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信長続生記  作者: TY1981
118/122

信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その5

年末年始休みなんてなかった!

とりあえず今年一年なるべく無事に済むようお祓いには行きました。

今更過ぎますが明けましておめでとうございます、今年も何卒よろしくお願いいたします。

          信長続生記 巻の九「叛逆の胎動」 その5




 足利義昭の前に姿を現しその場ですぐさま丸め込んだ黒田官兵衛は、早速足利義昭の名でもって各地の対信長に使えそうな人材を絞って文を送る様に進言した。

 無論これは義昭が今まで散々やってきた事と何ら変わるものではない。

 だが今回は送る相手を吟味し、そして文の内容に官兵衛の監修を入れた。

 まず第一に織田家と対立、あるいは同盟を組んでいない大名家に送るという点は同じでも、送り先を当主にするのではなくその家臣にしたり、信長に従う事を選んだ大名家にも送り付けたのである。

 一歩間違えれば自らの首すら絞めかねない、危険な一手とも言える。


 だが黒田官兵衛はそれで構わなかった。

 足利義昭は『自らが頭となっていること』に拘る男である、だからこそ官兵衛にとっては都合が良い。

 義昭の文には黒田官兵衛の名は一切記さず、ただ『織田家中に潜む将軍直々の密告者によると』という一文を添えた極秘情報を流す、という体を取った。

 足利義昭は信長によって京を追われた、だが未だその志は健在にして、信長の懐深くに手の者を送り込むだけの手腕を持っている。

 手紙の送り先にはそう思ってもらった方が良い、という官兵衛の入れ知恵を義昭はそのまま信じ込んだ。


 そして文の内容には『信長は確かに生きている、だが既に病を得てそう遠くない命である、このまま従い続けても先は長くない。 余は信長の死を契機に再び挙兵する、それまでは信長に適度に従いつつも時を稼げ、そして余の挙兵をもって織田家を駆逐する戦を始める、それまで万事怠りなく準備せよ』というものだった。

 信長が病を得ている、というのは確かに事実でありそれもごく僅かな近臣しか知らぬ情報である。

 それ故にこの手紙を送られた者も「またお手紙将軍様からの檄文か」と、眉唾物の話としてまともに取り合わない可能性もある。

 だが黒田官兵衛はそれで構わないと思っている。

 要はこれもまた楔の一つであるからだ。


 『信長が病を得ている』という話が、かねてから敵対していた足利義昭からの文に書かれていただけ、となれば眉唾と思う者も多いだろう。

 義昭の都合の良い妄想と、鼻で嗤う者もいるかもしれない。

 だが複数の筋から同じ情報がもたらされた場合、それは疑念に変わってくる。

 まずは足利義昭による文で『信長の病』の情報を全国に流布し、その後で別の方面からまた更に『信長の病』の情報を発信する。

 先に文で『信長の病』の情報を得ていた者は、頭の片隅にでもその話が残っていれば、まずその話の真偽を問うための確認に走る。


 たとえそれが信長に従うことを(よし)、とした者であったとしても。

 いや、むしろ信長に従うからこそその情報の出所と真偽の確認に躍起になるだろう。

 そうなれば信長が性急に進めていきたいであろう天下の掌握に、必ずや足枷となる。

 信長がいかに優れていようと、そして決断力と行動力に富んでいようと、それがただ一人の人間である以上やれる事も出来る事も限られる。

 官兵衛からしてみれば、信長が描く天下掌握の絵図面の完成を、少しでも遅らせればそれで良い。


 信長には時が無い、そして信長が死ねばまた天下は荒れる。

 ならば官兵衛は表に出る必要が無い、あくまで水面下で動き続け、信長のあらゆる方面での影響力を少しづつ削ぎ続ければ、信長は病による時間切れを迎える。

 そのための隠れ蓑であり、いざとなれば斬り捨てるためのトカゲの尻尾が、名前だけは残っている足利義昭だった。

 かつての『信長包囲網』と言われた織田家存亡の危機の際にも、義昭は自ら挙兵して信長に止めを刺さんと対決姿勢を明らかにしなければ、裏で暗躍しつつも言い逃れや誤魔化しが効いたはずだった。

