信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その14
色々なものが片付いた途端にまた違う用事が時間を圧迫する…
忙しさの連鎖ってどこかで途切れてくれないものか。
信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その14
前線の鉄砲隊の動きに乱れがある。
鉄砲の射撃音からそれを感じ取った長宗我部元親は、本陣に詰めている兵の一人を急ぎ別働隊を指揮する弟、香宗我部親泰の元へと向かわせた。
徳川はこちらに比べ数も少なく、また初めて踏むこの四国の地で、本来ならば維持出来るはずもない士気の高さを維持していた。
こちらの戦法に関しては、なるほど徳川の諜報は優秀なのだろう、鉄砲の大量所有によって可能となった一斉射撃で相手の出鼻を挫き、さらにそこに二発・三発と釣瓶打ちを食らわせる。
それを読んで先頭を進む部隊には大量の竹束牛を持たせ、自軍の被害を抑えようという算段なのだとは予測が付いた。
地の利に関しては、恐らく淡路を拠点にしている織田方の武将・仙石なる将から、聞ける限りの詳細な情報を手に入れ、忍び達にも大急ぎでかき集めさせたのだろう。
だが、そこまでなはずだ。
遠き三河や遠江などの東海の地から、ここ四国まで一体どれほど距離があると思っている。
ましてやその間に海まで渡り、そんな所で討死にしようものなら、親しい者に見取ってもらう事も、縁者の一人もいない所で骨を拾ってもらう事すらも出来ぬというのに。
普通はそんな所に遠征に向かわねばならぬ、と聞けば兵の士気など崩壊寸前にまで落ち込むはずだ。
よしんば自分達とは無関係な土地であるから略奪行為、いわゆる乱取りを行い放題だという話であっても、鉄砲を撃ちかけられれば命を惜しんだ足軽が我先に逃げ出し始めてもおかしくはない。
鉄砲の一斉射撃、これで相手がまず怯み、さらにそこに続けて撃ちかけてやれば竹束牛を放り出して前線部隊が瓦解していく事すらあり得る、と当初は思っていた。
だが逆にこちらの鉄砲隊に乱れが生じるほど、徳川の前線は全く怯みもしなかった。
突如徳川の先鋒部隊から上がった怒号、さらに鬨の声。
それによってこちらの兵が逆に怯み、鉄砲を再び撃つまでの間の決められた動作に、狂いを生じさせたのだから。
その前線の動きだけで、長宗我部元親はこの徳川という相手が一筋縄ではいかぬ、と判断した。
となれば別働隊を率いる弟の親泰の方にも、敵は容易ならざる相手である、と早急に伝える必要があった。
こちらは既に鉄砲の一斉射撃を数回行っている。
しかし敵方の先鋒が崩れた、という報告が未だに来ない。
これは良くない兆候である、と元親は口持ちにわずかに苦笑を浮かべて決断した。
「撃ち方を止めさせよ、敵はこちらの消耗を狙っている。 鉄砲足軽を下げ、弓兵を前面に出して一斉射だ、その後は長柄の部隊でもって押し包め。 奴らが全軍を展開させる前に出てくる口を塞いでしまえ」
「ははッ!」
元親の指示にすぐさま伝令が走り去っていく。
徳川軍の先鋒は隘路を抜けた先の、拓けた土地に頭を出した所で竹束牛を構えて足を止めている。
ならばそれ以上は先に進ませず、数で勝るこちらが押し包んで倒してしまえば良い。
竹束牛は確かに鉄砲に対して非常に高い防御力を持つが、その一方で重量もあり、空から降ってくる矢の雨に対してはほとんど役に立たない。
ならばこちらの槍足軽部隊の突撃準備が整うまでの間、弓兵の射撃でもって再度方法を変えた先制攻撃を行い、今度こそ敵の先鋒の出鼻を挫く。
こちらの当初の想定を覆す徳川軍の在り方に、自然と元親は苦笑してみせる。
