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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の四 「躍進」 その5

前回の北条に続き、今回は上杉です。

               信長続生記 巻の四 「躍進」 その5




 「天正壬午の乱」という戦は、徳川・北条・上杉の三つの大名家による甲斐・信濃争奪戦であった、というのは周知の事実である。

 だが、これは正確に言えばその三家だけで行う争奪戦ではない。

 甲斐国や信濃国にも、弱小とはいえ武装した勢力は当然存在する。

 これを機に独立勢力として名乗りを挙げるため、積極的に領地を広げようとした者、かつての領地を取り戻さんとする者、今ある自らの領地の維持に努めようとする者。

 それぞれの勢力が様々な動きを見せたが、結果としてそれはほとんどが潰され、前述の三家のどれかに併呑される事になる。


 結論から言えば、この戦はほぼ徳川の勝利と言って良かった。

 北条は乱の当初こそ積極的に動いたが、上杉との戦い、徳川との戦い、弱小勢力と見くびった真田の巧みな勢力鞍替えにより、思った以上の戦果を挙げられなかったのである。

 上杉とは和睦し、徳川とも和睦をした時点で、その三つの大名家が互いに交わした約束は以下の通りであった。

 信濃国北部を上杉領に、上野国南部を北条領に、そして甲斐国と信濃国の大半を徳川領とする。

 そして上野国の北部には真田が巧みな外交戦術を駆使して、その三家の緩衝地帯のような場所で生き残りを図り、初めは北条に従っていたが、徳川に鞍替えすることで自らの領地を上手く守ったのである。


 この結果徳川家の領地は三河に始まり、遠江・駿河・甲斐・信濃という五カ国に及ぶ一大勢力となることができた。

 信濃北部には上杉も領地を持ってはいるが、信濃国は現在の長野県であり、その面積は広大であった。

 そのため信濃一国、と言うとただの一ヵ国だけのようにも思えるが、当時の畿内にあるような小さな面積の国なら、二つや三つは余裕で収まってしまうほどの広さがあった。

 なのでたとえ信濃北部が上杉領になろうとも、それ以外の大半を領してしまえば、小さな国の一つ以上の面積と石高を獲得できるのである。

 徳川からすれば、上々な戦果と言っていい結果であった。


 その一方で歯噛みをする事になった上杉は、「御舘の乱」で消耗してしまった国内の戦力を立て直す間もなく、そこに織田家の猛将・柴田勝家率いる北陸方面軍との戦いがあった。

 さらに越後国北部・下越地方を支配する新発田重家の抵抗もあり、上杉軍は本領である越後を守ることを第一としたため、徳川や北条ほど思い切った戦略を取ることが出来なかった。

 もちろんそれでもしっかりと新発田領以外の越後国内を治め切り、さらに領土も拡張しているあたりは充分に有能であり、上杉謙信の後を継いだ上杉景勝は優れた武将であった、と言えるだろう。

 だが上杉家は謙信亡き後、世に言う「御舘の乱」で家中は割れ、内乱状態となってその勢力は著しく弱体化した。

 そしてそこを見逃すほど、戦国という時代・隣接する大名家は甘くない。


 もしこれで、上杉謙信の甥に当たる上杉景勝がこれほど有能でなかったら。

 対立していた上杉景虎を手早く打ち倒さなければ、下手をすれば北条の援軍によって景勝は倒され、上杉という家自体が北条の半属国、もしくは家自体が滅ぼされていた可能性もあった。