 信長も義昭に利用価値がある以上、明確な敵対行動を取らない内はあえて見逃してもいた。


 だが流石に京で挙兵し、対信長を明らかにした以上信長も容赦はしなかった。

 『室町幕府将軍』という看板の利用価値よりも、ようやく馬脚を現した愚か者を成敗する、という方針に舵を切った信長は電光石火の勢いで義昭がいた槙島城を攻め、瞬時に降伏させた。

 結果として信長は命までは取らないものの、義昭を京から追放し室町幕府を事実上消滅させた。

 古き権威の一つであり、老害と化していた幕府の弊害を世の中から取り除くという、信長が後世まで改革者として謳われる行動の一つである。

 義昭はあえて泳がされている事にも気付かず、自身の虚栄心や功名心を優先させ、自ら退路を塞いで戦に挑んだ結果信長に敗れたのだ。


 その後義昭は二度と信長に敵対しないと誓って西国に向かうも、誓ってから一月も経たずに『信長誅すべし』の檄文を全国各地の大名に送ったという話もある。

 だがいくら将軍の座に居座り続けようと、既に権威も何もなくなった義昭の命令などどこの大名も聞く耳を持たなかった。

 その中で毛利家のみが、天下を狙う為というよりも「一応は将軍だったので仕方がないから隠居所くらいは」というつもりで領内に隠棲させていたくらいであった。

 そんな義昭の前に、ほぼ十年ぶりに新たに家臣になりたいと願う者が現れた。

 しかもそれが憎き信長を討つためと、義昭の悲願を共に叶えんと誓う者であるのだから、義昭からすれば迎え入れない理由はない。


 官兵衛に利用されるがまま、次々に文を書き続け、それを全国の大名へと送り続ける義昭。

 送る相手は西国は毛利家の外交僧・安国寺恵瓊、四国は土佐国の英傑・長宗我部元親、豊後国(現在の大分県)の名門・大友義統(よしむね)、伸長著しい薩摩国の島津義久など。

 そして東国は北国の要である越後国の上杉家執政・直江兼続、さらに上杉家の目の上の(こぶ)となっている新発田重家、信長に従う事を決めた相模国の北条氏政、さらに未だ態度を鮮明にしていなかった常陸国の佐竹義重や、奥羽の伊達輝宗(実はこの時点ですでに家督は嫡男・政宗に継承)など。

 それらの者たちへの書状を書き終えた後の義昭を官兵衛は恭しく労いながらも、さらにもう一人書状を送って欲しい人間の名を口にした。

 その名を聞いた瞬間、それまで嬉々として筆を取っていた義昭の顔が、見る見る内に怪訝なものに変わっていく。


「徳川、家康とな…? あやつは信長めの腰巾着ではないか! あやつになんぞ送った所で――」


「はい、だからこそにございます」


 憤る義昭に、顔に笑みを張り付けた官兵衛が「恐れながら」と前置きしてから語り出す。


「徳川は信長の無二の朋友、なれば信長の病の事を知っている可能性もございます、その時はどこから信長の病の事を嗅ぎ付けられたか、と疑心暗鬼に陥らせます…また知らぬ場合は、その様な大事なことを教えてくれなかったのか、と徳川が信長へ不信の目を向けましょう…いずれにしろ織田・徳川の間に溝を作れれば、今後はより一層信長を孤立させやすくなりましょう…」


 官兵衛が淀み無くそう言い放ち、その顔は自信に満ちていた。

 その態度と論調に自然と頷いた義昭は、今度は見る見る内に顔に笑みを浮かべさせて、すぐさま筆を手に取り新しい紙を用意し始めた。

 それを満足そうに見て、傍から見れば将軍に敬意を示しているかのように官兵衛は頭を下げた。

 だが頭を下げた事で義昭の視界から逃れた官兵衛の表情は、いつもの無感情なものと冷めた瞳に戻っていた。

 少しおだててやれば、あるいはそれらしいことを言ってやれば後は勝手に調子に乗ってくれる義昭に、官兵衛は内心で溜め息を吐いた。


(その様に上手く事が運べば苦労はあるまいに…だが徳川家中の者とて信長には良い感情を持たぬ者も少なからずおるであろう…そやつらが徳川の足枷となれば儲けものよ…)


