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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の三「新体制」その9

              信長続生記 巻の三 「新体制」 その9




 信長と家康と前久、この三者の会合、というよりも前久の独白は謝罪から始まった。

 前久はまず、前久個人の考えでは信長を害する気は無かった事を最初に説明しようとしたが、信長の眼光に負ける形で事の次第の説明を始めた。

 余計な事はいいから、早く要点を言え、という信長の眼光は前久すら怯えさせるものであった。

 結論から言えば、これは朝廷の公家衆たちによる信長謀殺計画であり、当初近衛前久はこの計画を知らされていなかった。

 前久は信長と親交があり、前久にこの話が漏れればそこから信長に筒抜けになる、と危惧した公家衆たちは前久をこの計画から真っ先に外していた。


 だが前久の有能さがこの時ばかりは仇となった。

 自分を取り巻く空気、雰囲気がおかしいと気付いてしまったのだ。

 上手く言葉に出来なくとも、何となく感じた違和感、そして不快感。

 さらに自らの知らない所で何かが起きているかのような、不明瞭な疎外感。

 信長の武田攻めに同行し、武田家滅亡を見届けた後、前久はその正体を探るため急ぎ京へと帰還した。


 驚いたのは公家衆たちであった。

 信長にくっついてわざわざ遠く離れた山国、甲斐国まで出向いている、と陰口を叩いていた公家たちの前に、突如として前久が舞い戻って来たのだ。

 てっきり信長と行動を共にしたまま、あと一月くらいは帰ってこないものと思い込んでいた公家衆たちは、あっけなくボロを出した。

 それは信長を京に呼び出し、自分たちの足元で信長を謀殺する、という恐ろしい計画であった。

 その計画を知ってしまった前久は、当然信長にこの事を報せようと思った。


 だが前久は朝廷内では圧倒的な少数派である。

 本来信長程の権力、武力、財力を持っていれば、公家衆は自然と擦り寄っていくものだが、信長自身が公家衆を毛嫌いしているため、公家衆からは信長は恐れられ、嫌われ、憎まれていた。

 そんな中で前久は、数少ない信長肯定派である。

 前久程の胆力が無ければ、信長としっかりと付き合いを持てなかった、というのもある。

 日ノ本全土を覆うかつてない戦乱の中、このままでは国全体が疲弊し、立ち行かなくなってしまう前に、日ノ本を統一させる支配者が必要だという考えは、公家衆には受け入れられなかった。


