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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その13

今回は徳川 対 長宗我部です。

         信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その13




 数百を数える銃撃の音が一斉に鳴り響く。

 一発だけでも不意に聞こえれば身体を強張らせるその音が、数百発も一斉に聞こえたならばそれはもう音の暴力と言える。

 撃った側の長宗我部の陣営でも、少なくない数の兵がその轟音に思わず体を震わせた。

 だがその正面、彼らと相対する徳川家の軍勢には、その音以上に物理的な攻撃として銃弾が飛んでいくのである。

 多くの竹を縄で結び、「竹束牛(たけたばうし)」などと呼ばれる盾で銃弾を受け止める徳川の先陣を務める将は、その暴力的な轟音と飛び交う銃弾が竹束牛を打つ音を聞きながら、眉間にしわを寄せていた。


 対長宗我部の先陣、言い変えれば敵からの攻撃を一身に受ける盾の役目を命じられたのは、徳川家臣最古参の一角、大久保忠世(おおくぼただよ)であった。

 家康の祖父、松平清康の代から仕えている大久保家の分家当主にして、本家筋を凌ぐ働きぶりから大久保家全体の、いわば「大久保党」の頭領という地位を任された男である。

 出しゃばらず、されど引っ込み思案とならず、主君である家康の命が下れば、一族全員が命を投げ打って奉公する事も厭わず、そんな気概を持つ男であった。

 だがそれ故に、彼は現状に不満があった。

 酒井忠次・本多忠勝・榊原康政といった者たちに並ぶ、でなくともそれに次ぐ重臣、それは己を置いて他に無いと思っているからこそ、彼は眉間にしわを寄せていた。


 彼にとっては戦場で鉄砲の音が鳴り響くのは当然であり、竹束牛で防御を固める自軍の兵が、易々と自分の所まで銃弾を通す訳がない、と信頼しているために考えに耽る事が出来る。

 主君・家康からの命令は『敵が持つ鉄砲の弾薬を可能な限り消耗させ、防御を固めてその時が来るまでじっと耐えること』であったがために、彼にはすでにやる事が無くなっていたのだ。

 既に命令は下した、大久保党は言われた命令は必ず忠実にこなす。

 三河武士は犬の様に忠実だ、などと他国の者からは揶揄されるが、その中でも大久保党の人間はさらに頭一つ抜け出している。

 なにせ家康の命令であれば、一族郎党全てが即座に腹を切る事も辞さない、そんな家風であるからこそ大久保忠世は今回の戦が不満で仕方がないのだ。


 何故「防御を固める」だけなのだ、何故「命懸けで先駆けて、敵の陣営に風穴を開けて来い」と言ってくれないのだ。

 防御を固めるだけなら亀でも出来る、先陣と言ってもこれでは存分な戦働きが出来ないではないか。

 命を惜しまぬ大久保党にとって、ましてやその頭領たる大久保忠世にとって、命を惜しんで守りを固めるだけの先陣というのは、歯痒いことこの上ない仕事であった。

 床几に座りながらも腰に差している刀を拳でトントンと叩き、落ち着かぬ様子を見せる忠世に、弟である大久保忠教(おおくぼただのり)が苦笑しながら目を向ける。

 そんな弟の態度に、苛立ちを隠せぬ忠世が威嚇するように声をかけた。


「なんじゃ、言いたい事があるなら申してみよ」


「落ち着かれてはいかがですか、兄上…ここで某に当たられても武功は立てられませぬぞ」


「ふん……殿は意地悪じゃ、わしに先陣を命じたならば敵に当たらせてくれればよいものを、よりにもよってひたすら耐えよ、とは…しかもわしらの後ろにおるのは小平太じゃぞ、わしらが耐えて耐えてひたすら耐えて、敵が疲弊したらその時は小平太が敵に当たる、という事じゃ…」


