信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その8
信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その8
光秀は今、目の前の光景が信じられなかった。
自分は夢を見ているのではないだろうか、しかも悪夢の類の夢を。
上様を討ってしまったという罪悪感から「これが私の報いだ」という自責の念にかられ、悪夢でも見ているのではないだろうか。
秀吉率いる羽柴軍が、信じられない速度で畿内に舞い戻ってきたのである。
しかも自分が出した書状に対し、何の返答も無しに。
これは明らかな敵対の意思、と感じた光秀はほとんど無意識下で軍を編成、その様は傍で見ていた斉藤利三などをして「いつものキビキビとした判断を下す殿」であると見えていた。
だがその実、光秀は本能寺の一件からほとんど休みを入れず、ひたすらに働き詰めであったためもはや正常な判断を下せるか、怪しい所でもあったのだ。
だが日ノ本屈指の有能さであるが故に、その生真面目な性格であるが故に、彼は「こういう時にどうしたらいいのか」が本能的に分かってしまっている部分があった。
その積み重ねが、光秀の本来持つ冷静かつ理知的な判断を取らせず、また家臣たちも光秀の内心の苦悩を理解していないが故の、ただ敵が迫って来たから迎撃する、という杓子定規な行動を取った。
光秀がキチンとした判断を下せていれば、まずは戦の前に話し合いの場を持とうとしたかもしれない。
秀吉側から断られる可能性は高いが、それでも互いの軍を認識したら即時開戦、という所までは行かなかったかもしれない。
軍勢を整え、具足を付け、兜をかぶり馬に乗る。
その後光秀は馬の上での記憶がほとんどない。
ただ馬の背に揺られながら睡眠を取り、斉藤利三に起こされて馬を下りた。
その後構築された陣幕の中で、居並ぶ諸将を前に軍議を始めるという段になって、光秀は冒頭の感想を持ったのだった。
羽柴軍側は大義名分上の総大将は信長三男・信孝にしてはいるが、実質的な総大将は当然羽柴秀吉であり、秀吉の陣は最後方に陣取って、その軍勢も唯一単独で万の兵力を超えている。
秀吉に合流した形の各諸将はそれぞれに持ち場を与えられ、それぞれが「信長の敵討ち」を掲げて奮戦することとなったが、実はこれも官兵衛の策である。
「信長の敵討ち」というのは非常に便利な大義名分であり、美味しいエサなのである。
なぜなら亡き主君の仇討、というのはとても美談として通り易く、またその戦で手柄を立てた場合、各諸将、そして織田家の覚えが目出度くなって、将来の出世・繁栄に繋がるのだ。
褒賞、というものを常に目の前にぶら下げ続けて戦を続けてきた羽柴軍の将兵が、この事実に色めき立たないわけが無い。
羽柴軍にとって、この戦は決してただの戦ではない。
自分たちを統率・指揮する存在が、他の諸将すら従えて、さらなる高みに上るためのいわば通過儀礼とも言える戦なのだ。
それをしっかりと全軍に認識させ、その上で実質総大将・羽柴秀吉は最後方に置いて兵力を温存しておくのである。
これでは手柄の立て様がない、と秀吉本陣に詰める兵たちは不満の声を上げた。
だが、官兵衛はそれらを上手く宥めながら、こう囁いた。
「お前たちが得る手柄は、生き残ってこそのもの」だと。
手柄欲しさに命懸けで働くのではなく、ただ他の諸将がふがいない働き、もしくはその場での寝返りなどを行った場合の、いわば保険として存在しているだけで手柄なのだと。
その時が来た時はただ黙って羽柴様の指示に従えばよい、その指示があるまでは緊張感を持ったまま待機していればよい、それだけで手柄になるぞ、と囁かれた兵は誰も不満の声を上げなかった。
