信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その4
なんとか年内更新が間に合いました。
今年も一年皆様の貴重な御時間を拙作に割いて頂きありがとうございました。
信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その4
吉川広家の指揮する毛利軍五千は、呆気ないほど簡単に東伊予を制圧していった。
長宗我部軍はその兵の多くを土佐国へと引き上げさせており、徳川・毛利という二つの軍勢に対して戦力を集中させて、防備を固めるという方針を取ったという証である。
河野家の家臣達の案内もあって、さして時間もかけずに広家は伊予国と阿波国の国境付近へと歩を進める事が出来た。
無論その間に徳川方へ使いを送る事も忘れない。
互いに自分たちの領地ではない場所へ軍勢を進めている以上、何かのはずみで遭遇戦となってしまっては目も当てられない。
一応は徳川と毛利は自分たちの上に織田家、というより信長を置く事によって同盟関係を結んではいるが、それでもほとんど馴染みの無い軍といきなり仲良くなどは出来ない。
ましてやここは徳川にとって未開の地である四国、その上敵地でもある。
常に厳戒態勢となっているであろう軍勢に不用意に近付けば、いきなり矢を射かけられたりしても文句は言えない。
そのため広家は自分たちの軍勢に吉川家の家紋である「三つ引き両」の旗と、毛利家の家紋である「一文字三ツ星」の二つを並んで掲げさせ、自分たちの所属を遠目からでも分かる様にさせた。
徳川と何度か使者の往来を行い、広家は徳川軍に合流する形でようやく家康と対面を果たした。
「よう参られた吉川殿、徳川参議家康にござる」
家康が一番奥の正面に、そして左右に本多忠勝、榊原康政、大久保忠世、本多正信、井伊直政らがズラリと並び、陣幕に入ってきた広家を一斉に見やる。
その居並ぶ顔ぶれに、若い広家が少しだけ気圧された。
この中では唯一の若手にして、最年少の井伊直政が広家とは同い年ではあるが、その身に纏った空気が既に違っていた。
片や大国毛利家の片翼を担う吉川家の者とはいえ気ままに生きてきた三男坊、片や井伊家再興の期待を一身に背負わされし若当主、その身に抱えた気概は雲泥の差だった。
わずかに唾を呑み込みながら、己を奮い立たせて広家は立ったまま頭を下げた。
「お初にお目にかかり申す…吉川駿河守が三男にして四国遠征軍副将を務めております、吉川広家にございます、以後よしなにお見知り置きの程を」
舐められる訳にはいかない。
気に食わぬ、馬鹿らしい、と思って秀吉の前であえて無礼を働いていた時とは状況が違う。
今の自分は吉川家の家名を背負い、叔父である小早川隆景の名代としてこの場に居るのだ。
家康を筆頭に、それぞれが纏わせている歴戦の強者の気配を前に、怯んでいる姿など見せる訳にはいかなかった。
広家が顔を上げると同時に家康は頷いて、広家の目の前に置いてある床几に座るよう勧めた。
「まずはお互い無事での顔合わせが成ってなにより…されば今後のことにござるが――」
家康が顔に柔和な笑みを張り付けてそう口にした。
その柔和な笑みが、あくまで愛想笑いの類であるという事は若い広家にも分かる。
年長者であり、立場が上の者が下の者に見せる余裕、というものに分類される笑みが家康にはあった。
別段敵対している訳でもなく、また実際あらゆる面において家康の方が長じている事が理解出来るようになった今の広家には、余裕を見せる家康相手にも冷静さを失わないでいられる。
だからこそ、小早川隆景からあらかじめ言い含められておいた提案を口に出せた。
「それについては、こちらより先に話しておきたき事がござる」
「ほぅ、お聞かせ願いましょう」
広家が家康を真っ直ぐに見ながら口を開くと、周囲の者たちも一斉に広家に「お手並み拝見」という視線を向けた。
家康はあくまで丁寧な物腰で広家に話の先を促す。
怯むな、落ち着け、俺は若輩者だ、下手に完全にこなそうとしなくて良いんだ、卑屈になって舐められなければそれで良いのだ。
わずかに呼吸を整え、一拍の間を置いて広家は口を開く。
