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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その2

             信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その2




 「賤ヶ岳の合戦」の結果が、家康と信長の元にもたらされた。

 柴田勝家は自刃して果て、妻となっていたお市の方もそれに寄り添うように、共に果てたという。

 前田利家は合戦時に撤退、その後は秀吉に付き従って北ノ庄城へ攻めかかり、秀吉の信頼を得たという。

 そうした中で柴田方の諸将の多くは、生き残っている者は投降、降伏して臣従する道を選んだという。

 佐々成政は臣従を渋ったようだったが、すでに兵力で勝る羽柴軍と上杉軍の挟み撃ちでは、成す術も無く降伏・臣従を余儀なくされたようだった。


 こうして北陸方面の戦は一応の決着を見た、秀吉は柴田勢排除後も上杉とは引き続き同盟を続けていくつもりらしく、両軍の間にさしたる軍事的緊張は無かった。

 勝家の軍と成政の軍、そして利家や秀吉の軍に紛れ込ませてある『隠れ軍監』たちの報告は一致しているため、これらの情報に間違いはないだろう。

 そして岐阜に籠っていた信孝も、どうやら数日前に降伏したらしい。

 岐阜城を囲んでいたのが信雄であると知って、信長は「であるか」とだけ返事をした。

 少しだけ何かを考えていたようだった信長に、家康は気になって尋ねてみた。


「あやつらの仲の悪さも極まった、と思うてな……ある意味でわしと信行を超えるウマの合わなさよ、互いが身の丈に合わぬ事を考えておるような奴らでな、もはやどちらかが死ぬまで止まるまい」


 家康の問いに、頭が痛いとばかりに額に手を当てて、信長は珍しくため息をこぼした。

 「信長殿が生存していることを伝えれば、その争いを止められるのでは」という家康の内心の問いは、今の信長には鬱陶しく感じられるであろうことは想像に難くない。

 だが、家康がためらったその問いは、同席していた光秀から放たれた。


「よろしいのでしょうか?」


 ただその一言で、光秀の言いたい事は分かっている。

 信長はつまらなそうに鼻を鳴らして、吐き捨てるように返した。


「奴らを止めた所で天下のためにならぬ、かえって無用の混乱を起こす火種を燻らせておくも同じよ。 ならばいっそどちらかを消すしかあるまい、どの道『織田』に先は託せぬ。 徳川殿も覚えておかれよ、家臣どもが派閥などを作り、それによって我が意に沿わぬ結果をもたらそうな時は、思い切ってどちらかを間引きする決断を迫られる時もある、とな」


 信長の言葉を聞いて、家康は「まさか自分の家、徳川に限ってそんな事は…」などとは言えなかった。

 実際の所、家臣たちの間ではすでにその兆候は表れている。

 事務方、内政などに向いている文治派の家臣と、三河武士の特徴とも言える武断派の家臣。

 徳川を今まで支えてきたのは、度重なる戦の度にその命を賭けて、主君と領地を守り続けてきた鬼武者たち、武断派の家臣達の力によるところが大きい。

 それもあって徳川家では武功を誇り、主君のために死ぬことを最高の栄誉とする風潮が強い。


 だが当然領国経営において、文官系の家臣は必要不可欠だ。

 最初は三河一国、その後遠江、さらに駿河、今では甲斐や信濃も合わせて計五ヶ国の大半を治めるようになった徳川では、文官系の家臣達の重要性が徐々に増してきている。

 それまでは不遇をかこってきた文官系の家臣達は、今こそ自分たちの働きを認めてもらう絶好の機会、とばかりに新たに領地となった甲斐や信濃で、様々な諸問題に取り組んでいる。

