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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の三「新体制」その7

予定より少々遅くなってしまいました。

近衛前久卿再登場です。

            信長続生記 巻の三 「新体制」 その7




 上座に座るは前関白・近衛前久。

 中座で平伏するはこの浜松城の主・徳川家康。

 たとえその城の城主であろうとも、公的に立場が上の人間が来れば、普段は自らが座している場所を譲るは至極当然のことである。

 この場でももちろんそれは適用されているため、家康はあくまで前久の許しが無ければその顔を上げる事すら許されない。

 だが前久が部屋に入った時点で平伏していた家康に、前久は即座に「公式の訪問やないさかい、頭を上げとくんなはれ」と声をかけ、用意されていた場所に座る。


 これが嫌味たらしい公家であったりすると、上座の座り心地などを確かめたり、部屋の内装に一々目を配ったりと、その城の城主に頭を下げさせたまま、なかなか上げさせなかったりもする。

 だが近衛前久は元来そういった事をする男ではなく、また家康に対して悪意がある訳でもなかった。

 なのでゆっくりと頭を上げた家康に、近衛前久は挨拶もそこそこに話題を振ってきた。


「三河守殿が無事に領国へ帰り着きしこと、誠に重畳至極やわ。 先日の一件で都は混乱を極め、明智・羽柴と相次ぐ統治者の入れ替わりに、人心は乱れ、朝廷も揺れてましてな」


「お労しいことで。 ここまでの道中、さぞやご苦労なさった事でしょう。 都の風雅はございませぬが、せめてこの浜松ではごゆるりとお過ごし下さいませ」


「痛み入りますわ。 せやけどその前にこの身が遠江に、三河守殿に会いに来た理由を伝えませんとなぁ」


 前久の言葉に、家康はチラリと視線を巡らす。

 この部屋には現在、三人の人間がいる。

 一人は言うまでも無く家康、そしてもう一人が前久である。

 最後の一人は武者隠れに隠れて話を聞いている信長である。

 家康はそちらの方をチラリと見たが、武者隠れの方からは何の反応も無い。


 本来城主などの人間が来客と会う場合、武者隠れ、と言われる小部屋が付いた部屋に通す。

 武者隠れとは読んで字のごとく、もし来客が城主の命を狙う暗殺者であったりなど、万が一の場合に備えて護衛の者を配置しておく小部屋である。

 大体が上座の横に設置され、御簾を垂らして武者隠れの中を見る事が出来ないようになっている。

 だが逆に武者隠れからは部屋を眺めることが出来るため、不穏な状況になればすぐさま対処できるようになっている。

 現在は信長がそこに入って、この会話にも聞き耳を立てているのだ。


 当初近衛前久の来訪を聞いた時、信長は自分も久々に会いたいと家康に言ってきたのだが、家康も前久来訪の目的が不明なままでは、会うのは危険だと説得した。

 言われた信長もそれはそうだと納得したが、ならばせめて話の内容だけでも聞かせてほしいと頼んできたため、武者隠れのある部屋へと前久を通した。

 本来はもっと別の、賓客が来た場合の質の良い部屋に通すつもりだったが、前久にはそちらの方は現在新品の畳に入れ替える所であるため、現在は賓客を迎えるに向いた状態になってはいないなどと嘘を吐き、代わってこの部屋に通したのだ。

 前久も公家である割には、ましてや前関白という地位にいる者としては例外中の例外、と言っていいほど気さくな部分があるため、話せればどこでも構わない、と言ってきたので問題は無かった。

 かくして今、前久の言葉を正面から聞く家康と、武者隠れから盗み聞く信長の三人が同じ部屋にいる事になった。


「先の本能寺の一件、アレを明智はんに行わせたんは……実はこの身なんですわ」


 そう言った前久の顔には、苦しみと悲しみに染まっていた。

 そしてその言葉を聞いた家康は、思わず目を見開きながら武者隠れの方を見た。

 家康の視線が武者隠れの方を向いた事に、近衛前久は気付いていない。

 というよりも近衛前久も、まさか自分が通された部屋の武者隠れに、そんな物騒な人間が潜んでいるとは思っていない。

 あくまで二人の警護のために、万が一に備えて人員が配置されているという事はあっても、まさかそこから前触れもなくいきなり飛び出してくるなり、大股でダンッダンッと音を立てて、自分に向かってくる男がいるなど想像しているはずも無かった。


