信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その8
先月末に家族が入院となりました、だというのに今回も一話あたりの最大文字数を更新しておりました。
一種の逃避行動になっている様な気も致しますが、お話自体は少しずつでも進めていきます。
前述の通り今回も長々とした話になっておりますので、お時間のある時に読んで頂ければ幸いです。
信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その8
奥羽の冬は早い。
畿内では晩秋と呼ばれる時期でも、奥羽では一足も二足も早く雪が降り、畿内でも冬と呼ばれる時期になれば、奥羽では雪に閉ざされてただジッと籠もるだけの季節となる。
そのため陸奥国(現在の福島・宮城・岩手・青森県)と出羽国(現在の山形・秋田県)を合わせた奥羽地方(現在の東北地方)では、基本的に冬に戦は行われない。
雪解けが始まり、百姓たちが田植えを行った後の夏場に戦を行い、頃合いで他家からの仲裁が入り和睦・停戦となり、収穫の秋を迎えて冬に備える。
そんな事を延々と繰り返しているのが、戦国時代の奥羽地方であった。
だからこそこの地域においては、天正十二年時点で圧倒的な強者もいなければ、極端な弱者も少ない。
他家に侵略されて滅ぶ家も他の地域に比べて少なく、逆に他家を呑み込んで勢力を一気に伸長する家もそうは出なかった。
そんな地域のほぼ中心、南出羽の米沢城を居城とする伊達家の嫡男であり、今年第十七代目当主となった藤次郎政宗は、現状に強い不満を抱いていた。
天正十二年の時点で数え年十八歳、父も健在である中で家督を継ぐには些か早い年頃ではあるが、彼もそして家督を譲った父もはそんな事は気にしなかった。
むしろ早い時期の家督相続により、後継者争いで家が割れるのを防いだ英断と判断されている。
伊達家十六代当主にして政宗の父・輝宗は、戦も上手かったがそれ以上に外交手腕に優れており、他家との婚姻同盟や戦の調停、更には他家への武力介入などの硬軟織り交ぜた様々な外交手段を巧みに使い分け、祖父がかつて築いた伊達家の最大版図をほぼ回復させるという功績を成した。
輝宗までの十六代を通じて、伊達家が奥羽において最大級の影響力を持っていた時代の所領をほぼ回復した、という事はそのまま伊達家の権勢が復活した事を意味する。
戦と外交の両面でその才を発揮していた輝宗ではあったが、家中では無視出来ぬ問題も抱えていた。
長男・梵天丸と次男・竺丸、共に正室である最上義光の妹・義姫が産んだ子供であり、長男の梵天丸に問題が無ければ無事に家督は相続されたはずだった。
しかし梵天丸は五歳の頃に疱瘡(天然痘)にかかり、その病が元で右眼を醜く腫らし、以後は自室に引き籠って日々を過ごすようになってしまった。
その間に母・義姫の愛情は次男・竺丸(後の小次郎)に集中し、それは以後も変わらぬものとなってしまった。
その後梵天丸は右眼を切り取る事で性根を入れ替え、十一歳で元服を果たして名を伊達藤次郎政宗とし、伊達家中興の祖と名高い伊達家九代目当主・政宗の名を戴いた。
そうして二年後には輝宗の婚姻外交政策の一つとして、田村清顕の娘・愛姫を政宗の正室として娶らせ、輝宗は早い段階から長男政宗に家督を継がせる用意を続けた。
しかしその間も母である義姫は自らが愛する次男・小次郎を次期当主にさせんと望み続け、それが後の家中不和に繋がることを危惧した輝宗は、家が二つに割れる大事になる前に政宗の才覚を信じて隠居を決断、それが僅か一ヶ月前の話であった。
輝宗はその能力でもって家中の信頼を集めており、その輝宗が決断したのなら、という事で家臣のほとんどは政宗への家督相続に反対しなかった。
様々な外交政策を駆使して勢力を伸ばした輝宗である、人を見る目は確かなものを持っていると信じて疑わぬ家臣団は、その輝宗が認めた嫡男である政宗に大きな期待を寄せることになる。
無事に家督相続自体は行われたが、当の政宗にはそれが嬉しいだけのものではなかった。
政宗が伊達家当主と成れたのはあくまで輝宗への信頼があり、輝宗の認めた嫡男という後ろ盾あってのものであるため、誰も政宗個人を評価しての家督相続賛成ではなかったためだ。
