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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その9

              信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その9




 浜松城の本丸奥にある一つの部屋。

 そこに今、本来はその部屋にはそこまで入ることを前提としていなかったであろう人数が集っていた。

 城主である徳川家康、そして押しかけてきた織田信長。

 その二人が並んで上座に座り、その二人に続いてそれぞれの陣営の者たちが対面で座っていた。

 信長側は正室帰蝶と小姓の蘭丸、家康側は酒井忠次、本多忠勝、榊原康政である。


 狭い部屋であり、その部屋の周りの壁は他の部屋に比べ数倍厚くして盗聴を防止、天井や床下などもこの部屋の直上、直下は入れない仕組みである。

 さらにこの部屋に入る前には必ず通らねばならない前室もあり、とにかく密談をする場合などに使用される部屋、という意味合いで作られたこの部屋は、7人もの人間が入る設計になっていなかった。

 だが家康も信長も文句一つ言わぬままその部屋での会談を望んだため、従う者たちは何も言えずにその部屋に収まった。

 もちろん内心の「狭い」という不満はおくびにも出さないままで。


「お主が人質として織田に来た時の部屋より狭いな」


「人質生活が長かったせいか、未だに広い部屋は落ち着きませぬでな。 こちらにはむさ苦しい者が多い故、余計にそう感じるかもしれませぬが」


 信長の軽口に、家康はサラリと返す。

 むさ苦しい者呼ばわりをされた、忠次、忠勝、康政が揃って嫌そうな顔をする。

 その様子を見て信長はふん、と鼻を鳴らして口角を上げる。

 長年の付き合いで、家康は今信長は結構機嫌が良いと認識した。

 そこであくまで世間話のような物言いで、信長に対していきなり本題でぶつかった。


「それにしても随分と急なお越し、やはり清州や岐阜では京に近すぎる、と?」


 家康の言葉に、話が早いな、とばかりに信長は頷く。

 信長は今現在ロクに家臣も連れておらず、また世間では死んでいる、とみなされている。

 そんな信長が同盟国とはいえ、他国に身を寄せるというのは常識では考えられなかった。

 もし家康が光秀に味方する立場であれば、手土産として首を刎ねられかねないのだ。

 それでも信長は臆せず直接浜松を訪れ、家康の前に姿を現した。


 無論、徳川家臣団は動揺した。

 同盟を結んで二十年、無茶な援軍要請や信康切腹命令などの無理難題、それらを恨みに思っている一派が信長の首を手土産に、明智に加担しようとすら言ってきかねないのだ。

 事実この浜松城に詰めている兵たちは信長生存を知ってしまったため、現在浜松城内には厳重な緘口令が敷かれ、厳戒態勢が取られていた。

 人の口に戸は立てられぬ、と言うようにいずれは信長生存は伝わる。

 だが今は極力それを知る人間は少ない方が良い、と言うのが家康の判断だったのだ。


 事実、家康自身も信長に対し、どう接するかを決めかねているのだ。

 かつての地位にいた信長であれば手の出しようがないが、今目の前にいる信長であれば秘密裏に謀殺する事など、容易いことこの上ないだろう。

 だが信長は全く怯えるようなそぶりも無く、むしろ旧友に会いに来た昔馴染み、という態度を崩さずに家康に接している。

 旧友や昔馴染み、とは言っても二人が顔を合わせたのは先月ではあったが。

 ともかく家康は信長の真意を確かめるべく、それがどのような内容であろうとまずは知る人間が少ない方が良い、という判断のためこの部屋に通したのだ。


「知っておるとは思うが、本能寺で光秀から奇襲を受けた。 逃げ延びた者はわしに同行した者たちと他数名のみ、一旦は京から出来る限り離れ、そして安全を確保できる地、としてここに足を運んだ」


 信長の言葉に、家康はぐっと息が詰まった。

 信長は「安全を確保できる地」と明言したのだ。

 つまり信長は「腹心の部下から謀反を起こされた今でも、家康の事は信用している」と言外に伝えてきているのだ。

 これで信長を秘密裏に謀殺しようものなら、そしてそれが明るみに出ようものなら家康はとんだ不義理者である。

 晩年には「狸爺」などとあだ名される家康も、この当時は信長への半従属的な同盟を守り続けていたため、天下に「律義者」として名が通っていた。


 評判・名声というものは決して軽んじることが出来るものではない。

 戦においては調略や降伏勧告、政においては領民からの忠誠、一揆の未然防止など様々な面にその評判・名声が良くも悪くも作用してくることがある。

 善政を敷いていた領主が敵国に攻められ逃げ延び、その新たな領主となった男が暴政を敷いたため、かつての領主の復権を望む声が上がり、元領主の下に領民が義勇兵として集まり、暴政を敷いていた領主を打倒しようとする、などはよくある話でもあった。

