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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その10

           信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その10




 山崎の合戦において、羽柴軍と明智軍の兵力差は二倍から三倍であったとも伝えられるが、実際に羽柴軍が戦で被った被害、死傷者の数などを鑑みると決して楽な戦ではなかったようである。

 これは明智光秀の用兵の妙であり、もし細川家や筒井家などをはじめとする、近隣の大名家などがこぞって明智方に付いたなら、羽柴軍は真っ先に挑んで玉砕していたかもしれない。

 結果としては確かに光秀は敗れ、この戦で一躍秀吉は信長の後継者としての地位を登り始めるのであるが、この時点では秀吉や官兵衛の脳内以外で、それを知る、予想している者はまだいない。

 六月十三日に行われた山崎の合戦、本能寺の一件からわずか十一日という短さのためか、後世「光秀の三日天下」と揶揄されるほど、わずかな間の治世であった。

 そして羽柴軍に敗れ、軍全体も甚大な被害を出した明智光秀は、後方の勝竜寺城へと退いた。


 何故敗れたのか、兵力に差があったからだ。

 何故兵力に差があった、誰も何も理解していないからだ。

 何故誰も何も理解していないのか、それは知らないからだ。

 誰を知らないからのか、『信長』という存在の本当の目的だ。

 『信長』とは誰だ、今はこの明智光秀を置いて他にはない。


 断じて、あの羽柴秀吉という小男ではない!