 そう言って顔をさらに渋くして、鼻から息を荒く吐き出した。

 小平太、とは榊原小平太康政の事である。

 榊原康政といえば徳川家の中でも指折りの武勲を上げる、本多平八郎忠勝と双璧をなす重臣である。

 忠世自身も榊原康政の有能さは分かっている、だがだからと言って武功の主な部分を持って行かれそうだ、というのはやはり釈然としなかった。

 つまらなそうな態度を隠そうともしない、そんな兄の姿に忠教は少し意地の悪い顔をした。


「日頃から『忠義一徹、それこそが大久保家の家訓と思え!』などと(うそぶ)く兄上の態度とは思えませんな、殿の御命令に不服を唱えるとは、いやはや……」


「む…別に不服を唱えてなどおらぬわ、ただ我ら大久保家が少々蔑ろにされてはおらぬか、という…」


「それが不服を唱える、という事にござる。 我らがまず盾となって敵の攻撃を食い止める。 お味方の勝利にいの一番に貢献出来る、大事な役どころにござりませぬか…それをさっきからブツブツと…」


「敵の首級も上げんで武功が立てられるか! これでは敵が疲弊する頃には、わしらも疲弊して結局第二陣の小平太が一番槍を上げてしまうではないか! わしはそれが歯痒くてならんのじゃ!」


「…兄上、兄上は少々勘違いをしておられる…」


 ため息を吐きながら、忠教が肩をすくめた。

 その態度に、忠世が頬を引きつかせながら目線で話の先を促す。


「首級を上げるばかりが武功に非ず、その事は兄上とてお分りでしょう……お味方の被害を抑え、敵を消耗させるというのも立派な御役目にござる、それに我ら大久保党は国許で忠佐(ただすけ)兄上の軍勢が留守居を務めておる故、兵数もあまり多くはない…このような状況でも我らに武功を立てさせてやろうと、殿は我らに盾役をお命じになられた…と、某は拝察いたしましたぞ?」


 忠教のその言葉に、周りにいた者たちも「おお…」と声を出し、合点がいったとばかりに頷いている者もいたほどだった。

 しかし自分と親子ほどにも年の離れた弟に論破された形となった忠世は、相変わらず眉間にしわを寄せて黙ったままだった。

 大久保家の兵力は今回の徳川による四国遠征において、その兵数を二つに分ける事になっていた。

 一つは大久保忠世率いる部隊で、これは家康に従い四国に上陸した。

 そしてもう一つが忠世のすぐ下の弟、大久保忠佐の率いる留守居の部隊である。


 家康の名代として宿老筆頭の酒井忠次が徳川家の領地の防衛を指揮しているが、本多忠勝と榊原康政は自家の兵力のほとんどを四国へと向かわせてきていた。

 そのため対北条・対真田への備えとして、それなりの数の部隊が主力の留守を守る役目を果たすべく、駿河や甲斐・信濃の国境付近に布陣していた。

 その中でも大久保忠佐が率いる部隊は北条の動きにすぐさま対応が出来る様、駿河国内でも最も小田原に近い地に陣取っており、その兵数も忠世とほぼ同数であった。

 つまり大久保家は全軍を完全に二つに分けてしまっており、四国で盾役を担う忠世の部隊には、五百にも満たない程度の兵しか連れて来れてはいなかった。

 そんな数の兵が突撃をかけた所で、敵に風穴を開けるどころか下手をすれば鉄砲の一斉射撃で、敵陣に辿り着く前にほとんどが討死してしまいかねない。


 なので忠教の指摘は的を得ていたのだが、だからと言って忠世にとっては「全滅が怖くて命を惜しんだ」という評価をされてしまうのでは、という懸念があったのだ。

 だが忠教はそんな兄の心情までをも理解していたのか、さらに言葉を付け加えた。


「なぁに、我ら大久保党は盾役だけで終わる様な軟弱な性根の者はおりませぬ! 好機到来となれば、後ろに控えておる榊原殿と先陣を競えばよろしゅうござる! それとも御歳を召した兄上には、その様な体力は残っておりませぬか?」


 盾役を務め、更に一番槍の武功まで競えば良いと豪語する忠教は、最後に忠世に皮肉をぶつけた。

 口達者で、なおかつ歯に衣着せぬ物言いをする弟に、忠世は思わず立ち上がる。

 周りの者は忠世が怒りに任せて弟を折檻するのでは、などと思う中で、忠世は勢いそのままに忠教に近づいてその両肩を掴んでニヤリと笑う。


「よくぞ申したわ! 確かに殿には盾役を務めろとは言われたが、その後小平太と共に突っ込んではならぬ、とは言われておらぬなぁ…言われたことを守らぬのは軍令違反じゃが、言われていないのであればわし等が止まる必要は無い…寡兵故に盾役しか勤まらぬ、などと思う者たちの度肝を抜いてやろうぞ!」