 それだけに家康は今まで耐えて耐えて、じっくりしっかりと足場を固めてきたのだ。

 自慢の家臣と、広くなった領地、さらに「律義者」としての評判、と三拍子揃った現在の徳川家を、家康は内心日ノ本有数の大名家、と自家のことながら絶賛していたのだ。


「信長殿がそこまで当家を信頼してくれておったとは、この家康嬉しく思いますぞ」


 たとえ社交辞令であっても、ここはこう返しておくべきだ、と家康は無難に言葉を返す。

 だが信長はさらに突っ込んできた。


「そしてお主には、わしの『天下布武』とその先の考えにも一役買ってもらうため、全てを話しておく必要がある。 故にわしはここに来た、話を聞いた後でお主がどう思うかはお主に任せる」


 信長の言葉に、家康だけでなく傍にいた三人にも緊張が走る。

 信長の掲げる『天下布武』、それはもちろん知っているがその先だ、などと。

 一体どこまで先を見ているのか分からないが、いくらなんでも遠大な計画過ぎやしないだろうか。

 そういった考えが徳川家の四人の脳内に響く中、信長はさらに言葉を続ける。


「お主とて光秀にどう対応するか、恐らくはまだ決めてはおらぬのだろう? ならばわしの話だけでも聞いてゆけ、その上でわしの考えを理解出来ぬとあらば仕方がない、我らを好きにして構わん」


「上様!?」


 信長の言葉が終わると同時に蘭丸が思わず声を上げた。

 しかし信長が一瞥するだけで蘭丸は引き下がった。

 本来であればいかに信長の寵愛を受けた小姓とはいえ、蘭丸個人の立場としてはこの場に同席が許される身分ではない。

 それを同行していた家臣たちの中で、唯一こういう場に出れそうな者、というのが他にいなかったため同席を許されているだけなので、蘭丸が発言を許される場ではないのだ。

 無論女性である帰蝶も本来同席は出来ない立場だが、身分としては信長の正室であり、場合によっては発言も許されるかも知れないが、帰蝶自身は場と立場を弁えて、先程から黙って座っている。


