信長続生記 巻の六「日ノ本鳴動」 その1
信長続生記 巻の六 「日ノ本鳴動」 その1
まさか、まさか断られるとは思わなかった。
秀吉は苛立ちを露わにし、陣幕の中で歯噛みしながら足を踏み鳴らしていた。
『羽柴筑前守秀吉、折入って織田家御後見役、織田中納言信雄様へ内々にお話したき事あり』という文を使いの者に託し、まずは平身低頭、下手に出て相手の気分を良くしてやってから、などと考えていた。
だがこちらの文を読むなり信雄は「会談など不要、その手には乗らぬぞ!」と、こちらが頼んだ使いの者に今すぐ帰らねば斬り捨てると伝えよ、と怒鳴ったという。
わし自らが出向いて、これほどの応対をされるとなればもはや諦めざるを得ないが、気になるのはあの暗愚の信雄が「その手」という発言をした、という事だ。
さては徳川め、またもこちらの手を読んで信雄とこちらを会わせないようにしたのか、恐ろしい程にやり辛い相手だ。
向こうは常にこちらの先手を打ってくる。
実際に矢を射かけ、槍を突き刺し、鉄砲を撃ち合う戦場での話ならまだ分かる。
こちらがどう動くか、どういう配置かなどは間者がいれば漏れる可能性もある。
あるいは戦直前の軍議で、敵に通じる武将がいれば筒抜けにもなるだろう。
だが、このような調略にまで先手を打つとは並大抵のことではない。
なにせ信雄に調略の手を伸ばすことを知っているのは、自分の他にはせいぜい秀長くらいしかいないはずなのだ。
では秀長が徳川方に通じているのか、それは無いと断言できる。
もしこれで秀長が本当に徳川に通じていたなら、もはや誰も信じられはせぬ。
人間不信に陥って、世を儚んで仏門にでも入ってしまいたくなる。
だが僅かでもそんな事を頭によぎらせてしまうほど、徳川はあの手この手でこちらに先んじている。
信雄に先に手を回していたという事は、こちらが徳川と信雄の両軍に紛れ込ませた忍びによる、情報の攪乱などの手も封じられている事だろう。
徳川の強さは以前から分かってはいた、だがそれにしても今回の戦では、ただ強いだけでは説明の付かない事が多すぎる。
あらゆる面でこちらに不利な状況が出来上がってきている。
「天運」とやらはわしに向いているのではなかったのか。
それとも家康はわし以上の「天運」の持ち主だとでもいうのか。
天下人に成り得る器、才覚、豪運を、わし以上に備えているとでもいうのか。
そうは思いたくない、だがそうなのではと思ってしまうほど、今の徳川には成す術がない。
未だ兵の数では有利、それが何だ、その数を活かし切れない戦場へと誘い込まれ、散々に打ち負かされてきているではないか。
向こうより抱えている将の数も多い、そんなものは烏合の衆も同然だ、徳川の家康を頂点とする忠誠心に満ちた家臣たちの一枚岩に比べたら、風に流される砂粒に等しい。
表面上はともかく、いよいよ秀吉にも余裕がなくなってきていた。
兵糧の消耗は秀吉や秀長の予想以上に激しく、出陣直後に立てた予定よりも大分早い勢いで消費してしまっていた。
秀吉自身は知る由もないが、実はこれも羽柴軍内部に紛れた『隠れ軍監』が、羽柴軍の兵糧を食い尽くさんばかりに周囲を煽り立て「羽柴の殿様ン所は、腹一杯食えるから良いのぅ!」などと言いながら、通常よりも消費を早めようと画策していたからに他ならない。
秀吉や秀長もあえて兵の食糧事情に関しては悋気を起こさず、兵の要望にはなるべく添うようにしてやっていたのだが、それを見越した上での信長と光秀の策略とは、気付くことが出来なかった。
食うや食わずの農民出身であるが故の、戦時下での安定した食糧供給が、どれほど兵の身体と心に活力を漲らせるかを身を以て知っている、それを逆手に取ったのだ。
池田勢の壊滅、そして当主恒興と嫡男元助の討死により、恒興の次男・輝政に家督相続を許し、その代わりに蓄えている兵糧を供出させたが、それでもその場凌ぎにしかならない。
池田家自体美濃に移ったばかりのため、兵糧の蓄えなど雀の涙程度で、挙句羽柴家の直轄軍だけでも万を超える兵数のため、供出させた所でたかが知れていた。
