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信長続生記  作者: TY1981
115/122

信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その2

今年は「年初に家族揃って初詣をして、知り合いの神主さんにお祓いをしてもらう」というここ10年くらいずっと続けて来たことをやりませんでした。

そして今年、会社の仕事は忙しいにも拘らず業績赤字、私個人は公私ともに忙しくその結果体調を崩し、思うように時間が取れずに2ヶ月以上も更新を空けるという体たらく。


来年、絶対お祓い行きます…ここ最近読み專になっておりましたが、なんとか更新出来るだけの話が出来上がりましたのでお送りいたします。

お待ち頂きました皆様方には深く感謝致しますと共に、日頃どんなに忙しくとも体調管理だけは御留意下さい、と心から申し上げる次第です。

            信長続生記 巻の九 「叛逆の胎動」 その2




 毛利軍は村上水軍をはじめとする水軍衆の助けも借りて、およそ二万という大軍でもって四国へと上陸した。

 無論これは毛利軍だけの数字ではなく、毛利家の影響下にある水軍衆も合わせた数である。

 九州戦線からの一時的な撤退、その後間髪入れずに四国への渡海ともなれば、たとえ合戦自体は行っていなくとも色々なものが消費されていく。

 ましてや時期は秋、収穫を間近に控えた時期に相次ぐ出兵は国力を落とす要因になりかねない。

 そのため毛利軍は数の上だけでも多く見せるため、水軍衆から数多くの人員と船を用意させた。


 水軍衆の多くは瀬戸内海の島々を根城とする者たちであり、その陸地面積の関係からどうしても田畑の数は限られる。

 そのため秋の収穫の時期だから戦をしない、出来ないという当時の戦国大名たちの間にあった暗黙の了解とはあまり関わりが無く、自分たちの縄張りを通る船には、どのような時間・時期であろうと必ず接触を図る。

 縄張りを荒らすものであれば攻めて海の藻屑に変え、通行料を払う商船にはその額によっては水先案内まで務める、それが瀬戸内の海に住む者たちの日常である。

 だが最近ではもっぱら中国地方の覇者となった毛利家に付き従う事が多くなり、こうして戦の際に駆り出される事も多々あった。

 今回もその例に漏れず、毛利家の四国遠征のために水軍衆は用意出来る限りの人と船でもってその数を水増しして、形だけでも長宗我部を圧倒出来るだけの数を揃えさせる事となった。


 四国上陸までの兵員確保と備蓄の確認など、あらゆる分野において細かな指示を下し、また今回の四国遠征に自ら総大将を務めるのは、毛利家きっての重鎮・小早川隆景である。

 時として毛利家に反旗を翻す事すらある村上水軍を束ねる村上武吉(むらかみたけよし)をして、「この男には勝てぬ」と認めさせる毛利家の大黒柱であり、今回の水軍衆への無理な要請もこの男の存在あってのものと言えた。

 一方その隆景の実の兄にして吉川家を継いだ吉川元春は、隆景が大坂に向かう最中に九州への抑えに回り、それが終わって帰国した後は体調が優れないため居城での療養となった。

 また元春から家督を譲られている嫡男の元長も、父に代わって留守にしていた領内仕置きを優先させるため残留、結果として吉川軍を率いるのは元春の三男・広家の仕事となった。

 広家自身もなまじ毛利領内にいると、どこで反りが合わぬ毛利本家の当主・輝元と顔を合わす事態になるか分からぬため、今回の四国遠征軍副将の任を二つ返事で了承した。


 結果今回の毛利家による四国遠征は、総大将に小早川隆景、副将に吉川広家、参謀に小早川家の重臣・乃美宗勝(のみむねかつ)、水軍衆のまとめ役に村上武吉という布陣で臨んでいた。

 毛利軍はまず伊予国の中でも最も安芸国に向かってせり出している高縄半島に、夜陰に乗じて分散後一斉に上陸、わずか一日で現代で言う今治市一帯をほぼ掌握した。

 元々伊予国には毛利家の後援を受けていた河野家が勢力を持っており、彼らは毛利軍が万を超える軍勢でもって四国に上陸する、という報せを受けてその手引きを行ったのだ。

 かつては伊予国内で最も力を持っていた河野家だったが、長宗我部家の台頭や相次ぐ離反者などにより家運は衰退し、毛利家の後援を得てなんとか家を保っている状態が続いていた。