自らの力で手に入れた地位でもなく、お家騒動を防ぐための予防策としての当主など、若く野心を抑え切れぬ年頃の政宗にとっては、ある種の屈辱にすら感じられたのだ。
天正十二年十一月現在、その政宗は雪深い奥羽の一角である米沢城の一室で、火鉢の熱で身体を温めながら不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てた。
「ままならぬ事よ、やらねばならぬ事も知りたい事柄も打っておかねばならぬ手も、この時期が来れば全て雪に閉ざされる…家督を継いだとてこの雪では何も出来ぬではないか!」
今この部屋にいるのは政宗自身と、その政宗が最も信頼し生涯に渡って政宗を支え続けた忠臣・片倉小十郎景綱しかいない。
政宗が「小十郎」と呼ぶその男は、政宗の乳母を務めた喜多という名の女性の弟であり、元服前から近習として仕えてきた唯一無二の存在であった。
父や家臣の前では勇ましき若武者、将来が楽しみな若殿という印象を持たせなければならないが、それでも未だ若輩の政宗にはやはり本音を吐き出せる空間が欲しかった。
そのため城内の人気のない一室に火鉢を持ち込み、政宗は愚痴を吐き出す事にした。
聞き役を任された小十郎は、穏やかな顔のまま政宗の愚痴を黙って聞いていた。
「あの織田信長の復活に合わせて上杉も徳川も毛利もその信長に従ったという…昨年まではこの天下で誰も予想だにしなかった事が起きておるというのに、雪に閉ざされたこの地では以後の情報すら満足に届かぬ! 今、この天下は間違いなく動いておるのだ! あの織田信長がおる畿内を中心にな! 米沢では遠い! 奥羽では遠いのだ!」
「黒脛巾がもうじき到着いたしましょう…今は我慢が肝要にございますよ」
「分かってはおるのだがな…当主として何かしらの成果を上げぬと、色々と横槍を入れてくる者がおる故あまりゆっくりともしておれぬのはそなたにも分かるであろう…」
寒さだけではない理由で、政宗は足を小刻みに揺らし続ける。
若さやもどかしさなどの理由から、焦っている事を隠す事が出来ぬ政宗の様子に、小十郎も内心で「ああ、確かにこれは余人には見せられぬ」と率直な感想を抱いた。
未だ二十歳前とも思えぬ胆力を持ち、奥羽一の影響力を持つ伊達家の若頭領、そんな肩書きが付いて回るこの青年が、焦りや苛立たしさから貧乏揺すりが止まらぬなど物笑いの種だ。
もちろんこの場に居るのが小十郎だけだからこのような姿を見せているのだ、とは分かってはいるがさすがにこれは醜態と言えた。
この場に未だ小次郎を次期当主に、と推す義姫やその一派が居ようものなら「見苦しき狼狽振り、これでは伊達家頭領の器に非ず」などと言われかねない。
伊達家当主として誰もがその力量を認めた先代・伊達輝宗は、伊達家の家督を政宗に譲った後は舘山城に居を移し、北越後の新発田重家と連携して対上杉政策に集中すると言い残していた。
隠居し、家督を譲りながらも未だ外交政策の面で政宗を支えんとする輝宗は、確かに政宗にとって有り難い存在ではあったが、それでも輝宗という防波堤が無くなった米沢城内では、未だ小次郎を推す一派が政宗失脚を狙っている節があった。
先代当主から正式に家督を譲られた当主を失脚させ、新たな当主を擁立するなどは正当性に欠ける行いであり、余程の事が無い限りは他の家臣が付いて来なくなる可能性がある。
だが伊達家の現状においては、その余程の事が起こり得るのだ。
なにせ弟である小次郎を推す一派の頂点は、政宗も産んだ母親である義姫その人であり、その義姫の実家である最上家が、小次郎が当主となれば間違いなく固い同盟を約束してくれるという思惑がある。
一方で伊達家の権威が最上家に食われる事を懸念する者も一定数存在し、それらの者たちは政宗の当主就任を心から歓迎し、忠誠を誓ってくれている。
小次郎を推す一派は未だ少数ではある為目立った動きはないが、それでもいざ政宗が失態を重ねてしまえばこれ幸いと、当主のすげ替えを行ってくる可能性があった。
共に正室から生まれた男児同士、義姫が出張ってくれば正当性などはどうとでもなってしまう。
ましてやすぐ隣に勢力を持つ最上家が、小次郎を推す一派を後押しする動きが見え隠れしており、その点もまた政宗にとっては焦りを誘発する要因となっていた。
輝宗がいればそれらの一派も鳴りを潜め、少なくとも表面上は政宗に従順な姿勢を見せてくるため問題はなかったが、その輝宗がいないため政宗は城内でロクに愚痴すら吐けなかった。
