書いておきましたが、この話でもって書き貯めておいたストックが底をついてしまいましたので、次回以降今までの様な二日に一話ペースの更新が出来なくなると思います。
ここ最近の仕事と私事の忙しさとそれに伴う体調の悪化で、充分な執筆ペースが保てませんでした。
楽しんで下さっている方々には誠に申し訳ありませんが、今後は書き終えた物を順次更新していく形を取らせて頂きます。
次回以降の話の展開も、既に頭の中には出来ておりますので、そう長くお待たせをするつもりはございません。
今後も拙作『信長続生記』をお楽しみ頂けましたら幸いです。