 そもそもが裏切り寝返りが横行する戦国の世において、たとえ相手が信頼出来る家臣や同盟相手だからと言っても、中心となる存在が病であると打ち明けるなど不用心にも程がある。

 一代で成り上がりその家を大きくした存在が病となれば、今後その家は立ち行かなくなる可能性が高いと誰もが気付く。

 そうなったときそれを聞かされた存在はどう思うか。

 ある者はより深い忠誠を抱き、その家の今後のために身を粉にする決意を固めるかもしれない。

 またある者は即座に寝返る算段を付け、直後から水面下で何かしらの動きを始めるだろう。


 織田信長、という存在は間違いなく今のこの日ノ本において、比類無き大きな存在となっている。

 だからこそその一挙手一投足には常に注目が集まり、その口から発せられる言葉は大きな影響力を発揮する。

 そんな存在が病であると、二十年来の同盟相手である徳川と言えど、明かされているはずもない。

 織田と徳川の同盟は当初こそ対等であったかもしれないが、年を追うごとに明らかに織田にその比重は傾き、ここ十年程は完全に属国扱いと言っても過言ではなかったはずだ。

 当主・家康は忍従を誓っても、その家臣まで果たして同じ気持ちでいられるか。


 有り体に言えば徳川家臣団による「信長降ろし」が起これば、あとは勝手に織田・徳川の間に溝は出来、そして深まっていく。

 そんな簡単なものではない、という事は官兵衛自身分かってはいるが、それでもあの織田信長という男の事を快く思わぬ家臣は少なくないはずだ。

 今は実らずとも今後信長が徳川に何かしらの命令を下した時、その命令に従いたくなくなった時こそ、その種は芽吹き花を咲かせるやもしれぬ。

 自分はそれを隠れて待つ、信長の時が尽きるのを待つ。

 ふと顔を上げると、使い慣れた筆を淀み無く走らせている義昭が目に入る。


 官兵衛の都合の良い言葉にすっかり乗せられた義昭は、嬉々として文を書き続けている。

 それを極めて冷淡な感情を隠しながら眺める官兵衛。

 かつては信長によって傀儡とされた男は、今またその信長を討たんとする男に傀儡とされていた。

 しかし本人だけはそれに気付くことなく、信長追討の書状を書き続けている。

 官兵衛の中で、義昭をどの時点で捨て駒にするかの計算は既に始まっていた。




 官兵衛が義昭の前に姿を現してからわずか数日の後に、そこから最も近い地にいた安国寺恵瓊の下に義昭からの書状が届けられた。

 恵瓊の下に届いたその書状にだけは官兵衛が書いた添え状も付けられており、それを目にした恵瓊は頬をピクリと震わせる。

 やや戸惑いつつも恵瓊は不敬であることを知りながら、将軍からの書状よりも先に添えられていた官兵衛からの書状に目を通し始めた。

 将軍直々の書状、とは言うものの既に室町幕府の権威も実態も形骸化している現状では、既に敬いの対象ではなくなっているのである。

 そして官兵衛の書状に書かれていた内容に、眼を見開いて身体を震わせた。


「わしに……輝元を(そそのか)せというのか…」


 今この場には恵瓊以外の何者もいない。

 故に恵瓊は自らが仕えている毛利家の現当主であり、憎き仇である毛利元就の嫡孫である輝元の名を呼び捨てにしていた。

 そしてこの時の恵瓊の顔には確かな動揺があった。

 だが官兵衛の手紙に慄く自身の心の中で、もう一人の客観的な物の見方をする己が声を上げた。


(たしかに、信長の再臨によって『いずれ織田家は高転びするであろう』と唱えていたわしの言葉は、先の読めぬ坊主の戯言などと嘲笑われた…毛利家中でのわしの地位は、失墜まではいかずとも揺らいだことは間違いない…だが、だがしかし…毛利を織田から離反させるとなれば…)


 安国寺恵瓊の元に届けられた黒田官兵衛からの書状、そこには現在の恵瓊の立場が危ういものとなっているであろうというものと、それらの状況を打開し一挙に輝元の右腕と成り得る一手が記されていた。