 それらの危機を凌ぎ切り、立て続けに襲いかかる織田軍の猛攻を押されながらも、致命的な所まで行かせなかったのも、上杉景勝の底力と言えるだろう。

 また数多の戦国武将の中でも屈指の内政手腕を持つ、直江兼続という右腕がいたことも大きかった。

 自ら戦に赴いて兵たちを鼓舞する大将・上杉景勝と、それを足元から支える執政・直江兼続。


 現在の上杉家はこの「大黒柱」と「縁の下の力持ち」によって支えられていた。

 上杉景勝は幼少の頃より期待をかけられ、成長した暁には優れた大将となるべく、戦国時代当時としては高水準の英才教育でもって育てられていた。

 その時の小姓の一人が樋口兼続であり、幼き頃より優秀であるという呼び声の高さから、越後の名門である直江家の名跡を継ぐことになり、名を「直江兼続」としたのである。

 そうした幼き頃よりの主従の絆は、戦国の荒波の中でより一層強く結ばれ、景勝は領内の運営・内政の一切を兼続に一任した。

 兼続の優秀さを知るが故に素直に頼り、その絆があるからこそ一途に信じ、共に歩めると思えたからこそ、上杉という家の命運を託したのである。


 「責任はわしが取る、お前はお前自身が良いと思う事をやれ」という景勝の信頼に、直江兼続は全身全霊でもって応える事に決めた。

 領内のあらゆる分野、米や特産品の生産高の調査から、海がある故の交易品の点検、兵力の配置加減から領内の査察、現地に行き、その場その地で己の目と耳で確かめ、正確に物事を推し量る。

 直江兼続の、実直にして微に入り細に穿つ内政手腕は、瓦解寸前であった上杉家を立て直させ、再び戦国の一大勢力へと復興させる所まで来ようとしていた。

 だがそれでも、織田家という強大な敵には抗いきれないものがあった。

 徐々に押し込まれ、後退を続けていった戦線は、ついに越後本国まで及ぶこととなった。


 もし本能寺での一件があと一年遅ければ、上杉は滅ぼされるか降伏するかの二択を迫られていたであろう。

 それほどの絶体絶命の窮地を脱してわずか数ヶ月、国内の体勢をなんとか立て直し、羽柴方と協力体制を取る事で柴田勢を牽制しつつ、北信濃へ出兵した。

 本来であれば領土拡大に向かう余裕が無くてもおかしくはない。

 いや、ハッキリ言えばそれだけの余力を作り出すこと自体が、もはや異能の領域である。

 その陰には直江兼続の必死の下支えがあり、上杉の兵たちは飢えることなく、後顧の憂いの無いよう、ただ目の前の戦に集中することが出来る様にするための、人知れない努力があったのだ。