「母上にも困ったものよ…小次郎を害そうなどとは思っておらんと言うのに、小次郎にも初陣を、という話が持ち上がっただけで死なせる気か、と激高する始末…今の小次郎の年頃には、わしはとうに初陣を飾っておったものだがな…」
「お東の方様は殊更情の篤い方なれば、長年手元に置いていた弟君が可愛くて仕方がないご様子…無理強いすれば却って拗れる事もあり得ましょう…しばらくは静観の一手かと」
米沢城内の東側に義姫の館があったため、家中では義姫は「お東の方様」と呼ばれていた。
または最上家当主の妹であることから「最上御前」と呼ぶ者もいた。
これは最上家当主である最上義光と義姫は非常に仲が良く、輝宗に嫁いでからも兄である義光への手紙を欠かさぬ様から、未だ義姫は伊達家ではなく最上家の者だという印象を持った者たちが、彼女を遠回しに揶揄する呼び方として広まったものだった。
以前にも伊達輝宗と最上義光の間で戦となった際、義姫は両軍の間に輿に乗って割って入り、両軍を撤退させたという逸話を持っている。
また史実においても彼女は輝宗の死後に一旦最上の実家へと戻り、そこで最上家断絶となるまで過ごしていたというほど、実家との繋がりが深い女性であった。
「ふぅ…埒もないわ……わしとて小次郎を嫌ってはおらぬし母上を恨んでもおらぬ…どうしてこの世は、とかくままならぬ事しか起きぬのかのぅ」
言いながら政宗はその場でゴロリと横になる。
なまじ気持ちばかりが逸るくらいなら、いっそ寝てしまおうという結論に行きついたのか。
不作法極まりない寝転び方をする政宗に、さすがに小十郎が苦言を呈そうとしたその時、部屋に向かってくる足音に二人が気付く。
表情こそ穏やかながら、小十郎の眼が瞬時に鋭くなる。
政宗もすばやく身を起こして、その場で胡坐をかいて背筋を伸ばす。
その様は如何にも主従二人の密議にも見える。
だがいかんせん政宗の両手は火鉢の上に伸ばされており、その姿は緊迫感とは程遠い。
チラリとそこに視線を向ける小十郎だが、政宗の「このくらい許せ」という目線の合図で、僅かに鼻から息を吐いて首を小さく左右に振った。
その反応で渋々手を引っ込めた政宗だが、代わりに腕を組んで指先に少しでも熱を持って来ようという苦肉の策に出た。
そうこうしている内に足音は部屋の襖の前で止まり、同時に「申し上げます」と声がかかった。
「うむ」
「只今黒脛巾組の者が到着、大坂の仔細を認めてきたとの由」
「相分かった、雪の中ご苦労…その者には充分に休息を取らせてやれ」
小十郎の言葉が終わると同時に、襖が僅かに開かれてそこから一枚の書状が突き出される。
それを小十郎が受け取り襖が再び閉じられ、足音が遠ざかっていく。
足音と気配が無くなり、小十郎は黒脛巾組からの報告書を政宗に手渡す。
黒脛巾組とは伊達家直属の忍び衆であり、諜報活動を主な任務としていた。
政宗も待ちに待った大坂の情勢の続報であり、逸る気持ちそのままに文を開く。
「徳川が四国へ渡り、長宗我部との戦に臨んだそうだ…さらに信長は朝廷に参内し、その後京の民衆に餅などが配られたため、信長にとって都合の良い何かしらの勅許を得たものと思われる、さらにその後関白・一条内基を伴って紀伊国へと向かったらしい…」
政宗は報告を読みならが小十郎の顔を窺った。
小十郎は変わらず穏やかな顔のまま、眼だけが鋭く政宗の視線を受けとめている。
「徳川がわざわざ渡海して四国まで出向くは、真っ先に織田信長公へ忠義を尽くし、上杉や毛利に先んじて動く事で天下の二番手の地位を盤石にしようとした、と考えられます…織田・徳川は長年の同盟もあり、信長公を天下様とするなら差し詰め徳川殿が宰相、という所に落ち着くことでしょう」
「わしもその様に思う…畿内を抑えながら今や五ヶ国を差配する徳川を従え、越後の上杉や山陰山陽を抑えた毛利まで傘下に収めたならば、もはや天下に抗える者などおるまい…わしが家督を継ぐのが今少し早ければ、大坂まで挨拶に行って『奥羽切り取り自由』の免状でももらっておきたかったのだがな…」
「無茶を申されますな、殿が大坂まで挨拶に行くには、些か障害が多すぎますぞ」
「なぁに、先に信長には『大坂まで忠誠を誓いに参じたいのは山々なれど、慮外者や不埒者が跋扈する奥羽ではそれもままならず、何卒ご挨拶に参ずるための道作りの御許可願いたし』とでも言っておくのよ、それで許可をもらえればそれを大義名分とし、奥羽平定を成し遂げれば良い!」
