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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の三「新体制」その2

            信長続生記 巻の三 「新体制」 その2




 織田家には「宿老」という、いわば重臣中の重臣の地位にいる者が五人いた。

 筆頭は信長の父・信秀の代から仕えている柴田勝家。

 そして次席宿老は丹羽長秀、さらに羽柴秀吉や明智光秀、滝川一益などがこれに加わる。

 いずれも名の知れた名将たちであり、信長の天下統一事業を支える大黒柱たちである。

 かつてはここに佐久間信盛、という先代からの宿老がいたが、石山本願寺包囲網による、本願寺降伏までの年月の長さを職務怠慢と取られ、高野山への追放を命じられた。


 宿老たちはそれぞれの特徴と名前を取って「かかれ柴田に米五郎左、木綿藤吉に退き佐久間」などと謳われ、柴田勝家の押して押して押しまくる強さ、米のように必要な丹羽五郎左衛門長秀、木綿のように使いべりしない藤吉郎秀吉、撤退戦の上手い佐久間信盛を讃えて言われたという。

 他にも戦巧者ぶりを讃えられた「進むも退くも滝川」などと言われるなど、各武将たちへの褒め言葉は数多く現代に伝わっている。

 明智光秀はそういった言葉で有名なものは無いが、領地であった現在の福知山市には善政を敷いて民からの評判が良かったことを表すように、「福知山音頭」という踊りの中に、光秀を偲ぶ歌詞が入っているものがあるなど、こちらもまた現代に残る人物評である。

 そして今、その宿老たちが支えた織田家の今後を左右する、次期当主選出の会議が織田家本貫の地である、尾張国・清州城にて行われようとしていた。


 その参加者が前述の宿老たちである。

 明智光秀討伐軍、事実上の総司令官・羽柴秀吉。

 四国遠征軍副将改め、明智光秀討伐軍寄騎・丹羽長秀。

 この二人は当然参加が決まっており、到着もしていたが、それ以外の者たちの到着が遅れていた。

 北国からの撤退に時間がかかり、また距離もあったため遅れて到着した、北陸方面軍総司令官にして織田家筆頭宿老・柴田勝家。


 本来であればここにさらに関東方面軍総司令官・滝川一益が加わった上で、宿老会議による織田家の後継者を決める手筈であった。

 しかしこの時滝川一益は北条家の追撃をかわしながら、そして旧武田領での続発する反乱をさばきながら、明日をも知れぬ我が身を必死に奮い立たせながら、清州に向かっている最中であった。

 当然かつて宿老の地位にあれど、このような事態を引き起こした元凶と目されている明智光秀の席は無い。

 代わって先に新たな宿老を一人選出する段となって、候補に挙がったのが池田恒興である。

 池田恒興、彼もまた出生はともかく、非常に難しい立場の人間である。


 彼は生まれた時点では決して特別な立場ではなかった。

 ただ生まれた時期が信長とほぼ同時期であったため、その生涯が大きく変わったと言える。

 この時代、地位が高い家に生まれた子供は生母から与えられる母乳だけでなく、現在母乳を出すことが出来る女性を新たに雇い入れ、「乳母」として母乳を与えていた。

 信長は生まれたばかりの頃から癇癪持ちで、母乳を与える乳母が気に入らないと、その乳首を噛み切ろうとするような困った赤子であった。

 一人だけならまだしも二人、三人と同じ目に遭う女性が出たため、乳母を務めようとする女性がいなくなってしまったのである。


 そこで新たな乳母として呼ばれたのが池田恒興の母であった。

 信長は不思議と恒興の母に対しては癇癪を発揮せず、大人しく乳を飲んだという。

 そのこともあってか恒興の母は信長の父・信秀に気に入られ、恒興の父はすでに亡くなってしまっていたこともあって、恒興の母は信秀の側室に迎えられた。

 その結果恒興は織田家の血を引いてはいないが、信長とは義理の兄弟になってしまったのであった。

 ましてや同じ女性の乳を飲んで育った者、「乳兄弟」という間柄にもなり、信長は恒興を信頼して様々な戦に従軍させた。


 恒興も信長にはしっかりと仕え、どんな状況であろうと信長に従い続けた。

 能力的には確かに前述の宿老たちには及ばない。

 領地も全家臣の中で見れば大きなものをもらってはいるが、それでもやはり宿老と言われた者たちに比べれば劣るものでもある。

 だが信長の乳兄弟であり、また信長も信頼していたこともあって、他の家臣たちとの繋がりもしっかりとしたものであった。

 その結果池田恒興は繰り上がり、のような形で宿老の一人に名を連ねることになった。


 そうして宿老は再び五人体制となった。

 だが待てど暮らせどやはり滝川一益は到着せず、信長の次男・信雄と三男・信孝の水面下での互いの足の引っ張り合いは、いよいよ見て見ぬ振りも出来なくなっていた。

 互いが互いを当主に相応しい者ではない、と家臣や他の織田家の人間に吹聴して回るなど、多数派工作なども始まっており、これ以上の遅延は致命的な激突にまで発展しかねなかった。