 先程の眉間のしわから一転、凄惨な笑みによるしわを顔に浮かべ、忠世はその全身に闘志を漲らせる。

 この時数えで既に五十三歳という年齢であり、当時であればそろそろ老境に達したと言っても過言ではない大久保忠世の肉体は、戦となれば往時の力強さを蘇らせる。

 銃弾と矢が飛び交い、あちこちで槍をぶつけ合う音を聞き、自らが持つ槍の感触を確かめると、三方ヶ原や長篠で戦国最強を謳われる武田軍を相手に、一歩も引かずに戦い抜いた歴戦の戦士に舞い戻る。

 大久保党の頭領とはいえ、元々自分は分家の出であり、ましてや家康のためならば命すらそもそも惜しまぬ大久保忠世という人間は、自ら槍を振るって敵陣に突っ込む気満々であった。

 信長をして名指しで称賛せしめた武勇を誇る男は、未だ鉄砲の襲撃を続ける長宗我部の陣の方を向いて、そのギラついた双眸をさらに輝かせる。


「四国にも轟かせてやろう……徳川に大久保あり、となッ!」


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 忠世の声に周りの者達の士気が一気に最高潮へと上がる。

 まるで勝ち戦だとでも言わんばかりの声量に、第二陣に控える榊原隊、さらには敵方の長宗我部軍までが一瞬呆気に取られた。

 何故鉄砲を撃ちかけられて士気が上がるのか、敵軍に一体何があったのか、長宗我部軍の兵たちは不気味な感触に怯えながら、鉄砲に次の弾を込め始める。

 だがその不気味な感触、そしてわずかに心に抱いた怯えこそが、大久保家の武勲をもたらす第一歩となる事に、彼らはまだ気付いてはいない。

 兄の心に火が付いた事を確認した忠教は、自らも「鬨の声を上げよ!」と声を張り上げ、さらなる士気向上に一役買った。




 大久保隊のすぐ後ろに控え、実質「攻めの先陣」であったはずのの榊原隊も、呆気に取られた後にこの戦での大久保隊の働きが想像出来て苦笑した。

 三方ヶ原や長篠では、戦の最中に突如として大久保隊の士気が上がる事があった。

 そういう時は大抵が逆境に陥っている時だ。

 家康の長い生涯で、最大の危機とまで言われた三方ヶ原の合戦では、迫り来る武田軍の猛攻に対して部隊全体が善戦し、家康の撤退を助けていた。

 長篠では最強と謳われる武田軍の中でも、さらに最強の呼び声高い「赤備え」の山縣昌景の猛攻を受ける中、信長から称賛を浴びるほどの働きを見せたのが大久保忠世である。


 徳川軍が、自分たちが苦境に陥れば陥るほど奮起し、傍から見ていても異様なほどに士気を上げて働きを見せるのが大久保家の人間なのだと、徳川家中の者たちは知っていた。

 そして今また、長宗我部軍からの銃撃を一身に浴びる盾役の大久保隊が、怒号の様な雄叫びを上げてその士気を大きく上げている。

 榊原康政が大久保隊の空気を察し、肩をグルグルと回した。

 銃撃の大音響にも負けぬ大声で叫んでいる、という事は大久保隊はただの盾役では終わる気が無い、という事を察したのだ。

 寡兵でありながらそれを感じさせぬ士気の上げ方は、さすがの康政と言えどそうそう真似は出来ない。


 なのでせめて反撃の機会が訪れた際には、大久保隊に負けぬ働きをせねばと今から身体を充分にほぐしておこうという気になったのだ。

 下手をすると温存してある榊原隊を置き去りにして、寡兵のまま突撃をかけるかもしれない大久保隊は、康政にも手綱を取り切れる自信が無かった。

 大久保忠世も既に齢五十を超えているはず。

 ましてや大久保一族の頭領でありながら、未だ足軽たちと共に敵陣に突っ込んでいこう、というのだから衰え知らずにも程がある。


「相変わらずの御仁よ……殿から承りし先陣の任、勤め上げるに不足は無しか…」


 そう呟く康政の顔には、戦場には似つかわしくない爽やかな笑顔が浮かんでいる。

 常日頃から「いかに殿の御為に命を捨てるか」を考えるような人物は、常に常在戦場の心構えで死兵と化し、敵とするなら何より恐ろしく、味方とするならこれほど心強いものはない。

