信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その9
まずは三ヶ月もの間、一切の更新も行わなかった事にお詫びを。
先に長々と書くのもアレですので、言い訳は本編の後に…
信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その9
「…であるか」
不機嫌さを隠そうともせず、信長はそう呟く。
その呟きは眼前で平伏する羽柴秀吉と前田玄以の心胆を寒からしめた。
特に前田玄以の有様はまさに怯えるという以外になく、寒気でも感じるのか身体をガタガタと揺らし、その一方で余程暑いのかと思わせるほど額に汗を浮かべている。
秀吉と玄以の二人は京で黒田官兵衛にしてやられた一件の事情聴取のため、大坂城を訪れていた。
そしてその報告が終わり、それまでは軽く頷くなどが精々で二人が話す事を黙って聞いていた信長が、二人の話が終わるなり呟いた言葉が先程の一言である。
取るに足らぬ些事であれば、二人からは報告を書状にまとめさせて信長に提出させれば済む話ではあるが、現在どこに潜んでいるかも分からぬ黒田官兵衛絡みとなれば、直接遭遇して会話をした秀吉はもとより、造営中であった京都所司代詰所まで全焼させられる失態を犯した前田玄以も、信長に直接報告するよう求められたのである。
秀吉は以前に見せていた芝居がかったようなおどけた様子もなく、また殊更謙った体も装わずに、ただひたすらに平身低頭していた。
言葉も今回の一件で自身が見聞きした以上の事は話さず、一切の嘘偽りなく己の弁護すらせず、信長の沙汰を全て受け入れる覚悟でこの場にやって来ていた。
一方の前田玄以は歯の根も合わぬほどに怯え、報告中に何度も言葉を詰まらせてはその度に信長から鋭い視線を当てられていた。
玄以自身、以前の本能寺の一件の際には二条御所で信長の嫡男・信忠を見捨てて逃げた、と判断されて危うく首を刎ねられかけたのである。
だが「信忠様から我が妻子を逃がせとの命を受けていた」と再三に渡る申し開きがあり、事実信忠の正室と嫡男は無事に難を逃れていたため、役職こそ降格となったがそれ以上の罰は受けなかったのである。
しかし今回は名誉挽回とばかりに勇み足を行い、まんまと黒田官兵衛に付け入る隙を見せてしまう失態を犯した。
そのため今度こそ首を刎ねられるのではないか、と玄以は気が気ではなかった。
目に見えるだけでも額には大量の汗が流れ、そちらに身体の水分を全て持って行かれたように喉はカラカラに乾いていた。
だが信長にとっては玄以の怯えなどどうでもよく、ただ正確かつ詳細に、手早く報告さえ行ってくれればそれで良かった。
しかし玄以にそんな信長の内心などが分かる訳もなく、ただひたすらに自身の命が繋がる事を願いながら口を開くしかなかった。
「話は分かった、『鳶加藤』を名乗る凄腕の老忍びを抱えた彼奴めは、サルの護衛を事も無げに始末し、あまつさえ寧々を人質に行方をくらませた、と…」
「は……返す返すも拙者の不徳の至りにて、いかなる罰も全て受ける所存にございます」
そう言って畳に額を押し付ける秀吉を横目で見て、慌てて玄以も畳に額をこすり付ける。
「サル、その『鳶加藤』を名乗る忍び…話し方に特徴はあったか? 聞く所によれば上杉や武田におったという…なれば東国の訛などはなかったか?」
「は……そういえば、彼の者はほとんど口を開く事は…元来忍びとは寡黙な者が多い様にも思えますが…」
信長の言葉に必死に記憶を呼び起こす秀吉であったが、確かにほとんど言葉を発してはいない。
秀吉の言う「忍びは寡黙」というのも頷ける話ではあるが、それにしても必要以上に何も言葉を発しないというのは、些か不自然にも思えた。
「その老忍びは『鳶加藤』ではないのやもしれぬ…他者が『鳶加藤』を名乗り、こちらを攪乱せんとする目的があるやもしれぬ、いずれにしろ名に惑わされる必要は無い」
信長の言葉に「畏まりました」と秀吉は答え、それで『鳶加藤』を名乗った百地丹波への考察は終わった。
そして信長からは、二人に改めて詰問する言葉が飛んだ。