未だ十八歳の若者とも思えぬ策の巡らし様に、小十郎は内心で舌を巻く。
「道作り」とはあくまで詭弁で、道を作るためには敵対している勢力が邪魔になる、それらを『信長からの道作りの許可』を盾に打ち破り、さらに自分が挨拶に行く際に留守を狙う輩を先に討伐し、後顧の憂いを無くしておく、という所までが政宗の考えである。
たかが「道作り」とはいえ、拡大解釈して話を持って行ってしまえばこちらのものだ、くらいには図々しい思考をしていなければ、この戦国の世は渡れない。
ましてや政宗は戦国大名の一人であり、この奥羽地方きっての影響力を持つ伊達家の当主である。
所詮は家督を継いだばかりの若造、と周囲から舐められる訳にはいかないのだ。
「しかしこの雪よ……今ほどこの雪を忌々しいと思うた事はないわ」
言葉の通り、まるで仇敵を睨み付けるかのような視線を外へと向ける。
口元からは露骨な舌打ちの音を鳴らし、片方しか無い眼は憎しみすら漂わせながら、その両手は火鉢の上に伸ばされて暖を取っている。
若いながらにすでにその才覚の片鱗を見せている政宗だが、それを十全に活かす場が未だ用意されていないというのは、小十郎にとっても口惜しいものであった。
政宗が生まれた年には信長は美濃国を制して『天下布武』を唱え、政宗が元服を迎えた頃には周囲を敵に囲まれながらも凌ぎ切り、逆に各個撃破に移るという離れ業をやってのけていた。
さらに家督を継ぐ頃には、一度は死んだと思われていた信長が、実は生きていて大坂城にその姿を現したという。
政宗は織田信長という人物に対し、並々ならぬ憧憬を抱いている事を小十郎は知っていた。
だがそれと同時に、いつかはその織田信長という人物を越えたい、という野心を併せ持っている事も知っていた。
信長に担いでもらって将軍の座に就けた足利義昭の様なものではなく、実力で天下第一の実力者に上り詰めた織田信長に対し、自分は拝謁をした事もなければ、存在すらロクに認識されていないだろう。
そんな信長に対し政宗は自分の名と顔を覚えさせたい、『奥羽に政宗あり』を知らしめたかった。
だがそれをするには、あまりにも米沢は遠かった。
先代であり父である輝宗の代には、伊達家は畿内で勢力を持つ織田家に対して服従の姿勢を取っており、信長が鷹狩りを好むという話を聞いて鷹を献上するなど、綿密な外交を展開していた。
政宗も新たな伊達家当主として信長に誼を通じ、出来れば気に入られた上で奥羽切り取り自由の許しを得て、やがては東国の覇者となって天下を望む、という野望を抱いていた。
無論ことがそう簡単に運ぶ訳がないのは重々承知の上ではある。
だがそれでも生まれた時から常に大きな存在として聞かされていた『織田信長』という存在を、政宗は常に強く意識してきた。
そしてその信長を超える存在になるためには、自分が新たな天下人になる以外にない。
「米沢では遠いのう…せめて若狭、いや加賀あたりであれば…いやいや、近すぎては却って先に攻め込まれて終わりじゃのう…むぅぅ…」
「何をお考えかは訊きませぬが、下手な考え休むに似たり、と申しますぞ?」
政宗が信長と対等に覇を競える状況を妄想していると、小十郎から容赦のない言葉を突き付けられた。
バツが悪そうな顔で小十郎を睨む政宗だが、その眼力は小十郎には通用しない。
むしろ穏やかながらも若干呆れた眼で見返してくる小十郎に、更にバツが悪い顔で顔ごと背ける政宗であった。
そしてそんな二人の下に再び足音が近付いてきた。
二人の顔に真剣味が帯びた所で、襖の向こうから声が上がる。
「只今足利義昭公からの文が到着いたしました、先代様宛てとなっておりますが、如何いたしましょう?」
その言葉に二人の視線が交錯する。
一瞬の後に政宗が声を上げた。
「恐らく公方殿はわしが家督を継いだことをまだ知らぬのであろう、父上が読むべきものと判断したらば舘山におる父上に送り直す故、一旦わしが預かる」
「は、されば…」
政宗の言葉に襖が僅かに開き、外からの冷気が室内に入り込む。
小十郎が僅かな隙間から突き出された書状を先程と同じように受け取り、政宗に手渡す。
政宗は「つまらぬことが書いてあったならば、火鉢にくべて暖を取る足しにしよう」と、足利義昭本人が聞けば「無礼者!」と激高すること間違い無しという考えのまま、形だけは丁寧に書状を開く。
