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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その1

自己編集に思った以上に手間取りました。

巻の五の題名に四苦八苦、なかなかいい題名が思い付きませんでした。

月並みですが二人の天下人(+α)の直接対決という事でこちらの題名に。

             信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その1




 信長が家督を継いだ時点で、尾張国内の『織田家』の最高位は守護代であった。

 尾張国守護を任されていた斯波家、その家臣として守護代・さらに上四郡と下四郡の又守護代、さらに奉行格の役職などを務めるのが織田家の役割であり、その家柄の一つである奉行格の分家の一つを継いだのが信長である。

 元々信長の父・信秀の代よりその勢力は単なる一家臣に収まるものではなく、尾張国を完全支配、とまではいかなくとも実質的に尾張を代表する勢力ではあった。

 だがそれも、信長が家督を継いで十年と経たずに状況は一変した。

 信長が史実において織田家を率いていた期間は、およそ三十年と少しである。


 最初の十年で尾張国内をほぼ統一し、さらに駿河の大大名・今川義元を打ち破り、若くしてその名を轟かせた。

 その後の十年で美濃国を手に入れ、さらに伊勢国にも進出した。

 将軍を奉じて京都に上洛も果たし、『天下布武』の印を用い、信長の名を知らぬ者は天下に居なくなった。

 さらに十年、最大の懸念であった石山本願寺すらも降伏し、武田信玄・上杉謙信という信長が恐れたとされる両雄の死、室町幕府の解体などもあり、さらに世の中が移り変わっていった。

 この頃には既に、信長を新たなる天下人として見る向きが全国に広がり、北は東北・南は九州に至るまで、信長への貢ぎ物を差し出す勢力が出始めていた。


 さらに二年、信長が本能寺で命を落としたとされ、それから一年近くが経った頃である。

 織田家の今後の在り方を決める、史上最大級の内紛が勃発した。

 後世「賤ヶ岳の合戦」として名前が残るその一連の内紛は、信長の後を継ぐべき新たな天下人選出のための、必要な通過儀礼だったとも言える。

 そして今、織田家の小物として仕え始めた小男が出世を重ね、織田家筆頭宿老まで上り詰めた挙句、政敵であった元筆頭宿老・柴田勝家を下した。

 これにより次の天下人はこの男である、と様子見に徹していた者達が一斉に判断し、動き出した。


 それなりの大勢力であるならば友好的に接し、万が一にも敵対しないようにと文を、使者を遣わす事でとりあえずの敵対を避けた。

 小勢力であるならば従属による庇護を求め、自らの地位・領地の安堵に奔走した。

 そして旧来の織田家の家臣たちは、この合戦を機に二分され、秀吉に付いた者達には大幅な加増とその地位の保障、そして昇進が待っていた。

 丹羽長秀や堀秀政、蒲生氏郷や森長可といった面々には、秀吉は大盤振る舞いで気前よく褒美をくれてやり、領国にいたまま合戦には加わらずに、自分一人で紀州と四国を見張っていたのは骨が折れた、といけしゃあしゃあと言い放つ池田恒興には、内心の苛立ちを堪えながら労いの言葉で迎えた。

 さらにこの戦で勇名を馳せた者たち、通称『賤ヶ岳七本槍』と言われた者たちは、若い者でようやく二十歳を過ぎたばかり、年長の者でもようやく三十路、という将来を嘱望される者として大いに称賛の的となった。


 この七人を大いに喧伝し、その筆頭と目された福島正則にはなんといきなり五千石もの領地を与えるなど、秀吉は「能力のある者には気前よく褒美をやる」という信長からのやり方を受け継いだ。

 元々の出自が貧しいが為に苦労した秀吉は、人間の『欲』というものを知り尽くしている。

 誇れる家柄の生まれでは無い、それ故に誇りも無ければ驕りも無い、そして代々の忠誠心を持った家臣などもいない、まさに裸一貫でのし上がった秀吉である。

 だがそれ故に人が『欲』にどれほど弱いか、また『欲』に釣られればどれほど強くなるかを、この世の誰よりも知っている。

 信長の統治方法が『銭』と『恐怖』であるならば、秀吉の統治方法はただひたすらに『欲』である。


 福島正則は良くも悪くも調子に乗りやすい、人情味も激情も併せ持った人物である。

 そんな男が「特に手柄を上げた若者たちの一人」として名を上げられ、さらにはその代表と言われて悪い気になるはずがない。

 自然と「羽柴軍の若手筆頭」という地位に就いていると思い、将来を約束されたも同然と振る舞うのは仕方のない、というより自明の理であったことだろう。

 福島正則自身、母は秀吉の母の妹であり、つまり秀吉とは従兄弟の関係に当たる。

 それもあって幼い頃から秀吉を知っており、また五年ほど前から秀吉に仕えて中国地方に従軍していたため、秀吉には何かと目をかけてもらっている。


 そして今回のこの大幅加増の褒美である、正則は大いに調子に乗った。

 今や日の出の勢いの羽柴秀吉、その従兄弟にして若手筆頭たる自分は、将来は大大名になること間違い無しの武将である、そう自らを称しても誰からも文句は出なかった、いや言えなかった。

