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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その7

お待たせしました、今回も変わらず長丁場です。

            信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その7




 足利義昭が居を構える館に、新たな同居人が現れた。

 常日頃から表情を変えず、足が悪いのか杖を突いている男と、それに付き従う者たち。

 京を追放された後も義昭に付き従っていた者たちは、一様にその者たちに不信感と警戒感を持っていたのだが、それを義昭に上申したとて聞く耳を持ってくれることはなかった。

 それにその者たちがこの館に侵入して来た際、誰一人としてその存在に気付く事が出来ぬままに意識を奪われてしまい、目が覚めてみれば義昭から新たな家臣だと紹介された。

 珍しく上機嫌に新たな家臣を紹介する義昭に、口を挟める者などいなかった。


 そうして新たな拠点としてその館に腰を下ろした官兵衛は、次々に新たな策を考案し、それを百地丹波配下の忍びたちに実行可能かどうかを改めさせ、その上で新たにまた策を講じていた。

 官兵衛が訪れてから数日を経たその日も夜が更けてきた頃合になり、そろそろ床に入るべきかと考えた所に、僅かな気配を感じ取った。

 明かりを消そうと手を伸ばした所に、何の前触れもなく障子が開いて人の姿をした影が室内に侵入してきたのだ。

 紀伊国での策略を成功させ、明智光秀の謀殺を成し遂げさせた百地丹波の帰還である。

 音もなく障子を開け、空気の乱れも起こさぬまま部屋に入り込んでまた障子が閉まる。


 ただそれだけの事でも、実際にその目にしていなければ誰かが部屋に入った事などまるで気付けはしないだろう。

 それほど自然でなおかつ静かな動作であり、また現実離れした光景であった。

 そんなものを目の前で見させられても何ら表情を変えない男は、自分の元に無事に帰ってきた老人に労いの言葉をかけた。


「ご苦労であった、百地殿。 到着早々で悪いが、仔細を聞かせてもらえるか」


「ひゃっひゃっひゃっ…年寄り使いが荒いのぅ、軍師殿…」


 そう言いながらも、百地丹波の声に不快感はない。

 むしろ忍びとしての本領を思う存分発揮した事による興奮が、未だ冷めやらぬという風にすら見えた。

 標的の殺害までを成し遂げる謀略、追手の殲滅と煙に巻くまでの己の手練手管、それらを終えて自らの腕が全く錆び付いていない事を再確認出来たのだ。

 秀吉を殺気で脅して足止めする、などという退屈な仕事よりもよほど楽しい一時であった。

 口元に笑みすら浮かべながら、百地丹波は官兵衛に言われた仕事の詳細を報告した。


「上々、とも言えるが…まさか本願寺が信長と手を組むとはな…ならばこちらも色々と打たなければならぬ手が増えるな…東西も合わせて動かすか…」


「東西、とな? 西は九州…東は関東か?」


 百地丹波の言葉に官兵衛はわずかに頷くも、そっと声を潜めて囁くように言葉を発した。


「信長から改めて関東を任されるという、滝川を狙う」


「滝川、じゃと? あやつは甲賀の出と聞く、老いたりと言えど暗殺は難しいぞ?」


 織田四天王の一人と謳われ、『進むも退くも滝川』とまで言われた滝川一益は、本能寺の一件が起こる三ヶ月前、武田氏を滅ぼした後に関東での信長の名代を任せられた。

 上野国の厩橋城(うまやばしじょう)などに本拠を構え、『関東御取り次ぎ役』という役職で、信長からの実質的な東国支配を委任された。

 関東と奥羽からの信長への取り次ぎはこの滝川一益を通してのみ行われる、ということで滝川一益は当初喜んだかと思えば、実はそうでも無かった。

 日ノ本の中央たる畿内から遠く離れることを嫌がり、東北の実質差配よりも当時信長が気に入っていた茶器の一つである「珠光小茄子」を欲しがったという逸話もある。

 だが信長も一益の能力を信頼して東国を任せたいという思いからこれを拒絶、領地と茶器の二つを一度に与えては他の家臣への示しも付かぬため、一益も最後には関東へと下った。