「我ら毛利は万が一の際、瀬戸内の海を超えればすぐにも本領たる安芸国へと取って返す事が出来る…されど遠き東海の地より来られた徳川殿らは、それすらもままならぬでしょう? 我らはこのまま冬を越すに十分な兵糧を携えておりますが、遠国より来られし徳川方に兵糧の不安はござりませぬかな?」
「こっちの準備は充分だ、そちらはどうだ? ちゃんと用意は出来ているのか?」と問いかける。
初手から兵糧の話題を出され、家康が僅かに眼を見開き鼻白む。
居並ぶ者たち全てが僅かな感情の揺らぎを表に出さぬよう努める中、若い井伊直政の頬がピクリと動くのを、広家は見逃さなかった。
「もし徳川殿が不安を覚えておられるのなら、こちらで兵糧の都合は御付け致そう…今後の長宗我部との戦でも、我ら毛利が先陣を切って土佐国へ踏み込みましょう…既に伊予国は我らが落としたも同然にござれば、あとは長宗我部と雌雄を決するのみ…徳川方にこれ以上の負担はおかけ致しませぬ」
言い方こそ丁寧だが、広家の言葉には徳川の中枢にいる者たち全員に拳を握り締めさせるだけの棘が詰まっていた。
「メシが無いならくれてやる、戦はこちらに任せろ、どうせ大した手間じゃないからもう帰ってもいいぞ」と暗に言っているのだと、この場に居る全員が気付いている。
戦国最強の名をほしいままにしていた武田家を相手に、果敢に挑んでいた気概を持つ三河武士にとって、この広家の言い分に腹が立たない訳がない。
口にした広家も、内心では「本当にここまで言ってしまって良かったのか、叔父御ぉッ!」と叫んでいたが、それを不敵な笑みで隠しておく。
若輩者の身の程知らずなハッタリ、とでも思わせておけば良い、というのが小早川隆景の言い分だ。
同盟を結んでいるとはいえ、そして領地を接していないために明確に敵対した事が無い、お互いにそういう立場である徳川と毛利は、互いの強さを肌で知ってはいない。
それ故に「戦ったらどちらが強いか」を競うような物言いになるのは必然であり、もしここで負けようものなら毛利は徳川に対し、今後は常に風下に立つ事になりかねない。
どちらが後々まで優位に立つ事になるか、その前哨戦とも言えるのがこの場であった。
徳川方の陣地で相手は当主・徳川家康本人と重臣たちを相手に、こちらは分家の三男坊ただ一人という圧倒的不利な状況の中で、広家の戦いは始まっていた。
無論それも全て承知の上で、小早川隆景は広家を送り出している。
勝ちをもぎ取って来れるとは思っていない、むしろ負けて当たり前の戦である。
だが徳川とて「たかが分家の三男坊」風情を言い負かした所で、それで毛利に勝ったとは言えない。
隆景の狙いはまずは広家にも伝えた通り徳川に渡りを付けること、そして徳川軍の中枢にいる者たちがどのような者たちか、広家を使ってその人となりを知る事である。
無論後者の理由は広家には伝えていない、一つ間違えれば広家は「俺を噛ませ犬扱いか」と隆景に激昂するだろう。
だが流石に広家では己でそこまでは気付けない。
吉川家には外交の道筋が出来る得があり、広家自身の成長も促すきっかけとなり、さらに小早川隆景自身にも利をもたらす、この会談自体が毛利家全体にとって有形無形の価値を持つ事になる。
だがそれに気付けているのはこれを仕組んだ小早川隆景のみであり、その当人は会談の場に居ないにも拘らず、最終的な利益の総元締めとなっている。
「戦国時代最強の謀将」の名で呼ばれる毛利元就の三男にして、元就にその政と謀略の才を認められた男は、甥の必死の外交戦すらも全て計算に入れた上で、伊予国の本陣内で茶をすすっている。
そんな事など露知らず、緊張で強張る顔に必死に不敵な笑みを張り付かせた広家が、徳川家康と重臣一同を見回している。
最初よりも明らかに厳しい視線を向けていた重臣たちは、それでも家康の発言を待って口を噤んでいた。
「はっはっは、いやこれは頼もしい限りにございますな! さすがは鬼吉川と謳われし吉川殿の御子息、腰抜け呼ばわりされる某とは比べ物にならぬ剛勇ぶり、このような得難い御味方を得られるとは重畳至極にございますなぁ!」
そんな中でも調子良く口を開く本多正信に、怒りの他にさらに嫌悪感を混ぜた視線が突き刺さる。
本多忠勝や榊原康政に至っては、その眼光だけで人が殺せそうなほどである。
生意気な若造と思われるのが関の山、と思っていた広家もこの言葉に呆気に取られた。
