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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の三「新体制」その10

             信長続生記 巻の三 「新体制」 その10




「官兵衛、まずは誰が動くかのぅ? わしゃあやっぱり柴田の親父殿が最有力じゃと思うが」


「状況を考えればまず間違いなく、ですが真っ先かどうかは判断しかねます。 面目を潰された信雄・信孝の兄弟か、権威の回復を目論む滝川一益が動く可能性もございますが、いずれにしろ情勢は悪くもなければ最良とも言えませぬ。 要はこれからの行動次第、かと」


「ふーむ、となりゃあ今は兵に休みをやりつつ、あっちこっちに調略か?」


「少なくとも数ヶ月以内には何らかの軍事行動が起きましょう、それまでの間に兵には英気を養わせ、来たるべき時のために根回しをする、それが今できる最善の一手、で間違いなく」


「ん、良し! わしと軍師の意見が一致しとるんなら問題はなかろう。 早速わしも英気を養って」


「主君の葬儀が終わった途端に、奥方様以外の女子と、でございますか?」


 官兵衛の言葉にそそくさと出かけようとした秀吉の足がピタリと止まる。

 秀吉は京都で大々的に信長の葬儀を行い、その喪主を務めた。

 本来は亡くなった者の子供がその葬儀の喪主を務めたりもするが、信長は嫡男・信忠と共に死んだとされ、未だ幼い三法市に喪主を務める事は難しかった。

 ならば信長の次男・信雄が喪主を務めれば、もしくは三法師名代として後見役の三男・信孝が、という意見もあっただろう。

 しかし秀吉はそれらの意見を全て黙殺、あえて自らが喪主となって大々的に信長の葬儀を行う事で、周囲にその影響力を見せ付けたのである。


 織田信長という天下人、それを討った明智光秀、そしてその明智光秀を討った羽柴秀吉は、名実共に天下人の後継者である、と一人でも多くの者たちに知らしめる必要があった。

 そこで秀吉は自身の養子になっていた信長四男・秀勝にも葬儀に参列させ、信長を模した木像の入った棺を持たせるなど、目立つ役目を与える事でその存在も同時に喧伝させた。

 秀吉の養子になっている信長の子はこんなに目立つ役目をやっているのに、その兄たち二人は葬儀に参列すらしない親不孝者だ、そういう噂を流すことも忘れない。

 既にこの時、本能寺の一件から四ヶ月の月日が経ち、世の中はあの大事件を過去の物として捉えつつある一方、未だ信長の葬儀が行われていない事を、秀吉は好機と捉えた。

 もし葬儀を行うのであれば、誰が喪主を務めるかで揉めるのは目に見えている。


 清州会議であれだけ揉めたのだから、喪主を務めた者は信長の後継者候補一番手だ、などという考えに至れば、信雄と信孝はこぞって自分が葬儀を行おうとするだろう。

 なのでお互いがお互いを牽制しているその隙をついて、秀吉はわざわざ信長終焉の地である京都で大々的に葬儀を行い、その存在感をさらに高めたのだ。

 既に主君の葬儀すらも政治的な意味合いを持ち始めたこの状況に、秀吉はもはや何の感慨も罪悪感も抱かず、ただ利用できる事柄、として処理し始めていた。

 民の間に紛れ込ませた家臣たちも「これだけの事をやれるのは、信長公亡き後は羽柴様だけだ」、「これからは筑前守様の時代じゃ」などと、吹聴して回っている。

 大恩ある主君の葬儀、その喪主を務める忠臣、その顔は悲しみに染まり、その目は常に涙に濡れている。


 遠目からはそう見えるように、秀吉は演技過剰なほど泣いていた。

 もちろん秀吉とて悲しくない訳ではないが、信長の死という現実をすでに受け止めきって、その上で自らの高みに上るための材料として利用させてもらうつもりであった。

 その計算尽くの考えの前では、信長の死の悲しみなどとうの昔に端に追いやられている。

 なので大徳寺で行われた葬儀において、静かに黙祷を捧げる秀吉の脳裏には、悲しみよりも感謝の感情の方が、その度合いは高かった。

 自分を天下が狙える位置にまで引き上げてくれて、その上で消えてくれた上様には感謝の言葉もありませぬ、どうぞ安らかにお眠り下され、という考えであった。


 養子であり、信長の四男である秀勝は純粋に信長の死を悼んでいただろう、だが他の者とて内心はどうであるかなどは分からない。

 葬儀に出席した宿老は丹羽長秀と池田恒興の二人のみ、これでこちらとあちらの陣容は決まった。

 敵対勢力は元筆頭宿老・柴田勝家と、権威は失ったが領国の伊勢に無事帰り着いた滝川一益。

 純粋な宿老の数だけで見るなら三対二、しかし信雄と信孝も参列はせず、その二人を数に入れるなら三対四、その頭となる人物としての器はともかく、勢力としては決して楽観視は出来ない。

