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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その10

             信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その10




 羽柴軍は数ヶ月前に柴田勝家を打ち破り、その後の論功行賞をはじめとする戦後処理なども終わって、ようやく一息ついた所、さらに新たな事案、朝廷工作と大坂城建築が始まってからの突然の戦である。

 羽柴軍の末端の兵士たちは「また戦か」と、辟易した気持ちで参集した。

 去年から戦い続けていた所で、ようやく腰を落ち着けて休めるかと思えばまた戦である。

 確かに羽柴軍は食いっぱぐれの無い豊富な兵糧を持ち、兵士たちとしても安心して飯が食える。

 そういう意味では羽柴軍に所属して戦う事は、旨味もある話ではあった。


 だがそれでも命懸けの戦がまたあるのか、という事になるとやはり不安もあった。

 度重なる戦で、家族とも長い期間別れ別れになる事を思えば、兵たちの士気は上がり切らず、それを我が事のように理解出来ている秀吉は、こんな状況で「兵糧があまりない」などとは口が裂けても言えなかった。

 潤沢な資金力でもって兵糧を買い集め、膨大な兵力で一気に敵を押し切って勝ちを決める、それが秀吉の、羽柴軍の強さの根幹にあった。

 しかし秀吉の強さの根幹と、好む戦法や思考の方向性は、信長や光秀にすでにしっかりと解析されていた。

 戦が始まる前から、すでに時間をかけてしっかりと羽柴軍の行動を想定出来ていた徳川軍は、常時『隠れ軍監』から上がってくる報告と合わせて、万全の態勢でもって迎え討った。


