信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その5
ようやく史実とのズレが出てきました。
信長が生きてても全然変わらない、と思われていた方々には大変お待たせいたしました。
信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その5
織田信孝は秀吉と信雄によって葬られた。
しかし信孝の命を奪う事になった二人の男、亡き父の家臣であった男と、同じ父を持つ兄弟。
生涯の最期に、どちらをより憎んでいたのかはその辞世の句を見れば分かる。
信孝が切腹の前に書き遺した言葉は、黒田官兵衛によって闇に葬られた。
しかし官兵衛は一つ失念していた、というよりもその存在を知らなかった。
自軍の中に、敵軍の中に、様々な軍勢の中に潜む『隠れ軍監』の存在を。
信孝が書き遺した辞世の句は、その場ですぐさま小さな紙片に書き写され、そっとある場所へと運ばれた。
ある場所とは尾張国から二つ離れた遠江国、その中心地・浜松城である。
『隠れ軍監』からの報告により信孝の切腹が伝えられ、さらに辞世の句を書き写した紙片が今、信長の手の中にあった。
それを見た信長が、そっと目を閉じている。
信長と同じ段、上座に座る家康はそこに書かれているのが何であるかは知っている。
だがその辞世の句の内容までは知らない。
同じく下段に座する光秀と蘭丸も、信長がじっと目を閉じている間、わずかな身じろぎもせずに同じように目を閉じていた。
家康はそれを見て、故人への黙祷であると思い至った。
他でもない、信長の三男にして織田家後継・三法師の後見人であった織田信孝への黙祷である。
「……三七め、死してサルの本性を明らかにしたか」
「では、やはり信孝殿は?」
「ああ。 表向きは信雄が腹を斬らせたように仕向けておるが、実際に動いたのはサルよ。 元は小寺家におった黒田という、竹中重治の後釜に据えたあの男が切腹させたようでな。 辞世の句の最後を見てみよ、潔さも雅やかさも無い、恨み節で締めておる」
そう言って信長は家康に紙片を渡す。
紙片に書き写されていた信孝の辞世の句は、まさに無念さと恨みで綴られていた。
その言葉から察することの出来る、怨念とも呼ぶべき強い感情に、思わず家康の眉間にしわが寄った。
ここまで書かれるだけの事を、秀吉はやったのだと誰もが分かる一句だった。
だからこそ、信長ももはや躊躇いは無かった。
「前久はそろそろサルに接触しておるだろう、こちらも戦支度に入るか」
「了解致した……それで、本当に信長殿の生存を明らかにせぬままで良いので?」
「ああ、もちろんお主とて遠慮はいらぬ。 わしがいなくなった事でサルに迎合した者共が、どれほど腑抜けたかを見極める良い機会よ! 踏み潰せるなら遠慮なく踏み潰してくれて構わぬ」
信長の眼に迷いは無い。
自身の作り上げた織田家に対しても、もはや執着などは無い。
ただ有能であれば、強ければ、臆せねばそれで良い。
徳川家臣団と織田家臣団改め羽柴家臣団、数の差は歴然ではあるが、果たして勝敗もそのまま歴然であるだろうか。
これは徳川家臣団の強さを見極める最終試練、そして信長亡き後の織田家のその後、そして秀吉という新たな主を頂点に据えた「羽柴軍団」に、目に物を見せるべき戦である。
本来であれば天正十二年、この翌年に起こるべきものであった戦は、二人の男の生存によりその発生を速める事になった。
信長と家康、そして光秀の頭には既に合戦の絵図が出来ている。
信長の視線を受けて蘭丸は、すぐに広げることが出来るよう、部屋の壁に備え付けられている近隣諸国の詳細な地形などが書き込まれている大地図を、ばさりと畳の上に広げた。
そこに三者の視線が注がれ、それぞれの頭の中で様々な想定が無言のままで行われていく。
そうして数分、蘭丸が目印用の碁石なども三人の横に静かに置き終え、考えが纏まるのを待っていた。
「出来ますればこちらの領国での戦は避けとうござる、尾張美濃辺りまで進めても?」
「前久の思惑通りに事が運び、その上でサルが出張って来たのならその辺りであろうな」
