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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の四 「躍進」 その12

今回で巻の四が終了となります。

          信長続生記 巻の四 「躍進」 その12




 柴田家家臣、佐久間盛政の突出。

 それがもらたした影響によって、この賤ヶ岳の合戦に決着が付いたと言っても過言ではない。

 膠着状態から脱し、雌雄を決するという決意を胸に、盛政は勝家に嘆願した。

 勝家の姉を母に持ち、柴田勝家にとっても実の甥である佐久間盛政は、自らと同じ血を半分引いていることもあってか、勇猛果敢にして戦でこそ己の本領を発揮する男だった。

 「鬼柴田」とあだ名される柴田勝家に付き従うように、佐久間盛政も「鬼玄蕃」の異名を取る荒武者であり、その武勇は信長も認めるものであったという。


 その武功は数多く、信長から直々に感状も賜り、織田家中においてもその武勇を持って知られる男が、ついに業を煮やして動き出したのである。

 先に動いた方が負けである、と諭す勝家に対し「先手必勝」を唱え、条件付きとはいえ出陣許可が下りた事で盛政は一気呵成に攻め立てた。

 秀吉不在、主力不在となった羽柴勢はこれを受け止めきれず、盛政は羽柴勢の陣構えの深くを強襲。

 山崎の合戦で先鋒の一角を務め、激戦を潜り抜けた中川清秀でもこれを支えきれなかった。

 結果として中川清秀は討死、隣接する砦の守護を任されていた高山右近は、山崎の合戦で共に戦った戦友の死に動揺、砦を捨てて敗走した。


 たった一日で戦況を一気に塗り替えた盛政は、そのまま奪取した大岩山砦を基点にさらに他の砦にも攻めかかった。

 しかしこれは勝家の命令に反する行為だった。

 出陣は許可する、しかし攻めた後は必ず退却してくるべし、というのが盛政出陣に際し勝家が出した条件だった。

 だが盛政は元々が己の武勇に絶対の自信を持ち、またこの時の勝利があまりにも上手く行き過ぎてしまったがために、このまま羽柴勢を駆逐出来ると思ってしまった。

 それこそが油断、「好事魔多し」の言葉にある通り、良い時こそ悪い事が潜んでいるものである。


 勢い付いた盛政は前述のように高山右近の部隊を敗走させ、さらに黒田官兵衛の守護する砦にまで迫った。

 官兵衛からすれば、中川清秀の死などは大した問題ではない。

 むしろ山崎の合戦で死なせ損ねた奴が、ようやく片付いたくらいの気持ちでいた。

 だがこの時の盛政の勢いは、黒田官兵衛をして歯噛みさせるほどのものだった。

 官兵衛の個人的な視点からは、己の武勇を誇るだけの猪武者など、という思いがあった。


 その内心で馬鹿にしていた猪武者に、今自分は押し込まれかけている。

 数の上ではそれほどの大軍ではない、それなのにこうまで押されるとは。

 官兵衛の直臣、黒田家の家臣の中でも武勇に優れた母里太兵衛や後藤又兵衛など、武よりも智を重視する官兵衛でも、手放し難い侍たちがいなければ官兵衛の命も危なかっただろう。

