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信長続生記  作者: TY1981
110/122

信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その11

大変お待たせいたしました。

ウィンドウズ10にバージョンアップした途端、すごい遅くなりました(泣)

本業の忙しさもさることながら、私事が次から次に舞い込むようになり、他の方々の作品を読むことは出来ても、自身の話を書くことが全く出来なくなっておりました。

ただ更新速度こそ遅くなっても、未完のままに終わることだけは私自身絶対にしたくありませんので、時間を作って、ついでに出来ればパソコンも新調して頑張りたいと思います。

           信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その11




 信長の言い放った言葉の真意を読もうと、本願寺顕如は必死に脳内で考えを巡らせる。

 先程信長は確かに自分たち本願寺を「庇護する」と言った。

 そしてあれだけ密接に繋がっていると思っていた『デウスの教え』は「庇護している」わけではなく、「利用しているだけ」と言い放った。

 言われてみれば、確かに信長は九州の大友家をはじめとする、いわゆる『キリシタン大名』たちに比べれば『デウスの教え』に対して、そこまで傾倒・妄信している訳ではない。

 洗礼を受けた訳でもなく、家臣を強制的に改宗させたりもしていないのだ。


 一部の家臣は確かに『デウスの教え』に興味を持ってはいるが、だからと言ってそれもあくまで個人個人の好きにさせているだけだ。

 信長は宣教師たちから贈られる品々で、自分がこれと思う物は喜んで受け取るが、それ以外に自分自身が価値のあるもの、と認めたもの以外は無頓着でもあった。

 また宣教師たちからの繋がりで南蛮商人たちとも渡りを付け、火薬の原料となる硝石の輸入や、価値のありそうな物や日ノ本では存在しなかった珍しい物、そういった物を手に入れるために『デウスの教え』に対し寛容となっていただけだ。

 あくまで織田家の力をより強くするために、合理的な判断で『デウスの教え』に協力的な態度を示していただけに過ぎない。

 だがしかし、それらの事情は察することが出来たのは顕如だけであったようだ。


「戯言をッ! 貴様はこの神聖なる日ノ本に、薄汚い宣教師や南蛮商人たちを呼び寄せる原因を作った売国奴であろうがッ! よくも抜け抜けとそのような――」


「黙りなはれ」


 顕如からは下間頼廉を挟む位置に座る坊官の下間仲孝が、激高して立ち上がる。

 さらにそのまま信長を指差し、まるで断罪するかのように声を荒げていた所に、上座に座ったまま最初の一言以降、黙って事態を見守っていた近衛前久が静かに水を差す。

 思わぬ所からの思わぬ言葉に、呆気に取られたように仲孝が黙る。

 信長を睨み付けていた視線は、前久への問いた気な疑問の視線に変わる。

 その視線に応えるように、前久は全員を視線でゆっくり眺め回した後に口を開く。


「この身がここにおる理由、そして現関白の一条内基卿ですらこの場に列席した理由…わざわざ口にせんと分からしまへんか? ホンマに信長はんがこの日ノ本を南蛮国に売り払うような男やったら、この身が差し違えてでも止めて見せますわ…信長はんはその逆、むしろこの国を南蛮国の脅威から守るために、帝や公家衆を相手に大立ち回りを演じはって、結果として朝廷は信長はんを認め、その後ろ盾となるように今も様々な形で動いてはります…顕如はん、あんさんとは知らぬ仲やない…この身の話、聞いてくれますやろか?」