官兵衛にとって、この戦は完全な「勝ち戦」同然であり、秀吉の部隊が動く必要はないと思っている。
戦というのはいわゆる水物であり、何事にも絶対はないが、それでも戦に絶対必要な物というのは確実に存在する。
それが兵や部隊、軍勢全体の「士気」である。
たとえどんな勝てそうな戦でもこの「士気」が低いと、思わぬ敗北に繋がることもある。
その一方で「士気」が高ければ、兵力の多寡などあっという間に覆せるのが戦である。
突き詰めれば軍師の仕事とは、その戦を左右する重要な要素「士気」をいかにして高めるか、なのである。
自らの策を実行に移させ、たとえ序盤は押されて兵の「士気」が下がっても、後からの逆転の一手をもって一気に「士気」を上げ、戦を勝利に導く、というのが最も分かりやすい例でもある。
そして今、兵の士気は目の前のエサに釣られて、いやが上にも高まっている。
官兵衛自身、これほど楽に士気が上げやすい戦も無い、とすら思った。
だからこの日の戦では、すでに軍師としての役割は必要ない、と感じた官兵衛は独立した部隊を率いて布陣し、秀吉の本陣に詰めようとはしなかった。
その独立部隊の陣幕から、先陣争いをしようとするいくつかの部隊を後方から眺め、官兵衛は珍しく感情を表に出して、嘲り笑うように呟いた。
「精々頑張って殺し合え、後々邪魔にならないように潰し合え。 我らは貴様らの屍を土台として、畿内に強固な基盤を作る。 土台はしっかりと踏み固めねばいずれ崩れ去るもの、貴様らはそれなりの数が死んでくれねば土台にならぬ、貴様らのせねばならぬ事は敵を討つ事ではない、死んで土台となる事よ」
官兵衛の眼には、すでに彼らは人として映ってはいない。
城の柱となるべき材木、もしくは石垣となるべき巨石、さらには屋根に置かれる瓦である。
官兵衛にとって意外であり、羽柴軍にとって幸運だったのは、明智の呼びかけに答えた勢力がほとんどない事であった。
正直細川や筒井といった者を筆頭に、以前から明智と懇意にしていた、もしくは親戚となっている者は明智側に付くと思っていたが、それらもほとんど明智側とは距離を置いた。
他にも高山右近や中川清秀といった、立場が不鮮明な者たちですら羽柴側への参加を表明して、今この場で先陣を争う部隊の一つとなっている。
その結果、明智軍は本能寺の一件後、安土城を占拠するなどの軍事行動も行っているが、その兵力はほとんど増えておらず、当初最低二万には膨れ上がると見た秀吉たちだったが、ふたを開けてみれば一万五千にも満たない数しかこの場には来ていなかったのだ。
無論各地に兵を残してきているだろうから、それらまでかき集めれば二万に届くかもしれない。
だがそれは実質的には不可能であり、今この山崎の地にいる明智軍は、やはり一万数千、といった所が精々であろう。
対してこちらは秀吉の本陣だけですでに二万弱の兵数を誇り、そこに官兵衛や秀吉の弟・秀長の部隊、さらに四国遠征軍や羽柴側への参加を表明した合流組と合わせ、合計四万近いという大軍勢である。
単純な兵数の多少で勝敗が決まるのであれば、中国地方から舞い戻った羽柴軍だけで、十分に明智軍を撃滅できるだけの数があり、あと必要なのは大義名分。
秀吉の立場だけでも十分だが、そこに「父の仇討」を掲げた信長の息子一人いるだけで、正当性やら各地へ伝わる風聞やらの印象がだいぶ変わってくる。
正直官兵衛としては大義名分用の信孝という存在以外は、こちらの作戦通りに動かない可能性すらある寄せ集めの部隊なので、いても邪魔くらいの感覚もあったのだが、いるならいるでその存在にも役に立ってもらおう、と思っていた。。
秀吉は基本的に敵も味方も不必要には殺さない性格だが、官兵衛は違う。