 何とか持ち堪えはしたものの、もしこれを機に柴田勢が総攻撃をかけて来たならば、いよいよもって全軍退却を指示しなければならないかもしれない。

 佐久間盛政が中川清秀の守る大岩山砦を攻め始めた時点で、官兵衛はすでに早馬を出して秀吉に急を告げている。


 だが秀吉にその報が届き、秀吉が仮に大急ぎで引き返してくれても、このままではまずい。

 名代を任されながら状況を圧倒的に不利にさせ、その上で秀吉に救援を乞う。

 下手をすれば黒田官兵衛への信頼は失墜し、秀吉が重用してくれなくなる可能性が出て来る。

 おのれ佐久間盛政、という憎しみを込めた視線で盛政が籠もる大岩山砦を睨む。

 しかし、この時の官兵衛は運が良かった。


 船で琵琶湖から上陸した丹羽長秀の援軍が、羽柴勢の他の部隊と合流、盛政に対して一斉に反撃に出たのだ。

 完全に数の上で劣勢に立たされた盛政は、ここにきてようやく撤退を開始する。

 さらにここで、秀吉が去年も見せた「大返し」を敢行。

 粛々と美濃に向かっていた軍勢を大急ぎで近江に取って返させ、撤退中であった盛政に更なる追撃をかける事に成功した。

 しかしそこに柴田勢の柴田勝政の軍が盛政への援軍に加わり、『賤ヶ岳の合戦』で最大の乱戦へともつれ込んだ。


 もしここで、この時一番救援に向かいやすかった部隊が救援を行っていたら、歴史はどういう方面へ転んでいたかは分からない。

 だがこの時、一番近くにいた部隊は他ならぬ前田利家の部隊であった。

 利家の眼には、佐久間盛政と羽柴秀吉、あの二人の顔がまるで目の前にあるかのように思い浮かぶ。

 現在の北陸戦線を共に戦い抜いた戦友か、それともかねてからの親友か。

 今、ここで自分がどう動くかによってどちらかの命を危険に晒すことになるだろう。


 結論は未だ出てはいない。

 だがそろそろ出さなくてはならない。

 親父様から正式な下知が来れば、盛政救援に向かわなければならない。

 そうなる前に自ら動かねば、この場から撤退することも。

 そこまで考えて、利家は自分の中では既に、結論が出ていることに思い至った。


 下知が来る前に、自ら動くには、早くしなければ。

 ああ、こういう考え方が出ている時点で、すでに自分は藤吉郎の方に肩入れしていたのか。

 親父様からの命令を待たず、盛政救援に向かう事は別段軍令違反にはならない、とは思う。

 窮地に陥った友軍を助けず見殺しにするなど、それこそ親父様が一番嫌う行動だ。

 だが、今自分の中に描いていた行動は何であったか。


 肩を落とす、まぶたを閉じる、ため息がこぼれる。

 自分はどうしようもない卑怯者に成り下がる、友情という名の甘えを捨て切れず、恩も義理もある親父様を見捨て、この場から立ち去る事を第一に考えてしまっていた。

 もはや必要なのは覚悟だけ。

 卑怯者と誹られ、臆病者と嘲られ、秀吉に尻尾を振る犬だと、「犬千代」という幼名に似合いの犬畜生に劣る奴だと、佐々成政あたりには言われるであろう覚悟だけ。

 それらを全て甘んじて受ける覚悟さえ出来てしまえば、あとはもはや行動あるのみ。


「我らは退くぞ! 全軍退却!」


 利家の声に、周りの者たちは少しだけ驚いた顔をしたものの、すぐさま落ち着きを取り戻してテキパキと撤退準備を始めた。

 その様を見て利家は、「ああ、誰も何も言わん。 つまりは納得されとるという事か」と自嘲気味に笑みをこぼした。

 利家の下した命令は重大な軍令違反、背任行為であり利敵行為だ。

 本来であれば誰かしらが反論するはずだ、そんな事をしたら柴田様にどう顔向けをするのか、と。

 だが誰も何も言わず撤退の準備を進めるという事は、自分が秀吉と裏で繋がっていたのだと、そう思われていたという事だろう。


 なんだか、あれだけ悩みに悩み抜いた自分が馬鹿みたいだ。

 自分と秀吉の仲の良さは知られていて、そして去年には和睦の使者として出向いて、そこですでに籠絡されていたと思われていた訳だ。

 情けなさ、やるせなさ、くだらなさに思わず笑いが込み上げる。

 もはやかつて勇名を馳せた「槍の又左」などどこにもおらぬ。

 ここにいるのは既に部下たちからすら「卑怯者」の誹りを免れぬ、どうでもよい事に悩んでおった阿呆一人よ。


 もはや道はただ一つ、このまま藤吉郎に従って生きて行くだけ。

 信長様亡き今、もはや織田家に先は無い、藤吉郎が織田家を排斥するならすれば良い。

 自分は卑怯で臆病な阿呆だ、天下を望まず、恩も義理も捨て、強者に媚びへつらい尻尾を振る、そんな犬千代で充分じゃ。

 藤吉郎が、いや秀吉殿が左を指せば左を向き、右に向けと言えば右を向こう。

 将兵が撤退準備を終えたと報告が届き、利家は一つ頷いた。


「我らは越前の府中城まで退くぞ! 追撃を恐れる心配はない、整然と進め!」


 利家の顔に迷いはなかった。

 だがその眼にはどこか投げやりな、ある種の諦観を感じさせるものだけが映っていた。


(それにしても越前府中城、か。 越前の「不忠」城の方が自分には似合っておるな)


