信長続生記 巻の四 「躍進」 その10
この所どうしてもほぼ史実通りの話しか展開出来ていない状態ですが、次巻以降では史実と少しずつでもズレを出していこうと思っております。
様々な部分で史実と見比べて、なるべく多くの皆様に面白いと思って頂ける展開を目指しておりますが、何分未熟者が描く作品ですので、「そこはこうするよりこうした方が~」という御意見でしたら喜んで拝聴いたします。
ただ「その展開はあり得ない」としてバッサリ切り捨てるのだけはご勘弁下さい。
信長続生記 巻の四 「躍進」 その10
天正十一年三月、近江国の東部にてその戦端は開かれた。
世に言う「賤ヶ岳の合戦」である。
織田家の支配の存続、信長死後の織田家の権威失墜を防がんとする柴田勝家。
織田家の支配からの脱却、信長の死を契機に新たな天下を作り出さんとする羽柴秀吉。
互いが望む未来の形に、妥協案、折衷案は存在しない。
己の理想と願望を胸に抱き、織田家に魂を捧げる老将は、山裾の向こう側に陣を構える羽柴勢を睨み付けて殺気を滾らせる。
己の野心と欲望を掲げ、さらなる高みに上らんとする智将は、山裾の向こう側から臭い立つ様な殺気を放ってくる柴田勢を、フンと鼻を鳴らして受け流す。
柴田勝家はハッキリ言ってしまえば秀吉が嫌いだった。
調子の良い事を口走り、我が主君に取り入った薄汚い小男。
最初の頃は別段いつ死んでも惜しくない小物、としてしか見ていなかった。
それが五年経ち、十年経ち、二十年経てばまさかこのような事になるとは。
幕府の新たな将軍を奉じることで殿が京都を抑えられ、その京都の守護職を申し付けた者の一人に、木下藤吉郎の名前があった時にはいくらなんでも大抜擢しすぎではないか、とも思った。
だが木下藤吉郎はしっかりと役目を果たし続けた。
その頃から、嫌いではあったが単なる太鼓持ち、口先だけの小男ではないと認め始めた。
我が殿は、信長様はとかく才覚のある者を好まれる、この小男の才覚を見抜いた上で役目を与え、重用するに足る者と皆が認めるように仕向けたのだろう。
改めて殿の人を見る目の確かさを思い知った。
その後も秀吉は着実に織田家臣内でも序列を上げ続け、ある時名前を変えると宣言した。
自分と丹羽長秀から一字ずつ取って「羽柴」の姓を名乗り、役職を賜った事で「羽柴筑前守秀吉」と名乗るようになったのである。
あからさまなご機嫌取りに、一瞬とは言え馬鹿にされているのかとすら思った。
だが殿が認めたのなら否も応もない、それに従うまでである。
だがその時に改めて思った、わしはこの男を生涯好きにはなれぬと。
武士たる者、たとえ口には出さずとも自らの行いでもって、その証とするべし。
口先に頼るだけの者が、戦場において槍を振るい、矢を射って敵を討てるものか。
調略に、口先小手先の技術に頼れば、いつかは必ず手痛いしっぺ返しを食らうものだ。
己が力を振るい、誇示し、敵味方双方に我ここに在りを示す事で、敵も味方もその存在を認め、敵はその勇姿に降り、味方は鼓舞される。
齢六十になろうと、たとえ百を越えようと生きていられるのならば、わしはこのやり方は変えぬ。
羽柴秀吉ごとき小男のサルに、武士の矜持は分かるまい。
所詮貴様は、生まれながらの武士ではない。
その才は認めよう、作り上げた実績も褒めよう、同じ織田家臣としてなら、讃えてもやろう。
だがわしは貴様を生涯、いや死した後まで好きにはならぬ。
数の上では不利、地形は互角、情勢は未だ不確か。
せめて滝川がもう少し押し返してくれれば、あるいは信孝様が先に抑えられていなければ。
だが泣き言を言っても始まらぬ、今ある将兵の力で、今この状況から戦を行わねばならぬ。
貴様の薄汚れた野心など既に御見通しじゃ、卑しき小猿めが。
その野心でもって押し通るならこのわしを破ってみよ、それが出来たなら、初めてわしは貴様を心から褒め称え、認めようではないか。
羽柴秀吉対柴田勝家の直接対決は、互いが互いにしっかりとした陣地構築を重視し、砦の普請などに多くの手間と時間を要したために、野戦であるにも拘らず持久戦の様相を呈していた。
互いが万を超える軍勢を擁し、各地に砦を作り上げ、兵を配している。
もし双方の総大将の力量に大きな差があった場合、野戦ではたった一日で決着が付くことがある。
あるいは一方の兵力が倍以上であったりなど、様々な要因があればその時点で戦の優位性などは決まったも同然だ。
だがもし、双方の総大将がすこぶる有能かつ戦慣れをしており、互いの手の内も知り尽くしている間柄であったりする場合。
先に手を出させ、その出した手に合わせた反撃を行う、互いの目論見が読めてしまっていたがために、双方が身動きを取れずに今の状態となる。
こういった膠着状態の場合、それを破るのは得てして外部からの干渉である。