そしてそこに書いてあった内容を読んで、危うくほとんど無意識のままに火鉢にくべようとして慌てて踏み止まる。
「公方様はなんと仰せに?」
政宗のその反応で、少なくとも愉快な事は書かれていないだろうと予想は付くが、それでも小十郎の立場上、聞かぬ訳にはいかなかった。
「阿呆が阿呆な戯言を書き連ね、阿呆な命令を下してきた……父上がこれを読んだ時にはどのような顔をされるか、少々興味が湧く程度には阿呆な内容であった…」
放り捨てるように小十郎へと投げ渡した政宗は、機嫌を悪くしたのかその場で先程の様にゴロリと寝転び始める。
それを見咎めるのを後回しにして、とりあえずは小十郎も足利義昭からの文に目を通す。
『第十五代将軍足利義昭より伊達左京大夫に命ずる。 彼の大逆の徒、織田信長誅殺のため一切の私戦を禁じて、幕府再興のために忠孝を尽くすべし。 信長めは長年の悪逆非道な行いの報いを受け、今は病を得ていると我が手の者が調べ上げている、今こそ伊達家は上杉や北条らと同心し、まずは信長めの同盟者である徳川を叩くべし。 徳川を併呑せし後は急ぎ京へと攻め上るべし。 首尾良く事が成りし時は、伊達家に奥州探題の職を任ずることとなろう』
なるほど、これは殿も阿呆、と連呼する訳だと一人納得する小十郎である。
先代輝宗の時代から、既に伊達家は織田家に対して臣下の礼を取っており、それらの積み重ねを一切無視して、しかも敵対している上杉らとともに徳川に攻めかかれと言う。
特に信長の病というのも怪しいものだ。
つい先日生きていた事が明らかとなり、表舞台へと舞い戻ったばかりの信長が実は既に病に侵されていると、一体どのようにしたらそんな情報を手に入れられるというのか。
小十郎の目にはこれが足利義昭の都合の良い妄想としか受け取る事が出来なかった。
「拝見させて頂きました……これは、ご先代様には?」
「わざわざ届けるのも億劫に思えるほどのふざけた内容だ…父上に宛ててはおるが、わしの一存で判断する…燃やせ」
政宗の言葉が終わるや否や、小十郎はすぐさま書状を握り潰し、懐へとしまう。
火鉢にくべても良かったが、なまじ紙を燃やして室内に煙が出るのを嫌がった為だ。
それにこの書状には、一つだけ役立つ使い道がありそうだと小十郎は考えていた。
そしてこの話は終わった、とばかりに政宗は不機嫌さを隠そうともせずに鼻を鳴らす。
一方で小十郎も、話題を変えるべく息をふぅっと吐いてから切り出した。
「して、新発田の件は如何なさいますか?」
「…新発田? 北越後の新発田重家か? なにかあったか?」
「織田家の軍門に下りし上杉家、その上杉と敵対する新発田とその新発田を支援しております我ら伊達家…織田家に誼を通じんとするならば、この状況は不都合が生じませぬか?」
「…あぁッ!」
小十郎の指摘に、慌ててガバッと身を起こす政宗。
政宗は瞬時にとある要因に気付いてしまったのだ。
今この米沢城にいない父・輝宗がどこにいて何をしているのか。
上杉が織田と敵対していたからこそ、その上杉と敵対していた新発田を支援していたのが伊達であり、それが遠回しに織田家のためにもなっていたのだ。
しかしこの前提が崩れるとならば、織田に不信感を与えるような行動を慎まねばならない伊達とすれば、取れるべき道は一つしかない。
「父上のいる舘山城に早馬を…いや、この雪では早馬は意味を成さぬか…ともあれ使者を遣わし、新発田と手を切って上杉にも使者を遣わして、その上で大坂にも改めて使者を…」
小十郎の指摘を受けて色々と考えを巡らし始めた政宗をよそに、小十郎はすぐさま立ち上がり襖を開いて人を呼んだ。
小十郎の声にすぐさま警護の者が気付いてやって来ると、政宗の考えがまとまる前に使者として伊達領内の舘山城と、隣国にして現在は敵対関係にある上杉の本拠・春日山城へ行ってくれそうな者の選定に入るよう命じた。
舘山城には場合によっては小十郎自らが、輝宗に外交方針転換の説得に行けば済むかもしれないが、上杉家の春日山城ともなると、こちらは重大にして危険な内容故に行ける人物は限られる。
現在の伊達家の筆頭外交官は先代・輝宗の見出した逸材である遠藤基信ではあるが、この人物は確かに優れてはいるものの、輝宗への忠義心が厚すぎる点がある。
