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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の三「新体制」その4

             信長続生記 巻の三 「新体制」 その4




 秀満の心に、悔いはなかった。

 明智光秀という、天下にその才能を知らしめた男の下で、従って、戦って、今こうしてここにいるのだから。

 今、明智秀満がいる場所は、明智光秀の居城、近江坂本城である。

 日本一の大きさを誇る琵琶湖を、眼下に望む湖畔の名城。

 その城に今、秀満はいる。


 安土城から出陣し、光秀の援軍として向かった山崎では、すでに戦は決していた。

 多くの将兵が討ち取られ、光秀も勝竜寺城に退却したという。

 そして自分が軍を率いて向かった先に、堀秀政が軍を展開して待ち構えていた。

 信長の小姓を務め、その有能さから一軍の将を任されるようになった男である。

 万事において隙が無く、信長の小姓時に培った頭の回転の速さを活かした抜群の機転、そして信長への崇拝にも似た忠誠心を併せ持つ「名人」と言われた武将。


 この男も光秀や秀吉ほどの知名度は無いが、織田家を支えた有能な将の一人であり、そもそもこれほどの男がその家を代表する家臣、とならない織田家の人材の豊富さが異常とも言える。

 そんな男が兵数でも勝っている部隊で秀満を待ち受けているのだから、本来であれば秀満は即時退却をするべきであったのかもしれない。

 だが戦いもしない内から逃げる、という選択肢は秀満にはなく、「相手にとって不足無し」の気概でもって秀満は「名人」秀政の軍に挑んだ。

 結果はやはり大敗、敗走を余儀なくされた。

 そうして今、近江坂本城に入り、秀満は最期の時を迎えようとしていた。


 自分は光秀の様な、日ノ本全土を展望できるような視野の広さは持っていない。

 自分は光秀程の戦上手でも無ければ、内政能力など比べる事もおこがましい。

 だがそれでも、光秀の決めた道に命を賭けて付いていくことは出来る。

 そう思っていたが、今この場に光秀はいない。

 その代わりに、この近江坂本城には辿りつけた。


 光秀と一緒に死ぬことは出来そうにないが、その代わりに光秀の居城・近江坂本城が冥土の道連れならば上出来というものだろう。

 もはや残り僅かなその命の中で、少しでもこの明智左馬助秀満と、主君・明智日向守光秀の武名を上げるため、琵琶湖を馬に跨ったまま渡るという真似もしてみた。

 敵に囲まれ、一か八かの行動だったが、思いのほか上手くいった。

 あれほどバクチを打つことに嫌悪感を抱いていた自分が、あの状況でダメで元々のつもりでやってみれば、最高の目を出していたというのが、皮肉にしか思えない。

 悪い目が出て途中で溺れ死んでも、敵に首を取られずに済むし、このように良い目が出れば無事に渡り切り、こうして近江坂本城に着いたというのだから、あまりバクチとは言えないかもしれないが。


