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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その8

            信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その8




 秀吉の大軍が迫る。

 岐阜城を拝領していた池田恒興は、羽柴軍の接近と共に自らの立場を鮮明にした、いやせざるを得なかったと言うべきか。

 今や天下第一の実力者となった羽柴秀吉に従い、織田信雄・徳川家康連合軍と戦うか。

 織田信雄・徳川家康と手を携え、専横を見せ始めた羽柴秀吉に抗うか。

 池田恒興が悩み、選んだ道は前者であった。


 そもそもが岐阜城を居城とする事が出来たのは、秀吉の命令じみた要請を受けたからである。

 織田信長が初めて『天下布武』を公に唱え、信長の養父であった斉藤道三の生前の居城であり、その城の名を信長自ら「岐阜」と改めるなど、織田家にとって並々ならぬ意味を持つ、この岐阜城。

 その城の城主の座に就く、というのは他の家ならばともかく、こと織田家譜代の者にとっては特別な意味を持つ。

 何もしないで領地が一万石増えた、だけでなく岐阜城をもらえると聞いて、池田恒興は内心は両腕を突き上げ、声を上げたいほどの興奮を覚えたものだ。

 それだけの『恩』、いや『利』をくれた秀吉と、今更手切れをするのはもったいなかった。


 心の中では秀吉に付くことを決めた恒興だったが、家臣たちの手前『利』に釣られて秀吉に、と思われるのが嫌で表面上は悩みに悩んでいる、という演技をする事を忘れなかった。

 なにせ今度は以前の賤ヶ岳の合戦の様に、遠くからの傍観では済まない位置で戦が起こる。

 秀吉からも既に出馬要請が来ているし、実は信雄と家康の連名でも書状が届いている。

 『織田家宿老であり、信長殿の乳兄弟であった貴殿と、此度も共に馬を並べて戦場に立つことを頼もしく思う』などと書いてある書状を見た時は、思わず頬を引きつらせた。

 家康は「こちらにお味方下さいますな?」と、丁寧に揺さぶりをかけてきている。


 これが信雄なら「早くこちらの指揮下に加われ」という、居丈高な文章でこちらの反感を買わせる所だ、それを理由に「ふざけるな、お前に指図されるいわれはない!」と激昂して秀吉側に、という行動も取れたのに。

 家康と信雄の連名の書状の体は取ってはいるが、この文章を考えたのは間違いなく徳川方だろう。

 家臣達の前で激昂する演技が出来ない以上、悩みに悩んで、という体を装って秀吉側に付くしかないというのが恒興の本音だった。

 そして当の秀吉は、相も変わらず今回も大軍勢で岐阜へと向かってきている。

 そろそろ羽柴方へと使者を送りつつ、こちらも出陣しなければ。


「行くぞ皆の者、此度は我らも働かねばならん。 今後のためにもしっかりと功を挙げ、池田の名を高めるのだ! そうすれば羽柴の世となっても安泰ぞ!」


 出陣の号令にその言葉はどうなのだろうか、と思いつつ家臣団は「おおっ!」と声を上げる。

 良くも悪くも正直者、いくらなんでも本音がダダ漏れ過ぎるだろうと思っても、この時代に生きる者としては偽らざる本音でもある。

 だがそれ故に、彼らは結束できる。

 功は挙げたい褒美は欲しい、けど命を失うのは御免だ、どうせ此度も勝てるなら極力安全かつ確実に、それが彼らの戦への姿勢であった。

 織田・徳川連合軍対羽柴秀吉を頂点とする羽柴勢、両軍の対決は間近まで来ていた。




 家康は信長と光秀、そして徳川の重臣を集めて軍議を行った。

 信雄がいる場で共に行わないのは、先の会談での信雄の発言に、家康が心底呆れたからだ。


「徳川殿は我が父と共に数々の戦を経験されておる、故に後詰めを任せたい。 我が采配で不忠者の羽柴を薙ぎ倒し、敵が総崩れとなった所で徳川殿にトドメを任そうと思う! 如何か?」