「向こうの進軍速度によっては、やや三河寄りになることも視野に入れるべきかと」
家康、信長、光秀の順に言葉を発し、それぞれが持つ碁石をそれぞれが思う場所へとコトリ、と置く。
家康は信雄は敵ではないため、まずは尾張までは進軍しても問題ないだろう、という意見。
信長も概ねそれに同意し、あとは細かな合戦場の絞り込みに入る。
対して光秀は、秀吉率いる羽柴軍の神速の大強行軍をその身をもって味わっていたため、そこを考慮した意見を出す。
「三者三様」、「三人寄れば文殊の知恵」、とも言うが、その一方で「船頭多くして船山に上る」という言葉もある。
だがこの三人においては、それは当てはまらない。
それぞれがそれぞれに、この時代を代表する武士であり、一軍を率いる事に慣れている者たちである。
極めて高度な意見の交換、戦術の提案から兵站の経路まで、ありとあらゆる話し合いが行われる。
それを間近で見ていて、蘭丸は背筋がゾクリとした。
この三人が討論し合って出した結論が、この戦での徳川軍の作戦の基本骨子となる。
どれだけ慎重にして大胆、豪放に見えた神算鬼謀を持って羽柴秀吉に当たるのか。
重臣・柴田勝家と信長の妹・お市の方、それに信長の息子・信孝を死なせた秀吉に対して一片の同情も湧くことは無いが、それでも哀れとは思ってしまう。
羽柴秀吉は、この戦で果たしてどれほどの損害を被るのだろうか、と。
それと同時に、せめてかつての同僚であった織田家臣団に、なるべく死者が出ない事を願った。
既に年単位で会う事も、文を出す事も無くなっている歳の離れた兄・森長可の無事を、蘭丸は心の内だけでそっと祈っていた。
京の秀吉の宿所では、今日も今日とて秀吉と前久が部屋へと籠もり、朝廷対策の話を進めていた。
官兵衛や秀長には全て決まったら詳しく話す、としてそれまでは前久との同盟は他言無用を申し付けた。
秀吉と前久が手を組むことを決め、その後で前久は秀吉に様々な事を語った。
朝廷内の反信長勢力は、帝さえも動かすほどの影響力を持っていた、と。
その者たちが朝廷内を実質牛耳っている現在、秀吉がこのままでは「朝廷が認めた天下人のお墨付き」は決して手に入らない事も含め、その勢力への具体的な対抗策など。
秀吉にとってはまさに渡りに船、であった。
縁故を持ちたかった相手が、向こうからこちらと手を組みたいと申し出てくれたことに、「まさに我が天運ここに極まれり」と内心で大喝采を上げていた。
秀吉が自分にされて嫌な事の最たるものは、自らの出自を笠に着て、こちらを蔑み、見下した行動を取られる事である。
前久から公家衆の本音を聞かされ、秀吉は公家衆への怒りを憎しみへと変化させた。
どうあってもこちらを認める気が無いのなら、認めざるを得ないようにしてくれる。
陽気な人たらしの顔に隠された、どす黒い復讐の感情が再び秀吉の心を満たしていく。
武力を用いるというのが禁じ手ならば、それ以外のどんな手を使ってでも、あのいけ好かない顔と見下した眼をした公家衆どもを一人残らずひれ伏させてやる。
この世で自分程『人間』というものを知っている者はいない。
おだてる側の本心、おだてられた側の気分の良さ、その両方を知っているし、それを利用し、自分の思うように事を運ぶことの爽快さも身をもって分かっている。
人の持つ陽の気質と陰の気質、その両方を天秤が傾きかねないギリギリまで最大限に兼ね備え、また使い分けることの出来る自分がこの世で最も人の上に立つ素質を持っている、と信じている。
朝廷の中の、狭い世界の中だけで権謀術数を巡らせ、この世を支配していると驕る奴らめ。
貴様らなど及びもつかぬ、生まれた時から苦労を重ね続けたわしを、ただ出自が自分たちに比べ劣るから、という理由だけで下に見るのなら、その傲慢な思いに鉄槌を下してくれる。
わしは断じて「下賤の者」ではない、どこで、誰から生まれたかだけで、その者の全てが決まってたまるものか!
未だ世は戦国の、下剋上の世であることを貴様らにも思い知らせてくれる。
貴様らが見下し蔑む下賤と思っていた輩が、やがては平伏し仰がねばならぬ存在になった時、屈辱と後悔にまみれさせてやるぞ!