 だがそれからおよそ三ヶ月の後には、関東での地盤固めをしていた一益の下に本能寺の件で急報が入り、織田家の東国支配は完全に破綻してしまっていた。

 なので信長は、まずは関東の最大勢力である北条を従える事で、関東を今度こそ抑える為に様々な布石を打った。

 徳川との姻戚関係を利用して北条を取り込み、本貫の地である相模国以外の土地を召し上げさせて、それを最初から滝川家の領地として関東の中心に隠然たる影響力を持たせるのである。

 武蔵国・下総国の二ヵ国に上野国・下野国のそれぞれ南半国、更に常陸国や上総国の一部と、関八州と言われる八カ国の内、六ヶ国に渡って影響を及ぼす広大な領地である。

 それほどの領国の主として関東に赴任する滝川一益を狙うとなれば、さすがの百地丹波も訝しげな顔をするが、黒田官兵衛はわずかに首を振る。


「滝川と言っても一益ではない…その嫡子である一時(かずとき)よ…」


「一時? 老いぼれた一益ではなく、先々を見据えて嫡男を討つという事か…」


 官兵衛の答えに納得したように頷く百地丹波。

 だがそれだけでは答えに不十分だと、百地丹波はその眼で真意を問うている。

 その視線を受けて官兵衛もわずかに口角を上げて、その真の意図を告げる。


「滝川家はかつてのような一枚岩ではない…関東支配の頓挫に加え、先の羽柴との対立もあってかつては嫡男として扱われていた長男、一忠(かずただ)がその責を取って廃嫡となった…その後は次子である一時が嫡男となっておったが、信長の復活に合わせて一忠が返り咲く芽も出てきておろう…」


「…ふむ、いわゆるお家騒動を起こさせよう、と?」


「しかも狙うのは一時の方だ、一時が毒殺されたとなれば滝川家の家臣団は誰を疑う?」


「だがこちらの思惑通りに踊るか? 嫡男返り咲きを狙う一忠めが弟を謀殺した、と…」


「そこに加えて関東には北条、その北条が抱える風魔がいる…北条の謀殺か、風魔の暴走か、あるいは一忠の家督欲しさの短慮か…この問題を抱えたまま関東支配を進めることは容易ではあるまい」


 官兵衛の顔には何の表情も浮かんではいない。

 ただ、今自分が口にした事が起り得た場合、当然その後に訪れるであろう混乱を、事実として認識しているだけの事だ。

 百地丹波はそんな官兵衛を見て改めて内心で「つくづく恐ろしい男だ」と舌を巻く。

 無論、官兵衛が口にした事はまず百地丹波が滝川一時を暗殺しなければ成し得ぬ話ではあるが、百地丹波自身はそれを不可能だとは思っていない。

 むしろ要人暗殺などという極めて遂行が難しい事を、「お主ならば出来るだろう」と言外に、さらに事も無げに要求してくるこの男をどこかで気に入ってもいた。


「しかも暗殺方法は極力毒殺で頼む…甲賀は毒の扱いに長けている、と聞くからな…甲賀出身の滝川の倅ならば毒に長けたやり方、あるいは家臣を持っていてもおかしくはない、それにより一忠に強く疑いの目も行くであろう…」


「加えて忍びの技と見れば、まず疑われるのは関東という土地柄で風魔…甲賀の仕業に見せかけた風魔の暗殺、とも取らせればより混乱する訳じゃな?」


「左様、それで同時に北条にも嫌疑がかかる…関東の情勢が落ち着く前に一時を討てれば、滝川の関東支配はまたも頓挫しよう、よしんば一時を殺ったのが我らだと知れても、どちらにしろ滝川はすぐには立ち直れぬであろうし、関東の諸勢力も弱った滝川の支配を易々と受け入れはせぬであろう…」


 ただ一人殺すだけで、そこから広がる波紋は関東全域に及ぶ。

 なまじ滝川一益を殺すよりも、それは大きな影響を及ぼすかもしれない。

 滝川一益は既に高齢であり、齢も六十を数えて当時の感覚で言えば隠居を考えていてもおかしくは無く、事実一益は関東支配が軌道に乗れば、後は家督を息子に譲って上方で隠居する算段を整えていた。