家康を超える愛想笑いを浮かべた本多正信は、その表面上だけにこやかな顔で広家の方に身を乗り出す。
「我らも兵糧は充分に用意していたつもりではござるが、いやはや何分不慣れな土地故、兵も皆不安がっておりましてなぁ…そこでせめて腹だけでも満たしてやらねばと思っておった所にござる、如何にございましょうかな、殿…吉川殿のお言葉に甘えて兵糧を分けて頂くというのは?」
「引っ込んでおれ弥八郎」
最後に家康に向き直った正信に、横から鋭い声が突き刺さる。
ギロリと睨みながら言い放ったのは、隣に座っていた大久保忠世だった。
この中では最年長にして、徳川最古参の譜代の一角を担う大久保家の現当主である。
射抜く視線で正信を黙らせ、その後で家康にチラリと視線を向けて発言の許可を求める。
その視線に気付いた家康が僅かに頷き、忠世は広家に向き直る。
「吉川殿の提案痛み入る、しかし我らとて徒に四国くんだりまで足を運んだ訳ではない…兵糧の備えに遺漏はない、また長宗我部との戦に他家の手を借りる必要もない…既に我らは一戦して彼奴らを撃破しておる…不慣れな土地であろうと、徳川の強さには何の揺らぎもござらぬ」
最年長者の貫録がそうさせるのか、家康と正信以外の者たちの首が僅かながらに上下していた。
そしてさらに忠世は続ける。
「しかしそちらがどうしてもと申されるなら、長宗我部との次戦は毛利方にお譲り致そう…既に我らは長宗我部を打ち破り、阿波国と讃岐国を手中に収めておる…戦功を稼ぎたくば今度は毛利方が長宗我部を打ち破られるがよろしい、さすれば伊予国の支配も盤石となられましょう?」
この言葉に、今度は広家の顔がピクリと揺れた。
先程の自分の挑発に乗ったかと思えば、これをアッサリと切り返されたのだ。
「そんなに戦いたければ、手柄が欲しいのなら譲ってやる」という上からの物言いに、広家は内心舌を巻いた。
ここで隆景ならさらに弁舌巧みに言い返せたのかもしれない、だが広家にはこの状況から瞬時に言い返せるだけの知恵が回せなかった。
咄嗟に言い返せなかった広家にさらに忠世は畳み掛ける。
「それに先程兵糧は足りておるかと尋ねて参ったが、あいにくわしの様な年寄りは貴殿の様な若者と違い、あまり飯も食わぬのだ…なにせ数日に一度は呑まず食わずの日もあるほどでな…だが食わずとも戦は出来る…そして勝てる…食えねば戦えぬ、などという者ばかりではないぞ?」
そう言う忠世の顔には凄みのある笑みが浮かんでいる。
事実、大久保忠世という男は倹約の一環として、月に何日か全く食事を摂らない日を自らに課し、たとえ籠城になっても体力の衰えぬように、自らの身体を極端に燃費の良いものに作り上げていた。
忠世を尊敬している実の弟である忠教も、この行動だけはさすがに真似をする気が起きないらしい。
常在戦場の気風を色濃く放つ徳川の中にあっても、一際異彩を放つ老人の笑みは若い広家をたじろがせた。
そこで頃合いを見た家康は愛想笑いを浮かべたままで口を開いた。
「そこまでにしておけ…いや失礼仕った吉川殿、年寄りは要らぬ話まで口走る悪癖がある様でな、これこの通りご勘弁願いたい…」
言って軽く頭を下げる家康と、年寄りの悪癖呼ばわりされ、さらにそれが原因で主君に頭を下げさせてしまった忠世は、憮然としたまま黙りこんだ。
そうして少しだけ場の空気が変わった所で、広家は必死に気を持ち直して先に口を開いた。
「徳川方のおおよその意見は分かり申した…さればここからは伊予からは我ら毛利、阿波からは徳川の同時侵攻で土佐に攻め入り、長宗我部を討つという事でよろしゅうござるかな?」
「そうですなぁ、それが最も確実な所ではあるが…少々事情が変わりましてな」
「は? 事情が変わった、とは?」
広家の言葉に曖昧な笑みを浮かべたまま、家康は考え込むように首をひねった。
その言葉と態度にわずかに広家の顔に険が生まれる。
たとえ同盟相手の陣内にいると言っても、油断は出来ない。
広家は何があってもすぐさま行動できるように、両足に力を込め始めた。
その広家のわずかな緊張も見越して、家康は手をパタパタと振った。
「いやご懸念は無用、つい先程大坂より文が届きましてな…織田殿から我ら徳川に代わり、佐々陸奥守殿を四国に寄越すので領国に戻って兵を休ませよ、と書かれておりましてな。 なので実はこちらも少々戸惑っておる次第で…」