前年に数で勝る羽柴軍を相手に、上手く立ち回って勝ちを収めた手腕は伊達ではない、と証明された形となった。
本能寺の一件後の甲斐・信濃平定戦、羽柴家との小牧周辺での一連の戦振り、それらの成果から見ても並の相手ではない、とは元親も踏んでいた。
だがこれでこれまで元親が戦ってきた相手よりも、確実に一枚も二枚も上の相手である、と認めざるを得なくなってしまった。
土佐西部を本拠にしていた名門の一条兼定も、阿波・讃岐国から畿内に打って出て一時の栄華を誇った三好家も、これほどの相手とは言い難かった。
一条家は確かに名門故の厄介さがあったが、その血筋故の甘さが、付け入る隙がどこかにあった。
三好家は元親が台頭していく頃には、英傑・三好長慶が既にこの世を去り、さらに畿内では織田信長が同じく台頭してきたため、家運は急速に衰えていく最中だった。
そういう意味では、元親は本当の意味での強敵とは相対した事が無かった。
出来人であるが故に、自身以上の才覚を持つ者、実力を比べられる者がいなかった。
命の危機を感じた事もあったし窮地にも陥った事はあっても、本当の意味での凌ぎを削り合う戦をした事が無かった。
そのせいか、元親はいつの間にか戦の最中であろうと苦笑を浮かべる癖が付いた。
どうせ今回も、最終的には己の描いた絵図の通りになるのだろう、と。
こちらの想定を超えようと動き、予想も付かぬ反撃をしようとしても、その都度即座に修正し直せば最終的にはこちらが想い描いた結末になる。
だからこそ今回の戦でもなるべく兵の損害を少なく、国力を落とさぬままに徳川を殲滅するための策をもって、四国制覇に邁進しようと思っていた。
だが徳川は初手から元親の想定を超える士気の高さを見せてきた、その事に元親はどこか煩わしそうにしながらも、嬉しそうな苦笑を浮かべて息を吐く。
「徳川家康、か……対羽柴で組もうと言って来たかと思えば、信長が生きていたと明かした途端にすぐさま四国に入ってこの戦振り…これが海道一の弓取りと言われる男か…」
そう言い放つ元親の顔には、癖である苦笑こそ浮かんだままだが未だにどこか余裕があった。
確かに初手においてはこちらが後手に回った感は否めない。
だがそれでも戦の趨勢が決まるのはこれからであり、自軍に有利な要素はいまだ健在だ。
ここは四国であり、数はこちらが上、この二点だけでも長宗我部側は明確に有利であると言える。
不安要素が無い訳では無いが、このまま徳川に押し切られるとは欠片も思ってはいなかった。
「親泰が敵を背後から追いたてれば、その分だけ敵は前に押し出されて来よう。 そうなった時にこちらの包みが疎かでは目も当てられぬ、急ぎ敵を半包囲で抑え込み、その後に改めて鉄砲を撃ちかけよう」
独り言の様でありながら、元親は本陣に詰めていた他の者たちにも聞こえる声量で言い放った。
元親の脳内でのみ描かれた戦の図面、それを口に出して説明する時の彼はいつもこうだった。
意識のほとんどを思考に割かれているためか、その場にいる者たちとは誰も目が合わない。
考え込むような姿勢で俯く元親の声を聞き取り、長宗我部軍の諸将はそれぞれに了解した旨の返事をして、自らの部隊へと戻っていく。
そして元親は自らの馬に跨り、更に背筋を伸ばして極力目線を上げて戦場を俯瞰する。
「ふむ……徳川の先鋒がもう前に出て? 親泰の仕業にしては早い………いや、これはいかんな」
長身の元親は、馬の背からさらに身体を伸ばせばほとんどの者を見下ろせる視界を得る事が出来る。
その元親の視界に、遠い徳川軍の先鋒を務めていた大久保隊が、竹束牛を持ちながらじりじりと前に進んでくる姿が映った。
そうして元親が口元にまたも苦笑を浮かべる。
これは親泰の戦功によるものではない、元親の計算よりも遥かに早く、しかも敵に混乱したような状況が見られないまま、整然と前進してきている。