 だがその家督を譲るつもりの息子が殺されれば、一益はどうするか。

 老骨に鞭打って、下手人の捕縛に血道を上げるだろうか。


 それよりも信長から命じられた関東支配の盤石化を優先し、最期まで織田家家臣としての道を全うするだろうか。

 官兵衛からすれば、息子を殺されて衝撃のあまりそのまま後を追うように、となれば話は早いが、さすがにそれは欲張り過ぎるというものだろう。

 それでも関東に混乱が起き、しかも関東支配を任された滝川がもし事態を収拾し切れぬ状況となれば、信長の意識もそちらへと向かうはずであり、官兵衛の動向からわずかでも目を逸らす事も出来る。

 官兵衛の主な目的は九州にあり、そちらへの渡りを付ける方法も既に考案していた。

 あとは上方の情勢をつぶさに調べ上げ、時を待つといった所であった。


「にしてもお主、甲賀が毒に長けておるとよく知っておったな」


 本来忍びというものは、あらゆる面での情報を隠匿するのが共通の認識である。

 ましてや自分達の得意とする武器や、用いる手段などを知られてしまえば対策を取られてしまい、それはそのまま己の命へと直結する情報と成り得る。

 百地丹波程の忍びであれば、甲賀と交流もある伊賀の代表的忍びの一人であるというその立場から、甲賀が毒に長けているという情報は持ってはいたが、それを甲賀の出でもない官兵衛が知っているというのは、些か以上に百地丹波に衝撃を与えていた。

 だがそんな百地丹波の内心の動揺すら、官兵衛の表情を動かすには足りない。

 官兵衛はおもむろに懐から海で獲れる貝を取り出し、その貝を掌の上で開く。


「某の祖父は近江国で目薬を売っていた、と申せば納得出来るかな?」


 貝の中には軟膏が入っており、当時の一般的な薬の容器として広く使われていた。

 元々薬と毒とは紙一重であり、薬を作る過程で毒薬が、あるいは毒薬を改良して良薬を作る、というのはごく当たり前に行われて来たことである。

 そして甲賀の里は近江国にあり、官兵衛の持つ薬は甲賀の里から流出した技術の一端であることを暗に示していた。

 その品物と官兵衛の言葉に、百地丹波は口角を上げて軽く頷いた。

 そして疑問は氷解したとばかりに腰を上げた百地丹波は、そのまま官兵衛に背を向ける。


「もう行かれるか」


「なに、老体にはキツイ道程でな…今宵くらいは休ませてもらうわい…発つのは明日にするとしよう」


「ふむ……では、今の内にこれを渡しておこう」


 そう言い放った官兵衛の手には、先程の目薬が入った貝とは別に一つの巾着があった。

 それを自らの前にあった文机の上にカチャリと音を立てて置き、視線で百地丹波に持って行けと示す。

 音で中身を察した百地丹波は、芝居がかった動きで恭しくその巾着を手に取った。


「ははぁ、ありがたき幸せ」


「無用だ…甲賀由来の毒の入手と関東までの路銀に使ってもらいたい、それと各地に連絡用の者を配置してもらうが、それで足りるか?」


 金銭を受け取る際の百地丹波の演技を要らぬと断じて、使い道を指示する官兵衛。

 それに応えて巾着の中を覗き、中身を確認した百地丹波は「ふむ」と少し考えてから「まあ、なんとかなるじゃろう」と言いながら懐へとしまった。


「公方殿は随分と羽振りが良いのぅ、それともそれだけお主に信を置いたか?」


 百地丹波はその金が足利義昭からの俸禄であると察してそう軽口を叩いた。

 しかし官兵衛は事も無げにそれを否定する。


「あの男にこのような事が出来る訳がない…与えもせぬくせに献上されるのが当然と思っている愚物だ、信長めも余程手を焼いたのであろうよ、御輿に担いでやって好き放題された挙句に恨まれるとは…」


