信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その3
信長続生記 巻の二 「山崎に集う」 その3
織田家による多方面同時侵略戦線の内、最も激戦となったのが他でもない、中国地方に覇を唱え、日ノ本有数、というより織田家に次ぐ第二位の勢力を誇っていた毛利家を相手にしていた、中国戦線である。
中国地方担当司令官を務めるのは、羽柴筑前守藤吉郎秀吉、後の豊臣秀吉その人であった。
毛利家はかつて相模国、現在の神奈川県の一地方に領地を持つ豪族の一つであったが、鎌倉幕府より安芸国、現在の広島県へと派遣された一族である。
今でも神奈川県には『毛利台』という地名が残ることから、その地域を支配していた豪族と思われる。
その毛利家は、後に「中興の祖」と崇められる毛利元就の手によって、飛躍的にその勢力を拡大した。
まず毛利元就が生まれた時点で、毛利家は安芸国の一部を領するだけの地方豪族であり、隣国の大大名・大内家に従う事で生き延びてきた弱小勢力であった。
その大内家がある時、戦で大敗を喫した。
山陰地方を本拠にする尼子家の勢力拡大に伴い、大内家は次第に危機感を募らせ、今の山口県に本拠を置く大内家は中国地方一の群雄はどちらか、を決める戦を起こしたのだ。
元々尼子家は大内家に従っていた大名であったが、尼子経久という男の手腕により見る見る内に勢力を拡大し、大内家が京都への出兵や九州での戦に力を注ぐ隙をついて、離反・独立を進めていった。
やがて大内に対抗するように徐々に力を蓄え、安芸国の大半を手にした事で毛利家もこれには逆らえず、大内家から尼子家へと鞍替えし、尼子家は一挙に大大名へと成長した。
その後大内家対尼子家の戦は表向き和睦などを結ぶものの、小競り合いを続け、中国地方の覇者の座を争い続けていた。
ともに一進一退の攻防をくり返し、その一方でまた別の大名家とも争うなど、まさに中国地方は常に戦乱の嵐が吹き荒れていた場所と言えた。
そんな中、その大国二つの間で揺れていた弱小勢力毛利家が、その存在感を徐々に知らしめていく。
毛利元就は本来家督を継ぐべき立場ではなく、兄が当主となってそれを補佐する立場にあった。
しかし兄が当主就任後若くして亡くなり、その息子の後見、という事で毛利家を導いた。
その後、兄の息子である幸松丸は幼くして死去、家督は後見であったはずの元就が継ぐことになる。
しかしこれが後に内紛の原因となり、異母弟の元綱が尼子家の後援を得て、毛利家当主の座を強引に奪わんと動いたのである。
その時点での毛利家は尼子家に従っていたため、この動きは毛利元就に尼子家との袂を分かたたせる要因となった。
自らの地位と命を奪わんとする主家になど、従う気はないという意思表示である。
そしてこれが、毛利元就という英傑を世に解き放った瞬間でもあった。
その後の毛利家は一応は大内家に従うものの、安芸国内で着実に足場を固めていく。
22歳という遅い初陣から数年で多くの戦を経験し、その間に起きた戦で様々な計略と怯まぬ胆力を見せつけた毛利元就は、やがて中国地方にその名を響かせていく。
そして戦も続ける一方で元就の三男は小早川家へ、そして次男は吉川家へそれぞれ養子にいき、それが後の『毛利両川』と言われる吉川元春・小早川隆景という世にその名を轟かす、中国地方きっての猛将と、元就の才覚を最も色濃く受け継いだ知将と言われる二人になるのである。
吉川・小早川両家を取り込むことによって、元就の安芸国統一はほぼ完遂する。
その後も家中で不和を起こしていた井上一族を誅殺することで家臣団の統率を強化し、大内家の内部で謀反が起こり陶晴賢が実権を握ると、それを機にさらに勢力を拡大する。