しかし堀秀政が秀吉の内心の窮状を察し、先の敗戦の責を取って戦線を退く形になった事で、せめてものお詫びになれば、と自軍の兵糧を差し出してきたが、秀吉はこれを固辞した。
内心では秀政の手を取って「忝い!」と言いたい秀吉であったが、たとえ喉から手が出るほど欲しいものであっても、立場上それを受け取る訳にはいかなかった。
成長著しい一方で、結成してからの日が浅い羽柴勢にとって、たとえ戦で負けても兵糧を差し出せば許してもらえる、などという悪しき慣習を作る訳にはいかなかったためである。
しかしそれすらも察したのか、秀政は表向きは秀吉の勘気を被ったという理由をでっち上げ、首を刎ねられるのを恐れて兵糧の大半を置き去りにして慌てて領国に逃げ帰った、という名目で自らの軍を近江へと向かわせたのであった。
捨て置かれた兵糧はそのままではもったいない、と羽柴勢で消費する事になり、現在はそれで何とか持たせている状況であった。
この時点で、秀吉は秀政を処罰する気など欠片も無くなっていた。
むしろ己に悪評を付けてでも、こちらの窮状を察して手を打ってくれた秀政の領国に向かって、思わず手を合わせて頭を下げていたくらいであった。
堀家の軍勢がいなくなった事で総兵力は減ったが、それでもまだまだ兵数は有利である。
今の内に打てる手を打っておかねば。
そう思い色々と画策はするものの、今回の戦での徳川の正体不明の強さに、どうしても二の足を踏んでいた秀吉の所へ、京にいたはずの石田三成が突如訪れたと、兵士から報告が入った。
ちょうど昼飯を取ろうとした所であったため、食いながら話を聞くとして陣幕に通すよう伝えた。
とりあえず謁見し、三成に突如陣中へと現れた理由を聞いた。
三成は最低限の挨拶だけ済ませ、その上で苦々しい顔のまま、秀吉が聞きたくなかった報告を挙げた。
「憚りながら、御預かりした朝廷工作用の資金、ほぼ底を尽きかけております」
「……はぁぁぁぁぁッ!!??」
三成の言葉が瞬間的に理解出来ず、いや理解する事を頭が拒絶した秀吉であったが、次の瞬間には思わず上げたその大声で、陣幕の外にいた兵士が何事かと駆け込んでくる事態になった。
耳を抑えたままの秀長が、「大事ない大事ない、騒がせたな」と慌てる兵士たちを宥めながら、陣幕の外へと押し返していく。
その一方目の前で大声の、そして大量の飯粒の直撃を浴びた三成は、顔中を秀吉から飛んできた唾と飯粒でベトベトにしながら、それでも何とか報告を続ける。
秀吉の大声の直撃で耳鳴りすら感じている三成だが、それでも報告を優先する辺りが、彼の生真面目さを表していると言えた。
「公家衆の懐柔工作には何かと金がかかる、と近衛様は仰られておりまして……まずお会いする前に挨拶代わりにいくら贈り、その後直接お会いした際にいくら包み、他の方々への繋ぎにいくら渡しておく、とその都度莫大な金品を請求なさいまして…事が事だけに文でお知らせするよりも、直接殿にご報告し、合わせて帳簿も提出させて頂こうと思い、罷りこしましたる次第にて」
そう言いながら、三成は懐から一冊の帳簿を出し、それを秀吉へと差し出した。
秀吉はすぐさまそれに目を通し、段々と顔の筋肉が引き攣れていくのを、腹が立つくらい実感していた。
帳簿は非常に分かり易く簡潔に、そして秀吉に目を通してもらう事を前提に作っていたためか、読みやすい仮名文字で書かれている部分が多かった。
その辺りの三成の機転には手放しで褒めてやるが、だからこそそこに書かれている内容が秀吉にも非常に分かり易かったため、怒りに直結するのも早かった。
秀長が兵士の一人に水と手拭いを用意させてくれたため、三成は濡らした手拭いで顔を素早く拭きとり、秀吉が口を開くよりも先に平伏しながら口を開いた。
「某をはじめとする近衛様補佐役一同、天地神明に誓って横領・着服などの下賤な真似はしておりませぬ、また万が一にも某の見落としでそのような事がありました場合、如何なる処罰をも賜る所存。 そして恐れながら近衛様のお屋敷を極秘に調べましたる所、家財道具やお召し物、その他ほとんどの物が新調されておりました。 おそらくはこちらが用意した金を、幾ばくか御自身の懐に納めているものと」
