信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その7
信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その7
徳川の軍勢が領国である三河を超え、尾張へと入った。
織田信長と徳川家康、この両名が結んだ清州同盟により、織田家は三河への国境付近に、徳川家は尾張への国境付近には極めて少数の兵しか配さなくても済む様になった。
これはお互いへの信用の証であり、特に互いの領国が広がり、各所へと守備兵を配さなければならなくなった時には、お互いの負担がさらに軽減されることにも繋がった。
本能寺の一件で信長が死んだとされ、その後の清州会議で尾張を領することになった信雄も、徳川への無用な刺激は百害あって一利なしとさすがに分かっていたのか、信長生存の頃と変わらぬ最小限度の国境警備の兵のみが配置されていた。
そして今、家康は馬に跨ったまま国境を超え、何度目となるか分からぬ尾張へと入国しながら、形だけの国境警備を固める織田兵に、「お役目御苦労にござる」と声をかけた。
長年の同盟相手にして、今やその影響力は五カ国にまたがる東海の太守、徳川家康に声をかけられた兵たちは「ははッ!」と頭を下げて、決して通行を妨げるような真似はしない。
ここにいる者たちは三河から入国してくる者に対して、あからさまに怪しい者以外はほとんど素通りと言っていいほど警備が緩かった。
それが徳川軍だと分かっているからなのか、それとも長年の同盟のなせる業か、国境警備兵というにはあまりにも緊張感のない兵たちの態度に、家康は少しだけ不安を覚えた。
信雄の阿呆ぶりが兵たちにまで伝播したのではなかろうか、などという考えにまで至りそうになりながら、家康はそのまま馬を進めた。
家康のすぐ後方には、立派な甲冑具足に身を包み、兜と面当てで顔を隠した信長が、馬に揺られたまま悠然と国境を越えた。
信長にとっては一年以上前に、家康の元へ来るまでの間に一度超えた国境ではあるが、今度はあの時と何もかもが違った。
以前にこの国境を越えた際には、同じく顔を隠したままではあったが、ここまで警備が緩くは無かった。
もし今この場で自ら兜と面当てを外し、ここにいる緊張感のない兵たちに一喝してやったら、それはさぞかし爽快であろうな、などという悪戯心が信長の中に芽生えた。
だがいくらなんでもここまで秘密にしておいて、そんな子供の悪戯のような行動で生存の秘を明かしてしまっては、久しく呼ばれていなかった「うつけ」を地でいくようなものである。
あくまで心の中だけで考え、表面上は粛々と馬を進めた。
信長はあくまで表面上は徳川軍の客将、という扱いで軍勢の中に紛れた。
そして同じく従軍していた光秀や蘭丸、フクロウなども軍勢の中に紛れたまま進んでいった。
無論フクロウ以外は顔の一部やほぼ全体を隠し、素知らぬ素振りで進んでいく。
なまじ尾張という土地では、どこで知っている顔と遭遇するか分からない、という事を十分に踏まえた上で、顔を隠すことにしたのである。
フクロウは元々が足軽の一人に扮する『隠れ軍監』であるので、今回も家康から信長の部隊として用意してもらった軍勢の足軽に紛れて、行軍していた。
家康が清州城で信雄と会談に行う頃、信長は供に蘭丸とフクロウのみを連れてある場所へと向かった。
場所の名は「政秀寺」、かつての信長の守役・平手政秀の菩提寺である。
父親である織田信秀が亡くなった後も、傍目からは奇行が収まらないと思われていた信長を諌めるために切腹した、と言われる織田家きっての忠臣の墓があり、信長は平手政秀の名から取った新たな寺を建立し、そこを菩提寺とさせた。
兜も面当ても取ることは出来ないが、信長は今目の前にある墓に向かって手を合わせた。
蘭丸もそれに従い目を瞑り、手を合わせ故人への礼を尽くす。
普段の破天荒ぶりが嘘のように、この時の信長は寡黙にして穏やかな態度を貫いており、フクロウは戸惑いながらも慌てて手を合わせた。
その後さらに別の寺へと足を向け、そこでも一つの墓を前に、黙祷を捧げた。
蘭丸もフクロウも信長に習い、ただじっと手を合わせて瞼を閉じていた。
信長の気が済んだのか、寺の表に繋いだままの馬の所へ戻り、再び馬上の人となる。
信長の馬の口取りをしながら、フクロウは思い切って尋ねてみた。
「恐れながら、どなた様の?」
「……爺とお類の墓参りよ。 去年はする間もなく浜松へ向かったのでな。 此度も素通りでは、あやつらも寂しかろう」
そう言った信長の眼は、どこか哀愁を帯びていた。
フクロウも知識としてなら知っていた。
信長の言う「爺」という存在と、「お類」と呼ばれる女性の事を。
平手政秀と、信忠・信雄の母に当たる女性の事である。
