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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の四 「躍進」 その8

            信長続生記 第4章 「躍進」 その8




 天正十年十二月、信長が本能寺にて討ち死にした、と日ノ本全土に伝わって早半年。

 秀吉は挙兵したと思いきやまさに神速、電光石火とも言うべき速さで、あっという間にかつての居城・近江長浜城を攻め落とし、再び己の城とした。

 冬の到来と共に北国は雪に閉ざされ、戦どころか行軍もままならなくなる。

 つまり主な領地と兵力が北陸に集中している柴田勢は、冬の間は実質身動きが取れなくなるという弱点を抱えている。

 そんな分かりやすい弱点を抱えている相手の隙を、逃す様な秀吉ではない。


 この時代の北陸や東北の地域では、冬の間は互いに兵を引き、雪解けを待つのが慣例である。

 なので全ては天候一つ、その年の雪が多ければ戦が無い期間が長引き、雪解けが早ければ早々に戦を再開、というのが常であった。

 つまり強制的に戦を止める事になる北陸に対し、そんな縛りの無い中央の秀吉は、冬で柴田勢の主力が動けない間にどれだけ相手の戦力を削ぎ落せるか、という速度勝負を挑むことになるのだ。

 神速をもって鳴る羽柴軍、その羽柴軍が「速度」で勝負をかける。

 この時点で、どれだけ羽柴秀吉が優勢か、柴田勝家が劣勢に立たされるか。


 柴田勢が窮地を脱せる方法は軍勢の大半を北陸から呼び戻し、「清州会議」の協議の結果でに手に入れたかつての秀吉の居城、近江長浜城にその軍勢を集結させておくこと。

 この場所であれば冬の雪深さによる行動不能の制約は受けない。

 また、秀吉の軍勢とぶつかり合うのが近江であれば、岐阜の信孝とも連携が取りやすいという利点もある。

 だがここで、柴田勢がその戦略を取れない理由がある。

 越後で勢力の立て直しを成功させた上杉家の存在である。


 軍神と謳われた上杉謙信はもういない。

 だが戦国最強と誰もが口を揃えた武田軍を相手に、一歩も引かなかった越後の精兵はいまだ健在であり、後を継いだ上杉景勝は粘り強く上杉を守り切り、かつての勢いを取り戻さんとしていた。

