信長続生記 巻の三「新体制」その6
最近自己編集で書き足し、書き直し部分が多くなってしまいまして、肝心の先の話がなかなか書き貯められておりません。
とりあえず巻の三終了時まではこれまで通り二日に一話ペースを守れそうですが、巻の四以降もしかしたらペースが遅くなるかもしれません。
ストックが十分な間は二日に一話ペースを極力守るつもりではありますが、今後ペースが遅くなる時はあらかじめこの「前書き」もしくは「後書き」にて告知させて頂きます。
拙作『信長続生記』を楽しんで頂けている方には、大変有難くも申し訳ない報告ではありますが、何卒今後もよろしくお願いいたします。
信長続生記 巻の三 「新体制」 その6
ここがあの織田信長を育てた尾張、か。
そういう思いで城を、そして町を見た黒田官兵衛は、少しばかり意外な思いにとらわれていた。
商業が非常に発達した地域として、尾張の国は近隣のみならず、播磨までその名が轟いていた。
無論播磨にいた官兵衛からすれば、尾張などよりも堺という日本一の商業都市が近くにあったのだから、そちらの方は嫌でも耳に入って来るが、それでも日本屈指の商業地帯である、という話は聞いていた。
信長の本貫の地である津島一帯と、熱田神宮を中心とする熱田一帯の二つの地域を中心に、尾張は国全体が豊かな商業地域として知られ、その一方で肥沃な濃尾平野の恩恵を受けた、生産地としての面も持ち合わせた、まさに領主からすればとても旨味の多い土地だと聞いていた。
だが、この有様はなんだ。
無論ここは清州城とその城下町であり、津島でも熱田でもない。
だがそれでも信長がかつて尾張一国だけの支配者であった頃は、居城としていた城とその城下町ではないのか。
それがかつての繁栄ぶりはそこかしこに窺えたものの、思った以上に寂れている、という印象が拭えなかった。
清州を拠点としていた信長が美濃を攻め取り、稲葉山城を岐阜城と改めて、本拠をあちらに移してからすでに十五年ほどが経っている。
それでここまで寂れるものなのか。
かつて官兵衛が、小寺官兵衛孝高と名乗っていた頃、信長が畿内から中国地方への進出を計画していることを察し、いち早くその傘下に加わることで主家の、そして自家の立場の安全を図った事がある。
もっともその後は主家に当たる小寺家は信長との敵対を表明し、もはや後戻りが効かなくなっていた自分はかつての名字・黒田に姓を戻し、主家から賜った小寺の名を捨てたのだが。
とにかくその際に信長に謁見を許され、安土城で信長に直々に声をかけられ、中国地方の方面軍総司令官・羽柴秀吉に従えという下知を受けた。
その時に訪れた安土城の城下町は、まさに遠くない将来、あの堺すらも凌ぐのではないかという繁栄ぶりを誇っていたのである。
この時代の城、というのは防衛戦に特化した、いわば「護るに易く、攻めるに難い」を基本としたものであり、峻険な山の上などに築かれる事が多かった。
事実岐阜城、かつての稲葉山城もその例に漏れず、難攻不落の山城、と言われていた。
信長は稲葉山城を陥落させた後、岐阜城とその名を改めてからは城下町の発展に力を注いだ。
後に「楽市楽座」と呼ばれる、権利を独占した商人たちが、寄り集まって組合となり、その組合の構成員だけが商売できる、という閉鎖的な環境ではなく、誰もが自由な商売が出来るという開放的な市場を作り出したのだ。
当時として見れば、考えられない行動であった。
当然各方面から様々な反発はあったが、信長はそれを一蹴。
普通は組合から領主へ上納金を渡すことで、領主は商人たちに特権を与え、独占商売を許可する。
独占商売を許された商人たちはそれぞれが扱う品を被らせないようにして、「この街でこの品物を手に入れたければ、この店で買うしかない」という状況で売値を釣り上げるのだ。