 最後に前久は、顕如に視線を向けて問いかける。

 顕如もそれを拒絶する気はない。

 近衛前久はかつて関白を解任され、本願寺に匿われた過去がある。

 その際に顕如の息子である教如を自らの猶子とするなど、両者の関係は決して悪いものではなかった。

 そういう意味では、信長と顕如は宿敵と言える間柄でありながら、近衛前久という共通の知人とそれぞれに仲が良かったという、奇妙な関係性があった。


「信長はんは南蛮の宣教師から『地球儀』言うけったいなもんを贈られた…この世は丸い玉で出来とる、それを証明する世界地図いうことらしい…この身も見せてもらいましたがなぁ、日ノ本がいかに世界の中で小さな小さな国か、思い知らされましたわ…一抱えもある大きさの世界の中で、握り飯よりも小さな国、それがこの日ノ本の大きさやった…我らは握り飯よりも小さな国の中で『天下』を謳っておったっちゅう訳ですな…なんとも情けない話やないか…南蛮人からすれば、こんな海の端っこの小さな島国が、何を言うておるっちゅう話や…そしてそんな小さな国でさえ、御覧の通りの戦乱の世、ですわ…」


 少しばかり大仰ではあったが、身振り手振りを交えた近衛前久の口上は、本願寺側には大きな影響を持って受け止められた。

 顕如は眉間にしわを刻み、頼廉は喉からゴクリと音を鳴らし、仲孝はギリ、と顔をしかめて歯噛みしていた。

 そんな反応に気を良くしたのか、前久はさらに続けた。


「この日ノ本よりもっと大きな国が、とっくに統一されて海の外に出とるっちゅう時に、我らは一体何をやってはりますの? 公家と武家と寺社がそれぞれ好き勝手な考えと方向を向いて、なんにも纏まることもなく相争う…ホンマにこのままで、この日ノ本に民の安寧が戻ると、本気で考えてはおりまへんやろな、顕如はん…もし日ノ本全土よりも多くの兵が、日ノ本のどこより進んだ武器持って来はって、この日ノ本に攻め込んできた時、ホンマに念仏だけで戦えるとは思うてはおりまへんな?」


 後半は顕如の目を見ながら問いかけてきた前久に、顕如は何も言葉を返すことが出来なかった。

 念仏だけで戦う、というのは本願寺をはじめとする寺社勢力全体のことを指しているのだろう。

 すでに朝廷は信長を支持する、と決めている以上は武家と公家、少なくとも織田家とそれに協力する大名家は朝廷と手を組んで、対南蛮国で意思を統一して対抗することが出来るだろう。

 その際、信長に対抗したがために大分数を減らしてしまったとはいえ、全国各地に散らばる一向宗の門徒だけで南蛮国に対抗できるか。

 答えは否だ、信長でさえ潜在的に恐れを抱いている南蛮国に対し、その信長にすら降伏した本願寺勢力が勝てる算段など、付くはずがないのだ。


 顕如の頭の回転は速い。

 本願寺の法主として、常に坊官や信者たちに囲まれた閉鎖的な環境に身を置いているとはいえ、情報の大切さや経済の重要性、さらには外交や戦時の士気高揚など、様々なことを考え、身に付けることを余儀なくされていた身の上である。

 ともすれば日ノ本屈指の才覚を持ち合わせていた、と言っても過言ではないからこそ、彼は今日まで本願寺の法主として常に絶大な支持を得続けているのである。

 その顕如の頭は、わずか数秒で目まぐるしい回転を見せている。

 近衛前久の言う事は確かにその通りかもしれないが、それが信長の掌の上である可能性及び危険性、それに乗ることによる前久の利益、こちらもそれに乗ることによる利益と損失、逆に乗らない場合の利益と損失、それらをものの数秒で様々な結論を同時に出し、合わせて十通り以上の結論を導き出す。


 自分の出す結論、選んだ選択で本願寺という存在が、開祖・親鸞聖人が作り上げた一大宗派が、灰燼に帰すかもしれぬという危険は常に孕んでいる。

 だがこの場で答えを保留にする、というのは最も取ってはならない手だと顕如はわかっていた。

 手を打つのならば今この時、この場にて本願寺の命運を決する。

 心のどこかにある不安や恐怖を無理やり押し殺し、顕如は一つの決断を下す。

 一度喉を湿らすために唾液をゆっくりと飲み込んだ顕如は、そっと息を吐き、前久と、信長を交互に見てから口を開いた。


「仰られることは理解いたしました…南蛮国の脅威というのは確かに由々しき問題、この日ノ本全土、まさに天下を挙げて対抗する措置を取るべき事柄にございましょう……されば先程の織田殿からのご提案、条件を変えて呑ませて頂く、という事で如何にございましょう?」


