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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その8

ようやく巻の一が終わります。

         信長続生記 巻の一「本能寺の乱」 その8



 結論から言えば、信忠は無駄死にと言われても仕方がない。

 信長の生死に関わらず、彼はこの場で討ち取られるわけにはいかない、と何とかして安土城まで逃げ延びる道を選んだのであれば、無事に京を脱出できたのかもしれない。

 事実、信忠は供の者たちと妙覚寺から二条御所へと移動したが、その後の彼と行動を共にせずに生き延びた者がいたのだ。

 織田長益、信長の弟にして信忠から見れば、年が少し離れた兄の様な叔父であった。

 彼はその後出家し、有楽斎と名乗り豊臣・徳川両政権の中で巧みに生き抜いたが、徳川政権下ではそれなりに信頼を得られたらしく、現在も東京の一等地の『有楽町』にその名を見る事が出来る。


 二条御所はその名称から混同されがちではあるが、現在も京都で人気の観光名所としての「二条城」とはまた違うものである。

 この時代の二条御所は、信長による新たな天皇擁立を考えていた誠仁親王への献上品の一つであり、その住居として用いられていた。

 信忠はこの危急の時に、妙覚寺よりもすぐ近くの二条御所での籠城戦に臨むため、誠仁親王を退去させた上で防衛態勢を整えて、明智軍を迎え撃ったという。

 しかし明智軍の猛攻には耐え切れずと、自害して織田信長の後を追うように世を去った。

 もし彼が、織田長益や他にも前田玄以といった二条御所を脱出できた者たちのように、どんな時でも生き延びる事を諦めないような性格だったら、後の世はまた違ったものだったかもしれない。


 だが彼はここで腹を切り、三法師という息子はいたものの、実質的には織田家の天下は幕を閉じた。

 そして今、信長生存を知らぬまま信忠はその生涯を終えた。

 本能寺で全滅しようとも最後まで戦い抜いた者たちと違い、信忠の周りには最後まで戦い抜かずに逃げた者たちもいたという。

 それは織田家の嫡流を見捨てて逃げた、前述の織田家一門の織田長益なども含まれる。

 信長という絶対的な君主がいなくなったことで、織田家にもはや未来無し、と悟って逃げたのである。


 ともあれ二条御所は陥落、信忠は世を去り、未だ潜伏したままの信長はその報告を聞いて歯噛みした。

 弥助の知らせが間に合えば、いや弥助以外の者に行かせていれば、そもそももう少し護衛の人数を増やしていれば、『隠れ軍監』からの報告を信忠の方にも行かせていれば。

 ありとあらゆる『あの時こうしておけば』という方法が信長の脳内を駆け巡る。

 常に先を見て、起こった行動の結果に一々後悔することのない信長が、この時ばかりは益体も無い思考に頭を振り回されていた。

 その信長の苦悩が、側にいた蘭丸には感じ取れた。


「申し訳ありませぬ。 『隠れ軍監』の者たち総出で、せめて信忠様お一人だけでも逃がす手筈を整えておりましたが、こちらの手の者がお伝えするよりも早く、あえなくご自害あそばした、と」


 フクロウは、信長の反応を恐れて頭を上げられない。

 『隠れ軍監』の甲賀忍者たちも、光秀の軍勢に精々が数十人程度しか紛れてはいない。

 その者たちだけで、万を超える光秀軍を欺き、攪乱して状況を支配し、信忠を無事救出させるというのは至難の業、というものだ。

 ましてや指揮官があの明智光秀とくれば、さらにその難度ははね上がる。

 絶対的な隠密行動が『隠れ軍監』の要であり、あまりに派手な動きをしてしまうとその存在自体が光秀に漏れ、如いてはそこから信長生存を探り当てかねないのだ。


 信長もそこは承知しているため、怒りにまかせて叱責するような真似はしない。

 何よりそんな事をしても既に信忠はこの世になく、もはや叱責などの段階は過ぎているからだ。

 考えるべきはこれからのこと。

 信忠との合流の道は断たれてしまったのだ。

 ならば次に考えるべきことは。


「光秀の様子はどうか?」


「は、聞くところによると本能寺から逃げ延びた女たちの中に、女に化けた侍が紛れていたとの風聞がございました。 その侍は明智秀満に手傷を負わせたものの、光秀を討ち取ること能わず。 その一件もあって秀満は療養のため軍を離れるも、明智軍は二条御所にそのすぐ後に攻め寄せた、と」