 結果として、滝川一益の参加は到着次第、となり先に会議を始める事となった。

 参加者はそれぞれ当主候補として次男・信雄と三男・信孝、そして宿老が四人の計六人。


 信雄と信孝の仲は、すでに今回の事で修復不可能なほど悪化し、どちらかが当主となった時、当主になれなかった者を良くて追放、悪ければ滅ぼす所まで行くだろう。

 どちらもそれが分かっているためか、会議は開始当初から完全に二人の真っ向勝負となった。

 そこには日ノ本最大勢力を持つ織田家を、今後どのように運営していくかという、いわば未来への展望を語る次期当主の姿は無く、ただ互いを口汚く罵り合い、自分が正しいと主張するだけの、子供じみた兄弟喧嘩が展開されるだけのものとなった。

 以前に信孝の守り役を任されたこともあって、柴田勝家は終始信孝側に付いていたが、それでも他の三人の宿老はその二人の醜い罵り合いに辟易した。

 これが自らが当主として仰がねばならぬ存在か、と落胆したというのが本音であった。


 結局会議初日は結論が出ない、という理由で会議の続きは明日以降に、でお開きとなった。

 柴田勝家とて信長の後をそのままこの二人が継げる、とは思ってはいない。

 だがあまりにも分かりやすい暗愚を当主にする危険性を鑑みれば、まだ凡庸である信孝の方が自分たちの支えによって、上手くやっていけるだろうという気持ちがあった。

 信長という分かりやすい天才の後を継ぐ、というのは考え様によっては酷な事である。

 後を継いだ者は否応無く、信長と常に比べられ続けるのだから。


 嫡男・信忠が家督を譲られた時、織田家家臣は一様に安堵した。

 信長は未だ存命、そして権力の全てを握り続けており、今後も全ての指揮権を持ったまま君臨し続ける、という実情に胸を撫で下ろした。

 あくまで自らが健在の内に跡目を確定させ、後継者問題を発生させずに、若い信忠に今の内から様々な経験を積ませておく、ということが分かっていたからである。

 信忠も信長程でなくとも有能であり、少なくとも皆に不安を抱かせるような若者ではなかった。

 若さは経験を積み、やがて信長に届かんとする大器に育つであろうと、家臣たちは期待した。


 そして起こったのが本能寺の事件であり、織田家の中枢二人は姿を消した。

 織田家の未来を思った時、ある者は悲嘆に暮れ、ある者はその存在の大きさに涙し、ある者は織田家を見限った。

 信長、そして信忠とはそれだけ大勢の者から慕われ、畏れられた存在であった。

 そしてその存在を間近で見ていた宿老格の者達は、なお一層織田家の将来に不安を抱いた。

 いざとなれば自らの全てを賭してでも護らねばならぬ、それが主君である。


 では先程の醜い争いを演じた内の片方を、自分は全てを賭けても護らねばならないのか。

 柴田勝家は「織田家」に忠誠を誓い、これからも盛り立てていく決意を固めている。

 だからこそ「暗愚」と「凡庸」を選ぶ時、少しでもマシな「凡庸」を取ったのだろう。

 だがそれが柴田勝家の良い所であり、悪い所でもあった。

 「織田家」を見過ぎるあまり、その家に忠誠を誓い過ぎるあまり、視野を狭めていることに本人は気付かず、また老齢からくる無難と妥協を選んでしまったのである。


 遡っていけば、柴田勝家はかつて信長の弟・信行の守り役を務め、信行謀反の際にはこれに従い、信長に弓を引いたこともある。

 まだその時点では信長の評判は「うつけ者」であったため、小利口にまとまっている信行の方が世間の評価は高かったのだ。

 彼は信行側として奮戦したが、信長にその才覚を見出され、また勝家自身も信長の才覚を肌で感じ、以後は降伏した上で、信長の号令一下粉骨砕身の働きを見せた。

 柴田勝家は戦において常にその働きを示し、猛将として天下に知られている。

 だがその一方で政に対しても決して無能ではなく、その人柄もあってか民や部下からも慕われているという好人物でもある。


 だが、彼の残念なところは目の前の人物評を信じ過ぎる部分、そして目の前に選択肢があるなら、より無難な方を選んでしまいがちで、新たな道を模索するという考えを失くしてしまっていた事である。