 会談の席で、信雄は意気揚々とそう発言していた。

 その顔は自身に満ち溢れ、まるで勝ちが決まっているかのように振る舞っている。

 数の上では向こうが遥かに上、さらに『我が采配』とは言うが、この男の采配が今まで味方を勝利に導いた事があっただろうか。

 久々に直接顔を合わせた家康だったが、内心での信雄への評価はすでに底の底まで落ち込み、これより下がり様もないほどの最低点を記録している。

 そんな信雄に、お前だけでそれが出来るなら苦労は無い、と内心では思いつつも家康は苦笑して応える。


「勇ましき御言葉、誠に結構。 されど敵はこちらに倍する兵を要する大軍にござる。 さればこちらは一大決戦を避け、敵の兵力を削りつつ士気を下げ、敵を焦らしつつその戦力を奪う、という作戦を旨といたしたい」


「む、なんだか地味ではないか? 不忠者を討つに、まどろこっしい真似をしてはわしの器量が問われはせぬか?」


 どうやら信雄の頭の中では、自分に向かってくる有象無象を蹴散らし、逃げ惑う羽柴勢を相手に高笑いでも上げつつ、面倒臭い掃討戦は徳川に任せよう、とでも想い描いていたらしい。

 おそらく、どこかの平野で互いに全軍を挙げてぶつかり、その上で信雄の見事な活躍によりお味方大勝利、という妄想が現実に起こり得るものと信じているのだろう。

 器量が問われる、以前の問題だという事にも気付かぬこの男は、不満そうに口をとがらせ、家康の意見に対する不平不満を隠そうともしていなかった。

 だが家康もさる者である、信雄のような人物は言葉を選んで機嫌を良くしてやれば、たとえ後でどのような事になろうと、今この場での反論は無いと分かっている。


「敵は大軍、されどそれゆえの弱点もござり申す。 戦場においては敵の弱点を突き、味方を勝ちに導くことこそ大将の成すべきこと。 それも分からず信雄殿の器量を疑うような者は、その者の器量自体が狭量なのでござろう、その様な者たちの評価など気にする必要はござるまい。 それに此度の戦は天下のための戦にあらず、不忠者の誅伐がごとき戦なれば、まずは某に露払いをお任せ頂きたい」


「ふむ、であるか。 いやさすがは我が織田家の盟友、徳川殿よ! されば徳川殿には先陣をお任せしたいが如何か!?」


 要は結局よく分からないから、お前に任せると言いたいわけか。

 内心のゲンナリとした感情を表情には一切出さず、家康は自信満々の笑みを浮かべて「承りました、されば家中の者たちとの軍議を行います故、これにて」と言って、早々に退出した。