 そのため今回の毛利家の四国遠征を誰より歓迎している河野家は、今回の一連の働きでもって伊予国内に再び勢力を取り戻そうと、石に噛り付いてでも武功を挙げようと躍起になっていた。


 だがそんな状態の河野家家臣団に、隆景は待ったをかけた。

 今回の毛利家遠征軍の四国上陸は上々の戦果でもって成し遂げられ、後は長宗我部との決戦までひたすらに突き進むべし、という雰囲気にまるで冷や水を浴びせるかのような判断であった。

 隆景はまずは周辺地域を少しずつ制圧し、長宗我部との直接対決を避けながら版図を広げていくように、という指示を下したのだ。

 軍議に出席を許され、手柄を挙げたくて仕方のない河野通直(こうのみちなお)は、焦れた表情になりながらもこれまでの経緯から隆景の決定に異を唱える事が出来ず、元から隆景の家臣である乃美宗勝は黙って頷くのみ。

 村上武吉も陸での戦いはやる気が起きないのか、欠伸を噛み殺す中で唯一声を上げたのが、副将を任された吉川広家だった。


「なあ叔父御、我らは長宗我部と戦うために四国に渡ったはずだ、なのになぜ戦うなと言われる? 聞けば長宗我部は現在阿波国に上陸した徳川を迎え撃っているそうじゃないか、ならばそこに我らも参戦して長宗我部を挟撃すれば、一気に元親めの首まで獲れる絶好の機会では?」


 一族故の忌憚の無い意見を、隆景は黙って受け止める。

 チラリと視線を向ければ、河野家当主・河野通直は広家の意見を聞いて、光明を見出したとばかりに眼を輝かせていた。

 自分では立場も力も弱く、毛利家の最重鎮たる小早川隆景を相手に口など挟めるものではない。

 だが同じ毛利の一族衆であり、今回の遠征軍副将たる吉川広家ならば総大将を相手にしても堂々と意見が言える、しかもその意見は自分が言いたかった事の代弁でもあり、通直は瞬時に広家に好感を抱いた。

 広家はそんな通直からの視線を知ってか知らずか、さらに隆景に言い募る。


「織田が今後の天下の中心となる、そして毛利はその臣下となると言うのなら尚の事、ここで毛利家の力を存分に見せ付け、毛利家が天下第二位の実力者であることを世に知らしめ、信長が死んで織田の勢力が衰えた際には一挙に天下を狙う事も可能な――」


「広家、先を見よ」


 隆景の静かな一言が、熱を帯びてきた広家の言葉を一刀両断に断ち切った。

 その声音には静かな怒りが籠もっていた。

 その怒りを敏感に感じ取れた広家は、それまでの勢いを一気に無くして口籠った。

 見れば眠そうにしていた村上武吉もいつの間にか背筋を伸ばし、河野通直に至ってはビクリと身体を震わせている。

 変わらず黙したままの乃美宗勝も含め、全員が大人しく話を聞く体勢になったと見た隆景は、ゆっくりと口を開く。


「今回の戦は長宗我部を土佐に封じ込めるためのものであり、長宗我部を殲滅する、雌雄を決するためのものではない。 我らは四国に万を超える軍勢でもって上陸し、瞬く間に長宗我部の守備隊を蹴散らした。 この報せはすぐにあちらの耳に入ろう、徳川を迎え撃つため本隊を阿波国に向かわせている元親めは、ここで一つの決断を迫られる」


 まるで師が弟子に対し、教えを説くがごとく。

 ゆっくりと淡々とした言葉ではあったが、その場にいる誰もが口を挟まない、いや挟めない。

 隆景の今後の戦略を知る意味で、この発言の一言一句も聞き漏らす事は許されないのだ。


「徳川と我らの軍勢は単独では長宗我部本隊には届かず、されど挟撃されれば数の利も陣形の利も無くなる、ならば長宗我部が取れる手段はそう多くない…広家、お主が長宗我部元親ならばどのように動く?」