 その事は、信長が本能寺で死んだと聞かされた時、まずは目の前の上杉軍の動きを警戒する、という無難な選択肢を選んでしまっていた事からも窺える。

 この時もし彼が秀吉よりも先に、北国勢全軍を明智討伐に向けて引き返させていたら。

 おそらく上杉軍からも手痛い反撃を受けただろう。

 だがそれすら構わず明智軍に攻めかかっていたら、勝利の在り処、歴史の進む道はまた別の所へと向かっていただろう。


 柴田勝家の頭には、織田家次期当主には信孝以外無し、と考えが固まっている。

 もちろんこれは一定数の家臣たちも納得している意見である。

 信雄に継がせるくらいなら信孝の方がよっぽど、という消去法的な考えも多分に含まれてはいるが。

 だがそれでも、信雄を推す一派は本人とその周りだけとはいえ存在している以上、このまま強引に信孝が次期当主を名乗ると、わざわざ清州まで戻り重臣会議までして、織田家のお家騒動を収めに来た意味が無くなってしまうのである。

 柴田勝家も内心では、信雄がここで大人しく折れてくれるのなら、筆頭家老として信雄の立場を守ってやれるように、信孝に口添えしよう位に思ってはいるのだが。


 だがそれで折れてはくれないのが、信雄の信雄たる所以であった。

 長男亡き今、実質一番立場が上の自分が、なぜ後を継げない理由があるのかと声高に唱えたのである。

 勝家も戦場においては、千の敵を畏怖させる咆哮を放つ。

 だが相手が主家の、自らが心から認めた主君の忘れ形見ともなると、あまり強くも出れず何とか宥めようと苦心する、老臣へと変わってしまうのである。

 それを丹羽長秀は勝家の心中を慮って同情の視線を向け、池田恒興は困り顔でそっとため息をつき、羽柴秀吉は表面上は「落ち着かれませ」などと間を取り持ちつつ、「とっととこんな茶番にケリを付けねば」と内心で苛立っていた。


 それぞれの思惑が好き勝手な方向を向きながら、世に言う「清州会議」は時間だけが無為に過ぎていく場となった。

 丹羽長秀と池田恒興はどちらに付くとも言い辛く、柴田勝家は信孝派一筋。

 そんな者達を横目に見ながら、秀吉は内心の感情をおくびにも出さず、声をかけた。


「まあこれだけの重大事、すぐに結論が出ずとも致し方無きこと。 今日の所は久々に集ったお歴々のためにも、一席設けて昔話にでも花を咲かせましょうぞ。 清州城には色々と思い出もありますしのぅ」


 秀吉の言葉に、長秀も恒興も頷きを返す。

 先程の兄弟喧嘩の醜い言い争いは、その場にいた者たち全員へ、精神的に多大な損耗を強いるのだ。

 口には決して出せないが本音では、明日もこんな疲れることが続くのか、と思うと酒でも飲まないとぐっすり寝付けない、とすら思う二人であった。

 秀吉の提案は渡りに船であり、秀吉もその辺りの事を予測して、あらかじめ宴席の手配を済ませておいたのだ。

 恒興は素直に宴を楽しみ、長秀はこういう所の気配りはさすがだ、と内心で秀吉の手回しの良さに舌を巻いていた。


 清州城時代からすでに信長に従っていた者、それ以後に信長に従った者など、合わせて数十人が宴席に参加して、騒がしい一夜を過ごした。

 それは信長が清州城から本拠を移してからは、久しく行われていなかった賑やかな一時であった。

 清州城は昔のままに、しかしその城下町は信長の本拠移転と共に寂れていき、今こうしてまた、清州城にはかつての活気を取り戻したかのような声が響いていた。

 その清州城の本来の主は不在のままに、当時を思い起こした家臣たちは思い思いに信長との思い出を語り合った。

 楽しくも、騒がしくも、どこか何かがもの足りない宴は、やがて自然に解散となった。


「今日の所はアレでええ。 柴田の親父殿はともかく、他の二人は十分に懐柔可能だぎゃ」


 宴の幹事として、最後まで宴の会場となった広間に残っていた秀吉は、一人呟いていた。

 酒を飲んだ顔は真っ赤になって、足元もフラフラとする。

 だがその眼は酒が入っているとは思えないほど爛々と輝き、口元には笑みが浮かんでいる。

 信長の死という事実に直面し、この清州に入る前から織田家を見限っていた男は、この後どう動くかによって自分の天下がグッと近づいてくる、と確信していた。

 その鍵を握る存在がいるであろう部屋を遠目で眺めながら、秀吉はその笑みをより一層深いものへと変えた。

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