「佐々陸奥守……では我ら毛利と共に、土佐へと侵攻する話は?」
「もちろん佐々殿にお伝え致そう、さらに吉川殿と佐々殿にはこの家康が責任をもって顔合わせの場を整えさせて頂く、その上で土佐侵攻の話を詰めていくが宜しかろう…如何かな吉川殿、こちらでの諸々の引継ぎが終わるまでは我らもここに陣を構えておくが、そちらは如何なされる?」
問われて広家は言葉に詰まった。
徳川はこれ以上長宗我部とは戦わないという、そして信長から派遣されてくる佐々成政率いる新たな軍勢が、こちらに到着次第この地での指揮権は移譲されるという。
毛利方の総指揮官でもない広家には、この場での即答が出来る立場ではなかった。
毛利軍が如何に動くか、は総司令官である小早川隆景の決める事である。
伊予国を完全に手中に収め土佐国を窺うだけに留めておき、徳川と入れ替わりになる織田軍の佐々勢と足並みを揃えるか、それとも伊予国を併呑した勢いに乗り、一挙に毛利軍だけで土佐国へ攻め入るのか。
欲を言えば伊予・土佐という四国の半分を毛利だけで手中に治めたい。
ましてや『四国』という文字通りの四つの国で形作られているこの地は、実はそれぞれの国ごとに大きく特徴が異なる、不可思議な土地でもあった。
例えば讃岐国は他の三ヶ国より明らかに土地面積が小さく、瀬戸内の海に面しているから価値があるとはいえ、純粋な米の石高はかなり低いものとなってしまう。
一方で四国で最も大きく、更に大海を臨む事の出来る土佐国と、瀬戸内や豊後水道に面した伊予国、畿内に近い阿波国は純粋な石高もそこそこあり、ましてや石高だけでは測れない価値もそれぞれにあるため、その内二つを領する事が出来れば毛利家にもたらす恩恵は莫大な物となる。
現在の位置関係を鑑みれば、毛利家としては伊予国はもとより土佐国の西半分は手中に収めておきたい、というのが紛れもない本音だ。
無論可能ならば土佐国全土、さらには四国まで完全に手に入ってしまえば瀬戸内の覇権は完全に毛利家の物となり、一挙に天下に覇を唱える事すらも不可能ではなくなる。
現在の織田家の勢力すら凌ぎ、傘下に入っている徳川や上杉を合わせたとて容易には覆せぬ国力を持つ事が出来るだろう。
一瞬広家の頭にはそこまでの展望、言い換えれば戦国に生きる男の野心が芽吹いた。
佐々勢を待つことなく、毛利のみで長宗我部を打ち破り土佐国を手に入れる。
そこから徐々に四国の残り二ヵ国を手に入れてやがては九州も、とまで考えた所で広家は正面に座ったままの家康の視線に気が付いた。
「若いのぅ、吉川殿…考えが顔に出過ぎておる、それでは早死になさいますぞ?」
「ッ!」
言い放った家康の顔は、相変わらず愛想のいい笑顔ではあった。
だがその眼の奥に潜む眼光は、油断なく広家を見据える戦国大名のものだった。
その視線に居竦む様に、広家は唾を呑み込み視線を伏せた。
小早川隆景の薫陶を受けたとて、広家自身まだ若年であり、さらには元々が傾奇者の気風を持つ男である。
滾る野心が顔を覗かせ、それを初対面である家康に看破され、広家は一人敗北感に打ちひしがれた。
「ほっほっほ、さしずめ毛利のみで長宗我部を屈服させ、あわよくば伊予・土佐のみならず四国全土を手中に収め、そこから天下を窺うおつもりでしたかな? いやぁ流石は吉川殿、鬼の名に恥じぬ豪胆さにござる! 織田様と御昵懇の我が殿の御前で天下簒奪の目算を立てられるとは、恐れ入り申した!」
またも口を挟んできた本多正信を、周囲の徳川家臣たちが目線だけで威嚇する。
そして同時に、自分の頭の中にあった考えをわざわざお見通しだとばかりに口に出し、皮肉にしか聞こえない褒め言葉を並べ立ててくる正信が、何故他の重臣連中に嫌われているのかを瞬時に理解出来た広家である。
しかもそれが的を得ている事なので尚更に性質が悪かった。
本多正信は腹立たしいが、その一方で油断のならぬ若造だという認識を持たれ、先程からの視線により一層の鋭さが加わり、広家は完全に針のムシロに座っている心境になった。
「通り道故我らは帰国途中に大坂に立ち寄る、そこで毛利方の御働きも逐一織田殿にお伝えするとお約束致そう…何事もなければ伊予国は毛利家が、あるいは代替地を考えて下さるはず…その辺りを落とし所とするのも大事ですぞ、吉川殿…」
先程よりも若干視線の圧力を緩め、家康が広家に声をかけた。