 あれが信長の血を引いている息子だと言うのだから、血筋というものも当てにならない。

 信長の口癖とも言える『であるか』、さらに『我が織田家』などと言ってはいるが、その言い回しを使いたかっただけであろうな、と家康は部屋を辞してから苦笑した。

 なんにせよ信雄は当てにならない、だがなまじ先陣を切らせて壊滅し、こちらの士気まで下がって向こうの士気だけ上がる、という最悪の事態は避けられそうだ。


 それに何より『先陣』という言質も取った。

 つまりは徳川軍からの要請、あるいは徳川が危機に陥りでもしない限りは、信雄は動かない。

 信雄が勝手に動いて馬鹿な采配を振るい、余計な横槍を入れてこちらまでそれに引きずられる、という極めて避けたい事態は無くすことが出来ただろう。

 信雄は後方で控え、こちらが欲しいと思う時に兵力さえ供給してくれてれば、それが何よりの活躍だ。

 必要なのは『織田家の御旗』であって、『織田信雄』ではないのだから。


 そういった一連の会話を信長と光秀に聞かせた所、信長は珍しく頭を抱えて溜め息を吐いた。

 光秀も痛ましそうな顔をして信長を見て、そっと目を伏せた。

 どうやら二人も信雄の言動から『何も期待は出来ない』と察したようだった。

 徳川の重臣たちは既に辺り一帯の地図を広げ、砦の構築場所や兵の配置などを話し合い始めている。

 どうやら織田信雄軍に関しては、最初から物の数には入れないつもりらしい。


 徳川単独で考えた場合の彼我戦力差はおよそ一対三、徳川軍は三倍の兵力を相手に挑むことになるだろう。

 だがそれでも勝算は無い訳ではない。

 こちらは徳川単独の、いわば一枚岩の兵力であるのに対し、羽柴勢は様々な家の兵力が集結して出来た、いわば寄せ集めという見方も出来る軍勢である。

 それに大軍であるが故に、長期の対陣に向かず、兵糧の問題もある。

 毛利との対陣、そこからの大返しによる明智討伐、さらに賤ヶ岳に繋がる一連の戦、そして今回の織田・徳川連合軍との対決。


 加えて秀吉は多大な出費が余儀なくされている案件を、二つも抱えている。

 いくら財政的に裕福な秀吉と言えど、今回の戦に限っては豊富な資金力を背景にした戦を進める訳にはいかないのである。

 各家から集まった軍勢には、それぞれの兵糧が用意されてはいるだろう。

 だが羽柴軍本隊、直轄軍はそうはいかない。

 おそらく秀吉は本隊の温存、自らの直轄軍をなるべく動かさず、極力自らに従う諸将に出撃を命じるはずだ。


 そこが家康にとっての付け込む隙となる。

 純粋な大将としての器・実力では秀吉相手に勝てる、とは家康も断言はできない。

 だがその秀吉は実質動きが取れず、その指示を受けただけの諸将が一糸乱れぬ統率で、こちらに攻めかかって来れるかどうか。

 答えは確実に否、と断言できる。

 そもそも秀吉の率いる『羽柴勢』なるものは出来てから日が浅く、先祖代々の忠誠心を持つ家臣団などではなく、秀吉に従う事で得られる利益によって繋がっている軍勢である。


 秀吉の指示に従い、利益追求による武功を狙って、それぞれが互いを出し抜いてでも自分だけが功を挙げようとするだろう。

 信長と光秀、そして家康の基本戦略は決まっている。

 たとえ相手が二倍でも三倍でも、数だけに任せた烏合の衆なら敵ではない。

 各個撃破して終始戦を優位に進めれば、数で勝る自分たちが思うように勝てない事に不安を覚え、自ずと士気が下がる、その頃合いを見て講和へと持ち込む。

 それでこちらは少なくとも倍以上の敵を相手に、互角以上の戦いを進めたという既成事実だけが残り、秀吉とてあまり強気な条件を提示することも出来なくなる。


 仮に秀吉がしびれを切らし、自ら大軍を率いて動いて来た時には、こちらはのらりくらりと軍を移動させて決戦を避けつつ機を窺う。

 大軍には大軍の、寡兵には寡兵の戦い方、取れる戦法が存在する。

 秀吉が既に二回も見せた大返しも、いわば移動だけを目的とした行動なので、なにも戦闘状態を維持したままの行軍ではないのである。

 またそれを行った場合、兵や馬の疲労が溜まって休憩を挟まねば、戦どころではなくなるだろう。

 ましてや兵糧に余裕が無い時にやるものではない。


 山崎では大返しを敢行した後は一旦姫路城で休息を入れ、四国遠征軍との合流を果たしている間に兵を休めさせることが出来た。

 賤ヶ岳ではそのままほとんど休憩なしに乱戦にもつれ込むことになったが、乱戦が終わった後には少し長めに休息を入れたため、柴田勝家は北ノ庄城まで逃げ延びることとなった。

 しかしもし今回、あのような神速の大強行軍を行った場合、家康は巧みに軍を分けて標的を分散させ、その後の羽柴勢の疲労を狙って攻めかかるという戦法を取るつもりであった。