 唯一幼い頃からの親友にして、同じ『賤ヶ岳七本槍』に数えられた加藤清正に「あまり調子に乗ると後ろから撃たれるぞ」と窘められる程度であった。

 だが正則のその調子の乗り方こそ、秀吉の狙い通りの行動であった。

 あの手の人間は若さもあって、自らの手柄を人に語りたがるものだ。


 ならばその手柄を立てた自慢話の中に、秀吉に対する敬意と、人を見る眼の良さ、褒美の気前の良さを混ぜ込んで伝えてもらうとしよう。

 無論、正則の「五千石」の褒美を妬み、良く思わぬ者もいるだろう。

 だがそれらの者とて正則が秀吉の縁者であり、この時代は親類縁者こそ重用される者だと分かっているので、おいそれと手は出せない。

 ならば秀吉に正則以上の評価をもらうためにはどうすれば良いか。

 戦で正則以上の手柄を立て、福島正則などよりよほど役に立つ部下だと思ってもらえば良い。


 破格の褒美をもらった正則は今後はさらなる褒美を求めて、『欲』によって増幅された忠誠心と功名心全開で秀吉に付き従い、戦い抜く事だろう。

 そして今回特に称賛された訳でもない者は、次こそは自分も、と奮起する事だろう。

 同じく『賤ヶ岳七本槍』に数えられながら、正則に完全に頭一つ抜きん出られた他の六人もこのまま黙ってはいないはずだ。

 褒美も正則だけ五千石で、他の六人は三千石止まり、これに満足してなどいられない。

 六人に三千石、正則一人に五千石、合計二万三千石を褒賞として大々的に提示する事で、全軍の士気は否応なく上がった。


 褒美を取らせた者たちも秀吉自身の子飼いとして、これからも活躍してもらうつもりであったし、他の者達も次こそはと勝手に奮起してくれる。

 人の『欲』とは恐ろしい、そして面白く、使いこなせばこれほど頼りになる味方はいない。

 実体が無いからこそ掴み辛く、己が秀吉の思うがままに動かされているという事に、ほとんどの者が気付いていない。

 秀吉が声をかければ、皆が皆笑顔となって頭を下げる。

 ただ主君に対して頭を下げるだけではない、「笑顔になって」頭を下げるのだ。


「それでええ、それでええんじゃ。 東を見りゃ欲で主君を裏切った侍がおり、西を見りゃ欲にまみれた坊主が訳知り顔で念仏を唱える。 そういう世の中で欲を否定するもんじゃにゃあで」


