信長続生記 巻の三「新体制」その8
信長続生記 巻の三 「新体制」 その8
織田家の後継を決める宿老会議、世に言う「清州会議」は終わった。
柴田勝家は筆頭家老として、これからも織田家を支え続けるため信長の妹、お市の方を妻として北陸戦線へと戻っていった。
それに付き従い、前田利家らの諸将も勝家と共に北陸に向かった。
滝川一益は結局会議には間に合わず、命からがら辿り着いた時には全て決まった事を通達されるのみとなり、実質的な宿老としての面目を失った。
池田恒興は領地も増やされ、地位も末席とはいえ宿老となり、表面上はあくまで無表情を装ってはいたつもりだったが、口元がにやけているのは誰が見ても明らかであった。
丹羽長秀は四国遠征軍副将として、何ら働きが無いことから領地は若干の減封、だがそれを甘んじて受ける事で宿老としての責任を取った形となった。
そして、秀吉である。
あえて自らの領地・長浜を差し出すことでその代わりに畿内から中国地方に至るほとんどの地域を実質支配、その石高は長浜を手放してなお大幅加増、という大収穫であった。
その石高はすでに筆頭家老であったはずの柴田勝家を凌ぎ、領国の広さ・石高なら完全に抜きん出た、織田家筆頭家老の地位を手に入れた。
無論秀吉の望みは「織田家筆頭家老」で終わることではない。
今はあくまで足かけの地位であり、ここから更なる躍進を遂げるため、牙を、爪を研ぐ時期に入るのだ。
最後になってしまったが、織田家一族にもたらした会議の結果は、見るも無様な有様だった。
完全に秀吉の掌の上で踊らされ、織田家後継は幼少の三法師と決まった。
まだ幼い幼君に、一体何が出来るのかと言えば、当然何も出来はしない。
むしろ何もしないでもらいたい、というのが秀吉の本音なのだからこの結果はしてやったり、だろう。
もちろん他の宿老たちも幼い主君に不安を抱き、後見役を付けるという条件でその決定を承服した。
そこでまた問題があるのである。
織田家の正統・嫡流の跡継ぎは信忠の息子・三法師。
そしてその後見役を務めるのが信長三男・信孝となる。
これによって完全にその立場を失った次男・信雄は地位の代わりに領地を要求。
織田領の中でも特に実入りの良い尾張、伊勢などの大半を領して、石高はおよそ百万石とも言われる、大大名として君臨したのである。
幼い後継者と凡庸な後見役、そして大きな領地を手に入れた暗愚。
これで織田家の未来は安泰だとのたまう者がいたら、それは余程人の見る目が無い者か、それとも織田家の凋落を望む者かのどちらかであろう。
あるいは後見役や大大名に上り詰めた信孝や信雄への世辞でなければ、まず聞けるものではない。
清州から自らの領国となった中国地方へと向かうその道すがら、秀吉は必死に口元を抑え続けた。
こうでもしていないとあまりの結果に笑い転げてしまうからだ。
「羽柴様、いい加減収まりませぬか?」
「無理じゃ、無理じゃ官兵衛。 あの宴の時の皆の顔見たじゃろう? 誰も彼も織田家の未来に乾杯、ときたもんじゃ! あの結果で、あの二人を知っておる者が、どうして織田家を安泰と思うかのぅ! むしろそこらじゅうで火種が燻っておるじゃろうが! なーんも知らんと…くくくくく…」
元々しわの多いサル顔の秀吉の顔は、ここ数日で一層しわが増えた気がする。
加齢によるしわももちろんあるのだろうが、笑いじわ、と呼ばれるしわでより一層しわくちゃな顔に見える様になった気がするのは、官兵衛だけではないだろう。
「清州会議」は秀吉の、そして官兵衛の望む形に決着はついた。
信雄と信孝の対立はより深くなったのは間違いなく、後見役という地位を持つ信孝は、その地位による権力を駆使して三法師が成長する前に、不倶戴天の敵である信雄を葬ろうとするだろう。
同じく信雄の方も、広大な領地を手にしたことによる武力を背景に、信孝に対し一戦交えようとするかもしれない。
そうなれば互いに織田家の勢力を食い合い、自滅の道を辿ることになる。
他にも丹羽長秀が今回の減封を不服に思ったり、池田恒興が地位の向上と領地加増に野心を芽生えさせ、織田家の準一門衆のような立場から、さらに上に上ろうとするかもしれない。