元就が正式に毛利家当主となってから三〇年が経ち、元就自身が齢五十を超えるといよいよその知略は冴え渡り、もはや弱小勢力と言えなくなった毛利家は、大勢力二つを同時に振り回していく。
尼子と大内の二大勢力を謀略を持って内部から弱らせ、最後の止めを自らが刺すという、恐るべき知略を用いた元就は「戦国時代最高の謀将」と言われるに相応しい戦いぶりだった。
世に言う『厳島合戦』において大内家の実質的支配者・陶晴賢を自刃に追い込み、大内家をもはや立て直しが不可能なほど弱体化させる。
そしてそれが終われば、対尼子に力を注ぎ始めたのである。
尼子家とは多くの戦を重ね、時に敗北もしたが最終的に本拠である月山富田城に攻め寄せるまでに至った。
数多くの知略・謀略を用いてついに尼子も屈服させた元就であるが、その後は長年の無理が祟り、また先に家督を継がせていた嫡男・隆元も亡くす等の悲運にも見舞われていたためか、病没した。
中国地方の大半、計八ヶ国を支配下に置いた毛利家が次に狙っていたのが九州であり、元就が死して後も北九州の支配権をめぐり、大友家との戦を中心に毛利家は戦い続けていた。
しかし毛利の目が九州を向いているその内に、尼子家の残党が織田家を頼り、信長はそれを大義名分として中国地方侵攻を開始した。
その戦いの司令官を任されたのが、羽柴秀吉であったのは前述の通りである。
毛利家は以前から石山本願寺に武器弾薬・食料供給などの後方支援を行っており、しかもそれが精強な水軍を使った海上輸送という、非常に厄介な手段をとっていた。
せっかくの石山本願寺包囲網を、海側から破られるという事に業を煮やした信長は、織田家の水軍を預ける九鬼嘉隆に鉄甲船の建造を命じた。
木津川口の合戦と言われた織田家と毛利家の水軍対決は、第一次には織田家の惨敗で終わり、第二次においては鉄甲船の存在もあって毛利家が大損害を被った。
この時の戦で本願寺側は毛利家の水軍が無敵ではない事を思い知り、徐々に降伏へとその意志を傾けていく事になる。
そうした背景もあって、信長にとって毛利家は絶対に叩いておかねばらない勢力だった。
「人たらし」とあだ名される秀吉の調略や、陣中で没する最期の最後まで秀吉を支えた竹中半兵衛の知略、その後を引き継ぎ羽柴軍の軍師となった黒田官兵衛の軍略によって、羽柴軍は毛利軍を相手にじわりじわりと領地を削り取り、現在は備中国まで進軍していたのである。
現在の岡山県の一部である備中国まで進軍した羽柴軍は、その中心地である備中高松城を水攻めにし、城主・清水宗治の降伏を今か今かと待っていた。
正直に言えば、秀吉も今の所までは毛利を相手に有利に戦を進められていたが、それは毛利の軍勢がこちらに集中していないが故である、という事は分かっていた。
なまじ勢力の規模が大きい毛利家は、織田家と同じく多方面に同時に戦線を展開しており、攻め寄せてくる羽柴軍だけに全力で戦う訳にはいかなかったのである。
四国にも進出したことで瀬戸内の海を渡る必要があり、九州にも勢力を拡大したが故に九州の大勢力・大友家とも一進一退の攻防を繰り広げる羽目になった毛利家は、羽柴軍相手に防戦一方の状態だった。
だが、さすがにこれ以上進めば毛利家本貫の地である安芸国が見えてくる。
毛利家の心情とすれば、自らの本拠・吉田郡山城がある安芸国まで攻め込まれる前に、総力を持って羽柴軍を撃退するべきだと考えるだろう。
そして人の感情を読み取ることに長けた秀吉が、その事に気付かぬ訳がない。
秀吉は信長への救援を要請し、来たる毛利家との雌雄を決する一大決戦に備えようとしていたのである。