「羽柴筑前、並びに前田玄以…貴様らは黒田孝高なる者と謀っておるや否や?」
「断じて…上様にも朝廷の帝にも、神仏一切に誓うてありませぬ! 先に申し上げました通り、彼奴からの脅し・懐柔一切を撥ね退け、上様の目指す天下のため身命を賭す所存にございます!」
「拙僧も御同様に! 拙劣たる非才の身にはございますが、何卒平に、平にご容赦下さいませ!」
信長の鋭い眼光を全身で受け止めながら、秀吉は身体こそ平身するものの、顔と視線だけは信長から外さずに言い切る。
そして信長の眼光に晒される事に恐怖を感じ、縮こまる様に言い募る玄以。
二人のその様子に、信長は言葉を重ねる。
「しからば黒田の一件片付くまで、両名には常に監視の者を置く! 職は今のままで全うせよ、されど監視の者を遠ざける、あるいは何らかの怪しい動きあらば即座に捕縛に向かわせる、寝床も厠も一切を見張らせる! よいな!」
「ははぁッ!」
「き、肝に銘じまするッ!」
信長の言葉に二人は即座に平伏した。
秀吉も玄以も、官兵衛以上に信長を恐れていた。
秀吉はそれ以外にも、寧々を救い出さんという一種の使命感を感じており、女房の命惜しさに主君を裏切るという真似をせず、いかに寧々を救い出すかという事に頭を痛めていた。
その一方で前田玄以は首の皮一枚繋がったという事に大きく安堵し、全身を使って荒い息を吐き続けるほどであった。
秀吉の信長への忠心は、官兵衛の予想したほどには揺らがずに、また信長も今この場での秀吉の排除は得策ではないと判断したため、苛烈な処罰を行う事は無かった。
前田玄以は今後はどのような事があろうと軍権を持たせず、秀吉或いは堀秀政の指示無しに兵を動かした場合、処罰の対象となる事を通達された。
そして秀吉は今後、妻である寧々の命はもう既に無いものとして考え、官兵衛捕獲の際に人質に取られようと一切の容赦無用を願い出た。
だがこれは信長の方から却下し、助けられるようであれば出来得る限りの手段を以って助けてやれと、逆に覚悟を決めた秀吉に対する叱責が飛んだ。
敵の手中に囚われた寧々を慮ってくれた信長の言葉に、秀吉はその場で人目も憚らずに泣いた。
人たらしと呼ばれ、行き過ぎた感情表現の一つとして自在に涙すら流せるようになっていた秀吉が、今この時ばかりは心底からの涙を流した。
信長の「大儀であった」という一言に、前田玄以はただひたすらに「ははぁ…」と平伏し、秀吉は懐紙で一度顔を拭い、それから改めて信長に平伏した。
「サル、貴様の今の役目は前久と共に朝廷を黙らせる事である、黒田如きを相手に槍働きをしようなどと考える必要は無い…貴様にとっての戦相手は槍・鉄砲ではなく魑魅魍魎たる公家衆よ、努々忘れるな」
「かしこまりました…しからば我が室の事、何卒よろしくお願い申し上げまする…」
信長の言葉に改めて平伏した秀吉は、すでに自分は矢と鉄砲が飛び交う戦場に出ることは無いのだろうと、心のどこかで悟った。
数多の死と功名、出世と転落が待つあの戦場が今や遠い存在になったのだと感じ、安堵と寂しさの入り混じる想いを胸に、秀吉は信長の前を辞した。
妻の身一つさえ己の手で救い出す事が出来ず、主君である信長に託す事しか出来なくなった己の無力感を噛み締めながら、秀吉は大坂城内を歩いて行く。
織田信長という偉大な君主を超える象徴となるべく建てられた大坂城は、各所に派手好きな秀吉らしい意匠が施されている。
極彩色に彩られた襖や金箔が張られた欄間など、ありとあらゆる物がその城の主の栄華を誇るが如く輝いている。
その輝きが今の秀吉には眼に痛いほどに眩しく、また遠いどこかの見知らぬ光景のように思えた。
そうして実感する、「ああ、この城の主は自分ではないのだ」と。
天下人に仕え、その天下人の後を継がんと手を伸ばし、やはり届かなかったその頂の光景は、まさに夢幻の如くであった。
誰の耳にも入らず、また呟いた秀吉すらほとんど無意識にその言葉が口から滑り落ちた。
「夢のまた夢、であったか…」
かつての煮え滾る野心が、胸の奥に燻っていたものが、今はどこにも見当たらない。
だが虚しくはない、ここから新たな生き方が始まり、新たな戦場がある。