これでは先程元親が想い描いた戦の図面通りに進まなくなる。
「我が絵図を捨てさせたか……全軍に伝えよ、敵が突っ込んで来るぞ! 槍衾で迎え打て!」
元親はこの時初めて、叫ぶような声音で指示を下した。
言い終わるなりまたも苦笑を浮かべるが、それは普段の元親を知る者が見れば、背筋を凍らせるほどの迫力に満ちたものに変わっている。
「この四国では終ぞ見かけなんだ敵だな…なるほど手強い」
そう呟いた元親の元に、先程親泰の部隊に向かわせた伝令が走り寄ってきた。
あまりに早すぎる帰還に、これはどうやら悪い報告が来るな、と元親は覚悟を決めた。
「申し上げます!」
「簡単に、でよいぞ」
「別働隊は敵の逆撃に遭い撤退中の由、ご実弟様も只今こちらに合流せんと向かっておるとのこと」
「なんと!?」
伝令の言葉を近くで聞いてしまった者が、思わず声を上げた。
元親はそれには構わず「では親泰は無事なのだな?」とだけ聞き、伝令は「即座に隊を反転させたため、部隊の半数以上は無傷とのこと」と返した。
元親が別働隊の親泰に預けた兵はおよそ八千、そして本隊はおよそ一万三千という数であり、これらが挟み撃ちにすれば一万数千を擁する徳川と言えど、壊滅は必至であると思っていた。
だが親泰は半数近く、仮に三千ほどの戦力を失ってこちらに合流する、という事になれば合わせても一万八千、徳川にも相応の被害を出したのだろうが、それでもこの数の差が縮まったのは大きい。
別働隊は打ち負かされ、こちらと相対する前衛はジリジリと距離を詰めてきている。
しかし伝令がこれだけ早く戻ってこれたのは、親泰が撤退してきている別働隊がそれだけ近くまで来ているという事の証左でもある。
となれば素早く合流して、全軍を再編成して立て直せば勝機はまだ充分にある。
親泰が徳川軍からの逆撃を受けた際に、下手に時間を取られずに即座に判断した事が功を奏したと言える。
元親の考えていた通りにはならなくなったが、ここからが戦の趨勢を決める山場となるだろう。
それでも元親からすれば、これから発する指示を下さなければならなくなった時点で、半分くらい負けたという気持ちがあった。
「総掛かりじゃ、四国を余所者に蹂躙させる訳にはいかぬ! 同盟を結んでおきながら攻め込んでくる東国の恥知らずに、我ら四国に生きる者たちが目に物を見せてくれようぞッ!」
「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」
元親の号令でその周囲の兵が声を上げて、手に持つ槍を天に向けて衝き上げる。
その勢いはさらにその周りにいる兵を鼓舞し、本隊との合流を間近にした親泰の別動隊に、一旦は挫けかけた士気を取り戻させるに十分な熱を持っていた。
そして両軍の最前線となる場所では、士気が上がった長宗我部軍の先鋒と、怒号の様な声を上げ続けながら突貫をかける大久保隊が、正面から激しくぶつかった。
数の上では少数の大久保隊は、鉄砲の射撃が止んだことを確認して竹束牛を捨てた。
そして数の少なさを補うために、将兵が一丸となって長宗我部軍左備えに突撃をかけた。
「進め進めぇッ! 徳川にその人ありと謳われし、この大久保七郎右衛門が相手じゃあッ! 手柄首が欲しければかかって来ぉいッ!」
大声を上げながら馬を走らせる大久保忠世に、脇に付いていた弟の忠教がそっと息を吐く。
どれだけ齢を重ねたら、この兄は衰えを見せるのだろうかと純粋に気になったのだ。
若かりし頃より戦場では遮二無二槍を振るい、常にこの戦が人生最後の戦だ、と言っておきながら平気で生き残り、年をとってもその勢いは未だ衰え知らずというのだから、実の弟ながら恐れ入る。