 上杉家執政・直江兼続。

 主君・上杉景勝との鋼の絆を持つ腹心であり、若くして上杉家の柱石を担った男である。

 そしてその男は今、日ノ本全土の地図を前にして、自分と反対側の上座に座る主君と共に、難しい顔をしたまま黙り込んでいた。

 二人の間にあるのは日ノ本の地図ではあるが、所々に線が引かれ、また何かが書き込まれていたり、色を付けられたりもしている。

 よく見れば、それは各地の大名家が実質支配地にしている地域を示す、最新の勢力図であった。


「徳川の勝ち、か」


 眉間に深いしわを刻んだ景勝は、腕組みをしたままそう呟いた。

 その言葉を受け、兼続が重々しく頷きながら言葉を返す。


「現状ではこれが精一杯かと。 口惜しくは御座いますが、これ以上こちらも戦線を拡大すれば、両「シバタ」への抑えが弱くなります、致し方ありますまい」


「…不識庵様への道は、険しいものよな」


 今の上杉は西に柴田勝家、北に新発田重家という、奇しくも同じ「シバタ」の姓を持つ勢力と対しており、それを差して『両シバタ』という名称で呼んでいる。

 また、上杉謙信は「不識庵」という別名を持っており、上杉家中の者は時折謙信に尊崇の念を込めて『不識庵様』と呼ぶことがある。

 自らの叔父であり、先代の上杉家当主であり、軍神の異名を持った男。

 その名を継ぐ者に相応しい男にならねば、と日々自己鍛錬を欠かさない景勝ではあるが、どうしてもあの神懸かりとも言える強さだけは追い付ける気がしない。

 最初は悔しいとも思ったし、自分に努力が足りないのかとも思った。


 その場に存在するだけで、ただそこにいるだけでなぜか負ける気がしなくなる絶対的な存在感。

 どれほど努力しようとも、それだけでは決して手の届かぬ領域にある、まさに「軍神」の世界。

 己も同じ血を少しは引いているはずなのに、なぜこんなにも高みに感じるのか。

 遥かな高みにあり過ぎて、上を見ようとも目に映らず、手を伸ばそうとも決して届かず。

 景勝は謙信の事を敬愛しているし、尊崇の念もあるが、少しばかりの恨みもあった。


 己の名は「景勝」であり、かつて謙信は「景虎」と名乗っていた。

 その「景虎」の名を継がせたのは己ではなく、北条から来た人質の北条三郎であり、その後気に入られて養子になったとは言え、血の繋がりの無かった男だ。

 それが養子になって謙信の死後、自分と上杉の家督を争う存在となって立ち塞がった。

 亡き謙信のかつての名を継ぐ者が、養子となっている者が、その家の跡目を継いで何がおかしい。

 そう自信満々に言い放った景虎の言葉が、未だに景勝の耳にこびりついて離れない。


 何故あの男に「景虎」を与えた。

 何故血の繋がりのある己ではなく。

 「御舘の乱」時に一時期劣勢となった際、景勝が見た夢の中で、謙信は景虎に家督を譲り、己を不要と断じていた事があった。

 飛び起きて夢だと分かった時には心から安堵した。

 身体中に汗をかいていたので、近くの井戸まで走って行って頭から冷水を何度も浴びた。


 荒い息を付きながら、何度も何度も水を浴びた。

 不寝番が見るに見かねて止めに入るほど、一心不乱に浴び続けた。

 その日から、景勝の眉間にしわが寄らない日は無くなった。

 生前にそう言われた訳でもない、誰にも、何も、後継者が誰かも告げずに、謙信は突如この世を去ったのだ。

 そのために家中は血の繋がりを持つ己か、「景虎」の名を継いだ北条の者かで割れた。


 本来であれば、順当に考えれば己が継ぐのが当たり前だと、心のどこかで思ってもいた。

 だがふたを開けてみれば、家中は真っ二つに割れたのだ。

 「景虎」の名が持つ重み、謙信の生前の偉業を、勇姿を、強さを引き継ぐ者に、そんな存在に上杉家を引っ張ってもらいたいと、家中の多くの者がそう思ったのだ。

 上杉謙信という一人の存在が持つ重み、それは上杉家にとって計り知れないものだった。

 その存在が重ければ重いほど、それに類する者も価値がある、となってしまうのは世の常だ。


 「謙信公が人質のはずの者に、わざわざ景虎の名を与えたのはなぜか」と。

 「現在の上杉家中に自らの後を継がせるに足る者がいない、と判断されたのでは」と。

 「景勝様が継ぐかと思っていたが、今の内に景虎様に近づいておくべきか」と。

 「景虎様が継がれれば、北条とは親戚同士になる故、敵が減って味方が増えるぞ」と。

 「やはり景虎様こそ、この上杉の次期当主に相応しい方なのでは」と。


 上杉の家中では、物陰で聞き耳を立てればそんな話はいくらでも聞こえていた。

 おそらくは景虎側から、意図的に流されていたのであろうとは思っても、それの証拠はなく、また下手に弾劾すればかえって家中は混乱する。

 ならば己はそのような噂に惑わされず、ひたすら己を研鑽し、誰もが自然と認めてくれるよう努力すべし、という結論に達した。

 なのに後継者問題がいざ現実のものとなれば、ほぼ家中の意見は真っ二つという有様。

 悲嘆に暮れる暇はない、とは思ってもやはり心の動揺は隠し切れなかった。


 おおよそ一年、上杉謙信という稀代の名将を失ってただでさえ上杉家に危機が迫っているというのに、それだけの期間を内乱鎮圧、などというものに費やしてしまった。

 しかも勝敗は紙一重、と言っても良いものであり、直江兼続やそれ以外にも有能な者がこちらについてくれなければ、今頃己はここにはいないはずだ。

 何故、謙信公は己に「景虎」もしくはその後に名乗った「輝虎」の名を下さらなかったのか。

 何故、謙信公は北条三郎に己が名を、「景虎」を与えたのか。

 ある時、兼続と二人だけで酒を酌み交わしていた時、深酒が過ぎたのか景勝はそう漏らしてしまった事があった。


 本来であれば、普段であれば決して見せてはならぬ、主君としての弱い本音。

 泣き言とも言うが、主君がおいそれと家臣に見せて良い姿でも、また聞かせて良い言葉でもない。

 だがその時の、「御舘の乱」が終結したばかりのある夜の、酒を飲んでいたその時だけは景勝は不覚にもその姿を見せてしまったのだ。

 兼続から見れば景勝は年長者であり、己を厳しく律する武士であり、常に研鑽を怠らない立派な男であったが、それだけにその姿は尚更物哀しく見えた。

 だがそれと同時に、この男も人並みの悩みを抱え、苦しみ、泣きたくなることもあるのだと理解した。


「恐れながらこの兼続には、不識庵様があえて『景勝』と『景虎』にしたのだと思います」


 柔和な顔でそう言った兼続の顔を、真正面から見ながら景勝は吼えた。


「わしを後を継ぐに相応しくないと、そういう意味を込めたと言うのか! ならばわしがこの乱を治めず、景虎が勝てば良かったと! その方が越後のためになると、お主はそう言うのか!?」