そういった展望を持った秀吉が、無理な力押しによる城攻めで兵を損失してしまえば、来たる決戦に兵力不足で臨まなければならなくなる。
後年「城攻めの天才」と名高き秀吉ではあったが、兵の無駄な損失を抑え、他人の心情を理解・推測した上で行った行動が城攻めに向いていた、という側面もあるのだ。
そのため秀吉は城攻めの際に出来るだけ力押しを避け、調略によって内部からの手引きを行わせたり、または内部で味方同士が争うように仕向けるといった、心理戦をよく展開している。
また対毛利戦線では『三木の干殺し・鳥取の餓え殺し』などと言われる、三木城と鳥取城での凄惨な兵糧攻めを展開し、生き物にとっていかに飢えるという事が辛いか、を骨身に沁みさせるような戦い方をしている。
この辺りは秀吉自身の、食うや食わずを経験した若き日の貧しさから来るものだろう。
そういった戦いを終え、今この備中高松城では堤防を築いて水の逃げ場を封じ、近くを流れる足守川から水を引き、城の大部分を水中に沈めるという奇策を用いた。
これによって秀吉は、自身が城を落とす様々な方法を持つ者だと敵味方問わず喧伝し、味方の兵士たちは工事の辛さはあっても死ぬ心配は無いと安堵し、敵方はその発想に度肝を抜かれた。
城主・清水宗治は降伏し織田方に下ることで、備中国を与えるという好条件を提示されたが、頑として首を縦に振らず、士気もガタガタになっている城で毛利の援軍を待っていた。
そして攻めている秀吉は、実は内心で清水宗治以上に焦っていた。
実は毛利の本隊はすでにかなり近くまで来ており、向こうが清水宗治を救い出すため、と総攻撃を仕掛けて来ようものなら、おそらく羽柴軍は壊滅的な打撃を被るだろう。
今までせっかく兵を温存してきた意味も無く、だいぶ毛利領に攻め込んでいるこの状況で、もし軍どころか部隊さえもろくに形成できないほど、戦力を失ってしまったら。
おそらく自分は生きてはいられない、それは織田の勢力圏に生きて戻れたとしても同じだ。
ただ毛利軍によって討ち取られるか、信長によって死罪を言い渡されるか。
いや、仮に死罪でなかったとしても、まず間違いなく自分の立場は下がる。
これ以降方面軍司令官にまで出世することは無く、あくまで一部隊の隊長が良い所だろう。
そうなればせっかく手に入れた長浜の領地12万石も、この毛利攻めで切り取った領地も何もかも、信長によって没収されて後は果たして何が残るだろう。
そう考え始めると夜も眠れない。
もちろん毛利が攻めてきたからすぐに負けるわけではないし、攻めて来た際の対策はもちろん立ててあるが、そもそもここは向こうの領地であり、最初から地の利も向こうにある。
そして何より戦に絶対は無いし、向こうが損害度外視で攻めてきた場合、間違いなく数で押し切られてしまう。
もはや秀吉の頭の中には、援軍はまだか、という事しか入っていなかった。
援軍要請の使いを出した日、それが安土について上様の耳に届き、そこから軍勢を召集して安土を発って、ここに到着するまでの日数を脳内で計算。
結論、いくら機動力を重視する信長でも、今日明日の到着は難しい。
ならば毛利の援軍は、偵察に出した者からの報告だと、明日には到着する可能性が高い。
到着即総攻撃は考えにくい、となれば一日は猶予がある、だが援軍は、こちらの援軍は明後日には来るのか、いやそもそもわしの援軍要請を、上様はきちんと受理して下さったのか。
気が付けば陣幕の中をウロウロと歩き回り、その様はとても部下たちには見せられない。
「申し上げます、先程奇妙な使いが参りました」
「奇妙な使いじゃと? 傾奇者か何かか」
「いえ、それがどうしても羽柴様のみにお見せするように、とのことで密書を携えてきたと」
