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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その6

今回は少しだけ長めです。

7月1日は日中に時間が取れそうになかったので、少々夜更かしをして投稿しておきます。

遅れてしまうよりはよほどマシだと思いましたので。

              信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その6




 近衛前久が洛中へと舞い戻り、一年以上もの間留守にしていた自らの屋敷に帰り着いた。

 これまで前久が京を離れるのは日常茶飯事と化していたため、それに関して驚く者はいない。

 だが、今回は少し事情が違った。

 朝廷内での不祥事を咎められて、帝から追放の勅命を受けたとか、または日ノ本の様々な所へ自ら足を運ぶ前久が、今度はどこそこから帰ってきた、というものでもない。

 一番近いのは朝廷内での政争に敗れ、一時的に京から出奔する、というものだろうか。


 反信長派による軟禁と協力の強要、さらに羽柴軍による詰問を経て前久は京を出た。

 反信長派はそれを大いに嗤い、「武家などにおもねる輩には似合いの末路」として酒の肴にしていたほどだった。

 彼らにとっては帝を頂点とし、その周りにいる自分達こそがこの日ノ本の絶対的な支配者であり、口に出す言葉はともかく、内心では武家などというものは権力を奪い合い、殺し合いに終始する気性の荒い野良犬か暴れ馬、程度にしか思っていなかった。

 だがかつては、そんな彼らの認識を一変させる存在がいた。

 いくら多大な兵力を持っていても、膨大な財力を持っていても、大なり小なり自分たちには敬意を払っていた武家の人間が、まるで道端の石を見るかのような態度で物を言ってきたのだ。


 始めの頃はまだ良かった、大人しく貢ぎ物を差し出し、敬意を払っているかのように見えた。

 だがその存在、尾張から上洛した織田信長という男はある時、公家衆から見れば図々しくも、だが現代の感覚からすれば必須の事を提案したのだ。

 日ノ本の「暦」の完全統一化。

 本来暦というのは、当時は朝廷の専門分野で管理されるものであり、そこで制作された暦が全国で使われる暦の基盤となるものであった。

 だが当時の暦の作り方は何百年も昔から変わらぬ、伝統的な作法に則った、言い換えれば古びた制作方法をただ毎年真似て作るだけの代物であった。


 現在でも「うるう年」などが有る様に、必ず毎年同じ日数で一年を計算する訳ではない。

 だが当時はそれらを計算には入れず、またその暦を作成していた朝廷内の機関が実質閉鎖状態であったため、その地域・地方独特の暦などが独自に用いられ、単純に言ってしまえば日本中で違う一年の計算をしてしまっているも同然だったのだ。

 そこに南蛮より渡来した一つの物品、「時計」により正確な時間の計測をすることが可能となった。

 一年を三百六十五日、一日を二十四時間、一時間を六十分、一分を六十秒。

 その計算でもって極力正確な暦を日ノ本全土で統一させ、様々な天候や災害などの予測にも役立てる、その技術と発想を信長は提案した。


 しかし古きものこそ至高、代々続くものこそ自らの地位と立場を確立させる、そういった世界で生きてきた公家衆が、遠き異国よりもたらされた物を容易に認めることは無かった。

 遠き異国の技術の高さ、発想の豊かさ、武器の恐ろしさを知っていた信長は、未だ暦すら統一されていない日ノ本の現状に危惧を抱き、根幹となる暦を制作する朝廷からそれを正そうと思い、失敗した。

 信長の考える日ノ本防衛構想は、あらゆる分野に置いて日ノ本の水準を南蛮国と同程度、せめてそれに近い所まで高め、戦を仕掛けようとする気を無くさせる、あるいは戦となっても守り切れるだけの国力を身に付けさせる事であった。

 そのために使う物が南蛮国からもたらされた物である、というのは業腹だったが、すでに背に腹は変えられない状態である、と信長は考えていた。

 しかしそこまで考えが及ぶ者は、この時の日ノ本に置いて信長以外には存在しなかった。


 ましてや公家衆に至っては肌の色、髪の色、眼の色が違う異国の者など、読み物の中に存在する鬼や妖怪と大差ない、おぞましいものとしてしか映らなかった。

 そんな存在からもたらされた物を見せ、朝廷の専門分野であった暦に手を入れるなど、公家という立場の者からすれば、朝廷に対する不敬ここに極まる、という印象しか与えなかったのだ。