「どういう事だ、前久」


「は、へ、そ、そないな…のぶ、信長はん?」


 信長の顔は憤怒に染まり、前久の顔は驚愕に染まっている。

 当然と言えば当然であった。

 片や自分を殺すべく行動を起こしていたと知った男を目の当たりにし、片や自分の行動の結果によって命を落としたと思っていた者を目にした男。

 家康もとっさの事に慌てて信長を止めようと思ったが、それより早く信長は飛び出し、前久の胸倉を掴み上げてその顔を自らの眼前に持ってきた。


「どういう事だ、前久ぁぁッ!」


「ほ、ほんまに信長はんなんか? い、生きてはるんやな、亡霊と違うんやな?」


「答えろ前久! 明智を動かしたのは貴様か! 全て吐けぇッ!」


「か、堪忍や信長はん! 全て話す、話しますさかい! それまでは殺さんといてくれ! この身は今でも悔いとるんや、信長はんを結果的に見捨ててしもうた事を悔いとる…か、ら…」


「信長殿! まずは、まずは落ち着かれませ! そのままでは締め殺してしまいますぞ!」


 激昂した信長の力は、胸倉を掴まれた前久の爪先を床から浮かすほどであった。

 見れば前久の顔色も見る見るうちに悪くなっている。

 家康は慌てて信長の手を離させ、前久との間に割って入る。

 信長は家臣の前ならばともかく、家康の前で怒りに我を忘れるような姿を見せたことは無かった。

 そんな姿を見せる事は、家康に弱みや情けない姿を見せる事であって、同盟相手にいらぬ不安や嘲りの感情を持たせてしまう。


 だがそれでも、先程の前久の発言だけは聞き捨てならなかった。

 本来であれば前久の話を聞くだけ聞いて、家康からもいくつかの質問をしながらカマをかけてもらい、京の情勢や羽柴が明智を打ち破ったその後、本能寺の一件をどう扱ったかなどを聞くつもりであった。

 その中で家康から「信長が生きていた方が良かったか?」という問いもぶつけてもらうつもりだった。

 あえて家康は「信長が死んでくれて清々した」などと、信長の死を喜ぶように振る舞い、それに同調するようなら信長は姿を現さず、潜在的な敵に余計な情報を与えないようにするつもりであった。

 しかし家康の態度に腹を立てたなら、姿を現し信長の本当の目的などを理解させて、朝廷に顔の効くこちら側の人脈として活用するつもりだった。


 だが前久の言葉はとてつもない爆弾発言であり、その威力は信長の当初の目論見を木っ端みじんにした。

 元から信長という人間は短気な所があり、それが日ノ本防衛構想を掲げてからは、その度合いをさらに増していた。

 南蛮国の脅威という危機感と、そこからくる焦り。

 それによって元から短気であった信長は、計画の遅延や頭の回転の鈍い家臣など、そういったものを極度に嫌うようになっていった。

 今は雌伏の時であるという自覚から、感情に任せた行動は取らないように心掛けてはいたものの、それは「心掛け」などという実体の無いものを易々と打ち破る衝撃をもって、信長を激情に駆らせるに十分な威力を持つ言葉であった。


 信長は上座に立ち、そこから一段降ろした中段の所で、咳込みながら呼吸を整える前久を見下ろす。

 呼吸困難に陥りかけたため、へたり込んで目尻に涙を浮かべる前久。

 そんな前久の背中をさすり、人を呼んで水を持ってくるよう言い付ける家康。

 その二人を今にも斬りかからん勢いで睨みつける信長。

 人払いを済ませてあったのは失敗だったかもしれない、と家康は思っていた。


 その後は、中座で三角形を作る形で座る三者。

 それぞれの脇には茶が置かれ、あえて家康は腰の刀を含め一切の武器を家臣に預けた。

 この場にたった一振りの短刀でもあれば、話の内容によっては信長は前久をその場で殺しかねない。

 当然信長にも一切の武器を持たないよう頼み込み、三人はそれぞれに等間隔を取って座った。

 信長も一旦は激情に駆られたが、何も聞かない内から殺したのでは意味が無い、と自らを納得させて渋々全ての武器を手放した。


「さ、これでよろしいでしょう近衛様。 全てをお話し下され。 信長殿、この浜松にて激情のままに行動を起こされるならこの家康、かつての己の不徳を」


「わかっておる、皆まで言うな。 お主の三方ヶ原と重ねるな」


 かつて家康はこの浜松城を素通りしていった武田軍に対し、無視をされたまま領内を通過されては武士の面目が立たず、と激昂して野戦を挑んだ。

 武田軍の予定進路と行軍速度を読み、織田軍と前後からの挟撃で武田軍を打ち破れる、という勝算があったため出陣した、とも言われているが武田信玄がそんな隙を見せるはずも無かった。