 そう言い放った時の官兵衛の表情には、若干の疲れが垣間見えた。

 百地丹波が紀伊国まで出向いている間に、どうやら官兵衛は余程義昭の恨み言に付き合わされたのだろう、と容易に想像がついた。

 だがそうなると、今し方百地丹波が懐にしまった金の出所が分からない。

 現在の官兵衛には主立った収入も無く、羽柴家臣時代からの蓄えを切り崩しながら糊口を凌いでいる有様であった。

 だが百地丹波の疑問はまたも氷解した、官兵衛が腰に差している太刀が以前と違うものだったからだ。


「お主、腰のものはどうした?」


「売った…良い値で売れたぞ、信長拝領の『へし切長谷部』はな」


 そう言った官兵衛は、僅かに皮肉めいた笑みをその口元に浮かべた。

 先日まで官兵衛が持っていた『へし切長谷部』という名刀は、かつては官兵衛が仕えていた小寺家の使者として信長に謁見した際に、織田の中国地方進攻の先導役を申し出た官兵衛に、信長が褒美として下賜した愛刀の一つであった。

 長谷部国重という刀工の作とされ、信長がかつて棚の下に逃げた茶坊主を刀を棚に押し当てて、そのまま切り裂いて手討ちにしたという逸話が残る、名刀の一つであった。

 官兵衛はその信長からの御下賜品であった『へし切長谷部』を売却し、そうする事で得た金を信長抹殺のための資金としたのだ。

 その皮肉に思わず百地丹波も笑いが込み上げた。


「ひゃっひゃっひゃ…ならば大事に使わせてもらうとしよう、世が世ならばお主の家に伝わる家宝にしておったかもしれぬ名品が化けた姿じゃ、粗略に扱っては申し訳が立たんでな…」


「ぜひそう願おう…先々を見据えれば懐具合も潤沢とは言えぬ、公方の所にいるのもあくまで一時的なものだ、時期が来れば某は九州へと渡り、あちらで信長打倒の軍を興させよう」


 官兵衛の言葉に百地丹波はわずかに驚いて目を見開いた。


「九州へ向かうというのか、さすがに畿内から離れすぎてはおらぬか?」


「毛利は信長の傘下に降った…恵瓊を唆して輝元を操る算段ではあるが、表向きは従い続けておくように言い含める、となれば畿内・山陰・山陽に長く留まるのは危険だ…それに信長が危険視する『デウスの教え』は九州こそが本領だ、いずれ必ず手を出して来よう…その時こそ信長を殺す機会が訪れる」


「……何か、考えがあるのじゃな?」


「無論、奴を殺すに手段を選ぶつもりはない…東西に火種を作り、精々消耗させてやるとしよう…西の方は某が直接動くが、東の方は任せて構わんな?」


「うむ、いつ殺るかの見定めはわしの判断で良いな?」


「いつ、どのような状況で殺ったかの連絡だけは寄越してもらいたい」


「委細承知した…では、他に無ければわしは休ませてもらおう」


 そう言って今度こそ百地丹波は部屋を出ていった。

 一人残った官兵衛は、部屋の隅に丸められていた簡略化された日ノ本の地図を文机の上に広げ始める。

 そこには大雑把ではあるが各所に国の名前が書き込まれており、その中で備後国には○で印が付けられ、信長がいる大坂城の摂津国、毛利輝元がいる安芸国、上杉景勝のいる越後国、そして徳川家康の本拠地・浜松城がある遠江国には△の印が付けられていた。