 その上杉が北からの反撃に出る可能性は高い。

 そのため柴田勝家は越前・北ノ庄城を動くことが出来ず、対羽柴勢の動きを自らの養子となっている柴田勝豊に当たらせ、その居城を前述の近江長浜城とした。

 その一方での対上杉家への備えの最前線に、越中国(現在の富山県)のほぼ中心地にある富山城を居城とし、実質的に越中一国を領した佐々成政を置いた。


 信長から北陸方面軍総司令官の任を与えられ、そのための与力として付けられた佐々成政。

 個人的武勇においても、鉄砲隊を指揮する一部隊の指揮官としても、有能と言って差し支えの無い人材であり、対上杉への抑えとしてなくてはならない存在である。

 自らの養子と、頼れる右腕という二人をそれぞれの前線に置くことにより、その中間に位置する城でどちらの勢力にも対応出来るようにする。

 無難にして安定した構え、長年戦場に身を置き続けた勝家は、この構えでもってどっしりと腰を据え、羽柴と上杉という強敵の二正面作戦に備えていた。

 だが無難にして安定しているが故の勝家の油断、そしてそこに秀吉の才が合わさった時、事態は勝家が想定したものを遥かに超える方向へと転がっていった。


 だが少なくとも秀吉はこの事態になる事を想定、いや確信していた。

 近江長浜城はかつての自分の居城、どこをどう攻めれば守り難いか、領内はどういう状態であったか。

 長浜に住む民たちが、かつての領主が帰って来た時にはどういう反応をするか。

 そして城主を任せられた柴田勝豊という人物、養子とは言うが、義父である柴田勝家との関係はどうであったか。

 それらの情報はすでに官兵衛を通じて調べさせてある、結果を先に言ってしまえば「楽勝」となるであろう。


 柴田勝豊は柴田家中でも折り合いが悪く、また病に侵されているともいう。

 柴田家中で認められるでも、慕われるでもなく、おまけに病身の城主がかつての自らの居城にいるというのだから、出だしからして幸先が良い、良すぎるほどだ。

 そして城に詰める兵たちも基本的にはその地域の兵、つまり足軽となっている領民たちである。

 かつて秀吉がこの地を領していた頃、持ち前の人当たりの良さと、農民から出世を果たしたという親近感を最大限利用して、人気取りに励んだ効果はしっかりと活きていた。

 長浜城に向かって進軍する秀吉に対し、その途上で見かけた領民たちは皆、敵意も向けず、怯えもせず、好意と尊敬を持って迎えてくれた。


 秀吉も自ら声をかけ、ちょっと騒がしくなってしまうが、あとでちゃんと補償するぞ、といった言葉で民を安堵させ、行軍は極めて順調かつ安全に行えた。

 近江長浜の領地では特に妨害も無く、難なく城を攻められる地点まで進んでから、とりあえず一当てはしてみたものの、その時点で城の士気はかなり低い事は窺えた。

 力押しで戦って下手な損害を出すのもつまらないため、近江出身にして才気溢れる若者、大谷吉継に調略に向かわせてみたところ見事成功、ほぼ無傷で近江長浜城を取り返した。

 その後は勝手知ったる己のかつての居城、近江長浜城を拠点に対柴田・対信孝の戦略を進めていく。

 春の到来とともに柴田勢は南下するだろう、それまでの間に勝負を決められるだけの損害を敵に与えておく、それが秀吉の基本にして最重要な戦略である。


 天正十年はまだ終わらない。

 名族・甲斐武田家の滅亡という一大事件から始まったこの一年は、その後の本能寺の一件を皮切りに更なる混乱をもたらした。

 信長を討った光秀、その光秀を討った秀吉、その秀吉が織田家内でも純然たる地位を築き、対立した者との戦を始めた年。

 その年の最後を締めくくるは、信長の三男にして織田家後継・三法師の後見役となった織田信孝を降伏させる、主であった者の息子を実質的に屈服させるという離れ業である。

 秀吉がもはや織田家に従う気は無し、と公言したも同然の行いであった。


 光秀が信長に、そして秀吉が織田家に。

 主筋に弓を引く、という行いが続く年であった天正十年。

 戦国の世において最も激しい動きのあった一年がようやく終わり、明けた天正十一年は織田家宿老にして未だ立場と名声を回復し切れぬ、滝川一益の挙兵によって幕を開ける。

 だがこの動きは、秀吉にとっては十分予測可能な範囲の出来事であった。

 むしろ年が明けてから、という点に秀吉は「滝川も老いたな」という感想すら抱いた。


 冬で北国の、柴田の主力が動けないのは周知の事実。

 ならばせめてその間くらいは決して攻め込まれぬよう、連携を取って守りを固めるくらいはしても良かろうに。

 それがフタを開けてみれば最前線には、かつてのこちらの居城に病気の城主を置いている。

 少し攻め立てればすぐに降伏する、難攻不落の城が泣く様なお坊ちゃんの後見役。