 今現在の秀吉を取り巻く情勢は、既に織田家中だけの問題ではなくなっているのである。


 かつて羽柴と戦っていた毛利は、信長の死を知った後で攻め込んでくるかと思えば、秀吉自身も意外に思うほど動きが無かった。

 情報を集めてみると、中国地方全土に武名を轟かす猛将・吉川元春は対羽柴の徹底抗戦を主張するも、同じく中国地方全土にその神算鬼謀を持って鳴る智将・小早川隆景は、これに反対。

 毛利が動けば確かに羽柴撃滅すらも不可能ではない。

 だが信長存命中に羽柴軍によってもたらされた被害は、決して軽いものではなかった。

 小早川隆景はその被害の補填、領国経営の立て直しを余儀なくされていた毛利家は、まずは自らの足場を固め直すべきだと主張したのである。


 戦場においての武勇、局地戦においての戦術眼は誰もが認める吉川元春ではあるが、より広い視野を持った戦略眼となると、弟である小早川隆景の方が上手であった。

 実際に羽柴方と講和を結んだ安国寺恵瓊の取り成しもあり、毛利は対羽柴において不戦・不干渉を貫くことで決定した。

 信長存命を偽って結んだ講和であろうと、一度和睦したからにはその盟をこちらから違う気は無し、という姿勢を見せる事で、秀吉に目に見える恩を売ってきた。

 これには助かったと思う半面、秀吉も「毛利とは戦うべきではない」と心に決めた。

 毛利主力の強さ、その国力、さらにこういった戦略的な物の見方が出来る相手を、戦う気が無いというのにわざわざ敵に回すのは、愚か者のする事だというのが秀吉の考えであった。


 毛利という西側最大の脅威を無くした秀吉だったが、明智と懇意であり、その明智を討った羽柴に対し敵対姿勢を明らかにしている四国の長宗我部は、いまだ健在であった。

 本州上陸を妨げるため、一足先に淡路島を制圧しておいたものの、それでも四国統一を成し遂げた後に長宗我部がこちらに向かってくれば、秀吉とて苦しい立場になる。

 四国の反長宗我部勢力はまだ持ち堪えているものの、それでも一年後にはどうなっているか分からない以上、あまり四国を野放しにも出来ない。

 そして紀州の雑賀衆なども未だ立場が不明瞭であり、いざとなれば自分に牙をむいてくるだろう。

 こうして織田家内の勢力に東を、元から反織田家だった勢力に西を抑えられているため、羽柴軍は舵取りを誤れば天下どころか転落が待っている。


 だが東西を敵に囲まれている、という意味においては柴田や岐阜に領地を持つ信孝も同様であった。

 彼らにとっては西に言うまでもなく羽柴軍、そして東には旧武田領に未だ残る武田の遺臣。

 さらに北からは上杉軍も迫ってくるため、向こうも余裕というものは無い。

 しかも織田家の勢力圏内においては、それぞれに領地を持った家臣たちがどちらに付くかで未だ纏まりかねており、その状況がより一層混乱に拍車をかけている。

 旧来の恩を取って織田家の色合いが強い方に付くか、先を見越して羽柴方に付くか、織田家の旗の下に統一されていた家臣たちは、突如として訪れた勢力争いの真っ只中に放り込まれたのである。