 そこにさらに武蔵国には△印と○印が隣り合わせて書き込まれ、さらに紀伊国にも新たに△印が書き込まれた。

 暫しその図を凝視した後、官兵衛はその地図を無造作に丸め、部屋の隅へと戻した。


「早ければ来年には動きがあろう…いずれかで面白き動きがあれば、だが…」


 官兵衛の脳内は目まぐるしく回転し、様々な可能性を模索する。

 百地丹波という凄腕の忍びを使い、官兵衛はさらなる謀略を持って信長の手足をもぎ取ろうとしていた。




 大坂城へと戻った信長の下に、関東からの知らせが入った。

 年明け後の年賀拝礼には、関東から滝川一益が北条家先代当主・氏政と現当主・氏直の両名を、人質と共に大坂城へ連れて来るというものであった。

 これは改めて織田家への従属を誓う、という事と同義であり、その報せを読んだ信長は一つ頷いた。

 また徳川家康と佐々成政も四国の阿波国で無事に合流を果たし、今は長宗我部との対陣の引継ぎを行っているという。

 さらに明日にも京から羽柴秀吉と前田玄以の両名が大坂城に到着するという事で、その迎えの準備も進めている。


 中国地方は毛利家によってほぼ治められており、織田家と毛利家の明確な国境線の規定も徐々に定まりつつある。

 四国も長宗我部家の出方次第では来年早々にも決着を付け、本能寺以前に予定していた四国制圧も終わらせる算段を付けていた。

 一方の東国、北陸は織田家の国境を越中国まで、越後国から北は上杉家という明確な国境線を定めた。

 上杉は雪解けが済み次第、未だ越後国北東部、下越(かえつ)地方に勢力を張る新発田重家との決戦に打って出るつもりであるという。

 その新発田重家を牽制するため、信長は奥羽の諸大名宛てに文を出す事を決め、織田家への従属を願い出るのなら、新発田重家討伐の軍を興すか、あるいは何らかの形で上杉家への協力をしろ、という内容を認めさせた。


 全国の諸大名は既に信長が大坂城を新たな居城と定め、『天下布武』の続きを行おうとしている事を知っている。

 さらに徳川・上杉・毛利の三家が織田の軍門に下った事も合わせて周知されており、素早い大名家などは既に貢ぎ物持参で大坂に使者を向かわせている所もあった。

 九州では先日の沖田畷の戦いで壊滅的な被害を被って敗北した竜造寺家の後継・政家が、家の存続を保つために重臣・鍋島直茂を島津からの盾としながら、急ぎ使者を送って織田家への従属を願い出ると共に、島津家の侵略を抑えるよう嘆願を出していた。

 過去にも島津家を相手に戦をした大友家が、手痛い敗北を食らって信長に島津との停戦協定を結ぶ仲介役を願い出たことがあった。

 島津家を相手に戦を行い、敗北した事で信長に縋るというのは大友家に続いて二家目であり、信長は九州の島津家に強い警戒心を抱くようになった。


 純粋な国力で見れば、織田と島津では比べるべくもない。

 だが国力の高さだけが戦の勝敗を決める訳でも無く、また石高が低い地域の大名家こそ、戦の際には無類の強さを発揮する場合もある事を、信長は身に染みて理解していた。

 なにせ信長の半生において、常に頭の片隅に存在し続けていた武田家が正にそういう存在であったからだ。

 甲斐国という石高の低い山間の窪地が主な国において、生き残るためには他国へ侵略して奪い尽くすしかないという、劣悪な環境下から脱しようと迫り来る難敵は、度々信長を苦しめてきた。

 だが貧しい故に強い、というのは信長からすれば非常に恐ろしい半面、虚しい強さであった。


 貧しいから奪う、奪うためには強くならねば、という理論で行くならば、もしその状態で戦に敗れたならば、その先には絶望しか無くなってしまう。

 逆に尾張国は商業が発展しており、また石高も高く非常に豊かな国として近隣から知られていた。

 豊かで文化的な国として知られていた駿河国を本拠していた今川義元も、畿内にほど近く自国以上に豊かな国であった尾張国を狙っていたからこそ、織田信長との戦に臨み敗れてしまった。