 家康を頂点とする、まさに忠実な手足のように動いてくれる徳川家臣団が、万全の態勢で迎え撃つ。

 状況を想像し、もし自分の立場が秀吉ならば、と考えた光秀が瞬時に顔を歪めるほど、絶望的な展望が浮かんだ。

 手の内は読まれ、奇襲は付け入る隙にされ、総大将のいる本陣まで全てが筒抜けの状況。

 もうこうなってしまうと、兵数が多いだの、兵を率いる将に有能な者が多いだの、そういう問題ですらない気がした。

 秀吉に同情の念は湧かないが、それでもそれに従う者たちには多少の同情心は沸き起こった。

 無論秀吉としても間者対策は施してはいたが、『隠れ軍監』は至る所に最初からいる足軽の一人として潜んでいたため、見つけ出すことも出来ぬままに戦は続けられていた。


 そして今また、『隠れ軍監』から新たな報告がもたらされた。

 その報告を受けたことで、三人は何度目かも分からない、額を突き合せるようにした密議に入った。


 『池田恒興、羽柴秀吉に三河強襲を進言、秀吉これを受けて別働隊編成 早ければ明日夜半出立』


 こちらが小牧山城に籠っている、と見るや本国を攻めるとは。

 こちらの書状に一切返事も無く、向こうに付くだけならまだしもこちらの本国を狙うとは。

 やってくれるな池田恒興、その行動の代償は身をもって償ってもらう。

 家康の眼には密かな怒りが宿っている。

 かつて、自分が籠もる城を通り越して、軍を進めた敵がいた事を思い出す。


 戦国の世にその名を轟かせた甲斐の猛将、言わずと知れた武田信玄である。

 あの時と今では状況も相手も何もかもが違う。

 それに今自分が籠もっている城の前には、羽柴軍が陣を構えているため、必ずしもあの時の、三方ヶ原と同じという訳ではない。

 だが、家康にとっては自分が城に籠っている間に、素通りして自分の領国を蹂躙しようとする敵を、黙って見過ごすほど腑抜けになるつもりはない。

 確かにあの時の己の行動は猛省に値する、己の未熟さ、青臭い若さ、取り返しのつかない犠牲を生んだ愚かさを身に沁みて恥じた。


 ならば、今こそあの時を越えよう。

 信玄の挑発に乗り、激昂してその背後を突こうという浅はかさ、アレを体験したからこそ今自分は成長しているのだ。

 だからといって打って出ない訳ではない、打って出た上で勝つ。

 相手は池田恒興、武田信玄に比べれば小物と断じても、どこからも文句はくるまい。

 武田信玄はあの戦の後、病没して二度と戦うことは無かった。


 安堵したと同時に、二度と拭い去れない敗戦を喫し、二度とこのような醜態を晒すまいと誓った。

 愚かなり池田恒興。

 わしを相手に、武田信玄の様な真似をしたことを後悔させてやる。

 信長殿の乳兄弟? 織田家の宿老? ここに至ってはそれに耳を貸す訳にはいかない。

 信長殿も言っていたのだ、ここで命を落とす様な腑抜けはいらぬ、と。


 家康は恒興の進言によって編成された、別働隊への奇襲を提言した。

 信長も光秀も、むしろ当然という反応だった。

 しかもその奇襲戦法をどれだけ効率的に行えるか、どの場所で、どの状況で行うのが最善かを話し始める始末だった。

 打つ手は決まった、その打ち筋も様々な状況を想定し、何通りも用意した。

 こちらに死角は無い。


 ここ数日、交代で休憩することが出来た兵士たちは、先日までの動き回る戦の疲れを十分に癒している。

 これならば夜中の強行軍も可能だろう。

 状況は常に徳川方に有利に進んでいる。

 向こうの情報はほぼ一方的にこちらにもたらされ、こちらの情報は伊賀と甲賀合同の間者対策によって、ほとんど漏れる事が無い。

 なんといっても信長と光秀の生存という、最も漏れてはならない秘密があるのだから、その辺りの情報の秘匿は最優先事項である。


「では、我らは三河強襲部隊への備えを。 お二人は?」


 家康がそう言って立ち上がると、信長は家康に同行する事を申し出た。

 なので小牧山に残るわずかな部隊の指揮権は、光秀が代行する事になった。

 能力的には全く心配が無い、と言っていい人選である。

 信長に命を捧げる忠誠を誓った光秀は、信長から「任せたぞ」と声をかけられ、「お任せを」と穏やかな顔で返事をした。

 戦場には似合わない、涼やかかつ穏やかな顔で嬉しそうにそう言った光秀は、視線を転じて羽柴勢の本陣の方へと向けるや否や、それまでの穏やかさとは一変した、激しい感情を覗かせた。


「見ておれ、上様に代わって天下を掠め取ろうとする愚か者よ……貴様には相応の罰を受けさせてやる!」


 光秀は、三河に来て以降初めてその眼に憎悪を滾らせた。

 そんな光秀の手は、左脇腹へと添えられている。

 竹林の中で落武者狩りに刺されたあの傷が、戦場に出た事によるものか、最近特に疼く様になっていた。

 既に光秀の年齢は五十代後半、肉体の自然治癒力も大分落ちていた。

 光秀自身、己に残されている時間はそう長くは無い事を悟っていた。




 池田恒興の進言が認められる形で、発案者の池田恒興をはじめとする三河強襲別働隊が編成された。

 尾張で対峙している徳川家康の領国にして、家の名が『松平』であった頃からの本貫の地、三河国。

 尾張から三河にかけては、長年の同盟もあって街道がしっかりと整備されている。

 この時代の道というものは、国内だけならまだしも他国へ繋がる部分はほとんど整備をしない。

 国境というものは山や川を境にして決められていることも多いため、そこも整備しようとすると平地に道を築くよりもはるかに手間と金がかかるという事と、他国からの侵略を妨げる為でもあった。


 軍用道路として使う際、自らの領内に関してはしっかりと整備をするのは言うまでもないが、それでもいくら同盟相手だからと言って、国境付近まで整備した道が通っているのは極めて稀である。

 これは織田と徳川の互いへの信頼の証であり、またお互いに援軍を出したり出されたりなどのやり取りも頻繁であったため、どちらともなく国境までの道をお互いに整備し始めた。

 そして川には丈夫な橋をかけ、万を超える軍勢が全軍渡河するまでに一日を要した、などという事にならないようにしている。

 その一方で道路の整備は商人たちにとっても有り難い事であり、街道の整備によって宿場町が出来、商売の販路や規模が広がり、様々な品物が行き交う事で領国の発展にもつながった。