 そして今更兵を挙げて、どうぞ各個撃破して下さい、と言わんばかりの老将。


 どうやらよほど天は自分に天下を取らせたいらしい、と秀吉は思わずお天道様を拝んでしまった。

 その脇には未だ油断は出来ぬ、と気を引き締めたままの秀長もいる。

 そして少し後方に佇むは、いつもと変わらず無表情な黒田官兵衛。

 対滝川戦線は、正直に言えば手こずってはいた。

 苦戦、という訳ではないがさすがに相手も古強者、と言うべき戦巧者ぶりを見せている。


 滝川軍はよく持ち堪えてはいる。

 領国の伊勢で羽柴軍を抑え、春の到来とともに南下してくる柴田軍と、南北からの挟み撃ちを狙っているのだろう。

 秀吉の、そして官兵衛の頭の中では、一益の想像するその図が浮かんでいる。

 なるほど、確かにそうなってしまえば羽柴軍は手痛い損害を被るだろう。

 だがそれは所詮机上の空論、相手の狙い通りにしてやるつもりはない。


 こちらはすでに、尾張を中心に広大な領地を持った織田信雄を懐柔している。

 織田信雄と織田信孝の仲の悪さを最大限利用した作戦である。

 信孝を降伏させてその立場を奪い取れれば、織田家後見役という絶好のエサを信雄にチラつかせることができる。

 信雄からすれば邪魔な兄弟がいなくなり、尾張を中心とした一大版図にさらに岐阜まで加えられるかもしれない、そして地位も織田家後見役という実質的な天下人にもなれる。

 秀吉に協力する見返りは、とてつもなく大きいと信じて疑わない。


 美味い話には裏がある、騙される、反故にされる、という考えはこの時の信雄の頭にはない。

 この戦がもたらす影響、その結果として各勢力はどういう事になるのか。

 それらの事に全く考えが及ばない。

 頭にあるのは日ノ本全ての者が自分の前に平伏し、それを満足げに眺める自分という理想の未来図。

 その平伏している者の最前列には、秀吉や家康を置いてやってもいいか、という儚い妄想。


 父の死は衝撃だったし、兄の死は哀しいが、その分は自分がしっかりと織田家を受け継げばよい。

 そんな考えで、信雄は今滝川軍を相手に戦っている。

 かつての宿老といえど、「清州会議」にも間に合わず、我が前に立ち塞がるとは何たる不忠者か。

 「老いて不忠を働く、かつての重臣を誅殺せん!」そんな言葉を放ちながら軍を指揮する信雄を見て、秀吉は笑い出しそうなるのを必死に堪えた。

 堪えるために手の甲をつねって、無理やり笑いを押し留めようとしたが、それでも堪え切る事は難しかったため、今でもつねった部分が赤くなってしまっているほどだ。


 つくづく織田家という家は、信長という大英傑によって支えられていたものだ、と実感する。

 これがまだ信忠という嫡男が生きていれば違ったのだろうが、少なくとも今この時の織田家に、天下を掌握できるだけの器と能力がある者はいない。

 唯一それに近い能力を持つ者がいるとすれば、それは純粋な織田家の一族ではなく、婚姻によって一門に入った、あの老人だけだろう。

 その存在を脳裏に浮かべた秀吉に「申し上げます!」という声がかけられた。

 伝令が発した声の緊張感に、秀吉の口の端がかすかに上がる。


「苦しゅうない、申してみよ」


「北陸の柴田勢、南下を開始とのこと! 現在近江の国境に向かい進軍中!」


 来たか、頭の中にその顔を浮かべた途端に来るとは、せっかちな老人だ。

 いや、これはむしろ早すぎる。

 今はまだ二月、雪解けには早いし今年は雪が少ない、などという話も聞かない。

 さすがは「鬼柴田」、この度の戦で唯一、こちらの予想を上回る動きを見せたか。

 戦の状況を事前にどれだけ想定しても、所詮は机上の空論である。


 戦というものは何をどれだけ想定しても、決してその通りにはいかぬ事がままある。

 「戦は水物」と言われるだけあって、どういう形にもなるものだ。

 こちらが相手の考えを「机上の空論」と断じた仕返しとばかりに、こちらの予想を「机上の空論」に仕立て上げて来るとは、さすがは「元」筆頭宿老。

 信孝降伏、を聞いて居ても立ってもいられなくなったか。

 となれば、こちらも総力でもって当たるべきであろう。


 遅かれ早かれ、柴田勢の主力との激突は避けられない。

 その戦いこそが本番であり、ここまでの戦はいわゆる前哨戦だ。

 柴田勢の主力ともなれば、秀吉率いる羽柴勢程の華々しい戦果は無くとも、北陸において加賀国、能登国、越中国などを攻め落とし、実戦経験も充分のはずだ。

 この後に起こる戦こそ、織田家中においての最強軍団決定戦となる。

 持ち得る兵力の多少と、実戦経験の多寡による兵の錬度の高低、戦前・戦中の諜報力、砦の建築技術力、戦略・戦術の用兵力、それら全てを総合的に競い合い、食らい合う修羅と羅刹の殺し合い。