 だが豊かであるという事は、兵に飢餓感から生まれる闘争心の緩みをもたらす。

 戦で主力となる足軽たちの多くは、普段は畑を耕している百姓である。


 天下に生きている者たち全てを賄えるだけの食糧が無いこの時代では、戦で他者から奪わなければ自分や家族が飢える、戦で他者を殺さなければ自分が殺される。

 その認識は隅々まで行き渡っており、皆がその気概で戦に臨むからこそ、百姓は兵に成り得る。

 だが尾張国の兵は弱兵と誹られる理由はその豊かさにあり、豊かであるからこそ他者から命懸けで全てを奪わなくとも、自分は何とか生きていけると思ってしまう。

 そのため信長はあえて武家の次男以下の者たちを集め、それを自らの馬廻り衆とした。

 成長して家に残ったままだと、無駄飯食らいだ役立たずだと蔑まれる事の多い者たちを選び、自らの力で独立して家を作る気概を持つ者を集めたのだ。


 尾張国の豊かな国力を背景に、自らの力で立身出世を成し遂げんという闘争心に溢れた者たちを組織した信長は、最強の馬廻り衆を作り上げた。

 いわゆる『兵農分離』政策の一端であると同時に、『富国強兵』政策の一歩でもある。

 これこそが信長の目指す『強さ』であった。

 例え戦に敗れようとも持ち前の国力ですぐさま立て直し、また兵も強ければそうそう負けもしない。

 合理性を重視した信長は、貧しさ故の武田家の『強さ』を恐れながらも嫌悪し、それを自らの理想とする『強さ』で打ち破ることを目標とした。


 そして結果は歴史が証明した。

 武田家の『強さ』は攻めている状況でこそ発揮されるものであり、防戦となった瞬間から脆くなる。

 天正十年の武田攻めの際に、それは顕著に表れていた。

 武田信玄もかつては攻めあぐね、信長の嫡男・信忠が攻め寄せた時には信玄の五男となる仁科盛信が守将を務めた信濃国・高遠城も、わずか一日で落城となった。

 武田の『強さ』は奪うための強さであり、それは未来(さき)に向けた強さではなかった。


 武田信玄という稀代の戦上手であり優れた内政手腕を持った名将と言えど、本当の意味で自らの国を豊かにしきる事は出来なかった。

 たとえ戦にどれだけ勝とうとも、戦がもたらす豊かさは所詮は一時凌ぎであり、継続的にその国を富ませるものではない。

 そもそも国が豊かで人が食うに困る事が無ければ、わざわざ戦を起こしてまで他国へ侵攻し、そこから略奪を行なわなくても生きてはいけるのだ。

 だが、ただ豊かなだけでは他の貧しい所からの略奪を受けるだけとなる。

 ならば豊かであると同時に、強くあらねば結局はその豊かさを奪われて一巻の終わりだ。


 信長は尾張・美濃・近江と次々と居城を変えつつも、常に自らの本拠とする場所において商業の発展を奨励し、様々な政策を打ち出しては民草から莫大な支持を得た。

 そうして得た豊かさを基盤に、織田家は信長が当主を継いでから本能寺の一件が起こるまでのおよそ三十年もの間に、日ノ本一の勢力にのし上がったのは言うまでもない。

 人は食わねば生きていけない、ならば生きていくためなら、食うためならば何でもする。

 その様な人間ばかりでは永遠に天下は安寧とはならず、人は常に互いに奪い奪われ続ける末法の世が続くだけの地獄と化すだろう。

 そうならぬようにするためには、誰かがそれを変えねばならない。


 既に旧来の権力者たる朝廷・幕府・寺社などは、信長が生まれたその時には自らの権力や財を保持するのみで、現状の荒廃した世情を真に変えようと動いてはいなかった。

 朝廷か幕府が率先して世を安定させる為に動くべきであるにも拘らず、彼らは応仁の乱以後の混乱から未だまともに立ち直れず、(いたずら)に時と金を浪費するだけの害悪に成り下がっていた。

 荒れ果てた人心の拠り所となるべき寺社は、自らの欲得を第一とし、特に名刹と尊ばれる所ほど虚栄心や権力欲の巣窟となり果て、権力と財を持つ者が幅を利かせている有様であった。