そうして利益を上げ、その利益を上納金、そして組合に参加しない商人が勝手な商売をしている際には、力ずくで排除するための人間を雇うための費用、として使っていくのだ。
当時は全くおかしくなかったこの状況を、信長は自由競争社会という、極めて現代に近しい構造へと変革させていった。
そうなれば、今までどこの組合にも入れなかった行商人や、それを目当てにした様々な人間たちが自然にそこへと集まり、戦で荒れ果てた街の「復興」どころか、「発展」までさして時間はかからなかった。
尾張国だけでなく、美濃国も元からあった街道などを通じてあっという間に商業地域として栄え、信長の財力を加速度的に高めていったのだ。
商業の発展は様々な恩恵をもたらすことを知っていた信長は、岐阜での成功をそのまま安土にも活かした。
いや、むしろさらに発展させたと言っても良い。
山城の城下町では無く、少し小高い程度の丘に新たな城を築き上げ、その城は戦のための城ではなく、街道にほど近い場所に権威の象徴として造られ、その足元には巨大商業都市を新たに築いていった。
堺の町のように会合衆と言われる豪商が幅を利かせるわけでもなく、周りを堀と塀で囲ってこれ以上の拡張を自ら封じる訳でもなく、誰もが入れて誰もが商いに参加できる商業都市。
無論そんな無防備な場所は、他国の間者が自由に入ることが出来てしまう。
だがそんな事を信長が考えていないはずもない。
入るのなら自由に入って来い、見たければ見ればよい、知りたければ聞くが良い、探せば良い。
むしろそうやって、他国に自分がどれだけの規模の力を持っているかを、事細かに報告させるのだ。
その報告を受けて、信長の「財」を根幹においた力は侮りがたし、と思えば自然と後々の戦も優位に進ませることが出来るだろう。
なにせこちらから何もやらずとも、向こうが勝手に向こうの金と人と労力を使って、こちらの力を勝手に思い知って臣従の道を選ぶこともあるのだから。
それこそが安土城城下町の目的の一つであり、発展の副産物であり、信長の新たな力となる。
ある者はこの場所を「地上にある極楽浄土」と評し、またある者は「人間の欲全てを飲み込む、第六天魔王の棲む魔都」と評する。
なんにせよ、信長の作り出した新たなる一大商業都市の存在が、人の口の端に乗らぬ日は無い、というほどの知名度・噂を呼び、それがまた更に大勢の人間をその街に呼び寄せる事になるのだ。
人が動けば銭が動く、人が集まれば銭も集まる、銭は天下の回りもので、回る最中に税として支配者に入ってくる分が存在する。
こうした循環によって、安土城の城下町はまさに無限に財を生み出す、まさに「金の成る街」となっていった。
その城下町の近くに行けば、当時の日本最高の建築物、安土城を拝むことが出来る。
多くの人間、多くの物、多くの金が行き交うその場所を、遥か高みから見下ろす存在が、誰もが見上げる城にいる。
誰もがその城の主を知っている、今自分たちがいる場所を作り出したのが、その人物であると分かっている、その男こそが新たな時代を創造する『天下人』だと思わずにはいられない。
気が付けば、官兵衛は歯噛みしていた。
信長という男のやり方は、あまりに理に適いすぎている。
こと、変革による発展、という概念を生み出した者として、恐らく日本に、いや世界に類を見ないのではないかとすら思う。
あの男は常に様々なモノに立ち塞がれながら、足を引っ張られながら、圧し掛かられながらも決して歩みを止めず、これだけの事を成したのだと、理解出来てしまった。
格の違いを見せ付けられたかのような、遥かな高みから見下されたかのような気分にさえなった。
そんな信長の始まりの地、尾張国の中心地・清州城。