 敵の立場に立って物事を考える、その事を実地で学ばせるため、隆景は広家に水を向けた。

 いきなり話を振られた広家はたじろぎながらも必死に頭を巡らせる。

 数瞬の逡巡の後、広家はたどたどしくはあっても答えを口にする。


「ま、まずは目の前の徳川を叩いて反転、その後はこちらに向かって返す刀で…」


「徳川は野戦に強いという話を聞いたことはないか? また徳川が籠城戦を選択したらどうする? 中途半端に戦って反転したなら、こちらに向かう最中に追撃、あるいは十分にこちらと近づいた所で挟撃してくるかもしれんぞ?」


「ぐ、いや……それなら軍を二つに分けて一方を徳川への備えとして残して、本隊はこちらに…」


「戦力の分散は下策だ、こちらと徳川全軍を合わせてもまだ長宗我部が多いようならまだしも、そこまでの数の余裕が無い中での分散は、却って各個撃破の危険がある…『出来人』を謳われる男の選ぶ行動ではないな」


 広家の考えを次々に斬って捨てていく隆景に、広家は憎々しげな眼を向ける。

 他の者たちの目も耳もある中で、恥をかかされたという感情が生まれてきたためだ。

 だが隆景は、そんな広家の心情を全て読み取った上で一切の手心を加える気はなかった。

 さらに追い打ちをかけるために「どうした、もう無いか?」と重ねて尋ねられ、顔を歪めた広家はあまり考えたくなかった案を口に出す。


「徳川とは決戦を避け、戦力を温存して挟撃を避けられる位置まで後退…」


「具体的にはどのあたりまで下がる?」


「……土佐と阿波の国境まで下がり、籠城する…」


「その根拠は?」


「…本貫の地である土佐に敵を入れないためと、長宗我部の本拠・岡豊城が近ければ近いほど後方からの援軍や補給が楽になる…それと戦線を縮小する事による戦力の集中が適う為、か…?」


「うむ」


 そこでようやく隆景は口元に笑みを浮かべた。

 広家はやはり阿呆ではない、と確認が出来たからだ。

 本人の気性か、あるいは所詮家督を継ぐ事も無い三男坊であるため、という甘えか。

 戦に関して少々前のめりに行き過ぎるきらいはあるが、だからと言って大局的な物の見方が出来ぬ猪武者、という訳でもない。

 少々時間もかかるし考えながらの発言ではあったが、その言葉には一定以上の説得力はあったようで、乃美宗勝は少しだけ目を見開き、村上武吉はニヤリと笑っている。


 河野通直に至ってはせっかく見つけた光明とは思えど、その言葉の確かな説得力に押されてオロオロとするばかりである。

 肝心の広家はと言えば、あまり考えたくはなかった選択が「正解」とばかりに頷かれてしまい、バツが悪そうな顔を浮かべてボリボリと頭を掻いていた。


「我らが大軍を率いて四国に向かって来た、そして瞬く間に全軍が上陸した、それだけで長宗我部元親は挟撃の恐れを無くすために兵を退く…広家が申した通り土佐国の国境での防備に努めるであろう…さらに言うなら今は秋、彼奴らの主力たる『一領具足』衆は国許に帰って収穫をせねばならぬ…いずれにしろ長宗我部には我らに攻め寄せる時間も手立ても無い、無理に戦を続ければ領民の不満が増して収穫高が減り、やがては自滅する…『出来人』はそこまで考えられるからこそ、我らを迎え撃てぬ」


 隆景の言葉を聞いて、その場には沈黙が訪れる。

 完全に長宗我部元親の立場や能力、考えを読み切った上で断じた結論に、誰も異論を唱える事が出来なかったのだ。

 つまり長宗我部軍の最低限の守備隊しかこの伊予国には残されておらず、そこを制圧するだけならば何も無理な戦を、さらには急ぐ必要すら無い、と隆景は言いたかったのだとようやく通直は悟った。