 長宗我部軍の総数はおよそ二万、こちらは淡路の仙石隊を吸収してもさして変わらず一万五千という所で、地の利は向こうにある中での逆境である。

 そんな状況下で先陣を任されて、逆境に強い大久保に火が付かない訳がない。

 あとは気を窺うだけだと、康政は部下たちにいつでも出れるように指示を下すのだった。




 今の徳川全軍は小高い丘に挟まれた隘路に、縦長となった陣容になっている。

 その先頭である大久保家は、隘路を抜けた先の拓けた地に陣取っている長宗我部軍から集中砲火を浴びる結果となっているが、これは計算の内だった。

 長宗我部は別働隊を用意し、反対側から徳川軍を挟み撃ちにする戦法を取ろうとしている。

 逃げ場がない隘路で、前と後ろからの挟み撃ちとなれば、当然全滅の危機は免れない。

 だがそれはしっかりと挟み撃ちに出来れば、の話である。


 敵の集中砲火に耐え得る先頭と、その後ろに控える未だ損害を受けていない榊原康政隊、更に挟み撃ちにしやすい道をあえて選び、後備えには挟み撃ちにせんとする長宗我部別働隊を、逆撃して打ち倒すための部隊が配置されているとなれば。

 後備えには井伊直政が配置されており、さらにその援護には服部半蔵率いる伊賀忍軍も配備されている。

 伊賀忍軍は徳川軍がいる道を隘路にしている小高い丘に布陣し、長宗我部軍の斥候を片付けると共に、長宗我部別働隊を頭上より奇襲して、攪乱させる役割を担う。

 伊賀忍軍からすれば、畿内にいる甲賀や根来衆、さらに武田の「三ツ者」や上杉の「軒猿」と呼ばれる凄腕の忍び集団を相手にする事を考えれば、四国に存在する斥候たちなど物の数ではなかった。

 敵の斥候を片付けた上でその者に成りすまし、長宗我部軍に嘘の情報を流すなど造作も無かった。


 徳川軍は地の利が無いままに隘路を進み、その先で待ち構える長宗我部軍に集中砲火を浴びる事となった。

 そこで立ち往生していた徳川軍に、後ろから長宗我部の別働隊が襲いかかり、これを殲滅させる。

 長宗我部元親にその絵図を描かせるに十分な偽情報を送り、徳川軍を散々に打ち負かすための作戦が、実は徳川の掌の上であったと気付かせぬ様に仕向けた。

 そうして今、長宗我部元親の弟である香宗我部親泰(こうそかべちかやす)が率いる別働隊が、徳川軍の背後を衝かんとしていた。

 それに受けて立つのが徳川が誇る新進気鋭の若武者、井伊直政である。


 井伊直政の家は徳川譜代の家臣ではなく、家康の代になってから新たに従った遠江国・井伊谷という地の小領主の家であり、かつては遠江を支配していた今川家の家臣であった。

 だが桶狭間の合戦で今川義元が信長に討たれ、さらに当主であった井伊直盛も討死にし、その後も様々な苦難により井伊家の名跡が途絶えかねない事態となった。

 そのため井伊直盛の娘は井伊直虎を名乗り、女性の身で当主となって井伊家の立て直しを図った。

 今川家の衰退と武田家の遠江侵攻を経て、直虎は養子としていた直政を徳川に出仕させて家名復興を託した。

 当時はまだ若年であった直政は、家名復興を至上命題として遮二無二努力し、今では一軍を率いるほどまでに成長した。


 徳川に仕えて九年、二年前には自らに家督を譲って世を去った直虎の分まで、直政は井伊家発展のために命を賭ける気概に満ちていた。

 常に先陣を願い、常に武功を求めるその姿勢は、ともすれば危うい若者として映る。

 だが彼はそれに留まらず、滅亡の憂き目に遭った武田旧臣の多くを家康から任され、その強さを引き継ぐべく部隊を再編させる事となった。

 武田の旧臣たちはかつての主家であった武田家の滅亡により所領を追われ、旧領に復したいと願う者たちが多かった。

 その土地にちなんだ名を持つ、井伊谷出身の井伊直政の下に、徳川に従う事で旧領を回復した男の下に、その者に続けとばかりに旧領に復したいと願う者たちが集まったのだ。


 かつては武田家によって井伊家の本領、井伊谷を追いやられた家の現在の当主は、その後徳川に仕えて今ではその追いやった武田家の旧臣が、井伊家に付き従って旧領に復したくて戦うという。