隙の無い仕事ぶりに、秀吉の中での三成の評価が上がっていく。
だがその一方で、もたらされる報告は頭の痛い事ばかりだった。
そして『横領・着服などの下賤な真似』という三成の言葉も、実は秀吉にとって耳の痛い言葉ではあった。
かつて信長の命を受けて中国地方の毛利攻めを行った際、生野銀山周辺を手に入れ、そこから産出される銀の総生産量の何割かを、秀吉は着服していた過去がある。
産出した銀の総量を誤魔化して報告し、しかも何のかんのと理由を付けて全てを信長には送らずに、自らの軍資金として横領していたことが、実は今日の秀吉の資金力の源ともなっているのである。
なので今回の前久の着服行為は、ある意味では因果応報とも言えた。
それだけに秀吉としては、声高に近衛前久に文句を言い難い。
立場もある、役目もある、そして事情もあるため、これは三成には悪いが聞かなかった事にしよう、そう秀吉は心の中だけで判断した。
目の前の怜悧かつ有能で、その一方で融通の利かなそうな顔をした若者は、「どうしますか?」と目で問うてきている。
これは即ち、近衛前久に対し何らかの罰則、注意、勧告等を行って欲しいという事だろう。
「あー………佐吉よ、お主はまだ若い故分からぬ事も多かろう……公家というものはな、こちらが思っておる以上に厄介な奴らでな、手懐けるには相応の痛手も考えなくてはならぬのよ。 お主に預けておいた金が底を付く、というのは確かに予想以上ではあったが、相応の見返りもあろう。 いつかは大きな見返りをわしにもたらしてくれる、そう確信しておるからこそ此度は目を瞑ろう、よいな…」
「……殿がそう仰られますなら」
苦笑しながらの秀吉の言葉に、三成は欠片も納得がいっていない顔で平伏する。
この仏頂面さえ何とかなれば、もう少し交渉事などにも使えるのだが、と秀吉は思いながら三成に「ご苦労であった」と声をかけた。
頭は良いが融通が効かず、武功を誇る者とはほとんどそりが合わない。
人間としての長所も短所も、非常に分かり易いのがこの石田三成だ。
それだけに秀吉としては可愛がっているし、将来も有望な若者だけに、側にも置く。
だがどうにも使い処が限られているのも困り所だ。
武辺者との共同作戦など、絶対に任せることが出来ない。
まず間違いなく内部不和を起こして、上手くいくものも上手くいきそうにない。
頭の痛い事案が増えたことに、秀吉は深々と溜め息を吐いて、天を仰ぎ見た。
その後三成が去り、陣幕内は再び秀吉と秀長の二人だけになって、昼飯の続きとなった。
「まさか近衛様が使い込みをなさるとは…」
「いや、公家というものをしっかりと把握出来ておらなんだ、わしの失態よ……三成はよぅやっておるが公家衆とは相性が悪いな。 考えてみれば近衛様とて、御苦労に御苦労を重ねておられた方じゃ。 御屋敷とて留守にする事も多かった分、手を入れる必要があったのも分かる。 いずれはこの借りをしっかりと返して頂くことで、此度は黙るとしよう。 むしろ向こうがこちらに勝手に借りを作ってくれた、と思う事にしようぞ! それより今は目の前の徳川じゃ」
秀長の言葉を、秀吉は疲れた笑みで返しながら昼飯を食べ終えた。
結局その日は、具体的な対徳川の妙案が浮かばず、悪戯に時間を消費するだけで終わってしまった。
しかしそれから二日後、三成が京へと発ったのと入れ違いに、今度は大坂にいたはずの黒田官兵衛が秀吉の陣を訪れていた。
しかも官兵衛は大坂から一旦京へと向かったが、三成が既にこちらに向かった後だというので、すぐさま官兵衛も後を追おうとしたが、その際に近衛前久から文を託されたという。
秀吉宛の大事な手紙であったが、三成が一足早く秀吉の元へ向かってしまった所で、これから秀吉の元に向かうのならちょうど良かった、と官兵衛から渡して欲しいと頼まれたのであった。
相手が前関白である以上、使い走りの小僧の様な真似をさせられる事に嫌だとは言えない。
むしろわざわざ三成に託そうとしていた、というのだから重要な何かを含んだ文である可能性もあるため、官兵衛はそれを謹んで受け取り、もちろん中を見ずにそのまま秀吉へと渡した。