 しかし隆景の言葉はそこで終わらずに、全員の顔を一通り見回してから指示を下した。


「村上殿は水軍衆の実質戦力となる者以外は解散して頂いて結構、残る者と船も半分で良い、どうせ船戦(ふないくさ)にはならずに終わるであろう。 広家は南下した後に東進、阿波国との国境沿いまでの長宗我部勢力を駆逐せよ。 宗勝は南伊予まで進め、土佐国との国境付近は敵も防備を固めておるだろうから、そこだけは慎重にな」


 矢継ぎ早に出されていく指示に、言われた者たちは順次頷いていく。

 その中で名を呼ばれなかった河野通直は「お、恐れながら我らにもお役目を!」と声を上げた。

 彼にとっても毛利家という後ろ盾の大きさを実感しなかった日は無いと言っていい。

 ここで少しでも働きを見せておかないと、今後の関係にもひびが入りかねないのだ。

 もはや懇願に近い言葉を受けた隆景は、穏やかな顔で河野通直にも指示を下す。


「河野殿には我らの案内をお任せしたい…伊予国内を転戦する広家と宗勝を補佐し、また戦で荒れる田畑を見た領民の不安を取り除く役目もお任せしたいと思うが如何かな? 余所者の我らには出来ぬ仕事故、河野殿を置いて他に任せられる者もおらぬ…お願いしてもよろしいかな?」


「は、ははぁッ! お役目承りましてございます!」


 隆景の言う事は確かに間違ってはいなかった。

 元から伊予国内の国人領主であった河野家だからこそ、伊予国内の領民保護や道案内などは確かに頼りになると言える。

 だがその一方で隆景は河野家を戦力としては見なしていなかった。

 元々河野家の家運が衰退したのは、多くの離反者を出したりするなど家中を纏め切れていなかった先代・河野通宣(こうのみちのぶ)の力不足もあり、それを引き継いだ通直には河野家を立て直せるだけの能力も時間的余裕も無かった。

 なので最初から戦力としては数えず、あくまで後方支援としての役割だけを割り振った隆景は、体よく通直を戦から遠ざけさせたのだ。


「では明日以降は先程の指示通りに動くように…ああそれと広家、お主はまだまだ読みが甘い…この後わしの陣に参れ、兄上になり代わって説教の一つでもしてやろう」


 そう言いながら隆景は軍議の席を立つ。

 露骨に顔を顰める広家と、僅かに口元に笑みを浮かべる宗勝と大仰に肩をすくめる武吉を見て、通直はそっと顔を伏せた。

 戦での武功を挙げる道を閉ざされた、そう感じた通直は内心でがっくりと肩を落とした。

 しかしそれと同時に安堵している自分も確かにいる。

 衰退し続ける河野家、その当主である自分に未だに付いて来てくれている家臣たちを、これ以上死なせなくて済んだという安堵感が自らの内に湧き上がってきている。


 武士としてあるまじき感傷でありながら、家臣の中にはそういう自分だからこそ付いていく、と言ってくれる者もいる。

 「家のために死ね」と言うだけの気概も持ち合わせず、部下を駒の様に使い捨てるだけの判断も出来ず、ましてや長宗我部の脅威を毛利に従う事だけで凌ぐような無能な当主である自分を、「殿」と呼んで慕ってくれる者がいる。