 名家出身の坊主という地位を利用し、毛利家の外交僧という地位だけでは成し得ぬ、独自の人脈も形成していた恵瓊である。

 毛利家のためではなく、己個人の人脈をもって毛利家すらも煙に巻き、独自の家臣団すら形成するという強かさを持っていた恵瓊は、史実において秀吉から独自に二万三千石の禄を得て、毛利家に仕える外交僧でありながら秀吉の直臣になるという、極めて異質な地位を獲得する。

 これには恵瓊自身の強かさもあったが、秀吉の対毛利戦略の一環でもあった。

 恵瓊の立場・性格を読み取って恵瓊個人に秀吉から直接領地を与え、毛利よりも自身に忠誠を誓わせようとする離間の策であったが、これは秀吉と恵瓊だから起きた事である。


 信長も例え心の内が怪しい者であっても、その能力が高くそれを自身のために活かすのならば、とあえて見逃していた存在はいた。

 その筆頭がかの有名な松永弾正こと松永久秀である。

 当時敵対していた三好家の重臣という地位にありながら、信長の畿内進出時には真っ先に降伏して信長に臣従を誓い、その後は忠臣のように動くか思えば突如として反旗を翻す。

 最後は自刃とも愛用の茶釜である『平蜘蛛』に火薬を詰め込んで爆死した、と言われるなどの逸話には事欠かない人物ではあるが、彼ほど信長にその能力を認められ、寛容に扱われた人物も珍しい。

 だが恵瓊が第二の松永久秀になれるかと言えば、まず答えは否であろう。


 信長の転落を予見した、と言えば聞こえは良いが事実今この時、信長は生きている。

 他でもない恵瓊自身が信長の表舞台復帰の瞬間に立ち会ってしまった光景が、今も恵瓊の脳裏に刻みついて消えてはくれない。

 そしてその瞬間から恵瓊のその後の展望は大きく狂わされた。

 それまで恵瓊の中では信長に明確な恨みはなかったが、己の想い描く未来を台無しにされた、という意味で今では元就に次ぐ憎悪の対象だ。

 そんな恵瓊の心情を読み切っていたからこそ、官兵衛は毛利家当主・輝元ではなく、頭が切れる上に信長を憎んでいるであろう恵瓊に文を送ったのだ。


「あの男さえ、信長さえ地獄から舞い戻って来なければ…わしを先見の明のある名僧として、毛利の重臣連中ですらわしを無碍には扱えなんだというに…信長が戻った途端にあやつらめ、掌を返した様にわしを愚僧扱いしおって…」


 官兵衛からの書状を握り締めながら、恵瓊は大坂に行く前と帰って来た後での、周囲からの視線と扱いに露骨な差が生じている事に我慢がならなかった。

 誰も彼もが恵瓊が通る前を素通り出来ず、対面から歩いてきた重臣ですら道を譲り、一門衆筆頭である『両川』、吉川・小早川に次ぐほど毛利家中において権勢を誇った。

 それが今はどうだ、重臣は不機嫌そうに鼻を鳴らして目の前を通り過ぎ、見張りの兵すら形だけ軽く頭を下げるだけとなっていた。

 元々が名家の血を継ぐ出自であり、既に毛利に滅ぼされてその名跡は過去のものと言えども、自らの家を滅ぼした毛利家の重臣が、自身に頭を下げたりする様は何とも言えぬ快感であった。

 それが今や雑兵にすら軽く見られる始末というのは、一度持ってしまった高慢さを手放せない恵瓊からしてみれば耐え難い恥辱であったのだ。


「上手く立ち回れば『両川』の奴らをも出し抜ける地位に就けたであろうに…輝元如き若造、わしの意のままに操って毛利を乗っ取る事が出来れば、これもまた安芸武田家の再興に繋がるやも知れぬか…」


 憎々しげにそう呟く恵瓊の手の中には、握り潰された官兵衛の書状がある。

 『毛利家中で立場を失いかけているであろう貴僧に、旧交ある某より御助力致さん』という一文で始まるその手紙は、西国の要となる毛利家が面従腹背を続け、やがて信長に牙を向けるよう毛利家を誘導し続けて欲しい、というものであった。