 ともあれあの行動は、相当に敵の度肝を抜いたらしく、矢で射かけてきたりなどの邪魔も入らなかった上に、こちらが渡り切るのを見届けた後には遠くに手を叩く音も聞こえた。

 まるで平家物語で読んだ、源平合戦の那須与一の様だとも思った。

 海上に浮かぶ船の上に掲げられた一枚の扇、その扇を射落として見せた那須与一は、敵味方双方から喝采を浴び、ただその瞬間だけで伝説となった。

 自分も、あの瞬間だけは後世に残せる逸話でも達成したかのような気分になれた。

 今にして思えば「南無八幡大菩薩」とでも言いながら琵琶湖に入れば、もう少し格好も付いたかもしれんな、などと益体の無い事も考えられるだけの、気持ちの余裕も出来た。


 ともあれ、敵はすでにこの近江坂本城を包囲し、もはやロクに兵力も無い自分は、ここで降伏か、それとも自害するか。

 選択肢は二つ、選ぶのはどちらか一方。

 包囲する部隊はまたも「名人」堀秀政の軍。

 何とも最後の最期で妙な縁が出来たな、と思い苦笑する。

 だが秀政程の男なら、こちらの意図も汲んでくれるだろう。


 名声は残した、後は汚名を残さなければ我が生涯において、悔いはなくなる。

 そうして秀満は城外にいる堀秀政へ遣いをやった。

 一通の書状を渡し、その書状に書いておいた物品を次々と用意していく。

 あらかたこちらの準備が終わった所で、一人の武将が居並ぶ兵たちの間から姿を現し、秀満も向こうから見える場所にその身を晒した。


「堀秀政殿とお見受けいたす、相違ござらぬか!?」


「相違ござらぬ。 貴殿のご英断、確かに承った! 我が名において邪魔は致さぬ故、ゆっくりとお持ちなされ」


「承知した!」


 その言葉と共に、秀満は再び城内へと戻り、光秀が個人で収集した様々な名物を丁寧に梱包し、それに縄を括り付けてゆっくりと城外へ降ろしていく。

 名物の中には茶器なども含まれているため、雑な扱いをしてしまっては万が一もある。

 この当時は信長をはじめとする、上流階級の者達の間で茶の湯が流行を見せていた。

 そのため名物として名高い物品などは、現在の何千万、何億円という高額で取引されていることもあったのである。

 光秀もその教養の高さと地位の高さから、様々な名物を所有しており、この近江坂本城にはそれらの物品が多数保管されていた。


 信長の時代から始まっていた茶の湯の流行は、秀吉の治世を経てさらにその価値を高めていき、ある茶壺一つが国一つの価値がある、とまで言われたほどでもあった。

 そのため高価な名物を所持する、という事が大名たちの間では自慢の種となり、お礼やお詫びの品としてもその威力を発揮したため、いざという時のために大名たちは常に複数の名物を所有することを望み、それがまた更にその価値を高騰させていくことになる。