陣幕の向こうから聞こえてきた声に、秀吉は先程までの焦りをおくびにも出さず軽口でもって答えたが、その後に続いた言葉に思わず眉をひそめる。
自分のみ、とはどういう事だろう。
上様の使いなら自分のみではなく重臣たちも含めて、だろうしなおかつ上様からの使いであれば堂々とここにお通しすべき、ならば上様からの使いではない。
可能性としては長浜にいる家族や、城、領地に異変でもあったか。
だがそれにしても自分だけ、とはやはりおかしい。
「わかった、その密書とやらを開かずに持って来い、それと官兵衛を呼べ」
秀吉はひとまず密書を受け取り、黒田官兵衛が来るまでに先に自分だけでその内容を見た。
一体なにが書いてある、と注意深く書いてある内容を読んだ秀吉が、その書いてある内容に愕然となって硬直する。
そしてそんな秀吉の陣幕に、コツコツと杖を付く音が近付いてくる。
かつて牢に幽閉されたことで足を悪くし、今では杖無しでは歩くこともままならなくなった軍師、黒田官兵衛が陣幕をめくって姿を現した。
「お呼びにより参上致しました」と、いつもの感情の薄い声で言い放つが、秀吉は両手に持った書状から顔を上げない。
「羽柴様、官兵衛が参りましたが」
もう一度言うと、ハッとなって秀吉が顔を上げて官兵衛を見る。
どうやらよほど衝撃的な内容が書いてあるようだ、と官兵衛は予測した。
秀吉は少し悩むような顔をした後で、そっとその書状を官兵衛に向ける。
「読め、読んでそなたの思う所を聞かせてくれ」
それを「失礼」と一言言ってから官兵衛は受け取り、さっと目を通す。
そこに書いてある内容に、官兵衛は眉根を寄せて目だけを動かせる。
秀吉はそんな官兵衛を観察していたが、官兵衛は読み終わると側にあったかがり火にその書状を放り捨て、あっという間に書状は消し炭になっていく。
「お、おい官兵衛」
「羽柴様、これを持ってきた者がまだ近くにいるならば即刻お斬り捨て下さい、また同様の書状が毛利に渡れば、我らは即座に全滅の危機となりますぞ」
官兵衛の言葉に秀吉はまたもハッとなって、近くにいた兵に街道だけでなく、山道や別のわずかな小道などの、京から西国へ向かう全ての道筋を封鎖するよう命じた。
秀吉の全身から、今頃になって冷や汗が溢れ出す。
危なかった、書いてある内容があまりに衝撃的で、完全にその危険性を失念していた。
もしあんな内容が毛利に伝われば、勢いに乗った敵方は一気に反撃に出るはずだ。
この男はあんな内容を見ても冷静にそこに気付けるのか、と秀吉は黒田官兵衛に感謝すると共に、その冷徹さに少し怖くなった。
「それはそうと、羽柴様」
その声に、秀吉は官兵衛の方を振り返る。
官兵衛が自分の事をじっと見つめながら、まるで世間話をするかのような顔で軽く言った。
「御運が開けてまいりましたな」
そう言い放った官兵衛の顔には、どのような感情も浮かんではいなかった。
少なくとも秀吉にはそう見えた。
あの「人たらし」とまで言われる、他者の感情・心情を読むことに長けた秀吉が。
まるでつまらない話を聞かされたかのような、そんな感情の揺れが全く感じられない顔で、黒田官兵衛という男は信長の死、という情報を受け止めてみせたのだった。
ようやく秀吉を出せました。
これから秀吉は徐々に出番が増えていく予定ではありますが、その軍師として官兵衛もまた出番が増えていきます。
史実通りの動きを見せる間は、秀吉を中心に世の中は回り始め、家康や官兵衛もその流れに乗ることになりますが、もし信長が生きていたならば、果たしてその流れはどうなるのか、を出来る範囲で描いていきたいと思います。
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