秀吉は官兵衛の来訪を喜び、その官兵衛から大坂城完成を告げられ、久々に満面の笑顔を浮かべていた。
だがその笑顔も、前久からの手紙という事で少しだけ陰りが出来た。
まさか更なる金の無心か、と恐る恐る手紙を開き、その内容に目を走らせる。
「兄上、如何なる内容にございましたか?」
「出来ますれば、某にもお聞かせ願いたく」
秀長と官兵衛、二人から手紙の内容に付いてせっつかれて、秀吉は「今読んでおる所じゃ、しばし待て!」とだけ言って、言われた二人は最後まで読み終えるのを待つ。
秀吉は武家の出身ではなかったため、基本的な教育というものを受けた事がない。
なのである時期までは独学で学び、最近ではようやく人並みという所まで学べてきてはいるが、それでも正式な書簡などにはいわゆる漢字が多く使われ、秀吉はその読解に時間がかかってしまう。
それでもなんとか最後まで読み終わり、顔を上げた時には再び満面の笑顔を浮かべていた。
その顔を見て、秀長は釣られるように希望を持った笑顔に、官兵衛は訝しげに眼を細める。
「くくくくく……佐吉は帰るのが早すぎた様じゃな…早くも来たぞ、大きな見返りがな!」
言いながら、秀吉は前久からの文を秀長に突き付ける。
その文を受け取って、秀長がそれを素早く読んでいくと、段々と目を見開き、読み終わると同時に「兄上!」と、喜びを含んだ声を上げる。
「兄弟二人だけで納得してないで、早くこちらにも」と思いながらも「よろしいでしょうか?」とだけ断ってから、その文を秀長から受け取る官兵衛。
そこに書いてあった内容は『羽柴と徳川の双方に告ぐ、前関白・近衛前久の名において戦闘行為を即時停止、双方一両日中には最初の和睦交渉に入るように』という命令にも似た、嘆願書であった。
書いてある内容は上の立場からの命令、という体を取ってはいるが、細かい所で『自分にとって縁がある者達が争い合うなど、見てはいられない』という哀しみが綴られてあった。
出来ればすぐにでも和睦をしてもらいたいが、互いに犠牲も出ていて即時和睦は無理だろう、ならばせめて停戦し、和睦交渉を始めて欲しい、というのが前久からの文の内容であった。
朝廷の帝からの勅命でもなく、幕府の将軍からの命令でもない、あくまでこれは前久個人の嘆願とも言える命令だが、だからと言って無視も出来ない。
というよりも、むしろ秀吉にとっては地獄に仏の心境である。
「一両日中」という、こちらにとっては大分助かる近日開催の和睦交渉、そして双方に告ぐという事は今頃徳川にもこれと同じような文が行っているはずだ。
となればグズグズはしていられない、こちらが先に武装解除・軍勢の撤収に取り掛かれば、こちらは停戦・和睦に応じる用意があるという証拠になるし、それによって兵糧の消費の節約にも繋がる。
和睦交渉の準備が早ければ、それだけこちらが困窮している、と敵に悟られる可能性もある。
だが時期は冬、しかももうすぐ正月である。
こうして近衛様からの文も来たことだし、正月くらいは停戦しようではないか、と言えばそれなりの理由付けにはなるだろう。
実際困窮しているのは本当だが、これも時が経てばやがては解消される。
厳しいのは今の内だけだ、停戦中に堺の商人などから軍資金と兵糧を借り受け、すぐさまいつもの羽柴軍団を取り戻してやる。
さらにこちらが武装解除と軍勢の撤収をしている矢先に、向こうが一方的に攻めかかってくればしめたものだ。
こちらは前久が官兵衛を通じて直々に寄越してきた文であり、しかも徳川と双方に告ぐ、という事は向こうもこの文の内容を知っているはず。
手を組んでいる近衛前久にこちらを騙す利点は無く、官兵衛経由の手渡しの文なら、徳川の攪乱戦法とも考えにくい。
なので徳川がもしこの機とばかりに攻め込んでくれば、丸腰の者を相手に矢を放った、という卑怯者の誹りを免れず、また前関白の意向を無視したというオマケ付きだ。
そこまで考えていると、報告に来た兵士が陣幕の外から「申し上げます!」と声を張り上げてきた。
「苦しうない、申せ!」
「ただいま徳川方より使者が到着! 停戦・和睦についてのお話をさせて頂きたい、との由!」
しまった、ここでも先手を打たれたか!