無言のままに広家は頭を下げて、家康の意見に従う事を了承した。
幼少期から培った苦難と忍従の日々は、家康を一流の戦国大名へと成長させている。
その片鱗を思い知った広家は、少なくとも自分では家康には及ばぬと思い知らされた。
目論見を看破され、さらには諭された立場としては、もはや是非も無い。
「……佐々陸奥守殿が四国に来られる、この旨を毛利遠征軍の総大将たる我が叔父に伝えてもよろしゅうござるか?」
「無論お伝え願いたい…お越しになる事は出来ずとも、代わりの文や人を送る事を否やとは申しませぬ…我らは同盟を組んだお味方同士、行き違いで敵を利する事の無いよう努めるは当然にござる」
そう言った家康の顔には満面の笑みが浮かんでいる。
つい先程広家の中で芽生えた野心の事など、露ほども覚えていないとでも言うように。
徳川軍の入れ替わりで佐々勢が来る、軍事機密とも言える情報を持ち帰って連絡しても良い、味方同士なのだから遠慮はいらないとわざわざ強調までして。
あけすけで白々しく、それでいてやり辛い。
中年太りなのか少し肥えている身体付きを見て、思わず広家は心の中で「この狸親父め」とだけ呟いた。
しかしそこで広家は唐突に思い付いた事があった。
だが今この場でそれを口に出すのは先程の件もあり憚られたため、その日はそのまま家康の前を辞して広家は自陣へと戻った。
自軍の陣内に戻るなり、広家は早速文をしたためた。
内容は「徳川、阿波・讃岐両国を平定、しかし近々本領へと戻るため織田家より佐々陸奥守がその後を引き継ぐため四国へと渡海中、徳川は引継ぎが終わり次第四国を去り、途中大坂に寄り信長に謁見との由。 ついては信長見物と毛利家の四国での戦功を明らかとするため、広家に徳川に同行して大坂に向かう許可を頂きたい。」というものであった。
そこまで書いて広家は文に封をしようとしたが、一つ思い至ってもう一文付け加えることにした。
「徳川家の者たちは武を重視する気風あり、されど『ヤハチロウ』なる名で呼ばれし者は、その限りに非ず。 軽薄な口調で他人の心の内を暴き立てる曲者なり、故に他の重臣たちからは蛇蝎の如く嫌われながらも、その知謀でもって家康に重用されていると見ゆる。 また徳川家康なる男は煮ても焼いても食えそうに無い狸親父と感じ候。 某には戦にも外交にも付け入る隙を見出せず候、っと…こんなものか?」
広家はそこで一息入れて、改めて文に封をした。
数日後に文は早馬でもって小早川隆景に届けられ、その文を見た隆景は思わず含み笑いを漏らした。
「まったくあやつは…確かに織田・徳川と渡りを付けろとは申したが、大坂に向かう理由に信長見物を先に書くとは、本音がダダ漏れではないか…だがあの男に会うのも、若き広家には良き経験となろうよ…」
そうして読み進め、最後に書き加えられた一文を読んだ隆景は先程とは違った意味合いで笑みを漏らした。
「武を重視する家風にありながら、口の上手い曲者を重用する狸親父が当主…なかなかよく見ておるくせにそこを付け入る隙と思えぬのは、やはりまだまだよな…どれ、帰って来た暁には同じ『三男坊』仲間として、みっちり鍛えてやろうかのぅ……」
四国における伊予国平定が成った毛利家は、未だ土佐国内で防備を固める長宗我部を相手に、どう立ち回るかという決断を迫られる。
信長子飼いの将・佐々成政、その男との共同戦線がどのようなものとなるのか。
現在の小早川隆景の頭の大半を占めているのはその事であった。
戦場に身を置く者として戦関連の方に思考を割くのは当然であり、領国の事も頭の片隅にはあっても、まさか自家の獅子身中の虫の所に届いた密書の存在まで嗅ぎつける事は、いかな名将・小早川隆景でも不可能であった。
吉川広家から届いた文を小早川隆景が読んでいた頃、同時刻に毛利家の外交僧・安国寺恵瓊はさる人物からの密書を食い入るように読んでいた。
なんとも中途半端な終わり方をしてしまいましたが、来年は少しずつでも時間を作りながら話を書き進めていこうと思います。
とりあえず年明けにはお祓い行こうと思います、今年は行かなかった為かエライ目に遭いましたので。
少々早いですが、皆様が良い年末年始を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます…