そして反対側の右備えに向かった第二陣、その将を任された榊原康政は反対側から聞こえた忠世の大声に声を上げずに笑った。
ああいう御仁が陣中に一人いるだけで、戦の恐怖や緊張から解放される者が少なからずいるのだから、味方としては心強いことこの上ない。
「大久保隊に後れを取るな! 一番手柄は我らが取るぞ!」
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!!」
榊原康政を中心とする隊は、素早く前面に展開して後続の道を開けた。
後ろからは家康率いる本隊がやってくる。
となればいつまでも自分達がその口を塞ぐ訳にはいかない。
徳川家は自家のための戦だけでなく、織田家の援軍としても多くの戦に臨んでいる。
そのため兵の錬度は全国的に見ても屈指のものを誇っている。
戦場での素早い移動も、その練度からなるものである。
ましてや神速をもって鳴る織田家と軍事行動を共にする上で、兵の俊敏な行動は不可欠であった。
大久保・榊原といった前衛が道を開け、家康率いる本隊が隘路から姿を現し、そのまま正面の長宗我部軍中備えへと向かう。
それとほぼ時を同じくして、別働隊の殿を打ち破った井伊直政と鳥居元忠の軍勢が、香宗我部親泰を追いかける形で戦場に姿を現した。
長宗我部本隊正面に展開している家康たちをそれぞれの部隊に対応させていた元親は、合流してきた親泰の軍勢を再編成させ、脇備えとして追撃してきた井伊・鳥居隊と相対させる。
「さて、これで向こうもこちらも駒は出揃ったはず…士気は双方共に高めで兵数は優勢、あとは機を見定めねばな…」
そう呟く元親の脳内では、既にこの戦はどこかで互いが落とし所を見つけて、どこできっかけを作って
兵を退くかという所までいっていた。
ここまで両軍の距離が縮まり、しかも既に槍合わせも始まっている部隊もあるとなれば、もはや小手先のものは必要ない。
純粋にどちらの軍が最後まで退こうとしないか、の根比べが始まる。
士気が下がり、兵数で劣り、腰が引けた部隊から脱落し、最後には全軍が瓦解する。
そうなる前に大将は兵をまとめ上げて撤退の指示を出す必要がある。
徳川家康と長宗我部元親、両軍の大将がどこで撤退の指示を下すか。
徳川家康は下手をすれば遠き異国の地で壊滅的な被害を受け、場合によっては四国でその屍を晒す危険性を伴う。
長宗我部元親はここで甚大な損害を被ってしまえば、後の領国経営にも支障をきたし、この後の毛利や織田の圧力に耐え切れずにやがて潰されるだろう。
どちらもこうなってしまった以上は一定の兵の損害は覚悟しなければならないが、それと同時に自身の中でこれ以上の損害は出せぬ、という線引きを設けなければならない。
現時点での損害は長宗我部軍の方が大きく、しかし兵数は未だ長宗我部の方が多い。
対して徳川は遠き異国の地で兵数に劣り、さらに長宗我部軍左備えに当たる部隊は、両軍全ての部隊の中でも最も兵数が少なく見えた。
元親が目線を上げて戦場を俯瞰し、狙い所を絞る。
この戦で長宗我部軍は極力被害を出したくはなかったが、そうも言っていられない。
だがここで撤退してしまっては兵数で劣る徳川に負けた、として四国内部での統治にも支障をきたし、やがて破滅へと至る可能性もある。
自分からは兵を退く訳にはいかぬ、ある程度の損害は覚悟し、それでも被害が少なる事を願いつつやってのけるしかない。
間違いなくここがこの戦の山場である。
ここでの判断がこの戦の勝敗を、そしてその後の徳川と長宗我部、全国でも屈指の規模を誇る二つの大名家の明暗を分ける判断となる。
だが元親はそれで怖気付く様な男ではなかった。
土佐の出来人たる長宗我部元親は、この戦で己が全うすべき役割と、背負うべき責任を一瞬の内にその胸に治め、一つの決断を下す。