 これ以後はさらに領地が増えるのだとしたら、当然文官たちの仕事は増えるであろうし、何より人材不足となる可能性は高い。

 だからと言ってこれまで武官を重用してきた手前、突然掌を返して文官を重用すれば、家臣たちの間にいらぬ反発を招く可能性もあった。


 信長の言葉は、実を言えば家康の内心の将来的不安を、ものの見事に突き当てていた。

 それ故に家康は信長の言葉に、肯定も否定も出来ずに口を噤んでしまった。

 そして言った信長もこの話はこれで終わりだ、とばかりに目を閉じた。

 家康は自らの思考の海に沈み、光秀は恐縮して沈黙を守り、信長はしばし黙考していたためしばらくの間、その場には静寂が訪れた。

 そうして数分後、信長が眼を開けて家康に別の話題を振った。


「サルへの対処は?」


「とりあえずは戦勝の使者を立て申した。 それに随行する者たちは伊賀や甲賀の者にて、羽柴方の動きや各地からの反応なども合わせて諸々探る様にと」


「さすがよの、抜け目が無さ過ぎてこちらから申す事が無い程よ」


 信長は口角を上げて、その後で光秀を見た。


「キンカン、身体はどうじゃ」


「問題はありませぬ。 ご命令あらば戦場に出る事も能いまする」


「よし、サルの状況が分かり次第こちらからも動くか。 前久にもそろそろ仕込みを始めさせるぞ」


「では、いよいよ?」


「うむ、あやつは権六と市を殺した。 とりあえずはそれで充分よ」


 信長は立ち上がり、その眼を爛々と輝かせた。

 本能寺の一件からすでに十ヶ月以上が過ぎ、信長も本音で言えば身体が鈍ってしょうがない程だった。

 浜松城の奥まった部屋で日々の大半を過ごす、というのに飽きたというのもある。

 かつては『第六天魔王』という二つ名でもって、天下の津々浦々にまでその名を轟かせた男が、復活の狼煙を上げるべく、動き出そうとしている。

 光秀は平伏することで付き従う意思を示し、家康は思わず喉をゴクリと鳴らす。


「膳立ては任せて良いか?」


「そうですな、まずは名分を作り一当て。 その上で……」


「であるか」


 信長が満面の笑みを浮かべる。

 凄惨な笑み、とすら見えるその顔は、ここ久しく家康も光秀も見ていないものだった。

 だがその顔を見てこそ、信長の恐ろしさの一端が強制的に思い出させられた。

 信長がこういう顔をした時、その後には必ず誰かが驚き、怖れ、大きな動きが起こっていた。

 家康も光秀も、直接信長のこの顔を見た訳ではなかったが、朝倉家滅亡、室町幕府解体など、大きな動きがある直前、信長は必ずこの笑みを顔に浮かべていた。


 今回その標的となるのは、新たな天下人として君臨し始めようとする、あの男だろう。

 今現在の時点では、家康はその男との直接の敵対などはしていない。

 だがこの後、少なくとも一年以内には家康はその男と戦うことになるだろう。

 無理に勝つ必要はない、要は負けなければ良いだけの戦である。

 だが無論戦国の世に生きる一人の男、一個の大名としてそれだけで済ますつもりはない。


「三河武士の強さ、存分に轟かせてもらうぞ?」


 家康の心中を読み取ったかのように、信長がそう声をかけた。

 その声に、家康は不敵な笑みでもって応じたのだった。




 何故、このような事になったのか。

 信孝の頭の中には、その思いで一杯だった。

 降伏して岐阜城を開城し、信孝の身柄は尾張に送られる事となった。

 織田家本貫の地であり、自らが生まれ育った国。

 たとえ敗軍の将と言えども、信長の息子である自分を殺すに忍びなく、せめて大人しくしているなら生まれ育った国で過ごさせてやろう。


 そういう意図だと思い込み、なるほど幽閉という訳か、と結論付けた。

 美濃や近江では中央に近すぎる上、完全に羽柴の勢力圏に身を置くことになる。

 ならばせめて、憎々しいとは思うが血を分けた兄弟が治める、尾張にて過ごせという意味だと思った。

 自分はまだ若い、これから再起の芽もあろう。

 この屈辱と挫折を糧とし、いつか来たるべき日のために。


 信孝はそう心に誓い、大人しく尾張へと護送されていった。

 そうして尾張国知多郡にある、大御堂寺という寺へと入った。

 その日はそこで一泊し、翌朝信雄からの使者が来たという知らせがあった。

 正直会いたくなど無かったが、こちらに選択の自由はない。

 仕方なく顔を合わせてみれば、現れたのは無表情で無愛想極まりない、足が悪いのか傍らに杖を置いた男だった。


 戦場で役に立ちそうな男ではない、信孝は信雄の使者というその男を見て、心の中で嘲った。

 表情が読み取れぬ、そういう意味では外交使節などで役に立ちそうではあるが、戦場で使い物になる男ではないな、というのが信孝の正直な感想だった。

 信孝の内心の思いなどは知ってか知らずか、信雄の使いだと言ったその男は最低限度の礼だけ済ませ、無表情なままこう言い放った。


「では、こちらで御腹を召していただきます」


 表情と同じく、何ら感情のこもらない平坦な声音だった。

 まるでつまらない仕事だと、早く終わらせたいものだと言わんばかりに。

 そのせいか信孝は最初、何を言われたのか分からなかった。

 自分は確かに戦には負けた、幽閉という処分も甘んじて受ける覚悟も出来た、だが切腹しろとはどういう事だ。

 敗者に選択権はない、とは言ってもこの目の前の男は自分が誰だか分かっているのか、一体誰に向かって物を言っているのか分かっているのか、という思いが信孝を突き動かした。