 必死に理性を保ちながら質問した信長の耳に、フクロウの報告が届く。

 信長はその報告を聞いて息を吐いただけだが、蘭丸は目を伏せて肩を落とした。

 力丸と坊丸はすでに討ち取られているのだろう。

 そして、おそらくはあの明智左馬助秀満によって、光秀暗殺を妨害されたのだ。

 つまり光秀は健在、そして信忠も自害して果てた。


 状況の不利を報せる報告が続き、信長は目に見えて機嫌が悪い。

 フクロウは報告しながら、すでにカラカラになった喉を、生唾を飲み込んで何とかしのぐ。

 蘭丸も、弟二人の死をあの時覚悟してはいたものの、改めて聞かされるとやはり気分が沈む。

 だが、それでも蘭丸は信長に対して言わねばらない事があった。


「上様、ふがいない弟になり代わり、心底よりお詫び申し上げまする」


 礼儀作法に則った、美しい礼である。

 蘭丸は涙一つ見せず、深々と頭を下げて信長に許しを請う。

 その蘭丸に、信長は軽く息を吐いてから言い放つ。


「あやつらはあの時すでに死ぬ覚悟が出来ておった、ならばふがいないとは言わぬ。 それにお主の弟であると同時にあの三左の息子よ、最低限の役目は果たしたのであろう」


 信長の言葉に、蘭丸の肩が震える。

 それまで極力感情を表に出さないようにしていた蘭丸が、その言葉に涙を流す。

 未だ頭を下げたままでその表情は見えないが、彼は今その感情のままに泣いている。

 弟の死に涙したのではなく、信長からのゆるぎない信頼を得ていたのだという誉れ。

 そしてかつて信長を守るために命を散らせた、自らの父の名前を出されたこと。


 蘭丸たちの父の名は森三左衛門可成、通称「攻めの三左」とも言われた、織田家屈指の猛将であった。

 信長の若き頃よりの重臣で、常に信長の命を遵守し、信長と共に幾多の戦いを潜り抜けてきた、歴戦の強者である。

 かつて「信長包囲網」と言われる、織田家を取り巻く勢力による軍事同盟が形成され、その直後に四面楚歌となった信長が、あやうく挟撃を免れた時があった。

 本能寺より遡ること十二年、元亀元年に石山本願寺が決起し、信長包囲網が完全に形成されたことを世に知らしめたその時、信長は石山本願寺すぐ近くの摂津国で、三好家残党を相手に掃討戦を行っていた。

 その時信長の背後から、浅井・朝倉の連合軍が総勢3万の兵を動員したのである。


 浅井・朝倉の連合軍は近江国を進み、摂津国で三好家残党、そしてそこに加わった石山本願寺との戦いを展開していた織田軍を背後から挟撃すべく、通り道である宇佐山城を攻め立てた。

 その宇佐山城の守備をしていたのが森可成である。

 兵数で圧倒的な差をつけられ、普通であれば迷わず籠城を選択するところを、可成は籠城して敵の大軍が信長に迫ることを良しとせず、自ら先陣を切って打って出たのである。

 第一次宇佐山城攻防戦において、可成は鬼神の如く戦い、二十倍とも三十倍とも言われる圧倒的な兵数を押し返すという、無類の強さを発揮した。

 だがその四日後の第二次攻防戦において、敵は数を頼みに間断なく攻め立て、自ら最前線で槍を振るう可成も、最後には討ち取られ壮絶な戦死を遂げた。


 しかしその後も可成の家臣たちが奮戦を続けたため、摂津国から舞い戻った信長本隊が宇佐山城近辺まで来たことで、連合軍は兵を退いて宇佐山城は落城を免れた。

 信長はその生涯において数多くの危機を経験しているが、この時ばかりは信長の天才的な閃きや高度な戦略眼ではなく、ただ純粋に家臣の命を賭けた奮闘によってその命を救われたのだ。