 公家、というものは非常に狭い世界で生きているため、日ノ本全土の広さを知識としては知っているものの、体感をもって知っている訳ではない。

 対して前久は日ノ本全土、とまで行かなくとも当時の人間として、異常なほど全国を移動し続けているため、日ノ本各地の状況などもその眼で見てきたのだ。

 戦によって田畑は荒らされ、凶作によって民は飢え、人の上に立つ者すら家臣による下剋上の恐怖に怯え、自らの領内統治すらままならぬこともある。

 おそらくは当代随一の、その眼で戦国の世の現実を見てきた男は、この国には新たなる統治者、支配者が必要であるという結論に至ったのである。

 たとえその手段が人から恐れられるものであっても、この際戦そのものを無くしてくれるのなら構わない、そういう悲愴な気持ちで信長に希望を託した。


 だが現実は、前久は公家衆によって半ば幽閉され、知ってしまった以上はこちら側に付け、という事を強要された。

 前久とて策略を巡らすことは出来ても、実質的な武力は持たない公家衆に易々と屈しはしなかった。

 昼夜を問わず説得、懐柔の使者が訪れる中、前久は頑として聞き入れなかった。

 むしろ信長という存在の希少性、重要性を説き、考えを改めさせようとすらした。

 だがそこは良くも悪くも公家らしからぬ思想と発想を持つ前久である、古き慣習こそが自分たちの地位を支えている、と思っている公家衆にその考えが伝わることは無かった。


 そうして幾日もの時が過ぎ、また新たな使者が来た。

 その使者はついに前久個人だけでなく、前久が当主を務める近衛家にまで累を及ぼそうとしたのである。

 近衛家の五摂家からの除名、及び京からの追放という処分をチラつかせてきたのである。

 もちろん抗議した、そして逆に恫喝すら行った。

 「仮にも公家の頂点に立つ五摂家の一家に対し、そのような事が罷り通ると思うか」と。


 しかしこの意見は、他の五摂家の四つの家が了承をした、とその使者は伝えた。

 自分の意見は、思想は確かに朝廷内において異端、少数派だとは思っていた。

 だが既に他の公家衆たちは、ほぼ完全に信長否定派に回っていたのだと、この時前久は初めて思い知らされたのである。

 使者に対して必死の説得を試みた前久だったが、使者はさらにこう言い放ってきた。

 「信長は室町幕府を滅ぼし将軍・義昭を京から追放した、同じことを朝廷にもしないとどうして言える」と。


 それは偏見であり、信長は決して考え無しにそういう事をする人物ではない、と前久は主張。

 だが使者は、考えがあれば何をしても良い、という訳ではなく、ましてや朝廷を滅ぼそうという考えに至った場合、迷わず実行する恐れがあるので、今の内に排除しておかなければならない、と主張した。

 まったく話にならなかった。

 前久は絶望感すら覚えた。

 今や朝廷には信長に対する恐怖が固まり過ぎて、まともに判断できる人間がいなくなっているのでは、とすら思った。


 そのまま話していても埒が明かない、と考えた前久は一計を案じた。

 条件によってはそちらに協力する、と申し出たのである。

 その条件とは、薄暗い座敷牢のような場所で一人か二人が一々説得に来るのではなく、大勢の者達の見ている前でそちらで選出した者と自分で意見を述べ合う、というものにさせてほしい、という事だった。

 その場で自分が納得できたなら、そちらの計画に賛同して協力しよう、という条件を取り付けた。

 前久が今出来る唯一の起死回生の一手、であった。


 その場で信長に対して下手に手懐けようなどとは思わず、日ノ本統一に協力的な姿勢を見せる事で、朝廷の地位安泰を目指すべきだと主張するつもりだった。

 言葉は悪いが、他の公家衆など自分が積み重ねてきた人生の密度が違う。

 向こう側も多少は弁が立つ者を連れて来るだろうが、それでもそう簡単に負けるつもりは無かった。

 自分の確信にも似た信長への期待、それをへし折れるものならやってみろ、とすら思った。

 そうして準備期間を置いて、数日後に座敷牢から出されその場に向かった前久は、その光景に愕然とした。


 示された座すべき場所の正面に、見覚えのある姿が御簾越しに見て取れたのである。

 公家衆の言う所の「かしこきところ」に当たる人物である。

 そしてその御簾の前には十数人の公家の姿。

 その中には同じ五摂家、さらにはかつて敵対した二条晴良の姿すらある。

 周りを見れば、皆前久に対して大なり小なりの敵意を込めた視線を向ける者ばかり。


 この時点で、前久は完全に謀られた事を悟った。

 最初からまともな話し合いなどをする気は無かったのである。

 自らが公家の頂点、関白を務めた事がある朝廷内で、完全に敵地と化した場所にただ一人立たねばならぬという重圧、さらに向こうには自分でさえも頭を下げねばならぬ存在が正面にいる。

 並の公家であれば気を失うであろうその状態で、前久は歯を食いしばりながら耐えていた。

 ふと、自分をここまで案内してきた公家が、自分の背中を押した。


「どうなされました、いつまでも立ち尽くしておられてはお疲れになりましょう。 ささ、どうぞ」


 言うその口元には、笑みを浮かべて隠そうともしない。

 前久は折れかけた心を、その笑みに対する怒りで必死に支えた。

 勧められるがままに座につき、挨拶もそこそこに一気に勝負に出た。

 だがいくら前久といえど、十数人からの罵詈雑言にも似た言葉の洪水には、成す術が無かった。

 ある公家の言葉に反論しようとすると、別の公家がさらに追い立てるように追撃してくる。


 さらに他の公家は前久の普段の行動をあげつらい、頻繁に京を離れるような人間が、いつまでも公家の代表の様な顔で、信長に接しているのはどうなのだろうか、というこの時点ではあまり関係のないことまで言い募り、議論というよりも一方的な言葉の私刑であった。