共に信長が生涯忘れえぬ存在であり、立場も経緯も性別も違えど、生前は信長の側にあって支え、その命が尽きた後でも信長の心に残り続ける存在である。
「御二方へは、なんと?」
信長の馬の横を歩きながら、蘭丸が尋ねる。
先程から帯びていた眼の哀愁はそのままに、信長は面当ての向こうの口元だけに笑みを浮かべた。
「今しばらくはそちらへ行かぬ故、首を長くして待っておれと言うておいたわ。 これですぐに冥土に行こうものなら、爺あたりから『自分で言うた事も守れぬ悪餓鬼のままじゃ』と、説教を食らうな」
昔を思い出したのか、今の信長はいつもの雰囲気よりも大分柔らかい。
眉一つ動かさずに万単位の人間の殲滅を命じられる男が、今この時だけは郷愁の念にかられてゆっくりと馬に揺られている。
成り行きとはいえ先年から信長の直臣のような扱いになっているフクロウは、これで何度目かになるか分からない信長の新たな一面を見ていた。
初めて本能寺に赴いた際にはまさかこのような事になるとは思いもよらなかったが、信長という人物像を聞いているだけでしか知らなかったフクロウからしてみれば、驚きの連続であった。
甲賀の里を襲撃し、力づくで全てを従わせる冷酷・残忍・極悪な独裁者という印象しかなかった信長は、実際に近くで仕えていると驚くほど聡明で、悩みもすれば情もある男だった。
己の生きる道を定め、それに向かって邁進する、その前に立ち塞がるものはたとえ何であろうと取り除く、合理的で徹底的で真っ直ぐすぎる男、それが信長なのだとフクロウは感じた。
だがそれ故に他者との交わりが上手くゆかず、多くの者に背かれ、裏切られ、刃を向けられた。
血縁者であろうと、信長を本当に理解し切れた者などほとんどいない。
だからこそ、信長は己の理解者を決して自分からは裏切らない。
そして信長を理解出来た者は、その生き様を信じた者は彼に付いて行く事を願う。
どこまでも不思議な方だ。
戸惑い、驚き、茫然となる事など、常に周囲に気を張り、冷静沈着を旨としなければならぬ忍びとしては、許されざる行動だ。
なのにこの人の側にいると、そうなってしまう事が本当に多い。
だがそれが不思議と、嫌だとか、馬鹿な事だと断じ切れない自分がいる。
さらに、信長の側近の様な立ち位置でいられる今が、やはり不思議と心地良く感じる。
武士が美しいものだと、気高いものだと、そしてその一方で生温い、青臭いものだと、様々な言葉で語られる「忠義」という言葉。
あるいは、信長に対して自分はこの「忠義」というものを感じているのかもしれない。
自らが命を賭して仕えるに足る、仕えたいと思うだけの人間的魅力を持つ人物。
フクロウは馬の口取りをしながら、チラリと馬上の信長を窺う。
信長は眼を瞑って黙ったまま、馬に揺られていた。
(織田信長、か……)
信長と蘭丸とフクロウの三人は、そのまま清州城を目指した。
信長が任された一軍は、今は副将扱いの光秀がまとめている。
そちらへと合流し、家康と信雄の会談が終わり次第、家康とも合流する予定である。
信長が好む『敦盛』の一節にある、人間五十年。
齢五十を迎える信長は、間もなく新たな戦いに挑もうとしていた。
秀吉は自らに従う諸将に伝令を発し、あっという間に五万を超える大軍を形成した。
秀吉の行なう戦の規模は、ここ数年で爆発的な拡大をもたらした。
毛利攻め以後、常に動員は万単位で行い、しかもそのほとんどで勝利を得ている。
「山崎の合戦」のような大一番、「賤ヶ岳の戦い」のような近江、美濃、伊勢での連戦、その全てで万単位の軍勢を動かし、常に大軍でもってまず相手より数で優位に立ち、その後の戦術でもって勝利を確定させる。
これこそが揺るぎの無い、秀吉の必勝戦法である。
『数』という戦において重要な要素、これがまず上回っているのが大きい。
まずは数で優位に立ち、末端の兵にまで「勝てる戦だ」と思わせ、士気の低下・兵の逃亡を防ぎ、同時に恐慌状態に陥らないような精神的余裕を与える。
その上采配を振るうのは人の心を読み取る天才である大将・羽柴秀吉と、神算鬼謀の軍師・黒田官兵衛の二枚看板である。
数が多いからこそ打てる手があり、兵力に余裕があるからこそ落ち着いた物の見方が出来る。
この戦に勝てば、秀吉の影響下に入る土地はさらに広がる。
もはや日ノ本において、単独でこちらに対抗し得る勢力は存在しない。
もし連合を組んでこちらに対抗しようとしたところで、所詮は寄せ集めの烏合の衆。
数と采配でこちらを負かせるだけの勢力など、もはや作りようがないだろう。
だが秀吉とて不安要素が無い訳ではなく、未だ大坂城は建設途中であり、縄張りをした手前、作事を最後まで監督させるべきと考え、黒田官兵衛は大坂に残した。