「さて、秀吉はん。 今のままやと秀吉はんは利用されるだけされて、搾れるだけ搾られて、金も物も出せなくなった途端に捨てられるんがオチや。 そうならんように先手を打ちましょか」
前久の言葉で、秀吉は我に返って前久を正面から見る。
「先手、と申されますと?」
「この身は未だ前関白、せやけど朝廷内では完全に鼻つまみ者や。 せやからまずは味方を増やす」
「調略をかけるなら、某にも少々腕に覚えが」
「あきません、武士と違うて公家言うんは『下』と思うておる者の話にはロクに耳を貸しまへん。 武士が『敵と味方』に分かれるものやったら公家はさらに『上と下』に分かれておるもんや。 秀吉はんがいくら金と物を山と積もうと、当然のように受け取られて終わりや。 後にはなーんも残らん」
前久の指摘に、秀吉はぐうの音も出なかった。
確かに先日公家と会った時には、大量の貢ぎ物をしたにもかかわらず冷淡な反応であった。
あれが当たり前と思うような精神構造など、秀吉からすれば同じ人間の感覚とは思えない。
そんな存在を相手にするのだと思うと、本当に信長のやったような方法が一番効果的なのでは、と改めて思ってしまうほどだ。
だがそこで、前久は扇子で口元を隠すようにしながら、その口元を歪めた。
「ここでこの身の出番となる訳や。 この身は未だ京に戻ったことを明らかにはしておりまへん、一旦京を追われた前関白が、朝廷内に居場所を取り戻そうと味方を増やそうとする。 都を追われた者としては当たり前の行動や。 これを隠れ蓑として徐々に朝廷内に秀吉はんの味方も同時に増やす、という訳や」
「しかし敵対する勢力は大勢は占めておると、先程は」
「あれはあくまで『反信長』の勢力や。 つまり信長はん亡き後は自然瓦解、そしてあとは都合がエエ話には乗る者が多い公家衆を各個釣り上げ、こちらの勢力に引き込ませれば良いだけや」
言いながら、前久は「ここまで自分がスラスラと嘘の悪企みを語れるとは」と内心で驚いていた。
だが言っている前久自身も驚くほどの言葉に、秀吉は顔に笑みを浮かべて「なるほどなるほど」としきりに頷いていた。
どうやら前久の言葉を完全に信じきっているようだ。
「近衛様はまこと剛毅な御方に御座いますな、この人たらしと言われた筑前もこれでは肩無しにて」
「よしとくれやす、なまじ関わった時間が長いだけで、公家言うんを知る機会が多かっただけや」
秀吉が顔のしわが増えるような笑いを浮かべる一方、前久は半分本気で苦笑を返した。
そしてさらに前久が言い募る。
「今の朝廷内でも『武士』という存在に嫌悪感が無ぉて、接する機会も多くて味方に付いてくれはりそうなんは、その上で権威もある者と言えば今出川晴季はんや山科言経はんあたりやろ。 この身を貶めた者たちの中に、あの二人の姿は無かった事から、今更この身と敵対する気は無いはずや」
前久の脳内に、帝の前で言葉の私刑を受けた光景が蘇る。
前久自身あのような屈辱と後悔は二度と御免だ。
あの時のような目に遭わないためにも、そして武士という存在に対して頑なに拒絶を示し続ける朝廷の目を覚まさせるためにも、今度は絶対に退く訳にはいかない。
近衛家以外の他の摂関家もあまり頼りにはならない、というよりも二条晴良の手が回れば下手をすると敵に回りかねない存在でもある。
事は慎重に、そして武家に対しても接する機会の多かった、つまり話を持って行ってもいきなり門前払いを受ける心配が無く、ある程度の権力と動かせる派閥を持つ存在、という条件で真っ先に思い浮かんだのがあの二人だった。
「なるほど、しからばすぐに」
「待ちなはれ秀吉はん。 表に立つのはあくまでこの身、秀吉はんは先に言うた二人を始め、味方に引き込む者たちへの土産物の準備を頼みますわ。 誰彼構わず贈るより、味方に入った者だけにその恩恵が受けられる、という所に価値がありますんや。 その方が秀吉はんとしても懐が痛みまへんやろ?」
最後に、それまでは真面目な顔をしていた前久が突如として表情を崩した。
秀吉の懐とて、無限に金を生み出す訳ではない。
前久の言葉に、秀吉は「誠にごもっとも」と平伏して礼を言った。
そうして前久は立ち上がり、「んー…」と声を上げて身体を伸ばした。
身体を屈めて秀吉と密談を重ねていたため、身体が凝り固まっているようだった。
「そろそろこの身は屋敷に戻りますわ。 それでこの身が京に戻った事が自然と知れ渡りますやろ、それで先の二人に面会を求めて、説得工作に入りますわ。 秀吉はんは土産物をよろしゅう頼みますえ」
そう言う前久の顔には、ある種の自信が満ち溢れていた。
かつての本能寺の一件直後、羽柴軍に詰問されていた頃に比べ、その顔は生気に満ちている。
秀吉はそれを「朝廷内で確固たる地位を、再び築く算段が付いたから」と勘違いしていた。
確かに前久にとってはそれもあったが、それよりも前久が内心で嬉しかったのは、信長や家康を相手に語った、自らの策がしっかりとハマった事を確信したからであった。
今や天下人に一番近い地位にいる男、その男を前久は自らの才覚で手玉に取ったのだ。
前久は本能寺の一件からおよそ一年の間に、大きくその器を広げていた。
前久とはそこまで長く、深い付き合いでもない秀吉には、それが看破できなかった。
結果として前久の目論見は成功し、秀吉は前久と偽りの同盟を結んで対朝廷工作に奔走する。
秀吉の意識が朝廷に向かう間に、徳川はその牙を研ぎ続ける。
羽柴対徳川の最初で最後の戦いは、一方が万全の準備を進める間に、もう一方が完全に出遅れる形で、衝突するその日へと近づいていくのだった。
前久卿の「公家」としての本領がもうすぐ発揮されます。
秀吉本人だけが気付かない、信長・家康・光秀・前久による秀吉包囲網が着々と出来上がってきております。