相次ぐ信長の本拠地移転に伴い、そして楽市楽座による恩恵も手伝い、信長の本拠とした土地は目覚ましい発展を遂げたのだろうが、その流れに置き去りにされたかのような場所が、ここだ。
無論ある程度に栄えてはいる、別段他の都市と見劣りするものではない。
だが、初めて信長に対面した時に訪れた、安土城の城下町で受けた衝撃は決して脳裏から消えはしない。
その衝撃を味わった者からすれば、この街はあくまで一地方都市、という枠を超えないのだ。
信長のお膝元、というただ一点がそれなりに栄えている町すら寂れている、という印象に変えてしまう恐ろしさに、官兵衛は改めて信長という存在の大きさを思い知る。
もう既にこの世にいない者に、いつまでも畏怖を抱く必要はないはずだ。
頭を振ってその思いを消してから、官兵衛は清州城に視線を巡らせる。
今頃は秀吉の策が上手くいっている頃だろうか。
おそらくは、あの場にいた誰もが思い付いていなかったであろう、妙手の一手。
織田家総帥・信長とその嫡男・信忠、この二人が死んだならば、誰がその後を継ぐか。
嫡男にして家督を継いでいた、織田家当主・信忠には一人の男の子がいた。
名を三法師、後に織田秀信と名乗ることになる、まだ三歳かそこらの幼子である。
正統たる嫡流を重んじるのであれば、嫡男の忘れ形見、いわば信長の嫡孫に当たる三法師が織田家の次期当主に相応しい、そう断言することで信長次男・信雄と三男・信孝を黙らせる。
自らが仕えている存在とはいえ、よくもまあ、幼子まで担ぎ出して詭弁を弄するものだと呆れ半分になると同時に、半分感心もした。
言っていることが滅茶苦茶だ、などと相手に思わせてはいけない。
あくまで「それは確かに」などと、一定の理解を示させねばならない。
その際に「幼少の若君に、そんな大役は」という反論は当然出る。
だがそこで「その若君がご成人あそばすまで、我らが粉骨砕身お仕えすれば良い。 それともわし以外の方々は、織田家にそこまで尽くす気は無いと仰せか?」と返すのだ。
そう言われれば「そんなはずはない」と言い返すだろうから、そうなれば「じゃあこれで決定だ」という言葉で締めてしまえば、後はこちらのものだ。
昨夜、秀吉の奇策とも言える「三法師擁立」の話を聞かされた際には、官兵衛自身さすがに無理があると思っていた。
そこで秀吉は官兵衛に「ならばお主が織田家重臣になったつもりで、わしに反論してこい。 それらを全部返しちゃる! 明日の予行演習じゃ」などと言って、対面に座った。
軽くため息をついて、官兵衛は次から次へと様々な理由を持って、秀吉を論破しようと挑んでいった。
だが秀吉は、官兵衛がどういう理由で反対するかをすでに読み切っていたかのように、立て板に水の如くスラスラと淀みなく反論していった。
逆に論破されたのは官兵衛の方である。
軍師である自分が、まさか口で敗北を喫するとは思わなかった。
いくつもの「口撃」を、秀吉は全ていなして反撃を加えてくる。
「人たらし」の異名を持つ者は、口の巧さにおいては軍師すらも圧倒したのだ。
全て返された官兵衛は思わず口を噤み、新たな理由を作り出そうと考えを巡らせた。
そんな官兵衛に「どうした、もう終いか? 丹羽殿あたりはもう二つ三つ言ってきそうじゃぞ?」などとどこか楽しそうに笑っていた。
その秀吉の余裕にどうにか一矢報いたくて、官兵衛はあえてその場で降参を告げる。
そして一旦降参を告げながら頭を下げ、その頭を上げた後で秀吉に助言を送った。
「羽柴様の御高説、この官兵衛太刀打ち出来申さず。 されど一点、付け加えとうございます」
「お、なんじゃなんじゃ? 言うてみぃ」
「宿老方の中には、己が自説を曲げぬ御仁もおりましょう。 また、立場を失えばそのまま御命すらも、という方もおりましょう。 そういった方々の対策のために、今からでも根回しをしておく必要がございます」