 その様な世にあって、信長は誰も成し得なかった変革を行った。

 幕府を崩壊させ、寺社勢力を蹴散らし、朝廷内の保身を優先する一派を黙らせた。


 ここまで来てようやく、信長は本当の意味での戦を無くすための戦いを始める事が出来る。

 誰も出来ぬ、誰もやらぬ、ならば己の手で成す以外にない。

 そう心に決めたからこそ、『天下布武』の印を用い、強引な破壊と人道を無視した虐殺にすら手を染めた。

 傲岸不遜、悪鬼羅刹、犬畜生にも劣る外道と、呼びたい者は好きに呼べと。

 ならばいっそ自らが第六天魔王を名乗り、開き直ってすら見せようと。


 それらの外聞すら些事であると放り捨て、己の目標に向けて邁進し続けてここまで来た。

 だがここにきて人生最大の障害と位置付けた武田の『強さ』の、同じ部類のそしてあるいは武田以上の『強さ』を持つかもしれぬ者たちを、信長は見つけてしまった。

 信長が変革させた世において、もはや存在させてはならぬ『奪うための強さ』を持つ者たち。

 『国力が低く、戦に動員出来る兵数も少ないのに、大きな戦においては常に負け無し』という、まさに西の『武田』とも言うべき存在である島津家。

 調べさせれば調べさせるほど、武田家と島津家では共通点があった。


 古くからの由緒ある名族の家柄であり、また朝廷に対し何らかの縁故がある。

 甲斐源氏の嫡流である武田家と、源頼朝が開いた鎌倉幕府時代から薩摩国を中心とした南九州の守護を命じられた島津家は、やはり武家の家柄としても非常に家格が高い。

 そして戦国の世となり、数多の名族が新興の勢力に取って代わられ、落ちぶれていく世にあってしっかりとその存在感を示している、というのはやはり武田と同じく稀有な例であった。

 信長は直感的に、島津家とはいつかどこかでぶつかり合うような気がしてならなかった。

 今はまだ遠く、九州に軍勢が送れる算段が付けられていないため衝突こそ起きてはいないが、何かのきっかけがあればすぐさま敵対関係となるのも、戦国の世ではごく当たり前に起こりうることである。


 現在は中央に勢力を持つ織田家に対して島津家は従属的な姿勢を見せてはいるが、どこでそれが一変するかなどは神のみぞ知る、というものである。

 だが信長はその一変するかもしれぬ機会を、自ら作り出すために傍に控える蘭丸にこう命じた。


「薩摩国の島津家に文を送れ…薩摩・大隅の二ヵ国を織田信長の名において安堵する故、これ以上九州で乱を起こすべからず、これに従わぬ場合は根切りとする。 また、これを承服し大坂へ挨拶に参ずるならば、格別の計らいにて遇するものなり、とな…」


「…かしこまりました」


 信長が他家に向けて上からの物言いで命ずるのはいつもの事ではあるが、今回は少し毛色が違った。

 後半の『織田家に従属して大坂に挨拶に来るなら特別扱いもしてやる』と、分かりやすく「飴」も用意しているという点である。

 信長が島津家を警戒しているのだ、と聡い蘭丸には察しが付いた。

 そしておそらく島津家もそれを察するだろうという確信に近い予感がした。

 信長が何を考えてその様な文を送れ、という命令に至ったのかまでは蘭丸にも分からなかったが、この信長の行動が何をもたらすか、蘭丸には漠然とではあるが想像が付いた。


「島津に対する挑発、にございますか?」


「大友に引き続き竜造寺…島津は南から北へ攻め上がる上でこの二家を下しておる…しかし両家共に完全に攻め滅ぼすには至らず、またわしからの仲裁が再び入ったとなれば、島津家中でのわしへの反感は間違いなく高まっておろう…それを承知の上でわしに従うか、それとも抗うか…島津に決断を迫る」


 信長の眼は真っ直ぐに前を向いている。

 だがそこに映るのは部屋の襖や、ましてや蘭丸たち小姓ではない。

 九州の南、薩摩国を本拠とする未だ見ぬ薩摩隼人たちの強国、島津家である。

 九州の勢力争いに今までの様な形の『請われて仲裁に入る』というものではなく、信長の直接的な介入に対して、島津がどう出るのか。

 目的は違えど信長と官兵衛の両者は、共に九州に視線を向けていた。

なんだか最近短めに話を作るやり方を完全に忘れている気がします。

普通に一万文字越えって、どうしてこうなった…?

ようやく九州にも少しずつ話を向けられるようになりました、進行度合いは牛歩ですが、なんとか書き進めていきたいと思います。

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