 通直は内心、この戦で果敢に戦い華々しく討死にしたい、と思っていた。

 勝ち戦での勇猛果敢な討ち死にとなれば、後々家の栄達に繋がる可能性もあるだろう。

 自分が死んでもそれを誉れとして家は残り、家臣達にも少しは楽をさせてやれるのなら自分の首一つなど、いつでも失って構わないというのに。


 どこかやるせない気分を振り払いながら、通直は軍議の場を後にした。

 複雑な感情を隠し切れず、苦悩に顔を染めていた通直の背中を見て、宗勝は己の幸運を噛み締めた。

 自分も毛利元就・小早川隆景という親子に出会わなければ、もしくは敵対していたのならば、今日のような立場ではいられなかっただろう、という思いがあった。

 河野通直の様な立場の人間は、戦国の世に於いて掃いて捨てる程存在する。

 弱小勢力の頭となる立場であり、大勢力の顔色を窺いながらその庇護でもってしか生きることを許されない、その様な人間は規模の大小を問わずいくらでもいた。


 かの毛利元就とて、毛利家を率いる立場となってしばらくは大内・尼子の大勢力の狭間で何とか生き延びるという有様だったのだ。

 安芸国の一国人という立場から、一代で中国地方を牛耳る二大勢力を呑み込んでその覇者となるという、離れ業をやってのけるその一助となれた自分は、本当に運が良かった。

 拡大していく毛利家の中にあって重鎮としてその働きが認められ、今や毛利家中だけでなく他国・他家にもその名を知られるだけの立場となれた。

 一歩間違えば屍を野に晒す、あるいは海の藻屑となるであろうこの戦国の世にあって、乃美宗勝は確かな立身出世を果たせている。

 現在も小早川隆景の片腕としてその地位は盤石と言える。


 日ノ本有数の大勢力・毛利家の最重鎮小早川隆景の片腕、というのは宗勝にとっても誇らしい立場だ。

 主君と仰ぐ隆景は、能力人格において一切の不満が無い。

 若い頃よりその働きが認められ、野心も無いではなかったがそれ以上に元就・隆景への畏敬の念が先に立ち、現在の立場にも不満らしい不満は無かった。

 そんな宗勝は渋々ながら席を立ち、嫌そうな顔を隠しもしないまま隆景の陣へと向かう広家の姿を見て、口元に浮かんだ笑みを深くする。

 あの主が一対一で説教、という名の指導をするに足る、と認めた若者の後姿である。


 隆景ある限り小早川家は安泰、と確信できる。

 そしてその隆景に認められた広家は、小早川家と対を成す吉川家の三男である。

 これなら今しばらくは毛利家は安泰であろう、と思うと普段から寡黙な宗勝も口元に笑みが浮かんでしまう。

 その笑みを横から盗み見て、村上武吉もまた口元を歪めた。


「ただのヤンチャなガキじゃねえって事か…なかなか付け入る隙が無くて結構な事だ」


 村上武吉の水軍は、扱いとしては毛利水軍の中核を成してはいるがその実態は半ば独立領主の様なもので、旗下に入っているというよりも同盟状態に近い。

 そのため村上武吉自身何度か毛利家に反旗を翻した事もあったが、その悉くを主に小早川隆景に鎮圧されている。

 毛利家に隙があれば、何かの理由で傾けば即座に敵対するという危うさを秘めた存在である村上武吉も、毛利家の安泰は自分の行動指針に大きく関わってくる。

 隆景が死んで自分が生きている、そういう事態になれば残る目の上の瘤は誰か、という頭の中だけの名簿に、新たに吉川広家が加わった瞬間である。

 血縁関係でもある二人の男の口元にある笑みは、それぞれが別の思惑で浮かべている。


 だがその笑みが指す先にいるのは一人の若者である。

 その若者たる吉川広家は、嫌そうな顔のままでやる気無さ気に頭を掻き、対面式に用意されている床几の片方に腰掛けた隆景の正面に、断りも無くどっかと腰かけた。

 無礼であるのは分かっていたし、先程恥をかかされた意趣返しという意味合いを込めて、大人気ない態度を崩そうとしない広家に、隆景は思わず苦笑する。

 隆景の陣の中央、周囲には陣幕が張られて警備も厳重な中、叔父と甥の二人の会話は周囲の兵すらロクに聞き取れぬように配慮されて始められた。


「あれで良い」