 戦となれば、この近江坂本城に敵が雪崩れ込んでくれば、それらの物品が良くて盗難されて売り飛ばされ、悪ければ戦の混乱で破壊されてしまう。

 それをあらかじめ防ぐため、秀満は戦の前にそれらの物品をあえて敵方に渡すことで、後世に残していくよう頼んだのだ。

 堀秀政も書状に書かれている物品と、次々降ろされてくる物品を丁寧に品定めし、それらが一致していることを確認していく。


 無論、その間敵味方双方から一本の矢も、一発の銃弾も飛び交うことは無い。

 かつては同じ織田の旗の下で戦い、そして今袂を分かって敵味方に分かれようとも、今自分たちが扱っている物はそれらを超越する、後世に残すべき品々である。

 既に死を覚悟した秀満が、それらの名物を道連れにすることを良しとせず、あえて敵方として攻め寄せる秀政に託す、というのだからそれに応えぬ訳にはいかない。

 秀政自身も秀満の力量・器を認めたからこそ、この判断を「ご英断」と言い、内心で感じ入っていた。

 ただ敵を倒すだけしか頭になく、攻められれば慌てふためくだけの者ならば、ここまでしっかりとした決断は出来ぬものである。


 ましてやなんとしてでも逃げ延びようとするなら、光秀所有の名物たちはとてつもない金額で取引される可能性があるため、絶対に敵に渡そうとは思わないはずだ。

 この行動に秀満の潔い覚悟、そして教養を重んじ、文化を貴ぶ精神が集約されている。

 やがて秀満が全ての品物を降ろし終わる。

 そして全ての物品の品定めを終えた秀政が、上を見上げて問いかける。


「亡き上様より賜りし、脇差があったはずでは?」


 問いながら、秀政は無粋かとも思った。

 これだけの覚悟をした男が、今更出し惜しみをするものかと、自分でも分かっている。

 だがそれでも、織田信長という一人の英傑を敬愛した者として、信長が光秀に与えた脇差が無いという事に一つの疑問が浮かんで、思わず問いかけてしまった。

 そんな秀政に、頭上から秀満の声が降ってきた。


「その脇差ならこちらにござる。 されどこれは日向守様が格別に大事になさっていた物ゆえ、冥府におわす殿へお届けいたしたく存ずる、何卒ご容赦願いたい!」


 そう言いながら、秀満は脇差を一振り掲げて見せた。

 その様は、武士としての潔い覚悟だけでなく、主君への忠疑心にも溢れている武士の理想像であった。

 秀政は内心で「負けた」と思った。

 自分はこの男の覚悟を疑い、余計なケチを付けてしまった。

 武士のとしての覚悟だけでなく、主君への忠誠心でも後れを取った、という敗北感が秀政を貫いた。


 秀政と秀満はついこの間戦ったばかりである。

 その時には兵数にも差があり、秀政軍は秀満軍を圧倒した。

 逆賊・明智光秀に与する者になど、絶対に負けはしないという気概があった。

 光秀率いる明智軍の本軍を打ち破り、その余勢をかって士気も高かった自らの軍勢が、少数の別動隊に後れを取る訳が無い、その気持ちで一杯だった。

 事実その時の戦では圧勝したというのに。


 将としての実力ならば自分が上だという自信がある。

 武士としても決して劣らぬよう、振る舞う自信がある。

 だが、人としては覆しようのない、敗北感を味わった気分だった。

 先の戦での勝者としての余韻など、欠片も残らない。

 最後の最期で、秀政は秀満に敗北を喫したのだ。


「…委細、承知いたした。 最後に一度だけお尋ねいたす、降伏の意思は?」


 本当は訊く気などなかった。

 相手がここまでの覚悟を見せているのに、今更降伏などあるはずがない。

 本当に降伏する気があるのなら「光秀所有の名物を全て譲り渡すので、命だけはお助け願いたい」などと、恥も外聞も無く言ってくるはずだった。

 だがそれでも秀政は聞かずにはいられなかった。

 信長からの信頼篤く、「名人久太郎」などと言われる一方で負けず嫌いでもある秀政は、このまま負けを喫したままの相手に、むざむざあの世へ勝ち逃げなどさせたくなかった。


「某に、助命嘆願の機会を頂けると?」


「叶うかどうかは分かり申さず、されどこのような覚悟を見せられたご貴殿に、この秀政感じ入り申した。 命ばかりはお助け頂くよう口添えをお約束いたす、降伏なされるか?」


 乗って来い、頼むと言ってくれ。

 秀政の言葉は偽らざる本心である。

 このまま死なせたくはない、死なせるには惜しい、場合によっては自分の家臣として迎え入れよう。

 そういった言葉を飲み込んで、ただ眼だけで訴える。

 その秀政を真っ直ぐに見ながら、秀満は口を開いた。


「ご貴殿の情け、この秀満感謝に絶えぬ。 されど謀反人の一族を庇い立てすれば、ご貴殿にも類が及ぶやもしれぬ。 そのお情けのみを胸に抱き、冥府へと旅立たん。 重ね重ねのご厚意、誠に忝い」


 言って、深々と頭を下げる秀満に、もはや秀政は何も言えなかった。

 これ以上の敗北を、失態を重ねる訳にはいかない。

 秀政は返礼をしながら口を開く。


「…相分かった。 さればこれより一刻の間は、こちらからは仕掛けぬ。 お腹を召すならばお待ち致すゆえ、どうぞご存分になされよ」


 言って、秀政は背を向けて陣の中へと戻っていく。

 周りの兵たちも慌てて、しかし丁寧に名物を運んでいく。

 その秀政に対し、秀満はさらにもう一度頭を下げて、城の中へと戻った。

 二人は刀も、槍も、弓矢も、鉄砲も、何も交わさずに死闘を演じていたのだ。

 結果としては秀満の勝ちである。


 己が武辺を、覚悟を、忠義を、思う様に見せ付けた上での勝利である。

 秀満の心には、悔いが無いどころか満足感で一杯になった。 

 あの「名人」と言われた堀秀政に、己が命を賭けて一本取ってやったのだから、上々というものだ。

 死を覚悟してこの城に残っていた者たちに、次々と介錯を行い、最後に城に火をかけた。

 燃え広がる炎の中で、秀満は自らの腹に刃を突き立てた。


 命の灯が消えるその瞬間まで、秀満の口元には笑みが浮かんでいた。

明智左馬助秀満には、格好の良い最期を用意してあげたかったのです。

生き長らえることは出来なくとも、武士として恥ずべき行いはせず、また最期に名を遺して世を去る、という生き様が個人的に大好きなもので。


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