かつての武田信玄対上杉謙信の、いわゆる『川中島の戦い』においても、双方が動くに動けぬ膠着状態に陥ったため、今川に仲裁を頼んだという話もある。
そうした完全なる第三勢力に間に入ってもらう場合もあれば、今回のように片方の勢力による外部干渉が起こる場合もある。
羽柴勢の大半が近江国に、そして滝川への抑えのために残りの軍が伊勢国に向かったため、美濃国は降伏した信孝しかいなかった。
一度は降伏しようとも、あの信長の血を引いた者がこのままおめおめと引き下がってなるものか。
屈辱を受けた、と感じた信孝は意固地になって、再度挙兵を決意した。
秀吉の意識は勝家に向き、後はせいぜい背後の滝川を警戒するくらいだ。
ならばここでその横っ腹を突いてやろう。
軍というのは正面からは強く、背後も警戒するが横槍に弱いのはいつの世も変わらない。
信雄は秀吉に唆され、対滝川の抑えに回らされている。
同じ信長を父に持つとは思えぬ愚鈍さだ。
その行動が、秀吉の掌の上で踊らされているものだ、と何故わからない。
秀吉の野心は明らかだ、あの男は織田家を根絶やしにしようとしている。
それを止められるのは、織田家後見役の自分を置いて他に無い。
この信孝でさえも認める、英邁たる長兄・信忠の忘れ形見の三法師の後見として、今再び織田木瓜を岐阜にて掲げよう。
我は絶対に認めぬぞ、あの羽柴秀吉ごとき小男の天下などは。
父・信長はたとえ一度降伏しようとも、その後で必ずや敵を打ち破っていた。
それを今こそ、この信孝が信長の子であることを天下に知らしめるため、貴様を相手に父の偉業を再現してくれようぞ。
母と娘、そして切り札たる三法師の身柄を差し出させた屈辱、今こそ晴らさん。
「敵は近江にあり、今こそ不忠の徒に天誅を加えん!」
信孝の叫びが岐阜に木霊する。
その声に返す鬨の声は、数も少なく覇気の無いものだと、信孝は最後まで気付かなかった。
「で、信孝は再度挙兵、と。 ふぅぅぅ……ボンクラじゃのぉ、あやつは信雄よかなんぼかマシと思うておったが、実は両方ともうつけの暗愚じゃったか?」
柴田勝家との睨み合い、滝川軍の頑強な抵抗、そこに信孝の再度の挙兵。
この時点では秀吉の最も恐れていた事態、三正面作戦という状況においても、秀吉はそこまで焦ってはいなかった
確かに滝川には今一つ押し切らせない戦巧者ぶりがあった。
なるほどこれは素直に認める、織田家の各方面軍の一角を任されていただけの事はある。
だが柴田勝家の本格参戦がもう少し後ならば、とっくに潰せていた状態であった。
そして柴田勝家の、こちらの予想を裏切る早期参戦。
だが雪深い中から行軍してきた折、相当兵にも疲労がたまっているはずだ。
その疲労を取るためもあって、砦を普請した後は休息を取らせつつ、機を見るといった所だろう。
「鬼柴田」「掛かれ柴田」という勇ましい名前からは想像も付かせぬ、慎重にして冷静沈着な指揮ぶりは、長年戦場に身を置き続けた老練さを匂わせる。
秀吉としてもそれだけ自分が警戒されている、と分かる分だけ苦々しく思っていた。
勢い任せな進軍ならば、もっと早く決着も付いただろうし楽な戦でもあっただろう。
だが柴田勝家の動きは大胆にして慎重、長年の戦における勘とも言うべきものが働いたのか、容易に踏み込ませず、また攻め込んでも来ない。
膠着状態になるのは秀吉としても望む所ではない。
そこに岐阜の信孝が再度兵を挙げたという。
秀吉の脳内は、これをいかに利用するかという点で、猛然と回転を始める。
物見からの報告によれば、信孝は未だ岐阜城あたりでウロウロしているらしい。
勝家に比べ、こちらの戦の勘というのは全く機能していないらしい。
挙兵しておきながら、未だ自らの居城あたりでウロウロして、一体何をしたいのやら。
もしかしたら岐阜近辺にいる勢力全てをかき集め、兵力だけでも増やそうという魂胆か。
だとしたらお粗末に過ぎる、ひたすらに駆けて、軍勢すら置き去りにしてその先頭を馬で駆けていた上様の息子の姿とは思えない。
秀吉は官兵衛を呼び寄せた。
砦の一つに詰めていた官兵衛は秀吉の招きに応じ、その日の内に秀吉のいた長浜城へと参じた。
極力急ごうと努力したのだろう、不自由な足を引きずりながら、額から汗を流しながら到着した官兵衛に、まずは労いの言葉をかけてから秀吉は顔を寄せた。
「数日の内にわしは自ら主力を率いて岐阜に向かう、その間の名代はお主に任せたい」
言われた官兵衛が無表情ながら、わずかに眉間にしわが寄った。
それには気付かない振りをしながら、秀吉は続ける。
「このまま膠着状態を続けておっても面白ぅない、ここらでこっちから一石投じてみよう」
「砦の軍勢の指揮は秀長様では? 配置からしても秀長様の砦は最後方、某の方が前線には近うございますが、柴田が全軍挙げて向かってきたらば持ち堪えながらの指揮は難しいかと」