 『信長』を受け継いだ自分が、敗れてしまってはこの日ノ本は戦乱の世を続けてしまう。

 それだけは避けねばならぬ、『信長』を死なせてはならぬ。

 焼け落ちる本能寺に誓ったのだ、これ以降決して『信長』を殺さぬと。

 自分はあと何年生きられるか分からない、だが死ぬ前に必ず次代の『信長』を見出し、受け継がせ、日ノ本の将来を託せるようにしなければ。

 そう思っていたこの光秀を、何も知らず、何も聞こうともせず、問答無用で討ちに来るあの羽柴秀吉が次代の『信長』を引き継ぐことなど、出来はせぬ。


「自分が何をしたのか、分かっているのか! 秀吉ぃぃぃぃぃッ!!」


 それは、明智光秀を知る者にとっては、信じられないような雄叫びだった。

 魂の慟哭、と言い換えてもよい。

 山崎から逃れ、勝竜寺城へと馬を走らせながら、光秀は叫んだ。

 この山崎の合戦で光秀は、戦力の中核となる者たちを次々失った。

 手傷を負いながらも、それでも安土城を落とした秀満は、そのまま安土城の守備を任せたためこの山崎には来ていない。


 今となってみれば秀満がこの場にいないのは残念でもあったが、その一方で秀満がいればまだ決して再起が不可能ではない、という希望にもなる。

 もっとも、秀満がいた場合は真っ先に先陣を務め、敵に多くの被害をもたらす一方で、数に押し込まれ命を落としていたことも想像に難くない。

 だが既に勝敗は決してしまった、ならば自分はせめて生き残るために全力を尽くし、秀満をはじめとする残りの軍勢を集結させて、再起を図る。

 『信長』に諦めは無い、決して立ち止まってはならないのだ。

 たとえ一時膝を屈しようと、その後で必ずその雪辱を晴らしてきたのだから。


 戦で大勢が決し、最後まで光秀に付いていく事を決めていた者たちは、光秀が退却する時間を稼ぐために次々と敵陣に突っ込んでいき、その命を散らしていった。

 家老の斉藤利三はじめ、形勢不利を悟って敗走した者もいる。

 それ以外の部隊でも、戦で不利となれば逃げる足軽が続出する。

 その逃げる足軽と、退却する光秀に追いすがる足軽、双方に『隠れ軍監』は潜み、その状況を逐一報告書にまとめ、浜松にいる信長に送っていった。

 だがそれとは入れ違いになるように、浜松から一人の甲賀忍びがここ山崎に向かって派遣されていた。

 夜目と走力を買われて『隠れ軍監』となったフクロウである。




 思った以上に苦戦した、というのが正直な感想だった。

 前線部隊があまりにふがいない為、もしや裏で光秀と繋がっていて、戦う振りでもしているのかとすら疑った。

 勝つには勝ったが、どうにも損害は中途半端である。

 明智軍ほぼ全軍とこちらの前線部隊ほぼ全軍、数の差ではほとんど変わりがない上、明智軍は総兵力ではこちらに圧倒的に劣っているにも拘らず、士気が高かった。

 正直壊滅状態にまでなってくれるか、とも思ったが秀吉の采配も入り、持ち直したため大勢は決し、斉藤利三の軍が敗走してから一気に流れが傾いた。


「材木が足らぬわ」


 官兵衛がぼそり、と呟く。

 周りにも兵がいるにはいるが、今の官兵衛の一言が「秀吉が高みに上るための階段を作る材木が足らない」という意味に取れる者など、いはしないだろう。

 官兵衛としては信長の三男・信孝や重臣・丹羽長秀、信長の乳兄弟・池田恒興やかつて信長の筆頭小姓であった堀秀政など、消えてほしい人物はいくらでもいた。

 それらは全て生き残り、自軍の兵を再編成し直している最中である。

 明智を追撃しようという動きもあったが、こちらもそれなりの被害を被ったためどうにも動ける者たち全軍で追撃、とまでいきそうにない。


 官兵衛の求める最良の結果としては、明智方に丹後(現在の京都府北部)に領地を持つ細川や、大和一国(現在の奈良県)を与えられている筒井なども加担していること。

 そしてそれらの軍勢を吸収して、明智方がこちらに近い兵数を持っていること。

 戦が始まりこちらの前線部隊の大半を壊滅させ、多くの諸将が討死しながら敵の戦力の大半も削ぎ、最終的に羽柴の本軍がわずかな犠牲で勝利、となる結果である。

 そうなれば今現在の邪魔者から、将来邪魔になる可能性のある者まで一気に片付けられる。

 実質、羽柴秀吉の一人勝ちである。


 なにより細川・筒井までが消えてくれれば、その分の広い空白地が出来る。

 その空白地を羽柴方で領することが出来れば、なおこちらは戦力を増大できる。

 そうなれば生き残った織田家の重臣と言えど、広大な領地を手に入れてその兵力と財力を手に入れた秀吉に、今後は盾突こうなどとは考えまい。

 織田家の血を引く者たちは目障りだが、山崎の合戦に顔を出していなかった者に発言権など与えないようにしてしまえば良い。

 そういう意味では参戦していた信孝も少々厄介だが、上手く丸め込んで地位と名誉だけを与え、権力と兵力を奪い取ってしまえば何も出来はしないだろう。


 行動の予測が付きにくい堀秀政は、信長に気に入られるほど有能ではあるが、長年の信長への忠勤を見るに野心などは無さそうなので、自然とこちらに膝を屈する可能性はある。

 しかしこんな事を考えていても、結局のところ味方に付いた者がほとんど生き残ったため、恩賞などの話ではなかなか厄介な事になるかもしれない。

 明確に敵対行動を取っていない細川・筒井も処罰を下すのは難しそうだ。

 官兵衛は内心の舌打ちを隠しながら、戦後処理に入った。

 今しばらくは、雌伏の時間となるだろう。




 明智左馬助秀満は、光秀の出陣を知り、自らも戦支度を整えた。

 だが彼には安土城守備を任されており、光秀の命令無くして勝手な出陣は出来なかった。

 秀吉が畿内に全軍を引き戻して帰ってきた、と聞いた時には驚きはしたが慌てはしなかった。

 羽柴筑前守秀吉、さすがの才覚とは思っても、褒めてばかりもいられない。

 しかも後から来た報告では、四国遠征を予定していた軍も吸収し、明智光秀率いる本軍の倍以上の兵力に膨れ上がったという話である。


 秀満も内心で「これは負けるか」と思った。

 光秀の能力は疑うべくもないし、信長亡き後この日ノ本で彼に比肩し得る者など、本当にごく僅かしかいないとも思っている。

 だがその僅かな比肩し得る者の一人が、秀吉という男なのだ。

 そして兵力は倍以上、さらに向こうには信長の弔い合戦という大義名分、対してこちらは謀反人という負い目がある。

 諸々の条件が圧倒的に不利、と判断せざるを得ない。


 安土に自分が置かれたのは、今回の秀吉のような勢い、とまで行かなくとも大急ぎで北陸から戻ってくるかもしれない、柴田軍に対しての備えであった。

 明智軍本隊が秀吉に当たる一方、自分はこの安土で別働隊を率いて柴田軍を相手取る、なかなかに重圧のかかる命令ではあるが、もちろん辞退する気などない。

 むしろ「掛かれ柴田」の二つ名を持つ、織田家きっての猛将を相手に自分はどこまで戦えるのかを試す、絶好の機会とすら捉えている。

 だがどうやら柴田軍はすぐには来れないようで、というより常識を超えた速度で羽柴軍が戻ってきてしまったため、光秀も慌てて軍勢を集結させて迎撃に出たのである。

 日時を決めて複数の方角から、いわば包囲網を形成して同時に攻め入るような事をするかと思えば、秀吉は単独の軍勢で真っ先にかかって来るという、奇策に打って出てきたのである。