 精神的にはすでに疲労困憊になりながらも前久は諦めなかったが、前久が諦めるよりも先に御簾の向こうから声がかかった。


「これ以上我が眼前で醜い言葉の応酬をするでない。 既に勝敗は決した、近衛前久卿をこれ以上いたぶるような真似は止めよ。 以上である」


 その言葉と共に、公家衆の「口撃」は一斉にピタリと止んだ。

 前久は倒れ込みそうになる両足を踏ん張り、御簾に向かって声を張り上げた。


「お待ち下され!」


 既に声が枯れている。

 十数人を相手取って声を上げ続けていれば、あっという間に声など枯れてしまうだろう。

 ましてやこの場に、前久の前には水の一滴も置かれていない。

 そんな中でも前久は声を上げたが、御簾の向こうの人物は前久の声に何の反応も返すことなく、御簾のさらに向こう側へと姿を消した。

 前久はその後を追いかけようとして足を踏み出した。


 だが数歩も行かない内に対面に座っていた、先程まで前久に言葉をぶつけてきた公家たちが、前久の行く手を遮る為に立ち上がり、前を塞いだ。

 その光景に思わず足を止めた前久に、また別の公家が言い放つ。


「約束通り、我らにご協力いただきますぞ近衛様。 当代一の傑物、近衛様がお味方となって下されば、信長の命など風前の灯でございますなぁ」


 その言葉に、前久の心はついに折れた。

 もはや抗う術が無かった。

 ここでもしその約束を反故とすれば、今度こそ本当に近衛家という家を失いかねない。

 俯き、歯を食いしばり、拳を握りしめる前久とは対照的に、公家衆は思い思いに扇子を取り出して「暑い暑い」などと言って、涼やかな顔をしていた。

 この後も、前久には常に監視が付きまとう事になる。


 信長を京へと呼び出す方法として、かつて信長には関白、太政大臣、征夷大将軍のいずれか望む役職に就いてほしい、と朝廷から打診していたことを利用することになった。

 通称「三職推任問題」と言われるこの話は、本来であれば朝廷から空いている役職を宛がう事で、有力者を手懐ける方法を取る朝廷から、「お好きなものをどうぞ」と受ける側に選択権を与える異例中の異例な厚遇であった。