 あえてふて腐れた態度で通し、不遜な行動を咎めてくれば文句を言って席を立つつもりだった広家は、開口一番穏やかにそう切り出した隆景の言葉に、呆気に取られた。

 口を半開きにして目を見開き、肩透かしを受けた広家はそのまま絶句する。

 そんな広家にほとんど表情を変えずに、隆景はさらに言葉を重ねた。


「お前は兄上ほどの武の才能も無ければ、将としての経験も少ない。 まして兄たちほどに謙虚な姿勢も持てなければ、思慮分別に乏しい部分もある…」


 隆景の口から出た広家の評価は、散々なものだった。

 途端にこめかみに血管を浮かせ、拳を握り始める広家に、隆景はどこか愉快そうに告げた。


「だが、若さがある」


「……才能も経験も無くて、態度が悪くて分別もねえクソガキと言いたいのか叔父御?」


 もはや不機嫌さを隠そうともしない広家だったが、隆景はゆっくりと首を振りながらあくまで穏やかな声音で言い続ける。


「お主くらいの年頃ならむしろ血気に逸れ、そういった若者の手綱を取るのがわしらの仕事よ…先程の軍議の場でもお主はよくやった。 決戦ありきとしか考えられなかった男にしては、とっさによく頭を働かせたものよ…目の前でああも伸び代がある所を見せ付けられては、こうして話をしたくもなるわ」


 そう語る隆景の顔には、優しげな微笑を浮かんでいた。

 対して言われた広家の方は、果たしてどう答えたものやら分からない、複雑な感情そのままの表情を浮かべていた。

 貶されたと思ったら褒められ、挙句二人で話がしたいとまで言われたのだ。

 広家が説教に呼ばれる、と聞いた際に乃美宗勝が僅かに口元をほころばせた理由が、隆景が吉川広家という若き甥を一人の将として認めた証だとは当の本人も気付く事が出来なかった。

 そして隆景はその顔に浮かんでいた微笑を消し、真剣な眼差しで広家を見やる。


「広家、お主は確か羽柴殿の下に人質に行ったことがあったな?」


「あのサル吉の事か? 無礼が過ぎるってんで突っ返されたけどな」


 隆景の口から「羽柴」の名が出るなり、広家は露骨に嫌そうな顔をして吐き捨てた。

 本人がこの場にいないとはいえ、かつては天下人に王手をかけた秀吉の事を「サル吉」と呼び、しかもそれを誰憚ることなく言い放つ胆力は、確かに兄二人が持ち合わせてはいないものだ。

 だがそれと同時に広家には「敬意を払うべき存在にも無礼な口を利く愚か者」という悪評が付いた。

 さらに広家は毛利家現当主・輝元とも反りが合わず、極力接触を避けていた。

 西国最大の勢力を誇る毛利家の当主としては、輝元はその器ではないと直感的に感じ取って以来、どうにも大人しく頭を下げる気にならないからだ。


 自らの父である吉川元春、さらに叔父にして毛利家の大黒柱たる小早川隆景、この二人に対しては立場も実力も上だと心から認めているため、一定の敬意は払っている。

 だが毛利家中興の祖・毛利元就の嫡孫だからと言うだけで、実力的に遥かに劣る若者が、自分が心から認める二人に頭を下げさせている姿に、若い広家は我慢がならなかった。

 だがいわゆる『毛利両川』体制である現在の毛利家で、その片翼を担う吉川の者が公然と輝元に『毛利の当主の器に非ず』などと言ってしまえば、それは毛利家崩壊の第一歩となりかねない。

 さすがにそこまで考え無しの行動はしない広家ではあるが、なまじ輝元と接する時間を持ってしまうと、いつこの本音が口を突いて出てしまうか自分にも分からなかった。

 そのため広家は自主的に輝元とは距離を置き、なるべく輝元との関わりを持たぬ方向で生きてきた。


「お主は先程の作戦といい、人物評価といい好き嫌いが過ぎるな…兄上も苦労されておるのだろう…」


 隆景の物憂げな溜め息に、広家は苦々しい顔になる。

 一体何を話したいのか、早く結論を言ってくれ、とばかりに隆景の顔を睨み付ける広家。

 その視線を微笑で受け流し、隆景は口を開く。


「結論から言おうか…お主は阿波国目指して進軍、途上にある長宗我部勢力を駆逐しつつ徳川と接触を図れ。 お主にはわしから徳川への親書を届ける役目も担ってもらう、羽柴とは反りが合わずとも徳川やその先の織田とも反りが合わぬ、とも限らぬのでな。 わしの名代として徳川と上手く連携を取れ」