 これほどの歴史の皮肉があろうか。

 ならば部隊を再編する上で、と直政が考えたのがかつての武田最強を謳った山縣昌景の「赤備え」である。

 井伊家の居城であった井伊谷城は、武田に追いやられる際に他でもない山縣昌景に引き渡した、という経緯があった。

 武田の旧臣たちにとって「赤備え」は特別な意味を持つ事も計算し、さらにはここまで歴史の皮肉があるのなら、ここでもう一つ皮肉を付け加えてやろうという、直政の反骨心の表れとあった。


 かくして井伊直政の指揮する部隊は「井伊の赤備え」として味方を鼓舞し、「井伊の赤鬼」の名でもって敵を恐怖に陥れる部隊として編成された。

 最強を謳う武田の、さらにその中でも最強の強さを受け継ぐべき鬼の部隊。

 長宗我部軍の狙い通りと思わせる盾役、即ち表の先陣の大久保忠世に対し、その狙い通りと思って突っ込んで来た所に逆撃を食らわせる裏の先陣こそ、井伊直政なのである。

 忠義一徹を掲げ、逆境に陥った時こそ真価を発揮させる大久保の守り、家名復興・旧領回復を願い、将から兵まで迷いなく戦う井伊の攻め。

 先頭に大久保と榊原が、最後尾には井伊と服部の伊賀忍軍が、そして軍勢中央には主君・徳川家康と万が一のための守護神・本多平八郎忠勝がそれぞれ陣を構えている。


「我らが武功のために、いざ死地へと参れ…長宗我部!」


 既に直政の部隊は全軍が反転して、敵を迎え撃つに万全の態勢となっている。

 本多平八郎殿の出番は与えぬ、榊原小平太殿には負けぬ、大久保の御老体には世代交代の時を見せ付けてやる。

 この戦で徳川の武勇筆頭、長宗我部制圧の武功一番はこの井伊直政であると思い知らせてやる。

 向こう見ずな蛮勇を誇るだけのものではなく、しっかりとした戦略眼を併せ持つからこそ、彼は今この場にいて将として一軍を任されている。

 その彼の眼が今、こちらに向かってくる敵軍の先鋒を捉えた。


「手柄首が参ったぞッ! いざ攻めかかれぇッ!」


「おおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」


 敵は機動力を重視しているため、鉄砲などは持たずに徒歩と騎馬だけの構成であった。

 そこに騎馬を中心とした直政の部隊は一気呵成に攻めかかった。

 長宗我部軍の先頭は、臨戦態勢で待ち構えていた直政の軍に慌てふためき、さらにそこに直政の激が轟き恐慌状態へと陥った。

 体勢を立て直さんと指揮官が声を張り上げたが、そこに丘の上から伊賀忍軍が鉄砲の雨を降らせた。

 不安定なはずの木の枝の上から、選りすぐりの鉄砲巧者による狙撃に遭い、長宗我部軍はさらに混乱に拍車がかかった。


 そんな状態の長宗我部軍に、井伊直政率いる赤備えの軍勢が鬼のような勢いで攻めかかる。

 長宗我部軍はロクな反撃も出来ぬまま、赤備えによる蹂躙を許した。

 そして先頭の方から聞こえる怒号と悲鳴に、どうにも様子がおかしいと感じていた香宗我部親泰の元に、伝令による報告が来た。

 その報告を聞いて親泰は自分達が謀られたと瞬時に悟り、そのまま報告に来た伝令の兵に新たな命を下した。


「前衛はそのまま殿を務めよと伝えろ! 中衛と後衛は即座に反転! 兄上の本隊と合流する!」


 兄譲りの戦略眼と迅速な指示で、親泰は即時撤退の命を下した。

 前衛はおそらく壊滅するだろう、ならば自分たちはその間になんとしても生きて逃れ、体勢を立て直して本隊と合流し、改めて拓けた場所で仕切り直せば良い。

 親泰は内心の焦りを必死に押し隠しながら冷静に指示を出していた。

 その親泰の表面上の冷静さに将兵たちが落ち着きを取り戻し、多少は慌てながらも列を乱さずに今来た道を戻り始める。

 だが親泰は人知れず額にびっしりと汗をかいていた。