 秀吉の戦い方は、羽柴勢を形成する各軍に入り込んでいる『隠れ軍監』からも逐一報告を受けているため、その対応策などもあらかた出来上がっていた。

 後はその場その時に、適宜対応して当たるだけだ。


「まずは尾張国内の各城を制圧、もしくは懐柔しつつ羽柴勢本隊が来る前に、地の利を活かせるようにしておきましょう」


「であるか。 サルが来る前の露払いくらいは、茶筅にやらせてやっても……いや、やはりやめておくか。 あやつはむしろ動かすべきではない」


「『織田』の名を持つ方が動かれた方が、徳川様よりも心情的に懐柔しやすいやもしれませぬが……あの御方に限りましては……何事にも例外というものが…」


 信長は少しだけ親心を見せようとはしたが、結局自分自身でその心を撃ち殺した。

 今回の戦は、自身が表舞台に帰る前の最後の戦となる。

 ならばその戦を、よりにもよって自分の息子に台無しにされては、やりきれない思いがひとしおとなってしまう。

 光秀も相手が相手なため、ハッキリとは物が言えずに、段々とボソボソ呟くような声音となってしまっている。

 なので家康はあえてそれらを聞かなかった事にするため、大きな咳払いと共に話を続ける。


「ゴホン! それと要所に砦の建築を。 これも奪われ破壊される前提の物と、しっかりとした構えの二種類を構築し、敵の眼を欺きましょう」


「情報の伝達と相互共有が鍵となろう、伊賀と甲賀の大半を伝令用に配備するか」


「奪われる前提の砦はあらかじめ崩しやすい構造にしておけば、敵に利用されないばかりでなく、その砦に拠った敵に損害を与える事も能うかと」


 気を取り直した三人の意見が次々と飛び交い、そうして次に動くべき行動が決まる。

 徳川の強みはなんといっても、将から末端の兵までの完璧とも言える忠誠心にある。

 主君・徳川家康の指示ならば、遅疑なく動き、命すら惜しまず、兵の末端に至るまでが鬼武者と化す。

 一騎当千、とまではいかなくとも最低でも一人一殺、を成し遂げる。

 戦国最強を謳われた、甲斐の武田家でも倒し切れなかったしぶとさは、いまだ健在なのである。




 秀吉が尾張と美濃の国境付近まで進み、自らに従う諸将と軍議に入った時には、尾張国内にある城は全て織田・徳川へとなびいて、もしくは制圧されていた。

 尾張国内で秀吉の到着を待つため、先にいくつかの城を制圧していた池田恒興や森長可などは、それらの軍勢が詰めていた城を全て落とされ、彼らはやむなく美濃国で秀吉を迎える事になった。