 信長は徹底した合理主義者であるため、公家衆の説得や懐柔といった煩わしい手段を取らず、実力行使で物事を推し進めようとして、結果大反発を招くことになった。

 近衛前久はその中でも一定の理解を示し、信長と朝廷との間に出来たわだかまりをほぐすための仲立ちに奔走したが、その結果は本能寺へと終息した。

 前久としても信長の言動は正しいとは思っても、その手法が強引過ぎたがために完全にその肩を持つ事が出来なかった、という自責の念があった。


「すべては明日からや。 明日からやり直すんや、この国と朝廷が無うなってしもうたら、もはや公家がどうの、雅がどうのや言うてる場合や無うなってしまう」


 久々に帰った屋敷では、前久の帰還を喜び口々に「御労しや」などと、家人が平伏しながら涙を流してくれた。

 一人一人に声をかけ、自らの無事と帰還を喜んでくれた言葉に対する返事を言い、前久はその日は早めに床についた。

 そして眠る直前、寝室の天井をぼんやりと眺め、自然と言葉が口をついて出ていた。

 自分は賭けたのだ、あの信長という男に。

 以前のような朝廷での己の立場や信長の顔色ばかりを窺った、中途半端な行動は許されない。


 信長が掲げる理想の邁進に、自らも命を賭して付き合う。

 近衛家、という家柄を危機に晒すことになるかもしれない、己の命が今度こそ危ぶまれるかもしれない。

 だがそれが何だ、あの信長は本当に命を落としかけ、しかも自分は強制的とはいえその企みの片棒を担いでいた男なのだ。

 今更降りることなど許されない、いや己自身の矜持が許さない。

 「公家」という存在をか弱く、世の中を知らず、驕るだけの者はないと証明できるのは、今この世に置いて自分しかいないのだ。


「見てなはれ信長はん、この身はこの身にしか出来ない戦いをしてみせますえ」


 未だかつてない強い意思と覚悟をその眼に灯し、前久はそっと瞼を閉じる。

 様々な経験と疲労が体に染み渡り、ほどなくして前久は眠りに落ちた。




 一方の徳川家は、尾張を領地とする織田信雄の元へ使者を送っていた。

 徳川家筆頭宿老、と言ってもよい酒井忠次と弁舌達者な家老・石川数正の二人である。

 信雄の前に通された二人は、挨拶もそこそこに信雄の自尊心を刺激した。

 織田家本貫の地である尾張を領しておきながら、何故岐阜を手に入れないのか、と。

 岐阜は信孝が治めていた土地であるが、その信孝を降伏させたのは信雄であり、その信雄を差し置いて池田恒興を勝手に岐阜に据えさせるのは、秀吉の越権行為である、と。


 この時、もし信雄が秀吉に従うことを良しとしていたのであれば、忠次や数正はその命が危うかったかもしれない。

 自分と秀吉の間を裂く、離間の策を用いてきたと看破し、二人を斬り捨てるという行動も取れたかもしれない。

 だが信雄は二人の発言に「うむ、その通りだ!」と頷いていた。

 尾張と伊勢、さらに岐阜を領すれば信雄の領地は広大なものとなる。

 信雄の頭の中では、滝川は降伏したというのにその伊勢の所領が自分の物にはならず、さらに岐阜もいつの間にか自分の物となっていない事に、不満を持ち始めていた所でもあった。


 今や実質的な織田家正統後継は自分しかないと思い込み、その自分が尾張や伊勢の大部分を領している、程度で満足などは出来ない。

 徳川からの使者二人の言葉に、身体を前のめりにしながらしきりに首を縦に振り、乗せられていることに全く気付かないまま、信雄は気が付けば秀吉憎しの念に囚われ始めていた。

 忠次は顔に神妙な表情を張りつかせ、内心で苦笑した。

 数正はいつものような落ち着いた態度で、ただ真実を語っているだけと言わんばかりな平坦な口調で話し続けた。

 二人はこの戦国の世を生き抜く中で、様々な外交交渉などもこなしてきた実績がある者たちであり、その者たちからすれば信雄など赤子同然であった。


「我が主・家康もこの度の論功行賞には眉をひそめておりまして」


「左様、対滝川殿及び信孝殿との戦いにおいて、功ある信雄様の恩賞が何一つなく、また勝手に池田殿に岐阜を拝領させる始末。 『天下布武』発祥の地である岐阜を、織田家一門の者が領せぬなど許されぬこと。 これこそが羽柴筑前守が、織田家をなんとも思っておらぬ何よりの証拠にござる!」