 顕如の言葉に、坊官の二人がわずかに眼を見開く。

 顕如が呑む、と言う以上は反対は出来ないが、それにしても結論が早すぎはしないだろうか、という気持ちがあった。

 だが顕如だけは気付いていたのだ。

 先程の前久の発言、さらに信長がこのような手段まで取って、本願寺勢力を自らの勢力に取り込もうとした理由に。

 結論から言えば、信長は急いでいる。


 前久は明確にそう言った訳ではなかったが、南蛮国がもし攻め込んでくるとしたら、あまり時間的な猶予はないのだろう、と。

 だから信長はこちらが断り辛い状況を作り、半ば強引にでも一向宗を自陣営に引き込もうとしたのだ。

 そして『デウスの教え』は「庇護しているのではなく利用しているだけ」であり、本願寺は「この話に乗れば以後は庇護する」と言っていた。

 しかもこれはただの口約束に過ぎないが、それを前関白と現関白の二人の前で宣言した、という意味は大きく、下手な血判状などよりもよほど信用が置ける約束であった。

 さらに今この場には公家衆を代表して前関白と現関白が、武家の代表として織田信長がいる、このような状況なら言えるだろう、今この場にいる寺社勢力の代表は、間違いなくこの本願寺顕如なのだから。


「拙僧は本願寺の再興と発展こそ至上の望み、と思っております…願わくば我ら本願寺を、叡山や高野山と並ぶ格を持つ宗派である、という朝廷からのお墨付きを頂けましたら、これに勝る喜びはありませぬ」


 今度は眼を見開くどころではなく、坊官の二人は口を開けて「はっ!」と声を上げた。

 現在でも本願寺は寺の格としては最上位と言える『門跡』というものを得ている。

 帝に連なる皇族、もしくは公家の中でも位の高い者が住職を務める寺を『門跡寺院』と呼び、本願寺もそれを名乗る資格を得るために、これまでも様々な手段を取ってきた。

 だがそれでも、本願寺はあくまで日本最古の仏教宗派である最澄の興した天台宗・空海の興した真言宗に比べれば、格下に扱われる。

 積み重ねてきた歴史を鑑みれば仕方のない事ではあったが、それによって本願寺はこれまでにも様々な苦難を重ねてきた。


 顕如自身はあくまで伝え聞くことでしか知らなかったが、顕如の三代前の八代目法主・蓮如上人は、天台宗の総本山・比叡山延暦寺から「仏敵」と謗られ、様々な弾圧を受けたという。

 同じ仏の道を志す者であっても、平気で「仏敵」という言葉を振りかざす延暦寺に対し、思うところが無かった訳ではない。

 信長の延暦寺への焼き討ちに対しても、個人的感情よりも仏僧としての自らの立場を優先し、信長の暴挙に怒りを露わにして見せた。

 だが今この時だけは、いやむしろこのような機会に恵まれたからこそ、己の悲願を口にしたいと顕如は思った。

 親鸞聖人から続く、本願寺の苦難の歴史を今こそ撥ね退け、天台真言の二大宗派と並ぶ第三の宗派としての座を掴み取る、という悲願を。


「武家をまとめる織田殿の庇護を得て、朝廷のお墨付きが得られたなら、我ら本願寺はより一層民からの信望を得ることが適うでしょう…我らは公家の方々や武家衆よりも元々が民の間で広まりし宗派なれば、これを御護り下さる織田殿、そして認めて下さった朝廷には一切の叛意無く従う事となりましょう…織田殿とそれに付き従う大名の支配地では、我らは穏やかな信仰に生き、敵対する勢力の下では一揆となって信仰のために命を懸けるでしょう…無論『デウスの教え』という異国の教えに帰依する者には、相応の行いをもって遇する事となりましょうが……この辺りが落とし所ではございませんでしょうか?」