 そういった経緯もあって、家康の居城がある遠江から三河、尾張、美濃、近江、京の都がある山城国まではきれいに整備された街道、通称「東海道」が通っている。


 だが裏を返せば、尾張から三河へ攻め込む場合にはその軍勢の行軍速度は、従来よりも早いものとして計算しなければならない。

 夜の暗闇の中、羽柴軍の中から三河強襲部隊が進発する。

 暗闇に隠れる必要がある為、灯りは持たず音も極力立てないまま、ゆっくりと静かに進んでいく。

 夜の間はゆっくりと、そして日の出とともに一気に加速して三河へ進軍する。

 それが秀吉の指示であった。


 そして、それらの情報一切が『隠れ軍監』によって信長たちの耳にもたらされた。

 既に別働隊の編成や出立する時間帯までが筒抜けであったため、徳川軍はあえてほぼ同時刻に夜の闇に隠れるようにそっと小牧山城から出陣した。

 尾張国内はまさに自分の庭である、と豪語する信長にとっては夜の闇の中でも、どこまで進めば丘があり、森があり、川があるかなどは手に取るように覚えている。

 その信長が自ら案内役となって徳川軍を先導していく。

 既にこの後の作戦は信長と家康の間で決まっていた。


 狙うは次の日の夜、こちらはある程度まで進んだ先にある大きな森に全軍が潜み、日中に十分な休憩を取って夜襲をかける。

 敵の別働隊は夜通し移動し続け、日中も移動する事で一気に三河へと突き進むつもりであろう、ならばその夜は疲れた体を休めるため、日の入り後には早々に野営を始めるはずだ。

 そうなった所を日中にしっかりと休んでおいたこちらの軍勢が強襲する。

 正月が近づいて来たこの時期は日の入りも早く、日の入り後数時間も経てば歩哨の兵以外はほとんどが休むはずだ。

 そうなれば数の多さなどもはや何の関係も無い。


「自軍よりも数の多い相手に奇襲か、桶狭間を思い出すわ。 と、言いたい所ではあるが雹も降っておらぬし、わしもあの時の様に若くはないな、兵はあの時よりも多いのは良いが」


「そういえばあの時はお互い敵味方にございましたな。 今川殿の命により大高城へ兵糧を入れ、その後も先鋒として使い潰されておったかもしれぬ所を、まさか今川殿が討たれるとは……」


「勝算はあった、が無論あれは賭けでもあった。 籠城しようと打って出ようと、敗色濃厚なら少しでも勝算のある方に賭けたまで。 海道一の弓取りと謳われた男も、武運拙き時はあっけないものであった」


「本能寺にて討たれていたならば、信長殿も後世その様に言われておったでしょうな」


「ふん、刺客を向けられて暗殺などをされるよりかは、よほどマシな死に様であったであろうがな。 安楽の内に生を終えようとは思うてはおらんが、それでも狙撃による暗殺は御免じゃな」


