信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その1
ようやく本編の開始となります。
当初の予定を大幅に狂わせるほど長くなってしまいましたが、何卒お付き合い下さいませ。
信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その1
明智光秀本人が率いる本隊が、本能寺の前に到着する。
既に周りは先発させていた部隊に包囲されて、文字通り蟻の這い出る隙間もないほどだった。
桔梗の紋を颯爽と翻し、本能寺の中にいるであろう信長からも見えるよう、高く高く掲げる。
今から、明智光秀が織田信長を討つ、という無言の意思表示である。
周りの兵たちには無論、この本能寺の中に誰がいるかは伝えていない。
「殿、御下知を」
家老の斉藤利三が、馬を寄せて進言した。
頷き、光秀はいつもの落ち着いた声音で淡々と発した。
「かかれ」
光秀の号令を合図に、怒号にも似た兵たちの声が上がる。
すぐさま破城槌が本能寺の門に打ち付けられ、ドォンッと響く音を立て始めた。
城の大手門すら破砕するための破城槌である、いくら要塞化したとはいえ、寺の門など数発も打ち付ければあっさりと破られる。
正門だけでなく、別の門からも同じように怒号が聞こえる。
どうやら本能寺に備えてある全ての門が打ち破られたらしい。
そんな折に、光秀の胸の中に様々な思いが去来する。
かつてこれほど自分を認めてくれた主君がいたであろうか。
かつてこれほど一代で名を残した者がいたであろうか。
かつてこれほど朝廷を蔑ろにした者がいたであろうか。
かつてこれほど遠くの国々までをも見据えた者がいたであろうか。
織田信長、という人物無くして今の自分は無い、と今でも断言できる。
織田信長に対する恩は今でも忘れてはいない。
宣教師から贈られたという地球儀、という品を光秀に見せながら語ったあの時の信長の眼を、顔を、言葉を、今でもつい昨日のように思い返せる。
世界の広さ、日本の小ささ、文化の多様さ、南蛮の先進技術の恐ろしさ。
光秀の教養の高さをもってすれば、信長の語る事の全てを理解することも可能だった。
信長の眼には新しきモノへの好奇心が映り、顔には恐ろしさを滲ませ、言葉には焦りを感じさせた。
信長はまた新しい知識を手に入れた喜びの一方で、それらの知識をこちらに伝えてきた存在に対する恐れを感じていたのだ。
今はまだ良い、宣教師達の自分たちの国の新たな神の教えを、この国にも広めたいという望みを叶えてやれば、次から次へとこの国には無い、新たな献上品を持ってくるからだ。
自分にとっても大きな利益になる事は、信長にとって望む所だ。
だが、鉄砲などをはじめとする様々な軍事技術は、現在の日ノ本のどの地域よりも南蛮の方が進んでいることは分かっている。
宣教師たちはあくまで信仰を認めてほしい、と言うだけで軍事力をもって日ノ本の制圧に乗り出してきたというわけではない。
だがもし、宣教師たちの言う『デウスの教え』とやらを完全に否定して、宣教師たちをこの国から追放するような行動を取れば、日ノ本の国よりはるかに進んだ軍事技術を持った南蛮の国は、この国を武力制圧して、その上でその『デウスの教え』とやらを押し付けてくるのではないか。
そう語った信長の顔は、とても険しいものだった。
信長と同じく、光秀も聡明である。
信長の語る、南蛮国の武力を用いた日ノ本侵略戦争が、現実に起こらないとどうして言えるだろう。
南蛮の脅威、という目に見えない、しかし現実として存在し得るその脅威に、これといった対応策はいくら光秀でも即座には浮かばない。
精々が「重臣の方々を集め、ご相談されては」と進言するのがやっとであった。
しかし信長はそんな光秀の進言を一蹴する。
「あやつらに事の大きさが分かるものか! サルや奇妙でも怪しいわ!」
信長の言葉に、一瞬光秀も言葉を詰まらせる。
サル、とは信長が名付けたまだ小物時代だった頃からの秀吉の呼び名で、今では信長本人か筆頭宿老・柴田勝家か、次席宿老・丹羽長秀くらいしか呼ばぬ名である。
奇妙、というのも信長嫡男・信忠の幼名である奇妙丸を信長は未だに呼ぶことがある。
この二人はそれぞれ方向性は違えど、確かに物分りが良い方だ。
秀吉は小物から成りあがった故か、処世術に長け、頭の回転が速く覚えも早い。
なので様々な技能をそれぞれの達人から教わり、次々と習得していっている。
持ち前の明るさと人当たりの良さを駆使して、人の懐にスルッと入り込む様は感心半分・呆れ半分に「人たらし」と言われる秀吉の真骨頂だった。
その秀吉も、南蛮国の脅威に関してはしっかりと認識できているかは分からない。
しっかりと説明すれば理解は出来るだろう、というあたりが信長と光秀の共通の見解だった。
対して奇妙丸こと信忠は父・信長のやり方・考え方を幼い頃から見ており、そこから来る経験上父の意見を理解し易い立場ではあるが、信長・光秀・秀吉に比べれば劣ると言わざるを得ない。
若い内に織田家の家督を継承させたのも、より早い成長を願っての事だったがまだまだ信長程の才覚を発揮するには至らず、信長がいなくなれば急成長した織田家を維持できるかは分からない。
そういった事から、織田家は家督自体は信忠に移ったものの、未だ権力の全ては信長の下にあり、全ての最終決定権は信長にある。