 官兵衛のその誘いに乗る価値は、ある。

 毛利家を内側から乗っ取り若き当主・輝元を己の傀儡にし、単なる一外交僧から西国最大の大名家の実権を掌握する、影の支配者へと上り詰める。

 官兵衛の誘いに乗り、上手く事を成し遂げた暁には己が望むものが手に入る。


 安芸武田家を滅ぼし、その後であえて恵瓊を取り込んだ仇敵・毛利元就の孫を己が傀儡に貶める。

 想像するだけでも黒い感情で口元が歪む。

 どうせこのまま毛利に忠誠を誓って外交僧を続けても、吉川・小早川の『両川』に並ぶどころか重臣にすらなれぬ可能性が高い。

 ならば安芸武田家が滅んだ際に既にこの世に生きる場所は無しと思って仏門に入り、毛利家中での栄達の可能性も含めた信頼も失ってしまったこの身である、賭けに出るのならば見返りが大きいものに身を投じるべきかもしれぬ。

 恵瓊は握り締めていた官兵衛の書状を開いて、丁寧にしわを伸ばしてもう一度読み込む。


 読み込んだ後は無言でその書状をたたみ、次いで足利義昭からの書状に目を通した。

 字だけは流麗なものではあるが、よほど興奮しながら書いたのか文脈におかしい所が見受けられた。

 それでもしっかりと意味は伝わり、要は「病気の信長恐るるに足らず、室町幕府再興のために忠勤を示せ」という、なんとも上から目線の気概しか感じられぬ内容であった。

 明確な指示や方策など一つも無く、ただ単に『信長憎し、自分のために働け』と、それを延々繰り返すだけのものであった。

 恵瓊は読み終えてから深く息を吐き出し、開いたままそこらに放り出すようにしてまた官兵衛からの書状を手に取る。


「将軍を後ろ盾にしておるのか……あの日より大坂でもとんと見かけぬと思うたが、よもや将軍と繋がっておろうとは…この事を輝元や信長に密告しても、得られる物などは微々たるものであろうな……」


 そしてこの将軍はほとんど無差別と言っていいほど各地に書状をばらまく男である。

 となれば自分に宛てたものと同じような文は、おそらく日ノ本各地に出されていることだろう。

 そこまで考えて、恵瓊は毛利家の現状を思い起こす。

 時節は十一月、雪深い山陰を中心に領地を持つ吉川は領国に戻っている、小早川は当主・隆景が四国の長宗我部征伐に動いている。

 大国毛利家の当主・輝元といえど頭が上がらぬ叔父二人が、こぞって輝元の側にはいない。


 なにより最も邪魔をしてきそうな存在が、瀬戸内を挟んだ向こう側に行っている。

 「好機」という言葉が恵瓊の頭に閃く。

 そしてその考えに至った己に、恵瓊は自身の事でありながら思わず笑いが込み上げた。


「ふ、ふふ…ふふふ……ふははははは……好機と! 好機と思うたか! ならわしの中で、とうに肚は決まっておったという事よ!」


 思わず立ち上がった恵瓊は、声を上げて笑い始める。

 この瞬間、確かな証拠はなくとも恵瓊は官兵衛の誘いに乗る事を決めた。

 己が未来の事も、日ノ本の事も、この時の恵瓊の頭には欠片も思い起こされず、ただ己が復讐を果たそうとすることを邪魔立てする者への憎悪に塗れていた。

 信長を滅し、毛利を貶める。

 ただその事のみを頭に思い描いた恵瓊の眼は、既に狂気を孕み始めていた。




 恵瓊の所に文が届いてからそれよりさらに数日の後には、瀬戸内の海を越え、さらに土佐国の国境付近の監視をも乗り越えた百地丹波配下の忍びが、長宗我部元親の居城・岡豊(おこう)城へと辿り着いた。

 将軍からの密使を名乗り、元親へ義昭からの文を渡すよう伝えると、長宗我部家の家臣は形だけは丁寧にそれを受け取った。

 そしてその文が元親の手に渡り、元親はいつものように苦笑交じりにその文を流し読む。

 サラッと目を通しただけで息を吐き、「信親と親泰(ちかやす)を呼べ」と近習に命じた。

 ほどなくして現れた息子と弟に、元親は将軍からの文を片手でヒラヒラとさせながら苦笑する。


「また例の将軍の御内示よ、しかも今度は『信長が病を患っている今が好機』と言うてきた。 我らの現状を見てもこれを好機と言うたなら、なかなかの剛毅さよな」


 苦笑の度合いが一段階深くなる。

 元親の顔には呆れの色合いも含んではいるが、弟の親泰は顔を強張らせながら身を乗り出して進言した。


「兄上、将軍の申されること…存外間違ってはおらぬのでは?」


「ほう……何故そう思った?」


 元親は一拍おいて親泰に問い返す。


「報告によれば信長は大坂で再び姿を現して以来、京で帝に拝謁した後は紀伊に向かったとのこと。 精力的に動いてはおるものの戦には出てはおらぬ…代わって四国(こちら)に来たのは徳川軍で、しかも織田の増援の中には、信長自身が来てはおらぬという…病という線もあり得るのでは?」