 羽柴方は上杉をはじめとする対柴田・対織田勢力に誼を通じ、柴田・信孝勢力は長宗我部をはじめとする勢力を使って「秀吉包囲網」を形成しようと画策した。

 だがこの時点で秀吉、そして官兵衛は誰よりも優れた戦略眼を発揮した。

 信長の葬儀を勝手に行い、ましてやその喪主を信長の息子でもない秀吉が務め、前述の効果を発揮させると共に、柴田・織田勢力を挑発したのだ。

 その行動に怒りを覚えて戦を起こせば、迎撃という大義名分を得やすい。

 そしてその出来事はそう遠くない内に起こる、と二人は確信していた。


 滝川一益は一刻も早い威信回復、柴田勝家は老齢でもある為に残された命は少ない、こういった宿老二人の焦りもあるだろうし、信孝は若さゆえに自制が効かないだろう。

 秀吉からすればなまじ時間をかけて、長宗我部の四国統一、本州へ攻め上がってくるという状況と、雑賀衆の本格参戦、というのが最悪の事態である。

 なのでこちらの挑発に乗って、さっさと兵を挙げてくれればもっけの幸い、という考えであった。

 また柴田は北陸、滝川は伊勢、信孝は岐阜、というように領地が隣接していない。

 信雄が協力すれば尾張を中心に広大な領地があるため、滝川から信孝までの一大共闘勢力が出来上がるのだが、あの兄弟が手に手を取って、はまず起こりえない。


 むしろ信孝を排して後見役の地位を奪い取るよう仕向ければ、まず間違いなくあの暗愚は乗って来るとすら考えている。

 滝川と信孝を分断する信雄、あとは信孝と柴田の連携をどう崩していくか。

 柴田は清州会議での様子から、間違いなく信孝と一蓮托生で動くだろう。

 そうなれば主な戦場は美濃国と北陸の越前国を結ぶ近江国、で間違いないだろう。

 あの辺りはかつての自分の居城である長浜城もあり、地理もしっかり頭に入っている。


 やれる、この戦は勝てる。

 あとは戦を行う時期と、その時々の動きに大きな過ちを起こさなければ、充分に勝算がある。

 秀吉はそこまで考えが至り、気持ちにも余裕が出来たため、秀吉流の英気の養い方、すなわち女の柔肌を求めに行こうとしていた。

 だがそれに釘を刺した官兵衛の呆れたような眼差し、その眼を逆に睨み返す秀吉は、戦場で見せる爛々とした眼よりも、若干勢いが弱い。


「だ、誰も女とは言うておらんじゃろ! これは、アレじゃ。 ほれ、アレじゃアレ!」


「どれですか?」


 秀吉の必死のごまかしにも動じず、ただ真っ直ぐに見続ける官兵衛に、秀吉の方が折れた。


「きょ、京極家の娘でな……明智に与した者の妻だった女子でのぅ、見目麗しくて名家の生まれである故か、楚々とした動作にまたなんとも気品のある色気が」


「これで何人目のお手付きですか?」


「う、うるさい! 半兵衛の様な事を言うでない!」


 言われていたのか、とは言わない。

 この主君の女好きはもはやそういうモノだ、として認識しておく以外にないのだ。

 特に清州会議時には憧れだったお市の方が、柴田勝家の妻となった事に衝撃を受けて以来、秀吉の名家の子女に対する執着は、一層強くなる一方だった。

 既に没落していたとはいえ、京極家といえばかつては近江国の支配者として君臨していた家系であり、その血を受け継ぐ娘ならば確かに秀吉好みかも知れない。

 だが敵の妻だった者にまで手を付け、挙句こんな時まで足繁く通うとなると、さすがに官兵衛も苦言を呈さざるを得なかった。


「ご正室様へのご機嫌伺い、某は御免ですぞ?」


「ぐっ…それなら……よし! 佐吉に、三成に行かせよう! 市松や虎之助では寧々に言い付けるでな、あやつの方がわしの意を汲んでくれよう! 官兵衛、三成への指示は任せたぞ!」


 言ってそのまま駆け出す秀吉。

 さすがは中国大返しで鍛えた体力と健脚、と思わせるほどその足は素早く軽い。

 だがそんな能力をこんな時に発揮しなくても、と思う官兵衛ではあったが主君の命があった以上、その命令をこなす必要はあった。

 近くの者に三成に急ぎ来るよう伝え、命令通り全速力で駆け付けた三成に、秀吉からの命令を伝えた。

 その時の三成の顔は、自分はとうに同情や憐憫といった感情を捨て去った、と思っていた官兵衛ですら、思わずそういった感情を呼び起こさせるほどに、悲しげな顔をしていた。


 秀吉の正室・寧々(ねね)ともおねとも言われる女性は、包容力のある女性である。

 だが怒らない、という訳ではない。

 羽柴軍の若い者たちには菩薩のように敬われ、福島市松(後の正則)や加藤虎之助(後の清正)に至っては「おふくろ様」と呼び、もしお望みとあらば地獄の鬼の首すら取って来ましょうぞ、と言わんばかりの慕い振りである。

 そんな寧々も秀吉の女好きにほとほと手を焼いており、秀吉も他の女に手を付けた後に帰る度に、やっぱりわしの一番大事な女は寧々じゃのぅ、などと見え見えのお世辞を言い募る。

 そんな秀吉の浮気を、なるべく穏やかに怒らせないように、誤魔化しながら報告するのが石田三成の受けた命令である。


 確かに殺されるような事にはならない。

 別段褒美をもらう事にも、罰を受ける事にもならない。

 だが主君の浮気を誤魔化す片棒を担ぐ、という仕事はもちろん誰もやりたくない。

 人によっては「羽柴家中にのみ存在する処罰法であるが、これを経験しないとこの家では出世が出来ぬしくみだ」とまで言っている。

 こんな事を伝えなければならぬ官兵衛も嫌だったのか、寧々の所に向かうため、足取りも重く哀愁を漂わせる三成の背中に、声をかけてやった。


「近々に戦が起こる。 その際に少しでも良い、手柄を立てよ。 無事に生き残っておれば、羽柴様にはわしの方から推挙しておいてやる」


「わたくし、そこまで出世を望む訳ではありませぬが……そうですな、妻と家臣は終生大事に致します」


「うむ、それが良かろう」


 官兵衛も深く頷いて三成を見送った。

 項垂れたままの三成は、振り返ることなく歩いていった。

 そんな背中を見ながら、色を好むのが英雄の条件なら、秀吉は間違いなく大英雄の器だな、などと。

 官兵衛にしては珍しく下らない考えが脳裏をよぎっていた。

歴史に詳しい方はお気付きかと思いますが、今回その存在だけ匂わせた女性が後の秀吉お気に入りの側室「松の丸殿」です。

重要な存在ではありませんが、秀吉の女好きエピソードのため名前だけ出しました。

そしてこの作品の中での石田三成はこういう役どころです、皆様の持つイメージと違うかもしれませんが何卒ご了承下さい。

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