覚悟を決めた元親は腕を、手を、人差し指を伸ばしてある一点を指し示しながら声を上げた。
「我が軍左備えに当たる敵部隊から攻めよ! 本隊からも兵を割いて構わん、左から敵陣を打ち崩す!」
元親の指示により、本隊の前面に展開していた中備えに加勢して、家康率いる本隊と激しく打ち合っていた兵が左へと流れていく。
別働隊を再編成した脇備えも、井伊直政と鳥居元忠両将の率いる部隊と激しく打ち合っている。
数の上ではこちらも互角以上、親泰の手腕ならばおいそれと打ち破られる事はあるまいと、元親はそちらへ意識を割く事を止める。
徳川軍の先鋒の片割れを粉砕し、その勢いでもって家康本隊も正面と左側面から攻撃を加えれば、少なくともこれほどの士気の高さは維持出来ずに、総崩れとなる前に撤退という道以外はなくなる。
しかも後ろは敵からの攻撃の心配が無くなった隘路の道、大将が撤退を決断すれば、すぐにも駆け込む事が出来る位置だ。
そこまで考えて、元親は改めて戦の絵図が頭の中で描けた。
大将の撤退、それによって徳川軍は敗走・撤退戦に移行する。
こちらからは追撃戦となるが、総力戦にまでなってしまった以上、極力兵力の損失は控えたい所ではあるが、ここで徳川に再起を図られぬように叩けるだけ叩いておく必要がある。
まずは家康本隊は捨て置くとして、現在右備えに当たっている部隊と脇備えに当たっている部隊、せめてこれらの敵は半壊以上にはしておきたい。
しかし元親の脳内で描かれていた図面は、その数瞬後にまたも破られる事となった。
「頃合いよな、猪を放て」
「は…陣太鼓を三度叩け!」
家康の指示を聞いた本多正信は、太鼓を持っていた兵にそう言い放った。
言われた兵は一定の間隔を開けて太鼓を三度叩く。
その太鼓を聞き付けた者が旗を掲げるように家臣に指示を下し、自らも得意の大声でもって名乗りを挙げた。
「織田家家臣・仙石権兵衛秀久じゃあッ! 長宗我部ぇ! 先年の恨み今こそ晴らさぁぁんッ!!」
大声を上げながら高地より一気に駆け降りる仙石秀久の部隊が、大久保隊とぶつかっている長宗我部軍左備えの横合いを穿った。
徳川軍がいた隘路を形成していた高台に、仙石隊はあらかじめ隠れ潜んでいた。
そして明らかに数で劣る大久保隊に、敵が狙いを定めた所を横合いから強襲する、というのが徳川軍の作戦であった。
無論、この作戦は大久保忠世には内密である。
先に言ってしまえば「殿はこの忠世の武勇をお疑いにございますか!?」などと言い始めることが予想出来たからだ。
相手は数で勝り、地の利で勝り、初顔合わせとなる『土佐の出来人』。
どれほど用心してもし足りぬ相手、という目算で挑んだ家康は、出来得る限りの手を打っておこうと決め、大久保忠世には盾でありながら敵を釣る餌にする、という複雑な役目を背負わせる事にした。
大久保家は逆境に陥れば陥るほどその真価を発揮する。
忠世には悪い気もしたが、それでもこの役目を任せられるのはあの男しかいなかったのである。
家康は詰めの一手を確認するべく、正信に再度視線を向ける。
「で弥八郎(正信)よ、伊予国の方は?」
「すでに遣いが参っておりますれば、もう間もなくあちらの耳に入りましょう」
「…うむ、あとは『土佐の出来人』殿が聞いた通りの出来人であることを祈るのみよ…」
家康の言葉を近くで聞いていた本多忠勝は、訝しげに家康に視線を送った。
自分の知らぬところで本多正信と何やら謀議を行っている、と見えたのだ。
その視線に気づいた家康は、忠勝にニヤリと笑いかける。
「今この場だけの戦ならば我らは分が悪い。 しかし大局的な物の見方をすれば我らに負けは無い、という事よ…長宗我部をここ阿波国までおびき寄せて伊予国から引き離した、そして長宗我部本隊がいなくなった伊予国には瀬戸内の海を越えて、やってくる軍勢があろう…分かるか忠勝?」