 親泰の言葉は確かに四国・畿内に放った様々な密偵たちが、命懸けでかき集めてきた情報である。

 その情報は無論元親や信親の耳にも入っており、元親も「一理ある」と思い黙って聞き続ける。

 信親の方は露骨に何度も大きく頷いている。 

 自身に万が一があった際、向後を託すべき二人から揃って「信長は病では」という意見が出され、元親は少しだけ物思いに耽る。

 信長の病、これを真実として仮定する、そして同時に信長の病がただの将軍の都合の良い妄想であったなら、というもう一方の可能性も想定を行う。


 それぞれの場合において信長、そして織田家、さらに徳川などの同盟者がどのように動くかを、元親は己の頭の内で想定していく。

 さらに自身が信長ならば、その様な事態となったならどのように動くか。

 元親はどこを見ているのかも分からない、だが真っ直ぐとした眼で今その目の前ではないどこかを幻視する。

 そうなっている時の元親には言葉をかけないのが、長宗我部家の暗黙の了解だ。

 特に近しい立場である信親と親泰は、黙って身じろぎ一つしないままに元親の考えがまとまるのを待ち続ける。


 待つ事暫し、ようやく元親の思考が形を帯びたのか、元親が大きく息を吐いた。

 どのような形にまとまったのか、逸る気持ちを抑えながら二人は元親の言葉を待った。

 出来ればここは徹底抗戦を唱えて欲しい、信長が出てこないのなら勝機はあると、自身が最後まで付いていくと決めた兄の口から言って欲しい。

 親泰の眼は期待を込めて瞬き一つしない、信親も固唾を呑んで父の言葉を待っている。

 だが期待に反して、元親の口から出たのは力無くやるせない言葉であった。


「織田に降伏・和睦の使者を向かわせる…長宗我部(われら)の負けよ」


「兄上!?」


「父上、それは…」


 二人が同時に声を上げるのを、元親は一つ頷いてから口を開く。


「まずは信長の病が事実では無かった場合、これは何も変わらぬ…これまでと同じように土佐国国境付近にて睨み合いが続く…そうなれば土佐国内で商いが滞る、広大な支配地を持つ織田とは違い、土佐一国のみではわしの考えるやり方を続ける事は困難じゃ…いずれは屈する事となろう」