「ふむ。 親父殿とご子息方じゃな」
官兵衛の言葉に、すぐさま思い当たる人物が浮かぶ秀吉。
官兵衛は続ける。
「今からでも遅くはありませぬ、会議に参加される宿老……そうですな、丹羽長秀を説得なさいませ。 彼の人物を柴田と引き離しつつ、水面下で共闘できれば、勝ちは自ずと」
「こちらに転がり込むっちゅう訳じゃな。 恒興の方は兄弟喧嘩にうんざりしとるからの、言っておかんでも勝手に話に乗って来るじゃろ」
「御意。 そしてあらかじめあの兄弟を会議遅延の原因として、あの場から遠ざけておけば、なお成功率は上がりましょう。 全ては今夜、丹羽長秀を羽柴様の考えに引き込むのです」
「よし、ならば善は急げじゃな! 頼りになるのぅ官兵衛」
「いえ、軍師などと偉そうな事を言っておいて、いざとなれば弁も立たぬ非才の身にござれば、なにかしらの御役に立たねばと日々必死にございます」
「ね、根に持つのぅお主……口では勝ったが策で負けた、この勝負は引き分けじゃ」
言って、逃げるように部屋を出ていく秀吉。
ドタドタという足音が遠ざかっていくのを聞いて、官兵衛は一人笑みをこぼす。
変革・発展という才において、信長の右に出る者はおそらくいないだろう。
だが話術・そして纏め上げるという点においては、秀吉の右に出る者はいないだろうと官兵衛は思う。
そう考えると、つくづく信長は良い時に死んでくれたものだ。
信長がもたらした変革と発展を、秀吉が束ね、纏め上げる。
時代はこれから急速に動いていくだろう。
信長という、早くも旧時代のものとなった遺物の残り香をこの会議で消し去り、秀吉による新たな風を吹き込ませるのだ。
その時、自分は秀吉の傍で第二位の地位に就いていればよい。
秀吉があと何年生きるかは分からないが、とりあえず自分も健康には気を使っておくとしよう。
明智光秀よ、感謝するぞ。
お前は本当に良い仕事をしてくれた。
変革をもたらす者を討つ事で新たな時代の扉を開け、その上でその扉を通る者に道を譲るなど、誰でも出来るような事では無い。
いや、これはむしろ羽柴秀吉、という男に運が向いているのだろう。
もちろん向いてきた運を逃さず掴み取るにも、相応の実力が必要だがあの男に関してはその心配はいらないだろう、と官兵衛は思っている。
まさに天運、とも言うべき豪運があの男には備わっているのだ。
実力と運を兼ね備えた者に、誰も敵う訳が無い。
ならば自分が取るべき手段はただ一つ、その天運の持ち主を逃がさねば良い。
いつの日か、その天運の持ち主が消え去った後の世を手に入れられるように。
そうして昨夜の官兵衛は宛がわれた部屋へと戻り、眠りについた。
起きてから改めて清州城の城下町などを検分し、そして今に至る。
秀吉の策が上手くいけば、今日でようやく「清州会議」が終わる。
織田家の家督は幼子が継ぎ、実質的に織田家の天下は終わる。
あとは実力ある者が奪い合う、戦国の世がまだまだ続く。
そうでなくては、今の地位より上には行けない。
せいぜい羽柴秀吉には頑張ってもらわねば。
今のあの男に勝る存在などそうそうはいないだろうが、それでも分からないのがこの世の中だ。
今日で「清州会議」が終われば、秀吉の事だからまたどんちゃん騒ぎの宴を催すだろう。
酒は嫌いではないが、織田家の家督相続が無事に終わった祝いなどで飲む酒が、美味く感じられるはずもない。
ならば、自分だけは心の内で違う理由を肴に、酒を飲むとしよう。
織田家の『天下布武』が、今日を持って幕引きとなる、という極上の肴。
さぞや味わい深い、美味な肴となるだろう。
そう考えている時の官兵衛の顔は、誰の視線も受けてはいないというのに、能面のような無表情のままであった。