 それだけ朝廷側が信長の扱いに苦労していた、という事を表す出来事でもあるが、これに対して信長は明確な返答をしてこなかった。

 信長としては朝廷に頭を抑えられることで、行動に制限が出る事を嫌がった結果であったが、ここで使われる事になったのが近衛前久である。

 近衛前久の名で信長を京へと呼び出し、親交のある前久の招待を無碍にも出来なかった信長は、信忠を連れて京へと入ってしまった。


 その一方で同じく近衛前久の名を使い、その密使として遣わされたという男は、光秀に信長誅殺を命じておいた。

 その際の身分証明を求められても、前久直筆の信任状を持たせることで、光秀を信用させることが出来る。

 光秀も当然信長と前久の親交は知っているので、その前久から信長を殺す実行犯となってほしい、という文が来たことに当初は困惑と否定があった。

 だがそれが朝廷全ての総意である、という証明を他でもない近衛前久が保証する、という旨の書状まで見せられてしまっては、光秀には断れる術が無かった。

 近衛前久が直接動けば、そしてそれらの人物と直接会ってしまえば、計画が露見するという事を恐れた公家衆は、念には念を入れて前久の名前だけを使った。


 あくまで黒幕は近衛前久である、と印象付けるためでもあった。

 これ以降万が一にも、光秀による告発があった際には、すべて前久にその業を背負わせるためでもあったのだ。

 そしてひたすらに前久は文を書かせられ、その文の中に暗号めいたものが入っていないかを幾度も、幾人にも審査されてようやく目的の者に送らせた。

 前久は身動きが取れず、また報せることも出来ないまま、日々が過ぎていった。

 そしてついにその日、六月二日が来てしまったのである。


 さらに当日もより疑われるようにするため、わざわざ近衛邸から弓矢や鉄砲などを構えた者を配置させ、さも近衛前久が一枚噛んでいる、と見た者に思わせる工夫も忘れない。

 この辺りは権謀術数で生きてきた公家衆ならではの念の入れようであった。

 その結果公家衆の策は見事にハマり、近衛前久に元凶の疑いがある、と羽柴軍からはいらぬ詮議を受ける羽目になった。

 生前の信長との親交から、何かの間違いだという弁明で一応は納得してもらえたが、それでも前久からすれば痛恨の出来事である。

 その後は折を見て京を脱出、信長と長年同盟を組んでいた家康を頼って、浜松城に辿り着いたという次第であった。


 そうして近衛前久は話し終えた後で、信長を真っ直ぐに見て頭を下げた。


「信長はん、あんたはんに許されるとは思ってはおりまへん。 この身が語れるものは全て語り終えましたわ、斬る言うんやったら斬ってくれて構しまへん。 せやけど帝と近衛家にだけは、手ぇ出さんようお願いいたしますわ、この通りや」


 そう言って頭を下げたままの前久に、家康は憐憫の目を向ける。

 この男はあれだけの仕打ちを受けて尚、朝廷を完全に見限ることが出来ないのだ。

 五摂家の一角・近衛家の人間、という立場もあるのだろうが、それでもそんな男が朝廷と信長の橋渡しをしなければならないのだから、その苦労は察して余りある。

 頭を下げたまま、微動だにしない前久と黙したまま前久を睨み続ける信長。

 まるでその場所だけ絵で描いたように、何も動かず何も起こらない。


 重苦しい空気が部屋を包む中、家康は信長の次の言葉を待ち続けていた。

 すると部屋の外から足音が響き、ふすまの向こうから声がかかる。

 「申し上げます!」という声で、部屋の空気が少しだけ変わったことに、家康は思わず「よくやった」と言いそうになって慌てて「な、なんじゃ!」と声を上ずらせた。


「甲賀忍者、フクロウが帰還いたしました!」


「ここへ呼べ」


 ふすまの向こうからの報告に、家康が何かを言うよりも先に信長が口を開く。

 先に言われてしまったが、家康は慌てて「苦しうない、直に報告を聞く故、ここへ通せ」と声を上げる。

 向こうからは「はッ!」という声とまた足音が聞こえ、遠ざかっていく。

 その間も一向に頭を上げる様子の無い前久に、さすがに家康もこのままでは、と思って信長に声をかけようとしたその時、信長が一瞬早く言葉を発する。


「前久、お主の言う事全てを鵜呑みにする訳ではない。 だがお主と話しておると公家と話しておるとは思えぬ楽しさがあった事もまた事実、よってお主への対処は一旦留め置く。 今は徳川の庇護の元で共におるがよい、後ほどわしの『天下布武』の真意を聞かせてやる」


「て、天下布武の真意? 信長はん、それは…」


「面を上げて良い、とは言うてはおらぬ」


 思わず頭を上げて目が合った信長に、じろりと睨まれてまた頭を下げる前久。

 さすがに傍で見ていて可哀そうになった家康であったが、とりあえず本人たちが納得している様なので、放っておくことにした。

 今は帰還したというフクロウの報告を聞くことが第一だろう。

 複数人の足音が聞こえ、それが段々と近づいてくる。

 先程の報告に来た家臣と、フクロウの足音だろう。


 家康は身体ごと下座の、入って来るであろうふすまの方に向き直り、その者の到着を待った。

 この時の家康はあることを失念していた。

 忍びであるフクロウは、部屋の中にまで聞こえるような足音を立てて歩くような真似はしない。

 しかし、家康には足音は二つ聞こえていた。

 その答えが、今ふすまの向こうから「失礼いたします」という声とともに明らかになる。

もっと表現力があれば、もっと文章力があれば、とこの回ほど思った時はありませんでした。

プロの作家様方の凄さを改めて知る思いです。

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