「分かっておる、あくまで岐阜には向かうが戦になるとは限らん。 親父殿が様子見で少数でも部隊を動かし、それによって隙が生じたならばお主がそこを突け。 逆に危機に陥らば、わしが取って返して反撃に転じよう。 その辺りの判断は秀長よりもお前さんの方が早いでな、何とか頼む」
「こちらの動きを無視して、あちらが全く動かなければ?」
「その時は信孝を潰すのみじゃ、もう二度と逆らえんようにしてな。 それに親父殿は信孝を見捨てられんじゃろ、規模や時期は分からんが必ず動く」
秀吉がキッパリと言い切った。
仕えている主がここまで断言したのならば、軍師として官兵衛が出来る事はその主君の考えを補佐する事のみだ。
「承知いたしました。 羽柴様出陣の後は、全軍に警戒態勢を取らせます。 いざとなれば某が直接出向いて防ぎましょうぞ」
「無理はせんでもええぞ。 肉を切らせて骨を断つなら良いが、骨まで断たれては立て直しようもなくなるからの」
秀吉がここまで言うという事は、今回のは秀吉にとっても一種の賭けだという事だ。
柴田勢がそれこそ全軍を挙げて向かってきた場合、戦力を分散させてしまった羽柴勢は散々に打ち負かされる事すらあり得るのだ。
そうなれば信孝は調子に乗るだろうし、滝川も息を吹き返すかもしれない。
現在の状況は秀吉にとって決して悪くはない、だがそれでも油断は出来ない相手なのである。
明智と戦った山崎の合戦、アレに比べ今回の戦のなんと難しきことか。
あの時は上様の仇を討つ、という大義名分で勝手に士気が高くなっていたためこんな苦労は無かったのだが、今度は完全に織田家の内乱と言える戦である。
そのせいか敵も味方も顔見知りが多く、今一つ士気が上がり切らない。
それは向こうも同様だろうが、それでも官兵衛からすればやり辛い戦ではあった。
羽柴勢に加わった織田家の旧臣からすれば、元からの織田家の家臣でもない者に指揮を取られる、という事に反発を持ってもおかしくない。
その反発が時として謀反・寝返りなどに繋がる事は戦国の世の常である。
秀吉という総大将を頭に据えているからこそ、羽柴勢は機能していると言っても過言ではない。
その総大将がこの現場を離れる、という事になれば名代の自分にその責任がのしかかる。
一瞬秀長が士気の全権を取れば、と口にしそうにもなった。
だがここでそれを言ってしまっては、わざわざ自分が呼ばれた意味がない。
これは秀吉が官兵衛になら出来ると、自分の代わりが務まると認めている事に他ならない。
ならばこれを好機、と捉える。
秀吉が自分に任せるというのだ、これを務め上げて羽柴軍第二位の座を不動のものとする。
こちらを気遣うような物言いをした秀吉に対し、官兵衛は恭しく頭を下げる。
「ご不在の間は、万事この官兵衛にお任せあれ。 羽柴様は心置きなく岐阜へお進み下さい」
「ん、頼むぞ。 重ねて言うがあちらの動きが分かり次第、早馬での報せは寄越せ。 手柄は勝ってこそ、生き残ってこそという事を忘れるな」
秀吉の言葉に官兵衛は軽く動揺した。
表面上は出さないが、自分が軽く気負いを感じているという事を、秀吉は看破していた。
やはり手強い、と官兵衛は自分の主に対し不敵な思いを持った。
天下を狙うに足る、天下を掴むに値する者ならば、人の心の機微など読めて当然。
官兵衛は改めて秀吉が恐ろしい男であると思い知った。
だがそれでも決して越えられぬ男、とは思わない。
現時点では上だ、立場も実力も、何もかもが。
今はこの男に従おう、その上で実力を認めさせ、自分に無くてはならぬ右腕と思わせねば。
官兵衛は秀吉の言葉に「肝に銘じまする」と返して、秀吉の前を辞した。
昨年から続いていたこの戦も、いよいよ佳境だ。
秀吉が織田家を実質支配、その地位にとって代わるための戦もようやく終わる。
この戦を勝利で終えれば、織田家の旧臣は雪崩を打ってこちらになびくだろう。
そこからが秀吉の、本当の天下取りのための戦が始まるのだ。
いつまでも「織田家」という旧時代の遺物にかかずらっている暇はない。
官兵衛は供を連れ、表情を変えずに砦へと戻っていく。
いつもと変わらぬ無表情の官兵衛は、周りを固める護衛の兵にすら気付かれずに、その眼に爛々とした輝きを持たせていた。
あと2回で巻の四が終了いたします、更新ペースについては未だ不確かではありますが極力頑張っていこうとおります。
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新規にご覧になって頂きました皆様の中で、一人でも気に入って頂けたなら歴史オタクの端くれとして感無量でございます。
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