 隆景の指示に広家が呆気に取られる。

 頭の中で上手く整理出来ないのか、広家は目を泳がせてそこにどのような意味があるのかを模索する。

 すぐに疑問を口にせず、まずは一旦自分で考えようとするその姿勢に隆景は内心評価しつつも、さらなる伸び代を見たくて隆景は「分からぬか?」と問いかける。

 するとその問いかけにカチンと来たのか、広家は必死に頭を巡らせながら口を開いた。


「徳川と…連携を図って長宗我部を潰す、いや土佐に押し込んで…四国の土佐以外の三ヶ国の領分を決めるために、か?」


「他には?」


「他にッ!?」


 隆景が期待する広家の働きに、自分が考えた他にもあるという事に思わずオウム返しに問い返す。

 だが広家の頭では咄嗟にこれ以上の案が出てこないと思ったのか、答え合わせをするかのように隆景が言葉を続けた。


「わしと徳川家康は既に大坂城で面識もある、が御当主輝元様は無い。 そして吉川の一族には織田・徳川と面識がある者がおらぬ。 わしの名代という扱いで吉川家の者を送る事で、吉川も織田・徳川と縁が出来よう…わしの名代とあらば、向こうも門前払いとは出来ぬであろうしな…」


 隆景の言葉に、一つ一つ頷いて理解しようと努める広家。

 広家なりに現状を正しく把握し、自分に任された役割をしっかりと全うしようという姿勢の表れだった。

 粗野な言動は多いが、だからと言って完全な粗忽者ではないと、隆景は改めて評価する。

 さらに隆景は広家に顔を近付け、額と額を突き合わせる程の距離になって声を潜めて続ける。


「『毛利』の外交は安国寺恵瓊が握っておる、あやつがどのように振る舞うかで他家の毛利への心証が変わってくる、わしはそれを良しとは出来ぬ。 わしやお主ら『両川』の人間も、独自に外交の道筋を作っておくに越した事はない。 わしは既に出来ておる故、吉川にはお主が作るのだ…良いな?」


 その言葉を聞いて広家の眼が大きく見開かれる。

 隆景のやっている事は、一歩間違えれば主家である毛利への反逆行為とも取れる。

 毛利が一枚岩であるという事を証明する手段の一つとして、外交の窓口は一つに絞っておく、というのも確かに大事だろう。

 だがそれは一方で非常に危険な事でもある。

 なにせ毛利の外交を仕切っているのが獅子身中の虫たる、安国寺恵瓊なのだ。


 なまじ大きな勢力が安泰となると、内部では決まって派閥を作って内部不和を起こしやすい。

 毛利家中興の祖たる毛利元就は、そうならぬ様にあえて毛利家の家中に敵を組み込んだ。

 自らがかつて滅ぼした安芸武田家の末裔である安国寺恵瓊を、外交僧という立場で毛利家に招き、毛利家の結束にひびが入ろうものなら、そこを安国寺恵瓊に付け込まれるぞという警告を遺したのだ。

 その詳細を知っているのは元就の次男と三男である吉川元春と小早川隆景の二人のみ。

 当時まだ若年であった当主輝元では、その事実を知ればすぐさま恵瓊を放逐、あるいは始末する安全策を取ってしまうだろう、という事が予測出来たために伝えられることはなかった。


「兄上や元長は羽柴を毛嫌いしておった…それ故に吉川家には織田・徳川への外交の手が無い。 お主は兄二人と人柄が異なる、故にお主が徳川や織田と繋ぎを作るのだ…それがいつの日か吉川家の命脈を保つ一手となるやもしれぬ…行くのがお主で対長宗我部での連携のためとなれば、安芸にいる輝元様や恵瓊らもそこまでは見抜けまい、これは絶好の機会ぞ…お主はこの四国で戦と外交の二つを同時に学ぶのだ…」