 利家の部隊が掲げる梅鉢の家紋の旗が、徐々に戦場から遠ざかっていった。




 秀吉には勝算があった。

 こちらから隙を見せれば、必ずや食いついてくる奴がいるはずだ、という勝算が。

 元々総兵力で見るならば羽柴勢の方が多い。

 たとえ兵力を分断しても、片方がいきなり全滅にまで追い込まれるような事にはなるまい、と考えた。

 ましてや自分が主力を率いて岐阜に向かうからといって、柴田勢に当たるのは副将秀長と、軍師官兵衛の二人である以上、簡単に抜かせることはない。


 秀吉は近江から美濃に抜けるまではあえて焦るように急ぎ、美濃に入ってからはいつでも部隊を反転して戻れるように、わざとゆっくり進んだ。

 それにものの見事に引っかかったのが佐久間盛政だ。

 秀吉が岐阜にかかずらっている間に、近江の戦力を一気に踏み潰さんと動き出したのだ。

 秀吉の動きが露骨に敵を誘っているのだと、柴田勝家なら気付くだろう。

 だが無視も出来まい、このままでは岐阜の信孝はただの降伏では済まぬ、既に三法師や母なども差し出した上での再度の挙兵、今度の戦では己の命を賭け金に乗せる以外にないだろう。


 柴田勝家からすれば、信孝をむざむざ見殺しにする訳にはいかない。

 柴田勝家が近江まで来た、これはすなわち好機到来とばかりに信孝は兵を挙げたが、そもそも信孝と秀吉・勝家ではその能力に大きな差がある。

 秀吉や勝家に見えている戦略図は、信孝には見えない高みに存在する。

 信孝は勝家とどんな手を使ってでも連絡を密にし、その上で勝家の指示に従う形で行動を起こせば、ここまでの無様な失態を重ねずに済んだのかもしれない。

 信孝は己の信じる好機到来で挙兵したが、その行動はかえって勝家の行動に制限をかけるものだと、本人は気付かずに三方から秀吉を追い詰められる、と勘違いしてしまった。


 その結果として、柴田勢は将棋倒しのように敗北の坂を転がり落ちていった。

 もはや士気も低く、行動も遅く、脅威となるだけの存在たり得ない信孝軍は、秀吉率いる羽柴勢主力から完全に無視される格好となって、美濃に留まり続けた。

 その秀吉率いる主力軍は盛政軍を散々に蹴散らし、こちらがやられた被害を倍にして返す、とばかりに攻め立てて、敵も味方も周りの軍勢を巻き込みながら、乱戦へと突入した。

 勝家の想定にあった最悪の事態、信孝の自分勝手な行動、佐久間盛政の命令無視、それらが引き起こす全軍総崩れの事態。

 勝家は己の武運が既に尽きていることを悟った。


 戦の中では、様々な不確定要素が想定と違う結果をもたらすことは多々ある。

 だが今回のは違う、あくまで想定される悪い方向、悪い結果が積み重なった上での最悪な事態。

 信孝の事はこの際しょうがないと諦めも付く、今この場にいない上に目上の人間でもあるからだ。

 だがせめてこの事態だけは招いてくれるな、と佐久間盛政には厳命しておいたのだが。

 血気に逸り、功名心に駆られ、己が武勇に自信を持つあまり、自らの甥は想定し得る最悪の道を選び取ってしまった。


 もはや身内一人、家臣一人己が命を聞かず、今こうして刻一刻と敗北が迫っている。

 勝家はなまじ有能であるが為、なまじ戦場で過ごした時間が多いが為に、分かってしまった。

 こういう時の戦は、必ず負けると。

 全てにおいて、武運とも天運とも言うべきものが、自分には向いていないと分かってしまった。

 もはや自分に出来る事は、一人でも多くの兵を死なせぬように退却させる事のみだ。


「我らはこれより撤退戦に入る! 敵の好き勝手な追撃を許すな、戦いつつ下がるぞ!」


「おぉうッ!!」


 勝家の側にいた者たちは未だに士気が高い。

 だが、本陣にいる者だけ士気が高くても戦には勝てない。

 想定に入っていなかった、と言えば嘘にはなるが、前田利家の無断撤退も柴田勢の敗北の一因でもある。

 利家は秀吉とも仲が良く、勝家もそれをもちろん知っていた。

 おそらく、去年の和睦交渉の際に秀吉から調略を受けたのだろう。


 だがそれを恨む気は無い。

 これが全く縁も所縁も無い者の甘言に乗ったのなら断罪ものだが、若い頃より共に苦労を分かち合った戦友の頼みなら、断り辛いものだという事はよく分かる。

 この戦は負ける、そう確信した勝家の中で、利家に最後に別れを告げてやりたいという思いが生まれた。

 恨み言を言いたい訳ではない、ただあの「親父様」と自分を呼んでくれる者に、せめてこれから先の人生を後悔に沈んだまま、後味の悪い思いを抱えさせたまま生きてほしくはなかった。