「不必要なら殺さない」ではなく、「殺す必要性を見出してみる」のである。
その官兵衛の感覚に則ると、新たにこちらに加わった軍勢の大半は「死んでもらう必要のある軍勢」へと変わった。
来たるべき信長の次の時代、その時代を築くのは自分の主君である秀吉であるべきだ。
そして秀吉が頂点を極める、もしくはその直前で消えてもらうのが最良だ。
そうすればその後を優れた者が、相応しい者がその地位に座れるのだから。
その第一歩、まずはこの戦でこの後邪魔になりかねない諸将の戦力は、出来うる限り潰し合ってもらい、後々の手間を減らしてもらっておくべきだ。
軍議の時もそのあたりの本音を隠し「各々方の上様への御忠誠、今この時を置いて示す場は他に無し。 さればご存分の御働きをもって、浄土におわす上様への供養となさいませ」などと言っておいた。
自分でもなんて白々しい事を言っているのか、と内心では苦笑していた。
上様への御忠誠、など自分が誰より持ち合わせておらぬではないか。
だがそんな自分の言葉に、軍議に参加した者たちは一斉に気勢を上げ、まさに天にいる信長に届け、とばかりに声を張り上げていた。
人によっては涙すら浮かべていたのだから、笑いをこらえるのに苦労したほどだ。
軍議の後、秀吉は「お前さんがあんな事を言うとはな、まっことおっとろしい男じゃのう」などと、おどけて苦笑していた。
秀吉の言葉は一見ただの軽口に聞こえるが、その実秀吉は官兵衛の心、本音に気付いている。
その上で「そんなにいけしゃあしゃあと、あの面々の前で信長の名を使って嘘が吐けるお前が恐ろしい」と言ってきたのだ。
危うく官兵衛も「恐ろしいのは貴方もですよ、羽柴様」と返してやりたくなったが、それを口に出してしまえば秀吉に警戒の念を抱かれかねない。
いや、すでに警戒はされているだろうが、排除まで考えられてしまっては元も子もなかった。
羽柴秀吉は、木下藤吉郎と名乗っていた頃からの朋友であり軍師である竹中半兵衛とは、無二の親友のようになんでも語り合い、心から信を置き、頼りにしていた。
だがその半兵衛は今から三年ほど前に病死し、その後釜に官兵衛が付いた。
秀吉も官兵衛は頼りにしているが、あくまでそれは能力面、軍師としての力のみである。
半兵衛のように心から明け透けに、何もかもを話せる間柄になれるとは思っていない。
有能な家臣としての能力を求める秀吉と、その秀吉に従うことで自らの立身出世に利用する官兵衛は、現時点では完全な利害の一致を見せていた。
それが半兵衛死後の羽柴軍の強さを支えていた、と言っても過言ではない。
だがそれは永遠に続く関係ではなく、どこかで必ず破綻すると二人は理解している。
例えばどこかで何かが、史実では死んだはずの一人の人間が生きていたことによる、ほんのわずかな差異が及ぼす影響によって、致命的な瓦解を及ぼす危険性も孕んでいる。
それがいつ、どこになるのかは神ならぬ2人には知る由もない。
今はただ、謀反人・明智光秀を討つべく、それぞれが成すべきことを成していた。
つい先程の軍議の席で、光秀は徹底抗戦を命じた。
正直、落胆と共に怒りが込み上げてきている。
何故理解しようとしない、なぜ話すら聞かない。
謀反人と呼ばれ、人から蔑まれるようなことをした男が、なぜ自分から名乗り出るような真似をするのか、誰も何も疑問に思わないものだろうか。
こちらは自筆でもって誠意を示し、まずは話し合いの場を持ちたい、という意思は伝えたはずだ。
念のため朝廷の後ろ盾も得ている、という一文も加えたが別にたった一人で丸腰で来い、とは書いていなかっただろうに。
こちらの倍以上の兵数でもって、使者の往来も何もなしで部隊を展開させる。