あとの息子や信長の弟たちなどは、信長という大樹から伸びた枝葉のようなもので、到底そこまで広い視野で物を考えられるような器ではない。
結局、光秀は明確な対応策を挙げることが出来なかった。
そして信長は、悩む光秀の前に立ちこう言い放った。
「わしがこの国を一つにする。 わしがこの国を南蛮に負けぬ強国に作り替えれば、南蛮国とやらもおいそれとは手が出せまい」
信長の意思は決まった。
「美濃を制する者は天下を制す」と言われた美濃の岐阜城、その岐阜城で掲げた『天下布武』。
始めは「尾張・美濃の二ヵ国を手に入れただけで、随分と大きく出たものだ」と諸大名からは嘲りの声すら上がったその思想。
その思想の行き着く先の、そのまたさらに向こう側。
『天下布武』の先を、信長が見据えた瞬間であった。
あの時、自分は何を考えていたのか。
無理だと、出来るわけが無いと、あの信長を前にして言えたか。
それこそ出来るわけが無い。
自分はあの時、確かに信長に対して心から敬愛の念を持ったのだ。
この人物こそが、今この国が必要とした人材なのだと、確信してその人物に仕えている自分を誇りにすら思ったのだ。
それが何故、今自分は信長に対して弓を引いている。
今ならまだ間に合うかもしれない。
信長を討つことを止め、馬を下りて本能寺に入り、信長の眼前に平伏して許しを請う。
許されなくても良い、ただその眼前で詫びて、この国全体の事を考えていたあの英雄を、こんな所で死なせないようにするためには。
そこまで考えた時、そばにいた斉藤利三が再び馬を寄せてきた。
「殿! 信長はすでに防衛態勢を整えておりました! 我らの挙兵はすでに露見していたものと!」
その報告を、どこか遠い場所で聞くかのようだった光秀は、目を見開いて聞き返した。
「上様は……私の謀反すら読んでいた、というのか?」
「殿! お気を強くお持ち下され! 彼の者はすでに上様にあらず、我らの敵にござる!」
斉藤利三の言葉が、上手く耳に入ってこない。
上様は上様で、我らの敵、いや敬うべき主君のはず。
何故こんなことになった、その思いで頭が一杯だった。
そもそも、信長様はこの日ノ本全土を思って戦をしていたのではなかったのか。
その手段があまりに合理性を重視し、性急に過ぎただけではなかったのか。
以前光秀に、ある人物からこんな話が来た。
「信長は朝廷を軽んじること枚挙に暇なく、また古今に類を見ないもの。 彼の者を生かしておくことは、この国全てにおいての厄災に他ならず。 真に国を想いし憂国の士による、天誅をお望みである」
その望んだ者とは誰か、と問う訳にはいかない。
光秀にその話をした人物、そしてその人物が遣わされた、という事が既に一つの真実を物語っている。
光秀に拒否権は無かった。
確かに信長は無駄な事を嫌う性質で、有用であれば朝廷であろうと公家であろうと既に形骸化した幕府であろうと、献金も惜しまないし進物も贈る。
だが、すでに朝廷に頼らなければならない段階は過ぎた、となれば後はほとんど放置だった。
以前、征夷大将軍、関白、太政大臣という、有力な武士であろうと血統確かな公家であろうと、望んでも手に入れることなどそうそう叶わぬその役職に、就任してくれと朝廷の方から信長に申し出てきた。
好きな役職を選んで就いてくれ、などという低姿勢からの申し出に信長は答えを出さなかった。
役職に就くことの煩わしさ、朝廷が自分に首輪を付けて手綱を取ろうという意図が見え見えの申し出。
それが信長が嫌うやり方であると、朝廷側は最後まで気付かなかった。
官位を与えることで権力者に大義名分を与え、自らの地位を守ってきた公家衆に、それ以外のやり方など分からなかったのだ。
信長はそんな事よりも日ノ本の全国統一を目指していた。
やる事はいくらでもあり、時間はいくらあっても足りない。
いやすでに南蛮国では、この日ノ本を目指して最新兵器を積み込んだ軍勢が、大船団を形成して国を発したのかもしれないのだ。
常に一刻の猶予もならないという焦り。
それ故に信長は足元を見つめ直すだけの余裕を持てなかった。
光秀には確かに、信長の思想は危険だという考えがあった。
このままでは古来より続く、日ノ本の基盤そのものをひっくり返してしまいかねないと。
だが異国の、日ノ本の歴史すら知らず、考え方、信ずるもの、肌や髪や眼の色、様々な事が全く違う南蛮国からの侵略に晒され、この国の全て、朝廷も何も一切合財が呑み込まれるくらいなら。
信長の掲げる、国を一つにまとめた防衛構想に賭けるしかない、と。
決意したはずの自分が、今信長を討つべく行動を起こしていた。
なまじ頭が良い信長は遠くのものが見えた。
だがそれ故に近くのものを見落とした。
天正十年六月、これは考えに考え抜いた結論を、実行に移し続けた男が遭遇した、悲劇の事件。
そしてそれを間近で理解していたのに、その芽を摘み取らなければならなくなった男の、悲哀の物語。
悲劇と悲哀の折り重なった地の名は京都・本能寺。
様々な説が現れては消える「本能寺の変」。
何が真実で何が誤りなのかは、その時代を生きていない我々には推測する事しか出来ません。ですのでこれもまた、有り得たかも知れない一つのお話として楽しんで頂ければ、これに勝る喜びはありません。