 元より自分が到着前に決着が付くとは思っていなかったが、まさか尾張国内から完全にこちらの勢力を排除されるまでに至るとは。

 秀吉は内心歯噛みしたが、なまじここで敵に休息の時間を与えるのも癪である。

 秀吉は池田恒興や森長可をはじめとする者たちに改めて自軍から兵を与え、各々の部隊を率いて間断なく敵を攻め立てるよう指示を下した。


 しかし徳川軍は巧みな用兵で羽柴軍に一方的な損害を与え、攻めかかって来たと思えばあまり深入りせずにすぐに軍を退く、一撃離脱という手段を取り続けた。

 そのためか羽柴勢全体の被害としてはまだ軽いものではあったが、敵方の軍勢はほとんど被害らしい被害を受けてはいなかった。

 もちろん戦った以上は負傷者も死者も出たではあろうが、こちらよりも確実に少ない事はその戦いぶりからも想像が出来た。

 向こうはいくつもの小部隊に軍を分け、その身軽さでもってこちらを翻弄している。

 ならば、と秀吉は軍勢を集結させ、総勢六万もの軍勢でもってじりじりと押し進んだ。


 その大軍勢を前に下手に仕掛ける事はせずに、徳川軍は分散していた小部隊を集結させて、元の一つの軍となって固まり、小牧山城へと入った。

 なかなか侵入できなかった尾張国にようやく侵攻できた秀吉だったが、ここで小牧山城からほど近い、犬山まで来た所でその進軍は止まった。

 いくらそこまで大層な物ではないとはいえ、城攻めとなれば相応の被害も出るだろう。

 通常城攻めというと、城方の兵力の3倍を用意せよ、などとも言われてしまうほどである。

 せっかくこちらは向こうの3倍ほどの兵力を持っているというのに、城に籠られてはその大軍の利を活かし切れなくなってしまう。


 秀吉は当初、信雄に使者を送って上手く挑発、もしくは懐柔して織田と徳川の連合に亀裂を入れようとした。

 だが信雄の秀吉への憎しみは予想を超えており、使者は信雄に目通りをするどころか命からがら逃げ帰って来るという有様であった。

 これは明らかに徳川方から事前になにかしらの入れ知恵、もしくは思考の誘導をされていたと見た。

 そこで秀吉は信雄への対処を一旦諦め、徳川への対処に集中する事にした。

 だがそこで家康の、徳川軍の強さを思い知らされることとなった。


 主従一体、とも言える絆の強さの賜物か、家臣団がバラバラに行動している様に見えて、その実的確にこちらに被害を与えていく小部隊の連携に、秀吉は苛立ちを隠せなかった。

 こちらとまともに組み合わず、いなして、透かせて、巧みに正面対決を避けられた。

 ならばとこちらが固まれば、向こうは城に籠ってがっちり守りを固める。

 ここにきて秀吉はいよいよ不機嫌さを隠せなくなってきた。

 なんてやり辛い相手だ、こちらはそこまで兵糧に余裕もないというのに。


 大坂城建設用の資金は官兵衛に任せてあるから、これ以上の出費は無いだろう。

 だが問題は近衛前久に任せている京の公家衆への貢ぎ物であった。

 前久からの求めに応じて、その時その時に補佐役として資金を管理している三成から、必要な分の資金を引き出してもらうような仕組みにしてはいるのだが。

 前久と手を組んだ時点で、大坂城建築費用と当座の資金を除いた、ほぼ限界ギリギリまでの資金を三成に預けてあることも前久には伝えておいた。

 あのキチッとした性格の青年は、前久からいつ、誰用に、どれだけの金額を使ったかも、正確に聞き出して記録しているだろうから、こういう時にはとても心強く思える。


 そうして一時的とはいえ懐が随分寂しくなった秀吉の耳に、今回の戦の報告が入ったのだ。

 当座の資金だけで慌てて用意できた兵糧は、ここ数年秀吉が指揮した戦の中では一番少なかった。

 しかし豊富な資金力、食いっぱぐれの無い羽柴軍、そういう印象がこの一戦でご破算になるのは絶対に避けたい秀吉である。

 だがだからといって領国が近くにある池田恒興に、なまじ兵糧の無心などしてしまったら、完全に借りが出来て今以上に大きな顔をするに決まっている。

 今の所はまだ大丈夫だ、すぐに兵糧不足にはならない、だがなまじ時間をかけるのはあまりにも危険だ。


 秀吉は秀長と二人だけの時以外は、なるべく余裕のある鷹揚な態度で諸将に接している。

 だが周りに秀長しかいない時には、貧乏ゆすりは止まらず、眉間にしわを寄せ、常に落ち着きが持てない様子となっていた。

 秀長もそんな秀吉に、どう声をかけたらよいか迷っている。

 幻聴だと分かってはいるが、家康の高笑いでも聞こえてくるかのような心境の秀吉が、報告の兵士の「申し上げます!」という言葉で、慌てて平静な仮面を被る。


「ん、どうした?」


「池田恒興様が、殿にお目通りを願うております」


「おぅおぅ池田殿か、通してくれ通してくれ」


 先程の落ち着きの無さから一変、まるで戦場にいるとは思えないような気楽な声で、報告の兵士に言葉をかけてやる秀吉。

 だが内心では「あやつ、一体何の用で来た! つまらん話であったら、ここまでの敗戦を材料にして兵糧でも召し上げてやろうか」などと考えていた。

 秀吉の内心を知ってか知らずか、彼には珍しく神妙な顔つきをしたまま、池田恒興が秀吉の前へと通された。

 その池田恒興から挨拶もそこそこに、進言された作戦を聞いた秀吉の眉間には、せっかく平静の仮面を被って消したしわが、くっきりと刻まれてしまっていた。

信雄無双は残念ながら諸事情により中止となりました。

今回ようやく戦が始まりましたが、この後じっくりと描くつもりでおります。

家康・信長・光秀にそれぞれしっかりと活躍の場を与えるつもりです。


気が付けば評価を入れて下さった方は50人、ブックマークも700件を超えておりました。 流行からはかけ離れた作品であるにも拘らず、支持をして下さっている方々には、厚く御礼申し上げます。

どこまで楽しんで頂けるかは分かりませんが、出来る限りの力で描いていこうと思います、これからも拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。

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