そこまで言われて忠勝はハッとした。
瀬戸内を超えてくる軍勢、しかもそれは長宗我部と比して尚強大な、西国の雄たる大名家。
「毛利家が、四国に?」
「うむ、既に伊予国に上陸しておるとの知らせは受けておる。 こちらはそれをいち早く知らせる様に忍びも配しておいた。 長宗我部が愚鈍でなければ対毛利も考える、なればこそこの場で徳川と無理な潰し合いなどは出来ぬ…ここで我らを潰しても、それによって疲弊した軍勢で毛利を防ぐ事など出来ぬであろうからな…いずれにしろ向こうが兵を退くのは時間の問題、という事よ…」
そう言ってのけた家康は、『狸』と称されるに相応しい笑みを顔に浮かべていた。
あくまで局地的には大きな戦の様に見えて、その実四国全土の情勢までをも見据えた戦略的な思考に、忠勝は内心で恐れを抱いた。
自らの主君である家康は、既に毛利の動きすら計算に入れて動いていたのだと思い知らされた。
家康の後ろで得意気な顔をしている本多正信には拳の一発でも入れてやりたくなったが、目の前の家康には改めて畏敬の念を持った。
そして家康は笑みを消し、改めて忠勝に言い放った。
「だがここで気の抜けた戦をして我らがやられてしまっては本末転倒、他言無用ぞ…」
「は、されば某は前に出て少しでも兵の損耗を抑えに…」
言いながら馬を進ませようとする忠勝に、家康は待ったをかけた。
「お主は万が一に備えてここにおれ。 わしの護衛がわしから離れてなんとする?」
「……畏まりました」
常に万が一を考え、齢を重ねると共に慎重さを増していく家康に、忠勝は不承不承ながらも頷いた。
確かに万が一にも本陣に敵が迫り、家康が討ち取られる事などあってはならない。
それを防ぐためと言われてしまえば、忠勝も引き下がらざるを得なかった。
そして家康の後ろでうんうんと頷きながら、正信がいらぬ言葉を口走る。
「左様ですな、さすがの殿も四国までは焼き味噌を持参してはおらぬでしょうし…」
その言葉に家康の頬がピクリと震える。
そして正信の方にゆっくりと向き直り、少しだけ視線に圧力を込めて問い質す。
「何のことを言っておる弥八郎よ? この場で焼き味噌を持ち出す意味が分からぬぞ?」
「おや、三方ヶ原では武田に追い立てられて、馬の鞍に焼き味噌を落としても気付かなかったと聞き及んでおりましたが…はてさて、某の覚え違いにござりましょうかなぁ?」
正信の言葉に、家康が身体をプルプルと震わせる。
かれこれ十二年も前になる三方ヶ原の戦いにおいて、家康は当時まだギリギリ存命中であった武田信玄に散々に打ち負かされ、浜松城に生きて辿り着いた時には恐怖のあまり大便を漏らしており、それが馬の鞍に残っていたという話があった。
しかしその戦に正信自身は参戦しておらず、家康は視線で「誰から聞いた?」と問い質していたのだが、正信は肩をすくめるだけで何も語ろうとはしなかった。
あくまで知らぬ存ぜぬと言い張りたい家康であったが、確実にどこかで耳にしたのであろう正信の態度に、それ以上の追及は藪を突いて蛇を出しかねない、と判断した。
そしてそんな家康と正信の言動に、本多忠勝の正信嫌いはますます加速していくのであった。
「織田の、猪武者か…」
長宗我部元親の眼に、こちらの左備に横槍をつけた永楽銭の旗が映る。
二年ほど前には三好家残党と合わせて、散々に打ち負かしたにも拘らずしぶとく生き延び、淡路島からこちらを牽制しようとしていたようだが、徳川という強大な援軍の登場で再び四国へと舞い戻って来たという所か。