 信長の言葉を聞いて、徳川の家臣三人は互いに目配せをする。

 家康も一瞬だけ迷ったが、頭を深々と下げながら口を開いた。


「御伺い致そう、『天下布武』のその先、この徳川にとっても他人事にあらず」


 明智への対応が決まっていない、という所まで見抜いている、その上で自分の話が納得できなければ自分の首を手土産に明智に付いても良い、とすら信長は言ったのだ。

 こうまで言われてしまっては、話を聞く以外の選択肢はない。

 そして家康のその考えも既に伝わっているのか、家臣たち三人も頭を下げた。

 何事に対しても辛口な評価を下すことの多い信長も、家康は十分に一流の大名としての能力を持っていると評価している。

 でなければ武田家と領地を接して今日まで生き延びることなど出来ず、また自分からの援軍要請にも万全を持って臨むことなど出来なかっただろう。


 それには無論家康自身の能力もあるだろうが、それに付き従う家臣にも粒揃いの者が揃っている、ということが大きい。

 能力の高い家臣を使いこなし、またその家臣の忠誠を集めるのも大名の器である。

 そういう意味では家康は、すでに日ノ本屈指の器の持ち主であるとも言える。

 信長は内心、家康とは幼少期の頃からの縁が出来たことに、感謝すらしている。

 幼い頃に遊んだ感覚そのままに、本当の弟には持てなかった実の兄弟の様な印象すら持てたのだ。


 そして今、信長は家康と上座に並んで座り、妻や小姓、そして家康の最も信頼出来る家臣を前に、己の考えの全てを話した。

 蘭丸には以前断片的な話はしたことがあるが、さすがに理解はし切れていなかった。

 そして帰蝶にとっても初耳な話で、黙って熱心に耳を傾けていた。

 家康の家臣たちは考え込むようにしながら、「言われてみれば」「確かに」などと呟いている。

 肝心の家康は、時折頷くだけであとは黙って信長の話を聞いていた。


 そうして光秀にその話をした時の事も含めて、あらかた話し終えた信長は、茶を所望した。

 康政がすぐさま人数分の茶の手配をして戻ってくる。

 話を聞き終えた一同は、全員が眉間にしわを寄せて何かを考えている。

 信長もなるべく分かりやすく話したつもりなので、断片的な話ではなかったためか、蘭丸にも今度はちゃんと理解させられたようだった。


「いや、心底驚き申した……南蛮国の脅威、鉄砲や地球儀一つとっても、確かに我らよりも進んだ技術を持っていることは疑いようもない…なぜ、そこに気付けなんだか…」


 よく見れば、家康の額や首筋には汗が浮いている。

 現実的な問題として、信長の話が本当に起こった場合の恐ろしさを考えていたのだろう。

 他の家臣三人も全員が一言も発せずに、難しい顔をして黙り込んでいる。


「今のあやつらはあくまでデウスの教え、とやらに執心しておる。 故に脅威と映りにくいのも無理からぬこと、だが執心しておるからこそそれを禁じた場合、どのような振る舞いをするかが肝となる」


「もし我らよりも進んだ技術をもって、力ずくで寺社勢力を排し、デウスの教えでこの国を席巻しようとした場合は」


「無論寺社勢力のみならず、朝廷や各大名家も黙ってはおらぬであろう。 わしもそうであったが、京都五山で修業を積んだ僧を招き、嫡男の養育に当たらせるは至極ありふれた話。 となれば」


「幼き頃よりの師から、寺社勢力への協力を願い出られれば、断れる者はほとんどおらず」


「そうして各地でデウスの教えを禁教とし、火種は日ノ本全体に回る」


「かといってデウスの教えを放置すれば、これもまた広がって寺社勢力が危機感を抱き、先の様な話になりかねぬ、と言われるのですな」


 信長と家康、それぞれが互いに言葉を交わし、その言葉の度に片方が頷いて先を語る。

 信長の望む会話である。

 頭の回転が速く、自分の言いたい事をしっかりと理解した上でその先を自ら信長に語ってこようとする者など、今まで数える程しか会っていない。

 家康は幼い頃から苦労した故か、そして信長との付き合いが長いためか、信長の望む会話方式に付いてこれる数少ない存在であった。

 そうして辿り着いた結論に、二人の口角が上がり、他の五人は一切口を挟まずその二人を見る。


「それ故に、一刻も早い日ノ本の統一が必要となろう。 下手をすれば南蛮国は我らの国情を宣教師たちを通じ、知り尽くした上ですでにこちらに軍を向かわせている可能性すらある」


「日ノ本全ての国を合わせたものよりもなお大きな国、それがこの日ノ本に侵略戦を仕掛けてきたならば対抗できる者はおりませぬな」


「小競り合いを続ける各勢力は各個撃破され、南蛮に支配される属国となり果てよう。 そもそもがデウスの教え、とやらの布教のためにわざわざ遠き海を命懸けで渡り、貴重な品々を惜しげもなく献上するなど勘定が合うと思うか。 軍に先んじて宣教師とやらがまずその国に渡り、国の内情を調査するための偽装として、デウスの教え、とやらを使っている可能性すらあるのではないか?」


「であれば、すでに九州は手遅れですな。 聞く所によれば大友家をはじめとするいくつかの大名はすでに『洗礼』と呼ばれる儀式まで行ったとか。 デウスの教えで言うところの出家、のようなものかと」


 次々と交わされていく会話の内容に、段々と他の五人の顔に疑問符が浮かび始める。

 規模が大きくなる話に、個人の理解力が追い付いていかないのだ。

 こんな薄暗い、狭い部屋で話すにはあまりに大きな話に息苦しさすら感じた。

 そして、そんな空気を打ち破るかのような声が、前室のふすまを開いた音と同時に響いた。


「申し上げます! 京よりの早馬到着! 毛利と対陣中であったはずの羽柴軍、すでに畿内に立ち戻り各地の軍勢を集結させつつある模様、その数は三万以上に上るとのこと!」


「なんじゃと!」


 聞くなり思わず叫ぶ家康。

 早い、あまりに早すぎる。

 当時の情報伝達の速度は、現代とはもちろん比べ物にならない。

 この情報が家康の耳に届いているということは、京都周辺を探らせていた者が急いで情報をまとめて報せてくれたのであろうが、それでも丸一日どころではない時間がかかる。

 つまりこの話はすでに何日も前の話であり、今この時点ではどうなっているか分からないのだ。


「この動きに明智方も応戦を決め、軍勢を集結させるも思ったほどの助力を得られず、兵力においては羽柴方が有利と思われる、とのことです!」


 先程とはまた違った種類の緊張感に包まれながら、その狭い部屋にいた面々は信長と家康の二人を見やる。

 いや、途中から家康自身も信長に視線を巡らせたが、信長は難しい顔をしたまま「サルめ」と、一言だけ呟いた。

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