 策を読み合い、腹を探り合い、そして槍と弓矢を合わせる。

 同じ織田木瓜の旗の下で、常に上に、前に立たれ続けていた男を、ようやく名実共に抜き去る日が来たのだ。

 男として奮い立たない訳がない、血が騒がない訳がない。

 胸中にわずかに巣食う不安の虫が、世辞でもなく、敵に対する威嚇でもなく、本当の戦の「鬼」である柴田を相手に、果たして勝てるのかと囁いてくる。

 大丈夫だ、わしはあの毛利家を相手に優勢に戦を進め、才気煥発たる光秀を破り、次代の天下人としての道を歩いているのだ。


 今ここで、再び時代を過去の物に戻したがるような、織田家の存続を願い続ける老人にいつまでもかかずらってもいられないのだ。

 秀吉はひたすら己を鼓舞して、不安の虫を握り潰す。

 もはや対決は避けられない、いや避ける気は毛頭ない。

 むしろこれはこちらが待ち望んだ戦なのだ、向こうが来たのならこちらも迎え撃たねばならない。

 すぐさま脳内で状況を整理し、近くにいる秀長に言い放った。


「滝川への抑えとして信雄と……蒲生氏郷でも付けておけ。 信雄だけでは不安じゃが、氏郷辺りなら上手くやれるじゃろ。 それ以外の者はわしと柴田に当たるぞ」


「ならいっそ信雄殿もこちらに同道して頂き、氏郷殿に対滝川を任せては?」


「アホゥ、あの暗愚が柴田との一大決戦で何をやらかすか分からんじゃろうが! 清州であのように揉めた手前、あの時の恨みと勝手に先走られては軍全体の士気にも関わる。 暗愚とは言え上様の息子じゃ、滝川もやり辛ろうて、反撃の手も鈍ろう。 後は氏郷に見張らせておきゃあええ」


 秀長の言葉に、秀吉は「お前は一歩足らないな」とばかりにまくしたてた。

 一気に言われてみれば、秀長も確かに、と頷く事しか出来ない。

 秀長は慌てて伝令の者たちを呼ぶ。

 秀吉の命令を諸将に伝え、陣払いなども早急に行わなければならない。

 そして秀吉も自らの陣幕内の床几に座り、ふーっと息を吐く。


「鬼柴田か……もう齢六十も越え、オニどころか「老い柴田」じゃろうに。 そろそろ引導を渡してやるのも、先達に対する礼儀よな……そうじゃろ官兵衛」


 話を振られて、官兵衛も表情を変えないままコクリと頷く。


「『退き佐久間』は石山本願寺との戦が終わり「のきさくま」ならぬ「退かされ佐久間」に成り果てましたな。 ならば此度の『掛かれ柴田』は「枯れ柴田」とでも申しますか?」


 官兵衛からすれば他愛の無い言葉遊びである。

 だがそれが秀吉の笑いのツボを的確に突いたらしい。

 ブッと吹き出して、秀吉は腹を抑えながら官兵衛を褒める。


「言うのぅ官兵衛。 そんじゃあわしも、この戦に勝って天下にその名が轟きし時は『木綿藤吉』改め『天下一藤吉』とでも広めようかのぅ」


 気を良くした秀吉が、思わずそんな言葉を漏らす。


「語呂悪……そういう世にするため、我らも骨を折りましょう!」


 思わずポツリと漏れ出でた本音を隠すため、ことさら力強く宣言する官兵衛。

 秀吉も笑顔をそのままに、官兵衛の言葉に乗る。


「うむうむ、頼むぞ官兵衛。 そんな世になるよう、お主にはこれからもしっかりと働いてもらうぞ!」


「御意」


「そしたらさっきの本音は聞かなかった事にしておくでな」


 聞こえてたか、と危うく口にしそうになって官兵衛は言葉に詰まる。

 秀吉はニコニコと笑顔のままだが、頬の肉が少しだけ引きつっているのが官兵衛にも分かった。

 これは、本当に少々骨を折る事態になるかもしれない。

 顔だけ笑顔の秀吉と二人きりの陣幕の中で、官兵衛は冬だというのに嫌な汗が出るのを止める事が出来なかった。

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