 無論そこには『信長の敵討ちを成し遂げた』という分かりやすい武勲欲しさもあるだろう。

 だがそれでも確実性を取るなら、各方面軍で出来る限り連絡を取り合い、純粋な兵力と複数の方角からの挟撃、という点を活かして戦うのが定石であったろうに。

 秀吉はその貧しい出自のためか出世欲が強く、かなりのバクチを打つ人間でもある。

 ならば今回の行動も武勲欲しさにバクチを打った、と見れば納得も出来る。

 だがそれでも秀満には、少し納得の出来ない部分があった。


 秀満は生真面目であるが故に、秀吉のように大きなバクチを打つような手を好まない。

 無論必要とあれば賭けに出る場面もあるが、主君と仰ぐ義父・光秀も今回の本能寺の様な大バクチを打つような人物と思えなかっただけに、どうにも釈然としない気持ちだった。

 歴史の大きな転換点、そこには大バクチを打つ人間たちがひしめき合い、そのバクチに勝利した者が次代創世という大役を成し遂げるのだ。

 だが秀満にそこまで大きな野心も無ければ、自分にそこまで才覚があるなどと自惚れてもいない。

 ただ、光秀の本能寺襲撃、秀吉の畿内への神速行軍後の単独決戦など、自分の身近であまりにも大きなバクチが打ち続けられている。


 歴史の大きな転換点とも言える場所の、ほど近くに立っているという自覚はあっても、何やら不穏とも不安ともつかない、妙な感覚が秀満の胸に残っている。

 光秀の大バクチ、秀吉の大バクチ、これは本当に本人の意思で行われているものなのだろうか。

 秀吉の方は納得出来る部分もあるのだが、どうにも光秀は本能寺の一件時の言動を見ても、好んでバクチに打って出たようには到底思えない。

 自分が敬愛する存在が、どういう経緯があってあのような行動に及んだのか。

 秀満には、何もわからなかった。


 一体自分は何を考えているのか、と大きく息を吐いて考えを振り払う。

 ふと現在自分の立っている場所を思い出せば、そこは安土城の天主閣、天下人と呼ぶに相応しい権威と名声、武力と財力を持ち合わせた者だけが住まう異世界である。

 その最上階から下界を見下ろした時、広い琵琶湖を一望し、遠く京都までその視界に収めることが出来るという、天を守る「天守閣」ではなく、まさに天下を手中に収めた『天主閣』である。

 これが天下人の視点か、と秀満は信長の見ていたであろうものを見て、しばし立ち竦む。

 遠い空と山々を望み、さらにその先まで見通そうとした稀代の英傑と、自分は相対して名乗りを挙げたことを思い出す。


 今思い出しても武者震いが止まらない。

 自分はあの場で、あの男と、あの英雄と切り結ぶことが出来たのかもしれない。

 たとえ一軍を率いることが出来る立場となった今でも、ああいった魂の底から震えるような感覚があるからこそ、戦というものが忘れられない。

 今はもう叶わずとも、せめて信長に「再びの参上、叶わず申し訳ありませぬ」と詫びたいとすら思う。

 ああ、と秀満は再び息を吐く。


「きっとわしも、あの御仁の事が好きなのであろう」


 死に直面しながらも挑発や軽口を叩き、どこかひょうげている様でいて、目の奥には全く揺るがぬ己への自信が映る。

 齢五十に近く、また天下人と言われる立場でありながらそのくせ足軽などものともしない槍捌き、辺りを一瞥するだけで兵を竦ませる畏怖、そんな男は見た事が無かった。

 その男は、この安土城の真の主である英傑は、すでにこの世にいないのかと思うとどうにも物哀しさを感じてしまう。

 大きく息を吐くのはこれで何度目だろう。

 だがこれで決心が付いた。


「支度は出来ておるな、我らはこれより日向守様への後詰めに参るぞ!」


 天主閣から降りて、兵たちに命じていく。

 今頃はおそらく、勝竜寺城辺りで羽柴軍を迎え撃っているはずだ。

 もし戦が長引くようであれば、今から出ても間に合うかもしれない。

 光秀の命令、安土城守備の任務を放り出してしまう形になるが、先程入った報告によれば、柴田軍はまだ近江の国境にすら到着していない。

 ならば、たとえ数はそんなに多くはなくとも、兵力差を少しでも埋めるために自分も行こう、命令違反の咎を受けるのは、光秀が生きていてこそなのだ。


 こうして明智秀満は安土を出陣し、山崎へと向かった。

 しかし、この時すでに戦は大勢を決し、光秀は撤退の途上にあったのである。

世間はもうすぐゴールデンウィークですが、こちらの更新は変わらず2日に1話、のペースで続けていこうと思います。

お休みの合間、お手隙の時間にでもご覧いただければ幸いです。

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