 顕如の口上を聞き、今度は前久の顔が引きつった。

 信長は苦虫を噛み潰したかのように顔を歪め、無表情を装おうとしていた光秀の頬を、汗が一筋伝っていく。

 ほんのわずかの間に、顕如は『石山返還』以上の要求をまとめ上げて、さらにはそれに伴う対価までをも提示してきたのだ。

 これには現関白である一条内基も開いた口が塞がらなかった。

 石山を返還されれば、確かに石山本願寺再興、と言えるだろう。


 だがそこからまた発展にまでもっていくには大きな時間と手間、金と物が必要となる。

 しかしもしここで本願寺の浄土真宗という宗派の格を、その地位自体を揺ぎ無いものとして押し上げることが出来たなら、さらには織田家と朝廷という二大勢力と組むことが出来たなら。

 それは日本仏教界における一大勢力へと瞬く間に返り咲くことが出来る上に、顕如の『悲願』を超えた『野望』と言って差し支えのない、本来であれば絶対に不可能なことであったことすらも達成できる可能性があるのだ。

 天台宗・真言宗ですら現時点では不可能となった、日ノ本の民の半分以上が浄土真宗の門徒となること、仏の教えと言えば本願寺こそが第一である、という事実を作り上げる。

 その第一歩を記すことが出来るのなら、自らの命とて惜しむ顕如ではない。


 あくまで僧としての衣服に身を包み、穏やかな顔付きで悠然と構えてはいるが、その内には武士に負けずとも劣らない激情、そして同時に僧としての信仰に生きる心構えが出来ている。

 自らの存在と本願寺という宗教勢力の価値、さらには相手が何を求めているかを全て計算に入れた上で、最も高い価値でもって買ってくれと平然と言い放つ。

 挙句買ってくれたらそれに見合うだけの働きは見せるぞ、という先程の土橋守重とは雲泥の差とも言える、驚異的な売り込み方を見せてきたのである。

 目の前の金銭などではない、もっと普遍的な価値を持つ『名』と『実』両方を取りに来るという離れ業をやってのけてきた顕如に、その場に居合わせた全員が沈黙に沈む。

 信長や光秀、前久を前にしても尚、その場の主導権を握ることに成功した顕如に、信長は改めて恐ろしさを感じた。


「意のままにならぬものは賽の目と川の水、そして山法師か……よく言ったものよ」


 舌打ちをして、吐き捨てる様に呟いた信長の言葉を、顕如がいやいやと軽く首を振りながら否定する。


「平家物語にある白河法皇様の『賀茂川の水と双六の賽と山法師、是ぞわが心にかなわぬもの』という『天下三不如意』ですか……アレの山法師とは、比叡山延暦寺の僧兵を指しているものでしたな…アレと同一視されては困りまする、我らは共に手を取り合い、助け合おうと提案しているのですよ、織田殿?」


「そうだな……貴様の扱い辛さは山法師どころではない…」


「褒め言葉、と思って受け取らせて頂きます……それに拙僧はなにも明確な形でもって朝廷から何かを頂こう、などとは考えてはおりませぬ…あくまで朝廷と密接に繋がりがあり、その関係はすこぶる良好である、という事をお示し下さればそれで構いませぬ…我らの方でも余力が出来次第、朝廷への献上は以前と同じようにつつがなく行わせて頂きまする故、自然と良き関係となりましょう…」