 利家の事はよく知っている、あの男はきっと悩みに悩んで、その上で自分とは袂を分かったはずだ。


 利家からは人質として娘を預かっている。

 ならばせめてその娘を返し、自分は全く恨みも無く、ただ武運が拙かっただけと笑い飛ばし、利家に後事を託して腹を斬ろう。

 利家は変な所で真面目な奴だ、だからこそ危うい部分もある。

 この戦国乱世で、生きていくにはもう少し柔軟に、悪くも狡くもならなければならぬ、という事を最後に教えておこう。

 盛政よ、叔父は腹を切るがお主は好きにして良い、お主が生きたければ何があっても生き延び、死にたければ堂々と死ぬが良い、それが「鬼」の二つ名を持つ者の生き様よ。


 勝家は撤退途中、越前府中城へ立ち寄り利家に娘を返した。

 勝家の出迎えに現れた利家は、眼に光が無かった。

 その眼を見た瞬間、勝家は利家がこのままでは腹を切りそうだ、と思い頼みごとをした。

 湯漬けを食わせてくれ、と。

 上様もよく食っていた湯漬け、それを食って今生の別れとしたい、と。


 利家はその場で崩れ落ちて泣いた。

 娘の前で、家臣の前で、勝家の前で人目をはばからず泣いた。

 誰も何も言わず、ただ同じ様に泣いている者が鼻をすする音が響いた。

 本来であれば一刻を争う撤退途中の身であるはずの勝家は、ただじっと利家が落ち着くのを待った。

 ようやく落ち着いた利家の眼には、以前と変わらぬ光が宿っていた。


 勝家が食べる湯漬けは、利家自らが持ってきた。

 これが敵同士なら、ましてや寝返ったばかりの者からの食事であれば、毒が入っていることも視野に入れ、慎重に食べるべき、もしくは毒見の者をたてるべきである。

 だが勝家は受け取った湯漬けを、そのまま美味そうにかっ込んで食べた。

 そして食べ終えた上で、勝家は利家に頭を下げて「馳走になった」と礼をした。

 そんな勝家の態度に、また泣きそうになった利家の肩を叩き、勝家は諭すように言った。


「やがては羽柴の時世となる、お主は友として助けてやってくれ。 わしは一足先に上様にご挨拶に行く。 お主も後からゆっくりと来い」


 その言葉に、利家がまた泣いた。

 見れば周囲の者達も同様だ。

 そんな有様を見て、勝家は優しく微笑んだ。

 そして笑みを浮かべながら利家の頭に軽く拳骨を落とし、最後の説教を垂れた。


「お主の家中は、どうにも涙もろい者が多いのぅ。 年寄りよりも先に泣くな、バカモンが」


 この後、勝家は居城・北ノ庄城へと撤退。

 羽柴勢に降伏した利家は、北ノ庄城へ攻めかかる先陣を命じられた。

 裏切り者、寝返った者の忠誠心を図るため、先陣を押し付けられるのは世の常である。

 利家はこの時、一滴の涙もこぼさずに奮戦。

 その働きを持って秀吉のみならず、羽柴勢全体の信用を得るに至った。


 これ以降、利家はどのような事が起ころうとも、その生涯において涙を流すことは無くなった。

 心から慕う者を失った悲しみで、一生分の涙を流し尽くした結果である。

 佐久間盛政は戦い抜いた後で降伏、切腹はせず、命ある限り柴田勝家の志を継いで、羽柴秀吉に抗い続けると宣言した。

 秀吉はその武勇を褒め称え、この合戦の「逆」最高殊勲者の盛政の、望むようにしてやってくれと官兵衛に伝え、盛政は後に斬首・晒し首となった。

 官兵衛にとっての目障りな存在が、また一つ・二つと減った戦であるこの「賤ヶ岳の合戦」はこうして幕を閉じた。


 だが信長次男・信雄にとっては、これからこそが本番であった。

二日後に予定している次回の更新は「端書き」とさせていただきます。

あからさまな時間稼ぎですが、何卒ご了承下さい。

巻の五も出来る限り更新ペースを守れるように頑張ります。

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