そういえば若かりし頃より丈夫さを信条としていたために「木綿藤吉」と言われていた身体は、やはり長年の酷使のせいか以前ほどの無茶は効かなくなった気がする。
持ち前の丈夫さ、感情表現豊かな愛敬、そして相手がこちらを下賤の生まれと下に見るその視線、それらを上手く作用させて培った「人たらし」の才も、一度天下人に王手をかけた今となっては、使い勝手が悪くなっている。
となればもはや、以前の様に織田家重臣として戦場を往来する事は難しくなるだろう。
擦り切れた「木綿藤吉」は、武将としての「羽柴秀吉」の潮時であるのかもしれない。
もしかしたら上様は、自分に武将としての限界が来ている事を暗に諭すためにあのようなことを言われたのだろうか。
かねてより強かったわしの上昇志向、公家衆への嫉妬と羨望の入り混じった感情を全て見抜いた上で、上様はわしに朝廷工作を命じて下さったのではないか。
その考えに行きついた時、秀吉はふと足を止めて背後を振り返り、先程まで歩いて来た道の先に今もいるかも分からぬ信長に向かって、深々と頭を下げた。
「上様、重ね重ねのご厚意……誠に忝く…これよりサルめは、京からお力添えをさせて頂きまする…」
この日を境に、秀吉は京と大坂以外のほとんどの地域に出向くことは無く、またその生涯において二度と兵を率いて戦場に出ることは無かった。
数日後、大坂城内で信長と本願寺顕如は同じ部屋にいた。
秀吉と玄以は京へと戻り、秀吉は監視と護衛を兼ねて近衛前久の屋敷に滞在する事が決まり、玄以も堀秀政の屋敷に滞在する事が決まった。
秀吉は前久の屋敷の中で公家として身に付けるべき作法「有職故実」にさらに磨きをかけ、さらに近衛家の猶子となる縁組を正式に行った。
これにより今後秀吉は時として「近衛秀吉」を名乗る事を許され、朝廷内でも一目置かれる立場を獲得する。
それに合わせて位階も年内中には従三位・権大納言まで上ることが内定し、朝廷内にさらに睨みを利かせる事が可能となった。
それらを大坂から指示していた信長は、今日これから会う人物に関し、顕如と綿密な打ち合わせを行っていたのだ。
顕如も紀伊国から出て大坂城の近くに屋敷を賜り、また少し離れた所にはかつての一向宗の総本山、石山本願寺を再建するための用地も賜る事となった。
十年前ほどの栄華は無くとも、それでも聖地と目されていた石山本願寺の再建に、全国から再び集まって来ていた門徒たちは大いに感激し涙を流した。
またそれらの門徒たちには顕如と腹心である下間頼廉が陣頭に立って、日ノ本の安寧のために織田家とは完全に和解が成った事を説いて回った。
未だ門徒たちからは絶大なる指示を受ける顕如と、自他共に認める腹心の頼廉という二人が、織田家との和解が成ったという事を説くと、当初は困惑と疑問が湧き起こった。
だが顕如が説法をするかのように話せば、一刻もしない内に困惑と疑問の声は、歓声と安堵の声に変わった。
元から坊主であり一つの宗派の総帥として君臨していた顕如の言葉は、人を信じさせる力がこもっている。
またそれが人を戦に駆り立てるものではなく、この世から戦を無くし、日ノ本の真の安寧を実現するために織田家と手を組んだとなれば、反対する者はほとんどいなかった。
反対したのは本願寺の裕福さのおこぼれに預かろうとした、いわゆる「悪門徒」たちであり、織田家との戦でまた食い扶持に預かれると思っていたのだが、当てが外れたために悪態を吐いて去っていった。
彼らは織田家と本願寺の間で戦になれば、かつての伊勢長島や石山の様に、籠城の際に戦力になって戦うという名目を盾に、兵糧を食い荒らした挙句に内部不和を起こす厄介な者たちだった。
本願寺の教義を理解している訳でも、心からの救いを求めてる訳でも無いそれらの悪門徒は、顕如にとっても嫌悪の対象ではあったが、強大な織田軍と戦うに当たって、少しでも人手が欲しかったがために、これまではその存在を黙認せざるを得なかった。
だが、これからは違う。
仮に一向宗の門徒が戦に向かう事になっても、その相手は織田軍ではないのだ。