 元親がそう言うのには理由がある。

 元々土佐国という地は確かに南側が大洋に面しており、海からの恵みが豊富な土地である。

 だがその一方で瀬戸内の海とは一切接しておらず、これは南蛮をはじめとする海外貿易の最大の航路の恩恵に預かれない事を意味している。

 もし瀬戸内ではなく土佐国を回る航路の場合、四国を丸々迂回する海路を通る必要があり、その手間は莫大な物となるので商人も好んでは使わない。

 無論全くいない訳では無いが、その場合どうしても足元を見られてしまう為、交易にかかる費用の増大は避けられない。


 さらに元親の、長宗我部家の支配体制下では年貢の割合が「二公一民」であるため、六割以上が年貢として納めさせられる。

 これは当時の年貢の度合いとしてもかなり厳しいもので、いつ一揆や農民の逃散が起きてもおかしくない水準であった。

 事実長宗我部の領内では一揆はともかく、農民の逃散はそれなりに起きていたため、厳しい罰則で縛りつつも商業の発展による政策で国内を安定化させていた。

 年貢は確かに厳しいが、その一方で土佐国内を豊かにすることが出来たため、「一領具足」衆をはじめとして元親を慕う者たちも多く現れた。

 だがそれも土佐国の国境線が敵対している織田・毛利によって塞がれてしまっては、土佐国外からの物資の供給に支障をきたし、長い目で見れば商業の衰退を招く。


 さらに元親の得意とする鉄砲隊の運用にも、南蛮貿易で得られる硝石などが必要となる。

 全く入手出来なくなる訳では無くとも、今後の戦を考えれば入手量が減るのは痛すぎる。

 そして鉄砲が撃てなくなった場合、残る手段は足軽・弓・騎馬などがあるが、これらはどれも敵に劣るものである。

 そもそもの総兵力が敵より少なく、また馬に至っては四国の馬は全体的に小さく、それに合わせて馬力も本州の馬に比べて少なめで、騎馬隊を組むのは不安要素が多すぎる。

 それらを考えるとこのまま戦っても、どうしても事態が好転する気がしない。


「今なら銭も蓄えがある、米も収穫が間に合った。 向こう一・二年は盤石に戦ってみせよう…だが信長が病でないなら一・二年で状況が劇的に好転する事は難しい…抗し切れなくなってから降伏となれば、土佐一国どころか長宗我部一族全員が斬首、などにもなりかねん…」


 元親の言葉に、若い信親が生唾を呑み込んだ。

 親泰も苦い顔をしながらも額に浮かぶ汗を止められない。

 共に口を噤んだままなので、元親が言葉を続ける。


「一方の本当に信長が病であった場合、これは却って危機を招きかねん…病から来る焦燥は、あらゆるものに目に見えた成果を求めたくなるはず…なれば徳川と増援で来た織田の混成軍は、遮二無二攻め立てて来ようぞ。 さらに毛利を加えた日ノ本有数の勢力を持つ三家による土佐国同時侵攻が行われれば、我らにそれを防ぐ手立てはない…」


 元親が断言した通り、そうなった場合の敵の総兵力は果たしてどれほど膨らむのか。

 それぞれが万を超える軍勢を有しており、毛利は総大将に音に聞こえた小早川隆景、織田の増援には信長の信頼厚き側近・佐々成政、徳川に至っては当主・徳川家康自らが来ている。

 四国全土に放っている密偵たちによって、すでに敵の陣容はある程度把握は出来ている。

 だがそれ故に状況の厳しさはより鮮明に映る。

 離間の策を仕掛けようとしても、毛利軍の分隊が徳川軍と接触を図った、という報告も上がって来ており、やはり付け入る隙はありそうにない。


 土佐国は東西に広く東は徳川軍が居座る阿波国に、西は毛利軍が制圧した伊予国に広く接しており、到底全ての地域に守備兵を配置出来るものではない。

 数が多いだけの烏合の衆ではなく、歴戦の指揮官がそれぞれに存在している点も元親の判断材料の一つとなった。

 徳川や毛利も長対陣となればいずれは限界が来るであろう、しかしその頃にはこちらも相応の痛手を被っている可能性が高い。


「言いたくはないが我らはもはや詰みかけておる…ならば現時点では負けを認め大人しく降伏する、その上で土佐一国安堵以上の条件を引き出すのが最良の手となろう…かつては阿波国南半分も付けてやるから軍門に降れ、とあったが…此度は難しかろうな…」


 かつては元親と信長には対等の同盟があった。

 これは地理的にちょうど阿波国を本拠とする三好家が両家の間に存在し、それを挟撃する事を目的としたものであって、この時点では信長とは敵対関係では無かった。

 だが三好家の凋落と元親の伸長が著しく、このままでは四国は完全に長宗我部の手に落ちると危惧した信長は、土佐国と阿波国南半分を安堵とし、臣従を誓えと迫った。

 これに反対して信長との同盟を破棄した元親は、以後は織田家と直接的な戦は無かったものの、かつては共に敵対していた三好家の残党などを上手く使われ、四国統一を果たせないままであった。