小十郎が指摘し、政宗が考えている事は現在の対上杉への外交方針を真逆に変換させるものなのだ。
輝宗自身が自らそちらに注力する、と言い残して米沢城を後にした程重要な対上杉の外交。
上杉の北上進攻を阻止するために始めた事とはいえ、織田と上杉の関係が変わった事を考えれば、こちらもそれに倣うべきなのだろう。
だが先代輝宗が決めた外交方針を、当主を継いだばかりの政宗が真逆に変換させて良いものだろうか。
これが戦国の世の習いと、大局的な物の見方とある種の達観があればその判断にも迷いはなくなるだろうが、伊達家の家臣全てがそうとは限らない。
特に次男・小次郎一派の者からすれば、先代を蔑ろにする行為として政宗を糾弾する絶好の文句を与えてしまう事にもなりかねない。
遠藤基信自身は政宗にも小次郎にも与せず、強いて言うなら先代輝宗の決めた事に従う輝宗派とも言うべき立場だが、だからこそ余計に輝宗の方針に異を唱えるのは危険だった。
基信の立場からすれば、自らが敬愛する主君であった輝宗が決めた方針を覆すための外交交渉を行いに、わざわざ敵地の本丸へ乗り込んでくれと言われるのだ。
その可能性を考え、小十郎もその顔から穏やかさが消える。
自らの登用を決めてくれた、いわば恩人の一人である基信に対して意に沿わぬ頼み事をしなければならないのか、と心を痛めた。
政宗の方に視線を向けると、政宗は未だ考えをまとめている最中であった様で、小十郎の視線には気付いていない。
(仕方がないか…遠藤殿はいきなり激高して斬りかかるような御仁では無い…状況を鑑みた伊達家の未来を賭ける交渉と、粘り強く説得するしか…)
「も、申し上げます! 只今ご先代様、城にご到着! 間もなくこちらに参られるとのこと!」
小十郎はその場に立ち尽くして目を見開く。
ご先代様が到着? しかも広間や奥座敷ではなくこちらに来る? 城内でも一際人気の無いこの片隅の狭い部屋に? どういう事だ?
自らの考えをまとめている最中であった主従は、動きを止めてどちらともなく廊下にいる家臣に対し「まことか!?」と、思わず声を返した。
政宗も小十郎も、それが自分が発した言葉なのか、それともすぐ側にいる者が発したものなのかの判断が付かないままに響いた言葉に、「おお、まことよ」と、聞き慣れた声が返されてきた。
その声を聞くなりすぐさま小十郎は部屋の外に出て、声の主を確認する。
「これは、ご先代様……変わらずのご壮健ぶり、祝着至極に存じまする…」
そして素早く部屋の入口の脇に控えたところで、小十郎は平伏する。
それを鷹揚に「うむ…お主も若当主の補佐、ご苦労」と輝宗が返す。
部屋の中の政宗も居住まいを正し、火鉢の正面に当たる上座から少し横にずれる。
それも鷹揚に「ああ、構わん…寒い故そのままで良いぞ」と、輝宗自身も火鉢の正面からは少し横にずれて、政宗と左右に並び立つ所に腰を下ろした。
先代と当代の二人と同じ部屋に入ることを遠慮したのか、小十郎は部屋の外に出たまま襖を閉めようとすると、輝宗から「そちも早く入って来い、寒いであろう」と言われて、遠慮がちに部屋に入り直して素早く静かに襖を閉めた。
「父上、何故先駆けも寄越さずに米沢に? もしや舘山城で何か?」
「いや、舘山では何も起こってはおらん…畿内の方で大事が起こった故、わしがこちらに来た」
政宗に言葉を返しながら、輝宗は火鉢の上に手をかざして暖を取った。
火鉢の熱で指先を温め、輝宗は「米沢の方が北にあるせいか、やはり冷えるな」とこぼす。
そしておもむろに政宗の方を見て本題を切り出した。
「新発田と手を切り上杉と結ばぬか、と言いに来たのだ…信長公への手土産に新発田重家の首を献上すれば、わしの代から変わらず織田家に臣従しておるという、またとない証拠となろう…蘆名より先に新発田と手を切り、上杉と誼を通じてそのまま信長公への取り成しを願い、奥羽における伊達家の立場を保証してもらう…お主らからは何かあるか?」
「な、あ…え?」
「ご先代様…それは…」
二人が先程まで考えていた事が先んじて輝宗の口から出てきた事に、主従は驚きを隠せなかった。
だがそんな二人を見て、意外そうな顔をする輝宗。
「ん、なんじゃ? わしは今そんなにおかしな事を言うたか? それともお主ら、まだその事に考えが及んでおらなんだか?」
「あ、いえ…つい先程もその件で小十郎と話を…」