 苦い顔をしたままの信長に、穏やかな笑みを浮かべた顕如が頭を下げる。

 まるでその苦い顔が、望みを叶える約束手形だ、と言わんばかりに。

 信長にとっては話が早い相手、というのはむしろ好感を抱くものだ。

 元から気が短い信長は「一を聞いて十を知る」を実践できる相手を好む。

 だがそれが、よりにもよってかつての宿敵とも言えた本願寺顕如であった、というのが皮肉というより嫌味にすら感じる。


 気心が知れた家康との会話のような、お互いが何を言いたいのかを分かった上で次々に会話を進めることが出来る、それに近いものを顕如から感じた。

 秀吉や光秀など、持って生まれた頭の回転の速さを生かして織田家で出世を重ねた者たちのような、そんな知恵の回り方を顕如からも感じ取ることが出来た。

 元から手強い、一筋縄ではいかぬという事はわかっていた。

 だが顕如は己の予想以上の者であった、という事を実感させられた信長は、チラリと前久を見た。

 すると前久の方も信長に視線を向けたため、期せずして視線が噛み合い互いに眼で問いかける。


 信長の方は「朝廷や公家衆への要求だから、そちらが返事をしろ」という、ある種問題の解答を丸投げするかのような意味で。

 前久の方は「今この場で返答しなくてはいけないのか?」という、出来れば持ち帰って朝廷内で議した上での回答にさせてくれという本音を察して、助け舟を出してほしいという意思を込めて。

 信長からすれば『石山返還』の要求を取り下げてくれるのなら、その方が都合が良いことに変わりはない。

 ある程度の無理難題は吹っ掛けてくるだろう、という予想こそしていたものの、さすがに現在大坂城が聳え立っている地をそのまま返せなどと言ってくるとは思わなかった。

 それで交渉は暗礁に乗り上げたかと思えば、前久の加勢で顕如は条件を変えてくれた。


 信長にとっては非常に都合の良い話となった訳だが、当の前久からすれば加勢したが為に却って自分の首を絞めるというのは、何とも皮肉な話であった。

 前久も思わず「手助けをしたのだからそちらも手を貸してくれても良いじゃないか」と言わんばかりな眼で信長を軽く睨んだ。

 それらのやり取りを、全て見透かした上で顕如は信長たちの出方を待っている。

 自分達から答えを急がせるような真似はしない、ここで焦れても迫っても、なにも良い結果などを生みはしないだろう。

 あくまで悠然と構えて場の主導権を握り続ける顕如に、織田家の陣営以外の人間で苛立ちを隠せなくなっていた人間がいた。


 すでに信長から眼中に無い、と目されていた土橋守重である。

 織田家の側から本願寺に交渉を申し入れ、場合によっては和睦するというのなら、自分たちはどう立ち回るべきか、を守重は昨夜から必死に考えていた。

 織田家に臣従を誓った場合、鈴木重秀を筆頭とする親織田派が返り咲き、再び雑賀の荘でも幅を利かせれば反織田派だった自分は良くて失脚、悪ければ信長への忠誠を誓うために、首を差し出される恐れすらある。

 だからと言って正面から戦えば明らかに分が悪かった。

 かつての「雑賀攻め」の際、ある程度は織田方にも痛手を与えたものの、結局は物量に押されたこともあって半分降伏のような停戦・和睦に至っていた。


 あの時は鈴木重秀らの、後の親織田派となる者たちも共に戦い、それでなんとかその有様だった。

 だが今は、親織田派筆頭だった鈴木重秀をはじめ、多くの元雑賀衆が信長に降っている。

 自らの庭とも言うべき紀伊国の地形なども知り尽くた元同僚が、狙撃に向いた地点や攻めやすい地形なども全て向こうに伝えているのであれば、それはもはや戦の体を為さないだろう。

 それもあって戦を仕掛けず、かといってタダで降る訳にもいかなかった守重は、信長に自らを高く売り込もうとしてけんもほろろに断られた。

 信長からすれば守重がどう出ようと、鈴木重秀などが今後は自分の配下として従うのなら、それを重用して雑賀衆を使えば良いのであって、彼の存在を重要視する必要はないのである。