 「欲」による統治、これこそが信長の「銭」と「恐怖」の統治方法の更なる進化・最新型であると秀吉は信じて疑わない。

 信長はいわゆる「飴と鞭」で統治したからこそ、その「鞭」を恐れて謀反を起こされた。

 ならば最初から「飴」だけを用意すれば、そしてその「飴」がどうしようもなく甘く、しかもその量が限られているとするならば、どういう行動を取るか。

 限られた「飴」の争奪戦の始まりとなって、誰もが進んで働き、そしてその恨みは自分に向かってくることが無い、まさに信長と似て非なる、新たな統治方法ではないか。

 この世で欲の無い者などいない、生きていくために自然と思い付き、実行し、なによりも優先してしまうものも含めて『欲』と言うのだから。


 秀吉を総大将とする羽柴軍、その羽柴軍は多くの家臣と領地を抱え、そこに臣従を願い出る者が後を絶たない、という状況になっていた。

 特に織田家の旧臣たちの多くは、今回の戦で完全に秀吉に靡くことになる。

 畿内から中国地方にかけて、秀吉の勢力圏は莫大なものとなった。

 秀吉が直接治める直轄地、家臣たちに分配している領地、臣従して来た者達の所領安堵をした土地、それらの領地を全て統合すればとてつもない兵力を動員できる。

 そして柴田勝家を打ち破った秀吉が、北陸と岐阜、そして伊勢をそのままにしておく訳が無かった。




 北陸の要衝、対上杉の最前線に位置する富山城で、佐々成政はその知らせを聞いた。

 柴田勝家が北ノ庄城で自刃したという。

 つまりは信長存命中から北陸を攻め続け、そこを新たな領地としていた他の織田家旧臣たちも、今後の身の振り方を考えねばならないという事だ。

 対上杉の備えのため、越中国の中心にあたる富山城を動けなかった佐々成政は、柴田勝家敗北・自刃の報告を受け、一旦言葉を失った。

 その後おもむろに天に向かって獣の如き咆哮を放ち、怒りを露わにした。


 しかも柴田勝家敗北の原因の一端が、前田利家の命令違反による無断撤退と聞き、怒りにその身を震わせながら城を飛び出そうとした。

 馬を用意しろ、すぐに兵をかき集め羽柴を相手に一戦交えん、と叫ぶ成政を家臣達は慌てて止めに入った。

 対上杉への備えとして富山城を任された成政が、ここで全軍を率いて秀吉に戦を仕掛ければ、すぐさま上杉に越中を奪われて敗走する事すら出来なくなる。

 既に越中一国を領国として得ているも同然の成政が、いくら怒りを滾らせていてもそのような真似をする訳にはいかなかった。

 家臣の懸命の説得で全軍出撃を諦めた成政だったが、それでも怒りは収まらずに城の櫓へと駆け昇り、遠き近江に向かい大きく息を吸った。


「何故じゃ、何故わしを置いてイヌなんぞを賤ヶ岳に連れて行かれたかッ!? あやつがサルめと通じておると、何故見抜けなんだかッ! おのれ、おのれ、おのれえええええッ!!」