「ついては先代様の所に話を通し、上杉にも使者を遣わさねば、という事でその人物の選定に入りましたところで…」
輝宗の言葉に政宗と小十郎の二人が慌てて弁明に近い言葉をまくし立てる。
しかしそんな二人に輝宗はふぅと一息吐いて「遅い!」と一喝する。
「外交も政の一環であり、戦と同じぞ! 速さが全てを決する交渉もあるのだ、上杉が織田に従ったならば、信長公の機嫌を損ねぬ内に早々に上杉にも誼を通じるべきであろう! 新発田に今後は支援は行わず、向こうから何かを言って来ても一貫して無視し続ける、新発田がわしに何かを言ってきたらば当主は米沢じゃと言って米沢へ奔らせ、米沢に使者が参ってもわしの方へ行けと突っ撥ねよ、あえて話を長引かせて難航させれば、新発田の動きを封じる事にも繋がろう」
二人が口を挟む事も出来ぬほどに一気に言い募られて、政宗と小十郎の主従は首を縦に振る事しか出来なくなっていたが、最後の言葉が気になった政宗は質問を投げかけた。
「父上、新発田重家に支援は打ち切るという通達はせぬのですか? わざわざ長引かせて難航させる、とは?」
「分からぬか? 新発田重家の立場になって考えてもみよ、支援打ち切りの通達があったらば、もう一方の蘆名に殊更頼るであろうが、この場合蘆名にも我ら伊達の動きと思惑を読まれてしまう」
伊達家と蘆名家は共に新発田重家を防波堤として、上杉の北上を防ぐ盾にしているため、様々な支援を行っている。
蘆名家は現在の当主が未だ幼い為に輝宗自身がその後見となり、分裂しかねない家中の面倒を見ている状態である。
そのため蘆名家の現状は輝宗が一番よく分かっており、伊達家の外交方針の転換さえ事前に知られなければ、すぐに動く事も出来ない状態である。
ましてや後見役を務めているからといって、伊達家の全ての動きを蘆名家にも伝えてやる義務は無く、むしろ戦国の世においてそのような真似をする事は考えられない。
「だがある日突然何の連絡も無しに支援が届かなくなった、新発田は何事かとわしのおる舘山城に使者を寄越す…しかしわしは病に臥せってしまい、その結果支援が滞った…家督は既に嫡男・政宗に譲っておる為、用があるならば米沢に行けと促す…そしてそなたが上杉対策は父が言い出したこと故、父に相談なされよと使者を突っ返す、しかしわしは病で会う事も出来ぬ…予定していた支援が遅れれば、新発田は身動きが取れなくなろう…そこを上杉に突かせるのだ」
若い政宗が「えげつない…」と思わず言葉を漏らす。
しかし小十郎は全く逆の感想を心に抱き「なるほど、外交交渉を用いて相手の動きを御する…そのようなやり方も…」と、主と戴く二人に聞こえぬ声量で呟いていた。
「支援は来ないと分かっていれば新発田重家もなかなかの者よ、打てる限りの手を打つであろう…しかし来るはずと思っている物がいつまで経っても来ないとなれば、打てる手を打つ機を失いもしよう…ただ支援を止めるだけではない、相手の初動を遅らせる枷となって上杉の突く隙を用意してやればよい」
これが、外交にその才を発揮して伊達家を伸長させた輝宗の真骨頂か、と二人は頭を下げた。
外交は戦と同じ、ただ弓矢や槍を用いぬだけで、言葉と態度で相手を屈させる戦である。
「遠藤基信を上杉へ向かわせ、伊達家の方針転換を伝えさせる。 新発田重家に悟らせぬように上杉と裏から連携する、我らの支援が滞れば新発田重家は間違いなく蘆名を頼る、上手くすれば蘆名も新発田に引き摺られて力を落とすかもしれぬ、そうなれば今後は伊達が蘆名を服属させやすくもなる…或いはわしの蘆名家後見という立場を利用し、あえて蘆名にも支援打ち切りに一枚噛ませる…その功績で以って信長公の心証を上げておく、というのも良いかもしれぬ」
若い政宗は絶句したまま眼を見開いて輝宗を見ている。
政宗ほど若くは無いが、輝宗の外交手腕が如何に恐ろしいものかを改めて思い知らされた小十郎は、思わずゴクリと唾を飲み下す。
だがそんな二人を見た輝宗は、それまでの修羅すら恐れを抱く眼光を消し、さらに相好を崩して快活に笑った。
「そういった事まで考えるのが外交、というものよ…少しは学べたか?」
輝宗の言葉に、無言のままに主従は平伏する。
そして輝宗は目の前で頭を下げている息子の肩にポンと手を置く。