さらに近衛前久には石田三成や前田玄以、増田長盛などの官吏連中を付けてやることで、朝廷対策の補佐を任せる事にした。
今回の秀吉の陣容は、大将に言うまでも無く秀吉自身、そして副将に弟・秀長、そこに子飼いの若手やかつて与力として付けられてた連中や、降伏してこちらに臣従した者などで固めてある。
ハッキリ言ってしまえば人材は余るほどおり、誰をどのように動かすかは未だに決めかねている。
だが、傍らに置いていざという時に頼れる軍師もおらず、また側仕えで頭の回転の速い三成もいない。
確かに前線向きの将には事欠かないが、本陣に詰めさせる者がどうにも手薄だ。
いざという時には自ら動き、策を練り、采配を振るわねばならないだろう。
だがそれでも秀吉は負ける事は無いだろう、と考えていた。
多少の苦戦はあったとしても、なんといっても現時点で五万、これから美濃や尾張まで向かう道すがらに合流してくる者も合わせれば、開戦時には六万を超える軍勢になっているであろう兵力を用いて、負ける戦になる訳がない。
自分は本陣に詰め、頭となって手足となる前線の将に指示を出し、あとは手足が奮戦して勝利を掴んでくるだけの話だ。
それに、今回は部下たちの働きに任せるのも一興かもしれない、とも思っている。
先の賤ヶ岳では少々過剰に七人の手柄を喧伝したため、今回こそは自分が、と目をぎらつかせている者も多く見受けられるためだ。
注意するべきは家康の率いる精強な徳川軍、実戦経験も豊富で信長と共に戦った経験も多い。
当然こちらの軍の中にも徳川家康を見知っている、その強さもよく分かっている、という者も多い。
だからこそ家康相手にはかつての柴田勝家の如く、慎重にならざるを得ない部分もあるだろう。
だがもう一方の織田信雄に関しては、こちらがよほどの悪手を打たない限りは心配しなくても良いだろう。
家康が信雄から完全に采配を取り上げ、信雄軍まで完全に指揮下に入れて、その上でこちらに対抗して来たのなら難敵に成り得るだろう。
だがあの暗愚が、いくら父の長年の同盟相手と言えど自らの指揮権を譲渡するとは考えにくい。
こちらにとって一番取って欲しくない手は、信雄自身が封じてくれるだろう。
たとえ勝率が一番高くなる方法であっても、それに気付かない、よしんば気付いたとしても無駄な気位の高さが邪魔をして、その手段を取ることが出来ない。
それこそが暗愚の、暗愚たる、三介殿のやる事よ。
密偵からの報告では、こちらは敵方の倍以上の数まで軍勢を膨らませることが出来そうだ。
既に岐阜にいる池田恒興にも伝令は出しているし、こちらの本隊が到着する前に戦の備えは終えていてくれるだろう。
池田恒興は先の賤ヶ岳では傍観を決め込んだが、今度はそうはいかぬ。
摂津から近江は遠かった、などと言うつもりだったかもしれぬが、今度は岐阜におって戦場はおそらく美濃と尾張の国境付近、これで戦働きが無ければそれを理由に処罰しても良い。
そもそも池田恒興の利用価値は既に乏しいのだ。
織田家という重しは既に無い、すなわち織田家宿老などという地位はもはや何の意味も成さず、なまじ岐阜に十三万石も領した状態で座られている方が目障りだ。
「いっそ片付けるか…?」
ぼそりと秀吉の口から、黒い本音が転がり出た。
織田家あってこそ、信長あってこその恒興の存在価値は、既に清州会議でその役目を終えているのだ。
かといってあからさまな排斥は反発を生み、それによって自分への求心力が下がるのは困る。
利用価値の無い者は容赦なく斬り捨てる、では信長と同じで、自分はそれとは違う支配方法で行くと決めたのだ、ならばどういう方法が良いだろうか。
邪魔な人間の部隊を孤立させ、徳川に討たせてそれを囮にして子飼いの部隊に取り囲ませて殲滅、というのがある意味で最も良い展開かも知れない。
自らの子飼いに武功を与え、邪魔な者は片付け、戦にも勝てるという良い事ずくめだ。
ただ問題は、そこまで上手く事が運ぶとは思えない事。
孤立した者を見れば即座に飛び掛かるなどは獣の所業であり、三方ヶ原で武田に大敗して以後、『慎重居士』と渾名された家康が、そんな簡単に乗って来るとは思えない。
という事は、狙うのは。
「信雄を揺さぶってみるか」
まずは美濃へと向かう道すがら、秀吉は頭の中を猛烈に回転させた。
この時の秀吉は気付いていなかった。
すでに自分が、官兵衛の様に人を人として考えず、あくまで兵士という「物」、戦う際に使う「駒」としてしか、自軍の人間を見ていない事に。
人の心の機微を誰より敏感に察する事で上り続けた男は、人の命を消耗品として見る男へと変貌していったのである。
どうしても信長に墓参りをさせたかったのです。
さんざん焦らしてしまってスイマセン、次回より戦が始まります。
史実を踏襲しながらも、史実と違う部分も織り交ぜて展開させようと思います。