「某は、どうせなら好きな物をたらふく食ろうてから死にとうござるな。 それと出来れば後を託せる者に最期を看取ってもらいたいと思うておりますが」


「ふん、お主らしいな。 だがその死に様であれば、満足じゃと言う者も多そうではあるが、な」


「この乱世の時代に生まれ、戦い続けて生き抜いて、畳の上で死ぬるは果報者とも言えませぬか?」


「違いないわ」


 二人が同時に笑い出す。

 気の置けぬ仲だからこそ、この数時間後には奇襲をかけるというのに、笑い合っていられる。

 別働隊を殲滅、もしくは大打撃を与える事で、羽柴勢はただでさえ攻めあぐねている状況で、さらに攻め手を失う事になる。

 そうなれば後はこれ以上の損害を出さぬ内に、講和へと意識を傾けるだろう。

 そしてその時こそ、信長と家康が考えていた、理想の展開へと進めることが出来る。


 この後に行う夜襲、それがこの後の展開を決定付ける戦となるだろう。

 だが信長も家康も、いささかの気負いもない。

 既に打てる手は打ち、集められる兵力は集め、優位な状況は作り切った。

 むしろこれ以上の条件下での戦闘は不可能だと断言できる。

 兵数では未だこちらが不利、だが状況は断然こちらが有利であった。


「恐れながら、申し上げたき儀がございます」


 信長と家康の笑い声が止まる頃を見計らって、二人に声をかける者がいた。

 信長の小姓、森蘭丸であった。

 平伏したまま顔だけ上げて、しかもその顔には悲壮な決意を帯びている。

 そんな顔をした蘭丸を無視する気は無い信長は、眼で「構わぬ」と告げ、蘭丸はそれを受けて口を開いた。


「敵の別働隊を指揮する将の中に、森武蔵守長可の名があると聞き及びました。 つきましてはこの森成利、森勢へ攻めかかる部隊の先陣を務めさせて頂きとうございます。 何卒我が願い、お聞き届け頂けますよう、伏してお願い申し上げまする」


 言い終わるなり額を地面に付けて、蘭丸が二人に懇願する。

 家康は信長へと視線を送り、信長はじっと蘭丸を見やる。


「……兄と殺し合いたいか?」


「いえ。 ですがこのまま戦に臨み、兄が上様の命以外の戦で討ち死にしたとなれば、父や弟はあの世で哀しみましょう。 何卒私に、兄と話せる機会を頂きとうございます」


 森蘭丸こと森成利の父は、『槍の三左』、『攻め三左』の異名を取った森三左衛門可成である。

 その武勇と忠誠心でもって、織田家の中でも信長の腹心として活躍し、信長を守るためにその命を散らした男でもある。

 そしてその武勇は長男が早世したことで家督を継いだ次男・森長可に特に強く受け継がれ、その下の三男が森蘭丸、そして四男と五男が本能寺で討ち死にした力丸と坊丸であった。

 また、未だ若年のため世に出ていない後の森忠政となる六男がいるが、この時点では未だ甲賀の里に匿われたままであり、年齢もやっと十四になったばかりで元服もしていなかった。

 蘭丸は昨年の本能寺で弟二人を一気に失っていたため、出来ればこれ以上兄弟の命を、ましてや信長の命令以外で失う事を恐れていた。


「相手は『鬼武蔵』の二つ名を持つまでに至った者じゃ、お主がどれほど奮闘した所で、あやつの槍の一振りで吹き飛ばされるのが目に見えておろう?」


 信長は、『無駄死にするだけだからやめておけ』という意味を込めて言い放った。

 戦場という混沌とした状況下では、ましてや夜襲をかけていて視界も定かではない状態では、同士討ちも珍しい事ではない。

 その中で何千もの兵を指揮する部隊指揮官に、直接会って話がしたいなどというのは、戦場を知らぬ者の甘い考えと言ってよかった。

 だがそれでも、蘭丸は頭を上げずにひたすら平伏したままだった。

 ただ消え入りそうな声で「何卒、何卒」と繰り返すままの蘭丸に、家康は困惑した視線を信長に向け続けた。


 すると信長はふぅ、と一息付いて家康に向き直る。


「わしが動かす部隊は、第二陣の長可に向かっても良いか?」


「…森殿には優しゅうござるな」


「三左には借りがあるのでな。 それにあやつの息子らはよくやっておる故、捨て置くには惜しい」


 信長の言葉を聞いて、蘭丸は顔を上げて目に涙を浮かべた。

 そんな蘭丸の顔を見下ろして、信長は少しだけ睨みながら言い放った。


「これで上手くいかぬ場合であれば諦めよ、良いなお蘭」


「格別のお慈悲を賜りまして、恐悦至極に存じまする!」


 そう叫んだ蘭丸の声は、少しだけ涙で滲んでいた。

 再び平伏してしまったため顔は見えないが、その眼からは涙が流れ続けているのだろう。

 残虐非道にして冷酷無比とまで言われる信長ではあるが、自らが恩と感じた家臣に対しては格別に情をもって接することもあった。

 その内の一つが森家であり、家督を継いだ森長可はかなりの暴れん坊であったにも拘らず、信長にだけは礼節を尽くし、また信長も長可には軍令違反の処罰なども軽いものしか科さなかった。