 目論見を外された守重は会談の場でいないも同然に扱われた。

 先程までは殺気を放ち続けていた佐々成政なども、口こそ挟まないものの信長と光秀、そして顕如たちの会話に耳を傾けている。

 そして守重の正面に座る森長可は、退屈そうに懐に手を突っ込んでボリボリと身体を掻いており、時折欠伸を噛み殺している。

 しかし他の者たちとは違い、常に顕如をはじめとする対面に座る者たちの動きに注意を払っている。

 一見隙だらけのように見えて一挙手一投足に警戒を怠らず、政治向きの話に一切の興味も注意も払わず、ただその動きだけを注視していた。


(チ…この猪武者が……)


 内心で舌打ちをして、守重は長可の存在を苦々しく思った。

 話は外交上の山場を迎えており、この場に居合わせた者なら自然と意識はそちらに向かうはずだ。

 守重自身、本願寺がどのような結論を出し、織田家とどのように今後付き合っていくのか、は個人的には興味がある事柄だ。

 だがそれ以上に今の自分には優先するべき事柄がある。

 それは昨日の夜遅くに守重を訪ねてきた者から聞かされた、まさに今このような状態となった時に、守重が取るべき手段と、それを可能とする道具を使える状況にすることだ。


 その手段を取るべき機会を計っていた守重であったが、長可は一向に警戒を怠らない。

 隙を付いて行動を起こそうとしても、おそらくそれは途中で見破られ妨害される。

 仕方なしに守重は懐からごく自然にキセルを取り出し、ふて腐れた体を装って火をつける。

 視線はあくまで明後日の方を向き、気怠そうに頭を掻きつつ片手でキセルを持って一服し始める。

 チラリと伺えば、長可は依然として守重から視線を外さない。


 つまらなそうな態度を取っていることは守重と大差はないが、片や守重は自分の本来の目的を隠すための擬態であり、長可は本当につまらなくて眠気を感じていたりもするが、信長の警護という任を全うしているのである。

 守重はキセルから肺一杯に息を吸い、その煙を苛立ちと一緒に吐き出す。

 自分が動けないとなれば、後は状況を混乱させて機会を待つ。

 この程度の動きであれば長可も注意こそ払っても、合図とは気付くまい。

 この部屋のふすまの上の欄間の部分には、その細工に大きな穴が開いている箇所があった。


 その部分からは外が見え、また空が見える。

 守重が吐き出した煙は外へと流れていき、やがて霧散していく。

 後は上手くいくかどうか、こればかりは守重とて運を天に任せるしかなかった。

 あの煙が見えたなら、そうかからない内に動き出す者たちがいるはずなのだ。

 守重が独断で手を打とうと画策している一方で、信長と顕如、そして前久の話はいよいよ大詰めを迎えようとしていた。


「絶対に、とまでは言えまへん…しかし帝をはじめとする公家衆には、便宜を図ることは約束いたしますわ…いずれにしろ叡山は信長はんによって大きく力を落としはったさかいに、その座にとって代わろうという事はそう難しい事はありまへんやろ…あとは顕如はん、あんさんらが『山法師』にならんよう大人しゅうしてくれはったら良いだけの話や。 意味は分かりますな?」


 比叡山延暦寺の僧兵を指す『山法師』をあえて口に出し、仏僧の分を超えて政治に、朝廷の行いに口を出すような真似はするなよ、と前久が釘を刺す。

 軽く視線に力を込めた前久の視線を、顕如は先程までと変わらぬ態度で受け止める。


「ええ、元々我らとて進んで戦をしたい訳でも、ましてや政に口を出したい訳ではありませぬ」


「その割には、貴様らはずいぶんと士気旺盛にわしに刃向かって来ておったな?」


「末法の世であるからこその救いを、という民の声に応えて立ち上がり、やむを得ず戦となってしまったことは認めましょう…そして気が付けば念仏を唱えるでもなく、収奪と戦時の兵糧を漁るだけが目当ての、いわゆる悪門徒が蔓延る陣容となってしまったのは我が不徳の致す限りにて…」