 ようやく雪が解ける頃合いに差し掛かった越中では、その雪ですら冷やせぬ怒りに身を焦がした佐々成政が、怒りの咆哮を放っていた。

 家臣たちは身を挺して、抱きつくようにして荒ぶる成政を押し留めている。

 叫ばずにはいられなかった、拳を握らずにはいられなかった、足を踏み鳴らさずにはいられなかった。

 悔しさで、苛立ちで、殺意で物理的な力が生まれたのなら、今頃はこの富山城は木っ端微塵に吹き飛んでいたかもしれない。

 そう家臣たちに思わせるほどの、佐々成政の怒りであった。


「犬畜生にも劣る外道らがッ! 貴様らの悪行、いつかきっと思い知らせてくれるッ!」


 秀吉に従うことを良しとせず、上杉を無視してでも秀吉に弔い合戦を挑まんとした佐々成政ではあったが、家臣たちに無駄死にを強いる訳にもいかず、断腸の思いで降伏を決断。

 吠えるだけ吠えて、叫べるだけ叫んだ後で、ようやく成政は落ち着きを取り戻したのだ。

 剃髪し、人質を差し出し、臣従の道を選んだ成政ではあったが、その眼の奥には既に反逆の炎を灯し、寝首を掻く機会を待つ鋭さを湛えていた。

 いつか、いつかきっとこのサルめの首を獲る。

 秀吉の面前で頭を下げた成政は、秀吉に見えない所でその眼をぎらつかせていた。




 そして、岐阜の信孝は再び岐阜城に籠り、その岐阜城は軍勢に囲まれていた。

 ただし岐阜城を囲む軍勢は羽柴軍ではなく、同じ父を持つ異母兄弟、織田信雄の軍であった。

 信雄は尾張を中心としたおよそ百万石の領地を持つ、全国有数の大大名である。

 伊勢方面の滝川軍だけでなく、岐阜にいる信孝にまで兵を繰り出すことは容易だった。

 そして信孝は織田家後見役という立場を支える最大の存在、信長の嫡孫・三法師を既に手放してしまっている。


 兵力で劣り、士気で劣り、立場を無くした信孝が、現在岐阜城を取り囲む信雄に抗う術はない。

 互いに競い合い、いがみ合い、憎しみ合い、殺し合う仲にまでなってしまった二人を、止める術はもはやない。

 岐阜城の天守閣から、信孝は眼下に展開する信雄軍を見下ろす。

 信雄は自軍の本陣から、峻険な山々に築かれた岐阜城を見上げる。

 片や見下ろし、片や見上げるその顔は、その位置関係とは逆の、そして対称的なものとなった。


 いつ総攻撃の命令が下されるかもしれない恐怖、自らが内心で見下していた名ばかりの兄に、こうまで追い詰められているという屈辱、そして逆臣・羽柴秀吉に対する怒り。

 何故こうなった、どうすれば良いのだどうすれば、と歯を食いしばりながら自問をくり返す信孝。

 様々な感情が駆け巡り、それでも狂ったり捨て鉢にならないのは立派であったかもしれない。

 それでもこの時ばかりはいっそ狂った方が楽であったかもしれない、と思うほど信孝は狼狽しながらも打てる手はないか、巡らせる策はないかと自問をくり返す。

 だがそれで良い案など、出せるはずがない。


 もしこんな状況からでも逆転の一手が打てるのなら、とうの昔に打っていただろう。

 ましてやそんな案が思い付く知謀の持ち主なら、そもそもこんな状況には陥っていない。

 本能寺の一件の直後でも、ここまでの焦りを感じたことは無い。

 頭を掻きむしり、家臣の前でももはや取り繕うことが出来なくなるほど狼狽した信孝に、ここまで付き合った家臣の一人が「降伏なさいますか?」と声をかけた。

 一瞬「何をバカな事を!」と叫ぼうとした信孝だったが、すでに状況は詰んでいる、そう認識していた脳内の一部が、無意識に信孝の首を縦に振らせていた。




 岐阜城を見上げて、信雄は嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 既に大勢は決している、自分の勝利で決まっている。

 羽柴を味方に付けたのはやはり大きかったようだ、あの兄を兄とも思わぬ無礼な弟に、今こそ己が身の程を思い知らせてやるのだ。

 自分は嫡男・信忠と唯一父と母を同じくする男だ、その存在を羨みこそすれ、煙たがるなどもはや度し難いほど愚鈍な男だ。

 ああいう手合いはダメだ、己の身の程を知らない者ほど、生きている価値の無い者はない。


 これからは忙しくなる、父と兄の後を継いで天下統一という難事業が待ち構えている。

 もちろんそれは完遂する、それは織田家の頭領として当たり前の事だ。

 だがその前に、己の身の程を知らぬバカな弟は消し去っておかねば、後々どんな厄災をもたらすか分かったものではない。

 かつては父・信長も同じ父と母から生まれた弟、信行を上手くおびき出して討ち果たしたという。

 さすがは尊敬すべき父上だ、ならばその後を継ぐ自分も同じく弟を討ち果たし、それを踏襲するというのは良い宣伝になるだろう。


 父・信長と同じように、後顧の憂いとなる弟を討って織田家の安泰を図る。

 未だにわしの能力を分からぬ者共も、これによってわしが父の才を受け継ぐ、織田家の後継者に相応しい者と認めるだろう。

 だがわしは父ほど癇癪は持っておらぬ、ようやく分かったと頭を垂れた者にも、笑って許して度量の大きさを見せ付けてやらねば。

 うむ、わしの前途は明るい、たとえ父と兄を亡くそうとも、織田家は安泰である。

 自然と機嫌が良くなっていった信雄に、一人の侍が駆け寄ってきた。


「申し上げます! 岐阜城より降伏の使者が参っております、いかがなさいますか?」


「ふーむ……降伏の使者、のぅ……」


 もったいぶった様子で手に持った扇子をいじり始める信雄。

 岐阜城を取り囲み、じわじわと押し迫って信孝を圧迫しようと思っていた信雄だったが、その前に信孝の方から根を上げてしまったらしい。

 あえて一気に総攻撃など行なわず、少しずつ攻め上げてやろうと思ったのに根性なしめ。

 所詮は身の程知らず、後見役などという地位にあぐらをかき、織田家を乗っ取ろうとした小物などはこの程度、という事か。

 まあ良い、あの父上が一時本拠地となした、由緒正しき岐阜城を戦で焼かずに済んだと思えば、そこまで悪い事ではなかろう。


「よかろう、降伏を認めると伝えぃ。 わしは寛大なる大将ゆえ、信孝が神妙にするなら将兵の命は問わず、今後は織田家臣としてわしが召し抱えてやると言うてやれ」


「ははッ!」


 信孝の言葉に、連絡役の侍はすぐさま踵を返して走っていく。

 その背を見ながら、信孝は口元が緩むのを抑えきれなかった。

 信孝なぞに付けられた家臣たちも哀れよな、わしの元におれば天下統一を間近で見れたものを。

 だがまあ、父の代からあやつに付けられた家臣たちは、父の命に服してくっ付いていただけに過ぎぬ。

 ならば情けをかけてやろう、元々織田家の家臣ならば、わしのこの寛大な処置に感動し、今度は命を賭してわしに仕えてくれるであろうしな。


 全てが順風満帆だ。

 羽柴の奴も上手くやったようだし、無礼にも信孝を推していた柴田勝家も消えた。

 もはやわしの邪魔立てをするような奴はこれでいなくなる。

 さて、まずは何から始めるか。

 手の中の扇子を弄びながら、信雄は他愛もない事を考え続けて時を過ごしていた。

「頂上決戦」の割には、思いっきり賤ヶ岳の戦後処理とかやってますがどうかしばらくお待ちを。

出来得る限りこの巻の五でも、二日に一話ペースで頑張りたいと思います。

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