 兵数も多く地の利もある、そんな自分達が負けるかもしれないという可能性が出てきたからだ。

 徳川は確かに精強な軍なのだろう。

 だが自分たちの本領からは遠く離れた、なおかつ海すら渡る長い遠征で、その上初めて踏んだ土地で十全の力が発揮出来るかと言えば、それはまず無理な話だ。

 しかも相手にするのは自分達よりも兵数も多い、四国の半分以上を手中に収めた長宗我部軍だ。

 これで一体どうやって士気を維持しているというのか。


 親泰はこの時点で徳川にある種の恐怖を抱いた。

 こちらの動きを先読みした、地の利で上回るはずのこちらの裏をかいて来た、遠征において避けては通れぬ兵の士気の低下が感じられない。

 常識を逸脱した存在を相手にしているその恐怖に背中を押され、親泰は必死に声の震えを抑えながら「急げ、急ぐのだ!」と、周囲の兵たちに撤退を急がせる。

 元々狭い道を進むために縦に長く伸びた軍勢を、後ろから強襲するための部隊だったのだ。

 長宗我部の得意戦術である、鉄砲の数による一斉射撃は元親の本隊で運用し、こちらにはほとんど持って来てはいない。


 前衛がそのまま殿となって敵を食い止めてくれなければ、追いすがってきた徳川軍に対して、牽制射撃すらままならずに接近を許してしまいかねない。

 それを危惧していた親泰は、いざとなれば中衛すらも足止めのために置いていくか、という考えが一瞬頭をよぎった。

 しかしその考えを実行に移す前に、新たな伝令兵が親泰の乗る馬の前に跪く。


「申し上げます! 殿の前衛軍が突破され、敵軍がこちらにさらなる追撃をかけんと迫って来ているとのこと! 急ぎお退き下され!」


 伝令の声に周囲の兵たちが瞬時にざわつく。

 つい先程前衛が敵軍後備えと戦闘に入った、と聞いたかと思えば四半刻もかからずにこちらの前衛が突破されるとは。

 一体どれほどの勢いでもって向かってきているというのか。

 親泰は額に更なる汗をかきながら、中衛にその場で反転させて追撃してくる徳川軍を迎え撃たせ、自分と後衛は本隊と合流する、という指示を下して馬に鞭を入れた。

 親泰は迫り来る徳川軍の猛攻を背中で感じながら、流れる汗を拭う間もなく馬で駆け続けた。




 家康は縦に伸びた軍勢のほぼ中央付近で馬に乗っていた。

 そばには家康の護衛のために本多忠勝が控え、更に前と後ろからの情報の取り纏めのために、謀臣である本多正信も家康の近くに侍っていた。

 既に前方では長宗我部軍の鉄砲射撃による攻撃が始まっているようで、ここまで鉄砲の射撃音が響いて来ていた。

 しかも数十どころの数ではない鉄砲の一斉射撃の様で、まるで長篠の合戦の折の、設楽ヶ原に轟いていた鉄砲音を彷彿とさせる大音響である。

 長宗我部元親という武将は、信長と同じく鉄砲の有用性に目を付け、かなりの数の鉄砲を保有しているという情報を事前に得ていた。


 家康は先んじて四国に伊賀忍びを潜入させ、長宗我部元親が商業重視・経済発展重視の政を行い、それによって上がった収益で鉄砲を買い漁っているという情報を掴んだ。

 そして四国各地にいる反長宗我部勢力と淡路島にいた仙石秀久から、長宗我部の戦い方は鉄砲戦が主体であるという情報も手に入れていた。

 なので家康は長宗我部対策に多くの竹束牛を用意させようとしたが、それでもやはり全軍に行き渡るほどの数は用意出来ないと踏んだ。

 そこで本多正信が提案したのが、こちらが鉄砲射撃を受ける人間自体が少なければ、使う竹束牛も少なくて済むという発想であった。

 あえて隘路を進み、その出口で長宗我部が待ち受けたくなるような軍勢の形にして、しかも背後から強襲をかけたくなるような道を伊賀の者たちに探し出させ、理想的な地形を見つけたのだ。