 そして信長は本能寺に消え、今は無き信長の三男・信孝を総大将とした四国征伐作戦も立ち消えとなった。


 だが今はかつての四国征伐作戦以上の危機的状況となっている。

 土佐国外の領地はそのほとんどを奪われ、今は土佐国という大きな城の中に籠城しているも同然だ。

 以前はまだ勝算もあった、今も全くの零ではない、だがかつてほど高く勝ちの目を計算できない。

 ならば長期的な視線で物を見て、一時とはいえ臣従して生き残りを図るだと元親は判断した。


「使者を出す…忠兵衛を徳川の陣へ遣わせる」


 忠兵衛こと谷忠兵衛忠澄(たにちゅうべえただずみ)は、土佐神社の神主であった男だが元親に求められて家臣となり、主に家中では外交を担当している男である。

 そんな男を向かわせる、という事は元親は本気で降伏をするつもりであるという事だ。

 元親の決定に、二人が悔しそうに肩を落とす。

 だがそれも致し方なしと拳を握りしめ、奥歯を噛み締めて悔しさを堪える。

 そんな二人の顔を覗き見た元親は、苦笑しながら二人にそっと囁きかける。


「せっかくだ、我ら三人で大坂へ向かうか?」


「は……はぁッ!?」


「ち、父上? 我ら三人で、大坂とは…?」


「大坂におる信長に、我ら三人で頭を下げて降伏しに行くのだ…当主とその弟と嫡男、我らが一斉にいなくなれば長宗我部はもはや立ち行かぬ…だからこそ行く価値がある! 心から負けを認めたという心証を与えるのだ…信親に至っては片諱を頂いておる故、人質として連れて来たとも言ってな」


「何を考えておられる兄上! それでもし手討ちにでもされれば本当に長宗我部の御家は終わりぞ!?」


「家のためならば質に取られるも致し方なし、とは覚悟しておりますが…話が急すぎて付いていけませぬ!」


 元親の突拍子もない言葉に、ただただ翻弄されて狼狽する二人。

 だがそんな弟と息子の態度を見て、相変わらずの苦笑を浮かべている元親は事も無げに言い放った。


「信長とて我ら三人全員を始末できれば、四国の制圧自体は早まろう…しかしその後は却って手間取るぞ、なにせ当主自ら一族の中心人物を連れて降伏に参ったというのに、事もあろうに討ち取ったなどという話が広まれば、信長の名声とて地に堕ちる…あの男はそれを望むまい…」


「いやしかしだ、信長は一向宗の門徒たちを何万何十万と殺しておると聞く! そんな血も涙も無い男が、敵の大将を前にむざむざ見逃すような事を――」


「する! 信長はするであろうよ、真に天下を掴もうとする男なら、わしが信長なら絶対に殺さぬ!」


「某を人質として同行させるのも、長宗我部に異心無しを鮮明とする為でございますな?」


「ああ、そして我ら三人で信長と直に会うて病かどうかを確かめる、そして信親を人質として大坂に置き、逐一上方の情報をこちらに回してもらう…という算段よ」


 どうだ、と言わんばかりな顔の元親に、二人は互いに顔を見合わせる。

 そして数瞬の後に同時に頷く。

 元親に向き直った二人の内、まずは息子の信親が口を開く。


「畏まりました、なれば某が大坂にて信長めの懐を探りましょう」


「急ぎ我らも大坂行きの算段を付けましょう…今からであれば降伏するに当たり、織田様に新年の祝いを賀し奉る、といった名分も用意出来ますれば…なるべく自然に、機嫌を損ねぬように致しませぬと…」


「そう気負わずとも良い、わしの妻と信長の正室は共に美濃国生まれという縁がある、此度もそれを利用してやろうではないか」


 信親は決意を、親泰は具体的な行動指針と理由付けなどを口にし、その気持ちの切り替えの早さに元親は満足そうに頷いた。

 この二人も納得したとなれば、家中もそこまで猛烈な反対はしないであろう。

 先の徳川との一戦、さらに毛利軍の四国上陸もあって、土佐国内はいつ攻め込まれるかという不安感に包まれながら日々を送っている。

 まずはその不安を取り除き、その上で降伏すれども領地安泰を目指す、という事を明確にすれば少なくとも戦時下に置かれるよりかは心穏やかに過ごせるであろう、というのが元親の考えだ。

 だがその目標が果たしてどれだけ困難な事か、親泰と信親の二人にも決して語りはしなかったが、元親は薄々感じ取っていた。


「さて、今後は上様とお呼びせねばならぬか……生まれた時期が悪かったな…」


 北東の、大坂のある方角の空を見ながら一人呟く元親であった。

ようやく「巻の九」の題名通りの展開になりました。

ただ更に登場人物が増えそうな展開に…(泣)

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