こちらが左備えに戦力を集中し、一気呵成に畳み掛けようとした所に横槍という、なんとも嫌らしくも効果的な戦術を取る辺り、これは猪武者の戦法ではなく徳川の入れ知恵という事だろう。
これからという所に躓きを与える、数は少数だが高地から駆け降りてくる勢いも手伝って、こちらの左備えは完全に浮き足立ってしまった。
これによって戦況は五分五分に近い形となってしまった所に、伝令の兵がさらに悪い知らせを持ってきた。
「一大事にございます! 伊予に毛利軍来襲! 敵は吉川・小早川を中心としたおよそ二万!」
その悲鳴にも似た報告に元親の顔色が変わる。
伊予国内にもある程度の防衛戦力は残してある。
だがあくまである程度であり、吉川・小早川という毛利家の中核を担う戦力が二万という大軍を率いてやってくるとなれば、もはや防衛が成功するという目は無く、むしろどれだけ保つかという話になる。
阿波国内で対徳川に圧勝したとなれば、次は返す刀で伊予国で対毛利に当たる。
ここで毛利に付け入る隙を与えなければ、四国の半分以上を支配下に治めたまま今年の冬を越せるという算段をしていた元親の計算は、根底から覆される事となった。
当初は徳川が打って出てきて、野戦で決着を付けるのなら元親としても願ったり叶ったりであった。
その分早く徳川を片付けて、すぐさま毛利の対応に戻れると思ったからだ。
だが状況は元親にとって最悪の方向へと転がっていった。
ここで徳川を相手にこれ以上被害を出すのは得策ではない。
元親はすぐさまこの戦だけでなく、四国全土を思い描いた絵図を用意する。
本貫の地である土佐国だけは守り切らなければならない。
となれば今この場で採れる方法は少ない。
元親は普段浮かべる苦笑を、更に苦々しいものに変えながら伝令の兵を呼ぶ。
「後備えの信親に伝えよ。 この戦は負けてはおらぬが勝ちに固執しなければならぬ戦でもない、急ぎ土佐へと戻り防備を固めさせよ、殿はわし自らが行う故万が一の場合は家督はそなたが継げ、とな」
「殿ッ!?」
周囲が驚きに目を剥く中、元親はふう、と息を一つ吐いて苦笑もそのままに口を開く。
「徳川は始めからわしをおびき寄せるために阿波国へ上陸して来たのだ、その隙に毛利が伊予を掠め取る事まで計算に入れてな…いくらわしでも阿波と伊予の同時侵攻を合わせて止める術は無い、なれば阿波と伊予の大半を放棄してでも、土佐の防備を固める他に策は無し……異論は?」
元親の言葉に誰もが項垂れたまま拳を握りしめ、悔しさを顔に滲ませながら沈黙の肯定を続けた。
その様に元親は「そういう事だ、これより撤退戦である」とだけ言い放ち、再び馬の背から背筋を伸ばして遠くを見た。
高い所から遠くを見る元親の眼に映っているのは、今も自軍と凌ぎを削り続ける徳川軍か。
それとも支配権を手放さねばならぬこの辺りの景色を、今一度見ておこうという郷愁か。
あるいは苦難と暗雲が立ち込めているであろう長宗我部家の行く末か。
今この場において『出来人』と同じ視線で物を見て、事を考え得る人材は、元親の周囲に存在してはいなかった。
一刻ほどの後、その戦場では徳川軍が勝ち鬨を上げていた。
元親は後備えの将である自らの嫡男・長宗我部信親を先に撤退させ、その後で本隊を含めた全軍で順に殿を務め、整然とした撤退戦を行った。
そこに至るまでの損害もさることながら、その撤退戦術の上手さに徳川軍も積極的な追撃戦は行えず、だが敵が撤退した以上勝ったのはこちらだ、と喧伝するためにあえて大仰に勝ち鬨を上げさせた。
そして徳川家はこの時の戦功により、信長を頂点とする陣営の中でも最重鎮の立場を得ることに成功したのであった。
徳川対長宗我部、でした。
しっかりじっくり描きたかったのにこれが限界でした…改めて頭の中の構想を文字にする事の難しさを身を以って思い知らされる次第です…