 そのため信長は森可成と、その家臣たちを褒め称えそれからも折につけ丁重に扱った。

 比叡山を焼き討ちした際には、その森可成を弔った聖衆来迎寺のみ一切の手出し無用を家臣に厳命し、その後も森家は一族揃って信長の寵愛を受けるようになったのである。


 無論蘭丸は父を尊敬しているし、その父が命を賭けて守り通した信長の、すぐ傍で仕える小姓という身分にも誇りを持っている。

 そしてその考えは先に逝ってしまった弟たちも同じである。

 信長のために生き、信長のために死ぬ。

 弟たち二人は信長のために死ねる栄誉を授かり、あの世で父に胸を張って報告したことだろう。

 ならば、と蘭丸は未だ涙に濡れた顔をそのままに、顔を上げて信長を見上げる。


「もし、弟たちをお褒め頂けるのであれば、何卒この蘭にも最後は上様のために死ね、とお命じ頂きますよう、伏してお願い申し上げます」


 信長の眼をまっすぐに見ながらの懇願である。

 その蘭丸の眼を、苦笑して見返しながら信長は呆れ半分に言い返す。


「詫びた舌の根も乾かぬ内に、願いを口にするとはな」


「あら、よろしいではないですか上様。 裏切りと謀反を幾度となく味わった貴方様には、どのような名刀や茶器などよりも価値がございましょう?」


 信長のぼやいた声を、しっかり聞いていた帰蝶がすかさず茶々を入れてきた。


「起きていたか、相変わらずでしゃばる女よな」


 男のものと大差ない旅装に身を包んで、横になったまま顔だけこちらに向ける帰蝶。

 その顔はどこか安らかで、そして嬉しそうだ。

 己の考えの全てを理解していた、と思っていた腹心の部下からの謀反を受けて、まだ半日程度である。

 その一方で信長のために死ぬことを望む者が、まだ目の前にいる。

 自らの信ずることのみに突き進み、常に合理的に強硬に推し進めた結果がこれなら、悪くはない。


 ただじっと傍で控えるフクロウ。

 信長と蘭丸、そして帰蝶の3人を見ていて、何とも奇妙なものだと思った。

 この時代の正室というのはあくまで形式上の物、家柄や権力などの様々なしがらみによって、強制的に縁を結ばされてそこに本人の意思が介在する余地はない。

 信長と帰蝶も元々は尾張一の実力者の嫡男と、美濃国の国主の娘という、いわば完全なる政略結婚であったにも拘らず、子がいるわけでもないのに何故か夫婦仲は良い。

 そこには形式上だけで長年連れ添ったという冷めきった夫婦間ではなく、未だにお互いが好きな事を言い合う、まるで同性の悪友同士の様な奇妙な連帯感があった。


 その一方で信長は才気あふれる若者を好む。

 これもまたこの時代であれば、普通の考えとしてあったいわゆる衆道である。

 特にその寵愛を受けたのが目の前にいる森蘭丸である。

 蘭丸自身の才気と、父親譲りの忠誠心。

 信長が特にこの小姓を好む理由は、そういう所にあるのだ。


 多くの者の無理解・裏切り・寝返り・謀反といった、まさに戦国時代だからこそ起こりうる様々な体験を、この上なく味わい続けた信長には、こういう者も側にいるのだ。

 ただ命令に忠実であれ、命令を果たすことは自身の命よりも優先される。

 そういった考えで育てられた忍びであるフクロウには、その三人がとても眩しく見えた。

 信長はゆっくりと壁に身体をもたれかけさせて、天井に顔を向ける。

 そして少しの間目を閉じて、ゆっくりと目を開けてから口を開いた。


「決めたぞ、我らは三河へ向かう」

 

 そう言い放った信長の眼には、すでに次に見据える何かが映っていた。

冗長な物語にお付き合い頂きありがとうございます。

ようやく六月二日が終わります、たった一日だけの出来事に8話も掛かってしまって申し訳ありません。

次回の『巻の二「山崎に集う」その1』も、二日以内には投稿予定ですので、引き続きご覧いただければ幸いです。

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