敵対する意思が無いのなら、絶対に取らない行動である。
あの男を、羽柴秀吉という小男を見誤っていた。
細かい所に気が付く、人の気持ちが分かる、戦の才覚もある、覚えも良いし頭の回転が速い。
だが致命的な間違いを、回避できる男ではなかったのだ。
いや、むしろ回避する気すらないのか。
信長という存在が消えたことで、自らが天下を、この国を意のままにしようという野心でも露わにしたのか。
だとすれば、度し難い愚者だ。
こんな男を、自分は信長亡き後の世を、共に創っていける存在だと見なしていたというのか。
自分自身の愚かさに反吐が出る。
しかもその愚者はどうやら、四国遠征軍すら吸収したようだ。
旗印から信孝殿と、丹羽長秀の部隊も見受けられる。
あとは池田恒興、高山右近、中川清秀など、揃いも揃って何も知らず、聞かず、理解せず。
さらにはこの場にすらいない細川、筒井などは、もはやこちらが哀れに思うほど見識が狭い。
細川藤孝など、古今典礼一切を身に付け、おおよそ当代随一と言っていい教養の持ち主だ。
その息子・忠興には娘である玉を嫁がせてもいる。
それがこちらには一切手を貸さず、また話を聞く事すら拒むとは。
どうやら過去の事を学び、様々な事を身に付けることは出来ても、新たな考えや見識を広げるだけの器は無かったようだ。
もはや哀しい、人を見る目の無い、己の非才ぶりに絶望すら感じるほどだ。
これが他者の無理解とそれによって受ける孤独感。
これが愚者の無自覚とそれによって感じる絶望感。
こんなものと、あの御方は長年戦っておられたのか。
信長という存在を討った罪悪感や衝撃を、光秀は自分自身を新たな『信長』に据えて、信長に代わりその構想を実現する、という使命感で精神の均衡を保たせた。
そうして光秀が『信長』の視点でものを見た時、光秀は信長の立場を、景色を、心情を知った。
なんという重圧なのかと思う。
自分自身で、それなりに優秀な人間だという自負はあったが、それでもこれを背負うことは難しい。
この戦を始めるまでは、信長の代わりを務めあげる気でいた、そして実際に不可能ではないはずだと思い始めてきた、それが戦場に来て敵方の陣容を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
信長の精神の強さは、例えどのような名刀であろうとも切ることは出来ない鋼の様なものだ。
でなければこれほど裏切りや無理解に晒されて、投げ出しも逃げ出しもせずに、全てを受け止めながら突き進める訳が無い。
そうして光秀の心は決まった。
この戦こそ、後の世の日ノ本の在り方を決める戦となる。
ならば自分は、ここで負けるわけにはいかないのだ。
自らが『信長』であり続けるために、その『信長』に弓引く真の謀反人・秀吉を討つために。
真に信長の思想を理解出来ない者を誅殺し、己が『信長』を貫くための試練として、この戦に臨む。
山崎の合戦、それは真に信長の地位を引き継ぐ者を決めるための戦。
それは同時に信長の思想・構想を受け継ぐ者にとって、避けては通れぬ戦。
『信長』を知る者と、『信長』を知らぬ者が集った、必然の戦。
一方はその心に大きな野心を抱え、多くの者を従えてさらなる高みを目指す。
一方はその心に悲壮な使命を抱き、多くの者に背かれながらその先にあるものを見る。
未だ終わらぬ戦国乱世の中で、日ノ本の未来を決める戦が始まった。
2014年のNHK大河ドラマを見て、黒田官兵衛のファンになったという方には申し訳ありませんが、こちらの黒田官兵衛は最初から腹の中真っ黒です。
秀吉はそれ以上に腹黒い時がありますが、基本的には官兵衛の方が平常時から腹黒い、という印象で書いております。