ならばこれまでの様に数を頼みにするような真似もする必要は無く、ただ純粋に日ノ本と教義のために命懸けで戦える者だけを募れば良い。
今回の事で悪門徒を遠ざけ、多くの犠牲と消費が伴う戦から脱却する事が出来たのは僥倖であった、と後に顕如は語った。
ともあれ世の中に織田家と本願寺は和解し、本願寺は信長の傘下に降ったという事が白日の下に晒された。
大坂の町の話題はそれ一色であり、京から召還されたルイス・フロイスは何故このような事になったのかを訝しみながら大坂城へと入った。
そのフロイスと会う前に、信長は顕如と会談に際しての問うべき内容、さらに突き付けるべき要求の精査に入っていた。
以前はここに明智光秀を用いていた信長であったが、光秀亡き後、その役目は顕如が受け持っていた。
「では、やはり貴様も『日ノ本全土での禁教』をいきなり突き付けるべきでは無い、と?」
「はい……なまじ拒絶すれば、相手に付け入る隙を与えることにもなりましょう…日ノ本最大の権力者は『デウスの教え』を受け入れる気はない、ならば邪教を信ずる者を誅殺すべし…南蛮国がその様に考えてしまえば、織田様の危惧する南蛮国の襲来を却って早める恐れがございます…今はともかく南蛮国の情報を少しでも多くかき集め、同時にこちらを与し易しと思わせておく事こそ肝要と考えます」
信長の宗教方面に関する知恵袋という役割を自ら請け負った顕如は、その知恵でもって信長に進言を行った。
その規模を全国に轟かせる宗派の総帥である顕如は、宗教というものを誰よりもよく理解している。
良くも悪くも宗教というものは、それを信じる者を意固地にさせやすい。
その人間の価値観で絶対と決めたものを否定されれば、誰でも不快な感情を抱くのは当然である。
宗教はまさにその絶対と決めたものであり、それは容易く視野狭窄を引き起こす。
「この戦乱の世であるからこそ、人は救いを望み、安らぎを得たいと思うのです…例えば我らは合掌しながら『南無阿弥陀仏』と唱えれば、人は誰でも極楽浄土へ逝けると説いてまいりました…しかしその教えを信じ、死後の安寧を得たと涙を流す者たちに『そのような事はない、まやかしだ』などと言われ、挙句信仰を禁じられてしまえばその者たちはどのように思いましょう…『デウスの教え』もご同様かと…」
本願寺の法主を務めていたからこその指摘に、信長は僅かに不快な思いを抱えつつも、頷かざるを得なかった。
布教を禁ずることはそう難しい事ではない。
宣教師も見つけた端から領外へと追放してしまえば済む話だ。
だが一度改宗してその教えに傾倒してしまった者は、どのように思うだろうか。
信長への不満と不信を溜め込み、やがてそれが新たな火種を呼び起こす禍根となるかもしれない。
『デウスの教え』は、人は神の前では全て平等であるという。
しかしながら、それは嘘だと信長は知っている。
『デウスの教え』をこの日ノ本に伝えてきた国にも王はおり、そしてこの宗教の長は「教皇」という地位に就いており、宣教師たちは全て彼の部下である。
さらに信長が南蛮商人から買った肌が黒い奴隷、弥助の存在もある。
彼は日ノ本から見ても遥か西の地の生まれであり、そこには『デウスの教え』などは根付いていなかったという。
そこに『デウスの教え』を信ずる者たちは姿を現し、一方的な略奪を繰り返したという。
その中で弥助も身柄を捕らえられ、奴隷として長く船に揺られてこの日ノ本へとやってきた。
そこで信長と出会い、信長に買われる事によって奴隷身分から解放され、家臣として召し抱えられる事になった弥助ではあるが、信長はそうなった経緯を弥助本人から聞いていた。
ここまでの時点で、既に『デウスの教え』がいかに人を平等に扱っていないかがよく分かる。
その事を以前にもフロイスに問い質した事がある信長だが、その時のフロイスは気まずそうにこう答えた。
「人は神の前において平等です。 しかし神の言葉を信じていない者は、その限りではない」
そういった答えを返してきたフロイスに、さらに信長は続けて問いかけた。
「ならば、そもそもその『デウスの教え』を知る機会が無かった者はどうするのだ?」と。