そして柴田勝家は、お市の方を妻に迎える事で、本当に大人しくしているだろうか。
元筆頭家老という地位と、信長の妹を娶ったという立場から、織田家簒奪の野心を出さないとも限らない、と官兵衛も見ていた。
無論これらはあくまで官兵衛の脳内にある可能性、としてだけの話ではある。
だが秀吉も官兵衛までひどくは無くとも、可能性は燻っていると見ている。
丹羽長秀に潔さがあれば不服は見せない、池田恒興に野心が無ければ動かない。
滝川一益は落ち目であり、年齢から考えてもここからの挽回は難しいはずだ。
信雄と信孝に関しては勝手に潰し合うだろう、とは思うがこちらに都合よく、自分たちだけで潰し合うとは限らない。
そして何よりの懸念は柴田勝家である。
誰もが認める織田家の老臣であり、宿老と目されてからすでにどれほどの月日が経ったのか。
物事にはどれだけ万全、盤石とみても必ず不安要素が含まれているものである。
今この時点で最も不安要素が含まれているのは、お市の方を娶った事でその立場を「家臣」から「織田家一門」に変えた、柴田勝家なのである。
筆頭宿老の地位が手に入っても、立場が「家臣」と「織田家一門」では、扱いが全く違う。
秀吉はようやく手に入れた織田家の家臣序列一位の座を、反則的な手段で上回られたのである。
しかも柴田勝家とお市の方の仲介をしたのは、信孝だという事だ。
信孝は自らを推薦してくれていた柴田勝家に、少しでも高い地位を預けておくことで、いざという時には自分の助けになるように、叔母を差し出したのである。
この事を知った時の秀吉は、今の様に笑ってなどおらず、むしろ憧れの女性を親子ほどにも歳の離れた政敵にかっさらわれ、顔を真っ赤にしながら歯噛みしていた。
清州城内であったため、分かりやすい激昂はしなかったものの、布団に何重にも包まれた中で散々声を荒げて、何かを叫んでいた。
その傍らで官兵衛が布団を抑えていたため、その時の秀吉の声は部屋の外には漏れてはいない。
ちなみに秀吉の弟・秀長もその場にいたため、官兵衛と二人がかりで布団を抑える羽目になった。
叫んでいた内容は二人には聞こえてしまっていたが、もちろん口外する気は無い。
聞けば秀吉という人間の、人々が認識していた人間性にも少々訂正が必要になってしまう。
官兵衛はここまで取り乱した秀吉を見るのは初めてだったが、秀長はやはり兄弟という事もあってか、何度か目にしたこともあるのだろう。
「思う存分泣きなされ、兄上」と、布団を抑えながら悲しそうな顔をした秀長は、なんだか妙に似合っている様に見えて、この時ばかりは官兵衛も無表情から若干呆れた顔になっていた。
「兄上、ああしてお市様の事を忘れようと…」
そして今、秀長は秀吉の胸中にある悲しみを想い、目に涙を浮かべていた。
もはや官兵衛には理解不能なほど、秀長は秀吉の事を心から慕い続けている。
秀吉が魅力ある人物、才能ある統治者、類稀なる武将であることは認める。
だが秀長のように秀吉に心酔、とまではとてもいくものではない。
秀長は秀吉のために常日頃から文句一つ言わず働き、弱音を吐くことはあっても決して投げ出したり逃げ出したりはしない、粘り強い性格をしていた。
そのためか秀吉も秀長に対しては全幅の信頼を置き、竹中半兵衛亡き今、軍師として最も役に立つのが自分であっても、人として頼るのは秀長、という役割分担が出来ている。
秀長は決して自分を裏切らない、決して自分を貶めない、決して自分を蔑まない。
たとえ父は違っても、同じ母から生まれ、農民として生まれ育った過去がある。
武士としてどう働いたら良いのか、そういった事を一から秀吉に学び、さらに様々な仕事を任せられることで、粘り強く解決していく性格に育った。
秀吉が天性の才能と豪運を持つ者であるとするなら、秀長は天性の努力を惜しまぬ人であった。
今では名実ともに羽柴軍の副将であり、時として秀吉の名代も務めている。
秀吉という輝かしい出世を遂げた人物と、竹中半兵衛や黒田官兵衛の「両兵衛」と言われる軍師二人、それらの陰に隠れながらも決して腐らず、逃げず、仕事をこなしていく姿に、誰よりも秀吉本人が感謝している。