 突然明かされた隆景の思惑に、広家は言葉を失った。

 まさか隆景がここまでの事を考えて自分と四国に来ているとは思いもよらなかったのだ。

 絶句したまま眼を見開いている広家に、隆景は「いささか脅かし過ぎたか」と考え、一転してまるで世間話をするような気軽さで広家の肩を叩いた。


「まあお主の人間好き嫌いを無くすためにも、他家の者と会って話すに越した事は無かろう! もののついでぞ、徳川家中の誰でも良いから一献交えて来い!」


 そう言って快活に笑う隆景に、広家は難しい顔をして黙り込む。

 毛利家の長老にして大黒柱、影の総大将とも言われる小早川隆景の英知の片鱗に触れ、それが決して誇張されたものではないと思い知ったのだ。

 そうなると単なる好き嫌いで、この叔父が頭を垂れることを選んだほどの男、羽柴秀吉に対して無礼な態度を取り続けた自分は、やはり間違っていたのだろうかという思いが生まれたのだ。

 確かに人並み外れた才はあるのだろうが、それにしても見るからに矮小な小男が天下人を気取るなど笑えない話だ、という気分で不遜な態度を取り続けた結果、思っていたよりも早く実家に帰れて万々歳、と当時の自分は喜んでいたものだが。

 小早川隆景という人間を通して改めて羽柴秀吉という人物を見てみると、自分のやっていた事は自分だけでなく吉川家の名にまで泥を塗る様な真似であったか、という恥ずかしさを感じ始めていた。


「どうした? お主には荷が重いか? なんなら宗勝と代わってお主が南伊予へと向かうか? 政や外交は武の吉川には無用、というのであれば無理強いはせぬぞ」


 黙ったまま様々な思いや感情が脳内で駆け巡っている広家に、隆景は優しい声音で話しかける。

 だがここで隆景の思惑を蹴るのは、広家にとっては耐え難いものであった。

 ここでたじろぐような器では、この乱世に生きる男としてもはや先は無い。

 むしろ自分にそんな大役を任せようと思ってくれたこの叔父に、見事やり遂げて胸を張って報告をしたいという思いが、広家の心に強く湧き上がっていた。


「叔父御にそこまで言われて、某には荷が重いなどとどうして申せましょうや? むしろこの広家にそこまでの期待をかけてもらえるとは、夢にも思えませなんだ…お役目、しかと承った!」


 その眼に決意を宿し、広家は深々と頭を下げた。

 その姿を見た隆景は、実は内心でホッと胸を撫で下ろしていた。

 ただの猪武者ではないが、どうにも性格的に好き嫌いが激しい広家が、果たして今回任せた様な多様な任務をこなす事が、それ以前にやろうとするかどうかがまず問題だった。

 出来の良い兄たちを持つ事で家督を継ぐ事など無いと思っている三男が、果たしてそれを全うしようとする覇気を出せるかどうかを隆景は試したかったのだ。

 結果は広家に人間的な成長を促し、上手くいけば吉川家にも大きな利のある結果を呼び込む事にもなりかねる、大役を任せる事が出来た。


「先程も申したが、お主はまだ若輩故に経験が足りぬ…遠き三河で興りし徳川家というものをその眼で見て、直に話し何を考え何に重きを置くか、それらをしかと学ぶが良い…小早川隆景の名代を吉川家の者が務める事で、『毛利両川』は一枚岩であるという事を見せ付ける事も忘れるなよ?」


 隆景の念を押す言葉に、広家は顔を若干強張らせながら大きく頷く。

 その様を見て口元に笑みを浮かべた隆景は、右の人差し指だけを立てて口を開く。


「最後に一つ、こうして一つの行動に二重三重に意味を持たせる。 これもまた大事である、若い内からしっかりと学んでおけ」


「はッ!」


 隆景の命と教えを受けた広家は、翌朝五千の兵を伴って出陣した。

 目指すは徳川家康のいる阿波国である。

久々の更新なのに毛利家掘り下げ話で、肝心の主役の出番が一向に無くてすいません。

次回か次々回あたりで…(実はまだ一文も出来上がってない)

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