「わしは織田前右大臣の三男、織田信孝なるぞ! そのわしに向かって、腹を斬れとはどういう事か!」


「織田信雄様のご命令にございます、神戸信孝殿」


 その一言に、思わず立ち上がってその男を睨みつけた。

 だが目の前の信雄の使者と名乗る男は、信孝の睨み程度で恐れ戦く様な男ではなかった。

 わざわざ「神戸信孝」と呼んだのは、信孝が既に織田の一族扱いではない、と言っているのだ。

 それが分かったからこそ、思わず信孝は激昂して立ち上がった。

 目の前の男が、自分に対して一片の敬意も払おうとしない態度が、無性に癪に障った。


「貴様……貴様一体何様のつもりだ!」


「間もなく御腹を召される方が、その様な事を知っても何も変わりはしますまい?」


 慇懃無礼とはまさにこの事だ。

 言い回しこそ丁寧だが、その眼とその言葉の奥には、間違いなく嘲りの感情がある。

 このような無礼者に自分の最期が検められるというのか、それともわざわざこういう男を選んで派遣したのか。

 どこまであの男は憎らしい真似を、と考えた所で信孝は気付いた事があった。

 目の前の男に、見覚えがあることに気付いたのだ。


 この男は確かに織田家の家臣ではあると思うが、それにしても信雄はこのような男を従えていただろうか。

 信雄にとって、そして信孝にとって、それこそお互いがお互い、生まれた時から因縁がある相手だ。

 その因縁がある相手の最期を告げる役を、末端の小物などにやらせるだろうか。

 確かにあの暗愚ならそれもやるかもしれないが、あるいはこちらをとことんまで貶めようとしてあえて選ぶかもしれないが、それにしても周りの家臣たちもさすがに止めるだろう。