「隠居があまり出張るとな、家中不和の元となる…父・晴宗とわしも度々諍いを起こした…その因果の大元を作ったのは祖父・種宗公と父・晴宗であった…だからこそわしとお前でその因果を断ちたい…わしはあくまで隠居の身であり、今後はお主が伊達家の頭領として家中を率いていかねばならぬ…分かるな政宗、わしが出来るのはここまでじゃ…」
輝宗の言葉に、さらに一段深く頭を下げる政宗。
先程の言葉は先代当主としての命令ではなく、あくまで辣腕と言える外交を展開した先達からの助言であり、実際に家中に命じてその指揮を取るのは政宗であると言っていたのだ。
伊達家第十四代当主・種宗は、ありとあらゆる手段を使って奥羽に隠然たる影響力を持ち、平安時代の奥州藤原氏もかくや、と言うほどの権勢を誇っていた。
朝廷との交渉も巧みに行い、伊達家の家格を上げて実質的な奥羽の支配者であることを朝廷に認めさせ、その影響力は奥羽に留まらず、越後国にまでその勢力を伸ばさんとした。
だが強引とも言える拡張政策は実の息子である晴宗に危機感を募らせ、鷹狩りから帰る途中の種宗を襲って幽閉するという事件へと発展させた。
家臣によって救出された種宗は、自らの影響力を利用して奥羽全土の諸侯を糾合して実の息子との六年に渡る大乱を起こした。
世に言う『天文の乱』で種宗は最終的に敗北し、晴宗は父を隠居させて当主となった。
だが天文の乱の混乱は大きく、晴宗の代だけではその混乱の収束は間に合わず、また家督を継がせた輝宗との意見の相違もあって、伊達家の旧領回復には更なる時間が必要となった。
それらの事から学んだのか、輝宗は種宗ほどの強硬策を取らず、あくまで外交融和政策を軸に伊達家の勢力回復と伸長を推し進め、極力後々の混乱にならぬ様な拡張を成し遂げた。
今回の外交政策の転換も、単なる裏切りや寝返りなどといったものではなく、伊達家の当主代替わりと信長の再臨に合わせたものであり、時勢を正確に読んだ末の判断であった。
織田信長という存在が再び表舞台に立ったのなら、間違いなく中央ではまた一波乱あるはず。
遠き奥羽の地とはいえ、同じ時代を生き延びてきた輝宗は信長という存在をよく理解している。
信長ある限り天下は動く、その確信を持っているからこそ伊達家はその激動の世を生き抜くために、あらゆる方策を考える必要がある。
そう思ったからこそ、政宗と小十郎というこれから伊達家の舵取りをしていく者たちに、少しでも自分から学ばせようとわざわざ足を運んだのだ。
『天分の乱』に続く『天正の乱』をこの奥羽で起こさせぬために。
「ご先代様の教え、有り難く身に刻みまする…」
「学ばせて頂きました、父上」
「うむ、精進せい…」
二人にそう声をかけてから、輝宗は颯爽と部屋から出て行った。
去り際に「たまにはお義にも顔を見せてやらんとな」と言い残して。
家督相続に際しての意見は違えども、それでも輝宗は自らの妻である義姫を粗略には扱わなかった。
わざわざ米沢城に戻って来たというのに、政宗と小十郎にだけ話をして、正室の所には顔も出さないとなればやはり外聞が悪いというのもある。
だが輝宗があちこちに顔を見せる事で家中にはある種の一体感が生まれ、それが自然と家中分裂の危機を減少させる事もまた事実である。
政宗はそんな父に内心で感謝しつつも、少しだけ歯噛みする様なしかめっ面をした。
そんな政宗の感情に鋭く気付いた小十郎は「どうなされました?」と尋ねると、
「雪で閉ざされて何も出来ぬ、と喚いていた己が恥ずかしくてな…隠居したはずの父上は雪の中でもここ米沢に来てくれたと言うに、わしは火鉢の前でふて腐れておった…まだまだよな…」
「……そうですな…ですがそう思えたならば、これから伸び代もございましょう…」
穏やかな顔に苦笑を浮かべて小十郎は言う。
そういえば、と思って小十郎は懐にしまったままの足利義昭からの書状を思い出す。
おそらくは意に沿わぬであろう遠藤基信への説得材料の一つに使えるやも、と思って取って置いたのだが、これはもう必要無いと思い直す。
輝宗が異を唱えない、どころか却って推奨したほどの案ならば遠藤基信が断る訳がない。
主君・政宗からの命令通り、この書状は燃やしてしまおう。
「寒いからと言って閉じ籠もっている訳にもいかぬ、動くぞ小十郎!」
「ははッ!」
その日の内に政宗は遠藤基信を呼び、上杉への使者として春日山城へ赴くよう命じたのだった。
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