 そうして伊賀の諜報力と正信の作戦立案により、徳川軍の戦い方は決まった。

 あとは家臣たちそれぞれの働き次第で、この戦の趨勢が決まるだろう。

 そして家臣の働きで戦が決まるのなら、徳川に負けは無いと家康は確信していた。

 それでも念のために本多忠勝を本陣詰めにするというのは、家康らしい慎重さと言えた。

 忠勝本人も家康の護衛を命じられては、先陣を強く望む事は出来なかった。


 結果として忠勝を除く大久保忠世・榊原康政・井伊直政という徳川きっての武勇を誇る者たちがしっかりと前後を固める形で、徳川は戦に臨んだのである。

 前方からは鉄砲の音の後に、怒号の様な声と勝ち鬨にも似た声が上がった。

 そのすぐ後には後方から馬の蹄の音や、戦場特有の様々な音や声が聞こえてきた。

 前後で戦端が開かれ、それらの音はやがて本陣から少しずつ遠ざかっていった。

 つまりはこちらが押している、という事になる。


「元忠に伝えよ、直政と協力して敵を討てとな。 さて、我らは前に進むぞ」


 ほぼ中央にいる家康と後備えの直政の間にいる鳥居元忠にも出陣命令を下し、家康は本陣の部隊に前進の号令を下す。

 鳥居元忠はもし直政が敗れた場合の、いわば保険としての役割を担うための場所にいた。

 だが直政は『井伊の赤鬼』の名に恥じぬ勢いでもって、逆に敵を押し込めていた。

 ならばそこに援軍として鳥居元忠を向かわせて、家康率いる徳川本隊は長宗我部軍の本隊と雌雄を決すべく、前進を開始したのだ。

 だが家康の命令に正信が少しだけ嫌そうな顔をした。


「なにも殿御自ら向かわずとも…大久保・榊原の両名が上手くやりましょうに…」


 正信の言葉に忠勝が眼をギロリと向ける。

 それを片手で制しつつも家康は正信に言い聞かせるように言った。


「全てを家臣任せにしておる訳にもゆくまいて…いかな我が精兵と言えど元々向こうの方が数が多いのだ、わし等も出て少しでも数の差を埋めぬとな…」


「金扇の馬印を背にすれば、徳川の者は皆死兵となって敵に向かいまする…殿の身はこの平八郎が御護り致します故、存分に采配を振るわれませ」


 家康の言葉に正信もそれ以上は異論を唱える事が出来なかった。

 出来れば家康に危険な真似はしてほしくはなかった正信だったが、こうまで言われては引き下がらざるを得ない。

 そして隣に控えていた忠勝は、家康がその場にいることを示す金銭の馬印を背にした徳川軍が、どれほど強いのかを自信満々に語る。

 事実圧倒的な強さを誇る武田軍を相手に、敗れたとはいえ攻め切らせなかっただけの粘り強さを発揮した徳川軍は、その家名を上げたのだ。

 さらに家康の横には忠勝もおり、絶対に家康を危険に晒しはしないという気迫を感じさせた。


「前方の大久保・榊原隊に伝えぃッ! 押し出せ、これより総力戦ぞ!」


 家康の号令を受け、伝令兵がそれぞれ大久保隊と榊原隊に向かって駆けてゆく。

 家康の号令一下、本隊が徐々に前に進んでいくのを感じた正信は、もはや止められぬと肚をくくり、一つ息を吐いて家康の後を追い始めた。

 そんな正信を「腰が抜けたのならその場におれば良い、戦が終わった後にでも回収する者を遣わしてやるぞ」と馬上から忠勝が皮肉った。

 正信はその皮肉を「ご無用に」と言葉少なに受け流す。

 重臣同士のピリピリとしたやり取りを聞こえない振りで流した家康は、視線を前方に向けて馬を進ませる。


 徳川家康対長宗我部元親の一戦は、いよいよ佳境へ向かわんとしていた。

ようやく車検、運転免許の更新、マイナンバー取得といった諸々が終わりました。

予想外の手間を取らされたり、その場になって出費が増えたりと色々泣かされましたが、とりあえず書き上がりましたので更新いたします。

こんなに日数を開けてしまったというのに、書き貯めが全く無い…お読み下さっている方々には、何卒気長にお待ち下さいますようお願いいたします。

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