 いや、正確に言えば隙を見せる事で野戦に持ち込み、徳川軍を散々に打ち破るという罠を仕掛けていたのだ。

 若き頃の徳川家康が喫した大敗北、これが家康の心に大きな後悔と反省を促し、その時の自らの過ち、愚かさ、軽率さを終生忘れぬために、あえてその時の屈辱に満ちたしかめ面を絵師に描かせ、その絵は東海から関東へと領地が移った後にも常に自室に掲げ、己の戒めにしたという。

 また、その時の戦がちょうど三方ヶ原、と呼ばれる台地の上で行われたため、三方ヶ原の戦いとして後世にまで伝わり、江戸時代においての家康の神格化を経て、神となった家康を苦戦させた人物、として武田信玄も名を上げる、という現象を引き起こしたりもしていた。


 ともあれ家康は自分の言いたかったことを察した信長が、不機嫌さを隠そうともせずに言い返してくる姿に、少しだけホッとしていた。

 信長の怒りが頂点に達していたならば、先程のように怒鳴っていたはずだ。

 それが今は煩わしそうに言い放つだけで、怒鳴るという程のものではなかった。

 内心の部分はともかく、感情を理性で抑え込める程度には頭も冷えたようだ、と家康は判断した。

 これなら近衛前久の言葉途中で、いきなり激昂して襲いかかるような真似はしないだろう。


 一方の信長は、腸が煮えくり返るほどに怒りに我を忘れそうではあったが、ここで冷静に話を聞くことは今できる最善手の行動である、と自らに言い聞かせた。

 信長にとっても、この近衛前久という人物は大きな存在であった。

 公家衆とは、そもそもが古い考えに固執し、というよりも古くからある体制に依存し、そのくせ自らの権力だけは手放そうとしない厄介な者達であった。

 自らが何かを生み出す訳でもないくせに、やたらと権力だけは奪い合い、その奪い合って得た権力でこちらに上から目線で物を言う。

 そんな奴らでも使い様によっては役に立つと思い、いくらかの金子や品物を贈ってやれば、次はさらにその要求を高いものにして無心してくる。


 信長からしてみればいてもいなくても、いやいっそいない方が良い、とすら思った公家衆の中で唯一気骨のある者として見た男がいる、その男こそ近衛前久であった。

 鷹狩という共通の趣味や、公家とは思えない大胆な行動力。

 信長と幾度も語り合い、信長自身こんな公家もいるのか、と驚いたほどであった。

 公家の頂点である五摂家の一角・近衛家当主というやんごとなき家柄、その上様々な道にも造詣が深く、公家とは思えぬ器を兼ね備えた男であった。

 信長が公家衆の中で唯一その器量を認め、「天下布武」の真意まで語っても理解できるかもしれない、そう思った男がよりにもよって明智謀反の裏で、糸を引いていたのだ。


 自らが信用、信頼していた男たちが自身に牙をむけていたという事実に、信長は頭の中が真っ白になり、気が付けば近衛前久の胸倉を掴んでいた。

 前久の口から、この後どのような事実が語られるのかは分からない。

 だがせめて、全てを聞いてからなます切りにしてやろう、くらいに思う事で信長は自らの怒りを押し留めていた。

 だが視線にその怒りがにじみ出てしまったらしく、目が合った前久は完全に怯えていた。

 その様子を見て、家康がこれは自分が仕切るべきだな、と考え前久に向き直った。


「では近衛様、御心の内を存分にお話し下さいませ。 織田殿と共に! この家康が最後まで! しかとお聞きいたします故」


 「織田殿と供に」、「最後まで」と強調することで、それまでは信長に手を出させないと主張する家康。

 既にこの部屋からふすま一枚隔てた外には、数名の家臣を控えさせている。

 もちろんその者たちにも武器の類は一切持たせず、万が一にも信長に奪われないように配慮済みだ。

 家康の気遣いに前久は何とか気持ちを落ち着かせ、ポツリポツリと語り出した。

 話していく内に、前久の顔からは憑き物が落ちていくかのように、険しさが消えていった。


 近衛前久は一月もの間、己の内に溜め込んだ苦悩を、今ようやく吐き出すことが出来たのだ。

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