まだ若い時分に家臣がいない秀吉のため、半ば無理やり手伝わされたことから始まった秀長の武士としての生活は、ただひたすら学んで、目の前の事を精一杯こなしていく事で成功を見た。
今では戦でも政でも、細かな配慮や身を挺して兄を守ろうとする忠誠心も含め、誰も彼を「秀吉の弟」という目では見ない。
そこにいるのは「羽柴秀長」という、一個の優れた縁の下の力持ち、という武将の姿である。
努力することを苦と思わない、他者を妬まない、他者の不幸を望まない、兄の陰に隠れる自分を不満に思わない、これらに「才能」というものがあるのなら、ある意味では秀長は誰よりも才気あふれる者ではないだろうか、とすら官兵衛は思う。
考え様によってはつまらない、後世に名を残すような華々しい活躍も、誰もが顔をしかめるような悪行も成せない、歴史に埋もれていくだけの存在だろう。
だが誰より本人が、それで良いと思っている節すらあるのが、官兵衛には内心で気に食わない。
兄すら蹴落とそうという野心の欠片も見当たらない、だからと言って暗愚、凡庸などという言葉で片付けられる器でもない。
この男が味方、という位置付けで傍にいるのもまた、自分にとっても秀吉にとっても幸運だった。
もし信雄か信孝がこの秀長のような男であれば、織田家は本当に「安泰」であったかもしれない。
少なくとも三法師が元服するまで、織田家を守り切るために全力を尽くす事だろう。
その間に全ての実権を握り、織田家を後見の立場から実質乗っ取る、などという野心の欠片すら見せずに、三法師の元服時に少しでも織田家を良い形にしておくためだけに、全力を尽くす事だろう。
「何かを、誰かを支える」という一点においては、官兵衛はこれほど優れた人物を見た事が無い。
こういった男が弟として傍にいるのも、秀吉の持つ「天運」なのだろうと、官兵衛は己を納得させた。
なんにせよ織田家がこの国の中心である時代は終わった。
これからの戦国の世は、新たな段階へと向かうだろう。
応仁の乱から始まる戦国の世、その最初の時代がおおよそ百年ほど前に始まっている。
全国で数多の大名が戦に明け暮れ、その中から突出する勢力が現れては消えていった。
官兵衛が戦国の世に打って出た時には、すでにいくつもの群雄が割拠している時代であった。
東には北条、武田、長尾(現在の上杉)、西に毛利、長宗我部、大友、島津。
それらが徐々に力を蓄え、弱小勢力は呑みこまれ、大きな勢力同士の潰し合いも起こり始めた頃、中央に突如として現れたのが、織田信長が率いる織田家である。
既に先に挙げた大勢力の内、その中でも掛け値なしの強国であった武田は滅び、毛利と凌ぎを削り、弱体化した上杉とも優勢に戦を進め、さらに長宗我部や北条とも同時に戦うだけの力を有した。
もはや誰の目にも、織田家は並み居る群雄たちを一気に抜き去った、と実感できる結果である。
そんな織田家が、これから衰退の一途を辿るのだ。
戦国時代、というものを物語のように分けるのであれば、百年ほど前を第一幕。
いくつかの大勢力が生まれた群雄割拠の世代を第二幕。
中央の織田家の躍進によって、一気に時代が動いた時を第三幕。
今この時が第四幕目、新たな時代の幕開けとなるだろう。
この時代がいつまで続くかは分からないが、少なくともこの第四幕で全てが終わるとは思えない。
四幕目は羽柴秀吉の時代となる、いや羽柴秀吉の時代にしてみせる。
そしてその後の五幕目で、我が時代としてみせよう。
官兵衛は己の中に決意を固める。
これから秀吉の爪と牙を研ぐ時期が来る、だがそれと同時に己自身の爪と牙も研いでおかなければ。
天正十年七月、織田家は新たな体制による舵取りを始め、世の中は再び動いていく。
だがこれ以後、織田家に『天下布武』を唱えていた頃の威勢は無くなり、やがて時の流れによって織田家の威光は過去のものへと変えられていった。
後世に残っている物で、織田家のその後の繁栄を語る物は存在しない。
あるのは凋落・滅亡・改易などの言葉に彩られた、転落の歴史である。
ただ一人の大英傑による一代の栄華、それは避けようのない歴史の運命でもある。
だが今この時においては、その運命を無視するかのように生きている者が存在していることを、織田家の一族も、秀吉も、そして官兵衛も知る由もない。