 数正の言葉の後を、忠次が続ける。

 その二人の言葉に自らの自尊心や功名心、虚栄心などがくすぐられた信雄はその場で立ち上がって宣言した。


「その方らの申す事、一々もっともである! さてはあやつ、わしを利用するだけ利用して織田家を乗っ取ろうとしておったのだな! わしは対羽柴の兵を挙げるぞ! 無論徳川殿も参じてくれような!?」


「はは、信雄様の御言葉、しかと我が殿に!」


「国許に戻り次第、すぐさま陣触れを行いまする」


 信雄の勇ましい言葉に、平伏して忠次と数正がそれぞれに返答する。

 その言葉を聞いて信雄が「うむ! 大義である!」と上機嫌に頷いた。

 平伏したままで、忠次と数正がそっと視線を交わす。


(上手くいったな)


(このボンボン相手に、失敗する訳が無かろうて)


 二人が視線だけで会話をして、その内容は絶対信雄には聞かせられない、などと思いながら顔を上げる。


「されば信雄様。 我ら徳川はここ尾張まで兵を進め、信雄様の軍勢と合流した後、共に筑前守に当たりましょう」


「相分かった、徳川殿が協力してくれるなら万の援軍を得たも同然よ! はっはっはっは!」


(実際一万以上は動員するであろうから、間違ってはいないのだが)


(万の援軍を得たも同然、というよりもそのままだな)


 上機嫌に信雄が言った言葉に、心の中だけでツッコミを行い、忠次と数正は再度平伏したのだった。




 帰ってきた二人の報告に、家康は満面の笑みを浮かべた。

 大義名分は得た。

 忠次と数正の言葉に、信雄は完全にその気になったようだ。

 『織田家の正統な権利』を主張する信雄を旗頭にすれば、そこに同盟相手の徳川が加わるのは極めて自然であり、他者から見た時に「徳川の出しゃばり」とも思われにくい。

 今までは、徳川からすれば秀吉との対決理由に乏しかった。


 理由も名分も無しで戦を仕掛けるのは、野盗の類の行いも同然だ。

 ある程度の規模の勢力が他者に戦を仕掛けるには、最悪『誰が聞いてもこじ付け』と思われるものでもいいので、大義名分が必要となる。

 言いがかりであろうと八つ当たりであろうと、最終的に勝ってしまえば堂々と『勝った者が正義』となり、『勝てば官軍』というのが世の常である。

 だがそれでも、それなりに正当な理由に聞こえるようなものであれば、それに越したことは無い。

 なので今回の信雄による『織田家の正統な権利』という大義名分は、極めて徳川にとって都合の良い参戦理由となる。


 この行いは家康が「一度結んだ同盟は、信長死しても破らず」を天下に示すものであり、二十年という長きに渡る同盟による「律義者」という家康の評判を、なお一層高めるものとして利用できる。