 信孝は睨み付ける眼から観察するように見方を変え、まじまじとその男の顔を見た。


 この男を見たのはいつだ、どこであったかを、必死に思い出す。

 無愛想なその男は、少しだけ目と顔の向きを逸らし、正面から相対するのを拒んだ。

 そして、その時に信孝はどこでこの男の顔を見たのかを思い出した。

 清州だ、今自分のいる尾張国の中心地、清州城だ。

 去年に行われた織田家後継者選定会議、あの時城内でこの男を見かけた。


 確かあの時、この男の近くにいたのは。

 この男を従えていたのは、信雄ではない。

 そこまで思い出して、そして繋がった。

 記憶を手繰り寄せ、この男の正体を悟り、思わず目を見開いて口から言葉が漏れ出でた。


「…そういう、ことかッ!」


 信孝が再び睨むようにその男を見る。

 しかし今度は、先程のような激昂とはまた違った怒りからだった。

 正面から向き合うのを拒んでいた男が、わずかに息を吐いて肩を落とす。

 まるで隠していた何かを見破られて、それに対する開き直りのように。

 そして再び正面から見据え、感情の籠もらない声で言い放つ。


「必要な物は全てお持ちしております故、すぐにお支度をなされませ」


 そう言って、男は傍らの杖を取り、伝えるべきことは伝えた、とばかりに歩き去ろうとする。

 その背中に信孝は、「待て」と声をかけ、言われた男は顔だけ振り向く。

 睨む眼はそのままに、だが感情を必死に押し殺して信孝が言う。


「このような仕儀になるとは思いもよらぬでな、最期に辞世の句を作る間が欲しい」


「……何かを待っているのでしたら、無駄ですぞ」


「もはや逃げも隠れもせぬわ、この信孝を侮るでないッ! それとも、武士の最期の矜持も整えさせぬのが貴様の主のやり方か? 随分と狭量よな!?」


 信孝の言葉に、使者は「かしこまりました、されば一刻の後に」とだけ言って去った。

 その背中に、信孝は殺意を込めた視線でもって睨み続けた。

 そしてそれから一刻、現代で言えば二時間後、信孝は指定された部屋に行き、白装束の前を開いた。

 何故、このような事になったのか。

 そう思ってはいても、もはやこの現状は覆しようがない。


 信孝は腹に刃を突き立てた。

 介錯の者には、すぐに首を刎ねるなと伝えてある。

 本来であれば、切腹する際には介錯が先か刃が刺さるのが先か、というほど介錯は早く行うものである。

 これは極力苦しめぬように、という考えの元に行われるものであり、いわば最後の情けとも言える。

 だが信孝はあえてその介錯を遅らせた。


 腹を切り、中から腸が出るや否やの所で自らの手で掴み出し、その腸を目の前の壁に投げつけた。

 その壁に何が、誰が映っていたかは信孝にしか分からない。

 だがその時の信孝は鬼気迫る表情で、まさに仇を前にしたかのような凄絶な顔をして叫んだ。

 そのあまりに凄惨な光景に、介錯の者が思わず生唾を飲み込み、刀を持つ手を震わせた。

 これほどの激情を見せている者に、気が済まぬ内に首を刎ねるのはかえって無慈悲な行いなのではないか、と躊躇ったのだ。


「や……れぇ、え……」


 息も絶え絶えになった信孝の口から、何とか聞き取れるだけの声が絞り出される。

 その声を聞いて、介錯の者は慌てて気を持ち直し、息を整える。

 そして、息を一旦吐いてから「御免!」の一言と共に刃を振り下ろした。

 重たい物が畳の上を転がる音が響き、辺りに血の匂いが充満していく。

 気の弱い者なら、それだけで気を失い、生涯に渡って苛まれる様な光景だった。




 部下から信孝の切腹終了の報告を受け、信孝に使者と名乗った男は「うむ」と頷いた。

 そして信孝が最後に残したという、辞世の句を記した書も回収した。

 念のためその書を検めたその男は、部下にそれを見せぬように握り潰した。

 部下は突然の行動に驚いていたが、その男の「火はあるか?」という問いに、寺の裏にかまどがありましたと報告した。

 男の足が不自由であることを見て取った部下が、代わりに捨てて来ようかという提案をしたが、それを不要と断じて、男はかまどへゆっくりと歩いていき、その書を火の中へと投げ込んだ。


 『昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前』


 男が見た書には、その様に書いてあったのだ。

 つまりこれは、男が本当は信雄の使いなどではない、と知ったからこそ書いたのだろう。

 なるほど、確かに暗愚ではなかったようだ、一度や二度見ただけの自分の顔を覚えていたとは。

 ここで消えてくれて助かった、可能性としては低いが、この男も生きていれば今後障害になりえたかもしれぬ、そう思えるだけの器ではあった。

 かまどの中で燃えていく信孝の辞世の句を見ながら、信雄の使者と名乗ったその男、黒田官兵衛は表情を一切変えぬまま、そんな事を考えていた。


 そして同じ頃、わずかな紙片を一人の兵士が別の男へと渡していた。

 別の男は目立たぬ服装に印象に残らぬ顔、どこにでもいる農民のような風体だった。

 兵士の方は羽柴軍の足軽の一人であり、官兵衛の護衛としてこの場に来ていた。

 紙片を受け取った農民風の男は、草木に隠れて素早くその場から立ち去った。

 兵士はそれを見送った後は何事も無かったかのように、周辺の警戒へと戻っていった。


 天正十一年四月、織田家元筆頭宿老・柴田勝家に引き続き、信長の三男・信孝が世を去った。

 秀吉に対して未だ抵抗を続けるのは、伊勢の滝川一益のみである。

 だがこの一益の抵抗もあと一月ほどで力尽き、降伏して秀吉に臣従する事となる。

 この一連の戦いで、秀吉は畿内・中国・北陸というそれぞれの地域をほぼ掌握した。

 かつての信長の率いた織田家の版図とほぼ同等、いや協力している勢力などを含めれば、それを遥かに凌ぐ巨大勢力として君臨する事となった。

自分にとっての不利益なモノは燃やすのが一番。

黒田官兵衛ファンの方が読んでて不快になられたら申し訳ありません、こちらの作品においては、この人はこういうキャラです。


黒田官兵衛は大坂城の縄張りなどの仕事があるのに、信孝を切腹させるためにわざわざ尾張まで来ないだろ、というツッコミはどうかご勘弁を。

信孝の辞世の句から、とにかく秀吉に恨みが向くように、それでいて官兵衛の腹黒さが際立つように話を展開させたくて、あえてこういう話にしました。

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