 この時の事を思うと、景勝は二度と酒が飲みたくなくなる思いだ。

 いかに酒に酔っていたとはいえ、いや、酒のせいにするのは卑怯な事だ。

 アレは間違いなく己の中にあった、弱い心が生み出した本音だ。

 卑屈で、虚栄を見せて取り繕う、己自身が忌み嫌う類の感情だ。

 だがそんな景勝の言葉を受け流し、兼続は言葉を続けた。


「殿は『勝』の字を頂きました。 殿の名は『景』に『勝』。 謙信公には今の我らの姿が見えておいでだったのでしょう。 己が名を与えた「景虎」を打ち破り、いつかは自分をも越えよ。 その名の通り『景』に『勝って』みせよ、と。 素晴らしき御名前に御座いませぬか?」


 聞いた瞬間、手から酒杯が落ちた。

 後にも先にも、兼続からこのようなダジャレじみた話を聞いたのは初めてだった。

 単なる言葉遊びではないか、そう言い放って怒鳴りつけるのは簡単だ。

 だがその言葉よりも先に、眼から涙が溢れた。

 兼続の言葉が、その意味が本当なら、自分は謙信公に認められていたのだと、名前の字がなによりそれを物語っているという事になる。


 景勝は泣いた。

 決して人前で弱いところを見せぬ、と決めていた男がこの上ない情けない姿を見せてしまった。

 だが兼続は景勝のそんな姿を見て、嘲る視線を向けたり笑ったりすることも無く、ただ黙って落ちた酒杯を拾い、そこに新たな酒を注いだ。

 両手で顔を覆い、泣き声が外に漏れ聞こえぬようにしている主君を、ただ黙って見守っていた。

 数分経って、ようやく落ち着いた景勝は、目の前に差し出された酒杯の酒を一気に呷った。


「我が主君、上杉景勝様。 上杉家家中一同、新たな軍神をこの世に顕現させんが為、粉骨砕身仕えさせて頂きまする」


 そう言って兼続は自らの酒杯の酒を一気に呷った。

 景勝は、その時の酒の味を一生忘れない。

 恥ずかしさと嬉しさ、それ以外にもたくさんの感情が籠もった涙の味がする酒の味。

 思えば謙信公は酒が大の好物で、毎日のように酒を飲んでいた事を思い出す。

 謙信公ももしかしたら、自分のように酒の中に様々な感情を溶け込ませていたのかもしれない。


 そう思うと、景勝は酒を飲むのを止める訳にはいかなかった。

 いつかは届きたい遥かな高み、もしかしたらそこに至るための一手に、「酒」の要素もあるかもしれないのだから。

 そしてあの夜以降、兼続とはさらに絆が深まった気がする。

 次の日は酷い二日酔いに悩まされ、閉口したのも今では思い出になっている。

 今はまだ途上、軍神への道はまだまだ果てしない高みへと続いている。


「あの世で不識庵様に笑われぬよう、ここから盛り返しましょうぞ」


「言われずともよ、上杉がこのままで終わってたまるものか」


 主従の眼は、畿内の羽柴、勢力を伸ばした徳川、生き残りを図っている真田、関東に巣食う北条、をそれぞれ順々に見やり、そうして一つの結論に達した。

 二人が同時に口を開き、考えた言葉を紡ぎ出す。

 その言葉は奇しくも、いや、当たり前のように同じ言葉であった。

 日ノ本全土を描いた地図を見ながら、二人の顔に初めて笑みが灯った。

以前にもこちらで書いたと思うのですが、現在仕事と私事が同時にたてこみまして、私事で恐縮ではありますが次回の更新をお休みさせて頂きたいと思います。

ですので次回の更新は4日後、6月5日に予定しております。

普段の更新ペース、2日に1話は「巻の四」が終わるまでは死守する予定でおりますので、どうか拙作を楽しんで頂けている方々には、変わらぬご支援・ご愛顧の程よろしくお願いいたします。

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