 顕如の穏やかな笑みはわずかの崩れも見せず、信長の皮肉にも動じない。

 唯一「悪門徒」という言葉を発する時だけは、顔に苦悩の色を見せたが、それすらも演技ではないのかと思わせる。

 いずれにしろ顕如からすれば、信長という存在に対しては当然良い印象はないが、本願寺の再興、浄土真宗の発展に繋がる事であれば、たとえそれが毒が盛られた杯であっても躊躇わずに飲め干せる気概を持っているのだ。

 信長と朝廷双方に縁を作り、後日の宗派隆盛の布石が打てるのならば、もし門徒たちの多くが顕如の決断を非難しようと、己の器でもって抑え込んでみせる。

 信長が当初想定していた顕如の「器」は、実は正鵠を射ており、門徒たちからの絶大なる信奉を集めている顕如であれば、信長との和睦とその庇護下に入る事を門徒たちに納得させ得るのだ。


「法主様のお決めになられたこと故、石山のことは忘れましょう。 しかし我らは織田家との戦で各地の門徒衆、そして坊官の多くが討ち死にしております。 これに対する賠償は請求させて頂けるのでしょうな?」


 今ここにいる本願寺方の中でも、最も強硬な意見を言うべき役割を持った下間仲孝が、先程よりは冷静に、しかし険しい顔つきのままで言葉を発した。

 しかし信長の方も負けてはいなかった。


「我が一族も貴様らの鉄砲で随分と数を減らすこととなった。 身内の死、兵の死を理由にこちらに要求を突き付けるのであれば、泥沼となる事も分からぬか?」


「仲孝、下がりなさい…もうよいのです。 先年に降伏して石山を出た我らは、その時点で織田殿との戦を終わらせたのですから、今更蒸し返したところで何も得るものなどありません…それに我らの本拠はまた新たに作ればよいのです…かつての山科本願寺から石山に移した時のように……我らの手でさらなる発展を遂げた本願寺を造営いたしましょう」


 信長が睨みながら言葉を言い終えると同時に、顕如が穏やかに仲孝へ役目を終わらせるように告げた。

 顕如の言葉に仲孝は軽く一礼し、以後は眼を瞑って発言を控えようという態度を取った。

 その代わりを務めるかのように坊官筆頭の下間頼廉が口を開き「微力ながら、お支え致します」と、神妙に告げる。

 仲孝もそれに倣い、眼を瞑って口も噤んだまま頭を下げる。

 本願寺方の意思を確認し、信長と前久は再び視線を合わせる。


「話はまとまりましたな……なら今の時点で詰めれる所まで――」


 前久が言葉を続けようとしたその時、部屋の外から足音が響き、全員がその音の方へと顔を向ける。

 それは守重を常に警戒していた長可すらも例外ではなく、守重以外全員の視線が慌てたような足音の方へと向かう。

 その隙に守重は火の付いたままのキセルを懐へと仕舞い込む。

 それは出した時と同様、ごく自然に行われ誰もそれを注視していなかった。

 そして足音の主は部屋を仕切るふすまの向こうから「申し上げます!」と声を張り上げた。


「構わぬ、この場にいる全員に聞こえるように言え」


「本願寺の僧兵どもが教如を推し立てて暴れておりまする! またそれに呼応して、雑賀の者たちもこちらの兵と諍いを起こし始めております! 如何なさいますか!?」


 ふすまの向こうからの報告を聞き、信長たちは一様に表情を険しくさせ、本願寺方の三人は苦渋に満ちた表情を浮かべた。

 上座に座る現関白と前関白の二人も、露骨に顔をしかめた。

 そんな中でただ一人、誰の目にも触れない所で守重だけが僅かに口元を歪めた。

 懐の中に入れたキセルの火が、隠し持っていた物に静かに燃え移っていった。

 それを指先の感覚で察知しながら、守重は好機を待つのであった。

業績が伸びないから減給します、でも休日出勤はしてね、という危機…

そこに迫る車の車検期限と免許の書き換えのタイミング…

そしてパソコンの不調…ウィンドウズ10のバカー!(八つ当たり)

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