 いつか天下の代表を徳川が務めるに当って、名声や評判といったものは形にならない武器となる。

 「同盟を結んだ相手を見捨てない、裏切らない」というものは、この戦国の世においては珍しい行いであり、考え方でもある為、そういう評判は得難い武器となるだろう。

 また信雄としても己一人ではなく、家康という強力な味方を得る事により、秀吉に対抗し得る兵力を手に入れることが出来るため、参戦を拒む理由が無い。

 ましてや織田の同盟相手である徳川が信雄に協力する、という状態は他者から見れば信雄こそが織田家の正統後継と見られるに、充分な威力を発揮する。


 この上ない利害の一致を見た両家は共に兵を挙げた。

 一方の秀吉は実はこの時、京と大坂を行ったり来たりしており、一つの場所に落ちつけて軍を編成する余裕が持てなかった。

 京では前久に頼んだ朝廷工作、大坂では池田恒興を退かしたことで、縄張りを終えてようやく築城を開始した大坂城の普請。

 どちらも秀吉にとっては天下の覇権を握る上で、外せない事案であった。

 だが徳川家康と織田信雄の共同戦線による、対羽柴秀吉の戦の機運は日増しに高まっていく。


 信長が日ノ本全土から「天下人」と認識されるに至った「役職」と「居城」、その二つを秀吉は手に入れたかったのである。

 「役職」とは朝廷内でも高位の、それこそ日ノ本の大名たちの中でも最も高い位、信長は「右大臣」まで上り詰めたが、秀吉はそれをさらに超えたかった。

 右大臣よりも上の役職となれば、左大臣や太政大臣、さらには関白などでしかありえないが、関白は五摂家の持ち回りが決められているため、現時点での秀吉に手に入れる術は無い。

 ならば居城、信長は安土城という天下に名立たる名城を築いたが、それをそのまま手に入れるだけでは意味が無かった。

 あれはあくまで「織田家」が作った象徴であり、秀吉の求めた「新たな天下人」としての居城には相応しいものではなかった。


 そして、織田信長が安土城という「織田家繁栄の象徴」を作ったのなら、秀吉もそれに習い「羽柴家繁栄の象徴」を作るべきだという考えに至ったのは当然の成り行きであった。

 場所は畿内、日ノ本の中央であることは絶対条件。

 京からも近く、街道が通り交通の便が良く、商業が発達しやすい土地。

 それらの条件を満たす土地が、よりにもよって池田恒興の所領にあった。

 石山本願寺跡地、そここそが秀吉の望む最良の土地であった。


 池田恒興を退かし、その地を直轄地とした秀吉はそこに新たな城を築くことを決意した。

 城の規模は天下第一、信長に代わる、信長を超えた新たな天下人に相応しき巨城。

 自らが信頼する軍師、黒田官兵衛に縄張りを任せ、安土城を超えるものを作らせる。

 安土城は城下町に商業を発展させ、象徴として君臨し、内部の豪華さも並ぶもの無き名城だった。

 だが一点、全く考えていない事があった。


 それは城としての防御性能である。

 当時としては当たり前に考えるものであり、まず防御性能ありきで城というものは建てるものだ。

 だが信長はその第一に考えるべき防御性能を、最初から排除していた。

 峻険な山の上に城を建てるのが当たり前、川を天然の堀代わりにするのが当たり前、防備を固めるために様々な仕掛けを施すのが当たり前、であるはずなのに。

 信長は街道から近く、平野の只中にあるちょっとした小高い丘、程度の地に安土城を築いた。


 安土城は信長の作り出した織田家の広大な版図のほぼ中心に位置しており、そこに攻め込める者など皆無という有様であったため、城としての防御性能を最初から考えていない設計であった。

 秀吉はそこに目を付けた。

 城下町の商業の発展、象徴として君臨するに相応しく、内部も広く大きく豪華に、そして城という防御施設の性能としても天下随一という、まさに古今東西において勝るもの無き完璧な城。