というよりも、純粋に足が悪く自らが馬に乗れない官兵衛では、長距離の移動は輿に頼る他無い。
官兵衛も黒田家の直臣数百名と共にこちらに来たが、どうしてもその速度は早馬などとは比べ物にならないだろう。
既に徳川にはこれと同じ内容の文が先に届き、その上で向こうから和睦交渉を持ちかけてきたのだ。
まずい、こちらも急がねば!
「相分かった。 ご使者殿にはわし自らがお話を承る故しばし待たれよ、と伝えぃ!」
「ははッ!」
秀吉の言葉に、弾かれたように元来た道を戻っていく伝令兵。
その兵が去った後を見て、秀吉は秀長にニヤリとした顔を向けた。
「近衛様も大した度胸よの、自らの名でわしと徳川双方を止めようとは……ありゃあ武士に生まれておればひとかどの者になっておったじゃろうな」
「御意に。 ではわしは撤収させる者と、残らせる者の選別に入りましょう。 軍師殿、来て早々で申し訳ないが手を貸してくれまいか?」
「かしこまりました」
秀長は床几から立ち上がりながら、官兵衛に声をかけた。
官兵衛も杖を突きながら立ち上がり、秀吉に一礼してから秀長と共に陣幕を出る。
表面上はいつもと変わらぬ無表情、しかし官兵衛の頭の中では、妙な違和感がこびりついていた。
どうにもおかしい、近衛様の文にどうしても違和感が拭えない。
考え方としては分かる、心情も理解出来ないではない。
だが一点、あまりにも秀吉にとって都合が良すぎはしないか。
現在秀吉と前久は手を組んでいる、いわば同志である以上、秀吉に都合の良い事を行うのは当然だ。
別段それは何もおかしくは無いはずなのに、今回の前久の、自分が運んできた文はあまりにもこちらにとって都合が良すぎる。
それにいくら自分が到着が遅れ、徳川に先に交渉を持ちかけられたのだとしても、徳川の動きが随分と早い気がする。
ここに来るまで、そしてこちらに来てから聞いた限りでも、羽柴勢は随分と敗戦を重ねており、徳川方は倍以上の数を相手に優勢に戦を進めているらしい。
そんな状況の徳川が、いくら縁がある近衛前久からの嘆願だからと言って、そうそう簡単に自分から和睦を行おうとするものだろうか?
いや、それとも既に徳川にも致命的な問題が発生しており、こちらがそれに気付けていないだけなのだろうか?
自分は今日ここに来たばかりの者であり、いくら話を訊き回った所で分かる事などたかが知れている。
どれもこれも憶測の域を出ない、見落としている事があったのだとしても、それが見落としだと気付く事すら出来ない。
正体不明の違和感、どこに正解があるのか分からないもどかしさ、都合良く降って湧いた幸運。
あるいはこれも、羽柴秀吉という男が持つ『天運』なのか。
黒田官兵衛は、無表情の中にかすかな苛立ちを紛れ込ませて、秀長の後を歩いていく。
今の羽柴勢の中で、彼だけが知らない戦の実情と、彼だけが気付きかけたその裏に隠された事柄。
彼は結局、その事を誰にも伝えずに、秀長とともに羽柴勢の再編成の事務作業へと没頭する事になる。
秀吉と家康、この二人の戦いはこうして幕を閉じる事となった。
今回も扱いがひどかった石田三成ですが、私は三成の事が嫌いなわけではありません、むしろ好きな武将の一人です。
正確に言えば融通のきかない堅物、と言われていた人物だからこそ少し笑いの要素を絡めてみたかった、という作者の勝手な考えの犠牲者です。
ですので石田三成が好きな方には、どうか広い心を持ってお読み頂けますと幸いです。
彼の役どころは今後もあまり変わらないと思いますので。