 信長の中では、それだけ森可成という男の成した功績が大きかった、という紛れもない証拠でもある。


 別働隊への奇襲は、各個に行う事として決まっており、誰がどの部隊へ攻めかかるかはおおよその所は決まっている。

 その中でも信長は二千五百の兵を率いて、軍勢の中の第二陣、森長可勢へ攻めかかる事と決まった。

 その他の第一陣、池田恒興は家康自らが精鋭でもって当たり、第三陣の堀秀政には牽制のため、少数の部隊を率いた本多忠勝が時間差で仕掛ける、最後方第四陣には戦力の大半をつぎ込んだ酒井忠次、榊原康政をはじめとした主力軍をぶつける事に決まった。

 別働隊全四部隊の中でも、総大将を任されたのは秀吉の甥である第四陣の羽柴秀次である。

 もちろん総大将であるため、兵数も全四部隊中最大の八千という数を率いている。


 だが兵数とは関係の無い、部隊指揮官として最も能力的に優れているのは『名人』堀秀政であり、かつては小姓として仕えさせていた信長も、その総合的な能力の高さは認めている。

 なのであえて、堀秀政には判断に迷う状況を作らせる。

 自分以外の三つの部隊へ同時に夜襲がかけられれば、当然秀政も気付いてどこかの部隊へ援軍に向かおうとするだろう。

 ではどこへ向かうか、兵数も多いが総大将である秀次を守るために、後方の第四陣へ向かうか。

 はたまた、個人の武勇では音に聞こえてはいても、率いている兵数が秀次の半数以下の、前方にいる第二陣に向かうか。


 森長可勢はおよそ三千、一方の羽柴秀次は八千という数で、劣勢に陥りやすいのはもちろん森勢ではあるが、総大将の身内であるという点で、秀次を見捨てるような真似は出来ない。

 しかし織田家臣時代からの同僚である、森勢も見捨てる訳にもいかない。

 そんな板挟みの中で、時間差で自分たちの元にも奇襲をかけられたと知れば、秀政とて冷静ではいられないだろう。

 しかもその時にはあえて敵に気付かせるため、堂々と本多忠勝に名乗りを挙げさせる予定だ。

 徳川軍において、少ない兵数でありながら抜群の戦果を挙げる事に定評のある本多忠勝が、自分に攻めかかって来るという状況で、他に援軍など回す余裕は持てないはずだ。


 なにせ兵数が千にも満たない部隊でありながら、縦横無尽の活躍を見せるのが本多忠勝の真骨頂なのである。

 かつて武田家を相手にした時も、その部隊運用の巧みさと個人的な武勇でもって、己の部隊の損害を最小限に抑え、上手く退却をやってのけた豪傑として織田軍にもその名は知れ渡っている。

 その働きを見た武田より『家康に過ぎたる者』と謳われ、その武田殲滅後には信長から『花実兼備の勇将』と讃えられているほどである。

 堀秀政はその性格上、そして信長の小姓として仕えていた経験上、難しい案件が複数ある場合、目の前のもの、緊急性のあるものから順次処理していくという行動を取る。

 つまり援軍に向かうべき部隊が二つあり、目の前には猛将・本多忠勝が迫って来るという状況下においては、堀秀政は間違いなく本多忠勝迎撃を優先し、これをなんとかした後で援軍の手配に取り掛かるだろう、というのが信長の読みであった。


 だが本多忠勝に率いさせるのはあくまで少人数、堀秀政の第三陣を殲滅するためではなく、他の部隊への援軍に向かわせず、その行動を制限するための足止めが主任務である。

 音に聞こえた猛将が、自分の足止めのために時間差で夜襲をかけてくるなど、まず想像はつかない。

 仮に気付けたとしても、夜の闇の中で少人数による足止め、とまでは看破出来ないだろう。

 陣容を決め、それぞれが日の入りを待ち、その時が来るのを準備しながら待つ。

 秀吉と家康、そして信長の未来を決定付ける戦が、刻一刻と迫っていた。

今回は準備は説明に一話を費やしましたが、次回以降はここまで焦らしてしまった分、戦をどんどん進めていこうと思います。

とりあえずこの巻の五は「その14」までを予定しております。

そこまではなんとかかんとか二日に一話ペースを守れそうです。


今後も拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。

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