フロイスはその問いにも「この世で神の教えを知らぬ者を少しでも減らすために、私達がいるのです」と答えた。
そしてさらに「残念ながら神の教えを信ずる者の中にも乱暴な者はいます、その者たちが弥助の故郷を襲ったのでしょう、だがそれらはあくまで一部の者だけです」と付け加えてきた。
この時点でフロイスの言葉には、詭弁が混じっていると信長は確信していた。
なるほど、フロイス個人で見るならば確かに悪い人間ではないのかもしれない。
弥助の存在に関して問うても、弥助を貶めるような物言いをする訳では無く、他国の者であれば奴隷として扱って良いという考えそのものを個人的には嫌悪していた。
信長は『デウスの教え』に対し、南蛮との貿易上の利点の大きさを鑑みて今まで積極的な友好を築いてきた。
その貿易で手に入る物の一つが鉄砲を撃つために必要不可欠なもの、火薬の原料の一つとなる硝石である。
しかし紀州の雑賀衆、更に本願寺との完全和解を通じて硝石の製造方法は既に信長の知るところとなった。
つまり南蛮国との貿易の利点の一つは、既に無くなっているのだ。
もちろんこのまま『デウスの教え』を黙認し、硝石以外の物を交易で手に入れて以前と変わらずに利益を得ることは容易いが、それは信長の矜持が許さない。
今こうしている間にも九州では日ノ本の民が南蛮国に売り飛ばされているのかもしれない、そう思うと腸が煮えくり返る思いだ。
だがここで信長が朝廷の勅許と合わせて九州の諸大名に「南蛮国の者に日ノ本の民の命運を譲るべからず」と命じたとて、九州の諸大名が言う事を聞く保証はない。
しかも南蛮国の者にはこちらが警戒しているのを悟られ、却って状況の悪化を招きかねない。
一番恐ろしいのは、南蛮国と『デウスの教え』が九州を支配し、そこを橋頭堡として日ノ本全土に戦を仕掛けて来る事だ。
以前は一向宗とそれに敵対する大名家との戦、で済む話であったが、南蛮国という未知の敵が背後にいる状態で、同じ日ノ本の民同士で争っていたら、ましてやそれで疲弊した所を狙われでもしたら。
信長が想い描く最悪の絵図は、それによって日ノ本が完全に南蛮国の手に落ちることだ。
悲観的な妄想で済めば良い、取り越し苦労であったのなら笑い飛ばせば良い。
だがもし現実にそういう事態になったのなら、一体誰がこの日ノ本を護れるというのか。
「思えば、皮肉なものですね…」
思案に暮れる信長の耳に、どこか自嘲味を帯びた顕如の声が響く。
「今こうして拙僧は織田様と面と面を向かい合わせて話し、そして今後の策を練っている…拙僧は織田様に従う事を決め、場所は織田様が望まれ拙僧が拒んだ石山本願寺の跡地…今日のこの日が来ると十年以上前に分かっていたのならば、凄惨な戦も起こらず犠牲も出さずに済んだ…何を今更と思う事でしょう…ですが拙僧にはあれがあの時取れる、最良の手段と思えていたのです…」
「であるか……わしも兄や弟を失ぅた、貴様を慕う万を超える門徒を根切りにした、随分と遠回りを強いられ、わし自身も銃弾を食らい、何度貴様を殺してやろうと思うたか分からぬ、が…過ぎた事よ」
「我ら本願寺は八代目法主・蓮如上人が唱えし『王法為本』に沿うて考えておりました…世俗の法と信仰の法、その二つが同じ方向を向いている事こそ、正しき道であり調和の根幹を成す、と…されど世は乱れ、織田様の御力添えでその座に就いた公方様が、あろうことか織田様の排斥を望まれた…そして織田様からの度重なる矢銭の要求と石山退去、これにより我ら本願寺の門徒は激しく織田様を非難する事と相成りました…余の混乱を鎮めるべき幕府の将軍と世の安寧を願う我ら本願寺、共に織田様排斥を願うのならば、これこそが正しき道であると思い込んでしまった…」
既に過去の事であり「気にするな」と、言外に言った信長に対し、顕如は軽く首を振ってまるで懺悔をするかのように独白を続けた。
それを信長はただ黙って聞いている。
「織田様はこの石山の地を『天下第一の地』と称されたと聞き及びました…護るに易く、土地を整えれば商いも自在となる、まさに天下を治むるに相応しい土地…この日ノ本を護り給う御仁が座するに相応しい土地を、なまじ同じ時代に生まれてしまったが為に、我らは争い血が流れた…もっと早くに気付くべきであったのです、織田様が望むもの、目指すものが何であったのかを…御仏に祈る我らがいかな抵抗を続けようと、決して倒れなかった方が御仏の加護を得ていない訳が無かったのだと…」