 それこそが、己が出世の象徴、新たな天下人の居城足り得るものなのだ。

 安土城を超える城を建てる算段が付いた秀吉は、その豊富な財力で持ってすぐさま動き始めた。


 城攻めの名人、と名高き秀吉の肝煎りで築城が進む大坂城。

 だがこの時点ではまだ完成には至らず、完成がいかに楽しみであっても突貫工事の安普請では意味がない。

 また前久に任せている朝廷工作にも、当然ながら大量の金がかかる。

 築城と工作に同時に出費がかさみ、さしもの秀吉も懐具合に若干の不安を覚えていた。

 だがこの二つはどちらも手を抜く訳にはいかず、大丈夫だと己を言い聞かせていた所に、徳川と織田が軍を興したという報告が来た。


 信雄だけであるなら捨て置いても問題は無い、自ら直接向かわずとも手柄を立てさせたい誰かに軍を率いさせて、あっさり鎮圧して手柄を上げさせてやろう、くらいの小物だ。

 だがそこに家康も来るとなれば話は別だ。

 ついに来たか、と思うと同時にこの状況で来たのか、と歯噛みした。

 おそらく、向こうも今はこちらが戦を行いたくない状況であると、読み切った上で兵を挙げたのだろうと予測する。

 敵ながら恐ろしい、抜群の状況判断と最悪の時期を見計らって動いてきた。


「やってくれたのぉ、徳川め。 こちらをつぶさに調べ上げた上での軍事行動、という事か」


 秀吉も諜報網を駆使して、徳川が伊賀忍軍を召し抱えたという情報を得ている。

 さらに京にも家康と懇意にする、茶屋四郎次郎という商人がいる事も掴んでいる。

 前久の朝廷工作は、茶屋四郎次郎による報告で家康の耳に届いたのだろう、と秀吉は考えた。

 秀吉の行動や次に行おうとすることを、家康は読んだ上で行動を起こしているのは明白だ。

 だが甘いぞ、わしがこの程度の事態に対処できないと思うたか。


 徳川も甲斐や信濃にある程度の兵は残さなければならないはず。

 前年に新たな支配地とした両国の統治は、未だ盤石とはいかないはずだ。

 ならば動員できる兵力は、石高や状況から換算して三万などには絶対届くまい。

 出来て精々二万、と秀吉は読む。

 そこに信雄の軍勢が合流してもやはり精々三万ぐらいか。


 そこまで考えて秀吉は発想を変えた。

 そうか、家康はこの状況を読み切ったのは間違いなくとも、この状況でなければいけなかったのだろう、と。

 現時点での秀吉の影響下にある地域は西は中国地方から、東は岐阜や北陸まで。

 全ては無理でも、兵をかき集めれば五万や六万は集められるだろう。

 対して家康の兵力は、と考えて秀吉はほくそ笑む。


 要はこちらが動き辛い状況でなければ、まともに戦にならぬほど兵力差があるのだ。

 ならばこの状況で兵を挙げたのは、こちらの状況を読み切った上での必勝の策ではなく、信雄の挙兵に引きずられた苦肉の策。

 徳川からすればこちらに出し抜かれ、どうにかしたいがどうにも出来ぬまま機を逸し、同盟相手の織田からの要請もあってやむなく兵を挙げるが、こちらの状況を読んで少しでも勝率を上げよう、と。

 なるほどなるほど、ここまで考えて秀吉はふぅと息を吐いた。

 一矢報いんとするため、こちらの状況を呼んだ上での行動、まずは敵ながら天晴なり。


「明智、柴田と来て、次は徳川か。 天下を取るには越えねばならん相手が多くて困るのぅ。 じゃがここで徳川を下せば、もはやわしに逆らえる者はこの日ノ本にはおらんじゃろ」


 不敵な笑みを浮かべて、秀吉は首を回してコキコキと鳴らす。

 徳川の領国は三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の大部分、という広さだ。

 そこまで抑えられれば、いよいよ羽柴家とその同盟国の領土だけで日ノ本半分近くを治められる。

 正念場だ、ここで勝てばもはや朝廷の公家衆も自分を無視できまい。

 思い知らせてやるぞ、あの時わしを見下した奴らめ。


 そうだ、近衛様とそのつなぎを任せた三成にも、文を出しておこう。

 これより徳川と雌雄を決する、徳川を潰した後から擦り寄って来た者には、しばらく面会を断って焦らしてやれ、と。

 その一方で戦の前から繋ぎを取ろうと近づいて来た者には、とことん愛想を良くしてやってくれという文でも書いて、しかもその噂を流させよう。

 そうすれば徳川との戦が終わった頃には、わしもいよいよ朝廷内での地位を得る事になるであろう。

 いいぞいいぞ、我が天運は未だ尽きず、わしはまだまだ昇れるぞ!


「徳川と信雄を迎え撃つぞ! 諸将にも伝えぃ!」


 秀吉の号令一下、伝令が走っていく。

 さあ、信長様の敵討ち、織田家の掌握と来て、新たな天下人を決定付ける戦じゃ。

 兵糧もいつものような量までは準備できぬが、短期決戦で終わらせれば問題なかろう。

 そう、圧倒的な物量差でねじ伏せれば良い、二度と逆らう気が起きぬようにな。

 覚悟せよ家康、お主にも天下人の威勢を見せ付けてくれるわ。

この巻の五は少々長くなる予定です。

まだ書き終えてはおりませんが、少なくとも「その○○」の数字が過去最長になる事は決定しております。

読者の皆様には、どうか気長にお読み頂ければ、と思います。


今後も拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。

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