「御仏の加護など知らぬ…わしはわしが知り、わしが成せる事を為し続けた、それだけの事よ」
「ええ…何度も策を弄し、その度に我らは『今度こそ仏敵信長の首を取れる!』と息巻いたものです…そしてそれらを嘲笑うかのように、織田様は生き残り続けついに我らは屈服した…十年もの長きに渡って我らが成した事と言えば、織田様の天下統一を妨げ、双方に無用の犠牲を出しながら世の安寧を遠ざけ続けること…『王法為本』は間違ってはおりませんでした…織田様という世俗の法と、我ら本願寺の信仰の法、それらが互いにぶつかれば調和の根幹など成せる訳も無し…全ては、拙僧の浅慮による軽挙妄動が生み出せし不徳の極み…改めてここに、謝し奉る所存にございます…」
言い終わると同時に、深々と頭を下げる顕如。
今この場においては、信長と顕如の二人しかいない。
だからこそ顕如は心の奥底に沈めていた本音を打ち明けた。
顕如に付き従う坊官がいない今この時だからこそ、顕如は本願寺のかつての行動の非を詫びたのだ。
もちろん控えの間には蘭丸を含めた側仕えの小姓もいるが、この会話がたとえ聞こえていたとしても、言い触らす様な真似はしない。
信長の目指す天下の安寧と、顕如が願う天下の安寧は、決して違う道ではなかったのだ。
ただ互いの立場の違いと見識の違い、それらが同じ道であるにも拘らず、二人をぶつけさせた原因であった。
顕如は本願寺第十代法主・証如の子として生まれ、父の急逝により数え年十二歳で法主の座に就き、若い頃より本願寺という一大宗教組織の運営を余儀なくされた。
しかし天性の才能を発揮した顕如の手腕もあり、本願寺勢力は飛躍の時を迎え、その中で顕如は門徒衆から絶大な支持を得て、信仰心に溢れる信者からは生き神のような扱いを受けた。
忠誠心ではなく信仰心で門徒衆を従えた顕如は、現世利益よりも死後の安寧を説く事で、乱世に生きる皆の不安を取り除いた。
一方の信長は武家の生まれであると同時に、商いと銭というものに幼い頃から触れていた。
武士として戦を行いつつ、商いの重要性と銭の将来性に早くから着目した。
忠誠心という曖昧なものだけではなく、損得勘定による現世利益を求める者たちすらも従えて、乱世を平定するべく邁進した。
死後の安寧を約束する念仏と、現世利益の結晶とも言える銭、その二つは共に乱世を生きる民にとってかけがえの無いものである一方、互いに相容れないものであった。
ややあって信長から「面を上げよ」と声がかけられ、ゆっくりと顕如が頭を上げる。
「我らが死に、日ノ本が南蛮の手に落ちるような事があれば、それこそ全てが無駄になる…我らの戦で血を流し、命を失ぅた全ての者が犬死にとなる…そうならぬ様に手を貸せ、本願寺顕如光佐」
「かしこまりました…日ノ本の未来のために、拙僧の出来る事を為しましょうぞ…」
たとえかつては互いを憎んでも憎み足りぬと思った怨敵であっても、共通の目的のためならばいくらでもその憎しみを呑み込んでみせる。
稀代の才覚を持つ二人の男にはそれが可能だった。
信長とフロイスの会談予定時刻まで、もはや半刻も無い。
フロイスに対してどのように振る舞うか、何を言うべきか。
信長と顕如の話は、予定時刻が迫った事を告げに小姓が部屋の外から声をかけるまで続けられた。
三ヶ月、という時間が如何に短いものなのかを痛感しております。
大変長らくお待たせいたしまして、楽しみにして頂いておりました方々には改めて深くお詫び申し上げます。
いわゆるエタった訳ではなかったのですが、公私共に忙しくなる事が立て続けに起こり、執筆に向けられる意識と割ける時間が全くありませんでした。
他の方々の小説を読ませて頂いた際に、この作品更新遅いなー、とか二度と思ったりいたしません。
かつての定期的な更新などもはや見る影もありませんが、今後ともお付き合い頂けましたら幸いに存じます。




